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Rip Van Winkle

好戦的な、彼らの話

作者: 平川桜雪


淡く灯りを落としたリビングで、彼はソファに凭れながらグラスを傾けていた。

腕の中には、初めてこの部屋を訪れた彼の恋人。

彼女もまた同じように、琥珀に満たされたクリスタルへ唇をつけている。


室内に流れるのは、彼女が小さく口ずさむLove Song。

――これを歌っていたのは確か、『ブルースは決して歌わない』と公言していた黒人の歌姫だったな。

いつだったか彩白がそう話していたのを思い出し、幸樹はゆるりと瞳を閉じた。


時折、思い出したように口に運ぶ酒は、悪友が「本物は違う」と嘯いた正規輸入品のマッカラン。

独特のスモーキー・フレーバーを味わいながら甘く耳を打つ歌声に聞き入っていると、頭の芯がふわりと揺らぐ。

会話のない、けれど心地好い空気に身を委ね穏やかな呼吸を繰り返せば、不意に歌うのを止めた彼女が幸樹の腕を引いた。


「……ん?」


瞼を上げ視線を向ければ、悪戯めいた彩白の瞳が微笑う。


「どうした?」


微笑み返しながら問えば、何か物言いたげにしていた唇が幸樹のそれにそっと重ねられた。

アルコールに湿った唇が柔らかく触れた後、明確な意図を持ってゆっくりと開かれる。

それに応えようと幸樹も唇を開けば、口内に冷たい塊を押し込まれた。


「っ……!」


温かい舌の感触を期待していた幸樹は、予想外のことに驚き顔を離す。

想像と現実の温度差に心ならず戸惑っていると、彩白は自分の顎を伝う雫を拭いながら目を細めた。


「驚いた?」

「……ああ」


やけに上機嫌な彩白の声に幸樹は苦笑する。


「冷たいでしょう?」

「そりゃあな」


答える度に、口の中の氷がカラリと音を立てた。溶けた液体を飲み込み、幸樹の喉がコクリと鳴る。

その様を見つめていた彩白の指が、彼の輪郭を撫ぜた。


「それ、私のよ」

「あ?」


邪魔な氷をガリリと噛めば、「噛んじゃダメ」と頬を抓られる。


「私の氷よ。……返して」


囁き、再び重ねられる唇。

請われるままに氷を返せば、今度は彩白が喉を鳴らした。









--------------------------------------------------------------------------------






付き合い始めたあの日以来、好戦的な彼らは他愛もない勝負をしては楽しんでいた。

『口の中ですっかり溶かしてしまった方が負け』

今宵のゲームは、それが彼女の決めたルールらしい。




二人の唇の間を、何度も氷の欠片が行き来する。

少し溶かしては返し、溶かされてはまた返り……冷たくなっていく口内とは逆に、互いの体温は高まるばかり。


もう後ほんのひと舐めでなくなろうかと言うくらい小さくなった欠片を、幸樹は彼女の唇へ押し遣った。

――その瞬間。


「……っ!」


ぱっと顔を離した彩白が、口元を押さえ激しく咳き込んだ。


「彩白っ!?」


慌てた幸樹が彩白を抱き寄せ、彼女の波打つ背中を叩き、擦る。


「大丈夫か?」


訊かれても返事の出来ない彩白は、コクコクと頷きながら尚も咳き込んだ。


「彩白……」

「いっ…たぁ……、飲み…込……じゃ、た」


ひとしきり噎せた後、顔を上げた彩白が決まり悪そうに微笑を浮かべる。

彼女の目尻に溜まった涙を吸い取り、幸樹はもう一度華奢な背中を撫で下ろした。


「悪ぃ、タイミングが拙かったな」

「そうね……不覚」


私が仕掛けたゲームなのに、と苦笑し彩白は大きく息を吸う。

落ち着きを取り戻した彼女の身体を離し、幸樹はニヤリと唇を歪めた。


「勝者は俺ってことだな」

「……悔しいことに」


ふっと笑い合うと、彩白は自分の胸元を手のひらで叩き始めた。


「どうした?」

「ん、何だかまだこの辺に引っ掛かってる感じ」


咳払いをしトントンと叩いていると、幸樹の手がその手首を捉えた。


「どの辺りだ?」

「この辺……って、幸樹っ!?」

「俺が溶かしてやるよ」


彩白のブラウスのボタンを素早く外し、露わになった肌へ唇を寄せる。

喉の付け根、鎖骨の間辺りを強く吸い上げると、彩白の両手が幸樹の肩を押し返した。


「や、あっ……! も、もう大丈夫だからっ!」

「……聞こえねえな」

「こ、う……きっ」


彩白の悲鳴には耳を貸さず、そのままソファの上に押し倒す。

