【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その1・後編ー】
『ロック、バルサムお嬢さんは可愛かっただろう?。
ついでにポロポロと泣かれて、困っただろう?。
それにロックなら、魔を呼び寄せてしまう体質のお嬢さんでも平気だっただろう』
国境の関所となる道を2人で歩きながら、賢者ピーン・ビネガーが自分に忠実すぎる執事のロックに半ばからかう気持ちも含めて、バルサムに出会った感想を尋ねる。
執事は盛大なため息をついて、すぐ隣を歩く自分の主を少しだけ睨む。
『―――"魔"の方は個人的に興味深く、勉強をさせていただきました。
ただ、バルサム様がアングレカム様の事を慕っておられるのは存じ上げていましたが、あれはもう心の底から惚れ込んでいるといってもいいぐらいです。
出来れば本当に前もって、その事は教えておいて欲しかったですよ。
しかも、何とか涙する淑女を慰めて帰って来てみたら、旦那様は、バロータ様から預かっている絵本であんな事を。
チューベローズ様から、"私達と出会った記憶を"吸い取っていらっしゃるし。
これは勝手に、作戦を変更したのも同じですよ』
自由な行動をしてしまう主に、執事の青年は注意する。
――本来ならピーンが"古狸"に情報を流した事や、決起軍の活動具合を含めて全てを話し、チューベローズに内通者として協力を仰ぐのが、"アングレカムが考えた作戦だった"。
『いいじゃないか。ロックも元々は反対とはいかないけれど、手を挙げてアングレカムの作戦には、賛成はしていなかっただろう?』
『それは確かにそうですが。
こんな風にシナリオを変えてしまって、旦那様、本当に大丈夫なのですか?』
ロックの尚も心配する言葉に、白髪の頭をぼりぼりと掻き始める。
それは、自信のなさを露呈していてもいた。
だがそれを振り切るようにパチリと指を弾いて、機嫌をとるような笑顔で、横にいる執事に弁解をする。
『チューベローズ先生なら、大丈夫!だと私は思う。
だって彼は本当に、バルサム御嬢さんに恋していたし、幸せになって欲しがっていたからね』
『旦那様、チューベローズ先生のお人柄は、魔を引き寄せる御嬢様とも、普通にコミュニケーションを築けていた事で分かっております。
ただ、こちらはまず、大変真面目な気持ちで、作戦の成功にあたっての可否お尋ね申し上げております。
そして、人の気持ちをそうやって、ふざけた言葉を交えてお答えになるのも、大如何なものかと―――』
賢者の妻からそういった面で、ふざけがちになる"夫"のことを頼まれていた執事は、容赦ない鋭い視線を"旦那様"に向けて、彼の武器にもなる杖を隠している背中から、取り出そうとする。
『ロック、すまん、ごめん、悪かった!。
でも、"グロリオーサ"も今回私のがしたことに反対はしないと思うだ』
そこでぴたり、とロックの動きが止まる。
(私はグロリオーサ様が、提案したのではなければ)
元々、アングレカムの案とグロリオーサの"思い付き"の2つがあって、バロータからの手紙も含めて"策"は練られていた。
そして案と"思いつき"は、やり方は互いに違うのだが、求める結果は"チューベローズを内通者"にする事は同じ。
その"結果"を求めるのに、どちらが現実的かというか、それはやはり"アングレカムの案"の方であった。
"まあ、思いつきだからな"
アングレカムの案が、4英雄と賢者であるピーンと話し合って決定された時もそう言ってグロリオーサは、笑っていた。
『もし策謀も何もしないで、自発的に協力してくれるようなことになって済むのなら、それが1番だと、グロリオーサが言うように、私も、そう思うんだ』
そう言った時、賢者はロックの小さな変化に気がつけなかった。
"自分の主がただ、カリスマあふれる新たな若い親友を思い出して、笑っている"
夕闇でも分かるその姿を見て、忠実すぎる執事は、その中で唇を小さく噛んでしまっている。
(旦那様は本当にに決起軍のリーダーであるグロリオーサ様の言葉に影響を受け、賛同しているだけ。
それだけなのに、どうしてこんなにも胸を焦がすような気持ちを抱えてしまうのだろう)
田舎の領地では、自分にもまれにしか見せなかった心からの笑顔を、今助勢している決起軍のリーダーにはいともあっさりとピーンは晒している。
ロックにはそれが出来るグロリオーサに羨ましさと、妬ましさ抱いてしまっていた。
そして"忠実な執事の嫉妬"にそこそこの早さで気がついた賢者は、ロックの頭をぐしゃぐしゃと掻き廻す。
『旦那様!いきなりなんですか』
ロックが手に抱えているランタンの灯りで、頭をクシャクシャとされる事で揺れる。
揺れる灯りは、白髪の賢者の口の端がグイっと上がっているのが見せた。
『ヤキモチを妬くなロック。
グロリオーサは確かに親友の誓いをたてたが、私の世話を完璧にやけるのはお前だけだし、お前がないと私はどうにもならんから』
『―――別にってヤキモチではありません。
旦那様が心からの笑顔を引き出せない、自分の不甲斐なさに苛立っているだけです』
