胸の痛み
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1つ目の村が見えてきた。私が住んでた村とほとんど変わらない大きさだ。それ故に、私の村のことが強烈に思い出されてならない。
『おい、白いの!本気で戦ってみろよ!ほら!』
『もうやめてよー!ハンナが必死すぎて笑い死にそうだわ!』
「ぎゃははは!!おい聞いたかハンナ!良かったな!お前でも殺せそうなやつがここにいたぜ!!」
「ハンナ、もしかしてあれが言ってた村かい?」
エリアスの優しい声が、あいつらから私を引き離してくれた。……もう、よそう。あの村は私の村じゃない。それに、いつまでもあの村でのことを引きずってて、どうしてオウトでやっていけるんだ。しっかりしろ、ハンナ・タイバー!
「うん、あれが一つ目の村だよ」
「……あ、人影が見える!」
これだけの人と出会うのも、記憶を失ってからは初めてだったんだろうな。すごくワクワクしているのが隣にいても分かる。
魔族は力ある者以外を受け入れない。だけど同時に、基本的に個人主義というか、自分の身は自分で守れる自信を持ってる人ばかりなので、よその村から来た魔族でも通り抜けるだけであれば邪魔したりはしない。むしろ、こそこそと村を避けて歩くほうが警戒させてしまって危ないので、突っ切るのが正解なんだ。
でもエリアスが弱いことが知られれば、当然弱者として扱われてしまうだろう。そうなれば、エリアスは私と同じ思いをすることになるかもしれない。
そんなこと、させてたまるか。エリアスは大事な……!……えっと、大事な、なんだろう?家族ではないし……?
「でも、やっぱり一人もいないんだな……」
「……ん?エリアス、なんか言った?」
「あ、ううん、なんでもないよ!さあ、行こうハンナ」
珍しく私の手を引いたエリアスが、村の中を真っ直ぐに歩き出した。やっぱり、誰も私達を止めようとはしない。よく見るとエリアスの手は冷たくて、少し震えている。怖いのだろうか。……でも、何に対して?
「おい、待てよ。そこの白いのと、羽なし」
もうすぐ向こう側の出口に出るところで、不意に後ろから声を掛けられた。一瞬アイツラじゃないかと思うくらい、悪意のこもった声。私は慣れてるので無視しようとしたのだが、エリアスの方が振り向いてしまった。そこにいたのは私より幼そうな、多分成人前の男の子だった。
「白いのって、彼女のことか?」
「他に誰がいるんだ。なあ、お前らなんでそんな変な姿なんだ?女の方は真っ白だし、男の方は翼も角も尻尾も無い。お前ら変だよ。本当に魔族かー?」
純粋な疑問のはずなのに、にやけた口の端がその印象を裏切っている。まだ子供なのに、自分とは違う存在に対する興味と敵意がすごく強い。……危険だ。こういう子は、疑問を確かめずにはいられない。
「おい、お前ら。魔法使ってみろよ。俺が魔族かどうか、確かめてやる」
やっぱり、そうなるんだね。アイツラと同じだ。多分、勝った時にはゲラゲラと笑いながら勝ち誇るんだろう。魔族の大半は独立独歩をよしとするが、こういう自分の力を誇示したい輩は、老若男女問わず少なからずいる。
相手は子供だけど、あくまで敵対するというのなら仕方ない。私が手に魔力を込めようとした、その時だった。
「取り消せ」
鋭い声が横から聞こえてきた。誰の声かと思ったら、あのエリアスの声だった。彼は今まで見せたことのない、険しい顔のまま、男の子に詰め寄っている。
「僕は確かに君の言うとおり、魔族らしくない。魔法の使い方も覚えていないし、腕力も弱いから君には勝てないだろう。でも、ハンナは違う」
「な、なんだよ、急に!?」
「あの子は雪のように儚く美しい肌と髪だけど、他の魔族と同じくらい強くて立派な魔族だ。危険な道中を、わざわざ僕を守りながら一緒に旅をしてくれる優しい娘だ。彼女を馬鹿にしたら僕が許さない」
彼は魔法が使えないはずなのに、その姿は威圧の魔法を使ったような迫力だった。彼は怒っていた。しかもそれは、私を馬鹿にしたことに対してだった。
自分が馬鹿にされたことにではなく、私のために、怒ってくれていた。
「うぅっ……!?べ、別にお前のことを白いって言ったわけじゃないだろ!?なんでお前が怒るんだよ!!気持ち悪いやつ!!もういいよ、あっちいけ!!弱っちいやつ!!」
男の子は村のどこかに向かって飛び去っていった。他の村人も一瞬だけエリアスの変貌に驚いていたけど、特に危害を加えてきたわけでもないからか、私達に向かってくることはなかった。どうやら、ひとまずの危機は去ったらしい。子供とはいえ、あの子が本気でエリアスに攻撃すれば、多分ひとたまりもない。
「行こう、ハンナ」
「……うん」
エリアスはまた私の手を取って、村の外へ出た。私は浮き上がることも忘れて歩き、手を引かれたままその背中をぼーっと見ていることしか出来ない。
彼の手がまた震えている。きっと足も震えている。エリアスが怖がってるのは、もしかして……?
