ⅲ - 求めたものは
ボクの“意識”は、ずっとその身体の近くで漂っていた。
ボクは胸を貫かれ、確かに死んだ。でも、この魂が天に召されることはないようだ。あらゆる負の感情が足枷となり、ここを離れることを自分自身が妨げていた。
でも、そちらの方がきっと、都合としてはいいだろう。一度天に昇ってしまった魂を“引き戻す”ことは、とても難しいからだ。昇る魂もモノによっては、数日間、今のボクみたいに身体の近くに留まることがあるらしい。けれどもこの感じだと、ボクはそのうち身体から離れて、天国に…ではなく、下界――ボクが生きたこの世界を彷徨い続けるだろう。そんな状態になった未練がましい魂を、“亡霊”という。
ボクの葬式は行われない。墓も建てられないだろう。その身体が土に埋められることもないのだ――“最終手段”にして“最高傑作”の実験が、成功すれば。
父親は気付いていないだろうけれども、その研究をボクは知っている。そして、それはいずれ、ボクで――そうでなくても、この家の血を引く者で――実験されることも。ボクが本当に“役立つ”日が、遂にやってきたのだ。
ボクを殺したのは、この街で主に上流階級をターゲットにしている“殺人鬼”だ。犯行は数年前から始まったが、少なくとも貴族が襲われたときの目撃情報は全くないという。赤く長い癖毛に、ギョロっとした灰色の目、顔に広がる生まれつきのアザ。そんなに目立った、しかも醜い姿をしているというのに、どうして捕まらないのだろう。“庶民は前から、貴族は背から”――その通りに、ボクも後ろから襲われた。
“実験”のことがあるとはいえ、こんな奴にボクの人生を奪われようとしたことは、なんとも腹立たしい。もう少しでボクの一生が約束されるところだったのに、邪魔をするなんて……許せない。ボクが積み上げてきた努力を、今まで受けてきた苦痛を、きっとあいつは知らないだろう。死んでしまえばいい。どうせなら、ボクの一生分の苦しみを浴びせて、取り殺してやる。
そんなことを思った矢先だった。
***
「――――」
研究室にて一人、父親はさまざまな薬品を混ぜては、寝台に横たわるボクの身体に塗りつけていた。
それは見ていて、とても不思議なものだった。抉れた胸元も、顔の右半分を占める傷痕も、失われた眼球も、異なる薬品を何度も塗り重ねられるうちに、少しずつ元通りになっていった。ところで、客観的に自分の身体を見るのも初めてだったが、歳にしては背がとても小さくて、細い骨にはほとんど肉がついていない。でも頬は比較的ふっくらしていて、それがいっそう幼さを引き立てていた。あんな死に方をしたのに、とても穏やかな顔をしていた。
亡霊となったボクの姿は、父親には見えない。それをいいことに、ちょっと自分の身体に触れてみようと手を伸ばしたけれども、何の感触もなく、すり抜けてしまった。
父親は同じことを繰り返したのち、部屋を出て行った。ボクは自分の身体をただ観察し続け、どれくらいの時間が経ったのかは分からないが、父親が再び戻ってきたときには、何もかもが完治してキレイになっていた。
続けて父親は、ボクの右手を取り、小指の先を針で突き、小さな傷を作った。そして傷口に、これまた新たな薬品をつけた。それをしっかり浸透させるために、親指でボクの指先をぐりぐりと押し回す。おそらく、薬品を魔力で身体中に巡らせているのだろう。科学は魔術と比べて全く異質なもののように見えるが、双方の基礎には共通点があったりする。簡単に言えば、科学は魔術の“呪文”にあたる部分がより複雑な仕組みの薬品に変わった…という感じなのだ。
これが極めて難しく――それはさておき、父親は反対側の小指にも同様のことをし、様子を窺っていた。特に変化はなさそうだども、身体の中で何かが起こっているのだろう。そう思っているうちに、傷をつけた指先からじわじわと血が滲んできた。固まりかけていた血を溶かすためのものだったのだろうか、よく分からない。しかしそれ以上の出血はなく、父親は次の作業に取りかかった。
続いて父親が手をつけたのは…………目を疑った。ボクの陰部に――平たく言えば、何か細工をしている。一体、何をしているのだろう。いよいよ怖くなってきたが、これも手順のうちの一つなのだろう。これも見た目には変化がなく、何をされたのか分からない。
結局のところ、傷を治す行為以外は ちゃんと理解できなかった。けれども、これら全ての過程が、ある一つの目的へと繋がっていることは、明らかだった。
