八 正体
魔鏡の驚愕の正体に、俺達は言葉を失い呆然としていた。
「付喪神って、そんな」
「少なくとも、妖怪や鬼の類ではないのは確か」
冗談じゃねぇぞ!俺達を恐怖のどん底に陥れている魔鏡が、実は神様だったなんて!
「どうして、あんな魔物になってしまったんだ?」
「話は少し長くなる」
鬼熊は、カバンから古い本を取り出して順を追って説明してくれた。
魔鏡は元々、京の都に住んでいたとある貴族がものすごく大事にした円形の鏡に魂が宿った、福をもたらす付喪神だった。最初はその家を災いから守っていき、子孫繫栄の為に尽力していた。
そうして長い間、その貴族の子孫を守っていた。
ところが、子孫の一人に盗みや殺し等の悪行を行う悪い人が現れた。最初は、その子孫に付き纏う悪の気を浄化しようとしていたが。
だが、あまりにも強すぎる悪の気にたくさん触れていくうちに、付喪神の魂はどんどん荒んでいき、やがて災いをもたらす危険な魔物へと変貌していったそうだ。
悪行を犯した子孫が一族によって打ち首に遭い、付喪神はその遺体を取り込んでみた所力が更に増していった事に気付いた。完全にその力に酔いしれた付喪神は、それを皮切りに悪の気の強い人間を狙うようになり、今まで守っていた一族をその手に掛けた後、更なる悪の感情を求めて東へ移動した。
そして、それによって生まれる恐怖で更に力が増すと知ると、今度は人間の恐怖をあおるようになった。これが、あの伝説の魔鏡が誕生した瞬間であった。
その為、他の魔物のように殺すことができない為、力を奪い封印するしかなかったのだという。
「そんなことがあったなんて‥‥‥」
「魔鏡も、ソイツの悪の気に惑わされなければ幸福をもたらす良い付喪神のままでいられただろうに」
いくつもの悪い条件が重なり、幸福を呼ぶ付喪神から災いを起こす魔物へと変貌してしまったのだな。
それから魔鏡は何百年もかけて東に移動し、今俺達が住んでいるこの地にやってきて、二十年もの間恐怖で支配し、住民を捕食していったのだ。
しかし、魔鏡の噂を聞き付けた鬼熊のご先祖様がこの地に駆け付け、ここまでの情報を入手した後にこの魔鏡を退治してくれた。
そして、魔鏡が二度と悪さをしないよう厳重に封印し、その時の恐怖を忘れないようにする為に神社を建てたのだそうだ。
ところが、時代が移り変わっていくうちに人々の魔鏡の恐怖は無くなっていき、何時しか作り話や伝染病の一種だったのではないかという結論が出てしまう程である。
「魔物伝説自体は、この町の住民なら誰もが知っているけど、確かに誰もそこまで重要視していないよな」
今の時代にそんな事を言っても、俺も含めてまともに耳を傾ける人なんていない。御伽話として聞かせる事はあっても、そこまで真剣に考える人はいない。科学で証明できない物なんてない、その驕りのツケがこんな形で出てくるなんて。
だが、鬼熊の口から更に恐ろしい事実が告げられた。
「更に付け加えると、千年前はあんな風に自分の空間を作って人間を捕まえる状態になるのに、およそ七年もかかったそうだ」
「「「なに?」」」
そういえば、あの時も「早すぎる」って言っていたな。あれはそういう意味だったのか。
「魔鏡の形態には四段階あって、最初は幻覚を見せて相手が混乱した所で捕まえる幻覚態。次に、相手を自分の作った空間に引き込んで捕まえる空間態。例のワームホールも、この形態になって初めて使える捕食方法なんだ」
俺達があの時見たあのワームホールが、四段階ある形態のうちの二番目の形態なのか。でも、その形態になるのに七年もかかったのに、事件が起こって僅か三日で。
「という事は‥‥‥」
「そう。本来なら七年もかかる空間態に、わずか二~三人食っただけでなった」
鬼熊の言葉が意味する事、それは同時にとても恐ろしい事を示している。
「それだけ、今の人間は悪の気がものすごく強いのね」
