王立図書館
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「確か、こうするとノミが居なくなる……はず」
夜も更けてきた頃、先程から彼は焚き火の煙をブルホーンの毛皮に当て続けている。イブス、というらしい。
「そろそろいいかな。ハンナ、これは君の分ね。寝る時はこれに包まろう」
「おお!こんなやり方もあるんだ!?」
彼が用意してくれた毛皮は、煙臭かったけどすごく温かかった。外で寝るならこれがあるのと無いのとで全然違う。村で使っていた物は妹や弟に使うからと、村からは持ち出させてもらえなかったので、こうやって包まれる毛皮を現地調達出来たのは大きい。そのまま使うとノミに食われて酷い目に合う。
彼は記憶喪失なのに、私よりもずっと色んな事を知っているみたいだ。もしかしたら、思ってたよりずっと早く記憶を取り戻してきてるのかもしれない。
「……ん?こんなやり方?てことはやっぱり別のやり方もあるの?」
「あるよ!毛皮に向けて即死魔法を放つんだ!そうするとノミとか毒虫が全部死んでポロポロ落ちるんだよ!」
「そ、それはまた、豪快というかなんというか……」
「便利だよ、即死魔法!獲物も傷つけずに殺せるし!川の水に当てれば何故かそのまま飲めるようになるんだ!けど、毛皮はこうやった方がいいかもしれないね」
即死魔法は高度な魔法なので、専門の魔族じゃないと上手く使えない。下手をすれば大事故に繋がるし、実際それで何人か死んでいる。以前、村でも詠唱に失敗した魔族が何人か巻き込んで死んだ事がある。
あの時は妹が一人巻き込まれたんだっけ。
『アルミナ!しっかりして!目を開けて!アルミナぁぁぁ!』
『おい弱虫ハンナ!泣いてないで、死体埋めるの手伝えよ!その死体もさっさと燃やして埋めろ!』
『し、死体って言うなッ!燃やすとはなんだッ!私の妹だよッ!!さっきまで生きて――』
『魔族が死んだ生きたでわざわざ喚くんじゃねぇ!さっさとそれを燃やせ!アンデッドになったらどうすんだ!このグズ!』
「……ハンナ、大丈夫?」
焚き火の火を見てたら、あの日のことを思い出しちゃった。そういえば、肉を焼くなんて死体を処理する時にしかやらなかったな。でも、お肉を食べる時は思い出さなかったのに……焚き火の暖かさのせいで、感傷的になってるのかもしれない。
「ん、平気だよ!それより、早く寝よ!交代で火を見張るんだよね!」
「そうだね。まずは僕が見張るから、ハンナは先に寝てていいよ」
「わかった!……うわ、この毛皮、本当に温かい……!エリアス、お先におやすみー……」
「うん、おやすみ、ハンナ」
妹が死んだ日に手に入れた毛皮より、この毛皮は小さくて薄いのに、ずっと温かい。本当に温かいはずなのに、妹を思い出したせいか、まるで寒気を感じたように体がブルブル震えてしまう。悲しくないはずなのにまた涙が出た。まるであの日の私のように。
最近の私は、村での私よりもっと弱くなった気がする。
私の肩に、温かいなにかが乗ったのを感じた。エリアスの手、なのかな。……エリアスの手は、毛布より温かいんだね。
あの時、もしエリアスがいてくれてたら、アルミナのために一緒に泣いてくれたのかな。それとも……。
「おはよう、ハンナ」
「おはよう!顔洗おっか!」
交代で火の番をしながらの野宿は無事に終わった。野宿なのにあの村にいた時よりもずっと深く眠れたのか、朝日がいつもより清々しい。いい気分のまま、私が水魔法で指から水を出しながら顔を洗ってると、エリアスが目をまんまるにして私を見ていた。
もしかして水魔法はまだ思い出せてない?あれ、それって水の確保もまともに出来ないってこと…?そういえば、昨日なにか飲んだところを見てない気がする。てことは、まさか……。
「……えっと、飲む?」
「それ飲めるの!?う、うん!実は喉がカラカラで!」
やっぱりそうだったんだ。言ってくれればいつでも……あ、水魔法のこと忘れてるんだったか……記憶喪失って大変なんだね。
「いいよ!はい、どうぞ」
「んむっ!?」
私は指をエリアスの口に突っ込んで、指先から優しく水を出してあげた。びっくりし過ぎたのか、エリアスの顔がどんどん真っ赤になっていく。うひ、指に舌が当たってちょっとくすぐったい。
しばらくすると、彼がもういいよと合図してくれたので、水を止めてから指を抜いた。
「ぷはっ!あ、ありがとう、ハンナ!……で、でも、その……」
うん?まだ顔が赤いね?
