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貴方の婚約者は私ですよ?

作者: 藍田ひびき

「ルイーズ・ベルトン伯爵令嬢!地味で無能なお前は王子であるこの俺に相応しくない!よって俺はお前との婚約を破棄し、新たにこのフェリシー・ラフォレ子爵令嬢と婚約する!」


 王城での華やかなパーティーの最中に、突如場違いな声が響き渡った。

 王家特有のきらめく金色に赤の混じった髪と碧色の瞳。声の主は第四王子ジュストであった。見た目だけはかくも麗しい王子の傍らには、豊満な身体つきの令嬢が寄り添っている。彼女はその口角を吊り上げ、勝ち誇る様を隠しもしない。


 一方、名指しされたルイーズ・ベルトン伯爵令嬢は無表情だ。

 彼らを見守る観衆の方がよほど感情を露わにしている。ほとんどの者は眉を顰めており、決してこの想定外の断罪劇を良く思っていない様子だ。内心は興味津々なのかもしれないが、そこを表面には出さないのが貴族というものである。


 何も答えず反応もしないルイーズに苛ついたのか、ジュストが「おい、何とか言ったらどう……」まで言い掛けたその時。

 一人の令嬢がつかつかと彼らの前へと歩み寄り、お手本のようなカーテシーをして見せた。その身に纏う最高級のドレスから、彼女が高位貴族であることは一目瞭然だ。


「ジュスト様。婚約相手を()()したいとの旨、承りました」

「いや、待て待て待て。どうしてお前が返事をするのだ、オレリア・クラルティ侯爵令嬢。俺が話をしてるのはルイーズだ」

「どうしてと仰られましても……ジュスト様の婚約者は私ですから」

「はぁ??」


 固唾をのんで成り行きを見守っていた参加者たちは「ジュスト殿下の婚約者はベルトン伯爵令嬢じゃなかったのか?」「いつの間にクラルティ侯爵令嬢へ変更になったんだ」と一斉にざわめく。


「気でも触れたのか?それとも何かの冗談か。俺の婚約者は、そこのベルトン伯爵令嬢だが」

「いいえ?ジュスト様の婚約者は私です。なぜなら――この私が、ルイーズ様から貴方様の婚約権を購入したのですもの」



 ◇ ◇



 ここミマーナ王国には奇妙な制度がある。貴族の婚約についてのみ売買を認めるという、婚約売買制度だ。


 これが設けられたのは先々代国王の御代。

 その世代の若い貴族たちの間で、『真実の愛』へ目覚めたなどとほざいて婚約を破棄する行為が横行していた。

 どうやら自由恋愛の流れになりつつある周辺国の風潮に感化されたらしい。云わば若者のやらかしである。


 問題はそのやり方だ。

 婚約を解消するにも順序というものがある。それをすっ飛ばして結果だけを求める愚者がどうなるかと言えば……碌な結末が待っていないことは明白。

 廃嫡くらいなら良い。平民落ち、あるいは元婚約者一族の怒りを買って家ごと潰されることも多々。


 貴族界そのものが荒れに荒れた。このままでは国政にも影響を及ぼし兼ねないと考えた王家は、婚約売買制度を制定したのである。


 一方的な婚約の解消や破棄は原則として禁止。どうしても婚約解消を希望する場合は双方の合意の上、婚約を譲る側へ相応の金額を支払った場合のみ認められる。


 例えばどこぞの貴族令息が婚約者以外の女性と良い仲になり、結婚を希望したとしよう。その場合、浮気相手の女性が買取金を支払い、男の婚約権を購入するのだ。

 

 この制度が整えられてからというもの、貴族たちは浮気に対して慎重になった。

 浮気相手と新たに婚約したくても、貴族の婚約権を購入するためには莫大な金銭が必要。よほど裕福な高位貴族でもなければ支払えない。そのため彼らは表立った浮気行為を控えるようになったのである。


 また、浮気とまではいかなくても。

 婚約者をおろそかにしていた者たちは、自身の婚約権を売られてはたまらないと一転して相手を大切にし始めたらしい。


 こうして王家の目論見通り、婚約破棄の流行は鳴りを潜めた。

 その代わりにこっそり愛人を抱える貴族が増えたらしいが、そんなことは王家にとってどうでもいいことだ。国王の目的は、貴族界の混乱を防ぐことなのだから。


 後世の人間からすれば他にもっと良いやりようがあったんじゃないの?とか、当時の国王と重臣が無能なだけでは?と思わなくもなかったが。ともあれ今代の国王になってもこの珍妙な制度は継続していた。