秋崎妹の言う通り、今のこの町の状態は最悪で、たった二~三人食っただけで二番目の空間態になったくりだから、この町の人達の悪の感情はかなり強いという事になる。最初に鬼熊が言っていたように、この町の住民は特に最悪だって言っていたくらいだから。
この形態でも十分に厄介だとのに、これよりもまだ上の形態があるというのかよ。
「ちなみに、空間態の上は何なんだ?」
浅沼の恐ろしい質問に、鬼熊は一息ついてから答えた。
「空間態の次は、寝ている相手を夢の中で襲い、魂だけを食ってしまう悪夢態だ。そうなると、もう鏡を通さなくても相手を簡単に食らってしまう」
「なっ!?」
「そんな」
「マジかよ!」
次の形態を聞いて、俺達は絶句してしまった。
悪夢態。相手をわざわざ自分が作り出した空間におびき寄せなくても、ただ寝ている相手の夢の中に入り込み、相手の魂のみを食らっていくなんて。
正確には、相手の意識の中に入り込んで徐々に魂を吸い取るのだそうだけど、より恐怖を味合わせる為に悪夢を見せるのだという。
「しかも、悪夢態の厄介な所は、何十人といる人間を一斉に襲うことが可能だという事と、夢の中じゃ私も手を出すことができないという事だ」
凄く恐ろしい形態だ!夢の中で襲われたら、鬼熊でも助け出すことができないのか。ますます厄介だ!しかも、まだ上があるというのか!
「その悪夢態を経て、最終にはおぞましい姿となる妖獣態へとなる」
「妖獣態?」
「見た目にも恐ろしく、これまで使ってきた能力を昼夜関係なく一気に出すことができる形態だ。この姿になると、手に負えなくなってしまう」
つまり、手遅れってことか。自分の作った空間に引き寄せる事も、寝ている相手を襲う事も何でも出来てしまう。最悪だ。
鬼熊のご先祖様が戦った時には、既にこと形態になっており、倒すのにかなり苦労したそうだ。
鬼熊が見せた本にも、その姿が描かれていた。血の様に真っ赤な身体をしていて、頭は毛のない狼の様な形をしていて、胴は人間の男性に似ていて腕はなく、背中には六本の触手が生えていて、下半身は蜘蛛という姿をしていた。
「化け物だな」
こんなのが街中に現れたら、この町に未来なんてないぞ。
しかも、わずか一日で空間態になったという事と考えると、最終形態の妖獣態になるのもかなり早くなるという事か!
「その妖獣態になったのは、悪夢態からおよそ二十年後だと推測されている。私の先祖が、この町に来る百年前だ」
「でも、鬼熊のご先祖様はその魔獣態に勝ったのだな!だったら、今回だって」
今回も何とかなると思っている浅沼だが、その顔は恐怖で怯えきっていた。
となると、さっきの言葉を訂正しよう。
何とかなると思っている、のではなく、何とかなると思いたいという表現が適切なのかもしれない。
「確かに、あの時私の先祖は倒すことができた。それでもかなり骨が折れたみたいだった。だが、今の人間の悪の気の強さを考えると、千年前よりももっと強くなっているかもしれないのだぞ。まだ半人前の私で、倒せるのかどうかは疑問だ」
「そんな‥‥‥」
力なくガタンと椅子に座り、項垂れてしまった浅沼。
鬼熊としても、根拠のない希望は持たせたくないという考えで言っただけかもしれないが、こういう時は何とかなると言って欲しいと思ってしまう。
「私としては、妖獣態になる前に魔鏡を見つけ出して、封印しなければならない」
「年内に、魔鏡が妖獣態になると思ってるのか?」
「それよりももっと早いかもしれない。この間の写メを見て、そう思った。早ければ、今年の八月頃にはなっている可能性が高い」
あと二ヶ月!?
容疑者は、全町民約八千人以上。その中から、たった一人の魔鏡の持ち主を探し出すなんて不可能だ。
「じゃあ、第三形態の悪夢態になるのも時間の問題ってことか?」
「もしくは、すでになっているか」
恐ろしいこと言うな!浅沼が、すっかり怯えているじゃないか!
