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【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その6・前編ー】

『ロック、ああいった場合は武器には拘らずに、弾かれた力に逆らわず、寧ろ力に乗せて武器を手離した方がいい。

そうしたら相手も武器を手離したと思って"油断"してだな……』


『―――私も偽物の剣を預けたのは失礼だとは思いますが、客人をほったらかしてレクチャーを開始するのはどうなんですかね?』


"命に代えても守ろうとした旦那様"と

"出来れば戦いたくはなかったが、刃を向けてしまった客人"

の、まるで昔からの知己のような会話の仕方に、執事の青年は激しく瞬きを繰り返すばかりでした。


『いや、しかしアングレカム殿なら判ってくれると思ってましたよ。

"イカルス"は向日葵の品種の1つ。

東洋の"狛犬"は、獅子の別称でもある。

そして、その2つを合わせたのなら、セリサンセウム王国の王族に紋章となる。


王族の紋章と、この国では珍しい黒目に黒毛という言葉を使ったなのなら、例え預かっている賓客が、掲示板の人以外の場所に貼り出したとしても、気がついてくれると』

客人から"ほったらかし"の注意をされた途端、ピーンは明らかに作り物の笑顔を浮かべて、アングレカムが放った細剣を、背の高い身体を折り曲げて拾い上げた。


それから"指導"をしたばかりの執事に、ニッと笑って見せる。

するとロックは慌てて仕込杖の刃を、ベルベットの生地を出した時と同じ様に、まるで手品のように執事服に隠していた場所にしまっていた鞘を取りだし、納めた。

大人しそうなロックが手品のように色々と、道具を出したり直したりするのを


(これはこれで、意外な一面ですね)

と興味を持って眺めた後に、アングレカムが口を開く。


『―――貼り紙の貼り出し場所が人でないのは、面白くもない冗談にも感じました。

が、記されていた内容は実に見事に体格も性格も、如実に表現できましたしね。

そして、アレがそちらの御家族に、迷惑をかけなかったのは幸いです』

バッサリとロブロウ領主の"冗談"を切り捨てた後に軽く肩を竦めて出されたアングレカムの声は、かなり澄ましたものとなっていた。


武器を仕舞った執事は"旦那様"は何時もの調子なのも解るが、客人があっさりと自分の武器を手離した事に、未だに信じられない気持ちで、美丈夫を見詰めていた。


(旦那様や、カリン奥様の以外で私の少しの言葉で気持ちを察してくれるなんて)

執事の戸惑いの視線に、最初接客してもらった時から、悪い印象を持ってはいなかったアングレカムは、一瞬優しく微笑んだ。



(この領地の領主は"捻くれ者"みたいですが、領民や使用人に信頼されている。

特にこの少年…青年は、本当に慕っているみたいですし、武器を隠していた非礼をしたのはこちらになりますからね)


"大切にしたい者を傷つけようとするのなら、どんな相手でも烈火の如く怒る様"は、いつも世話をやいている、迎えにやって来た親友をアングレカムを思い出させた。


(ただ、この執事の青年の真っ直ぐな気持ちを策の一部のように使うのには嫌悪しますが――)

美しさに鋭さを上乗せした瞳にしてから、自分の武器を興味深げに見上げている執事の青年の主である、ロブロウ領主をアングレカムは睨んだ。


鋭い睨みを向けられるピーンは、"執事の本気で怒った時の視線よりは怖くない"と心の内に客人を"おちょくる"言葉を出しながら――細剣を見つめる瞳は"賢者"の物になっていた。


(刃の材質は"緋緋色金(ヒヒイロカネ)"か"青生生魂アポイタカラ"か。

殆どお伽噺に出てくるような金属を、大地から鉱物として抽出ちゅうしゅつ)させるのも、相当な技術に勘もいる。


金属を手に入れたとしても、金屋子神かなやごかみ)(鍛冶屋に信仰される神。一般には女神であるとされるが、男神とする説もある)の知識を持っている賢者でないと、この細剣は鍛え上げる事が出来ん)

ざっと自分の知識で分かる事だけを頭の中で、並べて一旦考えに区切りをつける。



『まあ、"家族と仲良く"と言っても先程言った通り、男女の区別的な考えが、このロブロウの地での伝統としてやっていますので。

だから特に親しくなったのは、我が息子のバンを含む男性陣と、女性は妻と紅茶を出してくれた、本当は料理人の二人だけ。

それでも余所者には煩いこのロブロウで、"グロー"は本当に巧く溶け込めていました』

そこまで言ってから、賢者は漸く視線を細剣から、外した。



『――それでは、今度こそ"グロー・ブバルディア"を迎えにきた、"アルセン・パドリック"の武器を預からせて貰いますが構いませんな?』

今度はピーンの方から確認するように一瞥すると、アングレカムは鋭いながらも綺麗な緑色の瞳を伏せ、了承の為に頷いた。


『あの、それでは、武器を預かる支度を』

ロックが直ぐに動こうとするのを、アングレカムが褐色の手を翳して止める。


『いいえ、わざわざそこまでして頂かなくても結構ですよ。

執事さん……というよりは、執事"君"の方が貴方にはしっくりきますかね』

アングレカムはそう言ってから、羽織るように来ていた外套を脱ぐ。


『あ、お預かりします』

多少慌てながらも、ロックは礼儀正しくアングレカムの側による。


『ありがとう。……少々お見苦しいものをお見せしますが、ご容赦くださいね』

外套をロックに預けるとその下からは、一応"旅の神父の護衛の一人"という立場もあって、衣服の上に軽式ながらも簡単な防具を身に付けているのが見える。

アングレカムは、手際よくそれも外していく。


『すみませんが、防具も少し預かってもらえますか?』

客人の依頼の言葉に、再び執事は恭しく頷いた。


『畏まりました。お預かりいたします』

『―――ああ、そうだ。良かったら、使っている防具も見せて貰えるかな』

"防具も預ける"と聞いて、細剣は剥き出しの刃のままなのに、ピーンはまるで棒切れでも扱うように、紅黒いコートの肩の上にトントンとしながら客人に訊ねた。


その行動に、目に見えてロックが渋い顔をする。

刃を向けてはいたが、自ずから武器の細剣を手離したり、相手の"ポリシー"や面子みたいなものを配慮してくれる客人に、ロックもまた良い印象をもってもいた。


『旦那様、それはお客様の武器です。

信頼してこちらに預けてくださることになったというのに、扱いが余りにも不敬でいらっしゃいます』

その"諌める"執事の顔と雰囲気から"旦那様"に対して、更なる戒めの言葉を吐き出しそうなのが、客人であるアングレカムにも判る。


次いで執事は申し訳なさそうな顔で頭をさげるので、一般的には無遠慮にも見えるピーンの振る舞いではあるが、アングレカムはちっとも腹をたてる気にはなれなかった。


(領主殿はとても慕われてもいますが、それ以上にこの執事君はこの方の世話をやいているのでしょうね)

こんな所も、どことなく親友・グロリオーサと、いつも自分がこなしている役割を思い出させて、自然と気持ちが和ませながら、アングレカムは防具を外していく。


『ごめん、すまん、わるかった。

でもロックも、この細剣は失礼を承知をしてでも見てせてもらっておくといい。

このお客様の細剣に使われている鉱物は、こうやってでもしないと直に見ることは人生で匆々ないだろうからね』

最初の内は"何時もの調子"で話していたが、声に"真剣さ"を含まれているのを執事は感じとる事が出来て、これ以上戒めの言葉を出すことが出来なくなる。


そしてピーンの紅黒いコートの上で、銀色に輝く刃先を見て少しだけ唇を噛んだ。

"旦那様"が研究に没頭する時の鋭さを目元に浮かべて、グッと細剣の柄の部分を差し出したので、戸惑いながらアングレカムを見る。


『私も、執事君……"ロック君"なら構いませんよ』

思いがけずの優しいアングレカムの語り口に、ロックはまた瞬きを繰り返す。


アングレカムは口の端を少しだけ上げて、執事の方は見ずに防具を外しながら"細剣"と自分の"なれ初め"を話しだした。


『実はその細剣は、先程貴方の旦那様が仰る通り非常に珍しい鉱物から、私達――初期の仲間4人でお世話になった方が、実験的に造ったのを譲り受けたんです。

何でも私の才能を掛け合わせた古にあった技術を、ただ見て見たかったとか仰有いましてね。

大層時間や、多分金子(きんす)も使ったのでしょうに、私が教えられた通りに使いこなしたのなら、それで満足してしまったらしくて。

"この剣で、技術と魔術を活かして使えるのはアングレカムをだけだから、あげる"と。

後で私なりに調べましたが、やはり色んな意味で非常に貴重な資料ともなる剣になるそうです。

向学心がありそうなロック君が見たのなら、きっと損はしないと思いますよ』

ピーンが"ロック"と呼ぶことで勤勉で礼節のある執事の名前が判った、アングレカムは優しい笑顔を向けて名前を呼んだ。


ロックは何時も主の書斎を片付ける際に、"決起軍の資料"には悪魔とも記されていた男の、綺麗な顔を見て思わず赤面する。

名前を呼ばれた事と、ロックは自分が丁寧な言葉で話しかける事は当たり前だが、自分が丁寧な言葉を使われる事がないので、それが恥ずかしくて妙に照れてしまっているのもある様子だった。