 だが、物事には何事も例外がある。

 この制度は王族に対しては適用されない。


 何それ自分たちだけズルくない?と思われるかもしれないが。

 王族の婚姻は国家にとって重要な政略。安易に売買は出来ないし、出来ると思われても困る。そのため王子や王女は婚約売買制度の適用外なのだ。



 その王子の一人であるジュストとルイーズ・ベルトン伯爵令嬢の婚約が結ばれたのは彼らが13歳の時。だがジュストは当初からこの婚約を嫌がっていた。

 彼はルイーズの容姿がお気に召さなかったのだ。彼女だって十分に美少女なのだが、ジュストの好みにはそぐわなかったらしい。ちなみにジュストが好むのは目のぱっちりした肉感的な美女である。どうでもいい事だが。


 さらにルイーズが伯爵令嬢であることも、彼の不満ポイントだった。


「俺は王子なんだぞ。他国の王女か、最悪でも公爵令嬢なら見目が多少悪くとも我慢してやったものを」

 

 他の王子や王女は公爵家、あるいは他国の王族と婚約を結んでいる。ジュストは兄弟に差を付けられていると感じていた。

 

 なぜ彼だけ扱いが違うのか。


 ジュストの母親は伯爵家出身の側妃であり、後宮における立場は低い。それでも優秀ならば使い道もあっただろうが、学業は普通程度かつ性格も我が儘。よってジュストは政略結婚の駒にすらならないと国王は早々に判断し、強引にベルトン伯爵家と婚約を結んだのである。

 彼にもう少し自分を客観的に見る理知さがあれば、状況を理解できただろう。だが残念ながら、ジュストはどこまでも自分本位な性格だった。


 王家の厄介者を押しつけられたベルトン伯爵はいい迷惑だったが、王命とあらば断るわけにもいかない。ルイーズは父の命に従い、ジュスト王子へ従順に仕えた。

 勿論彼女は無能などでは決してない。貴族令嬢として十分に優秀だ。しかしそんなものはジュストにとって何の魅力にもならなかった。

 

 そしてとある夜会でジュストは運命的な出会いをした。それがフェリシー・ラフォレ子爵令嬢である。

 蠱惑的な身体を持つ彼女に、ジュストはひと目で夢中になった。自分の好みにここまでドンピシャな女性に会ったことはない。伯爵令嬢であるルイーズより身分は低いが、フェリシーならばそれを押しても妻に迎える価値がある。


 ジュストはフェリシーを口説き落とし、どこへ行くにも彼女を伴うようになった。高価なドレスを贈り、夜会にはルイーズではなく彼女をエスコートする。側近たちは懸命に諫めたが、フェリシーに夢中な彼は耳を貸さない。

 王族である彼は、婚約者をどれだけ虐げようと婚約権を売られることはない。だから彼は強気でいられたのだ。婚約を解消する権利はあくまで自分にある。……はずであった。

 


 ◇ ◇


 

「何を馬鹿なことを!俺は王族だぞ。婚約権の売買は対象外だ」

「ジュスト様は王家から除籍されておりますゆえ、王族ではございません」

「いい加減にしろ、オレリア。その無礼な物言い、不敬だ。衛兵!この女を会場からつまみだせ」


「いいや。クラルティ侯爵令嬢の言は間違っておらん」


 入り口に立つ君主の姿を見て、居並ぶ貴族たちは一斉に臣下の礼を執った。国王は楽にせよと手で合図をし、つかつかと壇上へ歩み寄る。


「ジュスト、貴様は既に王家から除籍した」

「俺は聞いていません!」

「書面で通達したはずだ。お前の署名もされている」

 

 国王の側近が取り出した書類には、確かにジュストのサインがある。


「そんなものに署名した覚えは……。そもそも、そのように大事なことをどうして口頭で伝えて頂けないのですか」

「大事なことだから証拠が残るよう書面にしたのだろうが」

 

「なっ……何故です、父上!どうして俺が除籍されなければいけないのです?」

「儂からも侍従からも、散々身を慎み婚約者を大切に扱えと伝えたはずだ。それに耳を貸さないばかりか、公式の場でこのような騒ぎを起こすとは。それが王族の正しき振る舞いだと、お前は思っておるのか」


