【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その3・前編ー】
ロブロウ自慢の渓谷は、初めて見る人に「わああああっ」と感激させる力を持っています。
その渓谷を滑り降りるように、腰に刀―――太刀を携えた長い黒髪の男は、その"感激させる力"を持つ風景を見慣れた男の度肝を抜くことに(謀らずも)成功していました。
初めは渓谷の岩壁に、パラパラと小石がぶつかり転がる音で、ピーンは異変に気が付いた。
自分が今、正に描こうとしている景色のーー渓流を挟ん対岸の渓谷の岩肌の頂上から、石が壁にぶつかりながら落ちているのを視界に捉える。
(今日はそんな天気でもないよな?)
風の強い日などは、岩壁に這い伝う植物が風に煽られ、引っ張られ根が張っていた土や小さな岩を連れて落ちていく事もある。
なのでロブロウの領民は常々、渓谷の付近にいる際にはそういった音に注意を払うようにしている。
それはもちろん領主であるピーンも同じであったが、この日の風は穏やかなものなので、それがまず気がつくきっかけとなっていた。
希にどうやったらそんな所まで登れたんだろう、といった具合に野性の動物が渓谷の頂上に登っていてその為に落下物があることも、あった。
(確か小さな崩れはあっても、大きな崩れがないように、物理的にも魔術的にも補強の工事を済ませているハズだ)
季節的にもロブロウの渓谷と渓流の美しさん安全に楽しむ為に、年に1回義務とされている渓谷の整備を、秋の時期に併せ行ったという報告を確認した覚えがある。
(自然なものではない?)
と、人為的な可能性を考えた時、岩壁の頂上や、壁の側面の窪み等に器用に根付いている見事に色づいた広葉樹の紅葉の葉が大きく散った。
次にバサバサと音を立てたと思ったら、更に大きなガサッとした音と共に黒い人影が飛び出てくる。
気持ちの良い晴天の日の光が射す日中、まずピーンの瞳は色彩の"黒"を捉えた。
その理由は降りてくる人物の髪が、黒く長い髪だったからだった。
不思議と真っ黒な髪なのに、美しさよりも"逞しさ"が印象に残った。
そして緩やかという表現からはかけ離れた絶壁の、渓谷の側面に足をつけて、黒髪の御仁はまるで"走り"降りてくる。
(なんであんな場所から人!?。
と、その前に、そのまま走ったら岩に直撃する!!)
"渓谷を走り降りる人"は時おり岩壁にある突起物である岩や植物を利用し、腕を伸ばして、止まるか、落下速度を弱めようとしているよにも見える。
しかしそれは、完全に"焼け石に水"状態のようで、本当に僅かに止まったくらいで、失速もろくに出来ずに再び落下を始めていた。
そしてやがて落下をするだろう場所には、大きな岩がある。
(―――これは直撃でもしようものなら)
軽く惨劇を想像して、賢者は眉間に大きくシワを刻みながらも鋭い観察力で、走り降りる黒髪の長髪の人は、どうやら"男"だというのはわかった。
(折角、カリンとロックがくれた休みだというのに!。
理由も分からずに、落下死体を見る事に潰されてなんかたまるかっ)
降りてくる男の"死"をとりあえずは、阻止したい。
賢者は思わず舌打ちをして指先から木炭をイーゼルの縁にうつし、長い指を組みながら立ち上がった。
あの男が、"着地"する場所に行くための道筋を探しながら、今尚、岩壁を走るような落下を続ける男の為に、"素早さ"に特化した、救う術を使う。
(領民の子ども達には、とても見せられないな)
そして"印"を組ながら、走り出し、危険防止の為に作られた渓流と、ーーまだまだ整備不足で何とかしたいと考えている関所にも繋がる道との境目に引かれているーー大人の腰の位置ほどにある高めの縄を踏み、飛び越える。
結構な跳躍となり、両手で印を結んだままとなったが、昔、この地を駆け回った賢者は危うげなく着地して、渓流の流れる縁まで来る。
勿論、"落ちてくる男"もその間に直撃したのなら"無事ではいられない"岩への距離を縮めていた。
(急がんとな。しかし扱えはするだろうが、いきなり"本番"で上手く調子が合えばいいんだが?)
水に濡れるのも構わずに、把握している浅い浅瀬の場所や、水面から出ている岩を踏み、脚を進めながら、最近編纂した、文献に載っていた"とても素早い存在"を利用すべく、呼び掛ける。
『オン イダテイタ モコテイタ ソワカ』
その存在を呼び出すための異国の呪文――"真言"だけを、早口に出して、意識は落下する人物に注ぐ。
走る賢者の纏う紅黒いコートの背後に、東の国の鎧を身に付け、合掌したその上に剣のような武器を水平に抱えた、素早いという式神を呼び出した。
(―――韋駄天、あの男を!)
もう言葉に出す"時間を取られる"という手間を省いて、念で韋駄天に指示を出す。
なかなか厳つい顔をした"韋駄天"は頷いて、直ぐに呼び出した主の背を越え、落ちる男の方へと、飛んでいく。
落下をする男の数倍以上の速さで、渓流が流れる河川を韋駄天が進み始めた時、ピーンの目に落下する男が太刀を抜く姿が眼に入った。
(―――一体何を!?)
"印"を解いた事で、両手が自由になり身体のバランスが効く分、脚のスピードを早めながら、視線は抜いた太刀を片手に持った男に注ぎ続ける。
男は太刀を握ってそのまま、降りてくる。
ピーンは距離が縮まる事で、ある事に気が付いた。
―――笑っている。
(思えば、あの男、一度もバランスは崩していない)
渓谷を"落ち"ながらも、その足裏は必ず岩壁である岩肌を蹴り、踏んでいる。
もし慌てていたのなら、身体のバランスも保てずに、本当に"転がり"落ちている事だろう。
(岩壁にあった突起や植物に手を伸ばしていたのは、止まろうとしたんじゃなかったわけだ。
身体のバランスをとることも勿論だが、落ちるスピードを整えて、着地点との"間合い"を取っていたんだ。
ということは、あの男が今からしようといている事は)
ある程度の予想がついた賢者は水面から出ている、山のような形をした岩の上で立ち止まった。
(もし、思っていた通りなら距離をとっておかないと)
立ち止まり落ち着いて改めて男を見ると、渓谷を下りながら、太刀を上段に構えていた。
("余計な世話"をやくところだった)
太刀を構える様子を見て賢者もニヤッと笑みを浮かべて、男が"激突するかと勘違いをした巨大な岩"にすでに到着していた韋駄天に呼び掛ける。
『戻れ、韋駄天。そのままいたら、"吹き飛ばされる"』
ピーンは指をパチンと弾いたのと同じ瞬間、男は上段に太刀を構えたまま渓谷の岩壁を踏み込むようにして、蹴って飛んだ。
『オラアアアアアアアっっ』
正に大気を震わせる表現するのに相応しい、獅子の咆哮すらを思わせる大声と共に上段に構えていた太刀を降り下ろした。
落ちてくる黒髪の男の太刀の刃は白く輝いたと思ったらその輝きが、半円の弧を描いて放たれる。
(風の精霊を使った衝撃波ではない。だったら、何の能だ?)
今まで賢者は見たことはない種類の力が、"圧"として太刀に宿して使っているのがわかった。
(これは、興味深いな)
久しぶりに湧き上がる好奇心に、ピーンの心は弾み、益々降りてくる男から目が離せなくなる。
男が降り下ろした太刀の刃全体から、"圧"の力は飛ばされて着地先にある巨大な岩に叩き込まれた。
一斉に鳥が囀ずるように、ピシッピシッとした連続した砕く音が巨大な岩から溢れるように出て、割れ目とひび割れが細かく刻まれる。
その岩に与えられた力は、距離を開けて立ち止まる賢者の元にも、風圧と姿を変えて届く。
男が太刀を降り下ろした事で、岩に細かいひび割れが入った事を確認した賢者は、側に戻ってきた韋駄天に"自分を護れ"と命じて、胸元にしまってた水晶の塊を"礼"として投げ渡す。
『細かい礫岩は、ぶつかっても痛いからなぁ』
そんな事を楽しそうに賢者が口にした瞬間、太刀を握る男は、軽業師のように太刀を降り下ろした反動で、クルっと宙で回転した。
その時には再び片手に太刀を握り、ようやく姿勢を普通と思えるもの――大地に向かって靴底を向けていた。
身体には、先程太刀の刃に宿ったような輝きが、薄く身体中に浮かんでいた。
『へえ、さっきのを"身体"にも応用ができるんだな』
また楽しそうに言う賢者の前で韋駄天が、先程助けるように命じられた人が出す"魔力"というには、"乱暴"過ぎる程の強力な力に驚いている。
喜怒哀楽という代表される感情が著しく乏しい"式神"という存在でも、あの太刀を握る人にも"驚き"という感情をもって惹き付けられた。
そんな感情が希薄な式神が興味がを持たされるような存在に、当然のようにピーン・ビネガーも心を惹き付けられている。
(次は、どんな事をしでかしてくれるのかな?)
