第8話「女子高生は二次元から」
「ガンダムの第一話、どうだった?」
SF研究会の部室は、春の陽光が窓から差し込む4月中旬の午後。1979年度の新学期が始まり、キャンパスには新入生の姿が目立つようになっていた。鹿島はテーブルを叩きながら、熱心に議論を始めようとしている。
「正直、予想外だったな」織田は腕を組みながら答えた。「宇宙戦争が始まるところから入るとは思わなかったよ」
「あの冒頭のナレーションがいいわね」真鍋も目を輝かせて言った。「『一年戦争』という設定も斬新」
「『宇宙世紀』という年代設定自体、SF的な時間軸の再構築として評価できます」西村は分析的に言う。「実年代と切り離すことで、現実と虚構の境界を明確化しつつも、リアリティを担保する興味深い手法です」
「おい、録画テープどうした?」鹿島が織田に尋ねる。
「俺の部屋だ。毎週録画するぞ」
「ちゃんと保管しろよ。これは歴史的作品になる予感がするからな」
「わかってるって」織田は胸を張った。「今まででベータマックスを買った甲斐があったぜ」
彼らの会話は、『機動戦士ガンダム』という新作アニメへの興奮で満ちていた。4月7日に第一話が放送されて以来、毎週日曜の放送を彼らは欠かさず見ていた。大河原邦男から直接話を聞いていたこともあり、特別な思い入れがあった。
「でも、設定は複雑だな」鹿島は考え込みながら言う。「ジオン公国と地球連邦の対立、ニュータイプという概念…一話だけじゃ掴みきれない」
「だからこそ面白いのよ」真鍋が熱く語る。「子供向けの単純なストーリーじゃなくて、しっかりとした世界観構築がされてる」
「確かに『Y』や『銀河鉄道9』と同じく、大人も楽しめる作品だな」鹿島も頷く。
その時、部室のドアがノックされた。
「はい?」真鍋が振り向く。
ドアが開き、高校の制服を着た女子生徒が3人、恥ずかしそうに顔を覗かせた。
「あの…真鍋先輩はいらっしゃいますか?」一人の女子生徒が小さな声で尋ねる。
「私よ」真鍋は立ち上がる。「どうしたの?」
「あの、前に言っていた『星雲評論』を見せてほしくて…」
真鍋の表情が明るくなった。「ああ!入って、入って!」
3人の女子高生が恐る恐る部室に入ってくる。彼女たちは皆、15〜16歳くらいに見えた。
「みんな、紹介するわ」真鍋が嬉しそうに言った。「私の母校の後輩たちよ。アニメ研究部を作ろうとしているんですって」
「よろしくお願いします」3人が揃って頭を下げる。
「佐藤です」細身で眼鏡をかけた少女。
「田中です」おかっぱヘアの活発そうな少女。
「鈴木です」長い黒髪がトレードマークの大人しそうな少女。
鹿島たちは少し驚いた様子で彼女たちを見ていた。SF研究会に女子高生が訪れるのは初めてのことだった。
「あの、座ってください」鹿島は慌てて椅子を勧める。
3人は遠慮がちに席に着いた。
「で、どうしたの?」真鍋が尋ねる。「『星雲評論』のこと?」
「はい」佐藤と名乗った眼鏡の少女が答える。「真鍋先輩が書いた『SFアニメにおける女性キャラクターの変遷』という論文を読みたくて…」
「ああ、あれね」真鍋は嬉しそうに言った。「どうして興味を持ったの?」
「実は私たち、学校でアニメ研究部を作ろうとしているんです」田中が元気よく言った。「でも、『女子がアニメなんて』って言われて、なかなか認めてもらえなくて…」
「それで、真鍋先輩みたいに大学でもアニメ研究をしている女性がいると知って、アドバイスをもらえたらと思って…」鈴木が小さな声で続けた。
「もちろん!」真鍋は目を輝かせながら言った。「私たちも最近ようやく正式なサークルとして認められたところなの。経験を共有できるわ」
鹿島は少し困ったように頭をかく。「あの、お茶くらい出せればいいんだけど…」
「私が入れるわ」真鍋が立ち上がる。「幸い、ポットとカップは常備してあるから」
