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第7話「惑星ガンダム接近中」

「よし、東京駅に到着だ!」


1979年3月27日、春休み真っ只中の東京駅。鹿島を先頭に、SF研究会(正式には映像文化研究会SF班)のメンバーが降り立った。東京遠征の初日である。片道3時間の電車旅の疲れも、これから始まる冒険への期待で吹き飛んでいた。


「やっと着いたか…」織田は伸びをしながら言った。「朝6時出発は体にこたえるな」


「でも、これでスケジュール通り昼前に着けたわ」真鍋は機嫌よく言った。「予定はばっちりね」


「日程表を確認しておきましょう」西村は眼鏡を直しながら、手帳を取り出す。「今日は秋葉原の専門店巡り、明日は佐々木さん主催のSFアニメ上映会、そして明後日が新宿での同人誌即売会ですね」


「充実してるな」鹿島は満足げに頷いた。「正式サークル登録して、研究合宿の補助金が出て本当に良かった」


「香港映画研として参加を辞退した陳たちにも感謝だね」真鍋が言う。


陳たちは最終的に別のサークルと合流することになり、SF研究会単独での正式登録となった。幸い、水沢の紹介で文学部の学生が数名加わり、最低人数の10名を何とか確保できた。彼らは会員名簿上のみの存在だったが、正式登録のためには十分だった。


「さて、まずはホテルにチェックインだな」鹿島がリュックを背負い直す。


「安宿だけど、寝るだけだから問題ないわよね」真鍋が言う。


「もちろん」織田も頷く。「金はグッズとか同人誌に使いたいしな」


東京駅から電車を乗り継ぎ、彼らは浅草の安いビジネスホテルに到着した。二人部屋が二つ、男女のバランスは悪いが、真鍋の度胸が救いとなった。


「荷物を置いたら、さっそく秋葉原に向かおう」鹿島が言った。「佐々木さんが教えてくれた『アニメの店』、14時に開くらしいから」


「その前に腹ごしらえしないか?」織田がお腹を抑えながら提案する。


「そうね、駅前の食堂で何か食べましょう」真鍋も賛成した。


簡単な昼食を済ませた彼らは、秋葉原駅に向かった。電気街として知られる秋葉原だが、彼らの目的地は別にある。佐々木から聞いた「アニメの店」だ。


---


「ここが噂の『アニメの店』か…」


鹿島たちは小さな雑居ビルの3階にある店の前に立っていた。「アニメショップ・セルト」と書かれた手書きの看板が掛かっている。


「思ったより小さいな」織田が少し拍子抜けした様子で言う。


「でも、これが東京で最初のアニメ専門店の一つなのよ」真鍋が興奮気味に言った。「佐々木さんによると、1978年の秋にオープンしたばかりなんですって」


「胎動期の文化の結節点ですね」西村が分析的に言った。「マニア文化の商業化初期段階の貴重な例として」


「また難しいこと言ってるよ」織田は肩をすくめて、店内に入った。


店内はそれほど広くないが、壁一面にアニメのポスターが貼られ、棚にはセル画、設定資料、同人誌などが並んでいた。レジカウンターの後ろには、オープンリールのフィルムが何本も並んでいる。


「すごい…」真鍋は目を輝かせる。「こんなに専門的なお店、初めて見たわ」


「いらっしゃい」レジから若い男性店員が声をかける。「遠方からですか?」


「ええ、地方から来ました」鹿島が答える。「佐々木さんに紹介されて」


「佐々木さん?ああ、あのVHSマニアの」店員は親しげに言った。「彼の紹介なら大歓迎ですよ。ゆっくり見ていってください」


四人はそれぞれ店内を見て回り始めた。織田はセル画コーナーに、真鍋は同人誌コーナーに、西村は設定資料コーナーに、そして鹿島はカウンター近くのフィルムに興味を示していた。