ロブロウの中では味わえなかった、懐かしい感覚が、少し痺れるような感じで足元から沸き上がり、胸は弾む。
これから降りてくる男が、"すること"の予想はついてはいるが、"やり方"が気になった。
黒髪の降りてくる男の身体中に浮かんでいた白い輝きが、右の脚に集中し始めると同時に振り上げていた。
『成る程、踵落としで粉砕か』
ただ、賢者は不意に思う。
――渓谷をそういった降り方をする事が出来る力を持っている男なら、もっと安全に降りることもできたのではないのだろうか?。
疑問の答えを、もうすぐ眼前にやって来る男に聞いてみたいと考えた時。
黒髪の髪の男の脚は降り下ろされて、踵が直撃した岩が、礫に姿を変えて爆発するように飛び散った。
爆ぜる礫は結構な勢いで、距離を開けていたピーンの元にも飛んでくる。
『韋駄天、頼んだよ』
と言って、賢者は腕を振るって腕に仕込んでいた短剣を握った。
素早さ自慢の韋駄天は、合掌した上に携えていた剣を右手に掴み、飛んできた石礫を瞬く間に命じられた"ピーンを守れ"を遂行する。
弾き飛んでくる礫の全てを凄まじい速さで賢者に届く前に凪ぎ払い、時には弾き落とす。
『礫の質量はともかく、礫の重さと力は、粉塵や砂煙となる砂ぼこりの塵より、勝っているので、私の元に届くのは礫の方が早いわけだ。
空気抵抗も、少しは関係あるかな?』
巨大な岩が太刀の男からの踵落としで、弾けるように砕けた事で、モウモウと粉塵が着地した地点を中心に舞い上がっていた。
特に着地の中心となった部分の粉塵の量は凄まじいもので、はっきりいってその辺りは煙幕でも焚かれたようで、全く様子が窺えない。
ピーンは自分が立つ岩の下に流れる、渓流の水面の上にも薄らゆっくりと広がる粉塵を眺めながら、久しぶりに賢者らしく"理屈っぽいもの"を口ずさんで、"逸る心"を落ち着かせる。
愛用の短剣の柄の、尻の方についているなめし革の輪の部分を、利き手につけている腕輪の金具の部分に繋げ、嵌める。
韋駄天が己の剣でもって、キンっと音を立てながら礫を大方片付けた後に、"ブンっ"と異質な音が出たのを賢者は聴き逃さない。
『―――で、明らかに別の力が加わって礫が弾き飛ばされたのなら、スピードも威力も、違うわけだ』
ビュンと風切る音がして、未だに立ち込める粉塵の中から自分の元に"礫"が飛んでくる。
韋駄天が防いでくれていたものとは、スピードとパワーも違う礫を、しっかりと握った短剣でもって払い除けるようにして、粉砕する。
韋駄天はあくまでも"岩から飛び散った礫から守れ"と命じられたので反応をしない。
尚且つ明らかにピーンに飛んできた礫は"違う力"が、加えられているのがわかる。
再び今度は連続して、ブンっ、ブンっと音を響かせスピードとパワーが増した礫が、粉塵の中からピーンに向かって飛ばされきて、それを短剣で弾く。
(―――これは、力を加えられていても、力は魔術の類いではないな)
この礫を飛ばしてきているのは、恐らくあの"黒髪"の男。
短剣でもって直に礫を弾いた"感触"でわかるのは、礫に加えられた力は魔術でも、あの太刀や踵落としをした右足に纏わせていた力でもない。
『―――ああ、至極単純なものか。
"シルフ!、お前と気が合いそうな、イタズラ好きな友達が、この場所にやってきたよ!"』
風の精霊に賢者は呼び掛けて、パチリと指を弾くと、緑の色を伴った風と共に、蝶のような羽が生えた小人の精霊が姿を現す。
"ウフフっ"とイタズラを楽しむような声をだして、辺りには大量の風が呼び込み、粉塵は一掃される。
一掃されたその向こうには、かつて巨大な岩があった場所に黒髪の男が、太刀は鞘にしまい片膝をついて、あるものを使ってピーンをまた礫で狙っていた。
ロブロウ自慢の渓谷に突如あらわれた男と、この土地を守る男の視線が、交錯し、互いに笑う。
『スリングショットだなんて、本当にイタズラもんだな!』
自分のイタズラ好きを棚にあげて、ピーンがそう宣うと、黒髪の男は更に口の端をあげた。
太刀の男は、スリングショットにあるゴムの部分を手離し、礫を飛ばしてきた。
ブンっとまた風を裂く音を耳に入れた瞬間、ピーンは今まで立っている岩を力強く蹴り、高く跳躍する。
太刀の男から放たれた礫が、ピーンが先程までいた場所を過ぎた瞬間、礫を避けられてしまった男は、スリングショットを胸元にしまいこんで太刀の柄に手をかける。
(さて、どのくらいの間合いがいいか、それともあちらさんもこちらに来てくれるか…)
男は太刀を抜いたが、動かない。
その間にも、武器が短剣であるピーンは、太刀の男との"間合い"を一気に詰める。
幼い頃から知り尽くしている渓流の浅瀬の道を、飛沫を上げながら、駆け抜ける。
一方の太刀の男は立ち幅が狭くし、腰を落とす形になる。
その姿を見て、実戦の経験もあるが、武芸には書物から入った賢者はその構えから出される、攻めを予測しながら、自分の攻防も考える。
(攻めるのが一番得意そうなのに、誘い込んで受けるのにも自信がある、っか!)
極力、距離を詰めてから代々家で受け継いできた、舞うような短剣専門の剣術で斬りあげるようにに見せかけながら、突き上げるようにして顔を狙う。
"戦意を喪失させる"のには、色々な急所が集合しているような"頭部"を狙うのが一番だと、賢者は考えた。
普段、息子と長女に武芸を教える為のロックと模擬試合では、短剣を直前で止めるようにもしているが、太刀の男には一切遠慮をしなかった。
『へえ、面白い剣術だな。"トレニア"とか、好きそうだ』
動きを読まれていたのか、それとも太刀の男がそれだけ"豪の者"なのか。
構えたままスッと首だけ動かしながら、ピーンの遠慮のない突きを避けて、重くそれでいてとても楽しそうな声でそんな事を言ってまた笑う。
(―――中らないのは分かっていても、掠り傷すらつけられないのは)
渓谷を駈け降り、岩を砕くような事を笑顔でするような胆力と力のある男に、どちらかと言えば後方支援向きの自分の攻撃は避けられる事は当たり前だと思っていて、焦りはない。
しかし、距離もあって勢いもつけた、バネのある渾身の突きで攻めてもかすり傷程度もつけられなかった事の悔しさは、ピーンの内に僅かに沸いた。
一方の太刀の男が漆黒の瞳が注目していたのは、渓流の中を物凄くバネある跳躍をする足元だった。
渓流の水面に飛沫をあげながら、自分に突っ込んでくる紅黒い色コートを纏う男の全体の姿を見ながら、白髪の目立つ男の足が、どの場所を踏んでいるかを凝視して、頭を使う事が苦手な男なりに一生懸命に覚える。
《貴方は、馬鹿みたいに強いですが、よく足元が見えていない時がありますからね。
知った場所や慣れた普通の平地ならともかく、初見の場所や経験した事のない土地で戦うのなら》
緑色の瞳をキッと光らせて、大抵の婦人達なら赤面しつつも見つめてしまうような悩ましげな様子(実際には"世話がやける"といった様子)で親友に更に言葉を続ける。
《余り動き回らず、まず"その土地"の人がどのような戦い"型"をするか、注意深く観察をなさってから、戦うなら戦いなさい。
不向きと思ったなら、迅速に撤退しなさい》
出自は、農家の次男坊のはずなのに、一応王族の自分より、余程言葉遣いが丁寧な親友は、悩ましげな顔のまま、更に腕を組んで、ある戦いで一人で先走った行動をとってしまった際(自分は無傷、敵は殲滅)に説教するよう言われた。
《でも、こいつが鬼みたいに強くてもさ、見極めるためでも防戦一方じゃ、万が一もないか?。
俺の武器みたいに、遠距離攻撃な弓矢とかで攻撃されたら、それこそ防戦一方で足元だって見たくても見れないっしょ?》
気障ったらしい喋り型は生まれつきだと豪語する、首にいつもスカーフ巻いている幼馴染みの男がそんな事を、腕を組む親友に向かってそう言ってくれた。
