第十話 魔王軍侵攻 一
「絶対に反対。考え直して」
「ダメだ。俺の言ったとおり都市には三〇〇〇人も残ったぞ。奴らはどうする? 見捨てるか?」
朱挫の言葉にフィエラは悔しそうに首を横に振った。彼女がこうも感情を表に出すのは珍しいため、朱挫は内心で笑っていた。
なぜフィエラが怒っているかと言うと、朱挫は軍に対して「自分はこの街に残る」そう宣言した。朱挫は「この街から逃げられない者も居る。そいつらを残して逃げることは統治者として許されない」。そう言い放った。フィエラや内務局の人間はもちろん猛反対である。内務局の人間からすれば、実際は朱挫が動かしている組織なのだから、お前が居なければ動かない。そういう思惑からである。そして、朱挫にとって意外だったのは、常日頃から朱挫の死を願うスーザンも良い顔はしなかったことだ。これはフィエラが悲しむからと、彼女のブレない姿勢ゆえのものでもあったが。
「選択肢は二つ。誰も残らないか、俺かフィエラが残るかだ」
「なら私が」
「本気で言ってないよな? おいスーザン、お前からも言ってやれ」
フィエラの隣で忌々しそうに朱挫を見つめているスーザンだが、今回ばかりは流石の彼女も朱座に付かざるを得ない。
「陛下……フィエラ様、死ぬ役はこの阿呆に任せましょう。自ら死にたいとのたまうガキに優しさを振りまいては大陸の、いえ世界の損失です。フィエラ様が優しさを振りまくのはホーブルデン王家に仕える者です」
「お前は俺の悪口で詩集が作れるな」、「一応俺もそいつの家臣みたいなものなんだが」いつもならそんな軽口を出していた朱挫でも、流石に今の雰囲気でそれを言うほど空気の読めない人間ではない。
「安心しろ。軍のやつらにも言ってある。適当なタイミングで町を脱出する。言っておくがこの件はお前の承認は得ない。俺の独断で行われる。当主代理としての決断だ。口を挟むな」
フィエラは、この言でもし俺が死んでも責任を取るな。そう朱挫が言ってるのだと感じた。しかし、実際は違う。朱挫にとってはもちろんのこと死ぬつもりも無ければ、フィエラの責任を回避するための優しさなんかではない。目の前の健気な少女を裏切るような、そんな思惑が彼にはあった。
「アマン、お前はこれを大至急届けてくれ」
「……代理の命令で追ってはいますので、すぐにでも」
宛名を確認したアマンは、隣に控えていた部下に命じ、この手紙をすぐに届けるよう命令した。
「それでもよろしいのですか? 護衛ならこちらでも付けられますが」
「いらない。軍から一人だが、俺の面倒を見る奴をあてがうと言われた。この状況じゃあ隠れて俺を護衛も難しいだろう。二つ入念に調べてほしい」
「はっ。何でしょう」
「軍、それも上層部が奴をどう思っているか」
「奴とは、ドローコス中佐でしょうか?」
「そうだ。もう一つは宰相がこの件についてどう思っているか」
朱挫の言葉に、珍しくアマンの右眉がピクリと一瞬上がった。
「いささか難しいかと。それに広すぎます」
「……無理か?」
「流石に。ただ、やってはみます」
「頼む」
アマンも宰相の所へ密偵は何人か送っている。それでも、彼のホーブルデンに対する印象や、この侵攻に関しての個人的な所感を引き出すのは難しい。それでも、主が珍しく無理を通してとのことなら、やってみるだけの価値はあるのかとも感じていた。
「今回の件、俺の狙いが全て通ればホーブルデンだけじゃなく王国をも動かす可能性がある。もちろん、予想には俺の願望が含まれているだろうが……。その時、宰相がどう動くのか、その指針として彼の情報は必要なんだ」
「分かりました。それにしても、デア・イルナックが代理の提案を受け入れるとは。反発すると思いましたが」
アマンの言葉に朱挫は東の方角を向いた。恐らく、既に二〇キロはこの場所から離れているであろう、フィエラやスーザン、それに多くの難民を。
「流石に自分の主とその民を見捨てることはできない。それに、ここに居られても邪魔なだけだ。それは軍も一緒だろう」
