【宿場にて】
ウサギの賢者御一行は、アルセンが手配してくれていた宿場街の宿屋へと辿り着いてました。
「おやおや、お連れのお嬢さんは大きいウサギのぬいぐるみを抱えて。可愛いですねえ」
宿屋の人の良さそうなふっくらとした女将さんは、ぬいぐるみになりすましたウサギの賢者を抱える少女を見て、優しく微笑む。
リリィは"わがままな娘"という設定なのだが、この優しそうな女将さんに、そういった態度も出来きなくて、"ぬいぐるみ"をギュッと抱きしめ、赤くなって俯いてしまった。
その仕草は、宿屋の女将さんはさらに好感を抱いた様子で、ニコニコとリリィを眺めながら、グランドールが宿帳に記帳するのを待っている。
(わがままより、人見知りの方が過ごしやすいかもね)
アルスは宿屋で必要な荷物を抱えながら、ルイに向かって囁いた。
(リリィ、案外人見知りするんすね。オレには意外っす)
ルイも荷物を抱えながらアルスに向かって、囁き返す。
「"お兄ちゃん"もルイも何ヒソヒソと話しているの?」
こっそり話しているのをあっさりとリリィに見抜かれた、アルスとルイは愛想笑いを浮かべ、話の内容は誤魔化した。
リリィは男の子2人から除け者されたみたいに感じ、ぷうっと頬を膨らませた後にムッと口を尖らせる。
「男の人ばかりみたいですけれど、部屋割りはどうしましょうか?。一応寝室は部屋の中と奥に2つありますけれど」
"子供達"のやりとりに笑いを堪えつつ女将さんが、グランドールが記帳した宿帳を眺めながら尋ねた。
「じゃあ奥の寝室をリリィとアルスの兄妹が使うといい。ワシもルイも寝相と鼾が、大層派手らしいからのぅ」
グランドールが、ガッハハハと豪快に笑いながらリリィと自分の荷物を合わせて抱えた。
「では、それでご案内しますね。どうぞ、こちらへ」
女将が先だって宿屋の通路を進んで行くのを、皆で付いて行く。
旅と宿屋自体が初体験なリリィにとっては、全てが珍しいらしく、宿屋の中に施されている装飾や飾り1つ1つに感心を示していた。
あっさり言うならば、ウサギのぬいぐるに抱えながら"キョロキョロ"としていたわけである。
「"リリィ"ちゃん、宿屋はそんなに珍しいですかね?」
先ほどの宿帳でリリィの名前を把握した女将さんが、前を向いたまま、優しく言葉をかけてくれる。
「あ、はい!、私、旅っていうのが産まれて初めてです。"ワガママ"を言ってお兄さんの仕事に付いてきました!」
ワガママな妹と言う設定をリリィなりに強調するように元気良く言ってみるが、周りにはどうやらその発言は"ワガママ"とは受け取り難い様子である。
その証拠にグランドールは苦笑を浮かべて、ウサギのぬいぐるは長い耳を半分に器用に曲げて、アルスとルイは顔を見合わせて首を捻っていた。
そして何より、宿屋の女将さんは首を振ってリリィのワガママを否定する。
「いいえ、無理を言ってでも付いてきて正解ですよ、リリィちゃん」
丁度、グランドール達が泊まる部屋の前になり、女将さんは一度言葉を切って振り返りながら、扉を開く。
「さあ、どうぞお入り下さい」
ゾロゾロと全員入った後に、女将さんは扉を閉めて先程の続きをグランドール達に向かって喋る。
「お客さん達は、王都からいらっしゃったんでしょう?。あちらでも子どもを攫う事件があったらしいじゃないですか。だったらお互いに大変かもしれませんが、家族を残して仕事をするより、連れて行った方がいいですよ」
女将さんは一行の中でもまだ「子ども」の部類に入る、ルイとリリィを心配そうに見つめていた。
「その、こちらでもあったんですか?」
人攫いと聞いてアルスが思わず口を挟んでしまうが、女将さんは少しも気を悪くしない様子で頷いて答えてくれる。