喋る言葉はどんな時でも気障ったらしいのだが、それは思いやりのある優しいものばかりで、多少気障さにイラッとする時もあったが、内容は聞き入れるのに躊躇う事は、太刀の男は一度もなかった。
ただ、"色んな事"があって気障な優しい幼馴染みである親友の男とは、今は袂を別つ事になってしまっている。
"足場の話"は、まだ袂を別つ事になるなんて、全く考えた事がなかったそんな時に話した事だった。
《あ、そうだ。だったら、良いものをやろう。俺の前の″相棒″》
そう言って、銃という武器を手にしてからも、大事に整備をしていたスリングショットを太刀の男に譲ってくれる。
《これなら、グロリオーサも適当に近場にあるものを拾って攻撃しながら、牽制しつつ、ついでに敵さんの動向と足元を見れるだろう。
まあ、何より俺はお前が怪我をして悲しむトレニアを見たくないだけだから、有りがたく、持って使え》
自分達の纏め役で、誰も頭が上がらない、人の気持ちを汲み取ってしまう苦労人の少女の名前を出されて、太刀の男・グロリオーサは、幼馴染みで親友の宝物と言っても過言ではないスリングショットを受け取っていた。
《きっとグロリオーサの事だ。
これからも単身で乗り込むか、やっかい事に巻き込まれて初めての場所で戦う事もあるだろうさ》
笑いながら気障な親友が言った後に、色男で緑色の瞳をした親友が呆れながらも、困ったように微笑みを浮かべていた。
そして今"初めてくる場所の中で、安心して戦えそうな足場"。
それを探る為に、有り難く、この(単独行動をとってしまった為に来てしまった)場所で、なかなか面白いと思える相手にスリングショットを使っていた。
《精密な命中性はともかく、勘とパワーがグロリオーサにはあるから、大きな標的――"人"なら、スリングショットを扱うのは余裕だろう》
本能的に決して弱いものには、手出しをしないと知ってもいるから、気障な親友はグロリオーサにスリングショットという扱い次第では、危ない武器を譲っていた。
最近では"鬼神"と呼ばれるようにもなったグロリオーサは、渓谷を滑り落ちる時から視界の端にいた白髪の男に興味と"期待"を持つ。
そして、その興味も期待も、見事に応えてくれそうな人物だと確信しながら
―――ピーンの緩やかに曲線を描くような、それでいて瞬発力のある短剣の斬りつけにみせた突きを、首だけを動かして避けていた。
もし仲間である、スピード戦を得意とするアングレカム・パドリックと、"飛び道具"というこちらも凄まじいスピードを持つ武器を扱うジュリアン・ザヘト。
その2人同時を相手にする"訓練"をしていなかったら、今のように完璧に避ける事は出来ていなかっただろうと、グロリオーサは短剣を避けられた事で、驚いた顔をする白髪の男を見ながら、心内で親友達に感謝する。
親友に感謝をし、微笑む顔は"余裕"を、これでもかと言うぐらい感じさせるものだった。
"余裕綽々"
そんな調子に合わせて、知らない女性(恐らく男の仲間)の名前まで聞かされ、その女性が、先祖代々受け継がれる、舞踊にも見える剣術を好きそうだとも、ロブロウ領主、ピーン・ビネガーは言われて。
スリングショットによる礫の急襲を受け、自信のあった攻撃を避けられの身ながらも、思わず浮かぶ笑いの衝動を、短剣の柄を強く握りなおすことで堪える。
(―――ん?思えば)
先程考えた中で"知らない女性の名前聞かされた"と、というくだりが記憶の琴線に触れた。
(どうして、私は"トレニア"という名前を、聞いて知らない"女性"だと思ったんだ?)
それから、ハッとしたように渾身の突きを避けられた事で、横顔しか見えない男を見つめる。
"決起軍"の一番初めからいるメンバーの中で、この太刀の男が口にした人物の名前が、確かにあったのを思い出した。
(だったら"こいつ"―――というか、"この方"とこんな風に剣を交えていたなら、領民に迷惑が…)
急激な渓谷を派手に降ってくるあたりでは、国の名の通った武人の一人ぐらいと"彼"――グロリオーサについては、考えていた。
―――"あんな"降り方や、技術を使いこなすぐらいなのだから、きっと腕は立つ―――
折角の貰った休暇を絵を描いて過ごすのも良いが、軽く"やんちゃ"をして過ごすのも楽しいのではないか。
その時は、それこそ保守的な領民には聞かされない、"乱暴な"考えを頭に抱えながら、"墜落"を助けに行かせた韋駄天を止め、"やんちゃ"をするきっかけを待っていたのだった。
もしこの人物が、"確実"に賢者の権限を使ってまで、ここ10年に近い年月を興味を持って、密かに追っている"決起軍"のリーダーとなっている男なら。
今や表では決して言われる事はないが、心の内では甘い蜜を吸っている輩であっても、"暗愚"として言われる国王の最後の庶子であり、
最も勢いのあるレジスタンスだと言われている"決起軍"のリーダーでもある
"グロリオーサ・サンフラワー"
"鬼神のグロリオーサ"
と、呼ばれる人物だったのなら、ピーンとしては大変に"やっかいな御仁"ともなられる方である。
(これは色んな意味で、とんでもない人物に遭遇してしまった事になるなぁ)
"国"からすれば、グロリオーサは国を乱す大罪人である。
しかし、一応"絶対王政"という政治が行われいる国の臣下であるピーンにしてみれば、"一応"国王の息子にあたる人物に、刃を向けた事も事実で、それは結構な罪となる。
そこで最近、賢者の様相とマッチしてきた"老獪"と自分でも思える考えが、白髪の目立つ頭の中で廻る。
(もし"この方"が、王の庶子の1人であり、決起軍のリーダーだとしても。
立場を公にしていないのなら、先だってうちの領地に侵入してきた賊と、変わらないって事になるのか?。
だから、何とか説き伏せるか捕るかして、記録に残らない形で、国の平定を急いで欲しいと頼んで。
本当にに迷子でいらっしゃるなら、多分探してるだろう仲間の所に帰して差し上げて。
でも折角こうやって"賢者ピーン・ビネガーと会っている"というか形にしても、互いに何か利用価値がないかな?。
いや、思えば何より、"迷子"になったとしても、どうして、鬼神のグロリオーサがこのロブロウにやって来てしまっているんだ?)
今、短剣を避けている相手の、身分も名前も大体見当はついた。
だが"そんな話"をそちらの方に向けるタイミングは、この状態からどうやって持っていくものかと、賢者は真剣に悩む。
ちなみに言葉にして表せば、長たらしくなってしまうが、賢者ピーン・ビネガーが短剣を突き、鬼神のグロリオーサがそれを避けられて、"2秒"の時間も過ぎてはいない。
そしてその間に、互いにそれだけの事を考えていた。
まず攻撃に"失敗"した、領主ピーン・ビネガーが動く。
この"後の事"を考えながら、空振りとなってしまった突きを繰り出し、伸ばした腕を引き戻す。
同時に、渓流の水飛沫を跳ねあげながら、後方向かってに跳躍する。
まるで、後ろに飛ぶピーンに揃えてついていくるように、持ち柄を変えたグロリオーサの腕も、太刀を抜くために上に動いていた。
ピーンが腕の位置がグロリオーサの顔の辺りを抜けて引き抜き終え、身体も跳躍の力で後退を始めたのと同時期に、グロリオーサの逆手に太刀の柄を掴んだ、腕は大分引き上げ抜かれている。
(速いっ!)
瞬発力と機敏性にはそれなりの自信があるピーンだが、グロリオーサの抜刀の速さは、今まで対峙した剣を扱う相手の中で、最も早いと感じる。
抜いた太刀の柄の尻の部分が、あと少しでも後方に下がるのが遅れていたなら顎に直撃しそうになるのが、下からくる風圧――グロリオーサが抜刀する勢いに乗った風が、登ってくる事で予測出来た。
巨大な岩に満遍なくひび割れを刻んだ太刀の威力と、それを粉砕させたグロリオーサの力を、自分が受ける事になったことを想像する事は、十分にピーンの冷汗を滲み出させる。
(喰らったら、冗談抜きに命に関わりかねない!)
