事件
結局、キリヤに押し切られる形で生徒会役員になってしまったリリアは、放課後こっそりと貴族校舎の三階の生徒会室を目指して歩くのが日課となった。
自分に何が出来るのかさっぱり分からないが、いくら学園が貴族階級は関係なく平等だとはいえ、公爵令息の言は無視することは出来ない。自分が平民であればなおさら。
それに、彼の性格からすると、勝手にリリアの教室まで迎えに来そうで怖い。それなら、自分から行くしかない。
だが、行ってみるとお菓子をもらったり、エリザベスとお茶を飲んだり何だかんだで楽しかった。
仕事はあまり……だが。
去年までは第二王子が在籍していて、王子が生徒会長をしていた。なので、生徒会役員も王子の側近たちで固められていて、しかも全員同級生だった為、全員卒業してしまっている。今年の生徒会はゼロからのスタートと同じだった。
流石に多少の引き継ぎはされているのだが、取り敢えず去年までの資料の掘り起こしからだ。でないと予算が組めないのだという。
「王子が卒業したから、今年は警備はそこまでかからないかもね〜」
「えっ、それも生徒会がするんですか?」
そういう事は学園側がするものと思っていたが、組織を運営するということを学ぶ為の生徒会ということで、予算編成に組み込まれているのだとか。
「まあ、ね。それより、リリアこれ美味しいよ?」
「あ!本当だ!美味しい!」
事あるごとにキリヤは、クッキーだのチョコだのをリリアの口に入れてくる。美味しいから良いのだけど、これではまるで餌付けだ。
初めこそエリザベスの顔色を窺ったリリアだったが、意外にもエリザベスは自分に向けられていないキリヤの興味にほっとしている様にも見え、今では何の躊躇もなく口を開け、クッキーを放り込まれている。
「キリヤ様、彼女の気を逸らさせないで下さい。ああ!ほら!何でこんな簡単な計算で間違えられるんです?!」
しかし、マリウスは違った。
もぐもぐしながら、計算していたら間違えた。
簡単な計算なら習ったけど、数字が大きいとそれだけで混乱するのだ。もう少し算術を習っておけば良かったと思う。これではいっこうに良い印象を抱いてもらえない。
マリウスに睨まれ、どこが違ったんだと半泣きになっていると「ほら、ここですよ」と、しっかり教えてくれる。しまいにはリリアが使っている机にマリウスが椅子を持って来て付きっきりになることもある。
マリウスともの凄く顔が近くて、最初こそどきどきしたが、「聞いているのか?」と、凄まれた後は違う意味でどきどきした。
「ああ!分かりました。ありがとうございます!」
そしてお礼を言うと、更に不機嫌そうに顔を逸らされる。うーん。凄い嫌われてるんだな。と、少しへこむ。いや、かなりショックだ。
なのにそんなマリウスに「硬派で素敵」と、思えてしまうのは、アバタもエクボ状態。もはや病気だった。
なんのこれしき!マリウス様に笑顔で名前を呼んでもらえるまでは頑張るぞっ!
そんなこんなで、生徒会室に通うのは今日で一ヶ月になる。だから、リリアは油断していたのだ。もしかしたら、調子に乗っていたのかもしれない。
ぼーっと、階段の上を見ながら三階に向かう階段に足を乗せた時だった。
何者かが背後に近付く気配はした。だが、「え?」と、振り向こうとした時には時既に遅く、リリアの身体はふわっと何者かに持ち上げられ階下に向かって落とされた。
「はぇ?やっ、きゃあっ!!痛っ!」
あっという間の出来事に、咄嗟に何とか手摺りを掴んだが、着地が上手くできず足を挫いて手を離してしまい、ころころっと階段を転がり落ちた。
「痛ーっ……」
幸い転がっても勢いはなかったので、痛いのは挫いた足だけだ。仰向けに転がった体勢で二階を見上げるが、既にリリアを落とした者の姿は消えていた。
まぁ、階段から人を突き落としてのんびり眺めている人もいないわよね。
どう考えても故意に落としたとしか思えない。そして、原因として思い当たるのは、リリアが平民だということ。
下手したら死ぬのに。そんなに憎らしいわけ?
