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【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その9・後編ー】

――翌朝、早朝。

昨夜に比べたなら大分"マシ"にはなり、身体は動かせるようにはなった執事は、起き上がり仕事をこなしていた。

本当を言えば、まだまだ本調子ではない執事だが、身体よりも、働かないと気持ちが落ち着かず、厨房に向かっていた。

マーサの支度してくれている筈の、賓客の朝食を受けとる為である。

朝は忙しいので、ロックもマーサも必要最低限な会話しかしないが、昨夜の顛末を傍観してしまった執事の方はどうしても同期の友人が気になっていた。


一方の料理人は、いつも通りの威勢の良さで、現在は手伝いは厨房見習いの一人となった少女にわかりやすく指示を出しながら、立派に調理をこなしていた。


『マーサ、旦那様は遅く起きられるそうなので、朝食の支度は遅くても良いそうです』

『わかったよ!、ロックさん、お客さんの朝食は出来上がっているから、起きているようなら出しておいておくれ』

『わかりました』

会話らしい会話が出来なかったが、マーサが表面上は"平常"どおりだとロックには感じられた。


(とりあえずは、私は私の仕事をしましょう)

マーサが作った朝食を台車に乗せて客室に向かう。

扉の前に着いたなら、賢者が試験的に造っていた風の精霊石を使った装置で、客室にいる客人達が起きているのを確認出来た。

いざノックしよいとしたならば、昨日の事が急に思い出されて、執事は少しだけ赤面する。


(アングレカム様や、グロリオーサ様には私の気持ちや泣いた事はしらないはず!)

頭を軽く左右に振って、台車にを握る手にギュッと力を入れ、自分に"活"を入れる。


『"アルセン"様、"グロー"様、おはようございます。

朝食をお持ちしました。宜しかったらどうぞ』

昨日よりは女性の使用人の数は一段と減り、領主邸は静かなものだが一応偽名を使って呼び掛ける。


部屋の中で、軽く言い争うような声が聞こえたが、昨日から何かと(じゃ)れるようなケンカをしている客人達を見ているので、これが"当たり前なのだろう"と考える。


執事は足音が扉の方に向かってくるのを感じると、恭しく頭を下げて客人の返事が来るのを待っていた。



『ありがとうございます、少し話したいこともあるのでどうぞ入ってください』

執事は自分で扉を開けて入るものだと思っていたら、ガチャリとした音と共に客室の扉が先に開く。


『ありがとうございます』

頭を下げたまま礼を述べてから頭をあげれば、部屋に戻るアングレカムの後ろ姿が見える。


(アングレカム様は、どちらかと言えばこういった"もてなし"は、慣れていらっしゃらないのかもしれない)

そういったの所は、"一応"王の庶子でもあるためかグロリオーサは、口しか動かさないで、ある意味"使用人"としてのロックに慣れた態度をとってくれてもいた。



『……失礼致します』

頭を下げながら、アングレカムが開いてくれたドアを朝食を乗せた台車をを推して通り、入り口の扉を閉める。


視線を低くしたまま なので、アングレカムの脚だけが視界に入る。

客室に通じるエントランスを抜けて、漸く視線を上げたとき、アングレカムの整った口許が動いた。


『昨日は、あれから大丈夫でしたか?。今日はもう身体は動かせるようですが……』

やはり心配をする言葉をかけられて、申し訳なく思いながらまた頭を下げて、礼を言うためにロックは顔を上げた。


『心配、ありがとうございま……』

礼を言う口が思わず止めて、ロックはアングレカムを見つめた。


『ア、アングレカム様!?。アングレカム様こそ、大丈夫ですか?!…というより、お顔を一体どうされたんですか?!』

『おや、そこまで驚かれるとは思っていませんでしたが、そんなに酷いですかね?』

心配と驚きのの声をあげた執事に対して、心配された当人―――アングレカムは、そこまで驚かれた事に驚いていた。

整いすぎた褐色色した顔面の左側、緑色の目の縁の辺りに青痣が出来ていた。


『私は肌の色もあるから、目立たないと思いましたが、わかってしまいましたか』

『そんな事より、どうしてそんな怪我をなされていらっしゃるんですか?。

確か、昨夜は旦那様と私が出ていくまで、そんな怪我なんてなさっていなかったハズですよね!?。

お顔、少し、失礼します』

思わず執事の白い手袋を外して、自分より背の高い褐色の客人の顔に触れた。


『これは、打撲ですね。お手当てはなされたのですか』

まだ領主の子ども達が幼い頃は、世話もしたし、怪我をしたならば治療の経験のある執事はすぐに状態を言い当てた。


『自分なりに治癒術をかけたので、痛みはあまりもうないのですが。

痣の方は治癒術の具合が違うので、治める事ができませんでした。

けれども、心配はありませんよ。それよりも、あの時ロック君は身体に力は、入っていないようでしたが、やはりあの状態でも意識はあったのですね』

『それよりも、どうして痣が出きるような事があの後に起こったとでもいうのですか!』

穏便に話を済まそうと―――どちらかと言えば"誤魔化そう"としている客人を、執事はまるで詰問でもする様子で声をかけながら、アングレカムの顔に治癒術を始めていた。


しかし、詰問の中に"心配する"という感情が溢れているのに気がついたアングレカムは、誤魔化すのはやめて困ったような笑顔を浮かべて、正直に話を始めた。


『話は簡単です、ロック君と賢者殿が出ていった後に軽くグロリオーサと、そう、"組手"をしただけですよ』

『あれは、組手じゃなくて取っ組み合いだろう、アングレカム』

部屋の奥から声がして、治癒術を行いながら、ロックはそちらの方に視線を向けたのなら、明らかに起きたばかりだとわかるボサボサとした髪のグロリオーサが椅子に腰かけている。

だがそれよりも先ず目に入ったものに、執事はまた驚きの声を上げた。


『ああ、グロリオーサ様まで!』

こちらは右の口端に大きな黒い痣が出来ていた。


『アングレカム様とグロリオーサ様は、昨日旦那様と私がこちらの部屋を失礼させてもらってから、その後にお2人はケンカをなさったということですか!?』

アングレカムの事を信用はしてはいるが、今はグロリオーサの言葉の方が信頼できる。

ロックは治癒術をかけているアングレカムと、痣になっている口許の部分を触りながら、子どものように「イテテ」というグロリオーサを見比べて、まだ心配を含んだ口調で詰問する。


『いえ、久しぶりに2人になったので、互いに腕が鈍っていないかと思いましてね。

ロック君が心配するような……』

『……御言葉を返すようになりますが、私は賢者様に体術をそれなりに教えてもらっています。

だから、怪我をするにしても"組手"か"ケンカ"の区別はつきます』

執事が言う通り、主であるピーンと実戦での勘が鈍らないようにと、体術を基盤とした組手を三日に一度は行っているので、"組手"ならではの怪我の仕方や具合はロックにも分かる。


なので、アングレカムとグロリオーサの痣の具合を見たなら、かなり本気の打ち込みあいを―――というよりは、グロリオーサの言う通り"取っ組み合い"をしたのだと判り、思わず言い返してしまった。

