勘違い
階段から突き落とされた一件で、もしかしたら領地に帰ると言われるかと思ったが、意外にもシェリアからは「何かあったらすぐに言いなさい」と、言われただけだった。
そして、リリアが怪我をしてから固定を外してもらえるまでの一週間。本当にきっちりと自室にて休む事になった。
足が痛いだけで歩けるし、他は健康なのだ。暇で暇で仕方がない。これは、ある意味、軟禁というやつではないだろうか。リリアは、ふぅむと考えた。
だが、いかに暇でも勉強をしたいとは思わないのが不思議である。
そんな苦痛な一週間が過ぎ、やっと登校すると、無常にも他の生徒との間に差が生まれていた。
元々、魔術の授業では差があったのだが、それが大いに開いていた。
リリアが未だに初歩の魔法陣で苦戦しているのを尻目に、クラスメイトたちは別の魔法陣を使っていた。
魔術科の授業はほとんどが教室の外で行われている。平民クラスだからなのか、マレリア先生の方針なのか、比較的自由に授業が行われているように感じた。
外で授業をするのは、魔法陣を使って皆、思い思いに色んな物を出すからだと思う。
花吹雪だったり、土をよく分からない形にしてみたり、水を大量に出してびしょ濡れになったりと、まるで子供が遊んでいるようだ。
そして、皆、思い思いに騒いでいるので、リリアが何も出来ずにいても、誰も気付いていないようだった。
そう。授業はそれでも良いのだが学校である以上、試験というものは行われるのだ。
そして、前期の試験がもうすぐ行われるのだった。
魔術の理論や、薬草学は記憶力を試されるものが多いので、覚えるしかないのだが、実技はどうにもならない。実技もやるしかないと言われればそれまでだが、リリアの場合、本当に魔力があるのだろうかといった状態だ。
「……零点だった場合、どうなるんだろう」
憂鬱になり過ぎてうっかり呟いたら、ジュリからお昼を誘われた。
「なるようにしか、ならないのよ〜」
ジュリは最初の印象から、打算的な人間なのかと思ったが、最年長ということもあってか周りの面倒をよくみてくれる人間だった。
ジュリ曰く、「全ての人間がお客様」なのだという。いつ、誰が自分のお客様、取り引き先になるか分からないから、常にそう思って接している結果だという。
ある意味、打算的か?と、思ったが、誰にでも出来ることではないので、ジュリのそういうところは尊敬していた。
学生寮では希望する生徒には無料でお弁当……と、言っても簡単なサンドイッチだが……を持たせてくれる。学園には食堂もあるが、そこは有料になってしまう為、平民クラスの生徒は皆このお弁当を希望していた。
二人はそのお弁当を持って中庭へと足を踏み入れる。
リリアはいつも教室で食べていたので、中庭なんて少しどきどきする。中庭もいくつかあるそうだが、ここは、平民クラスの教室近くだから利用するのは自分たちだけだとジュリが言った。
確かに通路に合わせてベンチがいくつか置かれているが、二人の他は誰もいないので座り放題だ。
二人は木陰になっているベンチを選んで座る。
「あ、今日は鶏肉のサンドイッチだわ!」
ジュリはがさがさと包みを開けると、上機嫌でサンドイッチにかぶりついた。リリアもお肉は大好きだ。はむっと、一口頬張ると、鶏肉に絡ませた甘いタレが、じゅわ〜んと、口の中に広がる。
「「幸せ〜っ!」」
意図せず二人の声が重なり、思わず顔を見合わせてから笑い合う。
「あはは!やっぱ、リリアは笑ってないとね!あなた、怪我してから笑わなくなったでしょう?もちろん、大変だっただろうから、仕方がないんだろうけど、これでも心配してたのよ?」
言われるまで、自分がどんな表情をしているかなんて気にもしていなかった。
リリアが怪我をした経緯はどこまで伝わっているか分からないが、詳しく聞いてこないのはある程度察しているからなのかもしれない。
リリアの元気がなかった理由は怪我だけではないのだが、ここでは黙っておく。
「ごめん、ありがとう」
そしてまた、二人して笑う。
二つ包まれていたサンドイッチは、あっという間にお腹の中に収納され、少し経ったところでお昼休みが終了した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よし!頑張りましょうか!」
リリアは授業が終わった後、昼食を食べた中庭に来ると鞄から魔法陣を描いた紙をベンチの上に置いた。
生徒会に行く前に、少し練習をしようと思ったのだ。リリアの場合、教室で練習しても何の問題もないのだが、一応、万が一、ということも考えて中庭を選んだ。
魔法陣に手を置いて、十分……二十分と、やはり何の変化もないまま時間は過ぎ、リリアが諦めた頃、じゃりっと音がして、中庭に人の気配がした。
はっと、音のした方を見ると、騎士団の団服を着た男がリリアに手を振りながら近付いて来る。
「はっ!ジム?!」
「よぉ、久しぶり」