「……えっと、私のために怒ってくれて、ありがとう。なんだか、ちょっと嬉しかった」
彼は黙ったまま首を横に振った。そして何故か彼は悔しそうに、あるいは悲しそうに謝ってきた。
「……ごめん、ハンナ。僕、あの物語を聞いてから、自分の事が少しわかってきたんだ。僕の事も、君達のことも……」
「エリアス……じゃあ、やっぱり?」
「気付いてた?うん、僕は……人間だ。魔族じゃ、ない。……だから、君達よりも力が弱いんだ。魔法の使い方は、まだ思い出せないけど……それでも魔族より強いかはわからない。……彼らの事を思い出してたから、怖くて、君の手を握らずにはいられなかったんだ」
それは、とても怖かっただろう。自分よりずっと強くて、しかも戦うのが好きな人達に囲まれながら歩くなんて、怖くないはずがない。
じゃあ、そんなに怖い中で、私のために怒ってくれたのか。魔法も力も無いのに、同じ魔族であるはずの、私の事を。
「どうして、怒ってくれたの……?私も魔族だよ?」
俯いた顔を上げた時には、いつものエリアスがいた。
「友達だから」
「トモダチって、なに?」
「ハンナのことが好きってことだよ」
心臓が痛いくらいドキドキする。握ってる手が汗ばんでるのがわかる。なんでなのかはわからない。トモダチって言われたことも、好きって言われたことも初めてだったから。
「わ、私も!エリアスのこと好き!すごく好き!魔族じゃないなんて関係ないよ!私だって魔族らしくないってよく言われるもん!だから、次は私が守ってあげるね!」
「……そっか!じゃあ、僕らはずっと友達でいようね!」
「うん!ずっとトモダチだよ!オウトに行っても、ずーっと!」
生まれてはじめてトモダチが出来たことが嬉しくて、嬉しすぎて、私は彼が人間であることをすっかり忘れてしまいそうだった。飛べなくても、弱くても、私よりずっと色んな事を知ってて、私の為に怒ってくれる彼のことが好きだった。
本当に、大好きだった。
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2つ目の村へ続く道を、また二人でおしゃべりしながら進んでいく。村での話。兄弟のこと。チョウリのこと。オウトに着いたら、何しよっかとか。
幸せな時間だった。お互いに必要としてて、お互いに尊重してて、お互いに好きで。それは私が村で欲しいと思っても手に入らないものだった。村の外で最初に出会った人が彼だったことに、幸福を感じずには居られない。
早くオウトに行きたいのに、ずっとこの時間が続いてほしいと思うなんて、私ってすごくワガママだったんだな。
「あ、海だ!」
「ほんとだ……!こんなに近くで見たの初めて!こんなにきれいだったっけ!」
「ハンナ!ちょっと寄って行こうよ!」
「あ!待ってよー!」
道沿いに海が見えた時は、二人して海に飛び込んで遊んだ。海は記憶を無くす前と変わらないと、エリアスが懐かしく笑う。弾ける海水がキラキラと光る中、それ以上に輝く彼の笑顔が本当に素敵だと思った。
記憶が戻った後も、絶対にずっとトモダチでいよう。トモダチよりもっと仲良くなろう。そんな思いで胸がいっぱいで、痛いくらいで、手がちょっと触れそうになるだけでドキドキした。
「うーん、ハンナ。金属の板とか、持ってないよね?」
「ふらいぱんってやつ?」
「ううん、金属ならなんでもいいや。ああ、金属ってのは、銀色で、冷たくて、硬いやつなんだ」
「キンゾク……あ、ちょっと待ってて!」
私は一気に上空へ上がって、近隣の廃墟を探した。板じゃないし、色も違うけど、似たものは見たことがある。
「……あった!」
私は廃墟の周りでそれを一個だけ取ると、エリアスの元へ大急ぎで戻った。
「これ!使えないかな!キンゾクじゃないかもしれないけど!」
