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第4話「異星のコミケット」

「もう着くのか?」


鹿島の言葉に、織田はまぶたを持ち上げて窓の外を見た。夜明け前の薄暗い車窓からは、次第に密集していく東京の街並みが見える。電車は遅れることなく走っていた。1978年12月24日、クリスマス・イブの朝5時半。SF研究会のメンバーを乗せた列車は、東京へと向かっていた。


「まだ向島あたりかな」真鍋が答える。彼女は地図を広げ、駅名を確認していた。「あと20分くらいで品川だと思うわ」


「疲れた…」織田は大きなあくびをする。「何で朝の3時に集合なんだよ」


「だって、当日参加だからしょうがないでしょ」真鍋は言い訳するような表情で言った。「場所取りのためには早く行かないと」


「何時に開場するんだっけ?」と鹿島。


「10時からよ」


「なんだ、まだ4時間以上あるじゃないか」織田は不満そうに言う。


「そんなものなのさ」鹿島はため息をついた。「これが『コミケット』というものの洗礼なんだろう」


西村は窓の外を見ながら、すでに何かを考え込んでいるようだった。「東京という巨大都市の文化的発露としての同人誌即売会…これは都市社会学的にも興味深い現象です」


「朝っぱらから難しいこと言うなよ」織田は再びあくびをする。


4人はそれぞれ大きなカバンを抱えていた。中には彼らの渾身の同人誌『星雲評論』が50冊。加えて、鹿島は小さな折りたたみテーブルまで持参していた。


「水沢さんは来ないの?」真鍋が急に思い出したように尋ねる。


「声はかけたんだけどな…」鹿島は首を振る。「『俺はオブザーバーだ』と言って断られた」


「不思議な人よね」真鍋は微笑む。「でも、彼がいなかったら『星雲』というタイトルは生まれてなかったかも」


「そういえばそうだな」鹿島は懐かしむように言った。


電車は次第に混み始めていた。朝早いにも関わらず、彼らと同じように大きな荷物を抱えた若者たちが目立つ。


「なんか…仲間みたいな人たちが増えてきたな」織田が小声で言う。


「あの人たちも、コミケットに行くんじゃない?」真鍋は目を細める。


「同志よ…」西村がつぶやいた。


彼らはこの時、まだ気づいていなかった。自分たちが「マニア」と呼ぶ小さな集団が、実は全国に広がっていること。そして、この「コミケット」という場が、やがてそれらを繋ぐ巨大なネットワークの結節点になっていくことを。


「品川到着です」と車内アナウンス。


「よし、乗り換えだ」鹿島が立ち上がる。「みんな、荷物忘れるなよ」


---


「これが東京都立産業会館か…」


朝8時、まだ冬の陽が昇りきらない中、4人は巨大な建物の前に立っていた。既に長蛇の列ができていて、皆が驚きの表情を浮かべる。


「すごい人…」鹿島は目を見開いた。


「これ、全部コミケットの参加者なのか?」織田も信じられない様子。


「そうみたい…」真鍋は期待と緊張が入り混じった表情を見せる。「私、少し調べたけど、毎回参加者は増えているらしいわ」


「社会学的に興味深い現象です」西村はメモを取りながら言った。「サブカルチャーの草の根的拡大の実例として…」


「まずは列に並ぼう」鹿島が実務的に言った。「当日参加の受付を探さないと」


彼らは巨大な建物の周りを歩き、ようやく「当日サークル参加受付」という看板を見つけた。そこには既に20人ほどが並んでいる。


「ここだ」鹿島は列の最後尾に並んだ。「さて、あとは待つだけか」


寒風が吹きすさぶ中、4人は黙々と待った。時々、通り過ぎる人々の会話が耳に入る。「新刊買えるかな」「○○のサークル、何時に行けばいいかな」「限定頒布は何部あるんだろう」…彼らには意味不明な専門用語が飛び交っていた。


「なんか…違う惑星に来たみたいだな」織田が小声で言う。


「そうね…」真鍋も驚きを隠せない。「みんな慣れてる感じ」


「我々は初参加の異星人か」鹿島は苦笑した。


2時間後、ようやく彼らの番が来た。


「サークル名をお願いします」係の女性が尋ねる。


「SF研究会…いや、『星雲評論』です」鹿島が答える。


「配置はこちらです」女性は地図を渡した。「E-23、西館の奥になります」


「ありがとうございます」


4人は指定された場所を目指した。会場内に入ると、そこはすでに活気に満ちていた。テーブルを並べ、準備をするサークル参加者たち。様々なジャンルの同人誌が並ぶ光景は、彼らにとって新鮮なものだった。