「なんか、そのやり方は、ちょっと恥ずかしい、かな……っ」
「そうなの?じゃあ、次はエリアスの両手の上に出してあげるね」
「う、うん!そうしよう!うん!その方がいいと思う!」
水が溢れちゃうから、ちょっともったいない気がするけどなぁ……でも、エリアスがそうしたいなら、そうしてあげよう。
洗顔を終えた私達は昨日の毛皮をマントみたいに背中に背負い、再び歩き出した。昨日のうちに食べ切れなかった肉の一部はイブスをしてからホシニクにして、残りは燃やしてから埋めてある。ちょっともったいないけど、そうしないと変な病気が流行ったりするから仕方無い。
あいつらが病気になるのはいいけど、親兄弟までは巻き込めない。
朝ご飯として昨日作ったホシニクってやつを齧りつつ、二人でおしゃべりしながらガタガタ道を進んでいく。のんびりと低い位置を浮かぶ私に対して、彼はおしゃべりしながらも地面に生えた草を眺めてる時があって、時々草を抜いては木の皮で作った紐で括り付け、持ち歩いていた。
「草むしりしてるの?」
「ううん、薬草を拾ってるんだよ」
「ヤクソウ……?焼くの?」
「え?ははっ!食べ物じゃないよ。これを傷口に貼ると、血がすぐ止まるんだ」
「すごいねソレ!治癒魔法みたい!でも、よくわかるね?」
「うん、なんか草を見てると色々思いだしてくるんだ。もしかしたら記憶を失う前は、冒険者を目指してたのかも知れない」
また知らない言葉だ。ボウケンシャ……て、なんだろう?昔話に似たような単語があった気がするけど、思い出せない。
「悪い勇者……魔王様……人間……うーんうーん?」
「どうしたの?」
「有名な昔話があって、どこかでそのボウケンシャっていうのが出てきた気がするんだけど……思い出せないんだよね」
彼はそれを聞くと、昨日みたいに……ううん、昨日よりもっと痛そうに、頭を抑えて顔をしかめた。きっと、またなにか大事なことを思い出したんだ。
「大丈夫?お水出そうか?」
「い、いや……大丈夫だよ、ハンナ。それより、その昔話のこと、僕にも教えてくれないかな」
小休止がてら、頭を抑えてつらそうな顔をしたままの彼と並んで座り、私が知ってる昔話を聞かせてあげた。それは私が好きな、だけど色々と謎や疑問も多い、悪い勇者と魔王様の物語。彼はすごく痛そうな顔をしてるのに、私が声を掛けると「大丈夫、続けて」と言って、耳を傾け続けた。
「ありがとう、ハンナ。おかげで色々と思い出せた……気がするよ。物語もね。もしかしたら王立図書館に行けば、もっと思い出せるかも知れない」
「オウリツトショカン?」
「王都には大きな図書館がある。あそこには三千万冊を超える本が貯蔵されてて、物語も百万冊以上置いてあるんだ」
ほ、本?万って何?聞いたことない言葉ばっかりなんだけど……!?
「えーっと……?それって、すごいの?」
「百歳になっても読み切れないくらいの物語がそこにあるんだよ」
おおー!!そ、それは宝の山だ!!流石はオウト!!
「そんなの最高だよ!早く行こう、エリアス!一緒にオウリツトショカンで物語をいっぱい読もうよ!絶対楽しいよ!」
「……っ!うん、そうだね……行こう、ハンナ」
私は自分の目が今までで一番キラキラしてることを自覚しながら、彼の手を取った。頭の中には、ホンと呼ばれる何かで囲まれて、幸せそうに笑っている自分とエリアスがいた。
その彼の顔が、ちょっとだけ暗くなってることに、この時は全く気付かなかった。もしこの時気付いてあげられてたら、もっと彼のために何かしてあげられたのかな。
呑気に笑っていた自分の無力さが、嫌になった。
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