アングレカムは、自分に治癒術を施しながら心配してくれている執事の姿に、誤魔化す事を止めにした。



『取っ組み合いと言っても、私はグロリオーサから売られたケンカに応戦しただけですから、そんなに心配しないでください。

ロック君、ありがとうございました』

そう言って、自分の顔の痣の手当てをする執事の手を、日に焼けた逞しい握って離した。


『アングレカム様、まだ治療が終わっていません』

執事が治療を続けようと自分の手に魔力を集め始めたなら、アングレカムはフッと笑った。

それから、ロックを遥かに上回る勢いでアングレカムが自分の魔力でロックの手を覆った。

カバーをかけられたようなもので、これでは執事は治癒術を行う事は出来なかった。

包まれた手を戻されて、アングレカムはロックの肩に手を置く。



『無理をしてはいけません。

貴方はまだ本調子ではないのでしょう?。

それに治癒術をばかりを使うと、身体の持っている再生の力も弱まりますから』

結局アングレカムの顔に出来ていた痣は、わずかに薄まった程度で、ロックの治癒術は終わってしまった。



『それと、グロリオーサの方は私の蹴りが掠った程度ですから、治癒術はいらないでしょう。

まあ、そもそも魔法が嫌いですからね。

貴方は自然の治癒力に任せるのでしょう?』

治癒は不要だと確認をとる言葉をアングレカムがかけたなら、グロリオーサはボサボサとした黒髪の頭でうなずいた。



『それよりも、朝飯を食べよう。

折角のマーサの朝飯……』

途中まで笑顔で朝食について語っていた言葉を、グロリオーサは引っ込めた。


『……ただ、痣があると飯を食べづらくなるのが辛いな』

そんな風に言い直して、グロリオーサにしては大分元気のない発言となった。

ロックには、客人が口に出した同期の友人の名前を聞いた事でそれとなく察しがつく。

そして恐らく"取っ組み合いのケンカ"となった原因についても、恋とは無縁の執事にも考えが及ぶ。


(……今まで、私が"摘み取って来た恋の芽"の話と合わせて、"トレニアに頼みこんでいた話"を昨日、賢者殿とロック君が部屋を出た後、グロリオーサにしました)

テレパシーで淡々とロックにアングレカムが、"痣の原因"について話してくれる。


(トレニア……様に何をアングレカム様は"頼んで"いたのですか?)

何とか表情には出さなかったが、同期の失恋の原因として予想出来る、未だに会ったことがない人物の名前を聞いて、思わず尋ね返していた。


『グロリオーサの言う通り、とりあえず食事にしましょうか。

誰が作ったにしても、温かく作ってくれた食事を冷ますのは、失礼になりますからね。

ロック君は昨日みたいに給仕が済んだのなら、腰掛けて待っていて下さい』

テレパシーの返事はなかったが、眼で「食事の間にでも」といったニュアンスをうけて、ロックは小さく無言で頷いた。

そして口に出す声は、穏やかで柔らかく、執事に語りかけていた。



『お気遣いありがとうございます。

それでは、支度をさせていただきます』

領主邸の客室はつい先ほどまでは、それなりに会話に溢れていたのに一気に沈黙が場を占めていた。


(グロリオーサ様が落ち込むような雰囲気になるだけで、大分"空気"というものが重くなるんですね)

朝食の支度を粛々と進めながら、ロックは改めてグロリオーサという人物の影響力というものを目の当たりにした気持ちになる。


(まあ、無駄に"影響力"を持っているのは事実ではありますね)

ロックの何気ない感想に、アングレカムは昨日と同じ様に席につきながら返事を返してくれた。


(グロリオーサは、失敗自体は空の星の数のごとくしていますから、失敗することには慣れてはいます。

それに失敗の内容も自分だけが被害を(こうむ)るようなものが殆どで、人に迷惑をかけません)

そこまでは引き続いて淡々とロックに伝えてくれていたが、不意にアングレカムのため息にも感じられる間が空いた。


(けれども、今回グロリオーサに話してしまった事は、今までみたいに"自分一人が腹を括ればすむ"というものとは塩梅が違いますからね。

人の気持ちを知らず知らずに、"グロリオーサが悪くない"と世間的に言われても、傷つけてしまった事に気がついて、落ち込んでいるんですよ。


よくよく考えれば失敗とは違うんですが、彼の中では自分に好意を寄せている人の気持ちに気がつく事すら出来なかったのは、"失敗"になってしまっているみたいですね)

そこまでを一気にロックに話したなら、アングレカムは固く目を閉じて――いつもの"世話焼き"の顔にもどった。


『グロリオーサ、頭がいい加減見苦しいですから、髪に櫛を通して来なさい。

ついでに顔も洗って来なさい。

その間に、私とロック君で食事の支度をしておきますから』

未だに珍しく暗い雰囲気を漂わせている親友にアングレカムがそう告げると、俯いたままグロリオーサは従った。


『ああ、そうだな、わかった』

ガタッと座っていた椅子から立ち上がり、洗面所の方へとノロノロ歩いて行く。

その後ろ姿を見送りながら、アングレカムは今度は本当に軽くため息をついた。


『やれやれ、今日はまた別れの挨拶に行くらしいですが、あの調子だと相手の方に申し訳ないですね』

(グロリオーサは、恋をするにしても、恋がいずれ"家庭"と言うものに繋がる可能性があることは、"素直なおバカさん"ではあるんですが、わかっています)

言葉には出せない事をまたテレパシーに乗せてロックにに語る。



(その、グロリオーサ様の性格からしたら、恋というものをしたら、その相手の方との結婚を視野にどうしてもいれてしまうんでしょうか?)



(―――実を言えば"結婚を視野にいれてしまう"原因を作ったのは私でもあるんですよ)


『えっ?!』


グロリオーサに聞こえないように配慮してテレパシーで会話をしていたのに、アングレカムの言葉に思わずロックは食事を配膳しながら声を出して反応してしまった。

自分より背の低い執事がなれた手つきで、配膳を続けながらも驚きを続けている様子には、アングレカムが吹き出した。


『ロック君は仕事が身体に染み付いていらっしゃるんですねえ』

眉毛を"ハ"の字にしながら微笑み、アングレカムも器用にサラダを皿に持っている。


『言っておきますが、私もこれでもよく失敗……自分で恥と思えるような事は、しているんですよ?』

『アングレカム様がですか?!』

『ええ、でも私は狡いですから、失敗しそうな場合は予防策を幾重にも用意をしているので、よく周りからは失敗はしていないと思われがちですけれどね』

(さて、ここからはグロリオーサに聞かれたなら面倒くさいので、テレパシーにしますか)

ハの字にしていた眉を、何時ものように整って見えるような形に戻して、アングレカムは綺麗に微笑んだ。


(あ、はい、承りました)

ロックのテレパシーでも行儀の良い返事に、美丈夫の青年は賢者がこの執事を可愛がる理由がわかるような気がした。


(それではいきなりの話になりますが、グロリオーサは国の王になる器があると、私は確信しています)


【時間はかかるがきっと"出来る"事だろうと思うよ】

尊敬する賢者から、旅立つ前にそういわれた事を信じて、信じる気持ちと同じくらいアングレカムは参謀として出来る尽力を尽してきた。


途中、自分の判断の"甘さ"の為に辛い仲間との別れもあったけれど、今はもう引き返すのが馬鹿らしくなるくらい決起軍の活動は進んだ。

そしてそれに併せて、平定がなし得た後の事も考えて、アングレカムは親友に"グロリオーサが家族をーー王が家族を持つ意味"という話を、それとなくしていた。



詰まる所、グロリオーサがトレニアに涙を流させてしまった会話の発端は――アングレカムにあったのだった。

そこまでをザッとロックに掻い摘んで伝えて、更に続ける。


(私が語るのも烏滸がましいですが、グロリオーサが恋心に一番近い気持ちをもっているとしたら、トレニアだと思っていました。

だけどそれは、一般的に"恋"と呼ばれるような情熱的な気持ちではないということも、わかっていました)

