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第5話「宇宙戦艦ビデオ」

「ソニーのベータマックスか日本ビクターのVHSか…」


鹿島は学生用ラウンジの新聞を熱心に読んでいた。1979年1月下旬、新学期が始まったばかりのキャンパスはまだ冬の冷気に包まれている。彼の前には、12月に開催されたコミケットで売れ残った数冊の『星雲評論』が置かれていた。


「どうした?新しいビデオデッキでも買うのか?」織田が横から覗き込む。


「いや、情報収集だよ」鹿島は新聞を指さした。「ビデオ戦争が激化してきているんだ。どっちが標準規格になるかで、業界は二分されている」


「へえ…」織田は興味なさそうに言った。「でもSF研にはベータがあるじゃないか」


「それがな…」鹿島は眉間にしわを寄せる。「先週、調子が悪くなってな。修理に出したんだが、部品交換が必要で戻ってくるのはまだ先だと言われてしまったんだ」


「マジか!」織田の表情が一変する。「でも今週末は『Y・D・F』の最終回だぞ!?」


「そうなんだよ…」鹿島は暗い表情になる。「どうするか考えていたところだ」


YDF(「宇宙沿岸保護機動艦隊(Yellow Dolphin Fleet)」の略称)は、1978年秋から放送が始まったSFアニメだ。独特の艦艇デザインと複雑な宇宙政治ドラマで、SF研究会のメンバーを夢中にさせていた。


「録画できないのか…」織田はショックを受けた様子で言った。「誰か持ってないかな…」


「西村に聞いてみるか」と鹿島。「あいつ、けっこう機械に詳しいし」


その時、真鍋が彼らのテーブルに近づいてきた。


「何の相談?」と真鍋。


「ベータが壊れたんだ」鹿島が説明する。「今週の『Y・D・F』最終回が録画できなくて…」


「それは大変!」真鍋も心配そうな表情になる。「でも…実は私、解決策があるかもしれない」


「なに?」鹿島と織田が同時に顔を上げる。


「コミケットで知り合った人がいるの。東京のSFアニメ研究会の人で、向こうは最新のVHSを持ってるって言ってたわ」


「へぇ…」鹿島は興味を示す。「で?」


「私、連絡先を交換したの。もし頼めば、録画してくれるかもしれない」


「マジか!?」織田の目が輝く。「頼むよ、真鍋!」


「でも、そんな突然お願いして大丈夫かな」鹿島は少し躊躇う。


「大丈夫よ」真鍋は自信たっぷりに言った。「マニア同士の助け合いだから。それに、私たちの『星雲評論』にすごく興味を持ってくれたのよ」


「そうか…」鹿島は考え込む。「でも、録画テープをどうやって送ってもらうんだ?」


「それが問題なのよね」真鍋も困った表情になる。「郵送だと時間がかかるし…」


「俺が取りに行く!」


突然、織田が立ち上がって言った。その声は予想外に大きく、周囲の学生たちが振り向くほどだった。


「おい、織田…」鹿島が小声で制する。


「いや、マジで行くよ」織田は真剣な表情で言った。「俺、『Y・D・F』の最終回は絶対に見たいんだ。艦長の運命がどうなるのか、あの謎の宇宙生命体の正体は何なのか…これは俺のSFファンとしての使命だ」


「東京まで行くのか?」鹿島は半ば呆れ、半ば感心した様子で言う。


「ああ。片道3時間くらいだろ?日帰りできる」


「でも、お金は?」真鍋が現実的な問題を指摘する。


「先月のバイト代が入ったばかりだからな」織田は胸を張る。「これくらい、俺のSF愛にかけてみせる!」


「なんかカッコいいわね」真鍋は微笑んだ。


「バカだな…」鹿島はため息をついたが、その表情は柔らかかった。「でも、感謝する。俺も『Y・D・F』の結末は気になっていたんだ」


「よし、じゃあ真鍋、その東京のSFアニメ研究会の連絡先を教えてくれ」織田は意気込む。


「ええ、今から電話してみるわ」


真鍋が公衆電話に向かう間、鹿島は織田に小声で言った。


「お前、意外と熱いところあるんだな」


「うるせえよ」織田は照れ隠しに言い返したが、その目には確かな情熱が宿っていた。


---


「それじゃ、何か頼むことはある?」


週末の朝、織田は東京行きの列車に乗る準備をしていた。SF研究会の部室には、織田の「遠征」を見送りに鹿島、真鍋、西村が集まっていた。水沢も珍しく隅で原稿を書きながら、様子を伺っている。