力一杯に顎を引いて、上がって、ぶつけてくるかもしれない太刀の柄の打突から完璧に避けた。つもりだった。
―――ビュンっ
『―――!』
十分に避けていた、と思った瞬間、顎に小さな衝撃と火の筋が通り向けたような熱い痛みが走り、ピーンは目を見開く。
見開いた先に、豪快という表現しか思い付かない、グロリオーサの笑顔が、握られた太刀を間に挟み、間近に見える。
賢者は眼球を目まぐるしく動かすと、太刀の柄を握るグロリオーサの手の形と方向が、抜く時とは少しだけ変わっているのを確認する。
(私の避けようとする動きを、読まれていたか)
だがそうやって顎に掠る程の距離に太刀が来たことで、自分の眼前を凄まじい速さで通り過ぎる武器の様式と、"あるもの"を見れた事で、この人物がやはり"王族のグロリオーサ"なのだと確信を得る事が出来た。
ピーン・ビネガーの顎に焼けるような痛みを与えた物の正体は、太刀の柄の尻の方にある、僅かに装飾されている冑金。
そして、冑金に施されているのは王族のみ使う事が許される、向日葵と獅子をモチーフとしてあしらった紋章。
それが刻まれていて、その金具の隆起した部分――獅子の鬣部分が、ピーンの顎を僅かに削り、掠ったのだった。
(王族の紋章の"獅子"の箇所で、こうやって傷つけられるとはな)
顎に衝撃を受けたままそんな事を考えて、後ろへ着地して、浅瀬の渓流がバシャリと水飛沫をあげる。
直ぐに足を水底を滑らせるように動かし、再び水飛沫を上げて、ピーンは構えを直す。
腰を落として軸足の爪先を、"敵"であるグロリオーサに向け、バシャンと渓流の飛沫が顔にかかるのも構わず、短剣を舞うように滑らかに動かし、鋒に様々な曲線を描かせてから、パッと逆手に掴み眼前で水平に構えた。
そして短剣の水平線を見る視界の先には、右足を引き体を右斜めに向け太刀を右脇に取り、剣先を後ろに下げた構えをしているグロリオーサがいた。
(正面に立つ私の視界からは、鬼神殿の太刀の刀身の長さを正確に確認出来ない…。
それにあれは確か"金の構え"。
東の国の、剣術である五行の構え(ごぎょうのかまえ)の1つ)
かつて、いつか修繕しようと思っている朽果てそうな蔵の蔵書の中に、東の国の剣術の中にある"構え"として、図解も載せてあった、和綴じの鍛練指南の本を思い出していた。
"墨"というインクと独特の"筆"といったペンで記された書物に、描かれていた五つの型の内で、最後に記されていたのが、今グロリオーサがしているものだった。
(そういえば、東の国の民は殆どが黒髪に黒い瞳だったな。
意識しているかどうかは判らないが、鬼神殿は東の国の贔屓にはしているのかな)
このセリサンセウムという国では珍しい黒髪と瞳に、太刀と呼ばれる異国の武器を扱う"王の子供"。
本来なら、王族専用の装飾過多ではあるが、紋章である向日葵と獅子がモチーフがつけられた切れ味の良いサーベルや、剣がグロリオーサに与えられていても、おかしくはないはずである。
(あえて異国の武器を使って、レジスタンスを起こしている事は、鬼神殿にとっては、何か意味がある事なのかもしれない)
そしてこの"構え"を見て、賢者はもう1つある事を思い出す。
この構えの特徴は…"相打ち狙いには有効"という事だった。
(やれやれ、正直に言って、剣術は"相討ち"する程、される程の腕前じゃあないんだけどなあ。
ウチの伝統武芸はともかく、私の剣術の腕前を過大評価してますよ、"王子様")
王の子どもなのだろうが、既に成人もしているだろうグロリオーサの外見は、"王子様"というよりは、東の国でいう"若様"の方がグロリオーサはしっくりくるものだった。
(成人してはいても年は…まあ、私の所のロックよりは、年上だろうな)
更に付け加えるのなら、年の離れた弟のように可愛がる、自分と同じ様に短剣を扱う執事よりは、太刀を扱うグロリオーサはかなりゴツいし、背は高いと言われる賢者と同じくらいある。
ただ、こうして武器を向けあい、間合いをとっていても、グロリオーサは不思議と惹き付けられるものも持っている青年でもあった。
そして渓谷から降りてくる頃から、自分が現在進行形で"惹かれて"いる事も思い出す。
(王の末の庶子でも、"カリスマ"は一番なのかもしれない。
でもまあ、私より年は過ぎていないだろう。いや、しかし)
短剣を構えつつ今まで太刀の技の凄さや、身のこなしの素晴らしさに感嘆していたピーンは、グロリオーサが大分"汚れていらっしゃる"事に漸く気がついた。
カリスマはある事はあるが、汚れに気がついて観察すれば、渓谷を下り降りて、巨大な岩を踵落としで粉砕したことで、全体的に土埃を纏っていて汚れているのは仕方ない。
しかし、うっすらと口元に生えている髭は、洒落に生やしていると思ったが、どうやら生粋の無精髭のようである。
(―――まさか本当に"迷子"になって、このロブロウに来てしまったというのか?。
もしそれが事実なら)
懸命に気を緩めないように、呆れてしまっていると渓流の水の流れを伝って、グロリオーサの身体が少しばかりだが動いたのが判る。
(今更だが、"若様"と武器を引っ込めての戦いに持ち越せないものか)
賢者の得手は主に"術"と名のつく、どちらかと言えば"頭を使う"魔術や精霊術で、次いで体を使う事で言うならば、武器を使わない体術である。
跡取りとなる子ども達や、
「体術など、跡継ぎではないのに」
と、不満を漏らす娘達にも、怪我の予防にもなるので、伝統の短剣の技よりは、重点的に体術の方をロックを助手にして、これだけは全ての子ども達に教えていた。
《喧嘩をする場合。
痛みを伴うのは仕方なしにして、"戦う"当事者達が、"大きな"怪我をしない、させない》
これがロブロウ領主、ピーン・ビネガーとしての子育ての中の信条だった。
"痛みを知らない、分からない"という理由だけ暴力をふるうような人になって欲しくなかった。
―――ただ、それは娘達には身体や道具を使って人をいたぶる事はないが、"口撃"の力を育ててしまうという裏目も出てしまっていたが。
("物"を使って、争うと事になると一気に負傷する確率があがってしまうからなぁ)
一旦、考えるだけで暗くなる娘達の事を頭の端においやり、惹かれる相手と、しかも久しぶりに本気で対峙する事が出来る相手に、意識を集中し直す。
集中すれば、胸が激しく昂った。
"得意な体術がいい"
"怪我をさせない"
という信条をかなぐり捨てて、グロリオーサと"戦い"たかった。
そして気持ちを昂らせているのは、グロリオーサも同様に伺える。
薄汚れた、無精髭が生えた口許の上にある精悍で黒い瞳を、爛々とさせて賢者を見ている。
一気に2人の気持ちは、"戦い"へと突き進む。
"二人の猛者"の突如として始まった決闘に、場所は穏やかな水辺の渓流だというのに、炎の精霊達が、様々な姿をして集まってきていた。
精霊達の世界では"情報屋"でもある、風の精霊シルフ(主に、先程ピーンが呼び寄せた精霊達)に呼ばれてやってきていた。
(精霊の観客付きでの戦い、か)
但し穏和を好み、この決闘場所の"主"である水の精霊達は怯えながら大きな岩影――土の精霊の後ろに隠れるようにして、身を潜めてしまっている。
(この戦いが終わったら、"水神"の侘の舞いをするから、勘弁してくれな)
優しく穏やかに、自分の治める土地の自慢でもある、渓流にいる精霊達に語りかけながらも、一番水の精霊が恐れを抱いている"武器"を仕舞うことはしない。
ピーンもグロリオーサにしても、手にしている武器は、どちらも人の命を奪い、血を吸っていた。
命を奪い合うような戦いを経験しているから、武器を向かい合わせて対峙していても、互いに命を奪うつもりはないのが分かる。
水面の近くに飛んでいたシルフが集まった火の精霊の熱に煽られ浮上し、結構な風量となってピーンの顔の側を通り過ぎた時、先程掠めた顎の傷が、軽くヒリヒリと痛む。
"国の紋章"で傷つけられた痛みにピーンは軽く心の内で自嘲する。
(偶然にしても、さっきの一撃を掠ったのは、国が悪い方向に傾いているというのに、表では知らない振りをしていた為にかな)
でも、例え国を意見をしたとしても、賢者"1人"の力では、どうにもならないとわかっているから、ピーンは動けなかった。
そして"動けなかった"という言葉が浮かぶ自分に、少しだけ呆れた。
(いや、"動かなかった"が正しいな)
――何処までも、自分にとって都合の良い言葉を探そうとしている自分がまた"嫌い"になりそうだった。
また火の精霊に煽られて、熱を持った風の精霊達がの冑金を掠めたピーンの顎を、熱風で撫でる。
熱風は掠った後を撫でる事で感じる痛みは、どちらかと言えば火傷の痛みの感覚に近い。
(若しくは、様々なことを理由に持ち上げて、政治に関わる"賢者"の権力を持っていたのに、関わりを持とうとしなかった事への、報いか)
意識して足先に力をいれて、靴底を挟んで足場の具合を確認する。
それから波は作るが、水飛沫を上げる事なく、靴底を浅く流れる薄い苔や藻がある渓流の水底に滑らせ、姿勢をスッと落とす。
(でもそれなら、"顎に掠り傷"程度では、国の大事を見過ごした賢者の"罪"に対しての"罰"は軽すぎやしませんか?。若様?)