その執事の答えに、また賢者は笑う。
『いつも"笑って"ばかりでもいかんだろう?。
それこそ、神父トラッドの御子息の事件も笑顔がきっかけだ。
たまに馬鹿笑いするぐらいで、いいんだよ』
ロックは気が付いていないが、いつも我慢をして、しっかりしすぎている執事が、こうやって嫉妬したりする人らしい部分を見ることが、賢者は好きだった。
それこそ、ピーン・ビネガーしか知らない"優秀な執事のロックが拗ねた顔"。
ピーンがグロリオーサの事を親友として気に入っている理由の1つに、そのことが入っていることは墓場まで持って行こうと思っている"秘密"だった。
(もしもその理由を話したら、ロックは本当の感情を出す場所は、きっとなくなってしまう)
『ははははっ、そういう言い方もあるか。
ああ、ところでバルサムお嬢さんの事は、"元気だった"ということ以外はアングレカムに尋ねられてもは、あまり教えてやるなよ。
預けられた手紙を渡す程度にして、つれなくしてやれ』
話題を変えるつもりでの言葉をだったが、ロックは、歩いていた足を止めるほど驚いた。
『どうしてですか。アングレカム様は表には出しませんが、心の内でかなりバルサム様の事を心配なさっていますよ。
バルサム様のなど、本当に狂わんばかりに心配なさっていますよ』
アングレカムからの手紙を渡した時の事を、思い出しただけでも、随分といじらしい姿を見せられたロックには、主の言葉が納得出来なかった。
"執事さん、お手紙を本当にありがとう。バルサムの命は、アングレカム様あってこそ"
アングレカムからの手紙だと伝えて、白い便箋を渡した時。
白い頬を涙で濡らしながらも、美しい淑女は緑の瞳と小さな美しい唇で手紙を笑顔で胸に抱きしめていた。
"魔"を集めやすい体質の彼女の周りには、この時には、"恋する者を好む"という可愛らしい風の精霊ばかりが、手紙を受け取った彼女を祝福するが如く、包み込んでいた。
"お嬢様、よろしかったらどうぞこのハンカチを"
並の人なら可憐に満ちた姿に心を奪われそうになるところだが、魔導の心得があるロックはそうはならなかった。
ただ涙する淑女に自然とするように、ロックは懐から白いハンカチを差し出すと、"日頃は高飛車"だとグロリオーサから聞かされいたのが信じられないくらい、慎み深く受け取って礼を述べらる。
"ありがとう、優しい執事さん。
こんなワガママで子どもな私に、こうやって時間を割く余裕があって手紙をくださるのはアングレカム様御健勝の証拠。
だから私は、こやってアングレカム様からの手紙が届く、アングレカム様に心に余裕があるとわかって、それだけで嬉しいんですの"
"アングレカム様も、御嬢様の事、本当に気にしていらっしゃいますよ"
慰めるつもりなどなく、バルサムへの手紙を書くアングレカムの姿を垣間見た執事はそう伝える。
いつも冷徹な笑みばかり浮かべている日に焼けた顔とうって代わって、本当に嬉しそうにペンを握り、バルサムへの手紙を書く為に、便箋にペンを走らせていたのを見た。
"ええ気にして貰っていることは、わかります。
私は、アングレカム様の親友、母上の腹違いの弟グロリオーサ叔父様の姪にあたります。
母とグロリオーサ叔父様が仲が良いこともあって、私が産まれた時からの付き合いです。
アングレカム様とはお恥ずかしい話ですが、私が襁褓(むつき※おむつ)をつけていた頃、グロリオーサ叔父様がお連れになられて。
私が、あの逞しくて凛々しい姿に一目惚れしました"
恋する乙女という言葉が以外当てはまら無いと思える程、アングレカムを語るバルサムの姿はいじらしくロックには見えていた。
"母から、よく言われました「バルサムの襁褓が早く外れたのは、アングレカム君のおかげだ」って。
私はそれくらいアングレカム様の事を意識していたのですけれど、きっと、あの方は大分年の離れた妹のように、可愛がっているつもりなんでしょう。
それは私もわかっているつもりです。
けれど対等の"人"として、愛して貰える対象で私を見て頂けるかどうかは、わからない。
私は、狂おしいほどお慕い申し上げているんですけれどもね"
そこで1度寂しそうに言葉を切って、胸に抱きしめるように抱いている手紙を見つめる。
"本当に、もし、アングレカム様がこの世界からいなくなってしまったら、時からも取り残されてしまいそうな気するほど、私はお慕いしています"
夢見がちな少女の戯言にも捉えられそうな言葉だが、執事の青年には、バルサムの言葉には嘘偽りを全く感じなかった。
(バルサム様は、本当にアングレカム様が好きなのですね)
この淑女を見つめるだけで、眩しいような気持ちにロックはなれていた。
そしてどこかアングレカムを想うバルサムの気持ちに、共鳴をするものがロックは自分の中にあるのが判った。
(―――私にとっての旦那様ぐらい、バルサム様にとってはアングレカム様は大切な方なんだろうな)
バルサムのように恋心などは抱いてはいないが、ロックにとってもピーン・ビネガーは何より大切な人で恩人である。
孤児になって拾って貰って、ロックの人生の中ではピーンと離れたてる時間の方がきっと少ない。
