3話
この話の中で一番長い。
俺はその教室のクラスを、もう一度確認した。
2年C組。ここで間違いない。
教室の、開いている扉の隙間から、中を窺う。
目的の人物は、そこにいた。
俺の目的ではない、奈流の、目的の人物だ。
俺は扉の近くにいたやつに、その女を呼んできてもらうように頼んだ。
そいつは俺を知っているらしく、目を丸くした後、すぐににやにやしながら、その女を呼びに向かった。
このやり方も、奈流から指示されたものだ。
俺が直接行って、目的の女の友人に口を出されると、面倒なことになる恐れがあるせいらしい。
女子のことはよくわからない。俺は奈流にしか興味がない。が、女ってのは、自分の友人とあらば、いろんなことに首を突っ込んでくる生き物らしい。なんて身勝手な。
俺が一つため息をついたところで、かくして目的の女はやってきた。
わざとらしく体を小さくして見せ、そのくせ目だけは上目づかいに、期待を向けている。きもちわりぃ。
「急に呼び出して悪かったね。」
まずはこの言葉。急に呼び出さずに、どうやって呼び出すというのか。それでも、始めに下出にすることで、相手からの好感度を上げる効果があるらしい。更に、いきなり本題に出ることがなく、厚かましく感じられない、らしい。これも碇石通り。奈流の指示である。そして、こっちからはこう切り出すことによって、本代を相手側から切り出させることができる。
「ううん、いいの、それで、用って……?」
……らしい。と言っても、何度も俺自身が実証しているわけだから、今では確信的なものだけれど。
「どこか、空いてる日。君の都合のいい時でいいから、放課後、行きたいところがあるんだ、一緒に。……付き合ってくれない?」
最後の一言を、女の耳元に顔を寄せて小さく言う。
断られたことは、
「……あっ、じゃあ、今日にでも。」
――ない。
「……いいの?」
最後まで下出を貫くことで、逆に余計に肯定的にさせられるらしい。
「うん、加治木くんの予定は?」
「俺は君を優先させるから。」
「あ……じゃあ……」
「うん。今日の放課後、ここで待ってて。」
最後にそう約束を取り付けて、俺はその場を後にした。
女がまだ何か言っているが、日時が決まれば、用はない。
しかし、今日になったのは幸いだった。
変に先の日付になると、その間、約束が反故にならないように、適度に女の機嫌を取らなければならなくなる。
こんなことは、さっさと終わらせるに限る。
例えそうすることで、次の女を恋人に焚きつけられることになっても。
放課後になった。行かなければ。
廊下を通っていると、奈流を見つけた。
俺の進行方向とは逆に向かっている。帰宅するのだろう。
機嫌よさげに、通学鞄をぶら下げている。
今日決行することは、もう報告してある。
奈流は意味深に微笑みながら、俺と擦れ違った。
今日も、遂行させなければ。
奈流は、俺の持ち帰る映像を、楽しみにしているのだから。
そして再びC組へ。
扉の前の廊下で、女は既に待っていた。
「席に座っててくれて、よかったんだよ?」
俺は至って相手を気遣う。素振りを見せる。
「ううん。私が、待っていたかっただけだから。」
そう言って女は笑ったが、どうでもよかった。
しかしこれも、奈流の笑顔のためだ。
俺は女を連れ立って学校を出た。
駅の方へと進んでいく。
その間女は俺に何かと話しかけてきたり、くだらないことを訊ねてきたりしたが、全部「そうか」と「ひみつ」で事足りた。そう指示を出した奈流に言わせれば、この2語だけでは、相手に愛想をつかされてしまうリスクがあるため、機転を利かせた返答が望ましいらしいのだが、俺がそこまで器用ではないことを知っているため、俺の負担にならないように、奈流が配慮してくれたのだ。彼女はやさしい。聡明でありながら慈悲もある。まるで女神のような女性だ。
そうして辿り着いたのは、
「デパート……?連れて来たかったのって、ここ?」
「……さ、入って。」
拍子抜けたような女の質問には答えず、中へと促す。
女は不審そうな顔をしながらも、中へと足を進めた。
それに続いた俺は女を追い抜かし、先導した。
そして目的の店へと連れていく。
「ここって……?」
ついた先は婦人服の店だ。
「……実は、君に服をプレゼントしたくて、でもどれが好きか不安だったから……、好きなの、選んでもらってもいい?」
物で釣って、道中の無愛想をチャラにする。更に不安であることを提示することで、愛想がなかったのはそのせいだったと思わせる。そしてあくまでも、ここでも下出である。
「わあ、嬉しいっ。」
すると女は策略通り、一気に機嫌を直す。単純な女だ。ばかじゃねえの。
「選んでおいて。」
そう言って俺は紳士用化粧室に向かう。
化粧室で個室に入り、鞄から私服を出す。制服に手をかけ、着替えを始める。
そういったプランも、全て奈流が企画する。
女選びはもちろん、その女の性格や思考を把握して、どんな手を使えば誘いに乗るか、どの程度のプレイなら応じるか、下調べまで完璧だ。
