第四話 フィエラ・アブ・ホーブルデン
「誰だお前」
この世界に来て幸運なことと言えば何故か言葉が通じることだった。この大陸にも様々な言語が存在しているようで、王国の南に位置するコルマンティヌ=ホルナッツブルク二重帝国内でも五つあるとされているが、その全てが朱挫と甲左にとって理解と使い分けが容易だった。そんな朱挫だったがこの時ばかりは口から日本語が出ていたようだ。
「何て言ったの?」
「あ、いや。なんでもない。故郷の言葉だ」
たいして興味が無いのか、馬車に座っている少女は馬車に乗ろうとする朱挫から目線を外した。美しい金色の髪の毛は綺麗に伸びており、紅玉の瞳もいくらか光を取り戻し朱挫は少女の可愛さに息を飲んでいた。確かに、ここの国の王女もそれは大層美人だったがこっちは幼さを十分に武器とした魅力を持っており、朱挫の好みの問題で言えばフィエラの方が圧倒的に好みだった。
「調子はどうだ。顔色は良さそうだけど」
「問題無い」
「そうか」
馬車で一週間と二日。そこにある町に朱挫とフィエラは向かう。この時、初めて王都を見られると若干興奮していた朱挫だったが何故か王族専用の地下通路から郊外に出され、そこから馬車に乗る形となった。そのため城壁から若干顔を覗かせている城の天辺しか見えないことに不満を覚えていたことなど、このような美少女との長旅に胸を膨らませすぐに忘れてしまった。
「シュザ、あの約束忘れてないよね」
「もちろんだ。まず就任に際してお前に挨拶をしてもらう。そこで俺を一時的に辺境伯の代理に任命してくれ」
「分かった」
外から「出発します」との声がかかり馬車は動き始める。
「じゃあ、知っておいて欲しい」
「あ? いきなりどうした」
「私の過去」
「……無理して言わなくて良いんだぞ」
「いいの。向こうに行けば住民も知ってるだろうし」
さも噂話を始めるかのようにゆっくりと、そして気持ちの篭らない声で喋り始めた。
冬の重い雪が何重にも降り積もり、領地の湖が凍ると住民はあまり外に出なくなる。そんな夜、一つの貴族に最悪が襲い掛かった。あまり広くない屋敷の中で悲鳴が広がった。フィエラは当時十二歳。最近やっと貴族としての自覚が芽生え、与えられた部屋で本を読んでいたときだった。恐らく母の悲鳴だろうと、慌てて両親の寝室に向かうとそこには受け入れられない光景が広がっていた。住民達にも愛され、善政を強いていた憧れの父が大量の血を流し動かなくなっていた。その周りには痩せこけ、目が異様な輝きを放っている男が三人。母は震えて地面に崩れ落ち動けなくなっていた。
「や、やったぞ。本当にやっちまったぞ」
「お、おい。逃げなくて良いのか?」
「いや。どうせ殺される。それなら少しくらい良い思いして誰も文句は無いだろ」
狂気とも言える理論を展開するその狂った人間の目は、今だ衰えを知らず年齢を重ねるごとに美しくなっていく母に向けられていた。十二歳でも男達の視線から目的を察するに時間はかからず、悲鳴を上げてしまった。
「お? こっちにも随分と上玉がいるじゃないか」
「お前……そんな小便臭いガキに興味があるのか?」
「うるせぇ。お前はババアで満足してろ」
「そうさせてもらう」
既に三人の内二人は肝が据わったのか、それぞれの目的の女性に近づき始める。
「お、お前達。やめておけ。そんなことをしてなんになる!」
「もしこいつらが生還して子供が生まれたら俺の子供が伯爵様になるかも知れないんだぞ? それにこんな綺麗な奥さんを毎晩抱いていたこいつにも腹が立つ。目の前で犯してやろうぜ。嫌ならどっかいってろ」
「……嫌だなんて言ってないだろ。俺にも奥さんを抱かせろ」
「そうこなくっちゃ!お前は俺の後な」
父は今だ息が若干あるのか震える手で男の足首を掴むも、すぐに払われてしまう。
「見てろって。目の前で大事な奥さんと娘を壊してやっからよ」
卑しい笑みを存分に浮かべる男達はズボンを脱ぎ始めた。
「私の記憶があるのはここまで」
最初に会ったとき、フィエラが遊ぶと表現していたのは、朱挫の最悪の予想通りのことではあったが心のどこかで、流石に無いだろう。そう否定していた。
「そうか……」
「二週間後、メイドをしていた女の両親が見に来て私達は発見された。お母様は自殺したの。私はお父様から受け継いだ使命があるから死ねなかった。何度もお母様は私に謝ってた。でもそれも最初の三日で後は一切喋らなくなったけど」
「もういい」
朱挫はまだ続けそうだったフィエラを強い声で止め右手で頭を抱えた。いくらこの少女を利用することに罪悪感を一切抱かない朱挫でも、その境遇に同情しないわけではなかった。
「首謀者は旧ダステティーン人貴族、だろうな」
「多分」
「復讐するか?」
「興味ない。もし殺されたいと私の前に現れたなら生皮を剥いで釘を刺し死ぬまで干すけど」
「めっちゃ復讐したいじゃん」
冗談なのか、冗談じゃないのか。冗談だとしてもタイミングの悪い言葉に朱挫は困り顔を浮かべていた。
「でも何もしてこないなら何もしない。その時間を住民のために使いたい」
達観してしまった。そうとるべきだろうか。朱挫は自分よりも既に大人の境地に達している十四歳を流し目で見てそう思う。