真鍋がお茶を準備している間、織田と西村は女子高生たちに興味津々の眼差しを向けていた。
「あの、君たちはどんなアニメが好きなの?」織田が尋ねる。
「『銀河鉄道9』が大好きです」佐藤が眼鏡を直しながら答えた。「メーテルのキャラクター造形に感銘を受けて…」
「私は『Y・D・F』です」田中が言う。「あの宇宙戦艦のデザインが素敵で」
「私は…」鈴木はもじもじしながら言った。「少女漫画原作のアニメも好きで…『ベルサイユのばら』とか…」
「へえ、幅広いな」織田は感心した様子で言う。
「文化的多様性が若年層にも浸透しつつあることは注目に値します」西村が分析的に言った。「ジャンル横断的なメディア消費の萌芽が見られます」
「あの…」佐藤が恐る恐る尋ねる。「新しい『ガンダム』も見てますか?」
「もちろん!」鹿島の目が輝いた。「君たちも見てるのか?」
3人は元気よく頷いた。
「アムロがかっこいいです!」田中が熱く言う。
「シャアという赤い彗星の設定が素晴らしいです」佐藤も目を輝かせる。
「私はセイラさんに注目してます…」鈴木が小声で言った。
「おお、詳しいな!」織田も驚いた様子。
その時、真鍋がお茶を持って戻ってきた。
「みんな、もう打ち解けたみたいね」真鍋は笑顔で言う。「それじゃ、『星雲評論』を見せるわね」
真鍋はバッグから最新号の『星雲評論』を取り出して、3人に渡した。高校生たちは熱心にページをめくり始める。
「すごい…こんなに本格的な分析…」佐藤が感嘆の声を上げる。
「私たちも将来こんな同人誌を作れたらいいな」田中も目を輝かせる。
「でも、どうやって作るんですか?」鈴木が真鍋に尋ねる。
「そうね、最初は大変だったわ」真鍋は懐かしそうに言った。「原稿を書いて、印刷して、製本して…」
彼女は印刷や製本の苦労話、コミケットでの頒布体験などを詳しく話し始めた。3人の高校生は真剣な面持ちでメモを取っている。
「あの、質問があります」佐藤が手を挙げる。「女性としてSF研究会で活動するのは、やりにくくないですか?」
真鍋は少し考えてから答えた。「確かに最初は大変だったわ。でも、この人たち」と彼女はSF研究会のメンバーを指し示す。「作品への情熱と分析の深さを重視してくれるから、性別は関係ないのよ」
「それに、女性ならではの視点が研究に新しい風を吹き込むこともあるしね」と真鍋は笑顔で続けた。「例えば、私の女性キャラクター分析論文は、彼らには思いつかなかった視点だったでしょ?」
鹿島たちは少し照れくさそうに頷いた。
「でも、こないだ東京で見てきたんだけど」真鍋は熱心に続ける。「女性のファンも増えてきているし、女性向けの同人誌も出始めているのよ」
「女性向け?」田中が興味を示す。
「ええ。キャラクター関係を中心にした物語とか、男性キャラクター同士の友情を深く描いたものとか…」
「それ、見てみたいです!」鈴木が珍しく積極的に言った。
「そうね、今度コピーを取って見せてあげるわ」真鍋は嬉しそうに言った。「東京で買ってきた同人誌の中に、そういうのがいくつかあるの」
「ありがとうございます!」3人が揃って言う。
「ところで」鹿島が話に加わる。「君たちのアニメ研究部、どんな活動をする予定なの?」
「まだ具体的には決まってないんです」佐藤が答える。「でも、アニメの鑑賞会とか、評論を書いたり、いずれは同人誌も作ってみたいなって…」
「それなら」織田が言う。「我々の活動も参考になるかもな。ベータマックスでアニメを録画して保存したり」
「我々の経験を共有することで、後進の育成に貢献できるのは意義深いことです」西村も同意する。「文化の伝承と発展の好例といえるでしょう」
その後、彼らは高校生たちにSF研究会の活動内容や同人誌制作の秘訣を詳しく教えていった。女子高生たちは熱心にメモを取り、時に質問を投げかける。彼女たちの目は好奇心と情熱で輝いていた。