(バルサム様は、アングレカム様が平定の為の決起軍に入ったから只でさえ会える時間が少なくなったのに、今度は無理矢理王都につれてこられて。
これで万が一、平定が失敗してしまったのなら―――)
大切な人に2度と会えなくなってしまう。
そしてロックは、今まで1度も考えてもみなかった事が、不意に頭に浮かんだ。
"ピーン・ビネガーが居なくなった世界"
一気に背筋が凍りつく。
『私は隕石が後頭部に直撃か、老衰ぐらいでしか死なないから、安心しろ』
決起軍に参加する前、家族やロックに笑いながらそう説得していた時は、
(旦那様はまたおふざけになられて)
と呆れてその言葉を聞いていたが、もし戦いで死ぬことはなくてもピーン・ビネガーという"人"は自分より先に亡くなってしまう確率は高い。
"やさしい執事さん、ありがとう。
私の言葉に呆れずに耳を傾けてくれたのは、王都に無理矢理連れてこられてから、ボリジ先輩と貴方、2人だけです"
バルサムの言葉で、凍りついて固まった身体の縛りが解けた。
"い、いえ。私も大切な人を失う怖さは、知っているつもりですから"
(たった今、あなたに教えてもらいました)
淑女は、ロックの気持ちを見透かすようにも見える、優雅な微笑みをたたえていた。
不意にバッと音をたてて、豪奢な扇子を開き不意に口元隠した。
"中身を読んでから、直ぐにお返事を書きますので待っていてください"
"わかりました、どうぞごゆっくりお返事を書いてください"
バルサムが寄宿舎とは別に世話になっている貴族の屋敷、いずれ嫁入りさせられる縁戚関係のあるの家の中庭で待つ。
そしてロックが考えてしまうことは"大切な人がこの世界から消えてしまった時"の事だった。
人はいずれ死ぬのは当たり前な事なのだと、判っている筈なのに、それをピーン・ビネガーに当て嵌めた事等なかった。
"私は旦那様が消えても、この世界にいたいのだろうか"
ピーンがいなくなるなんて想像もできない。
ロックが迷い悩んでいる内に、バルサムが手紙を手にして戻って来る。
淑女の肩には、白い鳩を――魔術の才覚があるロックが見ればそれはすぐに使い魔だとわかった。
"それではこの手紙を、アングレカム様によろしくお願いします"
手紙を受け渡す、バルサムの顔は沈んで見える。
"差し出がましいかもしれませが、手紙に何か宜しくない内容でもありましたか?"
バルサムは、美しい金色の髪ふるふると頭を振った。
それから執事に向かって尋ねる。
"ねえ、執事さんに大切な方はいらっしゃる?。
私にとっての、アングレカム様な方みたいな方"
"ええ、いますよ。恋愛感情ではありませがお慕い申し上げて、命に代えても守りたいと思う方は"
自分が質問した事を答えられず、更に急な質問だったにも関わらず一時も迷わずに、ロックはバルサムからの質問に答えることが出来た。
"じゃあその方の為なら、酷いと思うこともはできまして?。
その人の希望や願いを叶える為なら、自分を信じてくれている人を利用できますか?"
たしなみとして持ってい豪奢な扇子のもて遊びながら、美しい緑の瞳で見据えられながらまた尋ねられた。
"ええ大切な方の為なら。その人が守りたかった物の為なら、私自身はいくら汚れてもかまいません。
どんな穢れでも泥だろうと、喜んでかぶります"
また迷わず答えるロックの言葉を聞くと、バルサムは畳んだままの扇子を口にあてて、また微笑んだ。
"―――私は泥で汚れることはできません。
アングレカム様のお嫁さんになるためには、淑女でなければ"
それは澄ました淑女そのものだったが、ロックと目があうと、互いに同時に笑いを吹き出してしまった。
"私、執事さんともっとお話をしたくなりましたわ"
"それは光栄です、御嬢様。ですが、時間がございません、またの御縁のあった時に―――"
ロックが吹き出した笑いを何と納めながら淑女に提案すると、また美しい金髪の髪を左右にふるふると振って、悲しそうな笑みを浮かべた。
"残念ですが、それは出来ません。私は、成人までもう数年もありません。
そして数日後には、これから花嫁修業として、こちらの屋敷に幽閉される運びとなっています。
もし、拒めば田舎にいる御母様が、何か危害を加えられるかもしれません"
"その事は、アングレカム様への返事のお手紙には"
そこで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、バルサムから受け取った手紙を見詰めた。
"幽閉される事は書かれる―――わけはありませんね"
――本当の意味でアングレカムの事を慕っているのこの淑女は、相手の為になら、いくらでも自分の気持ちを後回しにすることができる。
"はい、勿論一言も書いていません。
アングレカム様の希望の邪魔になるぐらいなら、暗愚の王の孫娘として政治の駒になることを選びます。
でも、政治の駒になる前に、私の体が汚れる前に、アングレカム様の希望が叶って、国の平定を為し終えたなら。
私も自分の夢を叶えるために努力します"
"アングレカム様の、お嫁さんになることですよね?"
