記憶喪失の少年
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私はまだ両親への未練を残しつつ、それを強引に引き剥がしながら森を抜けるために歩きだした。旅立ちの第一歩を自分の足で……というのもあるけど、空を飛べば姿が見えている間ずっと嘲笑われそうで辛かった。
それでもあの連中以外に私を見送る人はいない。一人前になった以上、村から出ようが出まいが、本人の自由だからだ。ある意味、まだあんな奴らでも笑って見送ってもらえただけ、他の魔族よりはマシなのかもしれない。感謝など絶対にしないけども。
大きな森を抜けると、切り立った崖に出る。ここはこの辺りでは一番高い場所だ。……私がいつも、一人になるときに使う崖でもある。
「うーん、やっぱりここからじゃオウトは全然見えないな……」
オウト。それは魔王様が住まう魔王城に守護された都市だ。かつては人間の王国があったらしいが、人間がいなくなった今は魔族しか住んでいない。
優秀な魔族なら魔王城で働ける。優秀でなければ搾取される。どちらかだけが用意された、夢と絶望が同居する憧れの都。それがオウトだ。そんなオウトは、木が生えてない道の上を飛び進めれば辿り着けると聞いたことがある。まずはそれを信じて進むしかない。
そう、進むしかないんだ。しっかりしろ、ハンナ!
「よしっ!行こう!私の実力を魔王様に見せて、搾取する側に回ってやるんだ!」
私は自分を鼓舞するように叫ぶと、一気に崖から飛び降りた。そして十分に加速がついたところで翼を広げて滑空する。私の翼は大きくないけど、体も大きくないから誰よりも小回りが利いて自由に飛べる。やつらから逃げる……じゃない、距離を離すときも、私の翼は期待を裏切ったことがない。
一気にオウトまで飛んでいこうとスピードを上げたところで、ふと下で人の形をした何かが歩いているのが見えた。確かあの道はガタガタしていて、歩くのは大変だったはず。別に飛べるからって飛ばなくちゃいけないものではないが、あの道をわざわざ苦労して歩くのは不自然だ。
それに、よく見るとどこか様子がおかしい。
「……ん?角と翼が無い……肌も青くない?なんだろう、病気?……の割には元気だし?」
ノシノシと元気よく歩いているように見えて、どこか戸惑っているようにも見える。魔族らしく無視も出来るけど、私が知る魔族とあまりに違うその姿に興味がわいた。私は翼を折りたたんで、一気にその人型の何かの前に降り立つ。
「うわあっ!なんだ!?ひ、人!?」
見た感じ、私より少し歳上に見える男の子だ。男の子と言っても、私と同じでもう大人なんだろうけど。うーんやっぱり変な色の肌だ。白いというか……どちらかと言えば私の色に近い。
私の肌も、他の魔族と違って白い。ううん、肌だけじゃなくて、髪の毛も白い。いっそ目の色も赤じゃなければ、あいつらと違って良かったんだけども。まあ、それはともかく。
「女の子!?なんで角が生えてるの!?……え、なに!?」
やっぱり角が無いように見える。角が小さいのかな?……うーん、いや触ってみても頭は真ん丸だ。やっぱり角が無いんだ。あれ、よく見たら耳も尖ってなくて丸い。可愛い形してる。
「ちょ、くすぐったいって!ファ!?ちょ、ど、どこ触ってるの!?」
うーん、背中は……やっぱり翼がない。……あ、尻尾もない。
「もう!いい加減にしてよ!お尻から手を離して!」
「あ、ごめん」
……つい謝っちゃった。謝るなんて魔族として恥ずかしいことだっていつも教わってたのに。まあ、誰も見てないし、いいかな。
「君みたいな魔族は初めて見るから、つい確認しちゃったんだ」
「ま、魔族?魔族って、何?」
え、魔族を知らないの?そんなことってありえるのかな?だってこの世界には魔族しかいないのに。
それが顔に出てたのか、男の子は不安そうに俯いて呟いた。
「……そっか、きっと魔族って当たり前の存在なんだね。僕、色んな事が思い出せなくなってるんだ。実はさっき起きたばかりなんだけど、自分の名前と住んでた所以外は何も……記憶喪失ってやつかもしれない」
「記憶喪失……?思い出せないって、何?記憶がないのにどうして記憶喪失ってわかるの?」
「わかるよ。だって、お父さんとお母さんのことが、何も思い出せないから」
あまりの衝撃で目眩がした。魔族らしくない、弱いって奴らにいじめられてた私にも、お父さんとお母さんはいた。もう、独り立ちしたからお父さんでもお母さんでもなくなったけども、過去にいたことは覚えてる。忘れられるわけがない。でも彼には、その記憶がないんだ。
なんて寂しくて強い子なんだろう。私ならきっと、ずっと泣いてると思う。
「可哀想……お名前は?どこに住んでたの?」
「僕はエリアス。家族とは王都に住んでた……と思う。王都って言葉だけは、頭に残ってるんだ。だから、王都を探してて……」
オウトだって!?あそこに家族で住めてたなんて、きっとすごく優秀な魔族だったんだ!だってオウトは、優秀じゃなければ搾取されるだけなのだから!