執拗に舌を這わせれば、肩を掴んだ彼女の指先に力が込められた。


「……溶けそう」

「溶かしてんだ」


紅い花の咲く肌の上で笑えば、吐息にくすぐられた彩白の体がぴくんと跳ねた。


「ちが……っ、氷じゃ、なくて、私、が……っ」

「……だから、溶かしてんだよ」


わずかに身を起こし、伸び上がって唇を奪う。

熱の戻り始めた舌を絡ませ、右の手で彩白の体のラインを辿った。


肩を撫で腕を滑り、彼女の膝の辺りに纏わりついていたスカートをたくし上げる。

ガーターに吊られていたストッキングを外し引き下ろすと、白く柔らかな内腿が幸樹の脚に擦り付けられた。


「彩白……」


名を呼び、再び顔を胸元へ下げる。

ドクドクと早鐘を打つ彩白の鼓動を唇で感じながら、全てのボタンを外したブラウスを肩口から引き抜いた。


「……綺麗なもんだな」


触れるたび朱を帯び始める象牙色の肌。

滑らかな手触り舌触りの肌理細かさに、幸樹は感嘆の息を洩らした。


「あ、やっ! ……っ、ん……っ」


既にされるがままになっていた彩白が、くぐもった声を上げる。

肩を掴まれる感触が消えたことに気づき目を上げれば、彩白は必死に自分の指を噛み締めていた。


「食い千切るつもりか?」


彼女の脚を撫でていた手を放し、手首を掴み直して外させる。

それだけでなく、幸樹はもう片方の手首も捉え、肘掛の上でまとめて拘束をした。


「あ、駄目っ! こ、うっ、駄目っ」


身を捩る彩白に体重を掛け強引に閉じ込める。

振り解こうと動かされる腕を掻い潜り、幸樹は下着に覆われた彼女の胸の先に軽く歯を立てた。


「きゃ……あっ、あ、駄目……っ! 手……放してっ」


尚も続けられる懇願に、幸樹は不満を隠さず溜息を吐く。

彩白からゲームを仕掛けてきたのだ、こうなる事は判っていたはず。

なのに今更拒否するなど、ルール違反ではないか。


「……どうしても嫌か?」


それでも止めてしまうのは、惚れた弱味というヤツだろう。

誰より愛しい女の涙声を無視することなぞ、幸樹には出来やしない。


手を放し、腕を伸ばして体を浮かす。

瞳に失意を乗せたまま見つめると、彩白はゆるゆると首を振った。


「嫌じゃない」

「ならどうして……っ!」


意図せぬまま鋭くなった幸樹の声に、彩白は一瞬身を竦ませ視線を逸らした。


「だって……声が」

「声?」


鸚鵡返しに尋ねられ、彩白の頬がさっと朱に染まる。


「い、今更なに言ってるんだとは思うわよ! けど、ここは幸樹の部屋でしょう?」

「? ああ」

「……だからよ」


――だから、何だかとてつもなく恥ずかしい。


消え入りそうな声で囁くと、彩白は自由になった両手で顔を覆った。


「……誰も聞いちゃいないぜ? 防音もしっかりしてるから、隣りに聞こえることもねえよ」

「そうじゃなくて……」


彼女の言わんとしている意味を取り損ね、幸樹の眉間にシワが寄る。

けれど少なくとも、体を重ねるのを嫌がったわけではないと言うことだけは理解できた。


「彩白?」

「……貴方の生活を知ってる物たちに聞かれてるのかと思うと」

「…………は?」


予想外な彩白の言葉に、幸樹は目を丸くする。

彼女の言っていることは分かるが、相変わらず意味が分からない。


「どういう事だ?」

「だからっ! ……部屋中が聞いてる、と言うか」

「壁が聞き耳立てて、天井が覗き見てるってか?」

「……そんな感じ」


指先まで真っ赤にして照れる彩白に、幸樹は腕の力を抜いて覆い被さった。


「馬っ鹿野郎……んだよ、そりゃ」

「……馬鹿だもん」


すん、と鼻を啜った彩白を抱きしめ、長い髪に指を通す。

ゆっくりと撫でてやれば、両手で隠されていた瞳が顔を覗かせた。


「……ベッド、行くか?」

「え?」


幸樹の問いに、彩白は僅かな困惑を見せる。

その表情に喉の奥でクツクツと笑いながら、幸樹は華奢な体を抱き上げた。


「少なくともリビングの壁よりは弁えてると思うぜ?」

「……ばか」

「そりゃお互い様だ」


存分に見せつけてやれよ。

耳に流し込まれた声に彩白は艶やかな笑みを浮かべ、目の前の太い首に腕を廻した。



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[良い点] 読ませていただきました。おしゃれな雰囲気の作品で良かったです。
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