バルサムはきっと幼子が夢を考えるのと同じように、何度も想像したであろうアングレカムとの結婚を、今も想像しているのがロックには判った。
そして、あの眩しくなるような笑顔を浮かべる。
"はい、その通りです。そしていつか、私とアングレカム様の子どもができたのなら。
平定されたこの国で、私とアングレカム様が出会ったように、その子も大切な方と出会える事を願っています"
"お、お子様ですか"
先程は、国が平定が出来るかどうか、出来るなら結婚と―――控えめな話だったのに、いきなり子供話にまでなったので、ロックは流石に驚いた。
しかしバルサム嬢は、お構いなしに楽しそうに話を続ける。
"ええ、もしも結ばれる事が出来たなら、きっとアングレカム様に似た可愛らしい天使みたいな赤ちゃんが、私とアングレカム様の元にやってきてくださいますわ。
名前も決まっていますのよ"
決起軍でアングレカムの冷徹で、腹も肌も黒いところばかり拝見している若い執事は、思わず忠告する意味を持って口を開いてしまう。
"個人的な意見ですが、私は御2人にお子さんが授かるとしたら御嬢様に似た方が、アングレカム様も喜ぶと思いますよ。ええ、きっと。"
ロックのこの言葉に、バルサムは畳んだままの扇子を頬にあてながら不思議そうに言う。
"あら、執事さんもお友だちのスミレちゃんと同じ様な事をおっしゃるのね。
アングレカム様の困ったような笑顔は、とっても可愛らしくってよ。
でも、私もアングレカム様も瞳の色は同じだから、赤ちゃんもきっと緑色の瞳ですわね"
子どもの顔は母親に似た方が良い、と力説する執事の言葉に、バルサムが心底不思議そうに白く細い首を捻りつつも、更に"もしも自分とアングレカムとの子どもが産まれたのなら"と考察を述べた。
そんな"楽しい話"をしているうちに、国の中央にある時計台の鐘がなる。
"夕刻です。もう、戻らないといけません。
御嬢様も日が暮れましたから、どうぞ屋敷の中へ"
ロックが振り返り時計台を見上げながら、名残惜しそうにバルサムに別れの挨拶を始めた。
"そうですね。私はこの後、人と会う約束を取り付けねばなりませんし。
優しい執事さん、貴方と話せた時間はとても楽しかった。
ありがとう"
"こちらこそ、本当にありがとうございました。
平定が無事に終わり、御嬢様が、アングレカム様との天使を授かる日を、心から願っております"
あくまでも、決起軍の助勢している身ではなく、その中立である賢者の資格を持つ者の執事として振舞わなければいけなかった。
しかし、この"大切な人を想う気持ち"に、シンパシーを感じるロックは淑女の幸せを願わずには、いられなかった。
そしてロックは、指をパチリと弾く。
念を入れて盗聴されないように張り巡らせていた、小さな精霊石仕込みの細い紐――子ども達にあや取りを教えていた時に使っていた、鮮やかな紐が一斉にロックの手元に戻る。
"貴方程の魔術の力があるならば、執事さんをしなくても、国軍でも他国の軍に志願でもすれば十分優遇されるでしょうに。
特にこの館の後に、主となる方は、今は貴方のような優秀な魔術師を欲しています"
これにはロックが首を横に振って、きっぱりと口を開く。
"私のいるべき場所は、いいえ、《私がいたい場所》は片付けがとても苦手な私の大切な方の傍だけです。
そして、しっかりとその方を連れて帰るとも、その方の妻となった人とも約束しましたから"
"そうですか。私はワガママだから、大切な方なら独り占めしたくて仕方ないのに"
バルサムのあまりの正直な言葉に、ロックは苦笑いを浮かべる。
"御嬢様が想う大切な人の気持ちと、私が思う大切な人への気持ちは同じぐらいだと思います。
けれど大切な方が、奥方とその家族といることで幸せそうなら、それが私という"人"の幸せなんです。
大切な方を失うのは本当に怖いですが、大切な人が不幸になる事はもっと怖い"
内乱の為に領民も、子ども達も怯えを浮かべた様子に、ピーンはその地を治める者として大層心を痛めていた。
"その意見は、一緒ですわ。
大切な人が苦しむ姿ほど、私にとっても苦しいものはございません"
ロックが盗聴防護の措置を解いてしまったため、もうバルサムは可愛らしい唇から、アングレカムの名前を出す事は出来ない。
アングレカムはこの国が駄目になっていく事や、理不尽な事で夢を阻まれる人を見るに耐えなかったから、グロリオーサの決起軍に誘われて入った。
《文句ばかりたれ、口ばかり動かしても、どうにも世間は変わりませからね。
悪あがきのしてみようと思いますから、可愛い御嬢さん、応援してくださいね》
不幸の状態が嫌なら、自分から抜け出す努力をしなければならない。
幼いバルサムを抱っこしながら、"二人きり"の時にこっそりと教えてくれた。
だからバルサムはアングレカムの夢が叶うまで、"お嫁さんにして欲しい"という気持ちを待つ事を抱っこされた時に、本当に幼いながらに決意していた。
(貴方の夢が叶ったなら、今度は私の夢を聞いてください、アングレカム様)
そしてピーンは怯える領民や、子供たちの姿に密かに心を痛めている所に、"道に迷った!"とロブロウ自慢の渓谷から"降りてきた"グロリオーサと出会い、惹かれて決起軍に入る事を志願する。
