第6話
第六章 誰も彼も
やーばい。寝すぎた。春眠は暁を覚えないから仕方ないよね。
時刻は10時前。もう多少急いだところで何も変わらない気がする。そのことについては母も納得し、優雅に朝食をいただくことにした。そこは急がせなくてもいいんですかねお母さん。
「あんた最近明るくなったわね。学校は楽しいの?」
お、ばれちゃったかー。幸せ、滲み出ちゃったかー。
「うん。最近、友達が出来たんだ。今度、家に呼んでもいいかな。」
「え?ホントに!男の子?女の子?いつ呼ぶ?今日呼ぶ?」
なんだよ。すごい勢いだな。そんな心配かけちゃってたのか。
「あ、一応両方できたよ。男の子は先輩で、女の子は同じクラスの子ですごくかわいいよ。」
「あんた今日学校休みなさい。その話詳しく。」
そんなにか。ごめんねお母さん、お父さん。
「いや、さすがにそれはダメでしょ。帰ったら話すからちょっと待っててよ。」
「わかったわ。すぐ帰ってきなさいよ。今夜はパーティーよ。」
お母さんテンション高ッ。でもなんだか楽しそうだな。嬉しいな。
「う、うん。分かった。じゃあいってくるねー。」
「いってらっしゃい。」
母の声はいつもよりもやさしい感じに聞こえた。なんだか久しぶりだなこんな感じ。母からはっきりと形の見えるような愛情を受け取り、私も嬉しくなった。
こんな時間に登校するのは少し緊張するな。教室に入ると注目されるよな。寄り道して午後から教室に向かうとするか。そういえば最近啓のところに行ってないな。寂しがってるかも知れないしそろそろ構ってやるか。まぁ今日は早く帰らないとお母さんに怒られちゃうし明日にでも川原に行くか。
クラスに友達が出来てから私はあまり啓のところに行くことがなくなった。今も十分楽しいのだが、さつきちゃんといる時間と啓といる時間は同じ楽しい時間でも似て非なるものだった。私にとってはどちらも大切なのだが。
どこで時間をつぶそうかとぶらぶらしていると駅やバス停から離れた場所なのに制服を着た男子生徒が少し先の十字路を横切ったのが見えた。そっちは学校とは逆側だ。見間違いでなければそれは私の良く知る人だった。こんな時間に何してんだろう。ちょっと尾行してみるか。
彼の迷いの無い足取りから、目的地があることが伺えた。住宅地を抜け、学校からどんどん離れて行く。もう自分の現在地が分からなくなっていた私は戻るに戻れないので彼の目的地まで付き合うことにした。知らない場所を歩くというのは存外不安なのだと初めて知った。カラスの鳴き声すらも不安を増す材料という認識に変わるほどにあらゆるものから恐怖という部分だけを敏感にキャッチしてしまっている。今日はもう学校行かずに帰ろう。そうしよう。お母さんも休めって言ってたくらいだし怒らないだろう。そんなことを考えていると目的地にたどり着いたようで、鳥居をくぐり奥の方へと行ってしまった。どうやらこの神社がそうらしい。慌てて追いかけると彼は大きめの石の置物に腰をかけ、ポケットから何かを取り出した。それを見た瞬間私は飛び出していた。
「ダメだよ先輩。タバコなんて。私が構ってあげるからもう吸わないで。」
「えっとー。これチョコレートのお菓子なんだけど。」
ちょっとそんなベタな落ちあります?それこの前うちの妹もかっこつけてくわえてたやつだわ。でもよかった。ほっとしたよ。
「なんだよビックリさせないでよー。不良になったのかと思ったー。」
そういって隣に座ると居心地悪そうに彼は少し距離を取ってきた。あれ、ずっと川原に顔出さなかったから拗ねてるのかな。
「髪、少し伸びたね。」
「あ、あのさ。勘違いしてない。」
「え。」
あれ。友達にはなれたと思ってたけどそれは私だけだったのかな。勘違いすんな、馴れなれしいんだよってことかな。
一瞬で最悪のパターンがなん通りもシミュレーションされた。ダメだ。もう詰んでる。
これはちょっと、立ち直れないパターンのやつかもしれない。朝のお母さんとの会話はなんだったのだろうか。フラグか!これが死亡フラグってやつか。まだ立てて1時間くらいしか経ってないんじゃないのかこれ。ありえんのこんなの。あぁ、なんだか吐きそうだ。うまく呼吸が出来ない。意識が遠のいていく。あ、もうダメだ。