「こ、これは……!銅兜じゃないか!こんなもの、どこにあったの!?」
「向こうに廃墟があって、私の村の近くにも似たような廃墟があったんだよ!たぶん、昔人間が使ってたんじゃないかな!……あっ」
言ってから、ちょっと不用意な言葉だったかなと思ったけど、それ以上にエリアスはブロンズヘルメット?っていうものに感動していた。
「ありがとう、ハンナ……!やっぱり君はすごい娘だ!これで塩が作れる!もっと美味しい調理ができるよ!やったやった!!」
彼はすごく嬉しかったのか、私の両手を持ってぴょんぴょんと跳ねた。それを見た私も嬉しくなっちゃって、釣られてぴょんぴょんと真似して跳ねてしまう。
彼はひとしきり喜んだ後、ブロンズヘルメット(ナベと名付けたらしい)に海水を入れて、火にかけた。海水がグツグツと音を立てて泡立つと、どんどん海水が減っていくので、またそこに海水を入れるという作業を繰り返している。
「何をやってるの?」
「塩を作ってるんだ。それを使うとお肉がすごく美味しくなるんだよ」
「ほんと!?じゃあ今すぐお肉獲ってくるね!」
「ありがとう!まだ少しかかるから、ゆっくりでいいよ!」
今までよりもっと美味しいお肉というご褒美があるなら、私も頑張れる。というより、ちょっと頑張りすぎて、兎を6匹も捕まえてしまった。う、うーん……余った分はホシニクにすれば、いいかな?
獲物を獲りすぎても、エリアスは私を絶対に怒らない。今日も私に「頑張ってくれてありがとう」と言ってくれた。もうありがとうと言われることに驚かないけど、嬉しい気持ちに慣れることはない。何度言われても嬉しい。認めてくれる事が凄く嬉しくて、体の奥がムズムズした。
私が獲物の毛皮を剥いで、一口大のお肉にする頃には、既にナベの底に白い物が張り付いていた。
「白い粉だ……これが、シオ?」
「うん、粗塩って言うんだ。……ん?え、もうお肉の準備できてるんだ!?流石ハンナだ!よし、早速作ろう!」
彼は出来たシオをなまのお肉に振りかけると、お肉ごと持っていた大きめの薬草で包み込んで、それを丸ごとナベに入れると、再び火にかけた。
「あれ?これで焼けるの?火が当たってないよ?」
「うん。薬草包み焼きってやつで、こうするだけで肉の臭みがとれるんだ。鍋代わりになる物が手に入って良かったよ」
そう言いながら、彼は余った大量の塩を2つに分けて薬草に包むと、1つを私に手渡してくれた。
「え、シオくれるの!?すごく大事なものなんじゃないの!?」
「うん、でもハンナなら使えると思う。持っててよ、きっとオウトでのご飯が美味しくなるから」
私はちょっと震える手で薬草の包みを受け取ると、感極まってその包みをギュッと胸で抱いた。海水を何度も泡立てたものに過ぎないはずなのに、エリアスが作ったというだけで宝物に思える。オウトでなにかを食べるときは、絶対にまずこれを使おうと誓った。
出来上がった薬草包み焼きは、今まで食べてきた中で一番美味しくて、本当にびっくりして飛び跳ねるほどだった。いや、間違いなく今の魔族が食べている中で一番美味しいものを食べていたんだと思う。ニコニコしながら食べるエリアスと、次は何の肉を食べようかと笑う私。旅が日に日に充実していくのを感じ、同じくらいこの旅を終わらせたくない気持ちが強くなっていく。
「お腹いっぱいだー!ハンナはどう?お腹いっぱいになった?」
「なったよ!今日もありがとう、エリアス!」
「何を言ってるんだよ、僕の方こそありがとうだよ」
「ううん、毎日色んなことを教えてくれてありがとう、エリアス!大好きだよ!」
胸の痛みが、強くなっていく。
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