「うわ…みんなすごい凝ってるな」織田は周囲のサークルを見回しながら言った。表紙イラストや装丁が美しい同人誌の数々に圧倒される。


「我々の『星雲評論』も負けてないぞ」鹿島は自信たっぷりに言った。「内容で勝負だ」


ようやく彼らのスペース「E-23」にたどり着く。一枚の長テーブルを複数のサークルで分け合う形だった。


「狭いな…」織田が不満そうに言う。


「贅沢言うな」鹿島は折りたたみテーブルを広げ始める。「これが同人誌即売会の洗礼だ」


彼らは急いで準備を始めた。テーブルの上に『星雲評論』を並べ、鹿島が手書きした「SF評論誌・500円」という紙を立てる。


「値段、ちょっと高くない?」織田が心配そうに言う。


「原価を考えたらこれでも安いくらいだぞ」と鹿島。


「でも周りを見てよ」真鍋が周囲を指さす。「300円とか400円が多いわ」


「うーん…」鹿島は悩む表情。「じゃあ400円にするか」


そうして彼らの価格表示は書き直された。


「あと15分で開場だ」鹿島が時計を見る。「どきどきするな…」


「売れるかな…」真鍋も不安そうだ。


「我々の知的探求の結晶に価値を見出す者は必ずいる」西村はいつもの調子で言った。


「希望的観測だな」織田は横目でスペースの隣を見る。


隣には既に準備を終えたサークルがあった。『機動戦士G研究会』というサークル名で、メカニックのイラストが美しい同人誌が並んでいる。メンバーは20代半ばくらいの男性2人で、熱心に何かの打ち合わせをしていた。