下調べと言っても、奈流なら簡単なことだ。
何せ彼女は周りの人間に好かれている。
否、彼女を嫌う人間なんていない。いるはずがない。
彼女が相手ならば、なんでも喋ってしまう。
例えそれが本人自身であっても。
だとしたら、本人に直接聞けばいいだけ、ということにとなる。
今回の彼女の標的、もといあの女は、自分を着飾ることが好きらいしい。そこからのここへの案内だ。たいていの女は服屋に連れていくと喜ぶらしいが、今回俺は店の指定まで受けている。この店は女の好きなブランドらしい。これで女のご機嫌取りはばっちりだ。何せこの後向かう場所こそが本命なのだから。ここで機嫌を損ねられて、途中で帰られてしまったは元も子もない。逆に、ここでしっかりと気分を上げてもらわなければ。更には、服を買い与えられているということから、断れない裏付けを作るという意味もある、らしい。
普段奈流の家に行くときにトイレで着替えることは禁じられているが、この女との関係はばれようがどうでもいいので、今はこの方法を使う。
重要なのは女との噂じゃない。
この後行く場所に入れることだ。
着替えを終えた俺は、今度は制服を鞄の中に入れ、化粧室から店に戻る。
すると女は、服を何着か持っていた。欲張りか。
女は俺に気付くと、うるさく騒ぎ立てた。
「え!着替え持ってきてたの!っていうか、か……、かっこいい、ね、」
「ここで買ったの、そのまま着て行こう?」
女の言葉は無視して言う。ぐずぐずしてねえでさっさと選べよ。
「え、ちょっと待って!ど、どっちがいいかなあ?」
興味ない。
「こっち、着てほしい。」
「う、うん!店員さん、これ、着ていきます!」
あんまり目立たなさそうな方を選んだ。
これでいいよな、奈流。
女にも同じように、制服を鞄に入れさせ、その鞄を持ってやる。
所持品を確保することで、簡単には帰らせなくできるらしい。
そしてそのまま、目的の、本当の目的の場所に向かう。
辺りがネオンに包まれても、女は黙ってついてくる。
どこに向かっているか、察しはついているらしい。
不意に女が腕を絡めてきた。
とても不愉快だが、我慢するしかない。
これも奈流のためだ。
奈流のためだと思うと、俺は自分が何でもできる気がしてくる。どんなことでも、それが奈流のためなら、誇らしくすら思えてくる。
本当に、奈流は女神だ。
俺にとって彼女は絶対だ。
俺にとっての彼女は、何物にも代えられない、唯一の絶対的な存在だ。
奈流は正しい。彼女の喜ぶことこそが、正しいことなのだ。
自分を納得させて、俺は女をへばりつかせたまま道を行く。
外装の無駄にこった建物が多くなる。
いわゆるホテル街だ。
女は特に慌てた様子もなく落ち着いている。むしろ期待しているような雰囲気だ。
奈流の言う「慣れている」というやつなのだろう。
下手に抵抗されるよりは、よほどいい。
比べれば、の話だが。
女がこちらを見上げ、笑った。絡まれた腕に、更に密着される。
やはり不愉快極まりない。
俺は、女から逃げたわけではないが、辺りに視線を配った。
さて、どこにするか。
過度に目立ったり、過度に落ち着いていたりする外装は、金がかかる場合が多い。それにそういうところは受付に係員がいる。それはまずい。
初めてではないせいで、そういったことはまあまあわかる。
そして、ここに来ると俺は、だいたいは今まで入ったことのないところを選ぶ。行動範囲の許容を、できるだけ広げるためだ。要は情報収集である。数と種類を稼ぐことは、今後への経験を得られるということにつながる。つまりこれも奈流のため。当然だ。
女の様子からしても、特に希望はないようなので、俺が選ぶことにする。
初めて入る場所。
「ここでいい?」
はいはい。通過儀礼、通過儀礼。
女は黙って頷く。
ネオンが眩しくなったころから、女は大人しい。
空気を読んでいるのか、そこまで慣れていないのか。まあ、どうでもいい。
静かで結構。
ホテルの入り口を潜り、部屋のメニューの前へ進む。普通の平日なので、部屋は空いている。
俺は空いている部屋で、無難なものの一つを指さす。
「ここは?」
女は、またしても黙って頷く。
腕の力が強くなる。
どういうわけか、緊張しているらしい。
うっとうしい。
機械に金を入れて、鍵を取り出す。
選んだ部屋へと向かう。
廊下を進み、鍵を差し入れ扉を開ける。
俺は部屋に入ると、荷物を適当なところに置いた。この時、ビデオカメラを素早くセットする。
女は所在なさげにしていた。
「ホテルは、あんまり来ない?」
俺は取り敢えず、その場を繋ぐための言葉を発した。
女が頷く。やはり無言だ。
俺は内心で大きなため息をつきながら、ゆっくりと女に近づいていった。
「じゃあ、俺と楽しい思いでつくろう。」
女が見上げてくる。見つめ返すと、大きく頷いた。
後はもう、いつも通り。
全部上手にやったよ、奈流。