「そうだな…」鹿島は考え込む。「向こうのSFアニメ研究会の活動内容を聞いてきてくれると助かる。我々も参考にしたいし」


「あと、東京の同人ショップがあったら、ぜひ寄ってきて」真鍋が言う。「どんな同人誌が売られているか、リサーチしてきてほしいの」


「了解」織田はメモを取る。「西村は?」


「特にありませんが…」西村は少し考えてから言った。「東京という大都市のサブカルチャー空間における、マニア文化の現状を観察してきていただければ」


「なに言ってんだよ…」織田は頭をかく。「まあ、雰囲気は伝えるようにするよ」


「録画テープ、忘れずに」鹿島が念を押す。


「わかってるって」織田はリュックを背負い直す。「じゃあ、行ってくる」


「気をつけてね」真鍋が見送る。


「では、幸運を」西村も頭を下げる。


部室のドアが閉まると、鹿島は椅子に深く腰掛けてため息をついた。


「まったく、あいつのSF愛には感心するよ」


「そうね」真鍋も微笑む。「でも、こういう情熱があるからこそ、『星雲評論』も成功したのよね」


「確かに」鹿島は頷いた。「我々は皆、それぞれの形で『マニア』なんだな」


部室の隅で、水沢がふと顔を上げた。「マニアからオタクへ…」と小さくつぶやいたが、誰も聞いていなかった。


---


東京駅に降り立った織田は、真鍋から渡された地図を頼りに目的地を目指した。新宿駅で乗り換え、さらに一駅進んだところにある下宿アパートが、東京SFアニメ研究会の「本部」らしい。


「ここか…」


築30年はありそうな古いアパートの前に立ち、織田は少し緊張した。表札を確認し、インターホンを押す。


「はい、どちら様ですか?」若い男性の声。


「SF研究会の織田です。『Y・D・F』の録画の件で…」


「ああ!地方からいらっしゃったんですね。どうぞ、お上がりください」


ドアが開き、20代半ばくらいの痩せた男性が現れた。髪は少し長めで、黒縁の眼鏡をかけている。


「佐々木です。東京SFアニメ研究会の代表をしています」


「織田です。よろしくお願いします」


部屋に招き入れられた織田は、その光景に目を見張った。壁一面に並ぶビデオテープの棚。アニメのポスターが貼られた壁。そして部屋の中央には最新式のVHSビデオデッキが鎮座していた。


「すごい…」織田は思わず声を漏らす。


「どうぞ、座ってください」佐々木は織田をソファに案内した。「お茶でも飲みますか?」


「あ、はい…」


佐々木がキッチンでお茶を準備している間、織田は部屋を見回した。棚のビデオテープには全て丁寧にラベルが貼られ、タイトルと放送日が記されている。『宇宙戦艦Y』『銀河鉄道9』『超時空要塞M』など、有名なSFアニメが勢揃いしていた。


「これ、全部録画したんですか?」織田が驚いて尋ねる。


「ええ、ほとんどは私が」佐々木はお茶を持ってきながら答えた。「一部は仲間と交換したものもありますが」


「すごいコレクションですね…」


「ありがとうございます」佐々木は誇らしげに言った。「私たちはアニメの保存活動も行っているんです。放送されたものをきちんと記録に残すことは、文化的に重要だと思っていて」