リリアは思わず駆け寄った。ジムは二つ年上の幼馴染みだ。小さい頃から騎士に憧れ、一年前に見習い騎士として合格し、王都に出ていた。
「凄い!もう騎士になったんだね!」
「いや、恥ずかしいけどまだ研修生だよ。それより驚いたな。シェリア様は分かるけど、リリアが学園に通うなんてな」
最後に会ったジムは、もう少し身体が細かった気がするが、この一年で随分と逞しくなったとリリアは感じた。
「……頑張ってるんだね」
元々、兄のような存在だったジムが更に大人に見えて少し寂しくなる。
自分は何も変わらないな。
「ところで、こんなところに入って来ていいの?」
学園は関係者以外立ち入り禁止だったはずだ。
リリアが不安を口にすると、ジムは「ひひっ」と、笑って胸に提げた許可証を見せた。
「先輩がこの学園の警備をしているんだ。お願いしたら入れてくれた」
「そんなのがあるんだ」
「子爵からリリアたちの事を聞いてさ、シェリア様は問題ないだろうけど、リリアはなぁ?子爵から様子を見て手紙を寄越せって頼まれてさ」
「ぇえ〜?」
信用ないなぁ。と、唇を尖らせたが、思い当たることがままあり、ふいっと視線を逸らす。
「でも……本当に大丈夫か?」
不意に声を落としたジムがリリアの肩に手を置く。
ジムもリリアの魔力の事情を知っていた。というより、領地の人間は皆リリアの事情を知っていた。
「うん……まあ、それは、大丈夫だよ!」
あまり歯切れが悪くても心配しかさせない。リリアは笑顔でジムを見上げた。
「そう……か。まあ、無理すんなよ!別にどうしても学園を卒業しなくちゃいけないわけじゃないんだから!」
退学になって領地に帰ったって大丈夫だと、きっとジムは励ますつもりで言っている。
ああ、それは、そうですとも。勉学が目的ではないので……。
ジムがリリアの入学動機を知らないとはいえ、真剣に心配してくれていることに気不味くなり視線を泳がせてしまう。
ジムの様子も聞こうとしたら、関係者以外の立ち入りには時間制限があるらしく、「じゃあな!」と、言ってジムは颯爽と去って行った。どうやら本当に様子を見るだけに来てくれたらしい。
ジムを見送って、その姿が消えるとリリアは鞄に魔法陣を仕舞い込む。
試験が零点で、もしそれで退学になっちゃったとしたら、それはもうしょうがないよね。
マリウス様には私の存在を知ってもらう事も出来た訳だし。
本当は、もっと仲良くなりたかったんだけどな。
中庭からも貴族校舎には行ける。そう思って生徒会室に向かおうと石畳を歩き出したリリアの行く手を阻むように人影が立ちはだかった。
「ま……スティックマイヤー様?!」
平民校舎の中庭など、誰も来ないと思っていたリリアは、ジムに意識がいっていたこともあり、人がいることに全く気付いていなかった。
しかもそれがマリウスだとは。
「心配して来てみれば……男と逢瀬か。いい気なもんだな」
「え?」
なぜか侮蔑の視線を向けてくるマリウスに、何を言われているのか理解出来ずにリリアはその場に立ち尽くす。
「学校内では恋人に守ってもらえなくて残念だったな」
マリウスの言葉にリリアは愕然とした。
恋人……?
まさか、ジムの事を言っているの?!
違う。
違う!
違うっ!!
「あ、っの。ジムは違……」
弁解しようと口を開くが、心臓がばくばくと早鐘を打って、上手く言葉に出来ずはくはくと口を動かすだけになってしまう。
「私には関係はないことだが……忙しいなら、無理に生徒会に来ることもない。明日から試験期間になるしな。キリヤ様には言っておく」
マリウス様は侮蔑の視線をリリアに残し、踵を返すと貴族校舎に向かって歩いて行ってしまう。
リリアは追いかけたかったが、足がまるで地面に縫い付けられたように動けず、ぼやけて見えるマリウス様の後ろ姿を見つめていた。
―――――勘違いされたっ?!
私の恋愛事情なんて、マリウス様には関係ない。
それは、当然分かってる。
私だってマリウス様の恋人になりたいわけじゃない。勘違いを訂正する必要もないかもしれない。
マリウスの記憶にリリアの存在を残してもらうこと。それだけの為に学園にいる。
そして、その願いは叶ったと言える。
だけど、勘違いされているのは嫌だった。
マリウスが思い出すのは楽しい思い出としてリリアを思い出して欲しい。
与えられた仕事もせず、男遊びしているような人間だと思われたままは嫌だった。
……まあ、この分じゃ思い出すこともないだろうけど。
でも今日は無理だ。帰ろう。マリウス様を見たら、きっと私は余計な事を口走って泣いてしまう。
泣き顔より笑顔をマリウス様には覚えていて欲しい。
リリアは涙を拭うと寮に向かって歩き始めた。
試験期間は生徒会活動もお休みになる。マリウスに会えない期間だ。寂しくなるはずだったのに、リリアはこの時ほっとしていた。
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