「すみません」鹿島が声をかける。「初参加なもので…何か気をつけることはありますか?」


「ああ、初参加ですか」男性の一人が親切そうに振り向く。「そうですね、一番大事なのはお釣りの準備ですね。100円玉とか10円玉を多めに用意しておいた方がいいです」


「あ、それは…」鹿島は焦った表情になる。「すっかり忘れてた」


「僕らで余裕があれば貸せますよ」男性は笑顔で言った。「あとは、通路をふさがないように気をつける程度かな」


「ありがとうございます」鹿島は頭を下げる。


「『星雲評論』…SFの評論誌ですか?」男性はテーブルの同人誌を見て尋ねる。


「はい、我々の研究会の論文をまとめたものです」


「面白そうですね。実は私もSFファンでして」男性は興味深そうに『星雲評論』を手に取る。「ぜひ一冊ください」


「え?」鹿島は驚く。「まだ開場前ですが…」


「サークル同士なら大丈夫ですよ」男性は400円を差し出した。「ほら、これで僕が1人目のお客さんです」


「ありがとうございます!」鹿島は感激した様子で言った。


「こちらも良かったらどうぞ」男性は自分たちの同人誌を一冊渡してくれた。「『ガンダム・メカニック詳解』です」


「いや、お金を…」


「いいんです。サークル交換ということで」男性は笑顔で言った。「お互い頑張りましょう」


これが彼らの最初の「頒布」体験だった。開場前に一冊売れたことで、彼らの緊張は少し和らいだ。


「自分たちだけじゃないんだな…」織田はしみじみと言った。


「ああ、全国にSFファンがいる」鹿島も感慨深げだ。


「10時開場です!」というアナウンスが流れる。


一斉に会場のドアが開き、大勢の人々が流れ込んできた。彼らのブースはメインストリートから少し外れていたため、最初は人通りが少なかった。


「全然来ないな…」織田が不安そうに言う。


「焦るな」鹿島は彼をなだめる。「長い一日だ」


30分ほど経ったとき、一人の男性が彼らのブースの前で立ち止まった。


「『星雲評論』…SFの評論誌ですか?」


「はい!」真鍋が元気よく答える。「SFアニメの評論や考察を集めた同人誌です」


「『宇宙戦艦Y』の分析もありますか?」


「もちろん!」織田が目を輝かせながら言った。「艦船設計の科学的考察を書いています」


「それは興味深い。一冊ください」


2人目の購入者だ。続いて3人目、4人目と、徐々に立ち寄る人が増えてきた。


昼過ぎには、彼らの『星雲評論』は半分以上が売れていた。


「すごい…こんなに売れるなんて」真鍋は嬉しそうに言った。


「我々の知的探求が評価されているんだ」西村は満足げだ。


「俺の艦船考察が人気みたいだぞ」織田が自慢げに言う。「何人かの人が『詳しいね』って褒めてくれた」


「真鍋のメーテル分析も評判いいぞ」鹿島が言った。「特に女性の来場者に」


彼らは初めての同人誌即売会の高揚感に浸っていた。だが、それ以上に彼らを驚かせたのは、会場の多様性だった。


「ねえ、あっちを見て」真鍋が小声で言う。「少女漫画の同人誌もあるのよ」


「本当だ…」鹿島も驚く。「SFだけじゃないんだな」


「ジャンルの多様性…これは文化的進化の証だ」西村が分析を始める。「同じ場で異なる嗜好を持つグループが共存する、一種の文化的生態系が形成されつつある…」


「また難しいこと言ってるよ」織田はあきれたように言ったが、彼も周囲を興味深そうに見回していた。


午後3時頃、思いがけない来訪者があった。


「やあ、会えて嬉しいよ」


振り向くと、そこには陳と香港映画研究会のメンバーたちがいた。


「陳さん!」真鍋は嬉しそうに声を上げる。


「売れ行きはどうだい?」陳が尋ねる。


「予想以上にいいんです」鹿島が答える。「もう40冊近く売れました」


「素晴らしい!我々も30冊ほど売れたよ」陳は満足げに言う。「『カンフー評論』も意外と需要があるんだ」


「場所はどこなの?」真鍋が尋ねる。


「西館の反対側、F-45だよ」陳は言った。「遠いけど、わざわざ来たかったんだ。これを見て」


陳は一枚のチラシを差し出した。「次回コミケット申し込み要項」と書かれている。


「次回は6月らしい」陳が言う。「今度は事前申し込みをして、もっといい場所をもらおう」


「そうだな!」鹿島は意気込む。「我々も次回は『星雲評論』第2号を出す予定だ」


「じゃあ、またその時会おう」陳は微笑んで言った。「異なるジャンルの交流は、新しい文化を生み出すと思うんだ」


「そうね」真鍋も嬉しそうに頷いた。「私もそう思う」


陳たちが去った後、鹿島は感慨深げに言った。「不思議だな。半年前までSFマニアとカンフー映画マニアに接点があるなんて考えもしなかった」


「ジャンルの境界線は案外曖昧なのかもしれません」西村が哲学的に言った。「我々は『マニア』という共通分母を持つ、より大きな文化圏に属しているのです」


「そうかもな…」織田も考え込む。


彼らはまだ「オタク」という言葉を知らなかった。だが、この日の経験は、彼らの視野を一気に広げるものとなった。自分たちが思っていた以上に、全国には同じような「マニア」たちがいて、それぞれが情熱を注ぐ対象は違えど、その根底にある熱量は共通していることを、彼らは肌で感じていた。


---


夕方5時、コミケットは閉会した。SF研究会のメンバーたちは、残りわずかとなった『星雲評論』と、売上金を大事そうに鞄にしまった。


「ほぼ完売…信じられないよ」鹿島は興奮気味に言った。


「西村の投資も回収できたな」織田が笑う。


「当然です」西村は自信たっぷりに言った。「私の目に狂いはありません」


「みんな、本当にありがとう」真鍋は心からの笑顔を見せる。「今日は特別な日になったわ」


4人は東京駅に向かった。彼らの顔には疲労の色が見えたが、それ以上に達成感と高揚感に満ちていた。


「次回は何を書こうか」鹿島は既に次を考えている。


「『スターウォーズ』の宇宙船技術について書きたいな」と織田。


「私は『鉄道9』と『Y』の女性キャラクター比較をやってみようかしら」と真鍋。


「私は『S・W』の神話的構造を分析してみます」と西村。


彼らの会話は尽きることなく続いた。電車の中でも、次号の企画や、今日見た様々な同人誌の話で盛り上がる。


そして深夜、彼らは地元の駅に到着した。


「じゃあ、また部室で」鹿島が言った。


「おう、お疲れ」織田も手を振る。


「楽しい一日でした」西村は丁寧に頭を下げる。


「また明日ね」真鍋は笑顔で言った。


4人はそれぞれの道を歩き始めた。彼らのバッグには、今日の収穫—他のサークルから買った同人誌や、交換してもらった同人誌がぎっしりと詰まっていた。それらは彼らにとって、新たな発見と刺激の源となるだろう。


そして何より、彼らの心には確かな手応えがあった。自分たちの「マニア」としての情熱を形にし、それを同じ情熱を持つ人々と共有できたという達成感。それは彼らの「星雲」が、確かに宇宙に輝き始めたという証だった。


その夜、彼らはそれぞれの家に帰りながら、同じ星空を見上げていた。その空には無数の星々が瞬いている。まるで彼らのような「マニア」たちが、全国各地で同じように輝いているかのように。


(つづく)

コミケ参加なんて、両手で数えるほどしかないんで、あんまり詳しくは・・・ごめんなさい。共感できない場合には、どうぞ、自ら加筆修正していただいて・・・改めて発表していただくなんてこともしていただければとwww

全く関係ない話を繰り返してますけど、「電車男」の話を。

ネットでは全くひっかからなかった私ですが、伊東美咲さん推しだった私は、テレビの前で正座してみてたわけですが、内容はどうでもいいんですけど、スペシャルかスピンオフかで須藤理彩さんが、劇団ひとりさんを回し蹴りするシーンがあったんですけど、「あー、こういうカット割りで回し蹴りを表現するんだ~」ってどうでもいいことに感心してました。どうでもいい話ですね。

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