私は人生2度目の気絶をした。意識を失う直前まで何かを言われていたがまったく耳に入ってこなかった。彼の必死な形相とパクウパクと動く口が脳裏に焼きついていた。
バシッ。バシッ。と一定のリズムでなんだか懐かしい音がする。
そうだ。たしか私は啓の後を追って神社に来て・・・。あー、思い出すと涙が出てきた。とりあえずここはどこだろう。起き上がると声を掛けられた。
「あ、目が覚めたみたいだ。」
「お前が近づくとまた気絶するんじゃないかー。」
知らない大人が増えてる。ど、どゆこと。状況が飲み込めない私はきょろきょろと辺りを見て自分の置かれた状況を必死に理解しようとした。
「あんたさあ。俺のこと兄貴と勘違いしてるでしょ。」
「へ?」
「俺は啓兄じゃなくて礼。あんたは俺を兄貴だと思ってついて来ちゃったんだろ。兄貴も隅に置けないなあ。」
「啓じゃないの?弟さん?」
「そうだよ。なになに、名前で呼び合う間柄なのー。」
ニヤニヤと私の顔を見てくる弟さん。この兄弟は二人ともけっこういい性格してるな。人をおちょくるのが好きなんだろうな。まぁ私もそれは好きだけど。でもホントに良く似てるな。背丈や声まで似ている。違うと言われてからだと違いがはっきりするがこんな似てる弟がいるなんて夢にも思わないから疑いもしなかったな。
「これは先輩がそう呼べって言うからなの。ていうかそのおじさん誰。」
私はずっと気になっていた新キャラに言及した。ホントに誰なのこの人。
「おじさんとは酷いなー。俺まだ20代なんだよ。傷つくなー。」
「まあまあ。この人はこの神社の住職だよ。名波さんっていうんだ。」
あぁ、神社の人なのか。って色々おかしいでしょ。
「何で住職がジャージ着てキャッチボールしてるんですかね。」
「ん?教えて欲しい?それは少し前のことでした。」
なんか長くなりそうだなと思ったら、話は弟君により制止されてしまった。
「ちょっと待って。俺のプライバシーにかかわることだからやめてよ。」
「いいじゃんかー。俺はかっこいいと思うよ。結果はどうあれ別に俺はお前が間違ったことをしたとは思わないし、むしろ良くやったと思うぞ。」
「良い悪いとかの話をしてるんじゃなくてさ、思い出したくも無いんだよね俺はさ。」
ん。ちょっと待てよ。話の流れ的にこれは・・・。
「もしかして先輩のために暴れた暴力少年ってあなたなの?」
「なんだーばれてんじゃん。じゃあせっかくだから全部教えてあげよう。」
「帰る。話すのは勝手だけど自分の昔話なんて聞きたくない。惨めになるんだよ。」
そういって彼は去っていった。先ほどまでとは顔つきが変わっていた。少し恐かった。しかし私は事の全貌が知りたくて彼のことはお構い無しに住職に話の続きをせがんだ。
話はこうだった。
その日の対戦相手には地域のチームで啓とバッテリーを組んでいた捕手がいたそうだ。その子から対戦相手には啓の投球時の癖やモーションについて攻略方法が教えられていたそうだ。対戦相手を偵察したり試合の映像で研究したり、どんなスポーツでも事前に相手を知ることは特に問題ではない。そうした上で相手をねじ伏せるために皆練習を重ねているのだ。
しかし啓は相手に完全攻略されてしまった。啓は自分たちの攻撃になった際にベンチで泣きながら自分の無力さを謝ったそうだ。何とか投手に援護の一本をとチームは熱量を上げた。それが裏目に出たのか、バッターボックスで捕手が小さな声で呟く煽り(啓への侮辱)をチームメイトたちは流せず、力み、三振という結果だけが蓄積した。さらに運が悪いことにその投手のことを誰よりも慕う人間が今年からは同じ学校で一緒にプレーをしていた。彼はこの日も兄を、チームを鼓舞しようとバッターボックスに立っていた。
「この先は火を見るより明らかだよね。最終的には暴力事件として地域に広まっちゃってね。それからアイツ部活も辞めさせられて地域のチームにも入れないみたいでさ。そうなってからはお小遣いが入るとそれを全部この神社の賽銭箱にぶち込んで必死になにかお願いするようになってたのよ。アイツお小遣いを毎週月曜に千円もらえるらしくてさ。俺も最初決まった日に千円札が賽銭箱に入るからなんだろうと思って見張ってたら犯人はアイツでさ。様子が普通じゃなかったから話を聞いてみたんだ。」
「そんなことがあったんですね。」
