第七話:夜の参拝者たち
それから半日が過ぎ、午後の日差しが長く影を引く頃。
神崎はコンビニの前でアイリと再び合流した。
「どうだった?」
アイリは買ったばかりのコンビニのおにぎりの包装を剥がしながら尋ねる。神崎は僅かに肩をすくめ、息をつきながら答えた。
「まあまあですね。やっぱり、夜に祠へ向かう人が増えているって話が多かったです。でも、理由を明確に知っている人はいませんでした」
そう言いながら、おにぎりをひと口かじる。梅の酸味が舌の上に広がり、微かに乾いた喉を刺激する。
「ただ、一人だけですが夜の参拝者の痕跡を見つけました。矢口静馬という男性です。恋人か妻か……おそらく死に別れた大切な人のために毎晩祠へ参拝しているようです」
「なるほど」
アイリは頷き、海の香りを含んだ風を受けながら、持っていたメモの一頁をめくった。
「江ノ島の弁財天に関する古い記録を調べたが、一部に『死者との縁も結ぶ』という民間伝承も残っていた。成就させるには、夜に参拝が必要だと」
「へえ。昼じゃなくて夜に参拝する必要があるんですか?」
神崎はおにぎりを食べつつ、もう片方の手で器用に緑茶のパックを開けながら、話を聞く。アイリは淡々と説明を続けた。
「ああ、通夜祭のような形で、夜から朝方にかけて参詣することで、特別なご利益があるとされている」
「それって別に、神社の伝統行事として行われているわけではないんですよね?」
「ああ……これは、かつて漁師たちが海で亡くなった家族を弔うために始めたものらしい。その小さな習慣がやがて、夜に弁財天に祈れば、波間に消えた者たちの魂が再び還ってくる——そんな言い伝えに繋がったんだろう」
神崎は喉の奥で小さく息を飲んだ。潮風に混じる磯の匂いが、不意に重たく感じられる。
「それ、ただの伝承ですよね?」
「おそらく。それが長い間語り継がれるうちに『夜に祠へ参詣すれば、亡き人ともう一度会える』という形に変化していったようだ」
それを聞いて、神崎は思わず祠のある方角へ視線を向けた。見えないはずのものが、薄闇の向こうにぼんやりと形を成す気がして、目を凝らす。しかし、特に何も見えなかった。
「つまり、矢口さんも——その言い伝えを信じて?」
「可能性はあるな」
アイリはさらりと言いながら、二つ目のおにぎりの包装を剥がす。
神崎は商店街の向こうに掲げられた海鮮丼の看板をぼんやりと眺めながら、緑茶を飲んだ。
「それにしても。現地に来てから、まともな食事もしてないですよね……この辺の海鮮丼、絶対うまいと思うんですけど」
神崎は残りのおにぎりを食べながら、小さくため息をつく。
「何駅か向こうの食堂も老舗で、しらす丼が人気らしいですよ。こういう時こそ、ちゃんとした飯を——」
「任務が終われば、好きにしろ」
アイリは即答し、手早く鮭おにぎりを頬張る。
そのとき——
違和感が、視界の端をかすめた。
「……?」
神崎の目が、歩道の向こうにいるひとりの男を捉える。
痩せ細った身体、虚ろな目、ぼさぼさの髪。旅の疲れを引きずる者にも見えたが——何かが違った。
「アイリさん……夜の参拝者って、こんなにいるもんですか?」
神崎の視線の先、別の方向からも、一人、また一人と、同じようにゆっくりと、しかし迷いなく祠へと向かう者たちの姿があった。
それは、観光客の歩調とは明らかに違っていた。彼らは足を止めない。脇目も振らない。言葉を交わすこともなく、ただ、まっすぐ祠を目指していた。
——まるで、意識の半分が別の世界にあるかのように。
「……行くぞ」
アイリはおにぎりを包み直し、静かに立ち上がる。神崎もそれに続いた。
そのとき、ふいに風が吹いた。
——ぞわり。
背筋を撫でるような寒気が這い上がる。
次の瞬間、神崎の鼓膜を圧迫するような耳鳴りが響いた。
潮風に混じって、かすかな音が紛れ込んだ。
——誰かを呼ぶ声。
それは、風の音に溶けるほど微かでありながら、不思議と耳の奥に染み込むような響きだった。




