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第3話「見えない敵・紙と印刷代」

「うわぁ…予想以上に金がかかるな」


SF研究会の部室で、鹿島は頭を抱えていた。机の上には計算用紙が広げられ、そこには様々な数字が並んでいる。11月も終わりに近づき、冬の気配が強まる季節。窓の外では冷たい雨が降り続けていた。


「何がどうなってんだ?」織田が覗き込む。


「紙代、インク代、それに表紙用の厚紙…全部合わせるとけっこうな額になる」鹿島は溜息をついた。「学生のバイト代じゃきついぞ」


「本当に?どれくらい?」真鍋が心配そうに尋ねる。


「50部作るとして…一人2000円近く出さないと無理だな」


「2000円!?」織田が声を上げる。「俺、今月のバイト代、既に使っちまったぞ…」


「私もそんなに持ってないわ…」真鍋も困った表情だ。


部室の中央には、彼らが必死で書き上げた原稿の山がある。鹿島の「人類は宇宙に行くべきか」、織田の艦船設計考察、西村の哲学的分析、そして真鍋のメーテル論文。全てが形になるのを待っている状態だった。


「残念だが、部数を減らすしかないか…」鹿島は渋々言った。「30部とか」


「いや、待て」西村が眼鏡を直しながら口を開く。「そこで妥協したら本末転倒だ。我々の知的探求の証が、経済的理由で縮小されるなど認められない」


「かっこいいこと言ってるけど、お前には金があるのか?」織田が皮肉っぽく言う。


「それが…」西村は少し恥ずかしそうに言った。「実家から仕送りが余っているので、私が足りない分を立て替えても構わないのですが…」


「マジか!?」織田の目が輝く。


「西村、それ助かるけど…」鹿島は躊躇いがちに言う。「お前に負担させるのは悪いな」


「いえ、これは投資です」西村は真剣な表情で言った。「我々の同人誌は必ず評価されるはずです。来るべきコミケで全て売れれば、この投資は回収できる」


「そんなに売れるかな…」真鍋は不安そうだ。


「でも、せっかく書いた原稿だしな…」織田は迷っている。


「皆の意見は?」鹿島は部室にいる全員を見回した。


「いいのよ、西村さん」真鍋は感謝の表情で言った。「でも、必ず返すから」


「おう、俺も次のバイト代入ったら必ず返す」織田も続いた。


「OK、決まりだな」鹿島は頷いた。「西村、感謝する。君のおかげで我々の『星雲評論』は予定通り発行できる」


「我々の目標は知的貢献です。経済的問題で頓挫させるわけにはいきません」西村は少し照れくさそうに言った。


部室の隅で原稿を書いていた水沢が、ふと顔を上げた。珍しく、彼の口元に微かな笑みが浮かんでいるように見えた。


「さて、次は印刷だ」と鹿島が話を進める。「香港映画研究会との共同作業はいつだっけ?」


「来週の火曜日よ」真鍋が答える。「私、昨日陳さんと詳細を打ち合わせてきたの」


「陳?」鹿島が首を傾げる。


「香港映画研究会の代表。実は彼、『銀河鉄道9』のファンでもあるの」


「へえ、意外だな」織田が感心する。「てっきりジャッキー・チェンやブルース・リーのことしか興味ないのかと思ってた」


「そうじゃないのよ」真鍋は熱っぽく言った。「彼らだって私たちと同じ。ただジャンルが違うだけで、ファンとしての情熱は同じなの」


「まあ、彼らの印刷ノウハウは大いに助かるな」鹿島は実務的に言った。「謄写版印刷は初めてだからな」


「紙は私が明日買ってくるわ」真鍋が言う。「西村さんの『投資』で」


西村は照れたように頷いた。


「じゃあ俺は表紙の清書をするぜ」織田が意気込む。「絵の方も少し手直しして…」


「原稿の最終チェックは俺がする」と鹿島。「誤字脱字があったら恥ずかしいからな」