「デア・イルナックの持つ部隊は騎兵が主ですから。市街戦や魔王領の森林地帯での遅滞戦闘は無理でしょう」
「そういうものなのか?」
朱挫は軍事に関して全くの素人だ。少し歴史が詳しいが、それでも趣味の領域を出ず、彼にとってみれば合戦は戦う前にある程度勝敗が決まっている。それゆえに、どう戦うかではなく、どうやって戦いに持っていくのか。朱挫が歴史から見たものはその辺りだった。
「はい。騎兵戦力はその機動力と衝撃によって強さを発揮します。障害物の多い森林地帯や市街地での戦闘では衝撃力がありません。私からすれば、騎馬を維持するほどの財力を持っているデア・イルナックの商売力のほうが高く評価できますよ」
「馬は金がかかるからな。いくつか用意しようとしたが……ありゃだめだ。維持費が高すぎる。俺の国では馬刺しはそんなに高くなかったんだがな……」
「大体の基準ではありませぬが、普通の騎士がもてる軍馬は多くても二〇ほどと思ってください。それを彼女は小さめの馬と言え四○○ほど有しています。敏腕傭兵とのことですが、調べます?」
化け物か。朱挫はその言葉を飲み込んでから首を横に振った。
「それだけスーザンが強かったんだろうよ。……だが旧ダステティーン王朝に連なる人物からの融資、なんてあったら最悪だ。暇な時に調べてくれ」
「はっ」
「さて、雑談もここまでだ。宰相と軍の件、くれぐれも頼んだぞ」
アマンは力強く頷き、その場を消えるように去って行った。いつもなら、誰かが廊下を慌しく走っているホーブルデン邸も物音一つしない。中央にあるホーブルデン邸は早くに放棄される予定になっている。軍としては東地区一体を防衛拠点としたいようだ。そのための準備も進んでいる。と言っても、遅滞戦闘に出た主力を除く工兵と、動ける若干の市民しかいないため、糧食の運び入れすら満足に行かない状況である。
「中佐より代理の護衛を任命されました。ロノティ中尉であります」
朱挫より五センチほど小さく、両手には黒い手袋をしている。赤味がかった茶色く長い髪の毛を後ろで一つに結んでいる。黒く大きめのツバ付き軍帽を被っているが、いわゆるケピ帽とは違い、どちらかといえば地球の近代で見られた軍帽に近かった。
「あぁ。頼む」
ロノティは大きく開いた群青に光る瞳を朱挫に向け、どこか幼さが未だに残るその容姿には似合わないしっかりとした敬礼をしている。
「一つ聞きたい。中尉は男なのか?」
ロノティは驚いた表情を浮かべたが、すぐに軍人らしい表情に戻す。しかし、それでも帽子のツバの下から僅かに見える彼女の深く青い瞳は、僅かに揺れていた。そして頬も僅かに紅潮している。
「……わかりますか?」
朱挫は大きいため息を吐いた。
「いや、何と言うか……。顔も格好も女性だし、声も女性だけどさ。なんか、こう雰囲気が。肩幅……も女性っぽいけど。それよりこの国の軍隊大丈夫なのか?」
動きやすいための配慮なのか、それとも別の思惑があってなのか。膝上の短いスカートと膝下の黒いブーツ。男にこんな格好をさせる上官は間違いなく変態だと朱挫は天を仰いだ。
「これで前線の士気が上がると言われたので」
「別に前線に出るのが男だけとは限らないだろ。この国なら」
優秀な魔法師は別に男性だけとは限らない。魔法技能は血とセンスが物を言う。と、朱挫は家庭教師に教わっていた。そのため、王国兵の三割、いや四割は女性だ。後方にも女性勤務は多いとはアマンの言である。
「魔法に優れている女性が私以上に容姿も優れているとは限らないので」
「そりゃそうだ」
それにしても、朱挫が一番首をかしげるのは、この格好を命令している変態の上官でもなければ、それを許している王国軍のでも軍紀でもない。“中尉”という士官をよこしてきたドローコス中佐に対してだった。
ロノティが疎まれ、そのための左遷なのか。他に理由があるのか。とにかく、朱挫にとってはあまり嬉しくない人選だった。その格好を受け入れてしまう人間性も多分に含んで。
感想お待ちしています。主人公が悪巧みを始めます。




