理由
パウロが少年と子ども――シュルツとロゼを連れて向かったのは、湖のほとりにある小さな村だった。道すがら彼から聞かされた諸々の話から察するに、シュルツが暴れまわっていた辺りよりもかなり南の方のようだ。恐らく、彼のことを知る者はいないのだろう。
村に着くと、パウロは湖のすぐ傍にある家へと馬車を進めた。それが彼の住処なのだという。
パウロは微塵もためらうことなくシュルツたちを家に招き、当然のように食事を与えた。
「で、取り敢えず、うちの納屋にでも住むか? こっちは狭ぇからよ、さすがに三人と一匹で暮らすには無理があるんだよな」
パンとスープの夕食を終えると、パウロはシュルツに向けてそう言った。
促されるままに彼の家の中に入り、出されたままに食事を摂ったシュルツだったが。
「……え?」
思わず間抜けな声を返してしまった。
確かに、部屋の中は寝台が一つと食卓が入るくらいの広さしかない。パウロが言うように、シュルツやロゼが割り込む余地はないだろう。
だが問題はそこではない。パウロが、シュルツたちがここに残る――彼の世話になること前提で話をしていることが、理解できなかったのだ。
「オレはこの村で作られたもんをよそに売りに行くのが仕事でな、納屋はでけぇんだよ。造りもしっかりしてるしな。物を入れてんのは一階で、二階の方は空いてんだわ。子どもが二人で住む分には困らんだろ。お前らがこの村に居付くってんなら、追々、自分で家を建てたらいい」
パウロの言葉に、シュルツはどう返したらよいのか判らない。
黙ったままのシュルツの前で、パウロが立ち上がる。
「もう遅いしな。子どもは寝る時間だ。ついてきな。毛布なら売りもんのがあるからよ。布団は、明日藁をもらってきてやるから。今晩のところはちっとばかし硬くても辛抱してくれよ」
野宿で生きてきたシュルツだから、硬くない寝床など知らない。そもそも、家と言える代物の中で眠ったことさえ、ほとんどないのだ。
「何で……」
その一言が、思わず口を突いて出る。
「ん?」
振り返ったパウロが眉を上げた。
「何で、こんなことをするんだ?」
「こんなことって?」
「飯をくれたり、寝るところをくれたり……」
シュルツの問いに、パウロが怪訝そうな顔をする。
「何でって、そりゃ、お前らが子どもだからだろ」
「子ども?」
「ああ。お前は十五にもなってないだろ? 子どもだろうが」
「俺が子どもかどうかなんて関係ないだろ」
「あるさ。大人は子どもを守るもんだからな」
至極当然とばかりに答えたパウロはニカッと笑った。
「オレも子どもの頃は大人に守られてたんだよ。だから大人になれたんだ。今大人になってるやつは、皆そうなんだ。大人が子どもを守らなんだら、次の大人ができねぇんだよ。そしたら、この世が終わっちまうだろ?」
そう言って、パウロは手を伸ばしてロゼの頭をクシャクシャと撫でる。不意の動きにシュルツはとっさにロゼを引き寄せかけたが、警戒心の欠片も見せずに嬉しそうに笑った彼女に手を止める。
「俺があんたのこと襲ったらどうすんだよ」
思わず、そう訊いてしまう。
実際、それがシュルツの生業だったのだから。
睨むシュルツにパウロは束の間目を丸くし、次いで、微笑んだ。
「お前はその子を守ろうとしてるだろ?」
「え?」
「道端で会った時から、ずっとな。オレからも、こいつからも」
言いながら、パウロはポンと脇に寄り添うヴォルフの頭に手をのせた。
「お前がこの子をこんなごっつい奴からも守ろうとするから、オレもお前を助けてやりたいと思ったんだよ」
「そんな理由、か?」
「デカい理由だよ」
パウロはまた笑い、外への扉を開けた。
ヴォルフを従えて歩き出したパウロに、ロゼもついていく。シュルツが立ち止まっているのに気づくと、彼女はトトッと駆け寄ってきて彼の手を取った。そうして、にこりと笑う。
歩き出したロゼに引かれるようにして、シュルツもパウロの後を追った。
パウロは家の倍はありそうな納屋に二人を連れていくと、様々な品が積まれている棚から毛布を二枚引っ張り出してシュルツに差し出した。
「そこの階段から二階に上がれるから」
その言葉を残して、パウロは納屋を出て行く。
言われたように階段を上がると、雑然とした一階とは打って変わってガランと視界が開ける。明り取りの窓から、月の光が真っ直ぐに射し込んでいた。
シュルツは窓の下あたりの壁際に行って、腰を下ろす。と、いつものようにロゼも隣に丸くなった。
自分が毛布を持っていることをハタと思い出し、ロゼを包み込んでから自身もそれに包まった。
恐らく、村で飼われている羊から作られたものなのだろう。
シュルツは、鼻をそこに埋める。
温かく、柔らかい。
虫除けのハーブでも使っているのか、仄かに良い香りもした。
何だろう。
胸が苦しい。
それは、ロゼに笑顔を向けられた時と似た苦しさだった。
そのロゼがもぞもぞと動いていっそうシュルツにくっついてくる。
(俺が、こいつを守っている……?)
その自覚はなかった。
守ること、守られること。
解からない。
床に突いた手に、ロゼの柔らかな髪が触れている。
この子どもがシュルツに対してこんなにも無防備なのは、彼のために作られた存在だからなのだろうか。
自分が彼女に対して奇妙な感覚を覚え、不可解な行動を取ってしまうのは、『魂をつながれて』いるからなのだろうか。
――解からないことばかりだ。
シュルツは、紅の髪の中にそっと指を潜らせた。