表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
90/195

【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その6・後編ー】

『―――グロリオーサの持つ絵本ですが、実は詳しくは"持ち主"である神父殿ですら、詳細な事は判りません。

ただ、昔から"あった"という事です』


"相変わらず"グロリオーサの手元にある、古いが立派な絵本を一般の婦女子ならうっとりとしてしまいそうな、凛々しい瞳でアングレカムが見つめながら言う。

書斎にいるロブロウの人々は、上座となる領主の隣に連なって腰かける客となる2人を、遠慮なく見つめていた。


ちなみに、グロリオーサが"粉砕"した窓辺は、手早く中庭を片付ける指示を出した執事が、大工道具を持ってきて応急処置をしていた。

窓枠部分に新たに綺麗に、材木で新しく枠を造り、小さな釘で打ち込み嵌めていた。

その枠に、ピーンが実験で造った東の国で窓ガラス代わりにも使われていると言う、"和紙"というものを、糊という米や小麦,いも類などの穀物類を水で煮て,熱と水の作用で出来た"接着剤"で貼り付けている。

処置が済んだ直後には、その出来映えに思いの外風情があって、ピーンは感慨深そうに頷いていた。


『へえ、これは思っていたよりも良い感じだな』

『応急処置ですから、夕方にははめ直してガラス窓に直させますけれどね。

それに風情があっても、紙ですからね。雨が降ったのなら、一度で駄目になりますから』


"いっそのこと領主邸の窓を全て、和紙に変えよう"と言い出しかねない主に、執事が先手をうって釘を刺す。

だが"和紙"を通して入ってくる光は柔らかく、ロブロウ領主の書斎はいつもとはまた変わった雰囲気ともなっていて、不思議な空間が出来上がってもいた。


『――更に、この絵本は人の魔力を、希には、"気紛れ"のように"記憶"吸って存在を保っているらしいとの事です。

記憶に関しては、本当に無造作に吸い取っているらしくて、基準が判りません。

そして、どうやら魔力は必ず吸ってはいるんですが、吸うにしても、相手に"好き嫌い"があるみたいです』

そんな和紙越しの柔らかい光の中で、アングレカムの説明が始まっていた。



その綺麗な褐色の顔の前に"グイ"と湯気が立つものが差し出される。

肉付きの良い、服の袖がたくしあげられた腕の先に、ビネガー家の花押である梅の花を模した装飾が入ったソーサと揃いのカップがあり、その中にほどよい香りの紅茶が淹れられていた。


『魔力に"好き嫌い"だなんて、とんだ偏食な絵本だねそいつは!。

はい、アングレカムさん。

こんな愛想のない綺麗なメイドでもない料理人のお茶が良いなんて。

とても綺麗な人だけど、絵本と同じ様に変わりもんだね、"グロー"さんの親友は』

だがアングレカムにとっては、遠慮なしの言葉に、礼儀もなってない、無遠慮に差し出された副竈番の紅茶の方が、見え透いた"媚"があるよりは、余程増しだった。


『特に、私は変わっているつもりはないんですがね』

マーサから差し出されたソーサをアングレカムは、少し困ったようにも見える笑顔――本当の笑顔で受け取る。


見ようによっては、折角の"綺麗"さが少しだけ減ってしまう、情けない表情にも見えなくもない笑顔だったが、暖かみは十分感じられるものだった。


『私は美味しいものをいただけるなら、それはもう普通に、心の底から感謝していますから。

紅茶、ありがとうございます、マーサさん。

ただこの絵本の"好き嫌い"の基準が、どういったものかも判らないのもまた事実なんですよ』

書斎で"アングレカムの魔力吸っていた絵本"の詳細な説明が続く。


今回給仕の役割をしてくれているのは、副竈番であるマーサであった。

本来ならするはずのロックは中庭で宣言した通り、中庭の片付けの指示の終わらせてから、書斎の片付けも終わらせた後に、アングレカムの外した防具の修繕を、領主のピーンと共にしている。

それでどうしてマーサが給士をしているかというと、あの"騒ぎ"の際、どのメイドも中庭の美丈夫を見ようとする中、彼女は気の優しい領主夫人を気にかけて、駆けつけてくれていたからだった。


『でも、本当にマーサがきてくれて助かりました。

グロリオーサ様が、壊された窓から飛び出したと同時"グロー様、奥様大丈夫ですか?!"とマーサが部屋に来てくれたんです。

アングレカム様が、絵本を投げた時は驚きましたけれど、彼女が冷静に"ぶつかっていません"と教えてくれたのでそれも。

直ぐにアングレカム様からもテレパシーを頂いたので、小心者の私も落ち着く事が出来ました』

綺麗な客人に紅茶を渡すマーサを見て微笑みながらも、カリンはスイスイと針を進めている。


領主夫人は裁縫は得意なので、夫や執事がする防具の修繕で針仕事に当たる部分を器用に繕っていた。

愛用の裁縫道具の入れ物を、自分で寝室からわざわざ運んできてくれて(メイドをアングレカムに近づけない為でもあるが)、書斎で夫や執事に頼まれたものを綺麗に仕上げている。


『カリン、こちらの縫い付けも頼む。

精霊石を使っているから、糸はこれでな』

『はい、領主様』

『―――』

夫婦が仲睦まじくやり取りしている様子に、執事は小さな工具で防具の部品の取り換えをしながら口の端を小さくではあるが、上にあげていた。


アングレカムはその様子を眺めて、また綺麗な優しい緑色の眼を細めている。


(こんな風に過ごせる"家族"が、この国に増えればいいのですが)

