プロローグ 生前その二
外来で経過観察をしていた木内さんが入院になった。
木内さんも肺がん患者さんである。
経過観察のCT検査で腫瘍の増大が認められ、化学療法のために入院になったのだ。
肺がんは比較的末期になるまで患者さんは元気なことが多い。
木内さんも肝臓に転移が認められるが自覚症状は乏しく元気である。
それでも延命効果を期待して副作用を受け入れ化学療法を行うのだ。
この木内さんは言葉数の少ない70代の女性だ。
木内さん自身との信頼関係はできていると思う。
しかし問題なのは木内さんの娘さんである。
肺がんの告知の時のことが思い出される。
「気管支鏡検査の結果肺がんであることが確認されました。
CT検査にて肝臓への転移もありましたので、
手術での根治術は残念ながら適応にはなりません。」
「それでもここ数年化学療法の進歩がめざましいので、
病気をコントロールすることはだいぶ可能になってきています。
頑張って一緒に治療していきましょう。」
その後、詳しく化学療法の方法、スケジュール、副作用、期待される効果についてお話していく。
はじめての告知の場合、患者さんも家族も表情にあるのは困惑と動揺だ。
それまでに話の内容はよい内容ではないことはすでに外来で態度や言葉でなんとなく匂わせておくのだが、
やはりあらためて根治できないと言われてもそれをすんなり受容できるわけはなく、
どこかまだ他人事なのかきょとんと冷静に聞いてもらえることが多い。
しかし木内さんの娘さんの反応は違った。
そこにあるのは怒りであった。
話をしているうちにその表情はどんどんと険しくなり紅潮してくるのがわかる。
(まずいな……娘さんは難しそうな人だな。)
経験的に敏感に感じ取る。
(今日はあまりネガティブな話をしない方がよさそうだな。
小出しにして回数を重ねよう。)
そう思うのもつかの間
ダーン……
娘さんが勢いよく席を立ち、椅子が倒れる
「どうしてこんなになるまで診断できなかったんですか。
ミスとかがあったんじゃないですか?
手術できないとか言われても困ります。
化学療法って抗ガン剤ですよね。
抗がん剤で殺す気なんですよね。
そういうはなし私はよく知っています。」
それでもぼくは娘さんの主治医ではない。
木内さん自身患者さんの主治医である。
木内さんと信頼関係を築きながら、娘さんとの関係も破たんしないように
何回も話し合いを続けて今回の入院になった。
娘さんはまだ化学療法には反対である。
それでも木内さんは化学療法を希望しているのだ。
まだ診断してから半年、木内さんもまだまだ元気だ。
それでもだいたいこのタイミングで予期せぬ急変があることを
本人と家族に一度伝えておくことが多い。
しかし娘さんの反応を考えるとそれははばかられた。
(まぁ次の入院の時でもいいかな、
化学療法を行えるだけでも大きな前進だしな。)
枕元に置いてあったPHSの音で目が覚めた。時計を見る。
まだ夜中の三時である。
この時間の呼び出しがいい知らせなわけはない。
それに今は呼び出しを受けそうな不安定な患者さんもいなかったはずだ。電話に出るのが怖い。
「先生、木内さんが急変です。
いまは当直の先生が対応に当たってくれてます。
すぐに来てもらえますか?」
木内さんには申し訳ないがぼくがすぐに思い浮かべたのは娘さんの顔だ。
(厄介なことになるな。。。)
いっきに目が冴え、頭が働きだすと同時に、胃のあたりが重く痛み出す。
「わかりました、すぐいきます。
十五分ぐらいでいけると思いますと当直の先生にお伝えください。」
「それから家族への連絡は?」
「娘さんと連絡が取れています。
三十分ぐらいで来院されると思います。」
病室に入ると当直医が心臓マッサージを続けていた。
つまりすでに心肺停止状態ということだ。
看護師に状況を確認する。
零時の訪室時には普通に寝ていたようである。
しかし三時の回診時にはすでに心肺停止状態であったようだ。
それからすぐに蘇生措置が行われ今に至るようである。
蘇生措置の救命率は心肺停止状態になってから処置が開始されるまでの時間が重要である。
いったい発見時のどれだけ前から心肺停止していたのか、
おそらくそれなりの時間が経過していただろう。
そしてその後二十分近く処置が行われ続けても回復の兆しがない。
その時点でこのままお亡くなりになる可能性が高いことを把握した。
本来であればそろそろ心臓マッサージの中止を決断する時間である。
「先生、ありがとうございました、後は引きつぎます。」
