プロローグ 生前その一
白衣の胸元に入れてあるPHSが鳴る。
医者はこの電話のコール音が嫌いだ。
スマートフォンが普通になり電話のコール音が変化してもそれは変わらない。
医者にとって電話のコール音は不幸の伝達であることが多いからだ。
「三〇一号室の中村さんのモニターがフラットになりました。来てください。」
中村さんは三年前から担当している肺がんの六十二歳の男性だ。
三年間の闘病生活のすえ、一か月前に息苦しさが強くなり、
おそらくもう退院はできないだろう最後の入院をしている。
中村さんには診断時から根治はできないことは伝えてある。
家族も同様である。
三年という時間をかけて今日という日が来るということをあきらめをもって受け入れることができた患者さんだ。
息苦しさを緩和するために数日前から鎮静剤で終日眠ったような状態であり、
昨日からもういつなくなってもおかしくない状態である。
この電話の内容は予想し待っていたものであり、驚きも焦りもない。
「わかりました、すぐ行きます。」
僕は即答し、病室に向かう。
ぼくは今年で三十六歳だ。
臨床医としては一番充実している年齢かもしれない。
体力は少し落ちてきているかもしれないが、
知識量と経験を蓄え臨床力はピークを迎えている実感がある。
二階にある医局を出て、階段で三階の病棟に向かう。
三〇一号室はナースステーションのすぐ隣の個室だ。
もう亡くなるのを待つばかりの患者さんや予断を許さない重症の患者さんが入る個室だ。
少し大きめで一人ぐらいなら家族も脇に泊まることも可能である。
部屋に入ると奥さんと娘さんがベッドサイドに寄り添っているのが目に入る。
最後の瞬間に大事な家族が立ち会える状況を作ることができてホッとする自分がいる。
もう何日も前からこの瞬間がいつ来てもおかしくない状態であったが、それでも二人の目は涙で腫れている。
六十二歳と早い死であるがこうして家族に悲しんでもらえる中村さんは幸せである。
死亡宣告のために中村さんの閉じた目を指で開き、
瞳孔反射がないことをペンライトを当てて確認する。
その目の色はすでに少し白濁している。
もう少し前から中村さんはすでに旅立っているのがわかる目の色だ。
確かにモニター上の心臓の電気信号が無くなったのはすぐ先ほどではあるが、
心臓が脳に必要な血流を送るポンプ機能を果たさなくなってからは結構時間がたっているのだろう。
次に心臓に聴診器を当てる。
たいていはこういう状況ならモニターが付けられている現代、
聴診器を当てなくても呼吸も心臓もすでに止まっていることは自明なのだが、
儀式として聴診器を当てる。
そして時間を確認して宣告する。
「十四時二十分、ご臨終です。」
僕は頭を下げる。
娘さんが声を出して泣きだすのが聞こえる。
僕にもう感慨はない。
何十回と繰り返してきた光景だ。
診断、治療にミスはなく、
中村さんにも家族にもこの瞬間を受容できるよう十分に働きかけることもできた。
十分な職責を果たしたが患者さんから感謝の言葉はない。
多くの患者さんがなくなる診療科を選択したのは自分だ。
少しの寂しさを感じながらぼくは死亡診断書をを書くためナースステーションに向かった。
僕の専門は呼吸器内科だ。
入院患者さんの半分は肺がん患者さんであり、のこりの半分が高齢者の肺炎だ。
肺がん患者さんは入退院を繰り返しながら数年でほぼ全員がお亡くなりになる。
根治できる症例は外科で手術を行うため、
内科で担当する患者さんは化学療法を行い延命を行いながらも何年か以内にほぼ全員がお亡くなりになる。
高齢者の肺炎患者の死亡率も高い。
肺炎がよくなっても肺炎をきっかけに体が弱って、食べられなくなったり動けなくなって、
後方施設への転院を調整している間にお亡くなりになる人が多い。
そのため呼吸器内科は一番患者さんを看取ることが多い診療科と言える。
僕も中村さんで九百九十九人目だ。
もうすっかり人の死というものには慣れた。
中村さんのように予期し準備できた死もあるが、
人間の死というのは必ずしも予想通りにはいかないことも多い。
予想外の時期に理由もわからずなくなることも少なくはない。
ただもうそういったことも何回も経験しており、そういった時でも僕自身に焦りはない。
しかし家族はそういうわけにはいかない。
常に家族には患者さんの最後はかならず順を追って少しずつ弱っていくわけではなくて、
普通に会話できている状態から急にお亡くなりになることもあり得ることをお話しするようにしている。
そうすることで万が一のことがあっても、家族からのクレームを交わすことが目的だ。
職責を十分果たし、最後に迎える結果は患者さんの死であり、
そこに感謝の言葉はなく、あるのは家族の涙のみ。
それにはもう十分慣れたし、それが自分の仕事だと受け入れている。
しかし最後に投げかけられるのが患者さんの死を受け入れられない家族からの
怨嗟と非難の怒号であることだけは避けたいというのは医療従事者ならだれもが思うことだろう。
しかしそれでもそういった経験というのは医者であるなら何回か経験することであり、
医者といえどもそれに耐えることができない時もある。