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SS:紅玉

レビューお礼を兼ねて、本編に入れられなかったエピソードを書きました。

ありがとうございました。

「先生、それきれいだね」

 クルトは、シュルツの胸元に光る紅い石に感嘆の声を上げた。

 いつも黒一色のシュルツの中で、その石は息づくように輝いている。服以外のものを彼が身に着けているのを目にするのは、初めてだった。

 シュルツという人はものすごいお金持ちだというのに、暮らしぶりは他の人と変わらない。いや、下手すると、シュルツの方が質素なくらいかもしれない。


「ん? ああ、これか」

 シュルツは目を落とし、細い鎖で首から下げられた紅い石を手のひらの上にのせた。とたん、いつも鋭い彼の目が、ふっと柔らかくなる。クルトがここに来てから一年になるが、シュルツのそんな眼差しは見たことがなかった。

 シュルツは優しい眼で束の間見つめてから、宝物をしまうように、石を服の中へと落とし込んだ。

「大事なものなの?」

 もっと見せて欲しかったのにと思いながら問うたクルトに、シュルツは服の上から石があった辺りを押さえて頷く。

「そうだな。世界で一番大事なものだ」

 言葉だけでなく、声からも眼差しからもその想いが伝わってきて、クルトは少しびっくりする。シュルツは誰にでも親切なひとだけれども、それだけに、『特別』を感じたことがなかったのだ――この瞬間までは。


「ふうん。じゃあ、どっかに落としたりしちゃったときには言ってな? いっしょに探してあげるから」

 クルトは意気揚々と言った。

 シュルツは彼の恩人だ。親をなくして都の裏道にうずくまっていたクルトをこの村に連れてきてくれて、住むところをくれて、食事をくれて、学校にも入れてくれた。クルトはあまり頭が良くないから勉強で役に立つことはできないだろうけれども、身体を使うことは得意なのだ。探し物だったら、街中を走り回ってでも見つけてあげられるだろう。

 胸を張るクルトに、シュルツは口元を微かに緩ませた。

「そうだな。その時は頼む。これは、絶対に手放せないものだから」

 クルトは深々と頷く。


 シュルツとのこの約束は、絶対に忘れない。


 彼は、そう心に刻み込んだ。


   *


 シュルツ先生が旅立たれた。


 その訃報に街中が沈み込んでいる。

 いや、このロゼリアだけではない。国中にシュルツの死を悼む者がいるだろう。彼が成し遂げたことは、それほど大きなものなのだ。

 ロゼリア学園は単なる学び舎ではなく、併設された寮は孤児院も兼ねている。シュルツは、クルトのように身寄りがなく野垂れ死ぬしかないような子どもたちをたくさん救った。そういう施設を、国中に作ったのだ。

 子どもたちはそこで救われ、その子どもたちがまた、人を救う。

 シュルツが作り上げたものは、そういう、つながりだった。


 クルトは寝台に静かに横たわるシュルツを見つめる。

 我が身を顧みずに人々のために働いていた、シュルツ。

 シュルツは多くの人に幸せをもたらしてくれたが、彼自身はどうだったのだろう。

 贅沢をしようと思えばいくらでもできたのに、自身は爪に火を点すように日々を送り、金も時間も、全てを人のために費やした。

 皆から慕われていたのに、伸ばされる手を静かに拒み、何十年も孤独に暮らした。

 シュルツが傍に人を置いたのは、晩年の、ほんの数年の間だけだ。


 いつの間にか彼の傍に寄り添っていた、紅い少女。


 高齢で身体の自由も利きにくくなっていたこともあって、特にここ数年、シュルツは湖のほとりの自宅でほとんどの時間を過ごすようになっていた。あまり街に出てこられなくなったシュルツを訪ねたときにクルトを迎えてくれた少女は、きれいな紅い髪と紅い瞳をしていた。少女は喋れなかったけれども良く笑い、そんな彼女に注ぐシュルツの眼差しは、クルトにも、他の誰にも与えることができなかった安らぎに満ちていた。

 少女は、シュルツが手に入れた幸福そのものだったのだろう。


 叶うことなら、もっと、彼女と過ごす時間があってくれたら良かったのに。


 クルトは唇を噛み締める。

 と、そこで、彼はシュルツが亡くなっていることが発覚してから少女の姿を見ていないことに気づく。

 今朝、いつものようにシュルツに見てもらう書類を持ってクルトが訪れたときには、彼はもう冷たくなっていた。それから街に報せに行ったり葬儀の手配をしたりで、すっかり失念していたのだ。きっと、どこかで泣いているに違いない。


 少女は、シュルツの唯一の身内と言ってもいいだろう。

 シュルツがあれほど大事にしていた子なのだ。彼亡き後、皆で見守っていってやらなければ。


 探しに行こうと立ち上がり、踵を返したクルトのつま先に、カツンと何かが当たった。と、紅い煌めきが目の隅をよぎる。

「?」

 かがんで拾い上げたのは、小指の先ほどの大きさの紅い宝石だ。

 眉をひそめたクルトの脳裏に、ふと、子どもの頃の記憶が閃く。

「これは、シュルツさんの――」

 確か、とても大切にしていたもののはずだ。

 それが、どうして床に落ちていたのか。

 首をかしげながらも、クルトは寝台に取って返して胸の上で組ませたシュルツの手の中に紅玉を押し込んだ。

 あの時、彼は、これは絶対に手放せないものだと言っていたから、きっと一緒に持っていきたいと思うだろう。


 クルトは指の隙間で光る紅い石を見つめる。次いでシュルツの顔に眼を移すと、心なしか、さっきよりも和らいでいるように見えた。


「今まで、ありがとうございました」


 穏やかな寝顔にそう囁いて、今度こそクルトは、少女を探しに行くため、部屋を後にした。


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