彼が憧れ目指す"目標"が、目の前にあるような気持ちになる。


ただ、この"家族"がこういった形を成しえているのは、長となる人物が強く賢く財もある事。

そして扶養されている人々も、しっかりと自分の"分別"がつけられているから、揉め事が起きないのだという冷静な考えも、しっかりとアングレカムは持っている。


(私が目指すのは、多少の"ゴタゴタ"があっても出来れば家族が協力して乗り越えていける"民"で作られた国)


争いが起きないのが一番良い。

だけれども、人は皆が皆いつも賢くて冷静と言うわけにはいかない。

だから争いがあっても、仕方ないと考えている。


ただ、家族の争いがあった時に最後に残る結果に"勝ち負け"を持ち出したらそれは家族を壊す事―――国を壊す事に繋がりかねない。


(家庭の不和が国の安寧を壊すという事に直に繋がるというのは、我ながら結構短絡的ですねぇ)

自分を心の中で皮肉った時に、懐かしい声が不意に響く。


―――アングレカム様。

家族を持たないと決めているのだが、"家族"という言葉が浮かぶと、どうしても"アングレカムの家族"になること夢見ている少女の声が頭に浮かぶ。


アングレカムは再び困ったように、微笑んでしまっていた。


『―――グロリオーサの世話もやいてもらったというのに、私まで申し訳ないですね。

本当に、ありがとうございます』

家族のやり取りと、一所懸命自分にお茶を淹れてくれている少女の記憶の思い出して"堪能"した後、もう一度礼を言うと、ゆっくりとマーサが淹れてくれた紅茶をアングレカムは口に含んだ。


『気にすることはないさ、お客様。

ロブロウの領民は保守的だけど、基本的にみんなお節介の世話好きな処がるからね』

世話焼きの根性が働いたのか、ロックが来る前に書斎の部屋の片付けも、実はマーサは簡単に行ってくれていた。


そのマーサから一番に茶を淹れて貰っていたグロリオーサが笑いながら、口を挟む。

『マーサ、これがアルセン・パドリックっていっているけれど、俺の幼馴染みで親友のアングレカム・パドリックだ。

アングレカム、マーサには本当の名前教えてもいいだろう?。

あと、俺の本当の名前も"グロー"じゃなくて、グロリオーサ・サンフラワーってのが本当の名前なんだ』

グロリオーサが機嫌良く、最近出来た友人に、幼馴染みの親友を互いを紹介して、マーサには今まで一応隠していた本名を明かした。


『本当の名前も何も、許可出す前に貴方が今、私の本名を暴露しているじゃないですか。

それに私は彼女と面識はもうありますから。

20代も後半になっているんだから、方向音痴は諦めていますが状況を把握する努力をして、落ち着きをもちなさい、グロリオーサ』

昔馴染みの親友は、綺麗な瞳を半眼にして、まるで愛用の細剣で貫く様子でズバズバと言う。


そしてマーサも呆れながら紅茶のポットを置いて、グロリオーサが気に入ったというお菓子を今度はグイと、絵本を抱える賓客に差し出しながら口を開く。


『そう、知ってますよ。

料理人のアタシが、お客様が綺麗すぎるから、誰がお茶を運ぶかで揉めてケンカになっちまって、したくもないメイド代わりをさせられたんだから。

それに、アタシにとっちゃ、グローさんは"グロー・ブバルディア"と覚えるのが精一杯だから、今さら長たらしくて立派な名前を覚えろって言われても、面倒くさくて仕方がないよ!』

潔い料理人には、丸々とした西瓜を、包丁で見事にスパッと割るようにグロリオーサの紹介を退けられる。


親友と最近できた友人から連続して否定されたが、グロリオーサは特に落ち込む事もなく、「ウーン」と小さく唸ったてから逞しい首を横に曲げる程度だった。


そして出された菓子はしっかりと受け取り、先程と同じ様に、美味そうに食べ始める。

その様を見ると、口では偉くキツい事を言っておきながら、マーサは嬉しそうに笑った。

領主夫妻は客人と使用人、3人による喜劇にも見えかねないやり取りを見て、アングレカムの防具の繕いをしながらも、顔を見合わせて苦笑いをする。

ビネガー家の執事となるロックは、一番気の合う仕事仲間ではあるが、一応"部下"という扱いになる料理人に注意を、こちらも領主夫人同様、器用に客人の防具を整備しながら注意を口にした。


『―――マーサ。グロリオーサ様は一応偽名を使い、身分を伏せられて、姓は王族の方。

そして王族の方かもしれませんが、本当なら国軍に知らせなければならない罪人かもしれませんが、何より旦那様のお客様です。

もう少し言葉の使い方を、気を付けてください』


しかし、料理人はふんと軽く鼻息を出す。

メイドの仕事をしたことはないが、"調理"に関しては精通している副竈番の女性はそれは見事な手際で、今度は領主夫妻の紅茶の支度をこなしながら、口を開いた。


『私にとっちゃ、グローさんは、"グローさん"さ。

鬼神だのレジスタンスだの知ったこっちゃないね』

料理人が"粋"にそう啖呵をきると、執事は小さくため息をついた。


下げたくなどはないが、客人にあたるグロリオーサに向かって執事は頭を下げる。

黒髪と黒目の客人は、菓子を口に含ませたまま笑顔で、モゴモゴと口を閉じたままで、首を横に振った。

アングレカムから、「口の中のものを飲み込んでから喋りなさい」と叱られて、グロリオーサは素直に従い、盛大に喉をゴクリと鳴らして飲み込んでから、頑丈そうな歯を見せて笑う。


