44. 暴走
「それならここから脱出するわよ」
つくし先生がハイヒールをカッと鳴らしながら腕を組んだ。
「ここから脱出する!?」
「そんな……周りは変なゾンビとか野犬がウロウロしてるんですよ!? ここにいた方が安全ですよ!!」
「ここも安全ではないわ。いつ窓やドアを破られるかわからないもの。だから私とまり先生の車で脱出しましょう」
そう言うとつくし先生は棚から薬品の瓶を取り出した。その瓶は傷口を消毒するオキシドールだった。つくし先生はそれを何本か鞄の中に入れる。
「まり先生、スマホと車の鍵は持ってる?」
「あ、職員室に……」
「それならまずは職員室ね」
オレとまり先生は頷いた。
しかし他の三人とやんすさんは戸惑っている。
「先生、職員室ってみんなで行かないとダメなんですか? 私たち、ここで待ってるので先生たちで取ってきてくれませんか?」
膝の手当てをしてもらった女子が声を震わせながら言った。その言葉に茶髪男と眼鏡男が激しく同意する。
「……わかったわ。それならやんすさん、私たちが戻ってくるまで、生徒たちをよろしくお願いしますね」
「へっ……あ、あっしが? は、はいぃ!!」
部屋の角でうずくまっていたやんすさんは慌てて返事をした。彼だけに任せていいか心配だったが、こっちも女の先生二人だけで行かせるわけにはいかない。オレが守らないと……。
「オレが先頭で行く」
「あら、頼もしいわね。剣士様」
「ちょっ……やめてください」
「剣士? もしかしてひなたくん、前の学校で剣道部に入ってたの?」
「いや、そういうんじゃなくて……まあ、剣道はやったことあるけど」
オレはまり先生の質問に答えながら、入り口の棚をどかした。そして物音や奴らの声がしないか耳をすます。
「今なら行けそうだ」
オレはゆっくりとドアを開けて、辺りを慎重に見回した。不思議なことに人影はなくシンとしている。
──もしかしてみんな殺られたのか?
静けさがかえって不気味さをかもしだしていて、心臓の音が早くなる。オレは廊下に出ると、二人にオッケーサインを出した。
まり先生とつくし先生が出ると、ドアはすぐに閉められた。つくし先生が「職員室はあっちよ」と指を差して教えてくれる。
職員室は中庭を挟んだ向こう側の棟の一階にあった。最初にボロボロの服を着た殺人鬼と遭遇した場所だ。
殺人鬼なのかゾンビなのか……正体不明の生き物と野犬は一体どこから沸いてきたのか、なぜ突然襲ってきたのか。これは夢なのか現実なのか……。
もう頭の中がグチャグチャで、うまく整理できない。
「ひなたくん。今は余計なことは考えず、逃げることだけに集中するのよ」
オレの考えてることがわかったのか、つくし先生がフォローしてくれる。オレは頷き、前を見据えてモップを握りしめた。
中庭を渡り、隣の建物に入る。幸い人影もモンスターも見当たらず、スムーズに職員室の前まで来ることができた。
「私は廊下で見張ってるから、ひなたくんはまり先生の護衛をお願い」
オレは頷くと、職員室のドアをゆっくりと開けた。
「誰もいないようね……」
まり先生がホッと胸を撫で下ろす。
真っ先に自分の机の上にあるバックを掴むと、携帯と車の鍵があるか確認した。
「大丈夫。ちゃんとあるわ」
「よし。じゃあ保健室に戻ろう」
まずは第一段階クリアだ。
あんなにパニック状態だったのに、職員室の中が荒らされた形跡もないのが気になるが、今は考えないことにしよう。
オレとまり先生が職員室から出ると、つくし先生は安堵の笑みを漏らした。
「次は車ね。このまま昇降口から行けばすぐ駐車場なんだけど……」
「それならオレがみんなを連れてきます。つくし先生とまり先生は車を昇降口に横付けして待っていてください」
「でも外に殺人鬼や野犬がいるんでしょ? 待ってる間に襲われたらどうするの?」
まり先生が不安な表情で話す。
「大丈夫よ。そうなった時は私が奴らを引き付けるわ」
つくし先生は眼鏡のブリッジを押し上げて言った。まり先生はつくし先生に任せ、オレは保健室へと戻った。今ならスムーズに脱出できるはずだ。
「やんすさん? オレです、ひなたです」
保健室のドアの前から声をかけてしばらく待つ。
「やんすさん、開けてください!」
もう一度ドアを叩いて声をかけるが、物音すらしない。嫌な予感がして、オレはドアノブをガチャガチャと激しく回してみた。
「……やめてっ……」
「!」
微かに女子の声が聞こえる。
「まさか……」
オレはドアを力一杯叩こうと思ったが、音のせいで奴らに見つかるわけにはいかないと思い、外側に回ることにした。
運動場には殺人鬼や野犬がいるから危険だ。もしかしたら今井先生の死体もあるかもしれない。
だけどやんすさんが出てこないってことは、保健室で何かあったってことだ。女子の悲鳴も聞こえたし、もしかしてあいつらに……。
オレは細心の注意を払い、中庭からぐるりと回って運動場に出た。
「!」
どうしたことか、あんなに沢山いた殺人鬼や野犬の姿は一切なくなっていた。そして襲われていた生徒たちの姿も跡形なく消えていた。
「一体どういうことだよ……」
戸惑いながらも保健室の窓際まで行くと、今井先生の死体もなかった。窓にべっとりついたはずの血の跡もない。
「確かにここで今井先生が襲われたはずなのに……」
だが死んだ瞬間は見ていない。
オレたちが職員室に行っている間に何かがあった? もしかして今井先生は生きている?
「いやあっ……誰か助けて!!」
その時、女子の悲鳴と窓を叩く音が内側から聞こえた。
オレは外側から窓を叩き返した。すると勢いよくカーテンが開き、保健室の中の様子が見えた。
「!」
窓のそばには女子生徒が立っていた。シャツのボタンがはずれ、下着が見えている。泣きながらオレに助けを求めていることから、彼女が何をされたのかすぐにわかった。
「ここ、開けて」
彼女は頷き、窓の鍵を解除してくれる。
オレが中に入ると、気まずそうな顔をしている男二人がいた。
「……なにしてるんだよ」
女子生徒はオレの背中に隠れる。
「なにって、あれだよ……お前も男ならわかるだろ?」
「そーそー。もうここには僕たちしかいないんだ。だったらさぁ……やりたい放題じゃん?」
「……」
オレはため息を吐いた。
この状況でどうしたらそんな思考になるのか理解できない。
「……つくし先生とまり先生が車を取りに行ってる。だから今のうちに昇降口に行くぞ」
オレはぐるりと保健室内を見渡した。
生徒を見ててくれと頼まれたのに、やんすさんは一体何をしていたのか……。
「あっ……」
背後で女子の声が聞こえたかと思うと、突如頭を殴られ、鋭い痛みが走った。
「──っ!」
目の前がチカチカし、ふらつく。
「なっ……」
振り返ると、茶髪男が分厚い本を手に持っていた。
「なにす……」
茶髪男は分厚い本で再び攻撃してくる。
オレは間一髪避けて、ベッド際に逃げた。
「ひ、ひなたしゃんっ……」
「やんすさん!?」
ベッドには丸裸にされたやんすさんが、両手両足をシーツやベルトで縛られ寝かされていた。
「す、すみませんっ……あっしはあっしは……何もできませんでしたっ……」
やんすさんは顔を歪ませて泣いていた。




