1話
気持ちの悪い話です。
廊下を進む。長い長い廊下を。
――嬉しい……。
うるさい。
――あっ、んっ……
だまれ。
――そんな、激し、したら……、すぐ……っ、あっ。
早く、オワレ。
「すっごくよかったよ。ソヨゴくん、また……」
「下の名前で、呼ばないで」
「え?あ、……ごめんなさい。」
「じゃあね」
「えっ、」
荷物を持ち、早足で部屋から出て、扉を閉める。
やっと終わった。やっと、静かになった……。
そのままその場を後にして、廊下を進む。長い長い、廊下を。
辺りは静かだった。
さっきのうるさい女もいない。
耳にこびりついた汚い声を、早く振り払いたかった。
そのために、廊下を進む。
階段に差し掛かる。目的地は上だ。
――ソヨゴくん。
また。
俺は階段を段飛ばしで駆けあがった。
3階の廊下も、勢いを緩めずに走る。
さっきの部屋の真上に、彼女はいる。
扉に掛けた手が滑るほど、汗が滲んでいたことをその時知った。
「お帰り冬青」
その人を前にして、俺の浅かった息は一気に、
「上手に出来た?」
乱れた。
「こっ、これ……」
彼女の言葉に、俺は慌てて荷物の中から、小さな精密機械を取り出した。
「ご苦労様、今度ゆっくり見よっか」
彼女は受け取ったそれを満足そうに眺めながら、そう言った。
けれど俺は、先程の行為を拭うことが、依然として一人ではできずにいた。
彼女の声を耳に入れることで、あの女の奇声は忘れつつある。
でも、まだだ。もっと……。
俺は彼女に手を伸ばした。
「……そよちゃん。」
俺の腕の中には彼女がいる。俺のことを彼女が呼ぶ。
あの女じゃなくて。あの女とは違う。
あの気持ち悪い女とは、大違いだ。
「奈流……」
奈流に触れていると気持ちいい。
まだ、もっと。
「……今日、見ようか」
奈流の言葉に、俺は彼女の肩に顔をうずめながら、何度も頷いた。
奈流は、俺の恋人だ。
けれど俺は……
「嬉しい……。」
「あっ、んっ……」
「そんな、激し、したら……、すぐ……っ、あっ。」
あの女の耳障りな嬌声が再生される。
それを俺は、今度こそ、当事者としてではない立場で見ている。
もう、終わったことだから。
「なんていうか……、毎度きみは、本当に嫌そうな態度だねえ。全身から嫌々感が滲み出てるよ……」
「……」
ソファに腰かけた奈流が、俺の隣で言った。
当然だ。嫌に決まってる……。
それなのに彼女ときたら……。
目の前には大画面。音質も高い。
ここは奈流の部屋。
彼女は自分の部屋に、自分用のテレビその他の再生機器を持っている。
あの部屋での行為は、文字通り今“再生”されていた。
そう、さっき彼女に渡した精密機械とは、ビデオカメラのことだ。
それも、相手の女に気付かれないくらいの小型形態と稼働音の小ささを誇る。
「女の子の方は、こんなにいい顔してるのにねえ」
奈流の視線は画面から離れない。
相変わらず楽しそうに“鑑賞”している。
「うん、いいね。いい顔し慣れてるってカンジ。」
これは、奈流の趣味だーー。
黙って録画するなんて、盗撮だろう。
自分の恋人を他の人間にけしかけるなんて、美人局じゃないのか。
そもそも恋人に浮気をさせるなんて、それは本当に……
「まあ、冬青が映ってる(いる)だけで、充分楽しいけどね。」
けれどその言葉が、俺を彼女に従わせる。
「奈流……」
俺は彼女に抱き付いてすり寄った。
「ねえ、この時の冬青が考えてること、当ててあげようか。」
「うるさい。」
「だまれ。」
「早く、オワレ。」
奈流はにっこりして、得意げに述べた。
「ね、当たってるデショ。」
彼女の言葉は断定的だ。
俺も、当たっているので言い返さない。
「ふふ、愛し合っているのに、内心ではこんなに否定されて、かわいそう!」
奈流は画面の女を愛しそうに見た。
この女にそんな価値はない。
やめろ。
俺は、こんなことは、俺は奈流以外とは、
けれど彼女は、心底楽しそうだ。俺の心情とは裏腹に。
奈流が喜ぶことはしたい。でも、こんなことは……
「お疲れさま冬青。」
ああ、その言葉だけで俺は、
「次も楽しみにしてるね。」
この忌々しい行為をやめられない。
俺は恋人を、心の底から愛している。
そして彼女の恋人は、彼女以外の女を抱く、俺なのかもしれない。