「は、いえ、それは」

 

 父親からの指摘に、ジュスト王子はしどろもどろになる。どうやら自分の行為が良くない事だという自覚はあったらしい。自覚があったのなら控えればいいのに……と観衆は冷めた目で狼狽える彼を眺めた。


「王族の自覚が無い者に、我が王家の一員である資格はない。ラフォレ子爵令嬢だったか?そこの娘と添い遂げるなり何なり、好きにせよ」

「!つまり、俺はフェリシーと結婚できるのですね。やったぞ、フェリシー!」

「え……でも、そうしたらジュスト様は王子ではなくなるのですよね……?」


 喜色満面のジュストと違って、フェリシーは蒼褪めていた。事態をきちんと理解しているらしい彼女はジュストから身体を離し、少しずつ後ずさっていく。

 

「あ、そうか。えーとつまり、俺は今後どうなるのでしょうか」


 知らんがな。

 その場にいる全員がそう思った。


「私との婚約を解消し、フェリシー様と婚約なさるということは。ジュスト様はラフォレ子爵家に婿入りされるのでしょうか。あら?でもラフォレ子爵家には既に跡継ぎがいらっしゃいますから……では、平民にお成りになる?」


 黙ってやり取りを眺めていたオレリアが口を出した。疑問形を取ってはいるが、頭の悪いジュストが理解できるよう懇切丁寧に説明しているのだ。ちなみに当人以外は皆分かっている。


「何で王子の俺が平民になるんだ!」

「王族から除籍されて婿入り先も無いとなれば、当然そうなりますわ。それとも騎士爵を目指されるのでしょうか?成人近くになってからの騎士修行とは前代未聞ですけれど。そこまでしてもフェリシー様との愛を貫きたいということですわね!素晴らしいですわ!」

「え、いやその」


 オレリアは大げさに身振り手振りをしながらしゃべり続ける。ジュストは何度も口を挟もうとしたが、オレリアがそれを遮った。

 

「残念です。私もジュスト様との結婚を楽しみにしておりましたのに……。でも、仕方ございませんわ。ジュスト様とフェリシー様がそのように強い愛で結ばれていらっしゃるのなら、涙を呑んで身を引きましょう。どうぞ、お幸せになって下さいませ」

 

 そしてオレリアはフェリシーの方へ向き直り、にぃっと口角を上げて微笑みかけた。


「それで……フェリシー様。ジュスト様との婚約権、幾らでお買いになりますか?」


 

 ◇ ◇


 

「ルイーズ様、ご婚約おめでとうございます」

「ありがとうございます。それもこれも、オレリア様のおかげですわ」


 クラルティ侯爵邸の庭園で和やかに歓談しているのは、二人の令嬢と一人の令息だ。


「本当に、オレリア様には感謝しています。ようやく念願叶ってルイーズと婚約できたのですから」

「レオナール様は昔からルイーズ様を慕ってらしたものね」

「まあっ……」


 恥ずかしそうに顔を赤らめるルイーズの手に、レオナールがそっと手を添えた。オレリアはその様子を「あらあら」と言いつつ、微笑ましいといった表情で眺めている。

 

 ルイーズの幼馴染であり親友でもあるオレリアは、彼女がジュスト王子から虐げられる様に心を痛めていた。

 ジュストは顔を合わせればルイーズを罵倒し、月一の交流も度々すっぽかしていた。人前でルイーズを嘲り、暴力を振るった事さえある。


 さらに子爵令嬢如きと浮気し、それを隠さない。

 どこまでルイーズを虚仮にすれば気が済むのか……。

 オレリアはずっと怒っていたのだ。相手が王族でなくば、平手打ちの五発や十発は喰らわしていただろう。


 ベルトン伯爵は娘がそこまで気に入らないのなら婚約を無かったことにして欲しいと何度も訴えたが、国王によって退けられていた。ベルトン家を逃せば息子を受け入れる貴族などいないであろうことを、王はよく分かっていたからだ。

 

 そしてもう一人、オレリアやベルトン伯爵と同じ思いを持つ者がいた。それがレオナール・ブラヴェ伯爵令息だ。

 

 彼はジュスト王子の側近だった。ジュストに邪険にされ、泣きながら帰ろうとするルイーズを放っておけなくて何度か声を掛けて慰めた。そうこうするうちに……彼はルイーズを恋い慕うようになったのである。