彼らの会話には高揚感があった。初めての同人誌制作という挑戦が、彼らを一つにまとめていた。


「ところで、真鍋」鹿島が尋ねる。「コミケの申し込みはどうなった?」


「あ、それが…」真鍋は困った表情を見せる。「締め切りが過ぎちゃってたの」


「えっ!?」みんなの顔から血の気が引いた。


「でも大丈夫!」と真鍋は急いで続けた。「当日参加という方法もあるのよ。場所は取りにくいけど、早めに行けば大丈夫だって」


「当日参加…」鹿島は眉間にしわを寄せる。「それって何時に行けばいいんだ?」


「そうねぇ…」真鍋は考え込む。「朝7時くらいかな」


「7時!?」織田が驚く。「東京まで行くのに、うちからだと5時に出ないと…」


「仕方ないだろ」鹿島は諦めの表情で言った。「我々の『星雲評論』をファンの皆さんに届けるためだ」


「そうね…頑張りましょう!」真鍋は元気よく言った。


「文学的苦難は常に偉大な作品を生み出す原動力となるのだ」と西村が哲学者のように宣言した。


「お前、それ文学部のくせに誰の引用だ?」織田がツッコむ。


「私自身の言葉です」西村は真面目に答えた。


一同、思わず笑ってしまう。


「よし、気合を入れて行くぞ!」鹿島が全員を鼓舞した。「我々SF研究会の知的好奇心の結晶を、世に問うんだ!」


「おう!」「はい!」みんなが元気に返事をする。


水沢だけは、静かに自分の原稿を書き続けていた。だが、彼の背中からも何か特別な緊張感が伝わってくるようだった。


---


翌週火曜日、SF研究会と香港映画研究会のメンバーは大学の印刷室に集まっていた。そこには謄写版印刷機が鎮座している。


「これが伝説の謄写版か…」織田は感嘆の表情だ。


「伝説というほどでもないだろう」と陳が笑いながら言った。彼は清潔感のある白いシャツに黒のズボンという出で立ちで、どこか映画スターのような雰囲気を漂わせていた。「でも確かに、同人誌制作の歴史を語る上では重要な存在だ」


「陳さん、よろしくお願いします」と真鍋。


「こちらこそ」と陳は丁寧に答える。「さあ、始めようか」


印刷作業は思いのほか骨の折れるものだった。原稿をガリ版に転写し、インクをのせ、紙を一枚一枚セットして印刷していく。ローラーを回す音が部屋に響き、インクの匂いが鼻をつく。


「うわ、手が真っ黒…」織田は自分の手を見て驚いた。


「初めてだとこんなものさ」陳は慣れた手つきでローラーを操作する。「私たちも最初は大変だった」


「陳さん、すごいです」西村は感心した様子で言う。「まるで職人のようですね」


「ありがとう。でも単なる経験の差さ」陳は謙虚に答える。「君たちの原稿、読ませてもらったよ。特に『宇宙表現の哲学的考察』が面白かった」


「あれは私の論考です」西村は少し誇らしげに言った。


「『鉄道9』のメーテル論も素晴らしかった」陳は真鍋に微笑みかける。


「ありがとう」真鍋は嬉しそうに言った。「あなたの『カンフー映画における身体性』も読ませてもらったわ。素晴らしい視点ね」


「お互い様さ」陳は照れたように言う。


こうして、二つの研究会のメンバーは作業をしながら交流を深めていった。彼らは一見全く異なるジャンルに情熱を注いでいるようだったが、その根底にある「作品への愛」は共通していた。


「よし、『星雲評論』の印刷が終わった」鹿島が額の汗を拭いながら言った。「次は『カンフー評論』だな」


「協力するぜ」織田は意気込む。


全員が協力して印刷作業を続け、夕方には両方の同人誌がすべて印刷された。あとは製本するだけだ。


「こうして並べて見ると、感慨深いな」陳は二つの同人誌の印刷物を見比べながら言った。「SF評論とカンフー映画評論。一見まったく関係ないように見えるけど、どちらも映像表現を通じた世界の探求だ」