それはロックも身体が動かないながらも、昨夜グロリオーサの口から出た言葉で知っていた。



【好きか嫌いかで言うなら、はっきり言って好きだけどさ。

……これは"恋"っていうものにしても良い気持ちなのか?。

ただ、守りたいから、笑っていて欲しいから、それでどんな事があっても、大切にしたいって気持ちは"恋"としてもいいのか?】

グロリオーサの事をまだどうしても受け入れられないけれども、この言葉を聞いた時はロックも酷く共感出来ていた。

恋には、情熱とい言葉にもあるような、"熱"に浮かされるような熱い物がなければ、そうとも呼べないような気がした。


ただロックににしてみたら、熱はないけれども、暖かな大切にしたい"気持ち"はわかっているつもりである。

ロックの知っている経験で例えるなら、もう随分と前の事になってしまうけれども、領主邸の中庭で見た光景がそれに近いものだ思える。

中庭の日溜まりの木陰で、嫁いだばかりの、照れ、はにかんだ領主夫人に膝枕をしてもらいながら読書する主の姿には、グロリオーサの語った言葉が、そのまま場面に当てはまるようにすら思える。

執事の仕事の合間に見かけたロックですら、"仲睦まじい領主夫妻"の姿を見て微笑ましい気持ちになれた。

大切にし、守りたいと思える光景で、"そうすべきもの"だった。


そして、グロリオーサがトレニアという女性を大切にしたいという気持ちも、きっと自分の主と、その伴侶である夫人がしているような事に繋がることだとも思えた。

心を読むことは出来ないが、アングレカムはロックが抱えている気持ちに気がついたように、優しい笑みを浮かべる。


(私とトレニアとは、価値観の違い等も流せる程度の、本当の意味で"友"として付き合いをさせて貰っています。

ある意味、思想や理念を気にせず話せる相手だったので互いに気楽で、有り難い関係だと認識しています)

緩やかに、流れるようにアングレカムから見た"友トレニア・ブバルディア"について、ロックに話始める。


(決起軍の協力の盟約を結ぶための交渉で、私と彼女は行動を友にすることが多かったのですが、不思議なことが1つありました)


突如として"決起軍"の話が始まったが、聡い執事にはそれが"グロリオーサの恋の伏線"と判ったので黙して続きを待った。

交渉の一番の目的は決起軍が平定に向かって活動するにあたり、助勢の盟約を結ぶ事。

だが、会談を始めて直ぐ様盟約という所もあったが土地もあったが、そうでない土地もある。



盟約にを結ぶに当たっては比較的、穏便な方法を参謀はモットーにしてはいたので、決起軍の活動に関係ない話でも小一時間ぐらいなら、付き合ったりはしていた。

そういった事をまた掻い摘んだ説明を聞いた後、執事の主である賢者が人間観察をするにあたって"ニヤニヤ"しながら耳を傾けそうな話を、アングレカムは始める。



(世間話を始めたなら政治にしても、家庭の家事の仕方にも、もしかしたらどんな事でもあるかもしれませんが、自分の流儀―――というよりは、昔からのやり方を押し付ける部類の人々が希にいらっしゃいました。

そして決起軍で行動する上で、協力を仰ぐ土地で私は男性から政治について、トレニアは女性に家庭にこの流儀を押し付けられる事が多かった。

話される内容には私もトレニアも、確かに納得が出来るものもあったので、非礼がないように、丁重に話を聞きます。

最初は対等に話しあっていましたが、徐々に相手側の方たちは態度が、言葉がわるいんですが、"大きく"なります。

勿論こちらは協力を求めている立場で、世間一般にいう若輩者で、グロリオーサのような"王族"ではありません。

ここから、更に私にしては不思議な事なんですが、立場的には、助勢と協力を求めているのは確かにこちらです。

けれども、国からの悪政の危機を求められて助けたのはこちら側なのに、いつの間にか

"若造や小娘の癖に、どうしていう事を聴かない"といった、雰囲気になるんです。

こちらが、丁寧に協力を仰ぎ、世間話に愛想よく付き合えば、付き合うほど。

トレニアに至っては、"女なのにどうして結婚もせずに、こんなレジスタンスにいるんだ"と露骨に口に出して言われた事もありました)

長い説明を終えた後、アングレカムという人物にしては珍しく道化のように肩を竦めて、また話を進める。



(トレニアは元々、裏切りがあるかどうかの確認の為に、私が無理に頼んで付いてきて貰っていたのですが、予想外に"説教"をされて驚いていましたね。

そして笑っていました。"人って、本当に身勝手ね"と)


――"トレニアは笑っていた"とアングレカムがテレパシーで言うが、ロックには"トレニアは怒っていた"という感じにしか伝わってこない。

そんな気持ちを顔一杯に満たし、ロックが仕上げの食器を並べながらアングレカムを見つめるも、その視線を美丈夫は受け流して話を続ける。


("世間話"に付き合っていると、グロリオーサがいる時は別の意味で、"勢い"がつきそうでした。

なので、トレニアに合図を送ったなのなら彼女の武器である鞭を"1振り"して貰ったなら、まあ皆さん落ち着いて、

「決起軍の参謀と主力の1人」

が、どういった経緯で交渉に来た事を思い出してくださるんですがね。

それから、トレニアが元々は交渉の話のはずなのに"お説教"をしてくれた、その土地の代表となる方や、その夫人にニッコリと笑うと、不思議と交渉がとてもスムーズにいきました)

(それって、緩やかに牽制というか"脅して"いますし、トレニア"様"は笑ったとアングレカム様は仰いましたが、心の内では怒っていらっしゃいますよね?)

ロックが確認するように言った時、朝食の支度が丁度整った。


『まあ、そう受け取ってくれそうでしたし、行動に移せば、こちらの"気持ち"も、手っ取り早くわかっていただけそうだったのでしたまでです。

ところで、グロリオーサは遅いですね』

執事の青年に向かって、綺麗さの中に褐色の肌の色とはまた違った黒さを携えながらアングレカムは、言葉に出して微笑えんだ。


それから簡単な身支度を終えるだけの友人が戻ってこないので、多少わざとらしく形の良い眉を潜めて(いぶか)しむ。

グロリオーサが向かった方を見つめながら、またロックにアングレカムはテレパシーで話を続けた。


(そういった大きなお世話でお節介で、"無神経"にも思える言葉。

それが彼女を傷つかせることはありませんでしたが、苛立たせる事には十分だったのでしょうね。

自分達の安全が保証されたのなら、直ぐ様に自分達の価値観を押し付け、型に嵌めようとする。

「"親切のつもり、悪意はない"と言ってもね」

と、心の読めてしまう彼女が、口に出して愚痴られたので良く覚えています)

"身勝手ね"と言っていたともいう、グロリオーサも恐れ入る優しい女性の事を考えたなら、ロックも自然と口を開いて、言葉が出てくる。


『アングレカム様が中庭で仰った"郷に入れば郷に従え"という言葉は、私も嫌いではありません。

でも、郷とも思ってない場所に助力を求められて、助けて、その上で望んでもないのに、説教をされたのなら、優しく寛容な方でも腹立たしく感じるでしょうね』

『ロック君も結構言いますねぇ』

アングレカムがニヒルに口の端を上げた後、部屋にある時計を見て、やはりグロリオーサが支度に時間をかけすぎている事に気がついて、身体の向きを変えた。


『そうですね、特に彼女は、誰よりも赤ん坊や子どもが好きな人"でした"から。

それに関係する事を言われたなら、余計に腹立たしかったかもしれません』

『"でした"―――ですか?』

アングレカムの最後の言葉が、過去形の事に目敏く気がついて、思わずロックは尋ね返す。

客人は表情を動かすことなく、痣が残る方の緑色の瞳でちらりとロックを見つめてから、親友がいるだろう場所に向かって歩き出していた。



『グロリオーサ、一体どうしたんだというんですか?。

髪が絡まりでもしましたか』

ポツンと急に一人になった執事は、先程から話題に上がる恋という言葉について、少しだけ考えてみる。

が、直ぐに頭を直ぐに横に振って、"わからない"という結論を頭が弾きだす。


(旦那様もよくは知らないと仰っていらっしゃったけれども、きっと研究をなさったならば、誰よりも"恋"というものを利用して、使いこなして―――)