『あの、それでは失礼します。

旦那様、お客様の防具の方をお願い出来ますか』

『ああ、預かろう。で、しっかりと見ておくといい』

ピーンは笑顔でロックからアングレカムの防具を受け取り、細剣を渡した。


ロックが少しだけ震えながらも、アングレカムの細剣をしっかりと受け取ったのを見届けてから、緊張した執事には届かない小さな声で、客人に語りかけた。



『アングレカム殿……いや、アルセン殿。

どうやら、うちの執事を気に入ってくれてみたいですな』

ロックは相当集中しているらしくアングレカムの細剣の柄を握り、刃を掌に乗せて眺めていて、主と客人の会話には気がついていない様ですらある。


『ええ、とても"親近感"を抱かせて頂きました。

血液の型が一緒だったりするかもしれませね』

そんな血液の型の話をするのは世代共通の為なのか、グロリオーサと同じような事を言いながら、最後の防具である胸当てを外して、"防具も見たい"というロブロウ領主に渡した。


アングレカムが身に付けていた防具の2、3点を眺め、ピーンは検分する。


(防具は別段凝っているというわけではないが、どれも"質は良い"といった感じだな。

ただそろそろ"精霊石"の加護もきれそうだ)


『―――そろそろ整備の時期かもしれませんね』

ピーンが考えている事は、アングレカムも思い至る所がある様子で、外した防具を見つめていた。

すっかり防具を外したことで、一般人と変わらない様な姿となったアングレカムは、今度は(おもむろ)に服の(ぼたん)を外し始めると、日に焼けた逞しい褐色胸元が露になる。


シャツから覗き見えるだけでも、褐色で細身ではあるのだろうが充分均整のとれた筋肉をつけた身体に整い過ぎた顔の男は、かつてデッサンの画集でみた何かの彫刻をピーン・ビネガーに彷彿とさせた。


(こりゃ、顔だけでじゃなくて身体も使ったら、ある意味別の意味で国を傾ける事が出来そうだ)

口に出したら、直ぐにでもロックに叱られそうな事を考え、防具に仕込まれた保護の力がある精霊石の力の残り具合を確認しながら、更にシャツを脱ぐアングレカムを見ながらピーンは眉をあげた。


(変わった細工というか、このアングレカムという御仁は、"策謀"以外も色々とやっているみたいだな)

褐色の素肌に"身に付けている"物に、未だに細剣を興味深く視線を向けたままの執事の気を向けるのと、どうしても湧いてくるイタズラ心を解消する為に、客人にからかいの言葉をかける。



『ここに誰にしろ女性がいたら、鼻から流血するかもしれないな』

『―――え?あ、旦那様、またお客様に失礼な事を!』

時には主が"イタズラ"を起こそうとする行動を見越して防ぐ事も出来るのだが、アングレカムの特殊な細剣に気を取られて、ロックはピーンのからかい言葉を止めることが今回は出来なかった。

そして謝罪する為に、シャツを脱いでいるアングレカムに顔を向ける。


『"アルセン様"、申し訳ありません―――アルセン様?』

肌が露になっているアングレカムの姿を見て、執事の青年も細剣を手にしたまま言葉が続かない。

ロックにとっては"病的"に主であるピーン・ビネガーに心の趣を置いてはいる。


しかし、ロブロウで常に安定化した生活を送り、また一般的な生活の感覚や常識も、"ビネガー家の執事"として学び会得していた。

その中でも"美的感覚"は、主であるピーンの若い頃の名残である、画集やデッサンを片付けている事もあって、一般的教養を受けた人物より多少あった。


そして病的に依存する主、それなりに着けた美術の教養を越えて、アングレカムの肌をさらした姿は、見てしまったのなら充分心を掴む姿となっていた。

自分の細剣を握りしめて、思わず言葉が止まってしまって見つめてくれるロックの様子が面白かったアングレカムは、少しばかり微笑んで、全て釦が外れたシャツを脱いだ。



『―――男性の上半身の裸体を見て、鼻から流血する意味がわかりませんね』

それから澄ました様子で、アングレカムはピーンの言葉に反論する。


ただし反論の響きがもつニュアンスからは、かつて似たような事をアングレカムは誰かしらに言われのではないかと、ピーンに思わせた。

完璧に裸体になったと思われたアングレカムの褐色の均整のとれた身体に、数本の革紐が間隔を空けてキツく巻き付いていた。



『成る程、細剣はそうやって背中に潜ませて隠し持っていたわけだ』

預かった防具を抱えたまま、ピーンが姿勢を反らして、褐色の背面を軽く見た。

そこに綺麗に均一な筋肉をつけた背中に回った数本の革紐の中央に、細長い皮で出来た(ホルスター)が密着型するようにおさえつけられているのが見えた。


『ええ、普通の剣だったら出来ませんが、剣の造りを活かして、これも細剣を作ってくれた方が"オマケ"にと、こういった形の(ホルスター)も作ってくれました。

これなら、丸腰と誤魔化せも、相手に安心も与える事もできます…っ』

アングレカムが言葉の最後に少し詰まるものがあるのを、ピーンと執事は見逃さず、一瞬互いに視線を交錯した。


(私が委細を尋ねる)

(畏まりました、旦那様)

テレパシーも何も使わずに視線だけで、領主と執事は言葉を交わす事は、十分に出来た。


『―――不思議に思っていたのだが、何処か身体の調子でも悪いのか。

そして、どうしてロックを相手にした際には、"魔剣"を1度も使わなかった?』

グロリオーサに聞いていた、アングレカム・パドリックの特技とも言える技術。


(別に、ロックの為に"魔剣"を使わずに加減をしてくれたという雰囲気でもなかったしなぁ)

得意技を使わずにしても"悪魔のアングレカム・パドリック"がロックに負けるわけがないのは、戦いを仕組んだ時からピーンにもわかっていた。

しかし、使った方が遥かに労力を少なくして"話"を進められるし、できれば直ぐにでも"連れて帰りたい"仲間であるをグロリオーサを迎えに行ける。


(私の予想が間違っていないなら、トレニアと同じ様にアングレカムも"時間"を気にしてはいるはずなんだが……)

だが魔剣を使わず、アングレカムは時間のかかる戦い方を選んでいた。


(こうなると"賢者の力を使ってもが仕入れる事が出来なかった情報"が、アングレカム殿が魔剣を使えなかった理由に繋がるとしか、今の私には推し量ることしか出来ない)

ピーンが"答えが出ない結論"に眉を潜めた時。


アングレカムは親友が世話になったという、紅黒いコートを纏った白髪の男を見て、僅かに逡巡した。


(この"人"は信用に値するのか?)

細剣の逸話まで話して、肌を見せて敵意がないことも示し、こちらの手の内をしっかりと見せた。


(トレニアの"夢"に我慢を強いておきながら、彼女の力に頼りきっているのを、こういった時にむざむざと自分の無力さを自覚させられるのは、情けない限りです)

心の内で自分を嘲笑う。


(ジュリアンのように"優しく"もなれないし、グロリオーサのように"信じきれる強さ"もない)


アグレカムにあるのは―――

義母が言うには家長という重荷を背負った父親を癒した、春を売る店で病になって、手遅れになってしまった母親譲りの整った容姿。

そして、死に際の"母"が話してくれた、懸命に隠してもいた魔術の才能。


(後は父譲りの体力と地道さぐらい、ですかね)

その時、手に持つ脱いだシャツの胸のポケット辺りが、風に揺れた。


(―――ああ、そうでしたね。バルサム)

どうしてだか、自分の事を大変慕ってくれる女の子からの"信頼"もアグレカムを支えていた。



"アグレカム様、グロリオーサお兄様から聞きました!。

アグレカム様が考えていた、お子様の名前を偽名に使っていらっしゃるそうですね!。

だったら、せっかく考えて産まれた名前です!。

いつかバルサムをお嫁さんになって、本当の"アルセン"をアグレカム様に抱っこさせてあげますわ!"