その数日後、迷子のリーダーを探しに来た、アングレカムからも自分と同じようなジレンマを抱えながらも、家族や土地に縛られていた賢者の志願に賛同した。
"もし、平定に失敗しても貴方はすっとぼけて、ここに戻ってくださっても構いませんので"
更に迷子になったリーダーと、それを探しにいって戻らない副リーダーを探しにやって来たのは、最後に仲間だが、何かと纏め役になるという神父のバロータだった。
グロリオーサとアングレカムが、仲間に志願している自分と同年代の賢者に驚く。
ただ、あまりにも片付けが下手すぎるというということなので、世話係りに執事を連れていくという事にも驚かされた。
そしてその執事に″どうして執事?″と思われるような魔力があることにも驚かされ、合計3度ばかり神父は驚かされる。
"できれば"と、ピーンは後継ぎとなる息子のバンも修行ついでに連れて行きたかったらしいという話もあったと後に神父は賢者から聞かされた。
ただ賢者の妻であるカリンは、″思春期と反抗期を拗らせた長女以外の他の娘達が、一人だけ特別扱いをすると万が一の行動をとることがあるかもしれません″と夫に相談すると、その話はなくなったそうだ。
そしてその話を神父からロックは聞いた時、黙っていることしかできなかった。
(きっと、今のこの荒んだ世相が悪いんだ。
国が平定されたら、下のお嬢様達もきっと、カリン奥様のように優しい方達になる。
そして、旦那様と仲の良い御家族に)
娘が5人産まれ、下の4人の娘達が何かと団結するようになり、領主の仕事、研究にも追われ、子育てについて協力する時間が、主は殆どとれなくなっていた。
ロックも執務の合間に、カリンを手伝おうにも、荒れる領民の仲裁に急遽呼ばれたり、領地に入ってきた盗賊等の征伐を等、中々時間をとれなかった。
国が落ち着いたのなら、娘達も落ち着いて、カリンも、きっと落ち着くし楽になれる。
そうしたら昔みたいに、出会った頃のようにピーンの事を笑いながら話せる時間が沢山得ることが、きっとできる。
心の中で何度も"きっと"という言葉を繰り返しているところに、冷たい声をかけられる。
"では、折角平定したのに、"その大切な人が家族の事で苛まれるようになった"のなら?。
命懸けで平定を成し終えたのに、全く効果がなかったのなら?。
私みたいに、自分の出世の道具や、つまらない意地の張り合いの為だけの事に"大切な方"が巻き込まれたら。
どこにも落とし所や解決法がない悩みに、あなたの大切な方が囚われていたら、如何致しますか?"
心を見透かすように、バルサムがロックに尋ねていた。
彼女自身が優秀な魔術師であるとは前もって聞いているので、例え心を見透かす魔法使われたとしても、別にロックは不思議には思わない。
だが今度はそれは単なるバルサムの言葉ではなく、"闇"が彼女を捉えているから出されている言葉だと気がついた。
"闇"が彼女の心の隙間に入り、とても暗い気持ちではあるが、望んでいる事を口にしてしまっていると判る。
《口に出しては、いけない事だ》と、判っていながら、闇に取り込まれてバルサムが出してしまった言葉だった。
(いくら稀代の魔術師と世間に呼ばれていても、まだ成人にも満たぬ御年頃。
アングレカム様からの手紙の内容に心揺れる物があったのなら、闇が入り込んでも無理はない)
"少しだけ失礼します、御嬢様"
(けれど、私は《闇》取り込まれるほど弱くも、若くもありません)
執事は主にも見せたことがない、冷たい眼をして、バルサムの耳元に口を近づける。
その瞬間に使い魔の白い鳩がロックを恐れるように、少女の肩から飛び立った。
"大切な方が囚われている時は、そんな場所から逃げ出そうと"旦那様"に涙を流して、それは忠実な健気な執事を振る舞い、迫真の演技で唆します。
それが私の剥き出しの"本音"でもあるのですから。
私にも独占欲はあるので2人で逃げ出せたのなら、それはそれで有難い。
けれど、私が唆しても、乗ってくれるとは限りません。
あの人は情の使い方さえ把握している"賢者"。
私が泣きながら唆す事で、自分の気持ちに制御をしている。
それはそれで構いません、私は傍らにあれれば、それでいいのだから。
そしていずれ、旦那様が"悩みに傷つかない状態"になった時。
気兼ねなく合法的に、旦那様の心を苦しめた輩を、私の大切な人達を苦しめ事を心から後悔させながら、この世界から排除する方法を探します"
バルサムの心の隙間に入り込んだ"闇"を、遥かに凌駕する量の闇を含んだロックの声が、淑女の耳に入り込み、内にある闇を貪る。
美しい少女の中にある"甘い闇"を貪り尽くして、ロックが扱う"闇"が主の元に戻る。
カタリと音がして、バルサムが持っていた豪奢な扇子が床に落ちた。
それとともにもう1つ何かが、落ちる。
扇子の内側で握っていたそれは、銀色の鳩を型どった根付けだった。
バルサムの華奢な体が揺らいだのを、ロックは予測していたように側に寄って支えた。
"御嬢様、失礼をしておいて何なんですが―――大丈夫ですか?"