「これは何ですか?」鹿島がリールを指さして店員に尋ねる。


「ああ、それはアニメの本編フィルムの断片ですよ」店員が説明する。「放送終了後に廃棄される予定だったものを、関係者から譲ってもらったんです」


「え?そんなことができるんですか?」


「グレーゾーンですけどね」店員は小声で言った。「でも、これがないとアニメの歴史が失われてしまうでしょう?我々は文化遺産を保存していると思ってるんです」


「なるほど…」鹿島は感心した様子で頷く。「我々も同じ考えです。ベータマックスで録画して保管してますから」


「そうそう、同志ですよ」店員は嬉しそうに言った。「あ、そういえば新しい情報があります。4月から始まる新作アニメのチラシなんですが、これはもう見ましたか?」


店員はカウンターから一枚のチラシを取り出して鹿島に渡した。『機動戦士ガンダム』と書かれたチラシだ。赤い装甲の人型ロボットが描かれている。


「ガンダム?」鹿島は初めて聞く名前に首をかしげる。


日昇サンライズの新作です」店員は興奮気味に言った。「業界の噂では、これまでのロボットアニメとは一線を画す作品になるらしいんですよ。リアルロボットというコンセプトで」


「リアルロボット?」


「ええ、今までの超人的なスーパーロボットとは違って、兵器としてのリアリティを追求した設定なんです。監督は『宇宙戦艦Y』のあの富野由悠季さんですよ」


「富野監督の新作か!」鹿島の目が輝いた。「それは期待できるな」


「ねえ、みんな!」鹿島は他のメンバーを呼び寄せた。「新作アニメの情報だぞ」


織田、真鍋、西村が集まってきて、チラシを覗き込む。


「へえ、ガンダムか…」織田はロボットのデザインを眺めながら言った。「なんか『Y・D・F』のメカと比べると、シンプルだな」


「でも、そのシンプルさが実にリアリティがあるんじゃないでしょうか」西村が分析的に言う。「無駄な装飾がない分、機能美として」


「4月7日からの放送か…」真鍋がチラシの日付を確認する。「帰ってからすぐに始まるのね」


「録画の準備をしておかないとな」鹿島が言った。


「あと、この作品の設定資料集が予約受付中なんです」店員が言う。「予約特典で非売品のポスターも付きますよ」


「マジか!じゃあ予約していこう」織田が即決する。


「私も!」真鍋も手を挙げる。


彼らは未見の作品に対する期待で盛り上がっていた。それは新たな惑星の接近を告げる予感のようだった。


「ところで」店員が続ける。「明日の佐々木さんの上映会は特別ゲストがあるって聞きました?」


「特別ゲスト?」鹿島は首をかしげる。「聞いてないけど…」


「まあ、サプライズかもしれませんね」店員は微笑んだ。「とにかく、楽しみですよ」


彼らはその後も店内を隅々まで見て回り、それぞれお目当てのものを買い求めた。織田は『銀河鉄道9』のセル画を、真鍋は同人誌を数冊、西村は『宇宙戦艦Y』の設定資料を、そして鹿島はアニメ映像史の本を購入した。