"アルセン"の名前の意味を強引に"叔父グロリオーサ"から聞き出した美少女は、かなり突拍子のない事を、憧れの人に宣言している事に、その時は気がついていなかった。

ただガッツポーズをしながらバルサムに言われた時、単純にアグレカムは嬉しかった。


そして、少しだけバルサムに似た可愛らしい"天使みたいな男の子"を想像してしまった。

"家族"を持つことを諦めているアグレカムに、家族を意識させたのはこの親友の姪っ子が初めてだった。


(バルサムは、凄いですねえ)

風に揺れるシャツの中にある、彼女からの贈り物を見ただけでアグレカムの腹は据わる。


(どちらにしろ、進まなければ行けない)

風に心を支えて貰うようにして、形の良い薄い唇を開く。


『正直な所、今の私は魔剣はおろか、初級の精霊術である、呼び掛けの魔術が使えるかどうかすら判らない程余裕はありません』

はっきりとそう告げて、ピーンの方を緑色の瞳で見つめる。


『―――領主殿には、私の身体に"魔力"があるように見えているんですよね』

ゆっくり呼吸をしながら背に腕を回し、アングレカムはピーンに尋ねる。

その質問に領主は、預かった防具の合間から器用に腕を出して自分の顎を掻きながら答える。


『そんな事を言うという事は、アルセン殿には魔力がないという答えを望まれていると考えてしまうのだが―――』

『ええ、そんな答えの催促をしていますね』

防具を抱えたまま、目に力をいれて賢者は"視界"を切り換えた。


(―――魔力がないようには見えないが)

彫刻のような均整のとれたアグレカムの体内に、心の臓が"血"が巡るのと同じように、"魔力"は巡っているようにしかピーンには見えない。



ロックは客人が背に手を回したことで、預かった細剣をギュッと握りしめる。

まだアングレカムが、何かしらの武器を持っているのではないかと警戒しているのが十分に伺えた。


"世話のやける主ではあるが、懸命に護ろうとする"執事の様子に、アングレカムは緑の綺麗な瞳を細めて笑った。



『―――安心してください、もう武器はありませんし、私の"魔力"は』

そこまで言ったとき、まるで覚悟を決めるようにアングレカムは背中から、一気に何かを引き抜いた。

褐色の細く逞しい腕の先には、ロブロウの領主と執事の期待を盛大に裏切るものがあった。



『……"絵本"ですか?』 

『絵本が、アングレカムの魔力を吸っている!?』

"視界"を切り替えていた領主の方は、大きく目を見開き、執事の方は取り出したものの意外さにキョトンとする。


偽名で呼ばねばならないのに、思わず本当の名前を出してしまう程、賢者であるピーンは驚いていた。


執事と主はほぼ同時に口を開いて、執事は主の"驚いた様子に驚いて"、最近漸く再び身に付けた"視界"の魔術を行い切り替える。

そしてアングレカムを見て、ピーンの言った通りの現象を目の当たりにして、漸く"驚いた"。

褐色の手に支えられている絵本に、膨大な量の魔力――恐らく元は"アングレカム"の魔力だったものがもの凄い力で"吸いとって"いる。

距離をおいた場所から見ても、古くて立派な"絵本"はまるで、熱のない炎ような状態になっている魔力の中に存在し、客人の褐色の手の中にあった。



『―――すみません、(ちから)が』

薄い形の良い唇から、アングレカムはやっとそんな言葉を漏らす。


密着するように付けられていた細剣の(ホルスター)と、背中の間に"絵本"は挟んでいたのだろうと思われる。

魔力を吸い込んだ絵本を身体から離した事で、頭痛や吐き気といった体調不良はという状態ではない。


ただ身体全体に力が全く入らない状態に、アングレカムはなってしまっていた。

正直、先程動かした唇も殆ど"勘"と発音した口の動きの記憶を頼って出したもので、動かしている"実感"がない。


(―――景色が下がった?)

そう見えたのは、自分が地面に膝をついたからだと分かったのは、肌に衣服を介しても伝わってくる地面の冷えから。


(情けない限りです)

絵本を取り出した途端、中庭の土に片膝をつけた客人に、執事は大きく目を開いて、視線で主から許可を求める。


ロブロウ領主は、視線を向けた瞬間には頷き、



『"アルセン"様、大丈夫ですか!?』

執事は呼び掛けながら、中庭の土を蹴っていた。

細剣を抱えたままの執事は駆け、倒れかけるアングレカムの懐に見事に入る。

秒数を数える間もなく、危うく突っ伏しそうになった美丈夫の身体を本当に"ガシリッ"といった具合で支えた。

アングレカムはロックに支えられた事で、なんとか庭園の地面と突っ伏す事になるのを防ぐ事ができた。

ただ体格はアングレカムの方が良いので、多少ぐらついてしまった。

執事は懐にいながらも、機敏に動き"失礼します"と断りを入れてから、片手で細剣を地面に丁寧に安置して、客人をしっかり支えるためにの肩に腕を回す。


『……"お見苦しい姿"、すみませんね。

やはり、この身体と私の魔力の量では堪えきれなかった様子です』

再び"唇"を感覚と記憶だけを頼りにして、アングレカムは動かす。


いつものアングレカムならば、眉間にシワを刻ませて言いそうな台詞だが、表情は"無表情"で、綺麗な緑色の瞳は微塵も動きはしない。

それだけ、身体に力が入らないし、入れる事が出来ない。


『何を仰るんですか、並みの方の何倍という量の魔力だとお見受けしますよ!』

ロックは"視界"切り替えないままアングレカムを助けた事で、未だに褐色の指先が落とした先にある古い絵本が、物凄い量の魔力を蓄えているのが見える。

その古くて立派な絵本は、辛うじてアングレカム指先にあって、中庭の地面に触れていた。



『―――旦那様』

ロックが指示を仰ぐように、アングレカムを支えたまま直立不動の主をアングレカムを支えながら、見上げる。

ピーンはアングレカムの防具を抱えたまま――、褐色の指先にある"絵本"を睨んでいる。



(仄かに"意志"みたいなものを持ってはいるが。

まだ"眠っている"…何がどうして"動く"という事は、ないみたいだな)


安全の保証のない、中身が判らない箱の中に手を差し込み中身を探るような感覚で、賢者は"恐る恐る"と絵本を見つめる。

そして今まで身に付けた知識を頭の中で、猛烈な勢いで辞書のページを捲るように漁って、"該当"する記録を捜索する。

しかし、"正体"がこれだと証明する証拠はピーン・ビネガーの記憶の中に見つける事が出来なかった。


(アングレカムが"運んできた物"が、どういったものなのか正体は全く判らない)

"賢者"の心に僅かだが"悔しい"という気持ちと、それ以上に"面白い"感情が吹き出る。



(―――コレハ、調ベナケレバ)

抱えていた防具を握る手に力が入り、ピーンの口の端がゆっくりと上がる。

そして、それに気がついた秘書は躊躇った後に、"怒った"声を出した。


『―――旦那様、"ロブロウ領主ピーン・ビネガー様"!!』

怒りに"懸命で賢明"という響きを持たせた声を、ビネガー家の執事は出して"賢者"として、気持ちを逸らせようとする主人を引き留めた。



賢者は声量はそれ程ないが執事の懇願するような声に、抱えていた防具を落とした。


柔らかい土の上に落ちた客人の防具は、ドサリという鈍い音を出すだけで、大きな音は辺りには響かない。

防具を落とした当人は、上げていた口の端を下ろして口を真一文字にしていた。

瞬きを数度繰り返し、どちらかと言えば呼び掛けた執事の方が狼狽えたが、"ロブロウ領主"としての主の為に言葉を続けた。



『旦那様、突然声を上げてすみません。

ですけれども、今は、"今は"お客様の事を考えて下さい。

確かに偽の剣を預ける――そんな無礼を働かれ、私も応戦しました。

もし、今"客人"として相手をなさないと決められたのなら、私はそれに従います。

けれど、迷い人となった賓客を遠方から迎えにこられて、理由は分かりませんが、こうやって御加減を悪くされています。

そして時世は、旦那様も憂慮しているように、武器を簡単には預けるのには剣呑な時代。

全てを踏まえて、領民に敬愛される、ロブロウ領主、ピーン・ビネガーとしてのお役目と振る舞いをお忘れなく、お願いします』


(……貴方が"自由"を諦めたのは、私が知っていますから。

でも、領主として生きると決断した事も忘れてはいませんから)

思い付く限り、賢者に"愛され、必要とされるロブロウ領主"を喚起する言葉を吐いた。



ピーンが自分で決めた事から外れそうになったのなら、押し止める。

それが、ピーンに望まれたビネガー家の執事ロックに望まれた"役目"。


《ロックは執事になったのなら、賢者を守る事が第一な秘書ではなく、ロブロウという土地を治めるビネガー家を守るのが、何よりの仕事として欲しいんだ》


依存し、心酔する"深謀遠慮(しんぼうえんりょ)の賢者、ピーン・ビネガー"が例え今、眼前に垂涎するような研究対象を見つけてしまったとしても。

"領主ピーン・ビネガーが決めたケジメ"を違えないように。


(私がなすべき事は、ピーン・ビネガーが治めるのがロブロウにとって最良になる様に、仕え、努めるの事)



"研究に没頭して、人の命まで落としたのなら、きっとピーン・ビネガーは後悔をする"

"昏倒した客人を放置したなら、ロブロウ領主としてのピーン・ビネガーの名声が落ちる"



(それを防ぐのが、

"遠い将来のことまで考えて周到に謀りごとを立てること"

としての賢者の銘を国から預かった旦那様が、"ロック"をビネガー家の執事として据えた理由でもあるはず!)