貴族って、やっぱり怖い。
何とか起き上がったが、思いの外しっかりと挫いてしまったらしい。挫いた右足が床に着くのも痛い。
痛みとは別に手も震えてくる。実際に階段にキスしそうになった時は「死ぬかも」と恐怖して、今も心臓がばくばくと鳴っている。
自立して立てないので左足に体重を乗せ、壁に肩を預けた。
「……どうしよう」
これでは、生徒会室にも学生寮にも行けない。助けを呼ぶにもここは貴族校舎だ。気付いてもらえても助けてはもらえない気がする。その前に怖い。
シェリアが通りかかってくれるのを待つか……。
「何してる?」
どうしようかと立ち尽くしていると、上から声がして、見上げればマリウスがリリアを見下ろしていた。
誰かに階段から落とされたとは言えず。物理的にも動けずに俯いているリリアを訝しく思ったのか、マリウスが階段を下りて近付いて来た。
「何をしているかと聞いている」
何をしているというか、何も出来ないのです。
どうにも動けないので、これはゆっくりと帰るしかない。眉を顰めるマリウス様に「今日は生徒会はお休みします」と、言えばマリウスに顔を覗き込まれた。
「何かあったのか?」
間近に青い瞳を感じて、どきっと胸が高鳴る。生徒会室にいる時とは少し違う。心配してくれていると勘違いしそうな雰囲気に、足も痛いが先程までとは異なる心臓のばくばくで胸も痛い。
「熱でも出たか?」
幸か不幸か赤くなった顔を発熱と取ったマリウスに思わず首を縦に振ってしまった。
「保健室は分かるか?」
リリアの事は嫌いなマリウスだが、嫌いな人間にも親切にしてくれるマリウスはやはり優しい人だとリリアはきゅんとする。
確かに保健室で治療を受けといた方が足首も腫れることはないだろう。と、思ったリリアは「分かります」と、何とか顔を上げて返事をした。
すると、やはりリリアのことは良く思っていないのか、マリウスに視線を逸らされた。くぅっと、思ったが仕方ない。
だが、リリアが「分かります」と、答えたにも拘らずマリウスはその場を離れようとしない。
「あの、生徒会室に行かなくていいのですか?」
「保健室まで送ろう」
何故かもの凄く不機嫌そうだ。送ってもらえるのは嬉しいが、嫌ならいいのですけれど。
いや、その前に保健室に送るということは、発熱ではなく足を挫いたのだとバレてしまう。リリアは無駄に嘘をついて余計に嫌われる要素を作ってしまったことを後悔した。
「いえ、一人で大丈夫ですので」
それに、もしマリウスと二人で保健室に行くところを貴族の誰かに見られでもしたら、間違いなく噂になるだろう。
「少しふらふらしているじゃないか」
だがしかし、優しく紳士なマリウスも引かない。心配されて嬉しくて仕方ないのだが、噂が立つのも嫌だし、何よりもリリアがついた嘘がバレてしまうのが嫌だった。
「ええ、でも意識はしっかりしてますので」
「意外と強情だな……「痛ぁっ!」」
動こうとしないリリアを促す為に軽く背中に触れたマリウスだったが、不意に上がったリリアの小さい悲鳴に驚き、慌てて手を離した。
先程は足の痛みでリリア自身も気付いていなかったが、背中も打ち付けていたらしい。押されて気が付いた。
マリウスに睨まれ、「階段から落ちました」と、小さく告白すれば、「はぁーっ」と、天に向かって息を吐くマリウスがいました。
ぅうっ。こんなことなら、最初から階段から落ちたって言えば良かった。
「そういうことは!早く言え!……ここは、痛くないか?」
「ひぇっ!」
マリウスが触れたのはリリアの腰。リリアは異性に触れられるなど父親くらいしか経験がなく、シェリアとは違う大きな手の感触に驚き、情けない声が出た。
「痛いのか?」