当直医から心臓マッサージをかわる。
病室にいる二人の看護師に告げる
「状況は厳しいですが家族がもう少しでくると思うのでそれまで続けましょう。」
娘さんの難しさを共有している看護師たちはなにも言わずに従ってくれる。
もう救命できないとわかっている木内さんの胸を肋骨が骨折するほど圧迫してマッサージを続けるのは痛めつけるようで心が痛むが、
娘さんに救命措置をしている姿を見せることが重要だ。
その後しばらくして娘さんが訪室した。
経過を説明し、三十分以上心臓マッサージを行ったが反応はなく
これ以上は続けても意味がないことを説明し、
娘さんの了解を得て、死亡を宣告した。
娘さんは怖くなるほど静かであった。
そのあとすぐに娘さんを別室に通し経過を説明する。
ひととおりの経過を説明し、
肺がん以外の直接の死因に関しては不明であることをお話しする。
直感的には理解できないとは思いますが、
こういったことはあり得あることをご理解いただくしかありませんと丁寧に説明する。
死因の同定を希望する場合病理解剖を行うことも可能であることを説明した。
やはり娘さんの反応は乏しく解剖は希望されなかった。
予想していたヒステリックに娘さんの感情をぶつけられることを覚悟していたが、
肩透かしに会った気持だが、ほっとする気持ちの方が大きかった。
「それでは……」
と席を立とうとした時、
娘さんは膝の上に置いてあった鞄を思いっきりこちらに投げつけた。
それは予想以上な衝撃となり僕の胸に当たった。
「なに部屋から出ていこうとしてんだよ。
まだ話は終わってねーだろ」
「理由はわかりません、で納得するはずないだろ。
解剖だ?この上まだ母さんのことを傷つけようとするのか。
お前の治療にミスがあったに決まってるんだろーが。
隠しやがって」
「絶対許さないからな。
母さんを返しなさいよ。
母さんに謝りなさいよ。」
「きちんと説明するまで毎日ここに来ますから。
隠そうとしても絶対に許さないし、絶対に償わせますから!」
病気によって理不尽に命を奪われる患者や家族の
八つ当たりにも近い言葉や態度をぶつけられるのも医療従事者としての役目だと自負している。
さすがに時世柄、暴力行為にまで達した場合は我慢することはなくなってきたが、
言葉であれば冷静に対応することが多い。
言葉を受け入れ時間が解決してくれるのを待つしかない。
娘さんは未婚であり、父親はずいぶんと前に亡くなっている。
木内さんは娘さんにとっての唯一の家族であり、
この世で生きていくうえで唯一の支えだったのだ。
そういった家族背景は把握しており、
娘さんの母親への必要以上の依存心が対応のむずかしさにつながっていることはわかってはいた。
ただそれでも娘さんの怒りと怨嗟の声をぼくは受け入れることはできなかった。
患者が何人死んでも僕が死ぬわけではない。
ぼくには病院を一歩出れば病気とは関係ない日常が待っている。
だから医者になって数年もたてば
患者が亡くなっても感傷にひたることは少なくなってきていた。
それでも患者の死というのは澱のようにぼくの心に蓄積していく。
僕のせいじゃない、病気のせいでなくなったのだ。
それはわかっている。
それでも病気を宣告してから信頼関係をきずき
数年で患者さんを看取っていく行為を幾重と繰り返していくと、
そのたびに言葉にできない言いようのないものが心の奥に知らず知らずに蓄積していく。
すっきりと吐き出されないで、かすのように積りたまるもの『澱』。
それが何年もかけて千人の患者の死の分僕の心に蓄積してきていた。
それに自覚はなかった。
僕は大丈夫だと思っていた。
でも澱のように積もり積もった人の死は僕の心の中に間違いなく蓄積していき、
そしてあふれてしまった。
人の死とは現代でも穢れなのだ。
昔のようにはその影響は大きくないのかもしれない、
それでもそれが積もり積もればその穢れは呪いとなりその人を死に誘う。
ぼくは空が白み始めた頃、
小さな当直室の出っ張りにひもを括り付け、
その先にできた輪っかに首を通して椅子の上に立っていた。
どうしてそうなったのかは覚えてない。
衝動的な行動だったのだろう。
輪に顔を通したときふと我にかえった。
小さなきらめきが光になりそれが大きくなるように感じた。
夜が明けようとしている。
ぼくにもまた新しい日常が待っている。
でも次の瞬間目の前の光は奪われ漆黒の闇に置き換わってしまった。
ぼくは椅子から一歩前に飛び出してしまっていた。