2話
「ねえ聞いた?」
「今度はB組の子だってねー!」
「え?あの子彼氏いたんじゃ……」
「かんけーないんじゃないっ?」
「えーっ!浮気!」
「でもしょーがないよねっ!加治木くんかっこいーもんっ!」
耳障り。耳汚し。
ハシタナイコトをハシタナクくっちゃべってる。
いらいらして、女たちの輪をめちゃくちゃに崩してやりたくなる。
けれど俺のしたことに嘘はない。
黙って通り過ぎ、自分の教室に足を踏み入れる。
「噂になってるみたいだけど、……あの子が自分から広めたような気がする。」
朝から不愉快になりながら机に鞄を置くと、奈流が機嫌よさそうに寄ってきた。
「おはよう加治木くん。」
愛らしく笑った彼女は、すがすがしい朝に相応しい、澄んだ笑みで言った。
「……おはよう、鳳至さん」
鳳至奈流と加治木冬青の関係は秘密はだ。
彼女の希望である。
当然だ。でないと、彼女の望んだ映像が、手に入りにくくなる。
「みんなゴシップが好きね。かわいい。」
くすりとほほ笑む彼女の言葉に、俺はむっとする。
俺が反応したのに気づいた彼女が、意味深な目をこちらに向けてくる。
彼女は全部お見通しで、全部わかっててやっている。
そしてその全部が全部、彼女の趣味なのだ。
いじわる。なんて言葉だけでは片づけられない。
彼女が、俺がやっていることは、イケナイコトだ。
それでも、アレをすることで、彼女の望みを叶えられるのなら。
秘密は絶対に守らなくてはならない。
「あ、鳳至さーん。」
鳳至奈流の恋人に手を出そうとする人間はいない。
「おはよー。」
呼ばれた彼女が、その声の方へと手を振りながら向かって行く。彼女が、去っていく。
「はよー」
「加治木くんと何話してたの?」
「あんなかっこいい人にためらいもなく話しかけられるの、鳳至さんだけだよ!」
彼女の人望は厚い。
当然だ。あんな素敵な人はいない。
だからこそ、彼女の恋人に手を出そうと思う人間はいない。
だれもが俺に抱かれることをよしとしなくなる。
けれどそれではだめなのだ。
それでは彼女の望むものは手に入らない。
そのための秘密だ。
正直俺としては、彼女と二人だけの秘密を共有していることは、とても魅力だ。
しかし本当の秘密は、彼女と俺の関係ではなく、彼女が俺にさせていることにある。当然だ。
そして、そのための秘密だ。
いつも、一度帰宅してから、奈流の家に向かう。
制服を着替えてくるように、奈流から言われている。
俺としては、少しでも奈流と一緒にいたくて、コンビニのトイレででも着替えて行きたいのだが、リスクが高いからと、それも止められている。
奈流の家にいる時だけ、俺は奈流と恋人でいられる。
今日も今日とて、奈流の部屋、二人並んでソファに座る。
見ているのはこの間のような映像ではなく、洋画を見ている。
奈流はこの映像を見ることに特化した部屋を、普段から存分に堪能している。
見ているのがただの洋画ならば、俺も落ち着いて見ることができる。
それでも、彼女と二人きりという環境は、俺が彼女に触れたいと思う感情を、助長する効果しか持たない。
俺は隣に座る彼女の横顔を見た。
奈流は画面に目を向けている。
いつも俺が撮ってきた映像を見る目と変わらない。
彼女はあの映像を、普通に映画を見るように鑑賞する。
彼女にとって、俺にさせて、それを記録させる行為は、あくまでも娯楽なのである。
そう、彼女にとっては。
「今の子よかったね、ウェイトレスなんて、ちょい役なんだけど。」
見てなかった。
けれど奈流は、俺が返事をしなくても、充分楽しそうだ。
もしくは、俺が奈流の方ばかり見ていたのを、わかっていて言っているか。
俺は奈流の手に触れた。
小さくて滑らかな、白い手だ。
奈流は何も言わない。黙って画面を見続けている。
触れた手を、更に、握りこんだ。自分の手はこんなに熱いのに、彼女の手は冷たく感じる。それでも彼女は何も言われない。
それならばと、握った手を少し緩め、奈流の指と指の間に、自分の指を滑り込ませる。彼女の細い指を挟みこみ、もう一度握り直す。
と、その時、
「ンンッ、ンー、アア……、」
音質の良いスピーカーに、はっとさせられた。
思わず、奈流の指から視線を外し、画面へと目を向けた。
高画質の液晶の向こうでは、映画の主人公たちが、互いに息を乱し合っていた。
男女が互いの唇を合わせ、貪るように食み合っている。
俺は、今まで自分が奈流に渡してきた映像記録のどれかかと思ってはっとしたのだが、今見ているのはただの洋画だった。
ただの、普通の映画。
洋画で有りがちの、いわゆる濡れ場というシーンに入っただけであったようだ。
愛を確かめ合い、キスをする恋人たち。
画面の中には、模範的なあるべき恋人の姿が写されていた。
俺は握った手に力を込めて、奈流の前へと、体を傾がせて回り込ませた。
自然と俺の瞼は伏せ気味になり、顔を近づけていく。
「そういえばね、」
そこで、彼女が言葉を発した。
それで動きを止めてしまった俺にも、原因はあるのだろう。
「次の女の子、もう見当つけてあるんだぁ~」
彼女は得意げに言った。
「だからまた、ヨロシクね。」
映画のキスシーンは、ベッドシーンへと移っていた。