「そうですね」西村が共感する。「表層的なジャンルの壁を超えて、深層では通底するものがある」


「それにカンフー映画だって、ある意味ファンタジーだしね」真鍋も加わる。


「ジャッキー・チェンの『ドランク・モンキー』の猿拳法は、まるで異星人の動きみたいだもんな」織田が言う。


「そう!」陳は目を輝かせる。「彼の身体表現は、人間の可能性の限界を押し広げている。それはSFの精神と共通するものがあるんだ」


鹿島は思いがけない文化的交流に感心する表情だった。


「この山のような紙を運ぶのが次の課題だな」と鹿島は実務的な問題に話を戻す。


「我々の車を使うといい」と陳が申し出た。「研究会の先輩が車を持っているんだ」


「助かるよ、ありがとう」


こうして、二つの研究会の合同作業は成功裏に終わった。彼らはお互いの同人誌を交換し、別れ際にはまるで古い友人のように握手を交わした。


「コミケでも会おう」と陳。


「ええ、ぜひ」と真鍋。


「どちらも完売することを祈るよ」


「こちらこそ」


それから二つの研究会は別々の道を歩いて行った。だが、この出会いは彼らに新たな視点と可能性を与えるものだった。


---


SF研究会の部室では、製本作業が深夜まで続いた。印刷された用紙を順番に並べ、ホチキスで綴じていく単純だが根気のいる作業だ。


「ふう…ついに完成か」織田は最後の一冊を綴じ終え、満足げに言った。


机の上には、50冊の『星雲評論 —SF映像論集—』が積み上げられていた。表紙には織田の描いた宇宙船と列車。中には彼らの熱い思いがつまった論考が並ぶ。


「俺たちやったな…」鹿島は感慨深げに言った。


「まだ売れてないけどね」織田は現実的に言う。


「売れるわよ、きっと」真鍋は自信たっぷりに言った。「私たちの情熱が詰まった同人誌だもの」


「とりあえず、これで一段落だな」鹿島は安堵の表情を見せる。「あとはコミケだ」


「東京遠征か…」織田は少し緊張した表情になる。「同人誌即売会の洗礼を受けるわけだな」


「私、ワクワクしてきた!」真鍋の目は輝いていた。


「不安はあるけど、これは我々の文化的冒険なんだ」西村はいつになく熱く言った。


「よーし!」鹿島は立ち上がって叫んだ。「12月24日、我々は東京に乗り込む!」


全員が頷き、SF研究会の新たな挑戦が始まろうとしていた。


部室の隅では、水沢がいつものように黙々と創作を続けていた。彼は皆の会話を聞きながら、何か特別なものをそこに感じていたのかもしれない。文化の胎動を。彼の書いているSF小説には、そんな未来への予感が綴られていくのだった。


(つづく)

時代考証とか、勘弁してください。

78年は4月、79年は7月に行われていたみたいです。

私も当時は、コミケの存在すら知らない子どもでした・・・ってジジイがバレるとネットから排除されるwww

あー、急に思い出した。ビデオ通話系ソフトの初期、実年齢を言うと、「ジジイは他所へ行け」「話す価値なし」と女性配信者・・・当時は、配信者なんていわなかったかなぁ・・・にクソミソ言われましたね。

初めて行ったのは、いつだったか・・・晴海でしたねぇ。帰りの切符かっておけよーって、友人に言われたなぁ。メッセでの開催にはいったことがないです・・・20代後半くらいの当時のららぽーとのT-ZONEとか楽しかったなぁ。牛柄の箱、DELLの画面がまん丸なブラウン管モニター。98RA21にGA-1024とかなんとかいうGアクセラレータつんで、98モニタちらちらさせて・・・FMVが486だったんで、サイリックスのODPでしたっけ?乗せた希ガス。あー、若い頃に戻りたいですねぇ。さすがに78年は戻りすぎですけどwww

ついでといってはなんですけど、全然関係ない話ですが、シンガーソングライターだったTARACOさんのLPの事を思い出しました。「ガムをかみながら~、キッスをおねだり~す~るの~ね~♫」いつかDJブースで、鳴らしてやろうと画策しておりますwwwうそです。

彼女も故人になられてしまいましたね。年齢を重ねて、なんか、人生の灯を一つ一つ消して回っているような気持ちになったりします。


改めて、故人の御冥福をお祈り申し上げます。

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