使用人として過分な意見の申し立てとして執事の職を剥奪され、この土地を追い出されたとしても。

依存する"旦那様"が、例えロックの事をこの出来事で等閑(なおざり)に扱うことになっても、ロブロウ領主としてのピーンに泥つかなければそれで構わなかった。



『旦那様!!』

もう一度指示を仰ぐように、褐色の美しい彫像のような身体を支えながら、執事は主を見た。


(それに、本当に急がないと、アングレカム様の身体が……)

ピクリとも動かない、"客人"が心配だった。



―――人の身体というものは、どこかしら力が入っているという事で、もしも負傷した際にでも支えたり抱えたりする事が出来るし、相手にまだ反応する力があるのだと安心できる。

だが今のアングレカムは身体の何処にも力が入っておらず、まるで人肌の熱を持っただけの人形のようにも感じられた。

そしてかつてロブロウの古い、年老いた領民達が、話が聞くのが上手な見習い執事に、孫に語るように語ってくれた話を思い出す。



"不思議なもんでなぁ。

人の身体というものは、《死んだ》のなら、今まで普通に抱えられていた身体でも急激に重たくなる"

ロックは、純粋に客人の身体を"重い"としか感じられなくて会って間もなく。


       ドンッ     ドンッ             ドンッ


中庭の上空から、何かにぶつかり、衝撃に震えるような音がする。

領主と執事は同時に顔を上げて、音の発信元を探す為に見回した。

だが執事の方は次の瞬間にピクリと、支えている重たいとばかりに感じるだけの客人の身体が、本当にごく僅かに動いことで、再び視線を下ろした。



『……アン……アルセン様!?』

執事も偽名の方で呼び掛けるのを忘れかけながら、客人の方をみれば、相変わらずとても身体を動かせる状態には見えない。

それでもまだ直に肌を触れて支えている為に執事が感じたのは、どうやら"声"を出すために使う腹部の臓器が動いたためだった。



『……どうやら、あの"お馬鹿さん"に気がつかれたみたいですね』

やっとの事で出された、細いアングレカムの声ではあったが、そこに"喜び"にも"笑い"にも感じられる感情が含まれているのがロックには分かる。


『お、"お馬鹿さん?"』

ただ失礼と分かっていながらも、アングレカムのいう"お馬鹿さん"という言葉で、ロックの頭に浮かぶのはただ一人。

敬愛する領主が、賓客として迎えた長い黒髪に、頑丈そうな歯を見せて笑う"あの男"しかいなかった。


『……お馬鹿さんというよりは、色んな意味で"馬鹿力(ちから)"と表現した方が、この場合は良いかもしれないな』


(やっぱり、アングレカム様の言う"お馬鹿さん"というのは、グロリオーサ様なんですね)

主の言葉を聞いて、自分の予想が外れていなかったが、主と賓客の友人揃って"馬鹿"という言葉を使って例えられた事に執事は苦笑いを浮かべた。


そしてアングレカムの声に続いて、出された主の声の調子を聞いて、どうやらすっかり"自分が望む姿"を取り戻したのが執事には分かる。

領民に敬愛されるいたずら好きの領主、本来のピーンに戻った事に安堵して、表情を明るくしてロックは主を見た。

その主は口調はふざけていたが真剣な面持ちで、未だに見上げているのは、賓客としてグロリオーサと妻のカリンが待っている筈の自分の書斎の方向だった。

最初から閉じられてはいたが、窓は先程ピーンによってかけられた魔法によっても、固く閉じられている。


(ただ"馬鹿力"という事は……?。

もしかしたら"こちらの騒ぎ"を聞いたグロリオーサ様が、窓が開かないから、力業で、こちらの様子を伺おうとしている?)


『―――旦那様の魔術の前では、無理に決まっているのに』

軽く呆れながら、執事が苦笑い浮かべて思わずそう呟いた瞬間。


―――キィイイイン

今までに耳したことがないような音が、領主邸全体に広がった。


『―――!、"抉じ開け"ようというのか!?』

『そんな、無茶ですよ!』

ピーンの言葉に執事が直ぐに言葉を被せるようにして、主人が"力負け"するわけないと言い切る。


一方、グロリオーサと出会う前後から多くなった、"驚き"という感情に賢者は執事の言葉を聞いても、目を見開く。

次の瞬間には魔術を見抜くために、"視界"を切り替えている2人の領民には信じられない物が目にはいってきた。

特に、自分の主"ピーン・ビネガー"以上の魔術も武術も使いこなせている"人"に出逢ったことない執事には、信じられない場面となる。


『旦那様が仕掛けられた、魔術の施錠と障壁にひび割れをいれるなんて、そんな!』

屋敷の書斎の部屋の、窓辺近辺の空気がぐにゃりと歪んだ。


(旦那様の魔術を破る人がいるなんて)

声に出し、頭でも受け入れられないロックが呆然とするのをまるで待っていたかのように、領主邸全体に"ガシャアアアアアアン"という音が轟いた。

それは執事の驚きの言葉に続くようにして、書斎の硝子戸が割れた音だった。


そして"割れ方"は普通に割れる表現するよりは"吹き飛ぶ"と表現するのが相応しく、中庭で見上げた上空に硝子の破片や、何かの力で破壊された窓の木枠が舞っていた。


上空を舞う硝子の破片が、キラキラと日の光りを浴びて"眩しい"と執事が感じた瞬間、自分の支えている客人が"敵意が無いことを"証明する為にしている姿を思い出した。


(……危な)

『……本当に、グロリオーサは"馬鹿"なんですから!』

頭に危険を察知する言葉が浮かんだ半で、自分の支えている褐色の腹部の筋肉が動いた。



『え!?』

さっきまで微塵の力も感じられなかった支えていた筈の褐色の身体が動き、自分の上から覆い被さる。


自分より体格のよい客人の身体に庇われて、押さえ込まれた執事の視界に入るのは影と中庭の柔らかい土。

目に写るのがに中庭の土が入ったことで、アングレカムに"庇われた"のだと気がついた。

―――オン イダテイタ モコテイタ ソワカ

庇い、押さえつけられた肌の下でも賢者の声が耳に届いて、ロックは叫んだ。



『旦那様、アングレカム様が!』

『判っている!、韋駄天!、ロックとアングレカム殿を』

主の得意な"魔術"の真言と何かが動く音がするが、庇われている執事には状況は全く把握出来ない。


"私より、先にアングレカム様、お客様を―――"


(そうしないと、ロブロウ領主ピーン・ビネガーの名前が)

そこまでの言葉が頭に浮かんだ瞬間、視界は闇に包まれた。


ただそれは魔術的なものではなく、物理的に何かがアングレカムの身体の上からも、更に何かによって覆い被せられたのが判った。


次の間には、"バラバラ"と何かが降ってきているのが、庇われている身体を通してロックに伝わってくる。

何かが降ってくる衝撃の間、覆い被さり庇ってくれる身体から、小さく何かしらを堪える声が漏れ聞こえた。


『アングレカム様!?大丈夫ですか!?』

偽名を使うのも忘れ、かつてにピーンが実験で失敗で怪我をした時と同じ様に、使用人仲間からは冷徹と思われている姿とは、かけ離れた執事の焦りを含んだ声を出してしまっていた。


そして焦り、起き上がろうとして、庇われてを伏せている身体を動かそうとするが抑え込まれていた。

先程まで全くとい言っても過言ではない程に、力が入っていなかった客人の身体のなのに、今ロックは庇われ抑えつけられたまま、僅にも動かす事が出来なかった。


(さっきまで全く力がなかったのに、どうしていきなり、こんなに力が?!)

抑え込んでいるアングレカムも、ロックが起き上がろうとする力に気がついて、――穏やかに声を出す。


『……大丈夫です、"アレ"が来たことで、私も幾らかは……』

その時、"ドン"と小さな揺れが中庭の俯せになっている2人の身体に、地面を通して伝わってきた。


『どうやら、どこからか"飛び降りて"きましたか。

しかし、お陰さまで、もう"大丈夫"ですかね』

そう言ってロックを抑え込む、アングレカムの力が漸く緩む。


『―――領主殿は、御自身が着ていたコートを使って守ってくれた様子ですね。

色んな加護を施されているのが、幸いしました』

ゆっくりとアングレカムは身体を起こし、影となっていた闇が引く。


ロックの視界に、中庭の柔らかい土に芽吹く芝生が目に入ってきた。

そして領主夫人と自分とで設えた、紅黒いコートの端がヒラリと風に舞うのも見える。

自分を庇ったアングレカムを更に庇い覆われたものの正体を聞いて、執事は"主"の心配をしながら、アングレカムとに続いてゆっくり身体を起こした。

背の高いピーンに合わせて作られたコートは、アングレカムと共にロックが半身を起こしても、まだ2人の上半身を隠す程だった。


コートを頭に乗せ被ったまま、ある意味妙にも見える格好でアングレカムはロックに口を開く。

『……付かぬ事を尋ねますが、貴方の旦那様が保護していた者は、窓ガラスが粉砕された部屋に"いた"んでしょうか?』

過去形の言葉で尋ねられた事で、(さと)い執事は大体起こった出来事も、今起こっている状況も把握できた。


『はい、ただ旦那様がグロー様を迎えにきたアルセン様と…』

そこで1度執事は口を一線を引くように結んだが、"恩人"に正直に話す事を決めた。

(どちらにしろ、"アングレカム様"と、私にしても旦那様にしても既に口に出してしまっている)