一昨日、賊がロブロウという領地に侵入してくる前の日、国の中で1つの領地が"なくなった"と、特別な連絡網で報せが、セリサンセウムという国の領主となる貴族達に、密かに届けられた。
手紙を読んだ上で、領地が無くなった簡単な経緯は、そこの土地を預かる領主を始めとして、国民となる領民達自身も、今は暗愚と呼ばれている国王の"布告"に忠実に従い続ける為であった、としかピーンには思えて仕方なかった。
先を見通せずに、国が出した政策に乗っ取って年月と月日を重ねていくうちに、真綿で首を絞めるよう生活を困窮させていっていた領民が、最後には領主に対して暴動を起こした。
領主は半ば平和が長すぎた為に、戦の術が分からずに籠城をして、国に助けを求める。
国は速やかに動いて、要請通りに国軍を派遣して、反乱を起こした領民達を鎮圧する。
そして国軍は反乱の首謀者として、ある領民の男を処断すると、共に"領主とその家族"も処断していた。
"領地を治める事も出来ぬ臣下など、要らぬ"
報告の最後に書かれていた、国王の直筆だという文字の転写を思い出した。
転写された、しかも文字だけだというのに、胃を鷲掴みされたような苦しさや痛みが走って、張り詰めていた気を緩めてしまう。
バシャリっと、水が跳ねる音と精霊達が反応するざわめき、
――火の精霊は異国の武器を持つ人の強さに昂り、風は火の熱に浮かされて舞い、水の精霊は怯えて、土の精霊はその怯える仲間を庇っていた―――
その音達を耳に入れて、ピーンは今度はグロリオーサの方が踏み込み、先に攻撃を仕掛けてくる。
"気を逸らした相手に容赦しない"
そんな感情を駆け寄ってくる気迫で伝えながら、鬼神は迫ってくる。
(戦いの最中に、失礼)
直ぐに気持ちを戦いに切り替え、気を張る。
そして右下に太刀を下げたまま進撃してくる、グロリオーサの動きを見て、改めて昔見た本の内容と照らし合わせる。
(―――あの構え方は、脇下を狙って打つのが常法。
ただ、臨機応変にこちらの出方に応じてもくる)
昔さんざん遊んだ事で、水底に靴底を滑らせるのはお手のもので、また滑らせる。
グロリオーサが激しく水飛沫を上げながら駆けてくる中で、ピーンは構えて低かった体を更に低くして攻撃を待つ。
水に脚を取られる渓流という初めての場所ながらも、飛沫を上げて凄い脚力で間合いを詰めてくる。
(スタンダードに攻めて来てくれて、ある意味有り難い)
賢者は精悍な黒い瞳の動きを見て、グロリオーサが"常法の箇所"である脇下を狙って打ってこようとしているのがわかった。
そしてそこを狙って駆け寄ってくる、グロリオーサの瞳がピーンの構えを見て大きく見開いた。
("攻撃を迎えいれる"事に驚いていらっしゃるっといった顔だな)
驚きながらも、グロリオーサの足は止まらず、下がっていた太刀の鋒は近づくにつれて、上が水平の位置まで上がり始める。
(脇下を突くか、斬るか、はたまた切り上げるか)
ビネガー家の伝統的な武芸をするにあたって特徴の1つとして、まず体を"柔らかくする"という基礎がある。
身体を柔らかくした後に教えられる事は、強すぎる攻撃は"受け流せ"と言うこと。
『今までは、避けられてばっかりでしたか?。
王太子グロリオーサ・サンフラワー殿下?』
狙われた自分の脇を庇う短剣と、グロリオーサの太刀が交わる間際、初めて名前を呼んだ。
『ああ、俺の本当の剣を受けてきた――"受けてくれようした人"は皆死んじまった』
間際の間際に直ぐに返ってくる返事と共に、精悍に輝いていた瞳からスッと、一切の光は何かに覆い隠されるように消える。
輝きが抜けた瞳は、太刀と同じ様な鋭さと、光が抜け落ちてしまった"闇"だけが残り、ピーンに向けられている。
――"殺す"つもりなどなかったのに、何度も相手を斬り伏せてきてしまった。
――"再び剣を交えてみたかった"そんな手練れの剣客を何度も、"1度だけ"にしてしまった。
("殺めるつもりはなかったのに、命を奪ってしまった"ということか)
グロリオーサの黒い瞳から輝きが抜け落ちてしまう事で、賢者とされる人物は鬼神が、心に抱える落胆の意味を見抜いてしまう。
《この人の命も"殺めて"、また語らいの出来るかもしれない人物を喪ってしまう》
かつて、弟のように可愛がる執事が秘書の扱いで、2人旅をしていた頃、魔術を学び才能を"匣"に隠してしまう前、今のグロリオーサと同じように輝きが欠けた瞳をした事がある。
ピーンが諸事情で不在時に、しっかりはしているが、まだまだ幼く見えもする少年だったロックは賊に襲われた。
その際に已むを得ずの形で闇の魔術を使い、賊は呆気ない程に簡単に落命する。
自分の持つ"力"が、簡単に命を奪ってしまったという事実を目の当たりにした、ロックの瞳から輝きが抜け落ちる。
"まさか、此くらいで亡くなってしまうなんて思わなくて"
"命を奪ってしまった"後に、秘書の少年は震えながら、暗い瞳で主になるピーンにそう告げた。
ロックが闇の精霊の天才なら、グロリオーサはこの太刀という武器を扱う"天才"なのだろう。
(―――やんちゃそうな"王子"様だっただろうから、チャンバラなんかした際には)
ピーンの構える短剣の刃に、グロリオーサの太刀の鋒が触れる"感触"が判る。
(死ぬ間際に見るって奴の状態か…)
ピーンは情景がやけにゆっくりに見えながら、しかも把握出来る。
(それとも、これも"殺してしまう"と考えている"天才"が与えてしまう影響での事なのかな?)
ゆっくりと感じられる中で思いだし巡るのは、やはり今目の前にいる人物と同じ様に、思いがけずに、初めて人の命を奪ってしまったロックの様子だった。
――救いと言うべきか分からないが、ロックが殺めた賊は、実は相当な悪党だったことである。
例えロックが命を奪う奪わないにしても、遅かれ早かれ国軍に捕縛されていれば、貴族でもない限り、処刑は免れないような人物だった事は確かだった。
それでもロックの瞳に光は戻らずに暗いままで、気に病んでいる事が判ったので、ピーンは彼が裁かれないと承知の上で、国軍に賊を殺めてしまった事を報告をする。
ロックは自分が生まれて初めて人を殺めた事を気にもしていたが、そんな自分が賢者のピーンの元にいて良いのかも気にはしていたが、"依存"があるので最も怖れていたのは、主と引き離される事だった。
報告をしてみれば、その頃はまだ比較的まともだった国軍からもあっさりと"咎なし"と御墨付きまで頂いてロックは、漸く気持ちを落ち着ける。
その中でも退役間近だという、老兵の言葉がロックの気持ちを一番楽にさせてやっていた。
"その咎人は報告書を見れば今まで、賢者さんの秘書の坊やみたいな"弱そう"に見えた人ばかりを殺めてきたんだ。
それも、とっても卑怯で残忍なやり方だったと書いてある"
老眼鏡からシワだらけの中にある瞳を向けて、ロックに優しく語りかけてくれていた。
"だから、そんな人達の"無念"の気持ちがあの咎人の最後を"今まで命を奪ってきた人"の姿をした坊やに仕返ししてもらう事で無念を晴らしたんだよ"
賢者でも学者でもない、確実に年を重ねて含蓄を積んだ正しく"老獪"といった言葉で、その時だけは主人であるピーンよりも、老兵の言葉が少年の気持ちを軽くしていた。
"やむえなく人を殺めた"業"を背負う事になったとしたなら、生きている内に、それを補うくらいの善行をしようぐらいの気持ちで、今後を生きればいい。
背負い込むにしても、重すぎたら中々前に進めないから、背負えるだけ背負っていけば良いだろうさ"
――なら、目の前にいる"鬼神"と呼ばれる人はどれくらいの"業"を背負ってきているのだろう。
(鬼神殿も中々の"業"を背負っていらっしゃるみたいだな。
で、この方には、誰そんな気楽にしてくれる言葉を吐いてくれる方が、いるのかな)
きっとグロリオーサは"ピーンが攻撃を避ける"―――"生き残って"くれていると思っていたのに"受けて死ぬ"事になるのに、落胆している。
(戦う力を持つ人の中でも、その力の"天才"とされている人は、得てしてそういう"落胆"を経験をしてしまうのかもしれないな)
そうして貼り付いた"天才"というレッテルの中に少なからず、
《大きすぎる力を、巧く扱えずに命を奪ってしまった》
という出来事が、本人が望む、望まず関係なしに含まれてしまっている。
傾く国を何とかしたいと、レジスタンスである決起軍を作り、"戦い"に勝ち、勝ち続けた。
その都度、やむを得ず命を奪い、そして奪ってしまう程名声は上がっていき、グロリオーサは"天才"に止まらず、"鬼神"という異名まで世間に轟かせてしまっていた。
(でも、そうやって命を奪ってしまった相手は私が集めた情報の限りでは、"剣だけを扱う相手"。
殿下は多分、魔導と剣技を両方を嗜む者と戦ってはこなかった。
両方に精通していれば、受け止め方は存外ある事をに教えてさしあげよう)
そう考えて賢者が腹の中で"死ぬつもりは更々ない"と思うと、グロリオーサからの大きな力から与えられていたようなの"緩やかな時間の縛り"が取れ一気に"時"は加速する。
(あの緩やかに廻った昔の記憶は東の国でいう"走馬灯"って奴だったのかな?)
