第四幕 : 崩れ落ちた未来の形
翔也の家のリビングは、夜の寒さを閉じ込めたように静かだった。
カーテンの隙間から月光が細く差し込み、床の木目が青白く浮かび上がる。
悠真と沙羅は、その暗がりの中で並んで座っていた。
目の前のノートパソコンには、悠真の家の寝室が映っている。
沙羅の手は震えていた。
指先は青ざめ、膝の上で握りしめた拳は汗で湿っている。
「……もうすぐ、来るはずだ」
悠真が低く呟く。
その声もまた、どこか震えていた。
やがて――
画面の向こうで玄関の扉が開く音がした。
沙羅の呼吸が止まる。
「……翔也……」
彼女は呟くように名前を漏らし、目を大きく見開いた。
映像の中。
翔也は迷いなく悠真の家に入り、靴を脱ぎ、まっすぐ寝室へ向かう。
少し遅れて、ハッとするほど見慣れた姿が映り込む。
美咲だ。
悠真の妻。
オーバーサイズのパーカーにスウェット。
何度も見た「家の中の姿」。
だが今、その姿は別の男の前でだけ、崩れていく。
「……やだ……美咲さん……そんな顔……」
沙羅の声が震え、手が口元に上がる。
翔也の胸に、美咲が自分から腕を回した。
頬が触れる。
指が髪を梳く。
唇が触れ合う音さえ、クリアに拾われた。
ふたりの肌が近づけば近づくほど、
画面越しでも感じる熱と湿度が部屋を満たしていった。
パーカーが滑り落ちる音。
布が床に落ちる微かな音。
小さく甘い息。
男の低い呻き。
逃れようのない現実だった。
「……っ……う、そ……」
沙羅の喉からくぐもった声が漏れた。
映像の中で美咲は翔也の首に爪を立て、
背に回した手でシャツを掴み――
まるで恋人のように、必死に抱きしめていた。
「やめて……やめてよ……翔也……なんで……」
耐えきれなくなったのか、沙羅は椅子を蹴るように立ち上がった。
そのままトイレへ駆け込み――
ひとつ、胃の底を掬うような吐き戻す音が静かな家に響いた。
悠真は動けない。
ただ、冷えた指先でマウスを握りしめるだけだ。
画面の中では、美咲の声が重なっていた。
湿った呼吸。
掠れる甘い声。
皮膚が触れ合うたびに、細かい音が立つ。
そのすべてが、悠真と沙羅の耳へ正確に届く。
トイレから戻ってきた沙羅は、ふらふらと壁に手をついた。
「……こんなの……見たくなかった……っ」
涙で顔がぐしゃぐしゃだ。
しゃくりあげる音が止まらない。
「沙羅……」
「なんで……なんでなの、悠真くん……?
なんでふたりとも……こんな……私たちより……楽しそうに……」
その声は絞り出す悲鳴に近かった。
悠真は沙羅の肩に手を伸ばしかけ― しかし、触れられなかった。
画面の中で、美咲が翔也を抱き寄せ、
まるで愛を囁くような声で名を呼んだからだ。
その音に、悠真の心臓がひび割れた。
沙羅も同じ瞬間、胸を押さえて膝をついた。
「……翔也……私じゃなくて……美咲さんなの……?」
答えは、映像が告げている。
もう、誰の言葉も必要なかった。
やがて、映像の中でふたりが動きを止める。
静かな余韻だけが部屋に広がる。
沙羅は涙を溢れさせながら、嗚咽混じりにつぶやいた。
「――復讐しよう、悠真くん」
彼女の声は震えていたが、目だけは壊れたように据わっていた。
そして悠真もまた、ゆっくり頷いた。
「……あぁ。必ずだ」
ふたりの心は、同じ場所で折れた。
だからこそ、同じ場所へ向かう。
―地獄へ。