『―――いえ、レジスタンスの決起軍・参謀の"アングレカム・パドリック"様に、一対一で話したい事があるからと、グロリオーサ様には暫く待って頂く事になっておりました』

『―――"参謀の私"にですか?』

――自分の素性はどうやら、迎えに来た親友が、世話に領主と忠実な執事、そして恐らく領主夫人にも話している事にアングレカムはコートの中で眉間にシワを寄せていた。



『あれ、ピーン?。ここにアングレカ……じゃなかった、アルセン倒れていなかったか?』

そしてロックの説明に続いて聞こえてくるのは、ほぼ誤魔化しきれていない状態で、親友の名前を口にしてしまっている書斎で待っている筈の賓客――グロリオーサの声だった。



『こうやって、領主殿のコート被っているだけで、姿が視界に入っているの気がつかないのも、幼友達兼親友として如何なものなのでしょうね……』

ちなみに、アングレカムとロックの只今の姿は、互いに向き合って自然と正座をして頭にピーンの紅黒いコートを乗っけている、結構珍妙な格好となっていた。



『倒れた親友を心配してくるのは大変友情麗しくて構わないが……。

もう少し穏便な方法はとれなかったのか?』


『……さま……ックは……ですか?』

呆れるようなピーンの声に続いて、言葉の内容は解らないが、ロックには聞き覚えがある声がコート越しに聞こえてくる。


(これは、奥さまの声だ。何を仰っているんだろう)

もともと引っ込み思案の領主夫人カリンが、大きな声を出せないの知っている執事は、彼女が自分の出した言葉が届かずに困っていないか少しだけ気を揉む。


『ああ、カリン。心配するな、ロックも皆、大丈夫だ』

だが直ぐにピーンが妻に向かって上の方に、恐らくはグロリオーサが"飛び出してきた"書斎の部屋に呼び掛けているのが、コート越しにでも聞こえて、ロックは安堵する。



『あ、そうだ。ピーン、確か"絵本"がアルセンの魔力を吸い付くして倒れたように見えたから―――』

グロリオーサがそう言いかけた時、「バサリ」というピーンのコートが(ひるがえ)る音共に、ロックの"視界"は一気に開けた。


開けたロックの視界に最初に映るのは、魔法で動き出した彫刻のように、均等な筋肉をつけた美しい褐色のアングレカムの背中だった。

その背には、細剣を潜ませ隠し持つ為に革紐で縛り装着させた、これも革で造られた(ホルスター)がある。

そして、褐色の強肩から繋がり伸びた褐色の腕の先にある手が、何かを掴んでいるのが見えた。



『おっ!、"アルセン"。そんな所にいたのか。

それにしても、どうして上は裸になってんだ?。

また女性に、鼻血でも出させなきゃいけないような事でもあったか?』

賓客は本当に、迎えに来た親友がピーンのコートを剥ぎ取るまで気がつかなかった様子で驚いていた。

ただグロリオーサの声は驚きながらも、数週間ぶりの再会の喜びを含ませているのを充分に感じさせるものだった。


『―――本当に久しぶりです、"グロー"』

コートを剥ぎ取り、立ち上がるアングレカムが脱いだシャツを左手に掴み、反対の右手に掴んでいるのは、先程は抱えるのにすら辛そうにしていた絵本だった。


(あれは、アングレカム様の魔力を吸いとっていた"絵本"。だけど?)

まだ"視界"を切り替えたまま、膝を中庭につけた状態から上半身を上げた執事の目には、アングレカムの魔力を物凄い勢いで吸っていた絵本が、一気に吸う速度を落としているのがわかった。

速度を落としたことも関係あるかもしれないが、アングレカムの身体に魔力が巡り始めるのも見て取れる。


("絵本"が吸いとっていた魔力が、アングレカム様に戻った?。

ああ、でもそれはないハズだから……)

賢者で魔術に関しては師でもあるピーン・ビネガーに学んだ所によれば、取られたり、身体から出された魔力は、当人のものが戻るという事がないと聞いていた。


"ただ、人から何らかの(まじな)いの道具を使って魔力を分けてもらう分には可能だ"

ピーンに説明された時の言葉を思いだしながら、褐色の客人の後ろ姿を見つめながら、ロックは眉を潜めた。


(誰かに分けてもらう時間も、呪いの道具なんてなかったのに、アングレカム様はどうしてあんなに魔力が)

絵本が蓄えるように纏っていた魔力は、グロリオーサを迎えに来る旅の間に、アングレカムの身体から蓄積をしていたとロックは考えていた。

そう考えた上で、"並みの方の何倍という量の魔力だとお見受けします"という先程の執事の感想をだしていた。


(あれが"元々のアングレカム・パドリック"の魔力の量だってことだ、ロック)

不意に主のピーンの声がテレパシーとなって、ロックに届く。


姿勢は膝をつけたまま、執事は主の方を向けば、アングレカムとロックを庇う為にコートを脱いだピーンが腰に手を当てて、"ニッ"と口の端を上げていた。

その後ろには、賢者を守るように韋駄天が(くう)に浮いている。


(あれだけの魔力をいつも携えている事が、本来の"アングレカム・パドリック"という事になるのだろうな)

事も無げにロックが思い浮かべた疑問に、主はテレパシーで答えを寄越していた。

一方の執事は、"愕然"と言った気持ちを味わっていた。


(そんな、旦那様以上の魔力を持っている人が、世界にはともかく、国にもいるなんて――)

"信じられない者を見た"

そんな様子で、固まる執事をピーンは、ついさっきまで上げていた口の端を下げて見つめる。

それを敏感な執事にはバレないように、大きな手を口元にあてて隠してもいた。


(やはり、若い内にこんな田舎に"才能"がある人物を閉じ込めるように留めたのは、私のエゴイズムになってしまっているのか)


この世界での古今東西の魔術を集め、編纂する仕事を"領主"としている事で、執事として雇ったロックにはその補佐もさせていた。

補佐ながらもついでに、調べた情報の編纂をする事を学ばせて、田舎であるロブロウにいながらも、それなりに"広い知識"は与えることにもなっている。

ある意味では、魔術や学問を学びたい者にとっては、"賢者ピーン・ビネガー"の補佐とは本当に良い場所でもあった。


(だが、やはり知識と"経験"が伴わないことには、多くの意味で成長の偏りになってしまっているか…)

賢者が口元に苦悩を浮かべ自問し、

グロリオーサは素直に親友との再会を喜び、

ロックは絵本の異変と主人以上の才能に驚いた時、

アングレカムは絵本を持った方の腕を振り上げて――――



客人の"フォーム"に気がついた賢者が、自分の悩みを頭のすみに棚上げて、口元にあてていた手を外した。

『おい!、折角の再会なんだから、物騒なこと』  



バチ―――ン!!

ピーンが仲裁を取るような、宥めるような声を出した直後に見事に"振りかぶった"アングレカムが絵本を投げていた。

そしてアングレカムによって投げられた絵本は、"バチ――――ン"という音共にグロリオーサの顔面で止まっていた。


『―――キャ!?』

先程は途切れたカリンの声が、今度はハッキリ上から聞こえて、執事は正気づいて急いで立ち上がる。

敏感な執事は、領主夫人が出した声の中に怯えの感情が有ったのをしっかりと感じ取れていた。


(大人しく、気持ちの優しい奥様の前で、なんて乱暴な事を!)

ギッと自分の奥歯を執事は噛み締め、アングレカムの背中を睨む。


嫁いだ当初はピーンとロックの"組手"の練習すら、喧嘩と勘違いしてオロオロしていた。

練習で出来てしまった痣すら、本当に心配をしながらも、医者の家の出であるカリンは治癒術を施しながら、気弱そうに打ち明けてくれた。



"怪我や血は、お父様の仕事もあって見慣れているの。

でも、戦っている姿や、乱暴な場面は本当に怖くて、苦手なの"

"弟"のように思っている少年時代の、嫁いだばかりで知らない場所で、信用できる見習い執事であるロックに、こっそりとカリンは教えてくれていた。

そんな繊細なカリンには"物を投げ付ける行為"は、些か刺激が強過ぎる。


世間的に見たのなら、"それぐらいで"と言われそうな事でも、カリン・ビネガーという女性はそうやって育ってきたのを、打ち明けられている。

繊細過ぎるかもしれないが、それ故に些細な悩みごとを真摯に聴ける耳を持ち、心の痛みを共感をしてくれる。

その繊細さを理解するカリンは、一部の領民に強く慕われている面も持っていた。

一見理解しがたい、ややこしい"絡まり過ぎた毛糸"のような悩みでも、領主夫人はその繊細さで、無理をさせずに、ゆっくりと解して――気持ちを"伸ばし"て落ち着かせていた。

ある意味、そのカリンが真逆でもある、夫である"領主ピーン・ビネガー"の事を夫して信頼し、尊敬して慕っている事で、本来なら領主対して軽く反発心を持ちそうな領民の心も治めていた。

賢いかもしれないが"散らかし魔"で、天衣無縫の行動をし過ぎる領主に軽く呆れるたり――"如何なものなのだろうか"という感情を持つ領民もいないことはなかったのだが、


"あの気の弱い優しい奥様が、嫌な顔をしないで側にいるんだ。

一応賢いし、片付けは苦手かもしれないが、悪い領主ではないんだろう"

と、領民の心を"掌握"する事にも繋がっていた。


それはいくら賢者ピーン・ビネガーの研究の手伝いや、身辺の世話がやけたとしても、ロックには出来ない、カリン・ビネガーの"仕事"だった。


"聞き上手の領主夫人"がいるお陰で、領民から領主への印象は大分助けられている所もあるのは確実だった。

執事であるロックも、領主夫人であるカリンも"一番"は領主で、主であるピーン・ビネガーに代りはない。

"ビネガー家"を支えたいと考えていて、"自分では出来ない、ピーンと助けとなる事が出来る人"を互いに尊敬して、大切に思っている。


(こんな乱暴をなさる方だったなんて)

だから、"大切な人"を脅かすような態度を取る人物は、客人でも許せなかった。


(例え旦那様が魔術や魔力の才能を越えると言われても、関係ない!)