「すごい偶然!私もオウトに向かって飛んでたんだ!いいよねーオウト!」
「そうなの!?」
私がオウトを知ってることに、男の子……エリアスはすごくびっくりしながらも、さっきよりも目をキラキラさせながら私に詰め寄ってきた。本当に、すごくきれいな目だ。私のと交換してほしい。
「じゃあ、王都の場所はわかる!?」
「さっき歩いてた方角に飛んで行けば、3つ村があって、そこを通り過ぎた先にあるよ!」
「そうなんだ!ありがとう!王都に着いたら、きっとお礼をするから!」
「うん!お互い頑張ろうね、エリアス君!」
私達はお互いに激励し、オウトへ向かう決意を新たにした。私は翼を広げて空に浮いて、彼が付いてくるのを待つ。だって記憶が無いなら、きっと迷っちゃうと思ったから。一方の彼は、足場が悪い中をまた歩き出している。
………え、身体強化もしないでまた歩くの!?
「ちょ、ちょっとまって!なんで飛ばないの!?」
「え、だって、翼がないから飛べないし……」
「じゃあ魔法は!?せめて脚を強化しないと、すごく時間かかるよ!?」
「まほうって何……?」
そうか!この子は記憶が無いから、魔法も使えないんだ!この森には魔法じゃないと倒せない魔獣がいっぱいいる。きっとこのまま行かせたら、この子は魔獣の餌になっちゃうだろう。
……そんなの、可哀想すぎる。せっかく今、生きてるのに死んじゃうなんて。
…………あああああ!もう!だから私は魔族らしくない弱虫って言われるのよ!ハンナ!
「〜〜っ、わかった!じゃあ私も一緒についてってあげる!」
「え!?で、でも悪いよ。君なら空を飛べば――」
「魔法じゃないと倒せない魔獣がいるの!魔法が使えないと死んじゃうのよ!?死んじゃってもいいの!?」
「死んじゃう!?」
記憶を失ってると言っても、言葉は使えてるし、死ぬってことはわかってるみたい。つまり完全に忘れたわけじゃないってことだから、生きてれば他の記憶も段々戻ってくるかもしれない。やっぱりまだ死んじゃだめな子だよ!
「死にたくないでしょ!?魔法が使えるようになるまではついていってあげるから!」
「……あ、ありがとう!それで、その……お名前は?」
そういえば、まだ教えてなかったかもしれない。名前なんて、決闘する時くらいしか他人に教えないから忘れてた。
「ハンナ!ハンナ・タイバー!よろしくね、エリアス!」
「うん!よろしく、ハンナ!」
こうして私は、オウトに向かう途中で一人の男の子を拾った。私と同じで独り立ちしてるはずなのに、家族が恋しくて、空も飛べない弱そうな男の子。それが私の第一印象だった。
それは長いようで短い、だけどすごく濃密な旅が始まった瞬間だった。
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