ロックに支えられながら、バルサムは弱々しく頷いた。
"すみません執事さん、これから生まれて初めてとても"酷いこと"をするので、心が考えた以上に動揺していたようです"
産まれて初めてという淑女の言葉に、ロックはかなりの闇を扱う魔術を使った事で力を消耗しながらも、思わず微笑んだ。
"闇の精霊の影響を珍しく受けてしまったとはいえ、執事さんに、大変失礼なことを申し上げてしまいました"
そうバルサムが答えた時、使い魔の白い鳩が再び戻ってきて、彼女の肩に止まった。
使い魔の鳩は、僅かではあるが闇に取り込まれた彼女を心配するように喉を鳴らす。
"いいえ、確かに魔力を使いはしましたが、答えた内容は本心でもあるので気にしないでください。
ところで、御嬢様。本当に、"大丈夫"ですか?"
真剣な顔となってバルサムに尋ねる。
ロックに支えられた腕から離れながら、淑女はしっかりと自分の足で立つ事は出来ていた。
"ええ、《大丈夫》です。
そちらこそ、こんな大禍時(おおまがとき・西の空に深い藍色が広がり、さらに闇が近くなって禍々しさがまさった時間帯)に、闇を取り込む闇の術、結構な上級魔術を使って、大丈夫なのですか?。
闇の術は使うタイミングを誤ると、取り込まれてしまう事もあると学校で教わりました"
"《平気》ですから、御嬢様のご心配に及びません。
元々、どちらかといえば私の術の得意分野は"闇"です。
ああ、それよりも、これら大切なものなのではないですか"
心配される事を誤魔化すように、バルサムが先程落としてしまった扇子と、銀色の鳩の根付を丁寧に拾って彼女の白い小さな手に戻した。
そしてバルサムにとって、"銀色の鳩の根付け"はとても大切なものだったようで、ありがとうございます、と震える声で言ってから、更にもうひとつの手も重ねてぎゅっと握りしめ、まるで祈るように胸元に寄せた。
華奢な体は少しだけ震えていて、それを見つめる執事の顔色も余り良くはなかった。
執事に淑女、互いに無理をしているのは、一目瞭然だった。
だけれども互いに《大丈夫だから、平気だから》と自分の気持ちを誤魔化す。
互いに大切なものために、自分が傷つくような"無理"をする。
そこが同じなのだと、バルサムとロックは無言で痛感していた。
《あの方の役に立ちたい》という、その気持ちが荒んだ世の中で、自分を支える礎なのだと信じている。
"それでは、本当に時間も差し迫ってきましたので。
多分、もう御嬢様と私は出会うことはないでしょうが、どうかお達者で"
今度こそ、本当に別れを告げる為に恭しく頭を下げた。
"やさしい執事さん、貴方も。
そしてどうか、その手紙と一緒に、あの方には"バルサムは元気で大丈夫そうでした"と伝えてくださいまし。
私は本当に貴方様さえ元気だったら、平気ですからと伝えてください"
バルサムの最後の言葉にロックは確りと頷いた。
―――そうバルサムに頼まれたから、アングレカムに"大丈夫"そうでした伝えなければと、ロックはと使命感を抱いている。
『旦那様、どうしてお嬢様は息災だったと、それに、アングレカム様のご無事を本当に喜んでいた事を、伝えてはいけないのですか?』
すっかりと夜道をなった中を、ロックが手にするランタンだけが灯りとなって、すぐ横を歩くピーンの紅黒いコートを浮かび上がらせていた。
賢者はポケットに手を突っ込んで歩いていたが、そこから手を出して白髪の頭をボリボリと掻いた。
『その事についてはな、ロック。もしかしたら、一番の親友のグロリオーサでも
"バルサムは、とても健やかでアングレカムの手紙を喜んで受け取った"
と言っても、アングレカムがバルサムは本当に大丈夫というのを信じない、と言うよりは信じる事が出来ない』
『どうしてですか?』
賢者程ではないが、ピーンの側にいて魔術を教えて貰ったり、独自に勉強をしてそれなりに"学"を納めているつもりの執事には、アングレカムの心情と主の言葉の意味が分からない。
『まぁ、アングレカムは一般常識を判っているから、伝えてくれたお前にちゃんとした礼は言うだろう。
口では「ありがとう、バルサムが元気そうで何よりです、教えていただいて助かりました」みたいな信頼してるようなことを言っていても、その実は肌もお腹も真っ黒だから、お前から伝えて貰った折角の情報を、信じきれない』
『肌と腹の色は関係ありませんよ、多分白くはないだろうとは私も思いますけれど。
それではどうして私や、旦那様に手紙を渡す際には、バルサム御嬢様の様子を見てきてくださいと頼んだりなさるんですか。
信じていらっしゃらないのなら、全くの無意味じゃないですか』
『そうするのは、あの可愛らしい御嬢さんが心配だからだろ』
さも当たり前といった調子で、主は執事の質問に答えた。
『でも私たち話はや報告は、アングレカム様は信じないと旦那様は仰ったじゃない―――』
執事はそこまで言って、やっと主人が謂わんとする意味に気がついた。
主である賢者は、闇の中でまた笑う。
