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断ち切れぬ鎖  作者: Fall44


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1/5

第一幕:真実

 妻の美咲が作る味噌汁は、いつも決まって少し濃い。

 それなのに、その日の味噌汁は妙に薄かった。

 出汁の香りも弱く、舌の奥で味が消えていく。


 ただの味付けミス。

 そう思えば終わることを、俺はなぜか終わらせられなかった。


 美咲は椅子に浅く腰掛け、スマホを両手で包み込むように握っていた。

 画面の光が頬を照らし、そこだけ別の世界に属しているみたいだった。


「今日、会社どうだった?」


 問いかけても反応が半拍遅い。

 目だけがスマホに吸い付いて離れない。


「ん……普通。ちょっと疲れただけ」


 その声も、どこか違う。

 俺の知る“美咲”がいなかった。


 やがてテーブルに置かれたスマホが震えた。

 ふと覗いた画面には──


〈翔也〉


 その名前を見た瞬間、背中を冷たい指先でなぞられたような、いやな感覚が走った。

 翔也。俺の親友。

 高校から十年以上、互いの弱さも笑顔もすべて晒してきた仲だ。


 美咲は慌ててスマホを伏せた。

 その仕草は、隠したいものを隠す人間の動きだった。


 違和感は、その瞬間に確信へと変わった。



■ 妻のスマホが語る“裏切り”


 真夜中。

 美咲が寝息を立て始めた頃、俺はゆっくりと手を伸ばした。

 盗み見る行為がどれほど後ろ暗く、卑怯で、惨めなのかはわかっている。

 だが、それでも真実を知る方が怖かった。


 画面ロックのパスは知っていた。

 夫婦だから知っているはずの、当たり前の番号。


 メッセージアプリを開いた瞬間、胃の奥が落ちていく。

 指先が震え、息が止まった。


〈早く会いたい。今日は旦那が遅い〉

〈昨夜の続きがしたい。あなたのこと、止められない〉


 送信相手の名前は、翔也。

 絵文字のハート。

 通話履歴に残る深夜の長い通話。

 添付されている見たことのない下着姿の写真。


 頭の奥で、何かが静かに壊れた。


 怒りでも悲しみでもない。

 ただ、心が音もなくひび割れていくような虚無だった。



■ 翔也の家へ


 翌日、俺は会社を休んだ。

 布団の中で考え続けても、結論はひとつだった。


 ──翔也に会わなければならない。


 昼下がりの空気は湿っていて、生ぬるい風が頬を撫でた。

 翔也の家の前に立つと、胸が押しつぶされそうな緊張が襲う。

 けれど、ここで引き返す選択肢はなかった。


 インターホンを押すと、しばらくしてドアが開いた。


「……あれ、悠真ゆうまくん?珍しいね。どうしたの?」


 姿を見せたのは翔也の妻──沙羅。

 二十代後半とは思えないほど柔らかい雰囲気があり、

 少し幼さを残すその声は、

こ気味よく弾むように耳に残る声だった。


 彼女は突然の訪問にも警戒を見せず、

「上がってよ」といつもの笑顔を向ける。


 リビングに通されると、午後の光が白いカーテン越しに差し込み、

 柔らかな影を作っていた。

 コーヒーの香りが部屋の隅にまだ漂っている。


「ねぇ、悠真くん。……あなたも何か気づいてる?」


 沙羅はカップを両手で包み込み、少し震える声で言った。


「……気づいてるって?」


 俺がそう返すと、沙羅はゆっくり視線を落とした。


「最近、翔也……変なの。

 帰りは遅いし、スマホを触る手が妙に早くて。

 画面を見られないようにするの、気づいてるんだよ」


 喉の奥で言葉が詰まった。

 沙羅の言葉は、まるで俺自身の状況をなぞるようだった。


「もしかして……悠真くんの奥さんと……」


 言いかけて、沙羅は泣きそうな顔で口をつぐむ。

 その沈黙が、答えよりも雄弁だった。


 美咲のスマホで見た現実。

 翔也の不可解な行動。

 沙羅の不安。


 すべてが一つの点でつながった。


──裏切られていたのは、俺と沙羅の二人だった。



■ 共犯関係の始まり


 沈黙の中、沙羅が絞り出すように言った。


「……どうするの?このまま……黙ってるの?」


 彼女の目は紅く濡れて揺れていた。

 悔しさと怒りと悲しみが、すべて混じっていた。


「……復讐、したいか?」


 俺が低く問うと、沙羅は小さく震えながらも、確かに頷いた。


「したい。私だけが傷ついて終わるなんて……嫌」


 その瞬間、俺たちは“同じ側の人間”になった。

 被害者であることを共有した者同士。

 だがそれは、光ではなく闇で手を結ぶ行為だった。


 テーブルの上の二つのコーヒーカップからは、

もう湯気が消えていた。


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