いつでも好奇心のつきない人は、 太刀の切っ先と短剣が防御する為の刃が触れて、金属同士が火花を散らした瞬間に腹に力を入れてありったけの声を出して、"イタズラ好き"の精霊達に呼び掛ける。
『シルフ!、ネヌファ!、シルウェストレ!、シルフィード!、ジルフェ!、エアリエル!、我が魔力を使い姿を"現"に!。
短剣を押し上げよ!。
獅子の頭を持つ風の精霊アリエル!汝は太刀に食いつき、牙をたてよ!』
名前を知る限りの"風の精霊"達に呼び掛け、姿が現れるように自身の魔力を分け与えて召喚し、苛烈に、今まで望まぬ血も吸ってしまってきた、グロリオーサの太刀の"業"の力と向かい合う。
ピーンから魔力を与えられ、呼ばれた"名前"と、様々の"伝承に伝わる姿"で風の精霊達が、風を象徴する緑の色を含んだ姿を次々と現した。
更に召喚した白髪で紅黒いコートを纏った賢者に加勢する為に、更に具現化しする。
それはまるっきり魔術が苦手なグロリオーサにも、全ての精霊の姿がはっきり認知出来る程、ピーンの紅黒いコートを纏った身体が完璧に見えなくなり、隠れてしまう程顕著なものだった。
パチンっと指が弾ける音ともに、最後に呼ばれたアリエルという獅子の頭を持った風の精霊は、渓谷を震わせるような咆哮を上げて、風の牙を以てグロリオーサの太刀に食らいつく。
風の獅子が自分の太刀に食らいついた瞬間に、グロリオーサは目元を険しくさせる。
『洒落臭い!』
険しくした目元に更に、嶮の鋭さも加わって"気迫"は鬼神そのものとなる。
("殺したくはない"が"負けたくもない"って、事かな)
太刀の刃に風の獅子を噛ませたまま、接触はしていたピーンの短剣を、そのままへし折らん勢いでまたグロリオーサは打突の力を弛めない。
(決起軍のリーダーなら"負けたらいけない"って、覚悟しているというのも、あるか)
考えながら向かい合う間にも、顕著な姿となった賢者の姿を隠す6体の風の精霊達が、激しい風の力で太刀と拮抗するを短剣に応戦する。
光の抜けた精悍なグロリオーサ黒目が開けるのに困難な状態のになった瞬間、またパチンと指を弾ける音が風の中で響いた。
(さあ、"必ず勝って、命を奪ってしまわないといけない"とばかりに誤解している、王子様を"驚かせよう")
風の精霊達が賛同しやすい"イタズラ心"をくすぐる言葉を、伝えて更なる助力を仰ぐ。
並みの子どもなら吹き飛ぶような濛風がグロリオーサの身体を取り巻き、足元に流れる渓流の水も、波を作るに留まらず飛沫となってブワッと跳ね上がった。
濛風の中にあるグロリオーサの瞳を賢者が観察すれば、気迫はそのままだが、黒い瞳から輝きを奪っていた靄が微かに薄まる。
(もう一押し!)
自分が呼び出した風の精霊と立ち向かうグロリオーサの瞳に、輝きが完璧に戻るのを待とうとするが、鬼神が繰り出した"打突"の鋒の力は弱まらない。
『おおおっ!!!』
精霊達と自分の太刀に噛みつく風の獅子を、鬼神は例の身体から溢れる白色の気の圧と声を、全身から出して吹き飛ばす。
『俺の、"勝ち"だっ!』
そのまま踏み込み打突をピーンの脇腹に決めようとした瞬間、精悍な黒目に輝きが戻った。
全ての精霊が吹き飛び、太刀からも吹き飛んだ事でグロリオーサの視界に入ってきたのは"賢者の紅黒いコートを纏った韋駄天"だった。
韋駄天は賢者に《指を弾く音がした際に入れ替わり教わった通り》に、打ち込む太刀の打突の力を受け流した時、力を流されたグロリオーサのバランスが崩れる。
『―――魔力がスッカラカンだから、こちらの得意分野でいかせて貰う』
パチンという指を弾く音と共に、吹き飛ばしたと思ったばかりの緑色の精霊が、人の姿に――ピーン・ビネガーになってグロリオーサの首の後ろの襟を掴んでいた。
精霊に扮していたピーンを除いた、風の精霊達は全てグロリオーサの発する白い独特の"圧"の様な気に吹き飛ばされていた。
それなりに見聞や知識があるつもりの賢者にも、グロリオーサの発する"白い気"の見当がつけられない。
自分の"好奇心"が、せっかく倒せそうになっている相手から気持ちを逸らせよう手となっている事に気がついて、苦笑いを浮かべながら――グロリオーサとの"決着"に集中しながら、後始末の事も考える。
(私が魔力を与えあそこまで具現化させた精霊でも、ここまで"木っ端微塵"にされるとは…。
これは水の精霊だけじゃなくて、風の精霊にも詫びなきゃならんな…)
風の精霊が微塵になった事で、"イタズラ"といった物や"恋"といった風の精霊が司るものが、自分の領地から縁遠くなりそうな事に少し頭を痛めながら、"動く"。
右腕でグロリオーサの首の後ろの奥襟を掴み、俊敏に次の動作に移る。
(多分この瞬間を逃したら、もうチャンスはない!)
魔力が抜けきった身体で、少しでも気を抜いたならもうで立っている力さえ保てそうにそうにない。
今、自分が持っている"力"の中で最も有効そうに使える物を"活かす"為に必死に、左手をバランスを崩したグロリオーサの左の片足に伸ばす。
("踵返"だったか、"朽木倒"だったか)
随分と昔に教わった、良く似た動作をする体術の名前を2つ思い浮かべながら、ピーンの左手はグロリオーサの踵と踝の中間を取り、更に外側から抱えるようにとることで重心を崩しにかかる。
それに加えて、最大に活かせそうな体重を"重力"と乗せて押し、グロリオーサの身体は完璧にバランスを失い、更に渓流の水底で見事なまでに滑り、2人の身体は完璧に宙に浮いた。
打突を避けられ、ピーンからの"奇襲"を受けて首の後ろの襟を取られていた時点で、グロリオーサは自分の身体がバランスを崩して、もう体勢を戻すのが難しいのはわかる。
更に左脚の踝の辺りを捕まれて押され、注意を払っていたつもりの慣れない足場である渓流で、定番である"足許を滑らせる"状態になった。
(倒される!)
目の前に、白髪ながらも顔つきはまだ思っていたより若い男は一瞬苦笑いを浮かべ直ぐ真剣な面差しとなった顔を、太刀掴んだままグロリオーサは見つめながら、後ろ向きに倒れる。
見事に自分を"騙した"コートを脱いだ男の顔を見て思い出すのは、数年前に仲間に入った年上の神父だった。
(もしかしたらこの男と、神父バロータは同じ年ぐらいになのかもしれない)
神父バロータに教わったというよりは、無茶な力押しの戦いばかりをする若人で決起軍のリーダーを諌めるように、強制的叩き込まれた"受身"という動作をする為に、グロリオーサは握っていた太刀から手を離す。
《人は、どんなに丈夫に思えていても心の臓や首、頭といった場所は負傷したらそれだけで命を落としてしまう事もある。
特に、頭の後頭部などはその最もだ。
グロリオーサは、身体の丈夫な事にはさぞかし自信はあるのだろうが、神から命の尊さを説く事を課せられた私が仲間に入ったからには、学んでもらうぞ》
そう言って神に使える僕の神父というよりは、どこか武道場の師範のオジサンといった具合でグロリオーサを含めた残り2人のアングレカムとトレニアにも、実地で朝晩に時間がある時に稽古をされ、学んでいた。
ピーンに押されながらも、自由に動かせる腕を使い反動をつけて、後ろ向きに転倒してしまう際に後頭部を強打しないよう背を丸め首を起こす。
(おっ?)