睨むマリウスに首を横に振って答えると、マリウス様は腰に手を添えたままもう片方の手でリリアの膝裏をすくい横抱きにした。
「ひ、ひぇえっ!あ……あの?」
「どうせ、歩けずに突っ立っていたのだろう?今は緊急事態だ。触れることは許せ」
リリアの了解は得ぬまま、マリウスはずんずん歩いて行く。
「でも、あの!こんなところを見られたら、今度は何をされるか……」
「……今度?」
少し立ち止まってリリアを睨んだが、先程より早歩きで再び歩き始めた。
「どうやってキリヤ様に取り入ったか知らないが、覚悟もせずにいたのか?ならば、もう大人しくしていろ!」
瞬間、リリアの視界が暗転した気がした。血の気が引いてくる。
そうか、そうだよね。マリウス様も噂は知っているのだもの。
だから、私を嫌っているのか。
そうだよね。何で、気付かなかったんだろう。
……卑しい平民。
噂はあくまで噂で。
マリウスは真実を知っていると勝手に思い込んでいたリリアに、マリウスの言葉はショックが大きかった。リリアにとっては、単純に「平民だから嫌われている」という方がよっぽどマシだ。
リリアの背中に腕が当たらないようにする為か、歩きながらほぼ縦抱きになっていたのだが、それでリリアは助かった。
マリウスの肩にリリアの顎を乗せているような状態で、泣いてる顔をマリウスに見られる心配がない。
それでも、マリウスのジャケットの肩を汚さないように、涙が乾くように目を見開いて、それでも溢れてくる涙は気付かれないように指で拭った。
ぅうっ。やっぱり生きるって……辛いのね。心臓が痛いわ。
リリアがもぞもぞと涙を拭いていても、マリウスには気付かれなかった。
無言のまま保健室までくると、マリウスは寝台にリリアを下ろし、「先生を呼んでくる」と、リリアから顔を逸したまま短く言って出て行ってしまった。
慌てて顔を拭いたが、程なくして部屋に入って来たのは保健の先生だけだった。
「まあ!大変!」
「えっ!嘘っ?!」
入ってくるなり先生に言われ、つられて自分の足を見ると右足首は拳くらいの大きさに腫れ上がっていた。
足を着かなければ痛みが無かったので、まさかこんなになっているとは思わず驚いておろおろしていると、「靭帯をのばしちゃったのね」と、優しく言われ、がっちりと足首を固定された。
「これで、歩くのは出来ると思うけど、無理はしない方が良いわ。癒やし魔法が使える人間がいないから、これで我慢してね」
癒やし魔法は希有だと聞くから仕方がない。歩けるようにしてもらっただけでもかなり有り難い。
その後で背中も診てもらったが、こちらは軽い打ち身だったのでほっとする。
シェリアと学生寮が同室だと伝えると、「じゃあ、迎えに来てもらいましょうか」と、先生がにこにこしながら出て行った。
ここでリリアは悩む。今回の事件をシェリアに言うべきか、言わざるべきか。
言ったら、有無を言わさず領地に連れ戻されそうな気もする。
うぅむ。と、ひとり唸っていると保健室のドアがノックされ、シェリアが顔を覗かせた。
「あ……早かったね」
どうしようか決めかねているうちに、シェリアが来てしまい、思わずうろうろと視線を泳がせてしまうが、気付けばシェリアに頭を抱きかかえられていた。その腕が震えている事に気付く。
「あ……シェリア?……ごめん」
シェリアは頭を横に振るだけで何も言わない。
これはきっと、リリアが説明しなくとも事件の事は伝わっているのだろう。と、リリアは理解した。
「怪我が治るまで、授業はお休みしなさい」
暫しの沈黙の後、シェリアが言った。リリアは頷くしかなかった。
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