アングレカムという人物の世話焼きぶりや、自分を庇ってくれたことを含めて感謝をしていたが、一気にその気持ちが吹き飛ぶぐらい、許せなかった。

一言文句を言おうと、客人の側に駆け寄る。


『―――お客様!』

呼び掛けたと同時に、アングレカムは綺麗な笑顔で振り替える。

その笑顔はとても綺麗なものであったが、文句を言おうとする執事を圧する力が充分にある笑顔だった。


『―――この通り、私は顔は綺麗かも知れませんが、頭に来たらとても乱暴な振る舞いをするような人間です。

無二の親友にすらこんな感じなのだから、もしかしたら、頭にきたなら、"恋人"にも"配偶者"の方にもするかも知れませねぇ』

酷く残忍で冷酷に見える――そう感じた瞬間。


(すみません、"ロック君")

圧する凍りつく笑顔を"執事"に向けながらも、テレパシーでロックの頭に届いたのはアングレカムの感情を伴った謝罪の言葉だった。

思わず丸く口を開けて、アングレカムの綺麗な緑色の瞳を見つめる。

凍るような笑顔が一瞬だけ、"苦笑い"の形になって直ぐに戻る。



(少しばかり"悪魔のアングレカム・パドリック"を印象付ける為に……。

いえ、今回の場合は

"顔は良いかもしれないが、性格が最悪な男アルセン・パドリック"

を印象付ける為に、今は"デモンストレーション"に領主夫妻とロック君も含めて付き合って頂きたいのです。

どうやら、騒ぎになって婦人の方々が"こちら"を見ていますので)

アングレカムにテレパシーでそう言われて、ロックは屋敷のどこかしこから注がれる視線に漸く気がついた。


(申し訳ありません、恐らくはさっきのグロリオーサの"無理な抉じ開け"で……)

"はぁああああ"という大変悩ましげな溜め息を、テレパシーで聞くという、珍しい体験に執事はとりあえず開いていた口を閉じた。

ロックが呆れながらも、態度を軟化させたのを察したアングレカムはテレパシーで言葉は続ける。


(どうやら"音"が大きかった為に、魔術に関して才能が乏しい方でも、こちらの騒ぎに気がつかれてしまったようですね。

で、お恥ずかしい限りですが、身の潔白の為にしたこの格好が仇になったみたいです)

そう言ってから、アングレカムは左手に掴んでいたシャツに袖を通して、取り合えず露出していた肌を隠した。

肌を隠した瞬間に微かにざわめく気配には、屋敷の執事であるロックが溜め息をつきたくなった。


(でも、ここで私が表情を動かしてはアングレカム様の振る舞いが無駄になる)

そのアングレカムは袖を通した後に、胸元のボタンがついたポケットの辺りを何かを確かめるように撫でた。

その瞬間、また僅かな時間ではあるが、冷酷そうな顔を緩める。

緩めた褐色の顔に、とても優しい美丈夫の顔を、正面にいるロックだけが垣間見ることが出来た。


(――さて、私が"とても嫌な人物"だと、出来れば上手く、このお屋敷の女性の方々に印象付けたいのですが)

改めて冷たく執事を見据える表情を浮かべるアングレカムが、少しだけ緑の瞳を動かした。

ロックも瞳だけ動かして、自分が把握できるだけでも見ることの出来る"中庭"を覗ける"隙間"が数ヵ所あったのが確認できた。


(あれだけ大きな音を出したのだから、中庭に注目を集めてしまったのは、私たちの自業自得ではあるんですけれどね)

美丈夫な客人が"シャツを羽織る"という動作をした事で、窓辺ならカーテンが動き、中庭に通じる扉も微かに開いた所を見れば、相当な数の使用人が見ている事になる。



『アングレ、アルセン、そんなに怒らないでくれよ。領主殿の奥方殿が、驚いている』

顔面に絵本を貼り付かせたままの状態で、グロリオーサが明瞭な発音をした事に執事は驚き、アングレカムの肩越しに賓客を見つめる。


『―――それにしても相変わらず、コントロールがいいなぁ』

ロックが見つめた先で、ヒョイと絵本を横にずらしてグロリオーサが顔を出した。



(ああ、顔面にぶつかったわけではなかったんだ)

どうやら顔面に絵本が直撃したとばかりに思えていたが、グロリオーサは大きな掌で貼り付けるようにして、ぶつかる寸前で受け止めていた様子だった。


"バチ――――ン"と広がった大きな音の正体は、絵本の背表紙と、グロリオーサの広い掌がぶつかって鳴ったものだったらしい。


『―――貴方に"彼女"を探せと唆したのは確かに私ですが、どうしてこんな田舎にまで来ているのですか』

シャツの胸元がはだけた状態で腕を組み、大層機嫌が悪そうな声に"圧力"も込められていた。


("田舎"出身の私が言うのも何ですがね。

ああ、ちなみに領主殿と領主夫人にもテレパシーで"芝居"をしていることは伝えていますから、もうロック君が心配しなくても大丈夫ですよ)

しかし、ロックに届くテレパシーは至って穏やかな客人の声なので、何処と無く調子が狂いそうなのを、必死に堪える。


アングレカムは、(すこぶ)る機嫌が悪い、乱暴者といった態度を振る舞いをしながら、"アルセン・パドリック"の印象が悪くなるように努めている。


(何はともあれ、奥様が不安になっていらっしゃらないのなら、それに越した事はないな……)

アングレカムの思惑の邪魔にならないように、胸の内で溜め息をついてから、自分の足元にある客人の細剣に気がついて、ロックは拾い上げた。


(アングレカム様の思惑を済ませたなら、返さないと)

細剣を柄を丁寧に握りながら、ロックと同じようにテレパシーをアングレカムから送られているらしい主をみた。

賢者は、グロリオーサの方を難しい顔をしながら見つめている。


(グロリオーサ様、本人を見ているわけではないのか)

ピーンが珍しく難しい顔をしながら見つめているのは、どうやら今はグロリオーサの手元にある絵本だった。

そしてロックもピーンと同じ様に、"難しい"表情を浮かべる事になる。


(―――?、今度は、極端に魔力を吸う力が弱くなっている?)

グロリオーサの手の内にある絵本は、アングレカムから吸ったであろう大量の魔力を蓄えているのは判る。


だが、今絵本を手にしている黒髪の男からは、全く微量の魔力しか取っていないのがロックには見えた。

恐らくそれがピーンが、思わず浮かべている、難しい表情の原因なのだと執事には判った。


(グロリオーサは、テレパシーをすると激しい頭痛があるので、このまま私を怒らせていると思わせる状態を続けます。

彼の強さは本当に素晴らしいですが、感情を潜めたりする事が不得手ですから)

ロブロウの領主と執事が、絵本について疑問に感じていることを、アングレカムなら気がついていてもおかしくは無さそうだが、そこには一切触れなかった。


(―――テレパシーをグロリオーサに使わないのは、演技をバレない為というよりは、アングレカムの"優しさ"だろう)

ピーンがロックにだけ向けて、そんなテレパシーを飛ばしてくる。


(私がアングレカムなら、痛がろうが、苦しもうがテレパシーを送る。

それを利用して"黙って(うずくま)っていろ"と指示をだして、更に罵声を浴びせる。

そうしたら、魔術に明るかろうが暗かろうが、アングレカムが迎えにきたグロリオーサに対して、酷い事をしていると、この中庭に注目している使用人に余程印象づけられるからな。

やはり、アングレカム・パドリックは優しい御仁らしい)