『俺は、グロリオーサでもグローでもどちらでも構わないから、気にしないぞ。

何ならマーサが俺の事が"グロー"の方が親しみやすいなら、これからもずっと、それでいいさ』

『―――それでは、使用人としてのケジメがつきません』

ロックがムッとした感じで、客人との仲が砕けすぎている仕事仲間を擁護するような発言をする、客人グロリオーサに言葉を返した。


たが物事を深く考えない男は、執事は単に"遠慮"しているぐらいにしか考えておらず、また更に笑いながら返事をしていた。


『元々、まだ田舎の教会でトレニアが「グロリオーサだと小さい子どもが覚えにくいから」って考えてくれたのが、"グロー"だったからな。

俺的には、トレニアが考えてくれた"グロー"って名前が大好きだから、俺が呼ばれるのが嬉しいから、マーサがそう呼ぶ事を許してくれないか?』

頬に朱色を自然に浮かばせて、鬼神とも呼ばれる男は破顔する。


それまでキビキビと動いていた、副竈番の手が少しだけ震えたのに、ピーンだけが気がついた。


『グロリオーサ、貴方はロック君が言っていることを聞いていないんですか?。

屋敷の中の規律がしっかりしないと、家事の指揮を取る、執事であるロック君が困ると言っているんですよ』

今度はアングレカムが軽く説教するように、執事の立場であるロックを用語しつつグロリオーサに意見を述べた。


『そうか、ロック君の立場もあるんだもんなぁ……。

マーサ、どうする?俺は、マーサがしたいようにしてもらってかまわないんだが』


『―――大好きな方の"グロー"で良いんじゃないかい?。

大切な人が考えてくれた、名前なんだろう?』

何時もの威勢の良さがなくなった変わりに、不思議と声は落ち着いていたものになってはいたが、やはりマーサは偽名の方を支持していた。


(2人して"朴念仁"だとは、グロリオーサが言っていたものなぁ)


『なあ、マーサ。紅茶を淹れ終わったのなら提案があるんだ。

昼も過ぎたばかりで、夕食の支度には少し早いかもしれないが折角だ。

お客様の仲間と再会された事だし、お前がこの前考えた料理を作ってくれないか』

ピーンは自慢の副竈番の方を見ず、客人の防具を整備をしながら、思い付いたようにして口を挟んだ。


夕食を振る舞おうという、領主の言葉にアングレカムがソーサにカップを音をたてて置いた。


『領主殿、気を使わなくても結構です。

厚顔無恥なことですが、防具を整備してもらったのならトレニアや――、待っている仲間もいるんので御暇(おいとま)させて頂きますので』

それから美味しい紅茶いれてくれた料理人に顔を向けて、本当にお気遣いなくと、アングレカムは頭を下げる。


『―――そんなに、急ぐのかい?』

領主夫妻専用のカ2つのカップに、ポットから湯気が立つ紅茶を注ぎながらマーサが尋ねる。


『ええ、急がないといけません。

予定より時間が大幅に遅れているというわけではないのですが、これからが"何かと"慎重に事を運ばないといけませんから。

それを考えたなら、どうしても急いだ方が良くても、遅れた方が"得"をする部分がありませんから。

紅茶、御馳走様でした』

丁度マーサが空になった紅茶のポットを置いたのを見計らって、アングレカムは空になったカップをソーサに乗せて返した。


『あ―――、もしかしたら俺が迷子になってしまったせいか』

グロリオーサが面目無さそうに言うと、カップを返したアングレカムが、"優しい笑み"を浮かべて頭をゆっくりと左右に振った。


その"優しい"綺麗な顔に、防具に向けられていた領主の目がチラリとだけ動いて、再び戻る。


『迷子で時間をロスしたのは事実ですね。

ただそれに関しては、私も同罪でしょう。

彼女が"1人にして欲しい"と言っていたのに、貴方にトレニアを捜してきたらどうかと、進めた責任はあります。

私が男の感覚で、女性の気持ちを優先させてあげないアドバイスをしたバチがあたったのでしょうね。

実を言えば、トレニアは貴方が捜しに飛び出した30分後に、"バロータ神父からプリン作ってくれ"と頼まれたとか笑いながら帰ってきましたよ』

今度は優しい笑顔から綺麗な笑顔に切り替えて、両手を組んで膝の上に置いていた。



『―――思い切り俺の2週間は無駄って事か?』

『おや、遠回しに無駄な事を伏せてあげていたんですが、グロリオーサでも判りましたか。

賢くなりましたね』


領主夫人は、そんなグロリオーサとアングレカムの会話を聞きながら迅速で丁寧に針を進めながらも、"男同士の会話"に淡い憧れを抱いていた。


(旦那様は私に気を使ってくださったけれど―――、やはりもう1人ぐらい)

けれどもし、これ以上娘達だと思うとそれだけで、気持ちはカリンの気持ちは重くなる。


何より、授かった命に性別にどうこういう事は"人"として間違っていると、大人しくも優しい夫人にも判っていた。


(これで"良かった"わけではないけれど、間違ってもいないはずだもの。

少なくとも、私は領主様の妻として後悔してない)

比べてはいけないと思いながらも、"家庭を持ち子どもを持ちたくても持てない"立場であるトレニアという女性の事を考えしまっていた。


(子どもを産んでも、懸命に育ててもいざこざは絶えない時に、貴女は、トレニアさんはどう考えるのでしょうか)