(そうだなぁ、だったらこんなのはどうだ、ロック?。

《心が熱くなり、体が熱くなり、その人物に近づきたい、側に寄りたい、惹きつけられる》とか、最もらしい言葉をつけてみるといいかもしれないな)

突如、ロックの思考に主の声が割り込んで入ってきた。


『旦那様?!近くにいらっしゃるんですか?!』

思わず大きめな声を出して、入り口の方に振り返った時、長い黒髪を下ろしたままのグロリオーサがアングレカムに胸ぐらを掴まれて、引きずられながら、共に洗面所から出てきた。


『ロック君、どうかしましたか?』

少しばかり慌てた様子の執事にアングレカムが声をかけて、苦しい!とグロリオーサとい言った時、客室の入り口からノックが聞こえた。


『おーい、入るぞお』

この屋敷の主のどことなく浮わついたようにも聞こえる声が聞こえて、客人同士は顔を見合わせて、今度は執事が眉を潜めた。


『旦那様、また徹夜をなさいましたね!』

徹夜をした翌朝に出すピーンの声が聞き分ける事の出来る執事は、ツカツカと客室の入り口の方に向かっていく。

執事が扉を開き、客室と入り口を繋ぐ通路で、ピーンとロックは数時間ぶりに再会した。


『やあ、おはようロック。もう体は動かせるみたいだな』

昨日に引き続き、賢者は妻と執事が繕った紅黒いコートを纏って立っている。


『旦那様―――目の下に軽く隈が出来ていますよ』

執事が白い手袋越しに、主の目元の隈ができている辺りを教えるように自分の涙袋の辺りを人差し指でなぞった。


(御二人に続いて旦那様まで……)

客人達が顔に痣ならば、主には目元薄い隈と、何だか変な"縁付き"に小さく笑いそうになるのをなんとか執事は堪える。

そしてピーンの必要以上に上機嫌な声の響きと、上に向いている口角に、執事は主が徹夜をした事を確信した。

ロブロウ領主は大きな皿の抱えていて、パンを数枚と、野菜とハムと調味料がおさまった小瓶が載せてある。



(流石マーサ、用意をしてくれているんですね)

自分の主は忙しい時や、朝食を食べるのを面倒くさがる時、よくロックにサンドイッチを作らせてそれで食事を済ませていた。


料理人はそれを承知していて、執事が作りやすいように、支度を毎日してくれている。

領主が朝食にサンドイッチを食べなかったとしても、上手い具合に工夫して使わなかった材料を他の料理に使ってくれていた。




『旦那様、本日は、遅く起きると仰っていたではありあませんか』

そんな事を言いながら主が抱えているサンドイッチを作るための材料がのった皿を、ロックは受けとる。


『いやあ、これから久しぶりに旅にでるんだなと昨日部屋に帰ってから風呂に入ったなら、不思議と気持ちが昂ってしまってな。

あははっははははっはは』

途中に怪しい息継ぎを入れながら、妖しい笑いまで浮かべている。


『旦那様は徹夜をなさると、心内は冷静でも、表に出される表現に怪しさが加わって、皆様が引かれますから。

特にお客様がいらっしゃっている時は極力控えてくださいね』

執事は、苦笑いを浮かべながら、"小さい子どもみたいですね、旦那様"と、心の内で小さく主に対して呆れる思いを浮かべる。



『いやあ、小さい子どもの頃は逆にロブロウの外に出ることが出来なかったから、今だからこんなに興奮しているんだと私は思うぞ』

『え?』

テレパシー用に思考を"表"に出したつもりは、ロックになかった。


ただ自分が考え思い付き、頭に浮かべた事の一部を掬い取ったように主が答えて事に、執事は皿を抱えたまま動きが止まって主を見上げる。

僅かに荒んだ隈のある目元ながらも、そこに優しさを滲ませてピーンは微笑む。


『急遽だが、ピーン・ビネガーは相性が悪い癖に、闇の精霊術を短時間で1つ覚えたことで、ハイテンションにもなっている。

―――グロリオーサ、髪止めの紐が切れたならカリンに直してもらえ。

それに"魔女トレニア・ブバルディア"なら、それぐらいで嫌な気持ちなんてなるわけがない』

皿を抱えて目を丸くしている執事をよそに、賢者で領主である男は、颯爽と客室の中に入っていった。



『ピーン、どうして紐が切れた事を知っているんだ?』

『貴方は本当にそんな事でウジウジしていて、髪を結べずに出てこなかったんですか!?』

『"そんな事で"じゃない!……って、でもピーンが言うならトレニアは嫌な気持ちにはならないのか?』

客室に侵入した紅黒いコートの背の向こうから、グロリオーサとアングレカムのまるで喜劇の掛け合いのような言葉がロックの耳の中に入ってきた。

次に耳には入って来た言葉は、自分の主の客室木霊する宣言だった。


『決起軍参謀、アングレカム・パドリックに賢者ピーン・ビネガーとして決起軍に参入する前に言っておきたい事がある。

私の今回の参入は、私の影のように傍らに控える執事と出会えた旅、私が成人するまでという期限があった同様に今度の旅にも、4年間という期限がある。

従って、今から4年私は、賢者として国の平定を助勢をすることを誓う』


―――これから"4年"、それで平定を終える。

アングレカムに、そう暗に断言をしたのと同じだった。


『それと同時にロックという才能ある国の人材の、閉じ込めた闇の精霊術の才能を少しずつ返そう思っている』


"国の為になら、《賢者》は自由に動ける大義名分がある"


『併せてグロリオーサという人を王に据えるのに協力する代わり、"器"となる人に産まれてしまった人の境遇を変える"法"も、この王の治世に組み込ませて貰う。

それが賢者として、私が参入する条件だ』


―――かつて、古の"匣"に閉じ込めた才能は、ロックという人の様々な未来に繋がる鍵でもあるはずだった。

"多くの平穏の為に、独り(1人)に不幸を強いるなんて、認めない"

その決意を元に、ピーンは動き出してもいた。







昨夜、アングレカムからも"参入"の要請を受け、執事も仲間に入れる事を決めて、妻にその決定を告げた。

急激に進み始めた流れの勢いを鈍くしては、勿体ない。

手早く身体を洗った賢者は、執事が用意していた寝間着を身に付け、絵本について、風呂上がりの濡れ髪のまま、まずは簡単に調べてみる。


しかし、いざ調べ始めてみると、絵本については、ピーンの持ち手の資料では情報が"繋がらない"。

資料も足りないと思ったが、調べ、ある程度の結果が判明しようとすると、情報の方が"確定"する記述をさけている表現ばかりをしていた。

やがて"深謀遠慮"の賢者として気がついた、というよりは"察した"。



《真の意味で"絵本"と、賢者ピーン・ビネガーが関わる"時期"は、生きている内にはない》


(恐らくは、私という"賢者"にこの絵本が《縁》がない。

関われるタイミングの偶然(チャンス)が、私という人の人生で最初からないんだな)


―――何より"絵本の方"が、ピーン・ビネガーを拒んでいる。


(だから、私の魔力を必要性もないのに、吸いたがろうとはしなっかった)