《バルサムお嬢さんの事は、"元気だった"ということ以外はアングレカムに尋ねられてもは、あまり教えてやるなよ。
預けられた手紙を渡す程度にして、つれなくしてやれ》
『無駄な労力というわけですね?アングレカム様は自分の目で確かめない限り、どんなに信頼している人でも、御嬢様のでも"言葉"では、本当はに安心は出来ない』
『―――一応無駄ではないと思うが、こんな世相で"大丈夫"とか"平気"ですほど信用しない方がいい言葉は、ないからな。
言葉でいくら大丈夫と言っても、自分の目で見ないと信用が出来ないのは、やっぱりそれだけ大事に思っている証拠だと思う。
まあ、執着という言葉も当てはまるかもしれないな』
『旦那様、執着は止めてください。
そこはアングレカム様も、バルサム様も互いに大切に想っているという表現になさってください』
バルサムの直向きさと、涙を見たロックとしては、大切な主であるピーンでもあの二人の関係を"執着"という言葉で表現し欲しくなかった。
いつもならふざけすぎる賢者の言動を、戒める年下の執事の言葉を受け入れるピーンだが、珍しく抑揚のない――冷徹さを感じさせる声で返事を始める。
『だったら、"そんなに大切な相手なら、年齢差だろうが、手が血で穢れていようが、相手の立場なんか配慮しないで伴侶にでもして、傍に置いておけ"って気持ちの方が私は強い。
―――でないと、主に許可なしに専属執事が黙って大禍時の時間帯に、闇の魔術を使うという無謀で馬鹿な事をしたことに、説教もできん!』
ガラリと変わった声の調子に加えて、まるで鞭打つような鋭い声が闇夜に響き、賢者が本気で怒っていることが分かって、ロックは直ぐに謝罪の為に主の方へ向きなおる。
『スミマセン旦那…っんんっ!』
ロックが向き直った瞬間にピーン・ビネガーは、執事の青年のまあまあ良い形の鼻を、きゅっと摘まんでいた。
摘まむ力は容赦なく、結構な痛みに、ロックは思わず目を幼子のようにギュッと瞼を力強く閉じていた。
目を閉じて痛みを堪えるロックの耳に、本当に珍しく、賢者が説教の言葉を注ぐように告げる。
『どういう経緯があったかは知らないが、私は、私がいない時に、ロックが一人で大禍時に、闇の魔術を使う許可を出した覚えはない。
闇の術は"引き留める実力が或る者"傍らにいない時に使えば、闇の中に命まで引きづりこまれる恐れがあると教えたはずだ。
もしくは悪魔と喚ばれる存在を引き寄せて、魅力的な誘惑をされて、結果的に人でなくなってしまう事になる。
お前が、闇の術を扱える才覚があり関わろうとした時、まずそうやって最初に私が注意した事を忘れたとでもいうのか!』
鋭い声の中に、心から心配する感情、無事を喜ぶ気持ち、無謀な事をした事への怒り、様々な情を感じ取れて、ロックの目頭が少しだけ熱くなっていた。
『ぼんどうにずびばぜん、旦那ざば』
鼻を摘ままれながらも、生真面目に謝罪する執事に賢者は怒りを持続出来ずに、小さく息を吐き出して、ロックの鼻から手を離した。
その鼻先は、ランタンの灯りのせいばかりではないと、直ぐに判るぐらい赤くなっていた。
『本当に御心配をかけて、すみませんでした、旦那様』
執事は赤くなりヒリヒリとした痛みを鼻先に感じつつも俯き、再び謝罪を主に述べていた。
『いつも確りとしていて、助けて貰ってばかりいる私が、お前に言える道理ではないのだがな。
一応お前に魔術を教えた者として、ケジメはつけておかなければならない』
苦りきった顔で、賢者は執事であり弟子でもあり、かけがえのない人の1人にもなっているロックにそう告げる。
『はい、申し訳ありませんでした。旦那様。
本当なら、木の棒や杖で打ち据えられて、戒められても仕方がないの身勝手な行動です。
鼻をつまむ程度なんて、お優しいことです』
この言葉には、流石に賢者も苦笑いを浮かべる。
『私はイタズラ好きなのは自負しているが、加虐の趣味があるわけではないからな。
だが、これでも相当な力を入れて捻り、摘まみあげたんだぞ。
それで―――、私が摘まんでおいて言うのもなんだが、鼻は大丈夫か?』
ロックは手に持ったランタンを持ち上げて、自分の顔を照らすようにして、寄り目にして鼻先を見つめる。
恐る恐るランタンを持っていない方の手の指先で触れてみると、最初だけ痛みに体をすくませたが、それ以降はゆっくりと指先で鼻先を撫でながら、冷静に具合を確認するように言葉を出す。
『はい、鼻が痛くないと言えば嘘になりますが、何が出来なくなるというわけでもないので。
一番の役割を果たす嗅覚がなくなったというわけではありませんし、大丈夫です旦那様』
ピーンがいつも僅かにつけている、身だしなみ用の香料の香りを鼻で捉える事も出来ている。
いつもの確りとした執事のロックの声に戻っていたので、指先でまだ鼻先を抑えている執事に、ピーンは穏やかに声をかけた。
『優しいロックの事だから、何かのきっかけで、バルサム御嬢さんを助ける為の延長に…で、闇の術を使ったんだとは思うが―――』