―――いつか、国が落ち着いたなのら、バンも父親のように"(かりそめ)の自由"でも良いから与えてやりたいと、カリンは考える。


そして、夫と執事ののような互いに解り合えている"友"と巡り会えたなら。


『奥様、こちらに紅茶を置きますね』

先にピーンに紅茶を出した後、次にマーサが紅茶を出そうと語りかけられて、カリンはビクッとして針を止める。


『―――!』

声には出さないが、針がカリンの指先に刺さり顔をしかめて小さな紅色の粒が小さく出来てしまっていた。

それに気がついてマーサが紅茶を盆に乗せたまま側のテーブルにおいて、カリンの血の粒がある指先と領主夫人を見比べる。


『まあ、大したことはないんだろうが、大丈夫か、カリン?。

良かったら、治癒術で治してしまおうか?』

整備している防具をマーサと同じ様にテーブルに置いて、ピーンが立ち上がり、ごく自然に妻の肩に手を置いた。


『いいえ、これぐらいなら領主様が仰るように大したことありませんから。

すみません、縫い物に夢中になってしまったみたい』

ロックが側により、懐から清潔そうなハンカチを出して渡していた。


『―――"急いでいる"という言葉を聞いて、修繕の気持ちが焦ったかな?』

不意に出されたロブロウ領主の言葉に、書斎がの空気が緊張を始める。


勿論、領主夫人の中に修繕に関して焦っていた気持ちなど微塵もない。

それは忠実な執事も、威勢の良い竈番も分かっていた。


ある意味"難癖をつけている"状態になっているのが、ピーン・ビネガーと付き合いが長いロブロウの住人には、彼が何か目論見があることでこのような行動を取ることに、察しがついた。


(ちょっと、すまないが"きっかけ"に利用にさせてくれ、カリン)

直ぐに断りのテレパシーが夫から届き、妻は目だけ伏せた。


『―――だとしたら、重ねて本当に申し訳ありませんでした。

しかし、急いでいるのは本当です』


アングレカムは相変わらず言葉は丁寧だが、早くこの領地から引き上げようとする態度を崩す様子はない。

中々頑なな様子で、速く仲間の元に戻ろうとする態度を、簡単には軟化させる様には見えなかった。


(どうやら、参謀殿は"絵本"については何かしら魔導に関係するものがあるとは判っている。

しかし、今の所仲間の神父の"形見"程度の認識で、魔力と記憶を吸ったりと、謎の部分の解明は先送りしている。

それよりは、先ずは"国の平定"と言った所なんだろうな。

謎を解明をする為には、集中して研究出来る環境が重要なポイントになる。

絵本の謎を解明したいと言ったのなら、"この事"をついて、尚更さっさと仲間の元に帰ろうとするだろうしなぁ)


"参謀"に如何にして自分の目論見を聞いて貰おうかとピーンが考えていると、アングレカムの肩をグロリオーサが叩く。

親友が速く帰ろうと努めているのは分かっていながらも、グロリオーサは理屈では勝てないアングレカム相手に珍しく勇気をだし、言葉をかけていた。


『アングレカム、急ぐのは判るけれど1日だけでも駄目か?。

俺もさ、マーサの料理をお前に食ってみて欲しいんだよ。

それに、やっぱり世話になった人や、仲良くなったロブロウの人達に挨拶とかもしておきたいんだ』

『不義理をさせたくはありませんが、時間が本当に惜しいと考えています』

グロリオーサも食い下がる事にため息を吐こうともしたが、"親友の特性"を思い出したアングレカムはふと表情を固めた。


『―――参考にまで教えてください。

貴方の仲良くなったロブロウの方々はどのくらい、いらっしゃるんですか?』

それから、例えるなら涼やかな笑顔を浮かべ、膝の上で組んでいた手を今度は、胸の前で褐色の美丈夫は組み直す。

親友の僅かばかりだが前向きになった態度に、グロリオーサは"パアアっ"と顔を明るくして、質問に答えるべく考える。


『ちょっと、待ってくれ。数えるから、えーっと』

そう言って、逞しすぎると表現しても過言ではない両掌を広げ、名前のようなものを呟きながら、端から折り曲げて再び広げるという動作を鬼神の異名を持つ男は2度程繰り返した。


それの数える仕草に、アングレカムは貼りついたような笑顔を浮かべたままで、見守る。


『―――ざっと軽く見積もって、50人くらいだ!』

『―――50という数字に達するには、指の折り返しが1回程足りなように拝見しましたが?。

それとも手の指を使って数える時に、同時に足の指を駆使して数えるバロータ神父の荒業を、会得でもしていましたか?』

これには後頭部の中程に結ってある長い黒髪を、馬の尻尾のようにして頭をブンブンと振る。


『そんな器用な事は俺には出来ん!。

プラスの20人は最初から含まれている、この領地に保育所にいる子ども達だ。

名字は覚えてないが、名前と人数は覚えてる!』

それから数える為に使っていた手を腰に当てて、"えっへん"という具合に、逞しい胸を張った。


胸を張る友人から、綺麗な瞳からの視線を、この土地の領主に移す。

そこには大変不貞不貞しい笑顔を浮かべて、結局奥方の指先に治癒術を施している男がいた。


(グロリオーサは"1人(独り)"になることが、難しい人というのを、忘れていましたね……。

そして、ここの領主さんはそれが判っていらっしゃると……)


"後ろめたさ"を抱え、ある意味枷を身につけたような状態で、不貞不貞しい"賢さ"が滲み出ている男からの誘いを断るのは、大変難しそうにアングレカムには思えた。


(しかし、ここは私も"親友"の為に、退けないんですよ、領主殿)