そう、それこそが――――
このボクの――レイモンドの、“蘇生”である。
クレメンス家は“科学”に移行してからめざましい発展を遂げ、“道化鏡” ――人工身体に亡霊を閉じ込め、労働力にする技術を開発した。父親はそれを応用して、より“限りなく生身の人間に近い機能を有する”人造体を開発しようと試みた。
そして今 行われようとしているのは、特殊な処理を施した生身の――腐敗があまり進んでいない死体に、道化鏡を造るときと同じように亡霊を宿す実験である。魔術にも“蘇生術”たるものがあるが、これは成功率が低い上に、成功したとしても必ずいくつもの代償や犠牲が伴ってくる。そんな古い魔術よりも失うものが少なく、そして確実性が実証されたなら、これは画期的な発明だろう。
このとき、ボクの死から二日が経とうとしていた。というのは父親の呟きから知ったことだが、ボクの身体はあともう少しで蘇生できる状態となる。日が過ぎれば過ぎるほど腐敗が進み成功率が下がるとのことで、かなり急ぎ足で、しかし丁寧に施術された。
と……ここで、研究室のドアがノックされた。
「どうぞ」
そちらを向くこともなく、父親は返事した。入ってきたのは…メイド長のエイミーだった。男女の関係はないものの、彼女は父親が最も信頼している人物である。本来、この研究室には当主しか入ることを許されないが、エイミーだけは特別だった。
「ちょうど良かった。今、全ての処理が終わったところだ」
「そうですか…」
エイミーが、横たわるボクの身体を覗き込んだ。
「……思ったよりも、美しいですね。もっと惨めなものかと」
「はは…趣味が悪いのは、何も変わっていないようだな」
「ふふ、いえいえ……」
父親がボクの前で顔を綻ばせることなんて、一度もなかった。でも、これが成功すれば――
「――ところで、ご主人様」
「何だ?」
「ちょっと……つい先程のことですが」
エイミーは囁き声で言った。でも、ボクには聞こえている。
「殺人鬼が、殺害されたようです」
「――なんだと?」
父親が目を丸くする。ボクも思わず聞き返したくなった。嘘だろう? あいつは目撃情報を残さないほどのヤリ手だったはず――
「恋人と思われる娼婦に、胸をナイフで一突きだったと…今、広場が騒然としているようです」
「そんなことが……」
別れ話でも切り出され、逆上したところを反撃されたのだろうか。それにしても、なぜ、人目につきやすい広場なんかで…。
「……それ以外で、何か分かることはないのか?」
「…そうですね、今のところは」
「そうか、まあ良い」
「これでひとまず、彼に命を狙われることはなくなりましたね」
「ふっ…あんな卑しい男など怖くない。もっと警戒すべき相手が近くにいるというのに」
「あれはなんとも凄惨な事件でしたから……」
「レイチェル……今度こそは、成功しなければ」
「期待できそうですね、今回は。この前おっしゃっていた例の施術も、ちゃんとしてあるのでしょう?」
「もちろんだ。あれからどれだけ研究を重ねたか…」
姉の名前を、父親の口から久しぶりに聞いた。
「――では、私はこれで。また何かあり次第参ります」
そう言ってエイミーは退出した。父親がボクの遺体の前に立ち、腕を組んで呟く。
「殺人鬼、か…………」
奴は死んだ。こんなにも早く、ボクの恨みが届いたのか。まあ、あいつはボク以外にも多くの人を殺しているから、その犠牲者たちの分も合わさって制裁を受けたようなものだ。ざまあみろ。父親もそのうちに、うっすらと不穏な笑みを浮かべた。父親もボクと同じく、殺人鬼が死んだことを嬉しく思っている。“同じ気持ちを抱いている”ということが、この上なく快感だった。こんなことも初めてだった。いい感じだ。
すると父親は、何か大事なことを思い出したかのように突然、研究室から出て行った。何をしに行ったのかは分からないが、次に戻ってきたときにはきっと、最後にして最も難しい――ボクの魂を引き戻す段階に入るだろう。楽しみになってきた。ずっと心待ちにしていた。
ボクが跡を継げる日を。
ボクが認められる日を。
ボクが褒められる日を。
ボクが…愛される日を。
ああ…思わず口元が緩んでしまう。父親には、一生かけて感謝し続けなければいけない。こんなボクでも、こういう形で役立ててくれたのだ。
