第五話:新たな手がかり
──翌朝。
岡部は、カフェの奥の席で既に待っていた。
昨日と同じ古びた革ジャン、胸ポケットに黒いノート。疲れたようにコーヒーをすすりながら、それでも目だけは妙に鋭く光っている。
「おはようございます」
神崎が声をかけると、岡部は軽く片手を上げた。
「おう、さっそく調査へ行って来たんだってな。しかし、予想以上に連絡が早かったな」
「こちらも急いでいるからな」
岡部の軽口はほどほどに受け流し、アイリは神崎とともに席に着いた。程なくして、昨日と同じコーヒーが運ばれてくる。岡部はやけに大人しい神崎をちらっと物珍しげに見たが、それ以上は追求しなかった。
昨夜の洞窟の出来事は、神崎の中でまだ生々しく残っていた。あの手招く影、押し寄せる思念の渦、そして──意識を失いかけるほどの、強烈な呼び声。
だが、それを振り払うように、神崎はテーブルの上に肘をついた。
「岡部さん、昨夜メールした通り、色々とありましたが、そちらは何か掴めました?」
岡部は小さく頷き、胸ポケットからノートを取り出すと、ページをめくった。
「いくつか面白い話が聞けた。江ノ島の弁財天について、ちょっとな。そこから俺なりの仮説を立ててみた」
予想外の言葉に神崎とアイリが一瞬沈黙すると、岡部は補うように言葉を続けた。
「江ノ島の弁財天ってのは、もともと海の守護神として信仰されてたんだが、同時に“縁結び”の神でもあるんだよな。人と人を結ぶ……つまり、死者と生者の縁すら操れるんじゃないかって説もある」
「……それが、門を開くための力、か」
アイリの目が鋭く光った。
「そういうことだ。昔からこの島では、亡くなった人間ともう一度会いたいと願う者が、弁財天に祈りを捧げてきた」
「そんなの、普通は聞き入れられないだろう」
「まあ、生と死の境界は、そう簡単に越えられるもんじゃないしねえ。弁天さんだって、そんな願い一々聞いちゃいられない」
岡部はノートを軽く叩いた。
「だが──地震による物理的な地形の歪みや偶然、そして誰かの呪いにも似た強い願いの力が重なって、本当に門が開いたのだとしたら?」
その呪いにも似た願いという言葉に、神崎の背筋がぞくりと粟立った。
「つまり……意図的に 誰かが《《死者を呼び戻そうとしている》》ってことですか?」
「意図的にかは分からない。だが、呼び戻そいとする強い願いが悪い方に作用した可能性はあるってことさ」
神崎はゴクリと唾を飲み込んだ。
あの洞窟で聞こえた声、手招く影、押し寄せた無数の思念──あれらの中に、呼び戻された魂がいたのだろうか。それとも……。
「でも、それがどうして“不特定多数の亡者”が現れることに繋がるんです?」
「門を開く、ってのはそういうことだ」
アイリは低く言った。岡部もそれに頷く。
「ひとつの魂だけを選んで引き戻すなんて、神でもない限り無理だろう。門が開けば、その影響で関係のない亡者まで溢れ出す。まるでダムの決壊みたいにな」
そう言われて、神崎は思わず芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した。
我も我も、と一筋の糸に縋り付く亡者たち。
あの世と現世を繋ぐ扉が開くということは、あれよりも大規模な脱出劇が繰り広げられているのかもしれない。
「……境界の歪みは、そうやって生じたのか。確かにあり得ない話ではない」
アイリは腕を組み、考え込むように言った。
「ある人物の魂を呼び戻そうとしたことで、本来戻るはずのない亡者まで現世に流れ込んできた……」
「その可能性が高いな」
岡部はコーヒーを飲み干し、カップをテーブルに置いた。
「問題は、誰がそんなことをしてるのか、そして──呼び戻そうとしているのは、誰なのか ってことだ」
神崎は、アイリと目を合わせた。
このままでは、境界の歪みはさらに拡大し、現世と冥府のバランスが崩れるかもしれない。
「……やることが見えてきましたね」
神崎は深く息を吐き、拳を握った。
「門を開いた人物を突き止め、呼び戻そうとするのをやめさせましょう。そうすれば、歪みも修正できるはずです」
「それが可能ならな。できない場合は無理矢理にでも閉じるしかない」
アイリは頷いた。
「冥府庁の本来の任務は、死者の秩序を守ること。戻るべき魂はさっさと帰還させる。プロセスは問わない」
そう言うとさっさと席を立って店を出ていく。
「黒野さんは、相変わらずシンプルだねえ」
岡部は感心したように見送ってから、まだ座ったまま何やら沈み込んでいる神崎を見た。
「昨日の話を聞いた感じ……《《呼ばれた》》ってことは、この先も色々見えちまうんだろうな。黒野さんが見えないもの。まあ、がんばれよ、新人君」
そう言って、軽く神崎の肩を叩く。
「絶対、面白がってますよね?岡部さん」
「まあまあ、うまくいけば今度飯でも奢ってやるから。それより、黒野さん、先に出てったぞ」
「それ、約束ですよ。──あっ、待って下さいアイリさん!」
慌てて神崎は立ち上がり、カフェの外へとアイリを追いかけていった。