「アイツ何お願いしてたと思う。」
なんだろう。やっぱり強くなりたいとかかな。それとも啓についての御願いかな。
「野球の強い強豪校に受かりますようにだってよ。笑っちまったよ。でも話しを聞いて気持ちは変わった。大切な中学時代で部活でもチームでも野球が出来なければスポーツ推薦はもらえない。強豪校ってけっこう学力が必要なところが多いんだよ。でもアイツの頭じゃ無理だから神頼みしてたんだとよ。だから俺はその時アイツに違う道を考えさせた。強豪校じゃなくてもお前が強くなってお前の行く学校で、お前のチームで目の前の対戦相手を全部ぶっ潰せってな。あの年頃で月の小遣いを全部捨ててでも掴みたいものがあるなんて普通じゃねーよ。だから俺はアイツを育てることに決めたのさ。最終的にはアイツの兄貴もここに連れてくるつもりだ。でもまだアイツが待ってくれって言うからよ。もう少しアイツの力がついたら兄貴にも声をかける。そのときは何か協力してくれるかい、お嬢さん。」
「私に何かできるのかな。」
私にできることなんて何も思いつかない。それよりも思いの他話の全貌が重たい。啓が言うのを躊躇ったのも良く分かる。こんなこと私が聞いていいことじゃなかったのかも知れない。様々の考えが頭の中でぐるぐると廻る。
「君たちみたいな年頃に俺も戻りたいな。俺も昔はプロ野球選手になりたかったんだよね。」
名波さんは唐突に昔話を始めた。そうかと思うと今度は目を閉じ何かを思い出していた。それがなんなのかは分からないがとても大切ななにかだろう。私には大人になって振り返っても恥ずかしくない青春は訪れるのだろうか。
「何を目指すか、何がしたいか、どこの高校に行くか、その先の進路は。悩むことはたくさんあるし、思春期ってのは常に漠然とした不安が付きまとうものさ。俺もそうだった。でも気がつけばいつの間にか大人になってる。そのときの選択はそのときの自分にしか出来ない。だったらあれこれ考えてないで一緒にいたいと思える仲間を探しておきなよ。誰かとかかわり見聞を広めることはいいことだ。そうすればそのときの自分に選択肢が増えるかもしれないよ。」
かっこいいと思った。皆大なり小なり悩みを抱えているものなのだろうか。クラスではしゃぐ男子もさつきちゃんも啓も礼も皆同じなのだろうか。今日聞いた啓と礼の秘密は私にとって一人で考えるには重たすぎる。それをずっと一人で抱え込んでいてもそれを感じさせない二人に対して私は様々な感情が入り混じり頭の中では再び収集がつかなくなっていた。
「だからあんま悩まないことだよ。今日話したことはアイツにしてみれば知られたくない過去なんだろうよ。俺は泥臭くて青春ぽいしなんにも恥じることは無いとは思うがね。それぞれ感じ方は違うんだよ。少し小話をしようか。誰かとかかわりを持つとその人の過去や価値観にも触れるよね。でもさ、他人とかかわるとき人はそれぞれが持った定規でしか他人を測れない。そんでその定規は大きさや色、もしくは単位すらも違うかもしれない。だから差別や戦争は起きるんだろうね。人間は排他的な生き物だし。だからこそ違いを受け入れ、認めることが大切なんだ。その定規を【正しい】ものにするために人は誰かと関わって生きていくんじゃないかと思うけどね。昔の人も似たようなこと考えてたんじゃないかな。心の中には定規があるから気持ちを推し【測る】なんて言葉が生まれたのかもね。最後のはオヤジ臭かったか。」
「なんだか住職っぽいです。私は、その時の私に出来ることをします。」
「まぁ、まず学校に急ぎなさい。あと僕は一応住職だからね。」
「あ、そうだった。もう12時過ぎてる。」
なんだかお腹すいたなと思ったら当たり前だ。
人は生きているのだ。お腹も減るし、悩みもする。生きていれば仕方の無いことなのだ。開き直ってしまうと胸のつかえが取れたようで誰かに会いたくなった。学校行くか。
「また、ここに来てもいいですか。」
「いいよ。いつでもおいで。悩んだときはお賽銭を入れるといいよ。」
「それはどうでしょうね。また来ます。ありがとうございました。」
学校に行くよりもずっと有意義な時間をすごした気がする。でもここにはさつきちゃんや啓はいない。まだ午後の授業には十分間に合う。学校へ急ごう。