「いえ、幸いにもこの宿場街にはなかったんですけれどね。でも、この先の土地では数名、大規模なのがあったらしいんですよ。しかも、お子様だったらしいんです。―――あら、すみません。お客様に長々と」
やや興奮していた女将さんは、顔に丸い手を当ててお喋りが過ぎた事に気がついて、恐縮します。
「いや、こちらとしても話を聞けてありがたかったわい」
グランドールがそう言ってから手に持っていた荷物を下ろし、リリィとルイの頭をポンポンと軽く叩いた。
「この子らに何かあったら仕事なんか手につかないだろからのう。前以て知っているだけでも予防も出来る。女将、ありがとう」
女将さんは照れて赤くなりながら、大袈裟に手を振る。
「いえいえ、お客様に余計な心配を与えたんじゃないかと心配になっていましたが、お客様がそう受け取ってくれた助かりました。それでは失礼します。あっ、そうだ」
部屋を出ようとした女将さんは、リリィの側によって小さく耳打ちをする。
「あっ、ありがとうございます」
少女は頬を染め、女将さんに丁寧にお辞儀をした。
「―――じゃあ何かあったらいつでも"おばちゃん"に話して頂戴ね、リリィちゃん。それじゃあ本当に失礼しますね、なんだか騒がしくしてすみませんね」
女将さんは優しく微笑みながら、部屋を出て行った。
部屋の入り口ドアの閉じる音と、女将さんの足音が遠ざかったのを感じてから、ウサギの賢者がリリィからピョンと飛んで離れた。
「う~ん、アルセンとリコさんの気遣いのタッグは素晴らしいね」
賢者は、短くてフワフワな両腕をグルグルと回してこわばりをほぐす。
「まあ、アルセンとリコリスだからのう」
グランドールが眼下に見えるウサギの姿の友人に、笑っていう。
アルスは荷物を整理しながら、リリィに何気なしに尋ねた。
「リリィ。差し支えなかったら、女将さんから何言われたか教えて欲しいんだけど」
「あ、リコリスさんからお話は伺ってますって仰ってくれました。
何だかこんなに気を使って貰って、申し訳ないです」
遠慮を口にする自分の秘書に、ウサギの賢者は長い耳をピピッと動かす。
「ワシも女将さんの話は聴こえていた。リリィ、女将さんのいう通り体の調子が悪くなったら、直ぐに頼らせてもらいなさい。
これは女将さんの仕事でもある事だから、逆に遠慮したら失礼になるからね」
ウサギの賢者はそう言って、幼い秘書を説き伏せていると、この流れに、ルイは意外そうにリリィを見つめて、八重歯の覗く口を開いていました。
「リリィって結構、人に気を使う方なんだな。疲れないか、それ?」
何気なしにそんな事を言いながら、ルイは自分の荷物を下ろす。
リリィはルイからそんな事を言われて、少女は層驚き、珍しく、ポカンと口を開けていた。
「当たり前の事だと思うんだけれど」
そんな言葉をリリィが口にすると、ルイが今度はポカンとしてしまった。
ウサギの賢者とグランドールは興味深そうに、自分達の庇護者である少年少女を眺め、アルスは自分が口を挟むべきではないと察して荷物を纏め続ける。
(寝室に荷物を運んでおきますね)
ウサギの賢者の長い耳に耳打ちして、アルスは荷物を抱えて奥の部屋への扉を開く音で、リリィとルイの口火は切られる事になった。
「気を使うのが当たり前なんて、絶対変。そんな人生損するだけだ」
"先行"はルイ。
「自分に関わった人に嫌な思いをして欲しくないから、気を使うのはちっとも損なんかじゃないわ」
リリィも"負けじ"と、言葉を返す。
「こちらが嫌な気持ちをしないような気を使ったって、関わった奴らが気を使い返してくれる保証もないのに、無駄な気遣いでしかないだろ。そんな気遣い無駄だ」
ルイがリリィに対しては冷たいと表すより、「冷めた」と表現した方がぴったりくる、そんな瞳で少女を見つめた。
