罪
少年が犯した罪は、殺人だった。
彼は食べるために奪う。
物心つく前に独りとなった少年が知る生きるための手段は、それしかなかった。己以外の者は常に『敵』で、彼が何かを手に入れたと誰かに知られれば、必ずそれは奪われた。少年は、何かを得るとは誰かから奪うことだと、身を持って学んだ。
幼い頃はこそこそと人目を忍んで盗んだが、それでは効率が悪い。力で奪えるようになれば、ためらいなくそれを行使した。
面と向かって奪おうとすればもちろん抵抗され、それでもなお欲するならば、相手を上回る力を振るう必要がある。
敢えて殺す意図はなかったが、殺さぬよう配慮する気もない。
そうやって十年も過ぎれば、少年が殺した数は両手両足の指の数では足りなくなった。彼はいつしか悪辣な強奪者として知られ、恐れられるようになった。
少年は誰のことも信じず、常に独りだった。そもそも、『信じる』という概念を持たなかった。彼は年経るほどに他者を圧する力を身につけていったが、どれほど強くなろうとも、数を頼まれれば敵わない。
ついに少年は囚われて、裁きを受けることになったのだ。
両手両足を縛られ転がされた少年を、断罪の女神は睥睨した。
「お前は、何故裁かれるのか、理解しておるのか」
断罪の女神は黄金の髪、黄金の瞳を持ち、そして黄金の鐘を鳴らすかのような声を放つ。多くの咎人は、その威容に恐れおののく。
だが、少年は身をよじって起き上がり、女神の金の眼差しを平然と見返した。
「人を殺したからだ」
言い逃れる気などさらさらない回答に、女神は軽く首をかしげて少年を眺めやる。
「では何故、人を殺せば罪になる?」
「そんなの知るか。俺は殺した。だから俺は殺される。ただそれだけのことだ」
「幼いのう。人を殺すとはどういうことなのか、解かっておらぬのか」
「殺すことは殺すこと、それ以外にどんな意味がある。牛を殺して肉を食う。俺は人を殺して肉を買うための金をとる。どちらも食うためだ。グダグダ言わずにさっさと俺を殺せよ。それが罰なんだろう?」
ムッと眉をしかめた少年に、女神は目をすがめた。
「お前は己の罪を解かってはおらぬ。罪を理解しておらぬ者に罰を与えても意味がない。お前は、己が為したことの意味を知らねばならぬ。お前は、己が何を奪ったのかを、知らねばならぬ」
そう言うと、女神は自らの指先を傷付けた。そこから滴る紅い雫が宙に留まり、浮き上がる。女神がふぅと息を吹きかけると、それはクルクルと回り、やがて人の形を取った。紅い髪、紅い瞳の、五つか六つの年頃の少女の姿だ。黒髪に険のある黒目で狼を思わせる少年に対して、少女はふわふわの和毛に包まれた仔兎のようだった。
女神は少女の頭を一撫でする。そうして、パチリと指を鳴らした。と、少年は突如胸元に走った痛みに思わず声を上げる。
「いてッ! 何しやがった!?」
吠えた少年に女神は肩をすくめて答える。
「お前とコレの命をつなげた」
「はぁ?」
「お前の胸に、刻印を刻んだ。コレとお前をつなげる証だ」
言われて、少年は痛んだ場所を見下ろした。服の隙間から紅い紋様が覗いている。幾つもある傷跡とは違うそれは、まるで血で描かれた花のようだ。
「三年後にこれは死ぬ。その時までにお前がこれに情を抱けばつながりを切ろう」
「情?」
「そう。コレを慈しみ、かけがえのないものと想う気持ちだ」
女神の言葉に、少年は鼻を鳴らす。
「そんなの有り得ねぇよ」
「ならば、三年ののち、お前もコレと死ぬだけだ」
「は! もったい付けずに今すぐ殺せばいいだろ。どうせ死ぬことにゃ変わらねぇんだ」
嗤った少年を気にも留めず、女神は微笑んだ。
「三年後、お前がコレを愛せば死なずに済む」
そして、と女神は続ける。
「そして、もしもお前が己の犯した罪の重さを知り、その空虚な胸の内に悔いる気持ちが生まれたならば、救いを与えよう」
女神が再び指を鳴らすと、少年の手足の戒めが解ける。
「さあ、お行き」
その言葉は紅い少女に向けたものだ。少女はトトッと小走りで少年のもとに向かう。
少女が着く頃にはもう少年は立ち上がっていて、彼女は頭二つ分は低いところから彼を見上げた。目が合って、花が開いたようにふわりと笑う。
少年は、今まで誰かに笑顔を向けられたことがなかった。彼が他者から与えられてきたものは、暴力と怒声、あるいは怯えとおもねりだけだった。
初めて目にしたそれに、少年は丸太で殴られたかのようにたじろぐ。と、少女が顔を曇らせ、精一杯に両手を伸ばして彼の頬に触れた。小さく柔らかく、温かな手で、そっと。
その心地良い感触もまた、彼が初めて知るものだった。
少年は、肩を強張らせる。胸に、何か大きな塊が詰まったように苦しい。苦しいのに、どうしてか、不快ではない。
こんなひ弱げな、道端で見たら速攻で獲物にするであろう者に感じるコレは、いったい何なのか。
固まる少年の耳に、女神の小さな忍び笑いが聞こえたような気がした。