「次はどこに行きましょうか?」店を出ながら真鍋が尋ねる。


「佐々木さんのリストには、この近くに模型の店もあるって書いてあったな」鹿島がメモを確認する。


「行こう行こう!」織田の目が輝いた。「『Y・D・F』の戦艦模型が欲しいんだ」


彼らは秋葉原の雑居ビルを次々と巡っていった。各店で新たな発見があり、地方ではなかなか手に入らないグッズや情報に触れることができた。


「都会は違うな…」織田はため息交じりに言った。「情報量が全然違う」


「出版社や制作会社が集まっているからね」鹿島も頷く。「我々地方マニアは、常に情報格差と戦っているんだ」


「でも、こうやって定期的に来れば、そのギャップも埋められるわ」真鍋が前向きに言う。


「文化的中心と周縁の相対的距離は、交通手段の発達によって短縮されつつあります」西村が分析的に言った。「マニア文化の地理的拡散の好例ですね」


「また難しいこと言ってるよ…」織田は呆れたように言ったが、彼も同様のことを感じていたのだろう。


---


夕方、彼らは佐々木の下宿を訪ねた。五反田駅から徒歩10分ほどのアパートだ。


「よく来たね!」佐々木は彼らを笑顔で迎えた。「旅の疲れは大丈夫?」


「ええ、むしろ興奮してるわ」真鍋が答える。「秋葉原の専門店、すごかったです」


「でしょう?あそこは我々の聖地のようなものだよ」佐々木は満足げに言った。「さ、入って。みんなも待ってるよ」


部屋に入ると、そこには既に5人ほどが集まっていた。東京SFアニメ研究会のメンバーたちだ。自己紹介が交わされ、和やかな雰囲気になる。


「明日の上映会の準備はできてるよ」佐々木が言う。「『宇宙戦艦Y』の劇場版と、まだ日本では公開されていない『S・W』の続編の海外版予告編を特別に見せる予定さ」


「S・Wの続編!?」織田の目が輝いた。「それは楽しみだ!」


「それと…」佐々木は少し声を潜める。「明日はサプライズゲストがあるかもしれない」


「さっき店でもそんな話を聞いたけど…」鹿島は興味津々だ。「誰なんだ?」


「それを言っちゃあ、サプライズじゃないだろ」佐々木は笑う。「明日のお楽しみさ」


その夜、彼らは佐々木の部屋で遅くまで語り合った。東京と地方のアニメファンの違い、最新の業界情報、そして何より『機動戦士ガンダム』への期待について。


「富野監督は、アニメを子供向けのものから大人も楽しめるメディアに変えようとしている人なんだ」佐々木が熱く語る。「『Y』でその一歩を踏み出して、今度の『ガンダム』でさらに進化させるつもりらしい」


「大人向けアニメか…」鹿島は考え込む。「我々のような大学生が真剣に研究するのも、そう変なことじゃないってことだな」


「まったくその通り」佐々木は力強く頷いた。「SFアニメは既に単なる子供向け娯楽を超えている。それを社会に認知させるのも、我々マニアの役割じゃないかな」


「文化的再定義の担い手としてのマニア…」西村が感心したように言った。「社会学的に非常に興味深い現象です」


会話は深夜まで続き、彼らは東京のアニメファンたちと強い絆を感じながら、ホテルへと戻っていった。


---


翌日、彼らは佐々木の主催する上映会に参加した。会場は新宿の貸しホールで、30人ほどが集まっていた。


「思ったより人が多いな」織田が驚いた様子で言う。


「東京のSFアニメファンのネットワークは広いんだよ」佐々木が誇らしげに言った。「みんな口コミで集まっているんだ」


上映会が始まり、『宇宙戦艦Y』の劇場版が大画面で上映された。既に何度も見た作品だったが、大画面で仲間と共に見る体験は特別だった。


上映が終わり、休憩時間になったとき、佐々木がマイクを持って前に立った。


「皆さん、お待たせしました。今日は特別ゲストをお呼びしています」


会場がざわめく。


「実は、4月から始まる『機動戦士ガンダム』のメカニックデザインを担当されている大河原邦男さんが、特別に来てくださいました!」


会場から驚きの声と拍手が沸き起こる。前方のドアから、40代前半と思われる男性が入ってきた。


「まさか…」鹿島は息を呑む。「あの大河原邦男が…」


大河原は『科学忍者隊ガッチャマン』や『超電磁ロボ コン・バトラーV』など、数々の人気アニメのメカニックデザインを手がけてきた著名なデザイナーだった。


「こんにちは、大河原です」彼は謙虚に頭を下げる。「佐々木君から熱心なファンが集まると聞いて、少しだけ顔を出させてもらいました」


「大河原さん!」佐々木は興奮気味に言った。「4月から始まる『ガンダム』について、少しだけでもお話いただけませんか?」


「そうですね」大河原は考え込むようにして言った。「『ガンダム』は、今までのロボットアニメとは少し違うコンセプトで作っています。より現実的な、いわば『リアルロボット』としての設定です」


会場から興味深そうな声が上がる。


「例えば、ロボットが変形するにしても、どうやって変形するのか。パーツがどう動くのか。そういった機構的なリアリティを大事にしています」


大河原はそう言いながら、スケッチブックを取り出して、簡単なガンダムのデザイン画を描き始めた。会場の皆が固唾を呑んで見守る。


「こうして、頭部のアンテナや、胸部のコックピットハッチ、そして背中のバックパック…全ての要素に機能的な意味を持たせています」


描き上がったスケッチを見て、会場からはため息が漏れた。それは彼らがチラシで見たガンダムより、さらに精緻で機能美に溢れたデザインだった。


「質問があれば、いくつか答えられる範囲でお答えします」大河原が言った。


手がいくつも上がる。その中に織田の手もあった。


「はい、そこの若い方」大河原が織田を指さす。


「あの、ガンダムのデザインは、どのような作品からインスピレーションを受けているんですか?」織田が少し緊張気味に尋ねる。


「良い質問ですね」大河原は微笑んだ。「実は、SF映画『2001年宇宙の旅』の宇宙船のデザインや、アメリカのSF作品に登場するパワードスーツの概念などを参考にしました。また、実際の軍事兵器のディテールも研究しています」


