第二幕:復讐の設計図
沙羅の家を出る頃には、外の空は夕日を溶かしたように赤く染まりはじめていた。
風は生ぬるく、まるで体温を失った血のようにまとわりつく。
胸の奥に広がるざわつきは、怒りではなく、もっと粘りつく黒い感情だった。
マンションの前で深く息を吐くと、
首筋に汗が一筋、ゆっくり流れ落ちた。
あの日まで、世界はもっと単純で、
妻と親友は“信じていい側”の人間だった。
それが幻想だとわかった今、世界の形はもう元には戻らない。
胸ポケットのスマホが震えた。
沙羅:『話したいことがある。──夜、電話できる?』
その短い文字の並びに、
同じ“裏切られた者”の気配が滲んでいた。
俺は即座に返信した。
悠真:『もちろん』
もはや迷いなどなかった。
⸻
■ 夜の通話
夜。
美咲はシャワーを終え、髪をタオルで拭きながら寝室に向かった。
俺はリビングの窓際で、街の光を眺めながらスマホを握る。
電話が鳴った瞬間、心臓が一拍早く跳ねた。
「……聞こえる?」
受話口から漂う沙羅の声は、
昼間の柔らかさとは違い、少しだけ低く沈んでいた。
「あぁ。大丈夫」
少しの沈黙のあと──
「……私、もう証拠を集めてるの」
その一言に、息が止まった。
「どういうことだ?」
「翔也のスマホ。
暗証番号、わかってたの。
だから……見たの。動画も写真も、全部」
沙羅の吐息が電話越しに震える。
「ただの浮気とかじゃなかった……
二人とも、ほんとに……狂ったみたいに……」
言葉が詰まり、彼女は小さく息をのみ込んだ。
「……悠真くん、あなたも見たんだよね?」
「見た」
短く答えると、心の奥に重い鉛のような感覚が沈んでいく。
裏切られた事実を共有するたび、
二人の距離は少しずつ闇の方へと近づいていく気がした。
⸻
■ 復讐という言葉
「……ねぇ、悠真くん」
沙羅の声が、ほんの少しだけかすれる。
「何もしないでいられるの?」
喉の奥で何かがひっかかったように、言葉が出ない。
「このまま黙ってたら……
きっと二人は笑って暮らすよ?
私たちが地獄に落ちても、気づきもしないで……」
沙羅の声は震えていた。
だけど、その震えの奥には、
怒りとも悲しみとも違う“固い芯”があった。
「……復讐、したい」
俺がそう言うと、
電話の向こうで、沙羅が小さく息を吸い込んだ。
「……私も。
ただ傷ついただけで終わるなんて……耐えられない」
その瞬間、
互いの呼吸のリズムが、妙に重なっている気がした。
⸻
■ 計画の輪郭が生まれる
「まず……沙羅。
翔也の行動パターンを教えてくれ」
「うん……毎週火曜と金曜が怪しいの。
仕事って言って、帰りが遅くなる日。
それから──美咲さんが外出してる時間。
どうも、合わせてるみたい」
なるほど。
その時間帯に美咲は俺に「残業」と連絡してくることが確かに多かった。
「美咲のスマホで位置情報をオンにしてる。
だから……いつどこにいるか、俺にはわかる」
「……それ、最高の材料じゃない」
沙羅の声がほんの少しだけ“熱”を帯びた。
「まずは、二人が会ってる場所を特定して……
証拠を残す。
動画、写真……なんでも」
俺の声は驚くほど冷静だった。
「そのあとで……」
「そのあとで、痛い目に遭わせる」
沙羅が言葉を継ぐ。
まるで復讐のシナリオを、二人で一緒に読み上げるように。
「ただの仕返しじゃ終わらない。
二人の人生を壊す。
私たちの人生が壊されたみたいに……」
その声音は、
昼間の優しい沙羅とはまるで別人のようだった。
⸻
■ ふたりの誓い
沈黙が流れた。
だが、気まずさはなかった。
むしろ、どこか奇妙な連帯感があった。
「……沙羅。
本当にやるんだな?」
確認というより、自分への覚悟の再確認だった。
「うん。
私、もう戻れない。
どうしても許せない」
その言葉は、静かで、深く、重かった。
「じゃあ……一緒にやるか」
「……うん」
ふたりのその小さな返事は、
暗闇に落ちる水滴のように、確かな音を立てて胸に刻まれた。
⸻
■ 闇への第一歩
通話を切ると、部屋の静寂がやけに濃く感じた。
窓の外では街の灯りが淡く揺れ、
遠くから聞こえてくる車の音が、妙に不穏に響く。
寝室へ向かう途中で、ふと足が止まる。
美咲の寝顔がドアの隙間から見えた。
穏やかな表情。
裏切っているとは思えないほど無垢な寝顔。
だが、それはただの仮面だ。
優しさを装い、俺と沙羅を騙し続けた裏切り者の顔。
俺は、ゆっくりとドアを閉めた。
もう後戻りはできない。
復讐の火は確かに灯され、
その熱は俺の胸の奥でゆっくりと膨れ上がっていた。




