3.隣国の貴公子、クリストファー王太子殿下
「え?またオヤツをご所望ですか?」
キュルキュル〜。
恥ずかしいけれど、宿題の刺繍の最中に、お腹が鳴ってしまったのですもの。次女のナタリーにオヤツをお願いすると、眉を大袈裟に吊り上げて驚かれてしまったわ。
最近、眠気もそうだけど、お腹が空いて仕方がないの。まるでわたくしの中に、何か得体の知れないものが巣食っているのではないかしら?と感じる事がありますの。わたくしは美味しく肉饅もどきを食べながら、そんな事を考えると段々眠くなってきましたわ。
お腹が満たされたら、誰でも眠くなりますでしょう?
それはアーシャが許してはくれなかったのですの。わたくしがオヤツを所望していると聞いて、またもや、眠くなるのでは?と思い駆けつけたのですって。いつもはクッキー1枚しか、許してもらえなかったのです。肉饅もどきを食してしまったわたくしに説教が始まりましたわ。
あの〜、わたくしってアーシァの主ではないのかしら?
アーシャの主はパパ様(皇帝)だから、わたくしから命令されても、パパ様にお伺いして許可がされなければ無理ですと、ゆっくり丁寧な口調で諭されましたわ。どう言うことですの?一々そんな細かい命令に伺いをたてるなんて、そんな事あり得ますの?アリシアお姉様の場合は、普通に命令通り動きますのに。アーシャにとって、わたくしってやはり、まだお子様扱いなのかしら?
それにしても、アーシャったら、本当に心配性ですのねぇ。う〜ん。残念ですわ。行動が一々バレておりますのね。
夜はしっかり熟睡しておりますのよ。何度も言いますが、わたくしはぐっすり朝まで眠っておりますもの。
───けれど、何かが足りておりませんの。身体も心も何かを求めて、満たされていないと感じますのよ。これは何なのでしょうか!?
───やはりわたくしは〝大喰らい〟の胃袋を持ってしまったのでしょうか?これからは少食を心がけないと、皆に呆れられてしまうのでしょうか?ハズレ姫が〝大喰らい〟などと、これ以上恥ずかしい称号を貰ってはいけませんのに。
わたくしは自分に暗示をかける事にしましたわ。ランチは小鳥になった気分で、チマチマと食べましょう。そうすれば、時間がかかって〝大喰らい〟の胃袋も騙されて、上手く満腹感が得られるのではないかしら?
だけど、アリシアお姉様にランチに誘われて、上級貴族用の見晴らしの良いテラス席に着いた時に事件はおこりましたの。
突然、突風が吹き荒れて、アレよという間に風でテラス席の椅子やテーブルが薙ぎ倒されてしまったのです。のんびり屋のわたくしでさえも、流石に焦って足を挫いてしまいましたわ。そのせいで突風に体を支えられなくなり、思わず転びそうになりましたの。
そんな転びそうになったわたくしに、力強い大きな身体がわたくしの体を後ろから軽々とフワッと浮いた様に支えられ、引き寄せられましたの。
これは魔法かしら?わたくしの体が、軽々と持ち上がりましたわ。若草の森の精霊の様な良い香に包まれたわたくしは、ボウっとなすがままに、何方かの殿方に抱きしめられたのですわ。
そして強い風は暫く続き、わたくしは何方かの支えで、テラスから部屋の中へと誘導されたのです。
「外は風が強くて、危ないよ。そら君達も中に入ると良い。」
そう言うと、その殿方は今度はアリシアお姉様とアリシアお姉様の次女のミーシャの手を引いて、部屋へと誘導したのです。
「まぁ、ありがとうございます。クリストファー王太子殿下、助かりましたわ。」
アリシアお姉様がこの殿方にお礼を言ったので、わたくしも一緒に頭を下げてお礼を言いましたわ。
彼はエバリンデお姉様が嫁ぐミネルヴァ王国の更にお隣の国、ダンザナイト王国の王太子殿下だそうですの。
艶々に輝く銀髪で深い紫色の瞳は王族にしか現れない特長なんですって。皇国では珍しい瞳の色だけれど、それより何て魅力的で爽やかな顔立ちなのでしょう。
・・・・と思いますわ・・・多分。だって、ミーシャやアーシャがぼうっと頬を染めて、乙女の顔をして見つめておりますもの。
彼の名前はクリストファー・ロム・ダンザナイト王太子殿下。リゾレットの一つ上の学年で今年17歳になる。昨年、このルーシア帝国高等学園に親善とルーシア帝国の叡智を勉強しに、留学してきたルーシア帝国とはミネルヴァ王国同様、同盟国であるダンザナイト王国の王子様である。
高貴な身分に傘を着ない穏やかな性格で、学園の多くの女子生徒のハートを鷲掴みにする程、見目麗しい。更に剣の腕や魔力も高く、男女問わず人気が高い。
ダンザナイト王国は比較的、北部の国の為、常春のルーシア帝国とは違い、夏は短く、冬は長く厳しい寒さが続く王国だ。そんなダンザナイト王国の民達は、逆境に強く耐久力のある勤勉で真面目な国民が多いらしい。
この日、この時期には珍しい季節風の強い風が、ルーシア皇都に吹き荒れた。季節の変わり目には時々強い風が吹き荒れる。常春の国とは言っても、四季はそれなりにはある。北の国程寒くはない冬は雪は降らず、日本の秋程度。夏はやや汗ばむ程度の日本の梅雨前の5月後半位の暑さだ。