ロックにしか見せない――"知る機会"がない、賢者ピーン・ビネガーがそこにいた。


人を想う造形がない"情"すらも、ピーンにとっては、人間関係にどう作用するのか"好奇心"を起こす道具のように使う所を、まだ執事以外見せている事はなかった。

そうする事は、穏和で普段の生活する上では、"非常識"で"一般的には受け入れられない"。

それは《賢者》にはあって良い面でも、領民の幸せを第一に願わなければならない《ロブロウの領主》には、必要のない面でもあったから。



『最初はトレニアを―――"妹"を追っかけるのに夢中だったんだけどさ』

グロリオーサの声で、ロックはふと正気戻る。

希に聞く"賢者ピーン"の言葉には、こうやって囚われてしまう。


(とりあえず今はもう話が進んでいますので、アングレカム様のやり方に合わせます)

主にそう返事を返して、執事は口を開いた賓客に注目した。

振りきらないと、ロック自身も賢者の言葉に夢中になってしまいそうな事がわかっていたから。



――偽名を使っている間で、"妹"という扱いになっているトレニアの名前を出した途端に、グロリオーサの豪快さは影を潜めていた。

そして彼は、手持ちぶさたのように大きな掌のに貼り付いていた絵本を両手にしつかりと抱えて、見つめる。


そうすると、絵本は蓄積するように纏っていた魔力をグロリオーサが豪快さを潜ませたとの同じ様に"内"に仕舞い込んでしまっていた。


古いだけで、まるで、普通の絵本と変わらない。


その"古い普通の絵本"を、パラッと捲り、黒い瞳で中を眺めながらグロリオーサは口を開く。



『―――追いかけてる間に、もしも追い付いた時に。

トレニアに、あったその時に、何て言葉をかけたら良いのか判らなくなって。

でも、探さなきゃいけないって思って、探すなら、高い場所の方がいいかなってなって、考えて。

高い場所を、我武者羅に目指していたら』

そこまでいい終えた時、手にあった絵本もめくり終える。


『気がついたら、このロブロウという土地について――迷いこんでいた。

よくわからないけど、喧嘩売ってきた奴等を追い払ったりしてたら、もの凄い高い崖の上についている事にも気がついた。

そこから2・3日したら腹が減って、旨そうな匂いに誘われて降りた時に、ここの領主殿に――休暇中でスケッチをしにきていた、ピーンに保護して貰ったんだ』

今度はグロリオーサが、アングレカムの肩越しにピーンを見ていた。


『気にするな、迷惑ではなかった。

何より、私は色々と楽しい思いをさせて貰った』

グロリオーサが説明するのを、ロブロウ領主がフォローするようなに言葉をかける。


その事に少しだけ、ロックの心に言い様のない燃えるようなの気持ちが起きるが、懸命に堪える。


『―――語る言葉がありませんね。

敢えて言わせてもらえますが、迷子になって不在になってしまった貴方の行動の方が、余程彼女に迷惑をかけていますよ』 

ロブロウ領主がフォローが入ったグロリオーサの説明に、アングレカムは盛大に今度は実際に溜め息をついて出していた。



(このため息はどうやら、演技ではないみたいだなぁ)

ピーンの苦笑の隠ったテレパシーに、ロックは出来ることなら頷きたかった。


客人と主の"友情"にどうしようもなく気持ちを掻き乱される。

そんな"いけすかない"グロリオーサだが、トレニアについて語る時だけは、不思議と嫌悪感を拭えていた。


(余り、拘りとか持たなそうな方なのに、トレニアさんの事になるとグロリオーサ様もあんな顔をなさるんだな)

その顔は、不思議なもので領主で夫であるピーンの事を語る時の領主夫人であるカリンの面差しを―――"大切"な人を想っている人の顔を思い出させた。


"恋"などしたことも、することもないだろう執事でもそれとなく判るほど、遠目から見ても、グロリオーサの黒目が誰かを想っているのを感じられた。


(グロリオーサ様の為ではないけれど、アングレカム様が仰るみたいに、お客様達が大切に思われいるトレニアさんという方が不安になっているとうのなら、それは私も早く解消させてやりたい)

話でだけしか知らない、心の読めてしまう、子供が大好きだと言う紫の瞳をもった、"魔女"とも呼ばれる客人達の仲間の女性。


自由奔放なグロリオーサや、世話焼きのアングレカムの帰りを待っているのだという、優しい女性が心配していると言うのなら、早く戻して安心をさせてあげたいともロックは考えた。

執事の事なら、表情をみたら魔術を使わなくとも大体心うちが読める賢者は、その気持ちを斟酌(しんしゃく)して、目元緩める。


(よし、あの絵本含めて色々話してから、アングレカムがグロリオーサを無事に"トレニアちゃん"のまっている場所に返してやるために。

取り合えず場所を移動する為に、私たちも"一芝居"をするとするか、ロック!)

しかし、思いやりに満ちたピーンのテレパシーを承った執事の心に、見事な不安がもたげた。



(え"、旦那が"芝居"をなさるんですか?)

不安と無礼になりそうな感情を直隠(ひたかく)しにして、やっとそれだけを送る。


『"や―れやれ、とっても仲のよい親友にこの様子では。

親しくない、婦女子には、もぉーっと、遠慮がなさそうだな、アルセン殿は!"』

ロックの返答を聞いたか聞かなかったが定かではないが、ピーンがかなりわざとらしく見える、まっすぐな棒のような平坦な声を出していた。


アングレカムが不機嫌とは別の意味で、物凄く深いシワを眉間に刻んで領主を見る。

グロリオーサは幸いな事に、絵本を持ったまま特に変わりはなく、口を開いたピーンを見ていた。

そして優秀な執事は細剣の柄を握り締めながら、俯いた。


(アングレカム様、申し訳ありません。

本当に申し訳ありません。

あれでも、あんな様子でも、旦那様はとても真剣に"アルセン様を不機嫌で嫌な奴に見せる"事に協力していらっしゃるつもりです。

そんな芝居をしているつもりなんです)


自分のテレパシーでどのくらいの感情が伝えられているか解らないが、ロックはありったけの"申し訳ない"という気持ちを込めて、アングレカムに向けて送っていた。


ロックが依存して、尊敬して、とても賢くて、強くて、行動力のあるピーン・ビネガーが1つだけ"上手ではないもの"。

はっきりと言うなら、"上手ではない=普通"を通り越した"下手くそな"部類に入る"芝居"を目の当たりにして、アングレカムは眉間にシワを刻みながら、固まることしか出来ない。



"ピーン・ビネガーの芝居の下手さ加減"は、これは彼自身が気がついていない。


(まあ、こんなもんだろう)

上機嫌でロックにテレパシーを送ってくる感じなので、真剣に"芝居の不味さ"に気がついていない。


ロックは忠実な執事として、何とも言えない気持ちになっている。


悪ふざけをする主なら、いくらでも諌めるし叱り飛ばす事も執事として厭わない。


ただ"好意"や思いやりでやっていると――"企み"事の成分がなくなるとなると、あっという間に下手くそ過ぎる芝居になってしまう。


これは奥方にあたるカリンも知っているし、6人の子ども達も父親の意外な(長女を除いた娘達には"ダメ"な部分としか見えなかったらしいが)として知っていた。


(悪ふざけを―――イタズラや、企み事をする際の"芝居"は、本当にお上手なんですけれど)

自分でも"理由(わけ)のわからない説明をしている"と思いながらも、アングレカムに主を庇うテレパシーを送る。


(―――それは、初対面の時にわかりました。

うちのリーダーがバカみたいに強いけれど、方向音痴みたいな感じなのでしょう。

"ロック君"の領主殿はこういった場面での"芝居"は苦手というご様子ですね。

ただ私も、ここまで"大根の馬の足"の方を見たのは久しぶりです)

慰めるようでいて、芝居関しての二重の皮肉の言葉(大根・馬の足等)をテレパシーでを送って来るアングレカムは、それこそ"こういった事"に余程慣れている様子でもあった。


"不機嫌"を表現するには不都合でもない、眉間のシワを刻んだままロックに続けて返事をする。


(とりあえず騒ぎの元を唆した私が言うのも何ですが、これ以上領主殿に口を開かれたら、不味いですね)

主人には申し訳ないが、ロックも切実にそう思った。



『"まあ、なんだ!立ち話もなんだから、お客様を二人とも、窓が割れてしまっている私の部屋に案内しようか、ロック"』

そして切実に口を開いて欲しくないと思っている側から、又してもロブロウ領主が、如何にも怪しげなイントネーションでそんな事をいい始めた。

客人の1人であるアングレカムは"諦め"がついた様子で、眉間にシワを刻んだままスッとロックに向かって腕を伸ばす。



『それなら案内を早めにお願いします。

ああ、今度も案内してくれるのは、執事さんに頼みますよ。

これでも王都に恋人がいましてね。

しかも田舎者でもなく美人で、王族に縁続きのお嬢さんです。

せっかく有難い御縁が繋がりそうだというのに、変な噂がたったら敵いません。

ここの婦人の使用人の方々は、変なつけ(ふみ)ばかり押し付けられて、本当に困っていました。

それと執事さん、細剣をそろそろ返して頂けますか?』

アングレカムが眉間にシワを寄せながら、怒濤の如く喋る。


"芝居が下手"なロブロウ領主をこれ以上喋らすまいと"してくれていた"とロックは気がついた。


(――ここは応用を効かせられるものが、応用を効かせれば良いと場面なのでしょうね。

領主殿は、場所を移動したいという風に考えて発言しましたが、構いませんか?)