「保存活動…」織田はその言葉を反芻する。「確かに大事ですよね。一度放送されたら、もう見られないなんて…」


「そうなんです」佐々木は熱く語り始めた。「特にSFアニメは複雑な世界観や設定が多いから、一度見ただけでは把握しきれない。何度も見返せるようにしておくことが、作品の理解を深めるために必要なんです」


「全く同感です」織田も目を輝かせる。「我々の研究会でもベータマックスを買って録画してるんですが、今回故障してしまって…」


「ベータですか。画質はいいんですけどね」佐々木は少し考え込む。「でも、私はVHSの方が将来性があると思っています。テープの長さも長いですしね」


「そうなんですか?」織田は興味深そうに尋ねる。


「ええ。今はまだどちらが主流になるかわかりませんが、長い目で見るとVHSじゃないかな」


二人はビデオフォーマット戦争の行方、各々のSFアニメへの思い入れ、同人活動について熱く語り合った。佐々木は織田より数歳年上だが、アニメへの情熱では同志のように感じられた。


「そうそう、これがお目当ての『Y・D・F』最終回です」佐々木はテープを取り出した。「先週録画しておきました」


「ありがとうございます!」織田は深々と頭を下げる。「みんな楽しみにしているんです」


「良かったら見ていきます?」佐々木がVHSデッキを指さす。「せっかく来たんですから」


「え?いいんですか?」


「もちろん。マニア同士、助け合いですよ」


佐々木の言葉に、織田は真鍋が言ったことを思い出した。確かに、彼らには共通の情熱がある。地方と東京という距離を超えて、同じ「星」を見つめる同志のような存在だ。


「では、遠慮なく…」


佐々木はテープをセットし、テレビの電源を入れた。画面には『Y・D・F』のオープニング映像が流れ始める。織田は思わず前のめりになった。


「あの、その前に一つ質問してもいいですか?」


「なんでしょう?」佐々木が振り向く。


「東京のSF・アニメファンって、どのくらいいるんですか?」


「正確な数はわかりませんが、かなり増えていると思います」佐々木は真剣な表情で答えた。「コミケットの参加者も毎回増えていますし、専門店も少しずつ増えてきています」


「専門店?」


「ええ、同人誌やアニメグッズを扱うお店です。まだ数は少ないですが、秋葉原や新宿に何軒かありますよ」


「へえ…」織田は感心する。「地方だとそういうのはないんですよ」


「都市と地方の情報格差は大きいですよね」佐々木は共感するように言った。「だからこそ、こうやってネットワークを広げることが大事なんです」


「ネットワーク…」織田はその言葉を噛みしめた。「確かに、コミケットも一種のネットワークの場ですよね」


「そうです」佐々木は目を輝かせる。「いずれは全国のSF・アニメファンが簡単に情報交換できる時代が来るといいですね」


「そんな日が来るといいですね」


二人は笑顔で頷き合い、テレビ画面に集中した。『Y・D・F』の世界に没入していく中で、織田は不思議な感覚に包まれていた。遠く離れた地でも、同じ情熱を持った人々がいる。そして彼らは少しずつ繋がりつつある。


この瞬間、織田は自分たちの活動が単なる「趣味」を超えた、何か大きなものの一部になりつつあると感じた。それはまだ名前のない、新たな文化の芽生えだった。


---


「戻ったぞ!」


日曜の夕方、織田は意気揚々と部室のドアを開けた。


「お帰り!」真鍋が笑顔で迎える。


「どうだった?」鹿島も椅子から立ち上がる。


「これだ!」織田は勝利の証のようにVHSテープを掲げた。「『Y・D・F』最終回、無事に手に入れたぞ」


「やった!」鹿島は安堵の表情を見せる。


「でも、うちのベータと互換性あるの?」真鍋が実務的な疑問を投げかける。


「それが…」織田は少し困った表情になる。「VHSとベータは互換性がないんだ」


「じゃあ、どうするんだ?」鹿島も困惑する。


「心配するな」織田は自信たっぷりに言った。「佐々木さん…東京SFアニメ研究会の代表なんだが、彼がベータ版にダビングしてくれることになった。来週には郵送してくれるそうだ」