リリィはそんなルイの眼差しから目を逸らさずに、見つめ返した。
「でもそんなんじゃ、何時までも誰とも打ち解けられないわ。それに言っとくけれど、無駄とか損得で私は気を使ってるわけじゃない。私が使いたいから、気を使っているの。私の気持ちの使い方を、ルイにどうこう言われたくない」
リリィも引かずに熱く言い返す。
リリィとルイの間にある違いと言えば、瞳の温度で、少年の瞳は限りなく冷たく冴え、少女は熱く鋭かった。
1匹と1人の保護者達にとっては、そんな少年少女の瞳を眺める事で、 自分の庇護する子ども達がどんな姿勢で日常を過ごしているかを垣間見える貴重なものとなる。
リリィは辛い苛めに会い記憶を失いながらも、心の根底では「人」を信じる心を損なっていないのをウサギの賢者は充分汲み取れた。
ルイは日頃は明るく陽気に過ごしていながらも、グランドールに出逢えるまでの過酷な日々で、人に対する不信感を未だに拭えずにいるのを保護者は再確認する。
「あっ、すみません。夕食って宿ですか?それとも外でですか?」
そしてどちらも主張を譲らず対峙する雰囲気を打ち壊してくれたのは、ほんの少しだけ人生の先輩であるアルスであった。
奥のドアを音もさせずに開け放ち、何の脈絡のないアルスの言葉は、リリィとルイの間にある緊張感を粉砕するのには充分な破壊力をもっていた。
リリィとルイはどちらも言葉が続かなくなり、互いに口を数回モゴモゴと動かしたが結局言葉を出す事が出来ない。
緊張感を打ち壊され、言い合いをしている間は自分の持論が一番だと、少女も少年も思っていた。
しかし、その「持論」は全く関係のない第三者から「それで?」と言われてしまえば、そのまま片づけられてしまえる事にも、察しの良い子ども達は気がついてしまう。
そして自分達の周りにいる保護者達は、丁寧に自分達「子どもの持論」に耳を傾け、理解を示してくれることもわかっていたので、それが恥ずかしくなる。
「おや?、不完全燃焼みたいな感じで終わってしうみたいだけれど、リリィもルイ君もいいのかな?」
ウサギの賢者が長い耳の先をピピッと動かしながら、2人の子どもに尋ねた。
「あっ、その、私はもういいです」
リリィが遠慮しているのは、この場にいる一同には一目瞭然であった。
『関わった人に気を悪くして欲しくない』
それが少女の根底にあるものだし、ムキになって「子どもっぽい」と思われるのが嫌だという年頃でもある。
「あ~、オレもいいっす。何か多分腹が減っていたから、イライラしてたかも」
ルイに至ってはもう完璧に、アルスの『夕食どうします?』発言で、気持ちは、食べ物へと切り替わってしまっている。
「ルイ、またお腹空いてるの?!」
リリィは宿に入る前に、ビスケットをかじっていたルイを見ていたので驚き、呆れていた。
「頭使うと、オレ、異様に腹が減るんだ」
そう言った途端、ルイの腹のがグウ~となり響いた。
ほんの少し弱気な顔になり、自分の腹を押さえるルイにリリィは思わず笑い出していた。
「ルイにとっては気を使うって事がとってもエネルギーがいるってわかったわ。だったら、やたらめったら気を使ったらルイが参ってしまうのね。
自分が倒れてまで気を使うのは確かに変ね」
リリィが笑いながらもそんな事を言ってのけるのを、グランドールは大層感心した顔で見つめていた。
(リリィは、思いやりの溢れる良い娘だのう)
そんな思いを込めて、ウサギの賢者に視線をグランドールが送ると
(ああ、本当にとっても良い子だろう♪)
とウサギの賢者は親友の視線をばっちり受け止め、自慢げに鼻をヒクヒクと動かしたので"親バカめ"とそんな思いを込めて
「ふんっ」