父親はなかなか帰ってこない。食事のためにひとまず戻ったようではなさそうだった。仕方がないので、ボクはこの研究室にあるモノをあれこれ見てみた。棚の中や机の上には、いくつもの薬品の瓶が置いてある。勉強で出てきた種類もあったものの、初めて見たものが大半だった。宝石のように、鮮やかな色をしたものもある。毒々しいけれども、綺麗だと思った。手に取ることができないので、うんと近寄ってそれらを眺めていた。
例えば、この薬品は……父親が最近発明した、即効性の劇薬。その名も――――
……ガチャッ。
やっと来てくれた。父親とエイミーは、ボクの身体の前に向かい合った。
「はは…では、始めるとするか」
「そうですね、ふふ……」
二人とも、とりわけ機嫌がいい。いよいよだ。
「エイミー、少し離れていろ」
「はい」
そうだ、これで……これでやっとボクは、欲しかったものを全て、手にすることができる。今でこそ亡霊だから、両目が見えるし、身体もしんどくない。けれども…もっともっと、生きた状態で実感が欲しい。
もしも成功すれば、ボクの右目も、記憶が難しくなった頭も、もしかしたら…病気に弱い身体も、きっと治っているのだろう。まるで夢のようだ。それらが叶ったならば、ボクはまた全力で頑張ろう。今度は喘息や熱で倒れずに、覚えられないことにも悩まされずに……勉強も劇的にできるようになって、それこそ、父親が求める“完璧”に近づけるだろう。今度こそ、父親はボクを認めてくれるだろう。ボクのことを、愛してくれるだろう。この魂が身体に宿り、再び目を覚ましたとき、この頭を撫でてほしい。こちらに振り向いてくれるためなら、何だってしよう。
「さあ……、目覚めるのだ――――」
父親はボクの身体に向かって魔力を込めた。ボクのこの“意識”が、魂が、完璧になった身体へと吸い込まれ……
…………ていく、はずだった。
父親は頭の中で、ボクの名を唱えたはずだった。
道化鏡は造られたとき、“宿った魂の生前の姿”を最初にとる。
ボクは目の前で、自分の身体が自分でなくなるのを見た。
痩せ細った身体に、薄く筋肉がついていく。
背が少し伸び、手足もひと回り大きくなった。
顔も少しずつ変わってきた。眉は凛々しくつり上がり、鼻は若干高くなった。
そして…髪の毛も。黄みがかった焦げ茶から――――
……全体的に、波を打ってきた。そして、ボクが憎んだその色に、染まっていく。
これは……これは…………
「ふふ…、はははは…………」
父親はボクでなくなった“それ”を見て、目を見開いて口角をいびつに上げた。
どうして……どうして、喜んでいるのだろう。
「――“成功”、ですね」
どこが“成功”なのだろうか。“ボク”の魂は、まだここにあるというのに。
「そうだな。素晴らしい偶然だった」
父親まで、これは一体、何が起こっているのだろう。素晴らしい偶然? どこが素晴らしいのだろうか。だって、その身体が象っているのは――
「あんな役立たずよりも……巧みに人殺しをやってみせる冷血漢の方が、ずっと使える」
――――!!
「それにしても……ご主人様も、なかなかのことを なさるのですね」
「形が変われど、元の身体は同じものだ。血が繋がっていることに変わりはない。全てはこの家のためだ」
“この家のため”――
“この家のため”に、ボクを…“ボク”のことを…………
「今日からこいつが、あの役立たずの代わりだ。記憶は飛んでいるはずだから、死んだ歳が違うとはいえ、すぐに適合できるだろう。下劣な奴は、大人でも幼かったりするから尚更だ」
嘘だろう。
「そうだな…。名前は……イニシャルは揃えておこうか。例えば――」
嘘だと言って。
「ロバートとか、どうだ?」
「良いのではないかと思います」
お父様。
「じゃあ、そうしよう。エイミー、こいつが目覚める前に服を着せて、部屋に戻しておきたい。無論、あいつが使っていた部屋だ」
「はい」
誰か。
「まず、こいつに必要ないものは何もかも片付けろ。あとは…おそらく背丈が合わないだろうから、ひと回り大きい服を持ってこい」
「承知しました」
これは、嘘だと。
エイミーは足早に研究室を後にした。それを見送った父親は再び、眠る身体の前に立つ。奴は大人だったはずだが、今はボクと同じくらいの年格好になっている。
「…………」
何も言わずに、父親は手を伸ばす。それはまるで、生まれたての赤ん坊に触れるように……優しく、頭を包み込んだ。ボクにはどれだけ努力してもしてくれなかったことを、あいつは無条件で……。
そして――父親はあいつに、微笑んだ。
…………―――。
これは、何?