もしなっていたのなら、夜安心して寝る事が出来ないじゃない!
「だったらよぉ、この町から出れば魔鏡に狙われなくなるってことは?」
「一時的に離れるのならまだしも、完全に出て行くとなると魔鏡だって放って置かない。逃げ出す前に捕まえて捕食してくる」
本当にキッパリ言うな、鬼熊。
「それに、放っておくとこの町に留まらず、日本中に広がってしまうのだぞ」
「日本中に!?」
「そこまで被害が拡大するの!?」
自体は思っていた以上に深刻であった。このまま放って置くと、この町に留まらず日本全国に被害が広がるというのか。
「ま、それ以前に魔鏡に町民全員の顔を把握されているから、逃げようとしているのが分かると、その前に必ず食らう。事実、逃げようとする奴等が皆食われているじゃん。一時的に町を出て、数日で戻ってくるのなら大丈夫だけど」
「そんな‥‥‥」
つまり、逃げられないってことか。仮に逃げようとしても、かえって魔鏡に狙われやすくなるのか。狙った獲物は、食べるまで絶対に逃がさないって訳か。
鬼熊は最後に、俺達の不安を軽減させることを言った。
「一応、妖獣態になった時の事も考えて、魔鏡の力を弱める物も手配してある。まだ届いてはいないが」
「本当か?」
「じゃあ、勝算があるのね」
「でも、それまでは被害を防ぎきれないし、私も出来る限り早く見つけられるようにする」
そうは言うけど、鬼熊的には出来れば妖獣態になる前に魔鏡を退治したいだろうな。
「そういえば、さっきも言っていたけど、鬼熊さんはまだ半人前なの?」
「確かに、あんなにすごい力を持っているのに」
魔鏡の触手を撃退して、秋崎妹と浅沼を助けてくれたり、魔鏡が作り出した空間を破壊したりとすごい力を持っている様にも見えるのだけど。
「転校した時、青森の学校から来たと言っていたけど、実際は京都出身で青森は修行場なの」
という事は、青森もここと同じ様に一時的に滞在しているという事か。
「修行中の身であっても、実戦に出ることは許されてはいる。だが、それでも当主である父の足元にも及ばない」
「じゃあさ、信用していない訳ではないけど、なんかあった時代わってもらう事ってあるのか?」
「この件は、私が引き受けた仕事。私一人の力では、本当にどうすることもできない場合じゃない限り、父の助けを借りることが許されていない」
「マジか」
だが、よほど信頼されていない限り、今回の事件を受け持たせてくれないだろう。半人前と言っても、相当な力を秘めているのは確かだし。
「聞きたいことはもうないか?」
「あぁ。サンキュウ」
「帰る前に一つ言っておく。この事は、誰にも言わないで欲しい。ここに来て余計な混乱は招きたくないから」
「分かった」
「私もそれでいいわ」
「まぁ、俺も実際に見るまでは半信半疑だったし」
全員、鬼熊の素性と魔鏡の事について誰にも話さない方針で納得した。素性が知られるとかえって混乱を招いてしまいかねないし、それ以前に話しても誰も信じてくれないだろうからな。
そんな訳で、聞きたい事を全て聞いた俺達は、それぞれの家に帰っていった。町民の(特に学生)、補導が厳しくなっているから早く帰らないと、あのクソ町長に余計な疑惑を掛けられかねないからな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ん?ここは、何処だ?」
寝間着を着た男性は、何の前触れもなく複数の白骨死体が転がった、荒れ果てた廃墟の真中にポツンと立っていた。男性自身も、何故こんな所にいるのかも分からないでいた。
「何で、俺はこんな所に?」
全く記憶にない上に、明らかに日本ではなかった。それ以前に、そこは地球上の何所かでもなかった。
「まるで、地獄だ‥‥‥」
男性が訳も分からず呆然としていると、何処からか足音が聞こえてきた。しかも、少しずつこっちに近づいてきているようであった。
男性は恐る恐る、足音がする方向を見た。
ところが、見た瞬間、男性の視界は真っ暗になりその直後真っ赤な世界が広がり、男性は何かに取り込まれてしまった。