この世界では9月入学が多く、日本の様に4月入学は少ない。大概の国では冬前にデビューを終え、社交の場で顔を覚えてもらい、冬休みは自領に戻り、約1ヶ月は厳しい冬を乗り越えてから次の学期に臨むというスタイルが一般的だ。
だがこのルーシア帝国は常春の国なので、冬期は短く穏やかな為、残念な事だが冬休みの期間も短い。木も枯れないし、雪は余程高い山の上にしか降らない。暑くも寒くもない、帝国はなんとも緩い場所に位置している国なのだ。
なので入学してから、冬期休暇までが長い。必然と学園の生徒同士が仲良くなる期間も長く設けられ、ある程度仲良しグループも大まかに決まってくるのだ。
その点、誰にも属していないリゾレットの存在は珍しい。皇族だから、一目置かれているとか、畏敬の対象だからとか、ハズレ姫と呼ばれている彼女にはそんな理由では勿論ないだろう。つまり、人と仲良くなる為には、ある程度コミュニケーション能力が必要となる。
殆どの時間を眠気と眠りとボウっと呆けているか、説教されている時間が大半を占めるリゾレットにとって、人とコミュニケーションをとる事等、そんな時間は皆無だ。
クリストファー王太子殿下の顔を覚えていただけマシというもの。人心把握術に長けた〝出来る女子〟のアリシア皇女とは雲泥の差があるのだ。
だが、クリストファー王太子殿下はリゾレット皇女に対し、少々・・・・・いや・・かなり、美化した印象を受けていたのだ。
突然の突風に、ふき飛ばされそうになった彼女を抱きしめてしまうしか、助ける方法がなかった。言い訳かもしれないが、本当だ。とっさに、飛ばされそうな儚げなリゾレット皇女殿下を引き寄せてしまったのだ。彼女は桃の香りの様な、フルーティでほんのり甘く、そしてその桃にフローラルブーケが加わったかの様な甘美な香りがした。
なんて柔らかくて、温かい。そして、何て細くて軽いのだ。ちゃんと食べられているのか?腹回りなど、力を入れたら折れてしまいそうな程、細い。まるで我がダンザナイトの深緑の森に住む妖精の様だ。彼女に触れてしまい、私の心臓の鼓動がドクドクと波打つ音が激しい。これでは彼女に聞こえてしまわないかと不安になる。
───ああ、危なかった。
突如、彼女の透き通る様な、真っ白なうなじに顔を埋めて、噛み付く様に口付けしてしまいたい衝動にかられた。
私は冷静になろうと、ギュッと目を閉じた。マズイ。こんな公衆の面前で、迂闊な事をして彼女に嫌われて逃げられてしまったら、元も子もない。私は何とか腹にグッと力を入れて、甘い誘惑に負けてしまいそうな心を奥底に押し込んで我慢した。
自分でも己の突然の衝動に驚愕した。
ほんの5分前まで、アリシア皇女殿下みたいなしっかり者で、王太子妃にするのなら彼女の様なタイプなら良いだろうと、既に婚約者がいるのを残念に思っていた筈だ。それなのに、まるで飢えに苦しむ蝶々がやっとの事で、花の蜜を見つけたかの様に、リゾレット皇女殿下の姿についつい目が引き寄せられてしまう。
リゾレット皇女殿下は恥ずかしかったのか、照れてアリシア皇女殿下の後ろに隠れてしまった。そんな所も実に愛らしい。
「クリストファー王太子殿下、ランチはもう終えられたのですの?」
アリシアがクリストファー王太子殿下に聞いた。コミュケ能力高いアリシアはどんな時でも、問題なく話題をふれるのだ。〝羨ましい〟とリゾレットは心からそう言って思った。
(このままではいけませんわ!このままでは〝大喰らい〟〝ハズレ姫〟の称号だけで、学園生活が終わってしまいますわよ?!卒業までにアリシアお姉様の様に、必ず〝出来る女子〟にならなくてはなりませんわ!)
土台が違うから!無理だから!とリゾレットの心の声には誰も突っ込んではくれない。リゾレットはアリシアの仕草や話す言葉を真剣に見つめ、参考にしようとモゴモゴと口ずさむ。
「まだです。良かったら、皆様とご一緒にお昼をとらせていただけませんか?」
変に意識して、リゾレット様に警戒されてはいけない!敢えて何でもないことの様に答えなくては!クリストファー王太子殿下はリゾレットを熱く見つめながら、アリシアにニコニコして返事をした。
ピーン!とアリシアもアーシャやミーシャも、クリストファー王太子殿下の〝熱い眼差し〟に気が付いた。
だが、さりげなく態度を変えずに、ランチに誘ったクリストファー王太子殿下の意向に同調した。
「勿論ですわ。是非、ご一緒してくださいませ。」
「・・・さいませ。」
ギュンッ!!
クリストファー王太子殿下はパクパクと真剣に、アリシア皇女の真似をするリゾレット皇女のあまりの可愛さにやられ、頬が赤く緩むのを抑えられなかった。彼は高鳴る胸を押さえ、側に居る者が彼の心情がダダ漏れなのは、大丈夫なのかと心配した程だった。
クリストファー王太子殿下の側近と護衛は側にいるが、まさかリゾレット皇女を咄嗟に庇うとは思っておらず、後で対応が遅れた事を詫びた。クリストファーは「役得だったから良いのだ」と、ニマニマと思い出し笑いをしては、皆に生温い目で見守られていた。




