ラ・ブファのクレーター
マヤの神話と伝説
ラ・ブファのクレーター
アランカバルバ山の近くにあるラグーナ・オスクーラ(暗い沼)の周辺に残されている神秘的な神話はこのように語っています。
セルロ・アスール(青い岩山)の奥まったところに、黄金の大きな宮殿があったとその伝説は語っています。
そこに、ラグーナ・オスクーラの支配者が住んでおりました。
そこまで辿り着いた者は莫大な権力と富が授かり、部落の指導者となり、地域を支配することを助けるための無尽蔵の資力を持つであろうと云われておりました。
さらに、マヤの人々が想像しうるだけの比類ない美しさを持ち、美しい女性の典型とも言うべき女を妻にするとも云われておりました。
この女は地下の宮殿に住み、再び太陽の光を見るために地上に自分を連れていってくれる勇敢な若者を待っているのでした。
大勢の男たちがその富を求めました。
と同時に、大いなる情熱的な夢想を和らげてくれるその美しい女の愛も渇望しました。
マヤの人々は素晴らしい仕事を成し遂げます。
幾人かの人は地図を作りましたし、計算もし、黄金と貴重な石から造られているという宮殿の入り口を見つけるために、セルロ・アスールの縁まで続く大きな地下道も建設しました。
しかし、同じ道は辿れませんでした。
というのは、下降の形は取っていたものの、岩盤がとても堅かったが故に、様々な方向に向かう地下道を掘っていたからです。
時が経つと共に、幻想は失われていきました。
岩石はそれほど堅く、どんなに努力してもどこにも辿り着けないということが分かったからです。
当時、誰かがラグーナ・オスクーラの底で入口を発見したという話が流れました。
今でも、滅びた集落の古いモニュメントから成る遺跡で咽頭を覗かせている、セルロ・アスールの岩だらけの斜面の無数の地下道を見ることが出来ます。
にもかかわらず、この神話は年が過ぎても伝承保存されてきました。
スペイン人が支配した時代以降もラグーナ・オスクーラに身を投じた多くの若者がいたことが知られています。
小さな舟で彼らは実行しました。
空気を肺一杯に満たしてから、力一杯、沼の底目掛けて潜り、暗闇の地帯に行き着き、手探りで権力と富と愛に導くであろう神秘に満ちた扉を暗闇の中で探すのでした。
大多数の者は水面に戻ってきて、沼の密生した底での冒険を幻想的に語ったと云われています。
しかし、より強く執拗であった者は戻ってきませんでした。
おそらくは、死の罠となる岩の裂け目か密生した植物に手か足を取られ、溺れ死んだと思われます。
このような悲劇が次々と起こり、付近の部落の住民はこんなふうには考えなくなりました。
つまり、彼らは饗宴を受けてもてなされている、とは考えなくなったのです。
「カネック、ウリル、チャルメックとウルブは沼のまさにその入口に繋がる正しい道を発見した。今では、彼らは金持ちになり、権力者となっている。当然受けるべきであろう大いなる価値を示すような栄誉を勝ち取ったのである。決して、死んだとは思ってはならない。そうだ、彼らは死んでなんかいないのだ」
神官やその地域の人々は人の命が、なかんずく若く強い身体を持った若者の命が無駄に消えていくことを警戒しました。
そこで、集まりを持って、今後ラグーナ・オスクーラへの潜水を禁じることとしました。
そのために、様々な罰をもうけ、沼の監視をホルハン・オステュマというマヤの族長に委任しました。
この目的のため、丘の頂に監視所を作り、沼全体の監視が出来るようにしました。
その年から、奇妙なことが続きました。
沼の水が午後になると激しく揺れ動いたのです。
巨大な波が揺れ動き、恐ろしい大きな音が聞こえてきました。
それはまるで、沼の底が巨大な震動に身を委ねているかのようでした。
人々は、人間という生贄が無くなって、沼の神が怒っているのだと言い始めました。
このようにして、チキラのエル・ユン(魔術師)の登場となった次第です。
「若者の希望を抹殺してはいけない。彼らの幻想に任せよ。より良い世界を見つけ出そうとする彼らの行いを妨げてはいけない。水から出てきた者たちは他の者たちに勝利のための戦いに出るという意志を燃え立たせる者たちだ。帰らない者たちは他の者が出来ないことに到達するためのその戦いに駆り立てる勇気と動機を増進させているのだ。そのような理想と戦いの精神があるという条件で、マヤ民族の偉大さは無敵のものになるのだ」
翌年、災厄と混沌を告げて鼻息荒く発散し始めている沼の神に捧げ物をして怒りを鎮めるために、ラグーナ・オスクーラに向けて行進する行列がありました。
沼の警備についているホルカンは黒曜石の斧を握って監視所の高みから監視していました。
突然、その湖沼から轟音が轟き渡りました。
その轟音はその地域一帯に響き渡ったのです。
大異変が始まったのです。
クレーターの開口部からは燃える炎と煙の柱が上がり、家々を倒壊させ、強い突風が木々をなぎ倒しました。
全てが過ぎ去り、最後の爆発音のこだまが消えていった頃、人々は何が起こったのかを知るために、沼に行きました。
ホルカンが居た監視所はもはやありませんでした。
その場所には激しく蒸気の柱を噴き出しているクレーターが出現しておりました。
ラ・ブファのクレーターはこの悲劇が起こることにより誕生したのです。
現在も未だ、解決されずにおります。
それは新鮮な水が湧き出る小さな井戸のふりをしています。
が、しかし、激怒して反駁する人の声の震えを聴いたりすると、あたかも高温を与えられたかのように、薄気味悪い音と共に沸騰し始めるのです。
同時に、怒りに満ちた悪魔の感情の激発のような強い唸り声も聴こえてくるのです。
それ故に、その場所はラ・ブファとして知られるようになりました。
ラグーナ・オスクーラの周辺にはマヤの部落があったという古い証拠となる印があります。
アランカバルバ山に住んでいる人々はこの物語を恐怖の色を浮かべて話し、彼らが言うところによれば、悪い前兆ということで、その地域には近寄らないようにしているということです。
1968年に大きな地震がコパン地域で起こったという記録があります。
後になって、それらの災厄はこのラグーナの地下が震源地であったことが判明し、この地域では新たな恐怖を引き起こしています。
- 完 -