そこでグロリオーサは、自分を倒そうとしている男が、倒すにしても奥襟を深く強く引っ張ってくれていること――極力後頭部をぶつけないように配慮してくれている事に気がつく。
(俺の"名前"を知っていて害をなす相手ではないということか)
"貴方の名前を知っている人物なら、極力排除をなさい。
でないと、また"悲劇"が起こるかもしれない"
冷たいながらも、日焼けをして整った顔立ちした親友に言われた言葉に従い"排除"しようとした相手に、驚かされて、倒される始末となっている。
(この人は、どんな人なんだろうなぁ)
比較的浅瀬の渓流が流れる水底にバシャリと盛大に水飛沫をあげて、背中が着地する瞬間と同時に、グロリオーサは同じタイミングに激しく水飛沫をあげて、水底を手で叩く。
ピーンに抱えられていない右足を、中空に強く蹴り反発力で上半身を引き起こすようにして衝撃を緩和して"着地"する。
グロリオーサの見事な"受け身"に、ピーンは思わず笑顔を浮かべた。
『―――殿下は、どこかで体術を学ばれたご様子ですね』
上から覗き混むように見つめた後に、もうグロリオーサに抵抗する片鱗も見えない事に安心する。
賢者はゆっくりと奥襟と、抱えあげる左脚を離して、グロリオーサの後頭部は浅瀬の渓流に触れていた。
頭に流れる渓流の水の優しさを感じ、浅瀬に仰向けに倒れたまま、この"秋"の季節特有の高い青空を、視界の端に入る渓谷を含めて見上げて、グロリオーサはゆっくりとピーンの言葉に頷いた。
『俺の考えに賛同してくれた、年上の仲間が教えて…稽古をつけてくれたんだ。
誰よりも命を尊ぶのが仕事だからって、同い年の仲間で幼馴染み達と一緒に。
あと、殿下ってのは、止めてくれ』
そう頼むと、高い空と渓谷が見える視界の中に、逆光を浴びた白髪の男の姿が再びグロリオーサの黒い瞳の中に入ってきた。
『判りました、殿下は止めておきましょう。
鬼神のグロリオーサ殿』
アングレカムが広めた"鬼神"という自分のあだ名みたいな言葉を、"迷子"になった先の知らない土地で聞かされて、グロリオーサは笑いが込み上げてくる。
『"鬼神"も要らねえから、省いてくれ。
グロリオーサ、それでいい。
それに鬼神になるのは、敵になる相手だけだ』
"イタズラ好きで勘も良い自分"を騙して、驚かせる様な相手をもう敵にしたくはないし、自分もこんな"面白い相手"をの命を取るような戦いはしたくない。
(この土地の水の流れは優しいな…)
暖かい陽射しも相俟って、もう一度目を閉じて水の優しさを味わう。
(これで……なかったら……)
ぼんやり考える頭にある、長い黒髪をまるで櫛でときすくように気持ち良く、心地よい冷たさで渓流はすいてくれる。
グロリオーサは名も知らない人物との戦いで猛った、身体の熱をロブロウの渓流の水は冷やしてくれた。
実際には、ロブロウの渓流の水の精霊達が恐れていた"血濡れた太刀"を手放したグロリオーサの周囲に集まって、不思議そうに眺めているのが、ピーンには見える。
恐れていた太刀さえ手放せば、どうやらグロリオーサという"人"は、争い事が嫌いな穏やかな精霊からも、興味を持たされる体質というのがわかる。
『―――体術を仕込んでくださったのは、神父でバロータという名前ですか。
そして、仲間に悪魔のアングレカム・パドリックと、魔女のトレニア・ブバルディアがいらっしゃるんですよね?』
ピーンはグロリオーサの側に落ちている、水の精霊が怯え怖れているグロリオーサの太刀を拾い上げながら、自分が集めた情報と重ねて合わせながら尋ねる。
グロリオーサは仰向けに浅瀬に身体をひっくり返ったまま、未だに渓流の優しさに身を委ねて目を開かずに頷いた。
それから思い出したように、利き手である右手をあげて更に人差し指だけを確りと伸ばす。
『アングレカムは、自分で言っているから悪魔でもいいけれどさ。
トレニアの事だけは、魔女だなんて言ってやらないでくれよ。
気の強くて、お節介で、男相手でも取っ組み合いの喧嘩するけれどさ、誰よりも優しい子供好きな奴なんだ』
目を閉じた瞼の裏に、優しそうな紫の瞳をした幼馴染みの女性の、"魔女"の呼び方についてだけ訂正を要求する。
これからどうなるか解らないが、とりあえずこの人物に"負けた"という実感は"悪いものじゃない"とグロリオーサが感じた時、黒い瞳を開いた。
それと同時にグウウウウッと、音を聞いただけで不思議と"空腹を訴える"と分かる物凄いものが、ロブロウの渓谷に響き渡る。
それの発信地は渓流に仰向けに寝る、グロリオーサの腹部から高らかに鳴り響いものだった。
『―――腹、減った』
韋駄天が持ってきた紅黒いコートに短剣も受け取りながら、更に太刀を手にしたまま、ピーンははグロリオーサのいう言葉に思わず脱力してしまった。
魔力を使い果たした事もあったが、その場に濡れるのも構わずに尻餅をついて、アッハッハッハッハとこちらも渓谷に響き渡る笑い声を上げる。
『腹が減っているのに、あんな高い場所から飛び降りて、曲芸染みた事をなさったのですか?』
これ以上服が濡れるのも構わずに、それでも渡して貰った短剣を腕にしまい紅黒いコートに袖を通した。
ピーンはザブンとグロリオーサの隣に渓流の中で胡座をかき、水の精霊が怖がるので太刀だけ"水"の側から離すようにを膝に乗せ、今だ寝たままのグロリオーサを眺めながら尋ねる。
『"腹が、減っているから"あんな場所から、気がついたら落ちていたんだよ』
よっこらせ、と言いながら国王の最後の庶子は起き上がり、ピーンと同じ様に渓流の浅瀬に胡座をかいた。
ただ渓流に浸っていた長い髪黒髪からは、ボタボタと雫を垂らしている。
『なあ、いきなりで悪いんだが、何か飯を食わせて貰えないか?』
(もしかして、私の持ってきた昼食が入っている篭の匂いに引きつけられて、渓谷から落ちて来たなんて事は?)
黒髪に水を滴らせ、無精髭を生やして薄汚れている人物は、"物凄く強そうな人"でもあるが、"とっても単純そうな人"にも見えるという至極失礼な考えがチラリと浮かぶ。
腹を空かせたグロリオーサを見て、ストレートに尋ねようかと思ったが、
「それこそ本当に失礼です!」
と執事が言う横で、妻もウンウンと頷く姿が頭に浮かんで、ピーンは何とか口に出さずに喉元で止めた。
『―――私の昼食で宜しければ、召し上がりますか?。
まあ、"半分こ"と子どもみたいな事をする事になりますが』
"食事の要求"に対しては、大変失礼な事を考えてしまい、御詫びにといった気持ちで、自分が用意して貰った食事の半分を差し出す事にする。
ピーン自身は空腹ではないのだが、魔力が殆んどない状態なので、取り合えず何か口にいれて休まないと動けそうになかった。
『ああ、ちっとも構わない。
今なら、トレニアとアングレカムが作ったセロリばっかりのスープだけでも、喜んで食えそうだ』
どうやらセロリが苦手らしい、グロリオーサの返事を聞いてピーンがまた笑いながら指を弾く。
前以て"水晶"を渡していたので、魔力はなくともまだ命令を聞いてくれる韋駄天が、瞬く間に荷物を置いていた場所から、運んできてくれた。
『野菜料理も多い弁当ですが、家の副竈番の飯は何でも美味しいですよ』
最近最年少でビネガー家の副竈番となった、マーサの手作り弁当が入った篭からピーンは大きな植物の葉に包まれた、ライスボールを取り出した。
『―――竈番?。お抱えの料理人が、お前の屋敷にはいるのか?。
すまんな、飯をありがとう』
グロリオーサは有り難そうに、ピーンから弁当が入っている小さな篭を受け取る。
一方の賢者は居住する場所を"家"とは言わずに"屋敷"というあたりに、グロリオーサにはやはりそれなりに育ちの良さがあると感じていた。
『―――ええ、雇い主であろうとも決めた事は曲げない、でも間違っていたなら即座に直す。
そんな潔い料理人が作った弁当です。
どうぞ、グロリオーサ様』
育ちの事を考えていたら、自然と"様"付けて呼びつつ、何気に自分の"料理人"を称えた。
序でに、もしもロックもいたならば、更にビネガー家の使用人の自慢をしたい賢者である。
グロリオーサはピーンから手渡された弁当を見て、大きく目と口を開いた。
『そうだ!。腹が減りすぎて、この匂いについていったら、落ちないように気を付けていた渓谷から落ちたんだった!!』
しかし、使用人自慢の考えていたピーンの思考を、上回るグロリオーサの発言に何だか負けた気がして、脱線が得意な賢者にしては珍しく、話を戻した。
『弁当に残念ながらセロリはありませんが、ロブロウの地元料理です。
あと、殿下は見慣れていないかもしれませんが、主食の穀物は麦で作ったパンではないんですよ。
ライス…、東の国でいう"コメ"という食べ物なんです』
そんな説明をしながら、"地元"の水の精霊達が未だにピーンが膝の上に置いている太刀に怯えている事に気がついた。
グロリオーサの武器である太刀を極力、精霊達の住み処である渓流に触れさせないように膝に乗せたまま、自分が動けない分、韋駄天に指示して食事の支度をさせる。
ただ厳つい顔をした自分の"使い魔"が無言でグイっと、グロリオーサに食事の支度をする姿は、賢者は自分の使い魔の事ながらも、どんなもんだろうと思えていた。
(―――こういった時、ロックがいたら卒なく"もてなし"をするんだろうが)