「唯一の後悔といえば処女じゃなくなったこと。夫を得るのに苦労する」
「はぁ……」
すでに自分の体を道具としてみている彼女に朱挫はあきれた表情を浮かべた。何より朱挫が救いようが無い。そう思ったのは悲劇による自己陶酔からの発言でなく、本当にそう思っている辺りがなんとも哀れだと感じていた。これ以上彼女の話を聞いても何も面白くないと考えた朱挫は軽い口調で話題を逸らす。
「故郷のことを聞かせてくれ」
フィエラは軽く頷いて隣に座る主挫を見ずに前を見た。
「人口はそれなりに多いけどその大半がダステティーンじゃない人。むしろダステティーン人は十パーセントもいない。山に囲まれた自然豊かな場所。食料は少なくないけど主要な産業といえば鉄鉱。まだ形になってるとは言えないみたいだけど」
「じゃあ他の人間は噂に聞く旧王国の?」
「そう。今はもう無いけどホーブルデン王国。あそこの地域はその三分の一にも満たない。いずれ魔王から奪還して王朝を再建させるのがお父様の意思」
「壮大だな。ダステティーン王国は了承してるのか?」
「してるわけない」
「前途多難だ」
朱挫のため息交じりの言葉にフィエラは頷いた。
「今度はあなたのことを聞かせて。どこから来たの?あまり見ない中途半端な肌の色だけど」
「そうだな。お前たちに比べれば色は濃いか。俺と親友は違う国からきた。遥か遠く、もう帰れるかも分からない島国。親友は態々この国を救うためにきた。俺はそのおまけ」
「随分と殊勝な人がいるのね」
恐らくフィエラなりの皮肉によるコミュニケーションだろうと思いつつ、全くその通りだと朱挫はため息を吐きながら頷く。
「全くだ。故郷の国土は八割が山で周囲は海に囲まれている島国だ。食料や資源の大半が輸入。人口は一億と二千万」
フィエラは少し興味を持ったのか朱挫の顔を見つめ目を少しだけいつもより開いた。
「凄い。島国で山に覆われるのに人口は一億って。想像もできない」
「狭すぎて苦労したよ」
そこから二人は互いの故郷の話で少し、盛り上がったとは言えないものの少しは距離を縮めていた。
この旅が三日目になる頃になると流石に二人も互いのことを理解してきた。朱挫から見たフィエラの印象は最悪だ。少女と呼べる年齢にありながら、全てを悟ってしまったと言いたげな目しかせず、表情が動くことも無い少女。自分の美しさを知っており、それを使う強かな少女。まさにこんな十四歳は見たくないといった物だった。
対してフィエラの彼の印象も最悪だった。これだけ同情を誘う話をすればある程度隙を見せる物だと考えていたが、一切見せない。それどころか不幸に付けいろうとする節もある。つまり、クズであると判断していた。
「シュザは貴族に向いてる。自信を持って」
「そうか? 俺はフィエラの方が向いていると思うが」
「いいえ。シュザは何でも利用できる。私には住民や父の死を利用できない」
「それは嫌味か?」
「褒めてるの。わかるでしょ」
朱挫は、フィエラの動かない表情から一体何を読み取れと。そう内心で呟いてから口を開く。
「なら余計嫌なんだが……」
朱挫の一面を見出すきっかけになったのは彼が考えたスピーチの原稿だった。フィエラは朱挫が前回の宿でしたためた原稿を取り出し、口を開く。
「フィエラ・アブ・ホーブルデンは亡き父の志を継ぎ、ホーブルデン人のための統治を行う。それは復讐ではなく、父の願いだったホーブルデン人の幸福と繁栄のために」
「文句無いだろ。初めてにしては」
「えぇ。あなたのような人間が父を語ることに腹を立てていることを除けば」
この一瞬である程度内容の要所だけをピックアップしたフィエラに朱挫は素直に舌を巻いた。また、朱挫はフィエラの口がいささか嫌みったらしい点を除けばある程度彼女との会話は気に入っていた。
「それと過剰にダステティーン人を刺激して何が目的なのか教えて」
「まずは領内の安定が先だ。形だけでも俺が領主となればどちらにも不満に思われる。陛下の代理人とやらが失敗した理由は、フィエラの父親を劣化で真似した点だ。前ホーブルデン辺境伯は両方に着いた。そして代理人はどちらにも着かなかった。なら九割の人口を占める彼らに寄り添うのは当然だ。刺激しているわけじゃない」
「ダステティーン人の恨みの矛先は私に向かうってわけね」
「そうだ。フィエラはいつまでもホーブルデン人の味方であって、俺は緩衝材になる。良い案だろ」
「クズ」
「冗談だ。実際は俺がこれを推し進める形になる。フィエラが緩衝材だ。基本的に憎まれ役は俺になる」
朱挫は地球でもそういった役回りが少ないわけじゃなかった。やはり男子からの怨嗟の視線は首相の息子でもある甲左には向かず、朱挫に向いた。だが、それでも朱挫がその約をやっていたのはそれ以上に甲左と一緒に居ることの恩恵がでかかったからだ。
「俺はフィエラが成長するまでの繋ぎだ。そこは約束通り弁えてるよ」
朱挫の言葉にフィエラは特に反応することも無かった。そんなこんなの会話をしていればすぐに日は過ぎて行き、領内に入る頃になってもお互いの印象は最悪のままこのタッグが領主として就任することとなった。
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