そう考えたなら、賢者の頭の中で面白い"仮説"が繋がった。


『―――面白いじゃないか』

賢いと尊敬され、領主として頼られるばかりの立場の人は、"拒絶"というものを、生まれてはじめてされ、暗いランプだけが点る寝室で、自分を拒む絵本を撫でながら嗤う。



『人の常識と、世界の成り立ち。

人の常識が覆されても、世界はまるで困らない。

世界という大地の上に、人はただ乗っているだけのこと。

だが、人という《語る》《記す》《伝える》存在がいるから"世界"は漸く認められて存在を維持している。

そして、"存在を認められる喜び"を知ってしまった世界が、そうやって人を蔑ろにしても良いのかな?。

特に私は、もしかしたらこの国の"王"となるかもしれない男と、今は縁付いている。

お前という絵本を永遠に"絵本"という形から、解放しなく出来るような力を持った男に、お前をこの世界から消すように唆すこともできる』


――――ある意味で、この絵本となっている存在に"カマ"をかけた。


そして見事に、"絵本"は引っ掛かってくれる。


グロリオーサという人の記憶や魔力にも繋がる力を全く吸いとらなかったのは、彼という人が"完璧に絵本という存在を葬り去る力持っている"という可能性があったから。

少しでも危害を加え、グロリオーサが気分を害し、今は"魔力や記憶を吸いとる古くて立派な絵本"としてでしか、存在できない自分を完璧に世界を抹消する力を持つ存在に、興味も嫌悪も持たれぬように絵本はしてきた。


幸いにも《仲間に入ってくれた神父の家族の形見》という立場を手にいれて、その存在を粗末にされる恐れは絵本にはなかった。

しかし、今は賢者が嗤いながら、"居場所"を危うくしようともする発言を聞いて、絵本は黒い(もや)が溢れ出して賢者を"威嚇"した。

だが、賢者は嗤ったままで絵本を挑発して、唆す。



『認められて、覚えて貰っていることで"存在"する世界―――いや、"神様"。

かつての契約した"旅人"となった賢者と同じように、私も貴方に取って置きの情報を囁こう。

貴方がこの世界に閉じ込められた"主"と"妻"に出会う偶然(チャンス)を握るのは、やはり"賢者"だ。

ただ、恐らくはその賢者が誕生する為には、この"国"の状態は剣呑だ。

とりあえず平定し、安寧した土地になら、お前が"居場所"を譲ってまで会いたくて堪らない"主"と"妻"に(まみ)える時間はぐっと短くなるだろう』

様々な"旅人"の話を思い出しながら、勘繰りの"カマ"かけとなるが上手くいったらしかった。


(―――最大限に、利用させてもらおうか"高所の王様")

ピーンにとっての"最優先"は、この領地と大切と思える人を守る事だけ。


そして、そこにカリスマを誇るグロリオーサという"親友"が加わった。

ただ、彼という存在はもう"国の王"としてでしか、相応しい居場所がない。


―――だったら、居場所を友として用意しよう。

この絵本が抱えている様々な有益な情報を、"賢者"という資格を保持してる事で手に入れられるなら手に入れる。


―――心が熱くなり大切な人を守りたい

―――体が熱くなり強くなりたい

―――大切な人物に近づきたい信頼を得たい

―――側に寄り共に同じ景色を眺めたい。

―――惹きつけられ、努力していればやがて大切な人からも必要とされる。


(これは、"恋"という気持ちに似ているかも知れないな)

考えるだけで"胸を熱くする"、そんな経験をピーンは産まれて始めて味わった。


そんな気持ちを抱かせる、友とその友人達が作り直すの治世を賢者は見たかった。

そしてその友が作り治める安寧の世相に、娘達を嫁がせ、息子に嫁を迎えさせて、親としての役目と、ロブロウ領主としての役目を果たしたかった。

責任を果たした上で、残された時間と世界で、本当に大切な人達と、出合った頃のような、日々を憂いなく過ごさせたかったし、自分も過ごしたかった。


(グロリオーサという人をこの国の王に据えて、絵本(お前)が求める"存在"と邂逅出来る確率を上げるという取引では受け入れられないか?)

そういう内容を魔術的な知っている方法で語りかけてはみるが、絵本は答えない。


(私という賢者には縁がないという事に、そこまで頑なにならないと行けないのか)

そこで1度小さく溜め息をついて、マーサの作ってくれた菓子を摘まんで口に放り投げる。



『ああ、そう言えば……』

夜食も作って貰っていた事を思い出して、絵本を抱えたまま部屋の端の方にある台車に向かった。


(もしかしたら絵本の方も、何か"不文律"で縛られているのか。

若しくは、何かを制限をかけられている?)


そんな事を考えながら食事がのせられている皿の覆いを外したなら、調べ物をしながらでも食べるのを見越したような配膳がされていた。

ライスを握った物や、片手で食べられるような手間がかけられた食事に、領主の立場としてのピーンは物凄く有り難いと感じていた。


自分の気持ちもどうこうといったものがあるが、こうやって気を回した食事の支度をしてくれる、マーサのような領民達がが安心して過ごせる日々を領主として与えてたいとも考えている。

ロブロウという領地を、それなりに"大切"に思っている事に改めて気がついて絵本を小脇に抱え、手間がかけられた夕食を感謝しながらをモグモグとその場で頬張った。


(まあ、でもこんな立ち食いしている所を見つかったら、ロックに怒られそうだなぁ)

そんな事を考えていたら、そのロックの事があってからはめっきり嫌われた闇の精霊が、側に寄って来ている事に気がつく。


(何だ、さっきロックから引き剥がしたことを根にもってきたか?)

しかし、どうやら"人間"の事はお構いなしに絵本の方に精霊は近づこうとしている。


だが、ピーンが手にしていることで闇の精霊は絵本の側にはよれない。

そして絵本の方は、相変わらず自身の存在を脅かそうとする賢者を黒い靄をもって威嚇はするが、語りかけてくることはなかった。

ただ、絵本は側に寄ろうとする闇の精霊を(いと)うといった様子は見えなかった。


(いや、寧ろ闇の精霊をの事を考慮している様子もあるのか?)

絵本の"存在"の正体がわかっている賢者は、闇の精霊が絵本を慕うのは仕方ないと自然に思えた。


(―――今の状態でも曲がり(なり)にも、慕うものに優しい"王"という立場か)

ただ、王も自分の存在を脅かす者の前に、闇の精霊に対してそこまで思いやる余裕が無いように見えた。


(私が邪魔をしなければ、本当なら言葉の1つでもかけてやりたいんだろうが―――)

そこまで考えた時、ふと酷く乱暴だし、自分の身に僅かだが害が出そうな方法だが、絵本と"疏通(そつう)"が出来るかもしれない方法は賢者は思い付く。



(―――今の内に、やってみるか)

幸いにもピーン・ビネガーに危険な事を起こったのなら、自分の身に危険が起きた以上に心配をし、辛い思いをする"2人"は今は眠ってくれている。


(多分、怪我もしないし、血は……少しだけ流れるけれど、誤魔化せる)