「へえ…」織田は感心した様子で頷く。


質疑応答は30分ほど続き、大河原は丁寧に答えていった。最後に彼はこう言った。


「今日来られている皆さんは、アニメの本質を理解している方々だと思います。『ガンダム』は、そんな皆さんのような視聴者を想定して作っています。ぜひ4月7日の放送を楽しみにしていてください」


大きな拍手の中、大河原は退場した。


「信じられない…」鹿島は興奮した様子で言った。「大河原邦男のガンダム解説を生で聞けるなんて」


「東京に来て良かった」真鍋も目を輝かせる。


「これは貴重な体験でした」西村も珍しく感情を露わにしている。


「ガンダム…絶対に見逃せないな」織田は決意を新たにした。


上映会の後半は『S・W』続編の予告編など、貴重な映像資料が上映された。彼らは東京で得られる情報の豊かさを実感していた。


---


翌日、最終日。彼らは新宿で開催される小規模な同人誌即売会に参加した。コミケットほど大規模ではないが、それでも100以上のサークルが集まる、それなりの規模のイベントだった。


「『星雲評論』の残部、持ってくれば良かったかな」鹿島は会場を見渡しながら言った。


「今回は購入専門で」織田は既に何冊か同人誌を抱えている。「これ、見て。『ヤマト艦橋設計考』というマニアックな同人誌があったぞ」


「私もいくつか面白いのを見つけたわ」真鍋も袋いっぱいの同人誌を見せる。「特に『女性キャラクター分析』という評論誌が興味深いわ」


「私はこれです」西村は分厚い同人誌を取り出した。「『SF映像における哲学的考察』という硬派な内容ですが、我々の『星雲評論』と通じるものがあります」


彼らは会場を隅々まで回り、様々なサークルと交流した。「SF研究会」という名刺代わりの小さなカードを配り、連絡先を交換する。地方からきた彼らは、東京のサークルたちに歓迎され、多くの情報や刺激を得た。


「ねえ、次の『星雲評論』はいつ出すの?」と、あるサークルの人に尋ねられた。


「夏のコミケットを目指してるんだ」鹿島が答える。「今回の東京遠征の成果も盛り込む予定さ」


「楽しみにしてるよ。地方のサークルの視点って新鮮だからね」


そんな言葉に励まされ、彼らの創作意欲はさらに高まった。


夕方、イベントが終わり、彼らは帰路につく準備をしていた。駅のホームで電車を待ちながら、鹿島がつぶやいた。


「あっという間の3日間だったな…」


「でも、得るものは大きかった」織田は大きなバッグを抱えながら言った。「特にあの大河原さんの話は衝撃的だった」


「『ガンダム』が気になるわね」真鍋も頷く。「4月7日が待ち遠しい」


「我々は歴史的瞬間の目撃者になるかもしれませんね」西村が意味深に言った。「アニメ文化の転換点の」


電車は彼らを乗せて、地方へと走り出した。窓の外の景色が流れていく中、彼らはそれぞれの思いに浸っていた。


東京での3日間は、彼らの視野を大きく広げた。地方のマニアとしての孤独感は薄れ、全国に広がる「同志」の存在を実感できた。そして何より、新たな惑星「ガンダム」の接近を、彼らは誰よりも早く知ることができたのだ。


帰りの電車の中で、水沢のつぶやきを思い出す。「融合の始まりだな」と。彼らはまだ「オタク」という言葉を知らなかったが、確かに何かが始まろうとしていた。文化の融合、ジャンルの交差、そして新たな表現の誕生。


彼らのマニア的情熱が、やがて大きな文化の波となっていく—そんな予感を抱きながら、3時間の帰路を彼らは熱く語り合った。


(つづく)

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