ボクは間違いなく父親と母親との間に生まれ、この家の長男として育てられた。
生まれつき身体が弱くて、まともに期待通りのことができなかった。
だから、できる限りの、最大限の、努力をした。
父親の跡を継げるように。
父親から認められるように。
父親から褒められるように。
そして、父親に…愛されるように。
なのに、それなのに…どうして。
『――あの子、また発作を起こして寝込んでるわ』
やめて。
『どうしてこんなことも覚えられないんだ!!』
ごめんなさい。
『こんな家に生まれて、身体もこんなにボロボロで…………』
同情はいらない。
『分かってるなら結果を出さんか、お前は!!』
ごめんなさい。
『あなたは――――とても不幸な子ね』
そんなことない。
『いい加減聞き分けろ、この役立たずが!』
ごめんなさい。
『生まれてこなければよかったのに』
ああ…………ああ……
――――許せない。
あいつが、許せない。
…返せ。
今すぐ、返せ。
ボクに与えられるはずだった権威を。
ボクの居場所を。
ボクが積み上げてきた、血の滲むような努力を。
ボクが手に入れたかった愛を――――!!
「――ご主人様、持って参りました」
「よし」
「ところで、ご主人様」
「何だ」
「お葬式やお墓は、どうなさりますか?」
「葬式は必要ないだろう、埋めるものがないのに…。まあ、墓くらいはそれらしく建てておくとするか」
「…………―――」
「あと、あの娘との縁談だが、白紙撤回だ」
「…承知しました」
エイミーが退出すると同時に、その場にいていられなくなったボクも飛び出した。エイミーが地上階に戻ることなく隣の部屋に入ったので、ついていくと……そこには、胸元を血に染めた殺人鬼の死体があった。ボクと同じ死に方。思わず、目を逸らした。
***
それからボクはずっと、あいつに付きまとって様子を見ていた。
ボクが祝われるはずだった12歳の誕生パーティーで、あいつは衝撃的なデビューを果たした。誕生日が全く同じ“隠し子”――そうなるかと思いきや、父親はためらうことなく、あいつを“長男だ”と紹介した。殺人鬼とそっくりの――実質、同一人物だが――あいつに、人々はどこか蔑むような視線を向けた。その後あいつに縁談が持ち上がらなかったのは当然のことだった。
父親はあいつのことを、基本的には放任していた。ボクなら責め立てられたような過失でも、あいつは殴られたり、激しく咎められたりすることが決してなかった。これが父親の無関心のためであればボクもどうにか納得したけれども、多少の興味はあるようで……ときどき、褒められているところを目にしてしまった。勉強も、あいつは12歳にして文字を習得するところから始まっている。本来は矯正されるべき左利きもそのままで、それ以外の稽古などもボクより遥かに遅れているのに、どうして、誰も何も言わないのだろう。ボクの“火”の魔力も身体に残っていたからか受け継いで、こちらはすぐに使いこなせるようになった。やっぱり……ボクよりも、物分かりがいいからか。
そして、あの日以来、ボクのことを誰一人として話さなくなった。まるでボクが最初から存在しなかったかのように、元からあいつが実の息子だったかのように…皆 平然と暮らしている。ボクのことを気に掛けてくれる人など、このボクを哀れだと言う人など、もはや誰も――
………い。
…さ…い。
許さない。
許さない。
ボクから何もかもを奪った、あいつなんて――――
ああ…っ、そうだ! 地獄に堕ちてしまえばいい!!
世界中の苦しみを全て被って、もがきながら……
だから……だから、ボクは。
1595年6月6日。
ボクは、行動に出た。
結論から言うと…………失敗、だった。
そして。
この後に出逢ったのが、今のセーベルである。
次回:1/23(月)