とグランドールが鼻で笑った。
その音で一斉に視線がグランドールに集まり、更に咳払いをしてごまかしたが、ウサギの賢者は下を向いて笑いをかみ殺していた。
「さて、それでは飯は本当にどうするかのう。ウサギはぬいぐるみのまま行くのか?」
一応、宿でも取れるし、外から食事の配達サービスもあるらしいぞ」
グランドールは話を切り替えるように、夕食の話を本格的に始める。
「オッサン、オレは肉が食えたらどこでもいいでーす」
ルイは誰にも聞かれたわけでもないが、挙手をして自分の意見をグランドールに述べる。
それから「そっちは、どうすんの?」といった感じで、リリィとアルスにルイは無遠慮な視線を投げた。
アルスは二・三度瞬きをしてから、ああ、何か思い出した様子で口を開いた。
「前に同期がここら辺の宿場町では鳥の串焼きが美味しいと言っていたので、自分はもし食べられるならそれがいいです」
希望を述べ、アルスもリリィに向かって、「夕食、どうしたい?」と言った感じの優しい視線を送った。
「わっ、私は……」
リリィは少し頬を染め、スカートの飾りの一部にもなっているエプロンを両手でモシャモシャと指先で遊ぶ。
「み、みんなで楽しく食べれれば、それでいいです」
先程とは比べ物にならないくらい小さな声で言った。
まだ何処か相手を気遣う「遠慮」を含んだ態度にアルスは心配し、ルイは軽く呆れ、グランドールは「そんな事もあるだろう」と言った感じで、特にリリィの遠慮を気にしてはいない。
そして動いたのはウサギの賢者だった。
「じゃあ虫系の料理を」
「それは絶対嫌です」
円らな瞳を怪しく光らせながら提案するウサギの賢者を、打って変わったリリィがピシャリと反対意見を述べた。
ルイは素のリリィをあっさり引き出せる事が出来る、ウサギの賢者の手練に感心して腕を組む。
「何やかんやで『ウサギの旦那』はリリィを素直にさせる事が出来るんだよなぁ」
"ウサギの賢者"と"様"やら"殿"が堅苦しく呼ぶのが面倒くさくなったルイは、『ウサギの旦那』と呼び方を変えつつ、感心する。
ウサギの賢者は『旦那』と呼ばれる事に全く抵抗はないようで、鼻をヒクヒクとさせてルイに向き直った。
「それが羨ましいと感じたなら、そう出来るように努力する事だよルイ君。
努力は全て報われるわけじゃないけれど、『学ぶ』事は必ず出来る。まあ、学びを活かそうと自覚しなきゃ、努力が無駄にもなる時があるがね」
「何か賢者さまが大層立派な事を仰っているみたいになっているけど、ルイ、あんた虫料理食べたいの?」
リリィが少し赤面しながら、話の本筋を戻しつつ自分の気持ちを素直にしてくれたウサギの賢者への照れもあるようにしつつ、言葉を発した。
ルイは"虫料理"と聞いてもそこまで引いている様子もなく、思い出すようにしながら、
「うーん、オレはオッサンに付き合って色んな物を喰っているからなぁ。よっぽどグロくなきゃ、食べれると思う」
と、言ってのけた。
その言葉にリリィがサアーッと血の気を引かせていると、フッフッフっとウサギの賢者が不貞不貞しい笑いを漏らしながら、少女の背後に迫る。
「え~、虫が2票に、鳥料理が1票に何でもいいが1票だね。あ、発言の撤回はみなしません。
最後の一票が鳥でなかったら、多数決で虫料理メインで――――」
「い―――やぁ―――!」
リリィが軽い悲鳴をあげて、最終決定権を持つグランドールに視線が集中する。
グランドールは金色の腕輪が輝く左手で、顎を掻き、呆れながら笑っている。
「お前さんのその性格は変わらんのう。ワシは鳥料理で、虫はパスにしとくぞ」
グランドールがリリィの虫料理を拒絶し、怯える顔に、美人の親友に繋がる物を感じながら―――この場は何とかおさまったのでした。