執事は客人の"気遣い"に、俯くようにして、また深々と頭を下げた。


判断が間違っていなかった事に、アングレカムは目元をはきつめながらも細めた。


(さて、自分の出世に繋がりそうな"恋人"がいますと嘘宣言をしました。

なので、諦めては離れてくださると嬉しいのですが―――上手くいきますかね)


どうやら中庭を見ているだろう、"つけ文"を渡した使用人達に聞こえるようにも、当て付けがましく言った面もあるみたいだった。

客人が伸ばしていた手に、ロックが恭しく細剣をしっかりと手渡した。


(お心遣い有難うございます。それでは"念押し"もしておきましょう)

アングレカムが慣れた様子で、背面に潜め仕込ませてある鞘に細剣をしまったのを確認してから、執事は大きく腹に息を吸い込んだ。



『それでは、旦那様、グロー様を連れて先に奥様がお待ちになっているお部屋にお客様と先に行ってください。

私は、清掃道具をもってからに部屋に伺います。

それと―――』

一度固く眼をギュッと閉じた。


そして眼を閉じたままの執事はパンパンと、中庭が(こだま)するような音を、執事の白い手袋を嵌めた手を叩いて響かせる。

すると、一斉に中庭繋がる扉や窓が開いた。

それと"きゃ"と言った様子の驚きを含んだ女性の声が、次々と響く。


『何だ?皆騒ぎを聞いてここを覗いていたのか?』

グロリオーサだけが本当に何も判っていない様子で、屋敷の扉が開いた事に驚いて、絵本をしっかりと抱えていた。


(ああ、この前仕込んでみた"魔術"上手く扱えるようになったんだな)

ピーンが"ビネガー家の執事"の顔になったロックにテレパシーを送る。


テレパシーが執事の耳に届いたと同時に、執事は目礼だけをして、薄く目を開いて、人の気配がしていた方を確認した。

中には転がり出るようになってしまうメイドもいて、また溜め息をつきたくなる。

(ロブロウで一番格式高い屋敷の使用人だというのに)

執事服の内ポケットに手を突っ込んで、数枚の紙を取り出して高く掲げた。


『先程、お客様が仰るように、手紙を渡したものは、自己申告で本日の就労後私の元に来なさい。

ちなみに手紙は全て迷惑ということで、私が預かっています。

もしも、自己申告してこない場合は、朝礼で文章と名前を読み上げるつもりですので。

宜しいですね?』


(あーロック、それ私が考えた処罰じゃないか)

ロックが冷徹に言い述べた後に、ピーンが子どものようにテレパシーで文句を送っていた。


主が"下手くそ過ぎる芝居"をする事から気を逸らせたのは良いが、どうやら自分の策をロックの口から言われた事に、軽く不満を抱いたらしい。



("爽やかに相手の傷口に、塩と香辛料と砂利を刷り込むような事"とか言っていたけど、そんな反応ない――…)


―――やだ!、

―――困ります!、

―――止めてください!。

ピーンの文句が終わりかけの頃、予想出来て、待っていた女性の使用人達の"悲鳴"が響いた。


(このように旦那様が提案なされる"罰"は、使用人達からこういった反応がありますので。

くれぐれも思い付いたとしても提案するのは、私の前にだけにしてください)


―――最低!!。

ピーンの提案に"止めを刺す"ように、ロブロウでも美しい事とそれ以上にプライドが高い事で有名な客間メイドの声が響いた。



(―――最低な事なのか?)

執事にだけそんな言返事を返して、とりあえず、ピーンは部屋の移動を開始する。


客人であるアングレカムの側に寄り

『それでは、書斎に』

と領主然とした、落ち着いた様子で覗いていたメイドが消えた中庭の扉へと促す。


その際に、アングレカムが剥ぎ取った紅黒いコートをついでに拾いあげる。

領主自らパンパンと叩いて、汚れや先程"庇う"為についた破片等を簡単に落としてこちらも袖を通していた。



(後程しっかりと整備致します、旦那様)

それだけ伝えると、執事はまた腹に力を入れて声を張り上げた。


『さ、仕事に戻ってください!。

旦那様、お客様のご案内宜しくお願いします。

書斎の片付けも、私が伺います』


『ええ、是非ともそうしてください』

ロックの言葉にアングレカムがそう続ける。



("恋"は過分に行動力を与える時がありますからね。

ここでも、念を押させて頂きますよ)



ロックも確かに"片付け"を口実に、書斎に近づく事を否定出来なくて、アングレカムに向かって

『承りました』

と頭を下げた。


『アルセン様の防具は、拝見させてもらったお礼に御注文の通りこちらで修繕をさせて頂きます』

取り出していた再び懐に"つけ文"の束を仕舞い敢えて、ピーンが"最低"と言われた部分に部分には触れずに、優秀な執事は主を促す。


アングレカムの防具の流れは、こちらを覗いていた使用人達は、恐らくはグロリオーサがピーンの魔術を"こじ開けた音"の後から見ていたと思われる。

それを考えて辻褄合わせの言葉を執事は述べていた。


(シャツを脱ぐことになった多少は無理はあるかもしれませんが、まあ誤魔化せるでしょう。

領主殿、貴方の性格はともかく、執事さんは本当に出来がよろしいですね)


(ああ、それは本当に。

何かと補助(アシスト)の仕事も上手いから、側にいると本当に色々と有り難いとおもうぞ)

アングレカムがロックにも聞こえるように、ピーンに向かってテレパシーを飛ばして、"下手すぎる芝居"からかけ離れた自然さの口調のロブロウ領主は、滑らかに客人に返事を返した。


少しだけ、"売り込む"といったニュアンスを感じてアングレカムは改めて眉を潜めていた。

ピーン、アングレカムにグロリオーサと背の高い男達は、中庭の扉にたどり着く。


(それでは、ロック君。後程。

その時に、"あの絵本"についても説明をしますので)

相変わらずしかめ面ながらも、執事にテレパシーで届くアングレカムの言葉は優しかった。

そして、客人の言う絵本はグロリオーサに抱えられ、今は本当にただの絵本にしか見えなくなっている。


(本当に、あの絵本は何なんだろうな。

ああ、それよりも、片付けないと。

噴水の着工までを日がないというのに)

四人の娘達が"花畑と野菜畑の中庭がなんて嫌だ、何か洒落た物を中庭に造って!"とロックにしてみれば贅沢な我儘を父親である領主にねだっていた。


しかし、父親で屋敷の主であるピーンには何か思惑があるのか、"そうだな、それでは噴水を造ろう"と娘達の我儘を快諾し、聞き入れた。

ピーンが上機嫌にそういったし、領地の財政も"賢者"の部分を遺憾無く発揮して、他の領地が悲鳴をあげている割りには、ロブロウにははっきり言って余裕がある。


『元々地味で質素な造りな領主邸に一つぐらい、"大掛かりな物"が1つぐらいあってもいいだろう』

夫人と執事の3人きりの時、楽しそうにそう言って笑っていた。

主の笑顔を見たとき、カリンと顔を見合わせて、思わず今度は2人で笑ってしまっていた。

ほんの少し気が緩み、執事はハッとする。


(ともかく、ここの片付けを指示した後に、書斎も片付けねばならない。忙がないと)

ロックは少しだけ急いでいた。


いつもなら、主が退出をするなら扉が完全に閉まるまで目で追うのに、しなかった。

なので、グロリオーサが粉砕した書斎の窓ガラスを片付けの指示を急ぐ為に、半分ほど閉じたところで背を向けてしまう。

グロリオーサとアングレカムが気がつかない最中、賢者だけがまるで"何かを確認"するかのように、客人の腕の中にある絵本が"暗く輝いた"のに気がついて、目元を鋭くする。

小さな胸騒ぎがして、振り返ると、扉の僅な隙間か久しぶりに自分の忠実過ぎる執事の真っ直ぐな背を見た。

そして中庭に通じる扉は、音もなく閉じた。


『では、書斎に戻ろう』

口では至って平素のように振る舞う頃には、不思議と胸騒ぎが収まっている。

集中すると固まる癖のある賢者は、"胸騒ぎがおさめられた"事に、足を一度止めてしまっていた。


(私に―――いや、"賢者に不安を持たれたら困る"ことでもあるというのか?)

正体の判らない、友が抱える絵本を軽くピーンは睨む。


2人の客人は視線で会話をし、美しい緑色の瞳が数度瞬いて、黒い瞳が一度伏せられて―――ピーンとの付き合いが長い方であるグロリオーサが口を開く。


『ピーン、どうかしたか?』

『あ、いやすまない。行こうか』

グロリオーサの持つ絵本は"大人しい"様子で、彼の手の内にあった。


(―――まさか、な。だが)

不安が"消えた"のではなく、"隠された"事だけは忘れまいとピーンは留意して、再び足を進めた。


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