―――但し、"今"自分の中にあるものを、確実に喪うのが判った。


『でもまあ、このまま時を流しても総てを喪うよりはマシだな』

親指に着いた最後のライスの粒をペロリと舐めて、絵本に手を伸ばそうとすると、側に寄ってきていた闇の精霊が盛大に"怒った"。


ただでさえ、ロックとの関係を無理矢理遮断した賢者に怒っているのに、自分達の"王"の1人に、唾液の着いた指で触れようとする不敬に怒る。

果敢にも賢者の足元に及ぼうとした闇の精霊を―――賢者は今は台車の上にあったランプを手にとって、灯火を近づけ、遠ざけた。


今まで、靴底で踏み躙るようにしてきた扱いとは程遠い"優しい"振舞いだった。

感情の在り方は"人"とは違うが、"記録"はしっかりとある闇の精霊達にも、急激な賢者の対応の違いに躊躇いを与えるものだった。


『ああ、悪かった。お前たちにとって大事な主で、"旦那様"だもんな』


―――旦那様

―――領主様


敬い、大切にしたい気持ちはどちらかといえば、賢者には判らない。

けれど大切な人を語る時の人の気持ちを、蔑ろにしてもいけないのは判っている。


『先ずは"保険"をかけてからだな』

台車の上にある手を灌ぐ為の水を張ったボウルに、側にあった"調味料"の塩の瓶を持って振り入れる。

シャッと小さい音をたてて、塩の粒は水の中へと溶けた。


『風呂にも入っているし、簡易の"浄め"だけれど、これで良いだろ』

その中で、利き手の右手を手首まで浸して"禊"いだ。


『それでは、ちょっと、待ってて貰おうか……"王様"』

そう言って、絵本を台車の空いたスペースに置く。



(カリンが起きませんように)

そう頭に思い浮かべながら、パンっ!と空気を震わせる"柏手"を鳴らして、場を浄める。

感覚で場が浄められたと感じたならば、ピーンはいつも妻と執事をからかう言葉を紡ぎ出す口にある頑丈な歯で、人差し指の先を噛み切った。



『我が血を持って、ロブロウの地を護る契約を――――」

噛みきられた人差し指から紅い血の雫が滴り落ちて、球体となって領主の寝室の床に落ちるように見えた瞬間――小さな紅い球体は宙に伸びる。

伸びた血の雫は、まるで紅いインクのように宙に様々な文言を刻んでいく。


『―――これだけは、何を敵にしてでも、護りたい記憶だからな』

伸びた紅い文言はやがて、宙に様々な"記録"を刻みながら、やがて床に伸びて緩やかなカーブを描く。

その緩やかな曲線のカーブが床に描いたのは、異国の陰陽(インヤン)の魔方陣だった。


『うちの"国"では御初のまだ記されてない"血の契約"の術。

序でに、ここに私の纏めた秘術を"血の中"に記録しておこう。

まあ、この"血の記録"を"紐解き引っ張り出す"には私みたいに身勝手な"人でなし"みたいな奴じゃないと出来ない事だが』

少しだけ不貞不貞しく笑い、脚を閉じて立つ。


足元に浮かぶ、異国の呪物の白と黒の伸びた円が流れるように合わさったような図形―――東の異国の魔術を代表する象徴(シンボル)の中央に賢者は佇む。

閉じ、踏みしめる足元から巻き起ころうとする旋風を極力抑えながら、術を続け、血の契約で譲渡する『ロブロウ領主』の秘術の記憶を、自分に流れる血に刻み込む。


『何年後か、何十年後が、はたまた何百年後か。

 出来れば、ロックが"器"でない世界で、この私が編纂した、血に記憶した秘術達が使われる事を願おう』


―――どうか、私を、置いて、行かないでください、我が"(あるじ)"。


見てはいないのに、泪に濡れた執事の顔が賢者の頭に浮かんだ。



(血の繋がりもなく、死んだわけでもないのに、涙を流されるほど思われる事なんて、多分……いやきっと人として幸せな事なんだろうな)

寄る辺ない身の上で、依存という心の病を抱えていなかったのなら出来なかった縁。


だが、もし"彼"がいなかった人生の自分を僅かに考えただけでも、ピーンの心は冷えた。

きっとピーン・ビネガーは、ロブロウという領地に"賢い"と呼ばれる治世を行いはしていただろう。

けれども、きっと冷めた気持ちをいつもどこかに抱えていたとも、考えが及ぶ。

彼という"影"がいないまま、賢者として旅を続けて、やがて領地に戻り、成人もしていない幼い妻を迎える。

そして、"ロックに出逢わなかったピーン"なりに彼女を大切にしていくのだとは思う。

けれども、"賢者"としても、理屈だらけの気遣いだけでは、知らない土地にきたばかりの立場の彼女に辛い思いをさせてしまったことが、ロックと共に"生活"してきたピーンには容易に想像できた。

妻の事を"愛しい存在"という事も、彼がいなければ気がつけなかった。

考えたくもないけれども、もしもロックがいなかったら自分もロブロウの一部の古参のようとまでは言わないが、男児を中々産んではくれない彼女に本当に(むご)い気持ちすら、妻という人に対して抱いていたとも思う。



『―――この術を行う者の"鍵"。

"私"と"同じ過ち"と"後悔"を抱いた者と定めて』

ピーン・ビネガーの血を引いた、子孫が、もしも1人では背負うには重すぎる"荷"を背負った時の為にもの保険。

それは"ロック"という存在に出逢えなかった時の自分の"身勝手な孤独"を重ねていた。

心を誰かに打ち明けているようで、誰にも開いていない。



『秘術を教えるにしても、(ただ)じゃ教えないけれどもね。

これも"血"の記憶に盛り込んだ方がいいか』



―――鼻から息を吸い、腹の下に力を入れる。


『丹田、臍の下のあたりに力を入れて、意識を森羅万象――宇宙間に存在する数限りないすべてのもの、意識を重ねるつもりでやれ』

自分では見ることの叶わない、遠い未来の先にいる恐らくは自分の"後輩"になるだろう人物に、まるで指導するように、賢者は言葉を続け、両掌を重ね合わせた。


『九字の大事は深秘にして、語り難きを肝に命じろ。

 疑念を晴らさんその為に、説き聞く。

 九字の真言、所謂、臨兵闘者皆陣列在前の九字。

 その時、急々如律令と呪する時は、東の国に言うあらゆる五陰鬼、煩悩鬼、悪魔外道死霊生霊、立ちどころ に亡ぶること、例えるなら霜に熱湯を注ぐが如く。

 実に元品の無明を切るの大利剣(だいりけん)、それは莫耶(ばくや)が剣のようにも例えられるだろう。

 この言葉に込められた意味を踏まえて、九字の印を結びを"斬れ"。

 心して使わなければ、大切な者を喪う事になる』

他の諸々の秘術や、ピーンが賢者として集めたこれまでの情報、王ではなく"国"に任されていた研究の成果。

そしてその"情報"との引き換えの代償に、"頼み事"を自分の血脈の中に刻んでいく。


(血の契約の編曲(アレンジ)が使うのが出来る人――"賢者"なら、ここまで告げたならコツはもう掴めただろう)