"グロリオーサに余計な心配をかけてしまったから。

帰ってきたなら、元気に振る舞わないとね。

でも安心して、無理はしないから"


グロリオーサを振り払って、天幕を出ていったトレニアは、落ち着いた様子で戻ってきていた。

でも、少しだけ目元は赤くて涙の後を残してはいたが、優しい紫の瞳は澄んでいた。


そして"グロリオーサの前"では出来ないアングレカムの話を聞き終えても、静かに頷いてくれた。



"私の夢は《仕方ない》って諦められるから、安心してアングレカム。

今の状態で、万が一に子どもを授かったとしても、こんな落ち着かない世の中たったら私にだって、きっと色んな後悔してしまいそうな事が起きるって判るから。

―――私には自分の赤ちゃんを抱く事に、縁がなかっただけ。

《それだけ》の事。

それに赤ちゃんは、優しく守ってくれる人なら分け隔てなく微笑んでくれるだもの。

赤ちゃんが拘らないのに、それを世話する人が拘ってたらダメよねぇ"



心を読めなくても、無理をしないと言った親友が、強がっているのが判った。



トレニアが人の心を読めず

魔術が得意でなく

並みの兵士より強くなく

戦う力もない

只の赤ん坊が大好きなだけの世話好きな女性だったのなら。


例えあの不幸な出来事があって、子ども達が犠牲になった事に、国に対して唇を噛みきる程悔しがっていたとしても、もしも故郷に残っていたのなら。

今頃、あの田舎の村でそれなりの伴侶を得て、きっと彼女は出来る努力の上で築いた生活の中で、作り上げた"幸せ"を大切して生きていただろう。


でも、戦う力があり決起軍に参加したならば、彼女の性格からして、平定を終えるまで決起軍から抜ける事はない。


(いいえ、これは"言い訳"ですね)

気の強い所はあるし、"魔女"と呼ばれる力があったとしても、優しい女性なので人生で伴侶を得ることは必ず出来ると、アングレカムは思っていた。


今子どもを授かったとしても、後悔をするとは言うけれど、例え国が落ち着かなくても、トレニア・ブバルディアならその中で家族を作り、暮らし、生きていく。


決起軍には彼女が(おのずか)ら参加し、グロリオーサには半ば強引に認めさせて入ってきた。

しかし、彼女は入った事を後悔する気持ちを、十数年たった今になって抱えてしまっていた。


かつて決起軍の仲間にいたとても気障で優しい男は、"賢くはない"と言っていたが誰よりも気が回る人でもあったので、こうなること少しだけ危惧していた。

それを賢いと思う友人であるアングレカムに告げていた。


(ジュリアン、貴方は、《賢いアングレカムなら、前もって教えといたら何とか打開策をおもいつくだろ》と仰ってくれましたが、どうしようも出来ません。

私は、国の平定を考えるだけで精一杯でした)

そしてアングレカムは、迷っているトレニアを"卑怯"な言葉で決起軍に縛り付けていた。


でも、彼女だけを犠牲にする気は更々ない。


"悪魔"と名前の(かしら)につけられも仕方ないように振る舞う覚悟は出来ている。


(―――私は、夢を半ば諦める形で目論みに乗ってくれた"親友"の為に、急がなければならないんです)

不意に胸元が小さく揺れて、バルサムから貰った指輪が包まれたハンカチが動いたのを感じるが、表情は先ほどの笑顔のまま全く動かさない。


(私が"尊敬するトレニアお姉さま"言った事、したことを知ったのなら、今は気持ちを誤魔化そうとしても、女性として成長した時。

バルサムは、"アングレカム・パドリック"という人をきっと軽蔑するのでしょうね)

今はまだ可愛らしい顔が、成長して女性となった時に、怒りと共に信頼を裏切った事への悲しみに歪む事自体が、アングレカムにとっては考えるだけでも(おもり)を飲み込んだように気持ちが重くなる。


(出来れば、叶うのならば、トレニアに夢を叶え、バルサムに失望をさせたくはない)

でも自分が考える"策"では、4人とはいえ非凡な力を持った人物がいたとしても、機動力に限界があった。

だが、時間さえ許してもらえて、"このままの形"でいけたなのなら十分に可能だと思える流れにもなってもいた。


途中で、大きな戦力ともなっていた仲間――魔法の理屈に囚われない武器"銃"を扱うジュリアン・ザヘトが抜けるアクシデントもあったが、それを補える人材が仲間になってくれていた。


だが仲間に加わってくれた事で、仲間は唯一の家族である妹を喪った。


―――出来る事なら、これ以上仲間から"喪う"人が出て欲しくなかった。



(だから、もしも急ぐ事で彼女の"夢"を叶える事に間に合うというなら、急ぎたい)

涼やかな笑顔の裏でそんなことを考えながら、グロリオーサが先ほど料理事を言ってきているのでこちらも料理で返してみる。


『―――それに料理というのなら、"トレニア"がセロリのスープを、グロリオーサが帰ってくるのに合わせて時間をかけて煮込んで作って、待ってくれていますよ。

野菜嫌いの貴方のために、工夫して作った料理です。

1日遅れたら、スープを煮込むタイミングをずらさないといけなくなりますし、彼女の努力が無駄になります。

只でさえ、食事の分担は彼女が主にしてくれているというのに、これ以上迷惑をかけられませんよ。

こちらのマーサさんに、手間を取らせてわざわざ作ってもらうのも悪いですよ』


『―――ア、アタシは、"グローさん"の為に食事を作ることを、ちっとも迷惑だなんて思ったことはないよ!』

アングレカムが、断りの為に名前を使われたマーサが突如口を挟んだ。


口を挟まれた客人は、よく淑女達を虜にさせるその瞳で料理人を見つめる。

威勢の良いマーサは、それを"仲間を連れて帰るのを邪魔しないで欲しい"睨まれた位の気持ちで受け止めていた。


だが褐色の美丈夫は睨む為ではなく、"監察"する為にマーサを見つめていた。

領主自慢の副竈番の女性――――見れば化粧っ気もないし髪も後ろにすべてひっつめていて、見た目としてはロックよりも年上にも見えた。

しかし、アングレカムが落ち着いて彼女を見れば、目尻は張りがあり、首筋などは十分瑞々しい。


(女性と表現するよりは、"娘さん"と表現する方が、あのお嬢さんには、本当なは丁度良い年頃なんでしょうね)