仕事はこなすが、こういった儀礼がいる人物のコミュニケーションが苦手な領主は太刀の冑金に施されている、向日葵と獅子をモチーフとしてあしらった紋章を眺めながら、細かい昼食の説明始めようとすると、グロリオーサがまた口を開いた。
『さっきから殿下やら様付けをしおって。
グロリオーサ、呼び捨てで構わんと言ったばかりだろう。
呼びにくいというなら、命令で名前で呼ばせるぞ!。
で、飯の説明を頼む!』
だが"儀礼"というものからは、縁遠い生い立ちとも思わせるような国王の息子である人物は、"様"付けを、頑なに拒否してから、自分がいる土地の料理の説明を求めた。
弁当からロブロウ名物の出し汁と鶏肉と根菜加えて炊かれたライスボールの匂いが微かに漏れると、グロリオーサの腹が更にグウウウっと凄まじい音を鳴らして、空腹を訴える。
ピーンは膝に乗せていた太刀を持ち上げて、峰で自分の肩をトントンとしながら、その様子に苦笑いを浮かべた。
『それでは、グロリオーサ。
食事の説明と支度を終わらせる前に、貴方の武器をしまって貰っていいですか』
トントンと当てていた峰を肩から外し、先程短剣を構えたようにチャキリと異国の武器を鳴らして、グッと水平にして持ち主の前に出す。
空腹と判った時には、その為に少しばかり情けなく見えていた王族の顔が、太刀という武器を目の当たりにするだけで、顔が自然と引き締まっていった。
(もしかしたら、"太刀"という武器自体に、"人"の気持ちを引き締め、精霊という存在と線引きをする何かがあるかもしれないな)
事実、ピーンがグロリオーサを"倒した"際に武器から手を離すした時から周りには、先程吹き飛ばしてしまった風の精霊達は以外は全て、彼に興味を持ち、側に寄り始めていた。
(これは、もしかしたら、"武器"の方にも扱う人物を選んでいる作用する何かがあるかもしれない)
今は賢者である自分がグロリオーサの太刀を手にしているわけになるのだが、彼が手にしていた時には、あんなに怖れて離れて岩の影に隠れていた水の精霊は、少し怯えてはいるが、かなりの近距離にやってきている。
(―――こうなると"言葉を話さないものにも意志はあるのか"を研究をしたいものだが)
"ネエ、ピーン、アノ人、オ腹空イテイルンジャナイノ?。
私達二気ヲ使ワナクテモイイカラ、早食ベサセテアゲタラ"
軽く考え込もうとした瞬間に、賢者が知る中でも、最も馴染みぶく古からロブロウの渓流を住み処にする、水の精霊の"一人"がそう語りかけてくる。
ピーンが残り僅かな魔力でも、精霊である"彼女"の存在が確りとしているから、"視界"を切り換えずとも姿を認知できるし、言葉も聞き取れる。
"お前は水の精霊の中でも強くて平気かもしれないが、やはり他の水の精霊達はまだ怯えているからね"
苦笑いをしながら、水の精霊の代表を宥めて改めてグロリオーサに太刀を仕舞うように頼む。
『この土地――領地を代表し、誇ってる渓流を加護し、住み処にしている水の精霊達が、グロリオーサの武器である太刀に怯えています。
出来ればしまいたいのですが、貴方の腰にある鞘を貸していただけますか?』
『おおっ、そうだったのか?!。
そうか、ここの土地の精霊が恐がってしまっていたか、それは悪いことをしたな』
グロリオーサはピーンに言われた今になって本当にその事に気がついた様子だった。
申し訳なさそうに謝りの言葉を口にしながら、急いで腰に巻いている紐から鞘を取って、ピーンに差し出す。
鞘は形式は、以前蔵の書籍で見たような"太刀緒"という紐が長い鞘の2か所に模様のような網目となって結わえられているものだった。
比較的に地味に装飾も設えてあるようだが品物自体は、値をつけるなら結構な高額になりそうな物に見える。
末でも"国王の子どもの1人である"という事に代わりはない様子である。
『その私が預かっていてもいいのですか?』
実は武器を返してしまおうと考えていたピーンは、少し戸惑いの声を出して、差し出された鞘を見つめた。
そんな声を出してから直ぐに、グロリオーサから鞘は本の僅かな距離を放り投げられて、賢者は慌てながらも器用に受け取った。
『まあ、俺が負けたんだから、素直に負けた方が言うこと聞かねば、この場合話が進まないだろう?。
しかも俺の方が有無も言わさずにしかけて、負けたんだ。
武器ぐらい預けておかないと、何だか公平性にかけるだろう?』
『はあ―――公平性にに欠ける、ですか』
ピーンにはいまいちグロリオーサ・サンフラワーの中にある理屈が解らないが、素直に従う。
『―――それでは、預からせていただきます』
会釈をしてからゆっくりと預かった、太刀を鞘に納めた。
それからふと顔を上げて、思い付いたように、また韋駄天を側に呼んだ。
自分も腕につけていた護身用の短剣を再び外して、グロリオーサの太刀共々、渡してしまう。
『おい、どうしてお前まで武器を外すんだ?』
グロリオーサが、今度は不思議そうに短剣を外して渡す男を見つめながら言う。
『この国の習わしです。
"セリサンセウム王国の習わしで、常に帯剣する職業でも食事の時は外すのが礼儀"となっていますからね。
ロブロウが領主、ピーン・ビネガーとして国王陛下の御子息当たる方に非礼はできません。
それにどうやら、私は"グロリオーサ"という人が気に入ってしまったらしい。
例え、貴方が国を乱す分子の一人と国が評価を下していたとしても』
本来なら領地にいる古参の人物や、親の世代に領地の運営に関わった者の一人にでも相談してから、今からピーンが"領主"として進めるべき話をしようとしていた。
しかし、"誰かに相談なりをしてから"では、時間が間に合わない。
賢者ピーン・ビネガーが望む"結論"に話を持っていく為に時間が足りない。
率直に言えば"古参の人物達を納得できるまで、説得に使う時間がもったいない"とも、賢者としての本音が"領主"としての、ピーンに訴えかける。
"領地を治める事も出来ぬ臣下など、要らぬ"
目の前にいる男の父親がいったというこの言葉が、時が過ぎれば、自分の領地にも何時の時にか、"当てはまってしまう"ような気がしてならなかった。
それは、ピーン・ビネガーという賢しい存在がこのロブロウに、領主として関わる事を止めて、ロックという優秀な執事がいなくなって、柔らかく諌めようと努力するカリンが消えたのなら、すぐにでも直面来しそうな現実だった。
("普通"の状態なら、家族の中で諍いがあっても、それで済まされようが、このままの状態が続けばやがて…)
時が緩やかに進めば何とか対処出来そうな事も、あの助けを求めただけで処断するような国王の元では、成人しても、子ども達の諍いが恐らくは暫く絶えない、ロブロウという領地は、格好の"処断"の的となるだろう。
『お前が、ええっと、ピーン・ビネガーか。
ピーンが、この土地の領主なのか?。
領主って、こんなに戦ったり、ブワって精霊を呼び出すのを出来たりするものなのか?。
って、いや待てよ、領地て事はえーと、ピーンも貴族なんだよな?』
一方の正体を告げられた、グロリオーサの方は、いつもとは逆の立場に驚いていた。
大体いつもは、自分が一応"王子様"である事がばれると、信じられないといった気持ちに溢れた表情で見詰められしまう事が殆どだった。
今はグロリオーサが、ピーンの事を"領主"であるという事を信じられないといった様子で、見つめて口を開いていた。
寧ろ"領主"というよりは、"貴族"であるという事が、信じられない所もある。
幼い頃、田舎に住む"姉"に引き取られるまで、それは窮屈な王宮暮らしで出逢った貴族は、無意味に扇子で口元を隠して高笑いやらをしながらも、冷めた目で黒髪と黒い瞳の王子を見つめていて、幼い心に碌な思い出――記憶がない。
そして自分が貴族中の貴族で王族であるのに関わらず、こんなに"戦える"貴族を見たのも産まれて初めての事だった。
王宮で飯事みたいにやっている貴族の輩を、国王が戯れに渡した"小刀"で齢幾ばくもないグロリオーサが倒してしまうと、国王は"笑って"末の息子を王都から離れた場所に暮らす娘――グロリオーサの"姉"の元へとやってしまった。
そうして、こうやって"戦える貴族"と直面した事で戸惑いを感じ、グロリオーサは言葉に詰まった。
(アングレカムが今は側にいないからなぁ…)
小さくムムッと、思わず口に出しながら何時もなら側にいて何かと助けてくれる、ここ2週間ばかり迷子になってから会えていない、日に焼けた親友の姿思い出していた。
豪胆なのだが何かと自然に問題を起こしてくださる"グロリオーサ殿下"に突っ込んだり、正体を知った相手を整った顔で懐柔(女性限定)したり、脅したり、多少手荒な方法をとったりと、グロリオーサにとって"最適"な選択をアングレカムは最短の時間でこなしてくれる。
しかし、今は頼れる親友がいないので、素直に困っている。
ムムッと声を出して困った様子があまりにも余りにも無防備で、ピーンは思わず笑ってしまっていた。
『ええ、ただ今の私は、この国の、この状態で、この土地の領主を続けようかどうか、迷っているところでもあります』
そう言って、指を弾くと韋駄天がは太刀と短剣を抱えてピーンが最初に絵を書いていた場所に戻り、丁寧に安置すると"消えた"。
領主を続ける事を迷っているという言葉に、戸惑いの表情を浮かべていたグロリオーサの黒い瞳に、精悍な輝きが宿る。