――寧ろ、ここまで"読解"も出来ぬ程度の力足らずの賢者なら、願ってでも関わっては欲しくない。


攻撃的な笑みを浮かべた後に、表情を引き締め"《時代が赦す》なら"と、最後に1つ願いを込めて自分の血に刻み込む。



――この土地の呪縛から、自分の血を引き継ぎ、領主となった存在を解き放つ事を国の"法"が許していたのなら――

――その術を行う際に、『名前』を出してはならない――

――『名前』という《呪》で、大地とビネガー家の血が流れる者を縛る機会を『大地』に与えてしまうから――


大層そこまで、真面目に言った後―――


『まあ、最終的には力業で頑張ってくれ。

もしも後に戦いが続いたのなら、『戦略』よりも、結局は心の問題の方が大きい』

再び不貞不貞しく笑った後に、パチンっと指を弾いた。

次の瞬間には旋風は止み、ヴンッと空気を震わせる音を残して、ピーンの足下に浮かんでいた陰陽の印は消えた。


『―――さて、お待たせしました王様。

貴方がどんなに拒んでも、"お話をしたくなる状況"にしますから』

特別な術を行っていた間も、口を利きたくない相手には"そっぽを向いていた"、台車の上に安置されている絵本に賢者は語りかけた。



『―――そんなに、縁がないからと嫌わないで欲しいな。

私は貴方の"眷属(けんぞく)"と、深いコミュニケーションはとらせて貰っているんですよ。

よく例え言葉にもある、《喧嘩するほど仲が良い》ってね』

高い背をスッと屈ませ、薄暗い部屋に出来た自分の影に先ほど噛みきった、人差し指がある右手の長い五指を伸ばす。


自分の影に潜んでいた闇に(えぐ)りこむように指を差し入れ、力の限りグッと掴んだ。

捻りあげるように掴んだ瞬間、闇の精霊達が音無き悲鳴をあげ、賢者の長い腕に絡み付くようにして昇ってくるてくる。

そして、この国の人々は宗教的に忌み嫌う"蛇"という生き物の姿を(かたど)り、大きくな口を開け牙を見せ、賢者を威嚇するが、された当人はせせら笑っただけだった。



『なんだ、いつもロックとお前達の"逢瀬"を邪魔する時は、猛々しく積極的に邪魔をするなと言ってくるのに、"それくらい"とはしおらしいじゃないか』

そこまで言ったなら、握っていた部分を力の限りでピーンは握り潰した。


それと同時に、止まりかけていた指先の傷口が開き、血が流れる。

だがそれに構うことなく、ピーンは更に力を込めて握り、闇の精霊は潰されるようにして指の間から漏れ、領主夫妻の寝室の空間を粒子のような粒を広げて霧散した。


『どうした。これくらいで消えてしまうなんて?』

霧散し、散っても自分の回りを恨めしげに飛んでいる。


『それともなんだ?。"初めて"私がこんな風に積極的になっているから、照れているのか?』

台車の上にある絵本僅かに震えて、それを見て賢者はニヤリとまた笑う。


『やはり"王"だけあって、自分を慕う眷属の苦しむ姿は嫌ですか?。

でも、ご安心ください―――今から、貴方を慕う眷属と友になりますから』

屈んでいた姿勢から立ち上がり、闇の精霊を手で"掴んだ感覚"を忘れない内に、呼び掛ける。



『《彼は――"ロック"という存在は、私という人を敬愛して離れられないゆえに、私は何があっても、お前達が親愛を抱く彼を助けよう。

彼が私を"旦那様"と慕い、私という人を必要とするのならば、私は彼を守ろう。

ロックが私を求めて呼ぶのなら、私は応えよう。

彼が悩む時は共にいて、彼を救い、彼に存在の証となる光を当てて、影を造り出させよう》』

指先に触れた感覚から、闇の精霊が好む言葉と"大好きな人"の名前を―――ロックの名前を餌のようにさらけ出して、闇の精霊を引き付ける。


『《私は心を尽くして、ロックを―――お前達の親愛を抱く彼を、この世界に定めて守ろう。

彼の心が悲しみのよって叫ばせる事がない事を、この命を以て誓おう》』

指先から滴る血の滴と、闇の精霊が交ざり丁度、ロックとカリンが繕い直してくれたコートをピーンに思い出させる。


(私が出来る最大限で、お前達にとって"も"、大切な者を守ろう)

そんな気持ちを乗せて、闇の精霊達が耳を傾ける言葉を語り続ける。


『《"お前達の力"を、大嫌いな私にも貸してもらおうか。

しかも、闇の精霊術の内で尤も困難なものの1つ。

人の心に滑り込み、その気持ちを汲み取る術を私に使えるようにさせて貰おう。

そうすれば、私がお前達の大好きな"彼"の心を悲しみで染めさせる事はない》』



―――闇の精霊に大切な"弟"のように思っている人を委ねるつもりは、ピーンにはない。

―――そして、"弟のような人"、ロック自身も依存先であるピーン・ビネガーにしか気持ちを向かせるつもりはない。

―――ならば、報われる事のないロックを慕い助けたいという、闇の精霊の気持ちをピーン・ビネガーに委ね、助勢しろ。

―――そうしたならば、ピーン・ビネガーが持てる力の総てをもって、闇の精霊達が慕う"彼"の事を助けよう。

パチンっと傷口が裂けた指先をまた弾くと、血と闇を交ざった滴がピーンの影に落ちた。


闇の精霊に義理を言葉で並べ立てつつ、思念には本音と事実を浮かべて交渉を続け、暫く、互いに睨みあうような時間が流れた。

やがてひっそりと再び蛇の姿に変えた闇の精霊が、今度は賢者の背後にある影からゆっくり煙が立ち上るようにして、姿を現す。

闇の精霊にも、この人が"精霊とロック"の間を執拗に邪魔しているのはわかっていた。

普通の人とは違い、一筋縄ではいかない存在だと認識していた 。

この人が提案する通りに動くのが一番なのだと、人の"闇"―――負の感情でもある"企み"の部分を担ってもいる精霊には、理解できていた。

けれども、このまま言われるがまま従うのも癪だとも感じる。


―――ナラバ、セメテ、イチド!

再び音無き声をを出し、背を向けているピーンの背に牙を刻み込もうと跳ねた。


『―――精霊の助勢を頼むのに、その前に"屈服"をさせるのは、あまり利口な手口ではないと思っているんだがなぁ』

振り返りもせずに、左の腕だけを背後に回す。

ピーン・ビネガーは飛びかかり、黒い牙が寝巻きのシャツに食い込みそうな間際で、闇色の蛇を喉元に親指を食い込ませるようにして、掴む。


今度は握りつぶしはしないで、掴んだまま正面に左腕を回し、身体も瞳も総じて"闇色"でしかない蛇とピーンは向き合った。

闇色の蛇は大きく頭を振り、裂け、割れると思えるぐらい、大きく開口する。

その裂けるように開ききった口から鋭い黒い牙を剥き出し、生身の蛇と変わらない程の激しいうねりを握られた腕の中で見せるが、その長い胴体を掴む賢者の手は微塵も動かない。