自分の顔の"効能"を知っている美丈夫は、マーサが自分の外見が役にたってないと確認して、隣にいる親友を見た。


(この様子ではグロリオーサは、気がついていない)

再びアングレカムは考える。

待っている異性の"親友"がこの状況を知ったなら、グロリオーサを連れて帰った時にどういう行動をとったならば一番"安心"が出来るのだろうと。


(出来れば、トレニアにこれ以上心配事を与えたくはないですしね)

もし人の心を読みたくなくても読めてしまう魔女はここにいたならば、きっと本当なら誰にも読まれたくはない"マーサ"の気持ちも読んでしまってしまうだろう。


(いや、この場にいないにしても、グロリオーサの事だからきっと戻ったなら、トレニアを楽しませようとして、話しますね。

そして"仲が良くなった料理人の友達"の話を必ずする)


―――マーサの気持ちなど、微塵も知りもしないで、きっと楽しそうに、トレニアを探して迷子になった事で、彼女が気にしないでいいように。


"友達"の話を、自分の横にいる男はきっとする。


恋愛に関して、グロリオーサに負けず劣らずに"朴念仁"の自負がある美丈夫だが、実は自分の顔の効能ついて、併せるようにして、あることには気がつき易くはなっていた。

一般的に"美形"と言われる造作であるアングレカムの顔には、ほぼ大抵のご婦人は見惚れてくれる。

しかし、稀にアングレカム・パドリックを眺めて"綺麗だとは思うが、惚れない"という反応のご婦人がいた。


そういった方々には、決まってもう心の中に決めた"先客"がいる事が殆どだった。

恋心に疎いが、賢く観察眼が鋭い人には、今までの"彼女"の反応からそれとなく事情を察してしまう。


―――多分、マーサはグロリオーサに惚れている。

正確には"惚れかけている"というのが、正しいのかもしれない。


(私には解りませんが、女性はそういった事に鋭いところがあります。

トレニアはこの場所にいないとしても、グロリオーサの話を聞いたなら、きっと勘づきますね)

そういった方面の話の読まれたくない気持ちは、観察力のある人物が見たならば存外、心の読む力がない人でも"あっさり"といっても良い程、気がつく。


そしてアングレカムも、新たにある事に気がついた。


《"朴念仁"の自分が、マーサの反応で気が付けた事に、雇い主で"気に入っている副竈番"の娘の変化に、気がついていない事など、あるのだろうか?》


(気がついていないハズがない)

マーサが最後に声を出した時から、俄に静まり返っている書斎で、アングレカムは領主を見れば、"妻の指の治療を無事に終えて微笑む領主"を見る。


それから静かになっている書斎を少しだけ見回して、マーサが僅かに狼狽えている姿を一瞬だけ見て―――口の端をニッとあげる。


中庭で執事であるロックに見せた態度にしろ、妻を気遣う姿にしろ、ピーン・ビネガーという人物は、自分の守るべき"領民達には恐ろしく気を回す。

そして、それ以外の客人であっても"守るべきものではない"と考えている"者"に対しては、遠慮なく加減なく、"利用"する。



(だから、今もマーサさんの"気持ち"が一番傷つかない方法で、話を()げ替える方法を―――)

(まあ、マーサの気持ちも確かにあるんだが、こちらとしてはアングレカム殿と"ガッツリ"と話したい事もあるんだよ)

アングレカムの思考の途中で、口の端を上げたままの領主が、テレパシーを捩じ込んで来た。


客人が驚く間もなく、ピーンは続けて口を開く。


『"マーサの料理の胃袋を鷲掴み作戦"でも引き留めがダメなら、仕方ないか。

ああ、マーサ。とりあえず、今日の夕食は二人前追加かは決定だから、厨房に"戻りなさい"』

言い方は柔らかいが、有無を言わせぬ圧力が領主の言葉にはあって、マーサにしては本当に珍しく、無言で頷いた。


『マーサ、下げるものがあったら手伝いますよ。

紅茶のセットもあるのでしょう?』

主の"圧"がある声に、まだ耐性ある執事がマーサが厨房に下がるのを手伝おうと動き始めた。

正直に言って、ロックからしてみたら先程のマーサの発言から、アングレカムやピーンが"察した"ような事には気がつけてはいない。


ただ、マーサは自分と同じくらい――命を懸けてよいくらい――料理人という仕事に熱心で、"余計な手間をかけたくない"と言ったアングレカムの言葉に、過剰に反応したのだと、ロックは信じていた。


(自分が誇りに思っている仕事に"ケチ"をつけられたのなら、マーサが怒りたくなるのも仕方ありません)