 勿論、主の婚約者に懸想するなど許されることではない。彼は自らの想いは胸に秘し、何度もジュストを諫めた。ルイーズは妃として申し分のない令嬢、どうか彼女を大事にしてほしいと。しかしジュストは煩いと怒鳴り、レオナールを遠ざけるようになった。

 

 そんなレオナールを見て、オレリアは共謀を持ち掛けたのだ。

 

 オレリアは父親のクラルティ侯爵を通して、国王へジュスト王子の婚約者入れ替えを申し出た。

 国王は「煮るなり焼くなり好きにせよ」と申し出を快諾。ついでに万が一()()()()()で息子が命を落としたとしても不問にする、とのおまけつきだ。

 王にはジュストの他に4人の王子と3人の王女がいる。つまり周囲の諫言に耳を貸さず愚行を繰り返す王子など、もはや不要。ジュストを婿として引き取ってくれるというのだから、王にとっては渡りに船だった。


 除籍と婚約権の売買を書面で通達させたのは、レオナールの仕業だ。ジュストが平素から書類の確認を側近任せにしていることを、彼はよく知っていた。案の定、ジュストは中身をよく確認せず書類にサインをしてしまったのだ。


 晴れて自由の身となったルイーズに、レオナールは即行で婚約を申し入れた。最初は驚いたルイーズもそれを受け入れ、今はゆっくりと愛情を育んでいる。


 

「レオナール様は第五王子の側近になったとお聞きしましたわ」

「ええ。まだ幼いですが聡明な方です。あのような方にお仕えできて光栄です」

「ふふっ。順風満帆というところかしらね」

「おかげさまで。しかし、オレリア様は本当によろしかったのですか?その、婿がジュスト様で」


 結局、ラフォレ子爵令嬢は婚約権の購入を断った。侯爵家相手の買取金など、子爵家が支払えるはずもない。そもそも王子でなくなったジュストは彼女にとって用無しだったらしい。「俺を愛しているのでは無かったのか!?」と騒ぐジュストを冷たく突き放したそうだ。

 その後慌てて嫁ぎ先を探したものの、あれだけの騒ぎを起こした彼女を娶ろうという物好きなどいなかった。結局、隣国の下位貴族の後妻になったそうだ。


 誰にも婚約権を購入して貰えなかったジュストは、このままクラルティ侯爵家へ婿入りすることになる。といっても当主はオレリアであり、ジュストはその配偶者に過ぎない。何の権限も無く、飼い殺しのような扱いだ。


「いいのよ。あんな無能でも顔はいいでしょう?私ね、見目の良い高貴な男と結婚したかったの。正確に言えば、欲しいのはその血ね。私と彼の子供なら、きっと容姿にも能力にも恵まれているに違いないわ」

「しかし外見はともかく、中身まで似てしまうかもしれません」

「きちんと育てれば大丈夫よ。だって、ジュスト様の同腹であるアナベル王女はあの通り優秀な方でしょ?母君が甘やかしたから彼はああなったのよ」

「そうね。側妃様はジュスト様を溺愛なさっていたもの。私もよく嫌味を言われたわ」


 ジュストの母親からは何度もオレリアやクラルティ侯爵へ登城するように手紙が来ていたが、「結婚の準備で忙しくて……」「ちょっと腰痛が悪化して……」と何のかんのと理由を付けてスルーした。ジュストを侯爵家当主にしろとでも命じるつもりだったのだろう。

 結局それを知った国王に一喝され、大人しくなったそうだ。

 

「子供は夫のようにはしないわ。彼は……そうね、離れにでも押し込めようかしら。息子が二、三人産まれたら用済みですもの」

「種馬というわけですか」


 レオナールがぶるりと身体を震わせた。捨てた主とはいえ、同じ男としてその境遇には心胆を寒からしめるものがあるようだ。

 一方で令嬢たちは「まあオレリア様ったら、ふふふ」とにこやかに笑い合っている。麗しい令嬢二人の薔薇のような微笑みを見る者は、彼女たちがこのように剣呑な会話をしているとは思いも依らないだろう。


「結婚式には是非いらしてね。ジュスト様に貴方たちの幸せそうな姿を、思いっ切り見せつけてちょうだいな。さぞ悔しがるでしょうね!ああ、心配しなくても良くてよ。騒いだりしないよう、式までには彼をちゃぁんと()()()おくから」


 

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