佐敷上城 5
城跡の敷地に入ると右手に慰霊碑が目に入っ
た。戦いによりぐそー(死者の世界)に行った人達の御
霊を慰めている石。その前で祈りを捧げる。
その真後ろに元々女官たちのいた釜跡があった。
先に進むと碑石とコンクリートで固められた階段があ
る。碑石には「月代宮」と書かれている。綺麗な立方
体に文字が刻まれた石が土台に支えられ、どこか奥ゆ
かしく後ろに控えているように置かれていた。生命た
ぎらせている後ろの植物が碑石の居場所を侵食してい
るからそう見えるのか。
その時の私にはこれが小説で見た「月しろ」という
言葉とリンクさせられなかった。本の中では|月
《・》が漢字でしろはそのままに表記されていた。文
字の形をそのまま覚えていたのだろう。思い返してみ
るとここが現実世界で「つきしろ」という言葉に出会
えた初めての場所だったのだ。この感動体験を出来れ
ば月代宮、この場所で味わいたかった。周りを見周す
と神聖な空気が変わらず漂っている。
緑の中だからかさらに気温が下がったように感じた。
緑とはこんなに種類が豊富かと感心するほどだ。
時々目に入る赤や、黄色の葉がこの森のぱんと張
り詰めたような生命力を感じさせる。そして緑の大量
洪水に否が応にも幸福感に満たされる。
さらさらとした清らかな空気。柔らかい日の光が木の
葉の隙間から所々差し込み心地よい温度だ。
大樹は月代宮を守っているような力強さを持ってい
る。背丈が大きな樹が多い。ガジュマルではないが、
神聖な巨木が上へ上へと伸びている。
さっき感じた恐怖感や不安感が森によって溶かされて
いた。
そもそも佐敷城跡とは何なのか調べて
みるとグスクというので城である。権力を持っていた
人の住処だった場所。尚巴志とその父
親の尚思招の住んでいた跡地だ。
琉球(=沖縄)の統一を初めて成し遂げたのが|尚巴志
《しょうはし》という人で、尚巴志から続く王朝
は後の世で第一王朝と呼ばれる。クーデターにより尚
巴志の血縁関係以外の人が王となるまでを第一、
金丸(尚円)という人から続く王朝を第二と呼ぶ。姓が
同じなので区別するために尚巴志の方を第一尚氏、金
丸が方を第二尚氏と呼ばれている。
参考: 「たびらい 沖縄の歴史」2024.6.24閲覧
https://www.tabirai.net/s/sightseeing/okinawa/info/about/history.aspx
: https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11101783821
:「OKINAWA CLIP <沖縄の伝説・歴史ぶらり歩き> 佐敷上城と「月しろ」 」2024.6.25閲覧
https://www.okinawaclip.com/post/1701604672/