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「じゃあ、また来てもいいですか?」
2時間ほどの交流を終え、帰り際に佐藤が尋ねた。
「もちろん!」真鍋は笑顔で答える。「いつでも歓迎よ」
「次回は『ガンダム』の感想も持ってきます」田中が元気よく言った。
「楽しみにしてるよ」鹿島も温かく応える。
「それとこれ…」鈴木が恥ずかしそうに小さな封筒を真鍋に差し出した。「私の書いた小説です。よかったら…」
「まあ!」真鍋は驚いて封筒を受け取る。「ありがとう。大切に読むわ」
3人は深々と頭を下げ、部室を後にした。
「いい子たちね」真鍋はドアが閉まった後、満足げに言った。
「まさか女子高生がSFアニメに詳しいとは」織田は感心したように言う。「しかも『ガンダム』まで見てるなんて」
「アニメファンの裾野が広がっているということだな」鹿島も納得した様子で頷く。
「メディア消費の民主化と多様化…」西村が分析を始める。「従来の性別規範を超えた文化現象として注目に値します」
「あ、そうだ」真鍋は突然思い出したように封筒を開ける。「鈴木さんの小説、どんなものかしら」
彼女が取り出したのは、数枚の原稿用紙に手書きされた小説だった。「『遙かなる宇宙の果てで』—アムロとシャアの友情の物語—」というタイトルがついている。
「へえ…」真鍋は目を走らせながら読み始める。「これは…『ガンダム』のアムロとシャアを主人公にした創作小説ね」
「ちょっと見せて」織田が興味を示す。
真鍋は原稿を皆に回した。読み進めるうちに、彼らの表情が変わっていく。
「これは…友情を超えた何かを感じるな」鹿島が眉をひそめる。
「確かに…」織田も少し戸惑った様子。
「興味深い解釈です」西村は分析的に言う。「敵対する二人の内面的葛藤と相互理解の過程を重視した物語構造…」
「これが『女性向け同人誌』の一例ね」真鍋は落ち着いた様子で言った。「東京で見てきたものにも似たような作品があったわ」
「女性ならではの視点なのか…」鹿島は考え込む。
「そうね。男性が書くSF評論とはまた違う切り口よね」真鍋は微笑んだ。「キャラクター間の関係性や感情の機微に注目する傾向があるわ」
「多様な視点があることは文化の豊かさだな」鹿島も理解を示す。
「我々は『星雲評論』で、技術的、哲学的分析を重視しているけど」織田が言う。「こういった心理描写中心の作品も、ファン文化の一部として認めるべきだよな」
「ジャンルの多様化と細分化は文化の成熟の証です」西村が結論づける。「我々もこの新しい潮流に目を向けるべきでしょう」
真鍋は満足げに微笑んだ。彼女の周りでようやく、女性ファンの視点が認められ始めたのを感じた。
「次号の『星雲評論』で、女性ファンの視点についての特集を組んでみない?」と真鍋が提案する。「この小説みたいな創作活動も含めて」
「それはいいアイデアだな」鹿島も同意する。「我々の視野を広げることになるし」
「俺も賛成だ」織田も頷く。
「文化的視座の拡大として意義深い試みです」西村も支持した。
その日のSF研究会は、思いがけない訪問者によって新たな展開を見せた。彼らは自分たちの活動が、若い世代、特に女性たちにも影響を与え始めていることを実感した。そして同時に、自分たちとは異なる「アニメの楽しみ方」があることも理解し始めていた。
部室の隅では、水沢が黙々と原稿を書き続けていた。彼は時々顔を上げて皆の様子を観察し、そして再び執筆に戻る。彼の小説の中では、この日の出来事が既に未来への伏線として描かれていたのかもしれない。
真鍋は鈴木の小説を大切にバッグにしまいながら、つぶやいた。「二次元から来た新しい風ね…」
窓の外では、桜の花びらが春風に舞っていた。新しい季節の始まりを告げるように。
(つづく)