マーサとの付き合いが浅すぎる客人の"失言"は、"世話焼き"という部分でアングレカムに対しては、好意的な思い持つ執事は仕方のないことだと思っている。


けれども、待っている仲間の元にグロリオーサを連れて帰りたいという客人の言葉はには、ロック個人としては多いに賛成したかった。

(グロリオーサ様に、悪いところがないのは分かっているのだけれども……)


マーサを手伝い、静かに紅茶のカップやポットなどを静かに片付ける。

視界の隅に、ピーンのやや強引な宣言から押し黙るアングレカムと、ある意味では板挟み状態になっているグロリオーサが入る。


(―――本当に、悪い人ではないのに、どうしてだろう)

ピーンがグロリオーサに心を許して、話している顔を思い出すだけで悔しさを遥かに越える嫉妬が執事には溢れるのだ。



―――余所者にき厳しい、保守的なロブロウの領民の心を2週間の間に、領主邸近辺に住む者の殆ど捉えてしまえるカリスマ性は、本当に素晴らしいと思えた。

アングレカムが迎えに来るまでの間、マーサの手伝いの間があいたなら、客人は暇潰しにと、領主の"許可"もあって邪魔にならない程度で手伝える事を進んで手伝いもした。


"体が鈍ってもいけないし、馬鹿力があるから、使ってやってくれ"

そう言われて開墾する土地の手伝いに参加させたなら、大人3人がかりで持ち上げようという岩を、一人で持ち上げたり、大木を例の太刀で"斬り"倒してしまったりと、圧倒的な力で領民の男衆の気持ちを掴んだ。


何か揉め事などあったなら、鈍いようでいて、核心にある事には気がつき、それを口に出したならさっさと解決にさせてしまった。


更には、意外なことに、(先程のトレニアに関する話を聞く事で納得は出来たが)、雨の日に暇で行っていた保育所の子どもの世話も上手かった。


そして子ども達も、強面だが"ノリ"の良い領主様のお客様によくなついた。

子どもから話を聞いて、男女の事には、家族以外の殿方とは距離を置いて接するロブロウの夫人達もグロリオーサに一目置く。


子どもが家で話せば、夫も"領主の賓客"については男衆で話題になっているので話を始めて、不思議と家庭に会話を増やして"家"を和ませる効果すら持ち始めていた。

国が傾き初め、領主ピーン・ビネガーが政策の網を掻い潜り、領民の生活を比較的安定させていたとはいえ、小さな圧迫は確かにあった。

他の領地に住む親族に、胸を痛める領民も自分達がだけが、こうやっている事にもどかしさを覚えていたりもした。

そんな中で現れた、グロリオーサ・サンフラワーという人物は、人々の気持ちを軽くさせてたり、"旅の護衛"という事もあって外の情報も障りがない程度に話してくれたりもした。

そういったの意味でも、グロリオーサが"国と国民の安寧"を導き、象徴する王族なのだというのをロックは感じる事が出来た。

尚且つ、ロックが一番に守りたい"ロブロウ領主"としてのピーンの評判を更に上げる事にも繋がっていた。



――――けれども、どうしても"嫉妬"の気持ちが執事の胸のうちで燻る。

領民が、グロリオーサを慕い、仲良くなるのはちっとも構わない。

そこは自分だって、ただただ領主ピーン・ビネガーに忠実な余り愛想のない執事よりは、分け隔てなく接してくれる、たまに本気か冗談かもわからないような、笑いを漏らしてしまうような失敗をする人は魅力的だと思える。


何より働かないものには、領主にも厳しい、仲間のマーサもグロリオーサを認めている。

人見知りの激しい領主婦人も、夫であるピーンや執事である自分、そしてマーサの他に、気を使わない人が出来る事は、嬉しい事でもあった。

けれど、ピーンがグロリオーサを"認める"事だけは、どうしてだかロックには"赦せない"。


『―――だったら、グロリオーサ。

貴方は、ロック君が持ってきた修繕道具を片付ける手伝いをなさい。

領主殿は、どうやら話が分かって頂くまで時間がかかりそうです』

『―――え?!』

アングレカムの"まさか"の言葉に、ロックが今度は顔を上げてしまう。


(スミマセン、ロック君。グロリオーサの"お守り"を宜しくお願いします)

恐らくアングレカムは、ロックがグロリオーサに対して"悪い感情"を抱いているなんて事は、露程にも考えてはいない。


"世話がやける賓客"ぐらいの考えをグロリオーサに対してはロックが持っているぐらいがは考え及びもするが、まさか一刻も早くロブロウから立ち去って欲しいとまで考えているとは、思ってもみないだろう。

それは"グロリオーサ"という人物が、アングレカムが知っている限りでも、敵対しない限りは今まで誰からにめ"疎まれたり憎まれたり"した事所を1度も見たことがない言う背景もある。


(―――ロック君?。何か、不都合な事でもありましたか?)

"グロリオーサを(いと)う人がいる"という考えがそもそもないアングレカムは、執事の青年の顔には出さないが、露骨に狼狽える雰囲気に、眉を潜める。


―――どうしよう。

ロックは自分が、堪えて我慢すれば良いことは、重々わかっている。


しかし、グロリオーサと2人きりになって行動する上で、何が自分の中にある燻りの嫉妬を、炎となるぐらいに燃え上がらせるかが、本当に分からない。

そして雰囲気だけでもロックが困っている様子を、グロリオーサという人物にしては珍しく察して、今度は彼が口を開いた。


『―――俺がマーサの片付け手伝うから、ロック君は修繕道具に片付けたらいい。

晩飯、食うにしても食わないにしても、マーサの料理は旨いからさ、教えて欲しいんだ。

帰りを待っているトレニアやバロータ神父にも、美味しい料理を作ってやりたいし、楽しかった事を話してやりたいんだ』


グロリオーサのそこまで言った時には、アングレカムが盛大に眉を潜め

"無神経!"