「本当?それは助かるね」


「おまけにこれも貸してくれたぞ」織田はバッグから冊子を取り出した。『東京アニメ情報』という手書きの同人誌だ。「東京のアニメショップリストや、次回コミケットの情報が載ってる」


「すごい!」真鍋は目を輝かせて冊子を受け取る。


「あと、彼らの活動内容も聞いてきたぞ」織田は鹿島に向かって言った。「定期的に上映会をしたり、作品の設定資料を共有したり、すごく体系的に活動してるんだ」


「なるほど…」鹿島は考え込む。「我々も見習うべき点がありそうだな」


「そして西村」織田は続ける。「東京のマニア文化の現状だが…」


「はい?」西村が眼鏡を直す。


「すごいぞ。同人誌専門店があるんだ。アニメのセル画を売る店もある。秋葉原という街が、徐々にマニア向けの店が増えてきているらしい」


「興味深いですね…」西村は言葉を噛みしめるように言った。「都市空間におけるサブカルチャーの集積現象…これは社会学的に非常に重要な変化です」


「それから、もう一つ重要な情報がある」織田は少し声を落とし、全員を見回した。「東京では『アニメック』という雑誌が創刊されるらしい。アニメ専門の雑誌だ」


「へえ!」真鍋が驚く。「それは画期的ね」


「ああ。情報の集約と拡散が加速するだろうな」織田は興奮した様子で言った。「佐々木さんは、これから我々のような『マニア』の数はもっと増えていくと予想していたよ」


部室には一瞬の静寂が流れた。それぞれが、織田がもたらした情報の重要性を噛みしめているようだった。


「織田」鹿島が真剣な表情で言った。「遠征、本当にありがとう。単にテープを持ち帰っただけじゃなく、貴重な情報をたくさん集めてきてくれた」


「当然だろ?」織田は誇らしげに胸を張る。「俺は単なるビデオテープの運び屋じゃないぜ」


「それにしても…」真鍋が冊子をめくりながら言った。「こうやって全国のマニアが繋がっていくのね」


「ああ」織田は頷く。「佐々木さんもそう言ってた。『ネットワーク』が大事だって」


「ネットワーク…」西村がつぶやく。「情報や価値観の共有システムとしての…」


「そろそろ西村の難しい話が始まるぞ」鹿島が笑いながら言った。


皆が笑う中、部屋の隅では水沢が静かに原稿を書いていた。彼は時々顔を上げて彼らの会話に耳を傾け、何かを考え込むような表情を見せていた。


「何を書いてるんですか?水沢さん」真鍋が珍しく水沢に声をかける。


水沢は少し驚いたように顔を上げ、「繋がりについての物語だ」と短く答えた。そして再び原稿に目を落とした。


彼らはまだ気づいていない。東京遠征、テープ交換、コミケット参加、そして情報共有…これらの一見些細な活動が、やがて「オタク文化」と呼ばれる大きな潮流の源流となっていくことを。そして彼ら自身が、その歴史の一部となっていることを。


「さて、来週テープが届いたら、『Y・D・F』最終回鑑賞会だな!」鹿島が宣言した。


「おう!」「はい!」皆が元気に返事をする。


窓の外では、冬の夕日が校舎に長い影を落としていた。1979年の冬、彼らの「星雲」は少しずつ輝きを増しつつあった。


(つづく)

VHS、レーザーディスク・・・と正解したものの、ZIPドライブを買うという失敗を犯しましたwww

MOも結局買ったけどほぼ使わなかったですねぇ。MDはずーっと使ってましたよ。あの大きさは置かったですね。メカメカしさを持っていて、小さいという、もうガジェット好きにはたまらないものでした!

いまじゃ、GWOで全部おさまっちゃうんでしょうけど、昔は、様々な形態の◯◯屋さんがたくさんありましたね。ああいうフランチャイズをやってた人らって、携帯屋のあと何やってんですかねぇ?

今、そういうのって、転売ヤー一択なんでしょうか?しらんけど。

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