『そんなに私という人間の"助勢"が嫌なら、望みどおり"屈服"させる形で力を貸して貰おう』

僅かにでも持っていた「穏便に済ませよう」としていた気持ちを、あっさりと引き下げた。

"屈服"と口に出したと同時に、蛇の喉元にあった指先を、一気に食い込ませる。


『精霊も具現化して形作ると、引き捌く感触も"生身"と同じに近いのかな』

一人旅の時に、"何事も経験だ"と、ある意味実験のように食用の蛇を捌いて、皮を剥いた時の事をピーンは思い出させる。


そして、その時と同様に、好奇心ばかりが彼の心の中に溢れ、"罪悪感"などまるでなかった。

ただ"捌く"蛇の感触と、を楽しもうとばかりに、心が逸った。

闇色の蛇の、親を食い込ませた喉元から、血を飛び散らかすようにや身体と同じ色の粒子が飛散する。

飛散する粒子を眺めながら、闇の精霊を"屈服"させる為の(いにしえ)の文言を賢者は口ずさむ。



『《暗黒と深い闇の中にいる者、苦しみと、くろがねに縛られた者。

汝らは"大地の女神"導きに背き、故にいと高き場所に助言の王の言葉すら聴かぬ》』

台車の上にある絵本が、仄かに輝いて"眷属"でもある精霊を苦しめる、今まで無視を決め込んでいた人に反応してみせた。

それを視線の端に捉えながら、更に屈服させる為の文言を続けた。


『《恵みを、闇色の精霊から遠ざけてください。

そして屈服を示す為に、大地の女神のみわざを以て、捌きを行い、広い地にその(こうべ)を地に落としてください》』

そう言って唸り暴れる闇の蛇の頭を血の滴る人差し指で撫でると、蛇の動きがビクリと固まる。


固まった瞬間に、賢者の蛇を掴む腕がグッと振動する。

先程は掻き消えるように消えた闇の蛇の頭が、今度は形を保ったまま、親指を食い込ませた場所からボトリっと括れ、ピーンの影の中に落ち、"沈む"。



『―――助勢の頼みを拒んだ事、凌辱を受ける以上の辱しめ受ける気持ちで、後悔するがいい』

自分の影の闇の中に落ちた蛇の頭部が、沈み中で融け、交わる。


遠慮も躊躇もしないで、自分の中に落ちた"闇の精霊"の仕組みの中を、賢者は手弄(まさぐ)り、手探る。

ピーン・ビネガーという個性は光の塊のように、蝕まれるような、影の居場所を瞬く間に蹂躙に近い状態で奪い、強引に闇の精霊の内面に潜り込んでいく。


そうして、頑なに拒もうとする存在を抱きすくめるようにして、賢者は闇の精霊と交わり、"無防備な心の中を覗き込む"という、中でも高度の闇の精霊術をピーンは会得した。

自分の中に蠢くようになった、内に産まれた新たな感覚に、ピーンは少しだけ眉を潜める。


『やれやれ、相手の了承なしに本当に強引なのは、何にしても私の性に合わないな―――んっ』

喉元に胃液と共に、先程食べたばかりの夕食が軽く逆流もしてきた。


(やはり、私という人間とは、闇の精霊と相性が悪い)

その事も、ピーンは再確認させられた。


―――だが、下準備は全てが整った。



『"保険"も"面会"の準備も済んだが、寝巻きに無造作過ぎるこの姿のまま会うのも失礼かな。

上着くらい、身に付けようか』

ピーンは先程衣紋掛けにかけたコートを纏う為に、脱衣場に向かった。

序でに半乾きの髪に手櫛を通して整え、浴室の脱衣場から出た。


『―――さて、話そうか"地獄の宰相"殿』

ピーンは当たり前のように、台車の側に厳かな雰囲気を醸し出し、佇む"独り"の老人に声をかけた。


突如姿を現した筈なのに、賢者はその老人を"漸く会えた"と言った具合に好奇心に満ちた瞳で、見据えた。

だが賢者の瞳の中に"好奇心"はあっても、親愛を感じさせる類いは全くなかった。


―――皺に埋もれながらも叡智に満ちた顔に、白い髭を穏やかな口元に蓄え、上等にしか見えない毛皮のガウンを羽織り、杖に両手を乗せて、寝室の薄明かりの中で立っている。


『中々強引な"旅人"殿だ。

無理矢理私との"縁"を造りあげるとは』

少しだけ愉快そうに笑って、闇の精霊という眷属を人質のように取り込んだ"地獄の宰相"と呼ばれた老人は賢者を見つめた。


『別にアンタとの縁が、私は欲しいんじゃない。

"大切な者"を守るための術を手にいれたかっただけの話。

まあ、その為にはあんたと話さなくてはいけなかったわけなんだが』


(本当なら、話をしたくもなかった)

心が読めなくとも、そんな気持ちを伝える表情を浮かべ、賢者は寝室の薄闇の中、台車の前に佇む姿を現した"地獄の宰相"だと思われるを存在を見つめる。


『それはそれは、また結構なお言葉です。

加えて"目は口ほどに物をいう"と言うわけですな。

その有態、世界を"時間"という縛りをなくして旅を続ける為に、私にこの世界を留まる方法を教えてくれた賢者殿。

―――いや、"旅人殿"を彷彿とさせ思い出させてくださいます』

結構な言葉と態度をしたつもりだったが、ピーンに見つめられる台車の側にいる老人は、穏やかに微笑えむばかりだった。


『ただ言わせて貰えるなら、"私も"、ただ大切な方達に再び巡り逢わんが為に、こんな面倒くさい事をやっているだけ。

そして賢者殿は、ワシが姿を現さなければいけない条件をわざわざ整えてくださったという事。

ですから、こちらの(ねぎら)い言葉などは、お構い無く賢者殿』


("地獄の宰相"と呼ぶよりは、どちらかといえば皮肉も機知にも富んだ答えで返す、"品の良い執事"にも見えないこともないな―――)


"旦那様"


執事という言葉でどうしても、自分の優秀な執事の青年を思い出させられた。

そして彼の顔を思い出した瞬間に、賢者の精悍な瞳は大きく見開く。


(―――馬鹿な)

眉間に大きなシワを刻みながら、姿を現したら"地獄の宰相"の姿を見て頭に浮かんだ考えを否定する。


けれども、自分の観察眼が恨めしく成る程、"地獄の宰相"という人の造形が、ロックに似ている事を訴えていた。

正確にいうならば、今は青年の彼が"年老いたならば、きっとこの様な風貌になる"という事になる。

そういった事が、頭の中の想像力だけで、十分に考える事が出来るほど"似ている"と感じさせられた。


("偶然"では済ませられない事かもしれないが、"現在(いま)"はそこまで気にしてはいられない。


それに)

―――予想外ではあるが、"そんな事の為"に、未来に繋がる"保険"を、自分の血の中にしておいた。


『―――なあに、私は新参者の賢者なもんで、そんないきなり核心部分に触れるような事を言っても、どうにもなりませんよ、宰相殿。

それに私が欲しいのは、私達の先輩が託した……というか、貴方に授けた"術"を少しばかり教えて欲しいだけなのです』

大きめに開いていた瞳を元の大きさに戻して、心に浮かんだ動揺を声には含ませず、滑らかに会話を繋げる。


(それに、この宰相殿と話をした後に、私がこの"姿を覚えている"という保証もないのだし)

ピーンの気持ちを察しているのかどうかは判別がつかないが、"地獄の宰相"となる老人は賢者が目を見開いた事に気がついてはいただろうが、特に反応をすることはない。

そして、薄暗い寝室に流れる空気は、相変わらず穏やかなものだった。


"今は、自分の大切な者の為以外の事は、瑣末な事に過ぎない"

領主と老人はそういった雰囲気も、寝室に充ち溢れさせて会話は進める。


『ワシと会話をする方法を得る為に、我が眷属を蹂躙するような乱暴な術を以て、話そうとする賢者殿に、ワシはどういった態度をとればよいのでしょうな。

それに賢者殿が欲する"術"――この方法は、一応自分の居場所を引き換えにして手にいれた物。

おいそれと、尋ねられたから教えて貰えると思ってもらわれたら困るのですがな』

杖に重ねて置いていた片手を、白い髭が蓄えてある顎に当て、撫でながら老人はゆったりと"断り"を口にする。


『だが、"独り"でいても仕方がない《居場所》でもあったのでしょう?。

そう考えたなら、要らぬものを人に渡して、己に都合の良い"術"を貴方は手にしただけではないのですか?。

人は、その場所を"有効的"に活用しているだけ。

それだけの気もしますが』

ピーンも自分の手を口許に運んで、僅かに伸びている髭の感触を指先に楽しむ。

丁度、鏡に写し出したように同じ所作を2人はしていた。


『ワシが、存在を保つ為に、"恋い焦がれる"人の想いや記憶を糧として、造形を保ちやすくなる為に、絵本という記憶の媒体になった原因。

そうなったのも、そもそもの原因は、"人"の方にあったのだがな』

地獄の宰相が、髭を撫でていた手を離して、親指と中指を触れあわせて肩の高さで止める。


『怒りを覚えたのなら、どうぞ、貴方の力を振る舞ってください。

貴方という存在が、どのような戦い方をするのかも、賢者という役割を、この世界で"割り振られた"私には、好奇心を擽られるものです』


ピーンも顎を撫でる指先を離して、親指と中指を触れあわせて肩の高さに手を留める。


『どれ、少しばかり戯れようか、"若造"』

『さっさと来い、ジジイ』



"パチンっ"と全く同じ響きを持った指を弾く音が、寝室に響いた。


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