といった具合に親友を睨み、グロリオーサの話を聞いてマーサが再び軽くぎこちない動きとなって――――



(うーん、これは困った。俗に言う"三竦(すく)み"という状況なのかな、これは)

ピーン・ビネガーは"困った"と思いながらも――この状況に上がった口の端を隠す為に思わず手で抑え、目元は笑みの形を作りそうなのを必死に堪える。


白髪の頭の中で、状況の整理を簡単にする。

ピーンがまず、客人とガッツリ話したいから(本音でもあるが)夕食の準備を含めてマーサに気を使って、退出を促した。


恋心に疎いロックだが、ピーンが話しやすいように、及びマーサが退出をしやすくなるようにと、手伝いを始める。

そういった配慮を見て、アングレカムもピーンと"ガッツリ"話す気持ちにもなったのかもしれない。

それに、アングレカム自身にもグロリオーサに聞かれては多少面倒くさい話もあったのだろう。

親友も退出しやすいように、中庭では剣を交えるような出来事もあったが、基本的には互いに"世話焼き"という面を感じて、相性は悪くはない――執事に目をつける。


ある意味では性格の共鳴(シンパ)を感じてもいたロックに、"少し"面倒かも知れないがグロリオーサを"一緒"に連れだして欲しいと"頼んだ"。

ところが、ロック自身もアングレカム・パドリックに対しては互いに良い印象を抱いているのはわかっていた。

しかし、執事本人にも理解に苦しむくらい、実は一般的には受けの良いグロリオーサという人物を、ロックが"苦手な"事は、流石に伝わっているわけもない。



またビネガー家の執事として、賓客が苦手だなんて態度は―――アングレカムがグロリオーサの親友というのもあって――とても失礼な事にもなるとわかってもいるので、狼狽する。

その狼狽する執事を見て、全体的に鈍い領主の賓客――グロリオーサは、鈍いなりにこの2週間で執事の青年が、自分の事をどうやら"好きではない"事に気がついてはいる。


しかし、彼が仕事に公私混同を持ち込まない事をわかっている。

好きではない相手でも、複雑な屋敷で賓客が迷子になっていたならば、ロックは仕事の最中であろうと、

"旦那様の恩人の方を無下にしては、執事として失格ですので"

と、指示できる使用人もいるだろうに、ワザワザ自分で遠方から駆けつけて、グロリオーサが分かる場所まで案内をしてくれていた。


口では澄ましていながら、執事がやいてくれる世話は懇切丁寧でだった。

それこそ今はすぐ隣にいる口うるさいが人一倍自分の世話や、指導をしてくれる親友に何処と無く似ている。

グロリオーサにしてみたら、"恩人"とも思っている執事を困らせたくはないと考えた。

それで、賓客にしてみれば、どうせ部屋を退出するようにアングレカムに言われたのならば"自分を好きになれない人"に無理強いするよりは、仲の良い"友達"と行動を共にする方がいいと考える。


それにロブロウを去る事にもなるのなら、ピーンが自慢もしていた新しいロブロウの郷土料理を食べたかった。

マーサが研究して作ったという料理の作り方を教えてもらって、帰りを待っている"大切な親友"にも教えてやりたい。

トレニアを探す事で仲間とはぐれてしまったが、グロリオーサは決して探した事で、迷惑はしてなかったと教えたい。

寧ろ、新たな出会いがあって嬉しかったから、トレニアは何も気にしないでいいからと、伝えて上げたかった。

なので、グロリオーサは"友達"のマーサに普通に声をかける。



料理人の気持ちを推し量ることの出来ているアングレカムは、親友の無神経さに舌打ちをして―――。

(情報の"偏り"で、こうやって三竦みになるなんて"面白い"な―――痛っ?!)


ロブロウ領主の太股の辺りに正に"抓られた"痛みが走る。

手で隠している上がっていた口許は自然に下がり、目元は労せずとも上がらない状況になった。



(お許しください、領主様)

微塵の気配も、自己主張も滅多にしないよく見慣れた細い腕が自分の腿の辺りに伸びて、衣服越しに僅かに震えながら摘まんでいる。


何よりピーンの身体に触れる程側にいるのは、1人だけしかおらず直ぐに抓った人の正体は判る。

抓ったのは――先程治癒術をかけて癒した、妻だった。

漆黒の中に、深い緑色を孕んだ瞳で、まるで自分が抓られたような痛みを堪える顔をして夫を見上げていた。


(ごめんなさい、領主様)

言葉の形を変えて再び謝りの声が、ピーンに届く。


(けれども、領主様がロブロウ領主として宜しくない方に気持ちを傾けているように見えました。

それに深く考え込んでいらっしゃるご様子で、服をひっぱっても気がつかれない様子でしたので、敢えなく。

治癒術で、怪我を治してもらっておきながら、申し訳ありません)

カリンは自分からは言葉をテレパシーに乗せて伝える事は出来ない。



しかし、夫から《目を見て頭に言葉を浮かべてくれたなら、カリンの気持ちを魔術で読むことが出来なくもない。

言葉を使ってしゃべれない時は、私にそうして合図を送ってくれたら、私がカリンの気持ちを読むから》と前に伝えていた。

いつも頼りにしている夫に向かって、抓るという行為は、気の優しい夫人にはとてつもなく勇気が必要だった様子で、指先は未だ微かに震えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