その言葉にロックは拾われた時分の、幼子だった時のようにゆっくりと頷いた。
『はい、旦那様のお察しの通り。
御嬢様が闇に少しばかり取り込まれそうになっておりました』
『そうか。だったら勝手で確実性や正確さは欠けかもしれないが、グロリオーサの"思いつき"の方に動いて置いて正解だったかもしれない』
懐に納めていた、バロータから預かったという絵本を、ピーンは再び紅黒いコートから取り出して、パラパラと巡り眺める。
この絵本は扱いが大変危険だということで、ロックは触れる事すら、賢者であるピーンや、この本の持ち主となっている神父バロータに許して貰っていない。
そして記憶を吸い取る仕組みや具合を理解出来ているのも、"賢者"という資格を獲得できているピーンだけだった。
『"禁術の鍵"になるというが、今の所、私には記憶と魔力を吸い取るぐらいしか、文字も読めない要領えない絵本だからなぁ。
落ち着いてから、一度ゆっくり研究をしたいものだが』
『旦那様、魔力は大丈夫ですか?。
確か、神父バロータが仰有るには吸い取られているんですよね?。
もし良かったら、私が代わりに持ちましょうか』
心配をかけてしまった主を少しでも手助けたい一心で、魔力を吸い取るのいう古い絵本に、ロックは自然に手を伸ばしていた。
今少しで触れようとしたとき、絵本はピーンによって高く掲げられる。
『―――いや、それはしなくていい。
お前はもう十分私の役に立っているから、気にするな』
スッと伸ばされたロックの手は空を掴み、賢者は古い絵本を掲げたまま、きっぱりと、ピーンはロックに"絵本"に"関わるな"という態度を示す。
そうまでする主の態度に、執事は軽く驚き怯む。
怯んだ執事を見た瞬間に、ピーンは自分でもやりすぎたかという気持ちが起こるが、心の中に"この絵本と大切な執事を触れさせてはならない"という根拠のない胸騒ぎが、"出会った時"からしていたのだった。
この根拠のない不安を、一度だけ同年代であるバロータに相談をした。
だが、根拠を追求するためのには蔵書も資料も、そして何より時間もなかったので、"平定を終えてからだな"と2人で考えを据え置く事しか出来なかった。
ただ、バロータも"ピーンがそうした胸騒ぎを感じたのなら、それを予防する事に悪い事はないだろう"と言ってもくれた。
"日頃迷惑かけているんだから、胸騒ぎの心配が杞憂になって丁度いいくらいだろう"
神父の説教を含んだ言い回しに、素直に賢者は従う事にして、絵本に大切な執事を近づけないようにする。
『ロック、すまん。
ただ、この絵本は、気を付けた方が良い気がしてならんのだ』
賢者ピーンにしては珍しく感情で言葉を喋ってることが判り、その中に自分への心配が含まれている事がわかったので、執事は大人しく手を戻す。
『賢者である旦那様はそう言うなら、そうする事に越した事はきっとないんでしょう』
素直に引いてくれる執事に感謝しながら、根拠がないのに、少しムキになってしまった事への照れ隠しもあって、絵本の中を少し教えてやる事する。
"絵本にさえ触れなければ大丈夫"という、そんな不思議な根拠も賢者の中にはあったのだった。
『実はな、絵本の中は一頁破れている箇所もある。
これを運んで来たという、グロリオーサ達のかつての仲間だという気障らしい男の扱いが悪かったのか』
"賢者"という理由とは少しは関係あるのだろうが、結構な読書家でもあるピーンは、本を大切に扱われない事を不快に感じたらしく、眉間に立派なシワを刻んでいる。
だが、本が好きな割りには整頓が苦手で、その整頓を一手に担っている執事は思わず、足元を照らすランタンを揺らす程、吹き出していた。
ロックが吹き出したのを、良いタイミングと感じ、開いた絵本を音をパタリとたてて閉じて、ピーンは懐にしまう。
―――少しばかり、絵本の周りの空間が歪がみ、細い糸よりも細い闇の"線"が執事に伸びた事に、賢者も執事も気がつかなかった。
『まあでも、チューベローズ先生から、私達の記憶を吸い取ったのは、正解だったかもしれないな』
話をすっかり切り替えた気持ちで、ピーンはロックにそう語りかけると、ようやく笑いを納めて、ランタンで足元を照らす執事は従うように、闇夜の中で小さく頷く。
自分たちが立ち去った教会の方に、バロータに頼まれて仕掛けておいた"護りの結界石"にピーンが意識を飛ばすと、もう屋外には誰もないのが把握出きる。
『さて、今頃泣き落としの場所へと向かっているか、泣き落としの真っ最中か。
お嬢さんに惚れていて、そして大人として教師としてこの国の惨状に嘆く心を持っているから、私達が唆す事をしなくても、十分、大丈夫だろう』
この賢者の"大丈夫"だろうという声は、誤魔化す気持ちなど何もなく、記憶を奪っておきながらも、信頼と自信に満ちていた。
『きっと、先生なら"これは1つのチャンスである"と、バルサム御嬢さんと自分に向けられた話をうまい具合に結を付けてくれる』
『私達が何もしなくても、チューベローズ先生が、"自分から、内通者になるべくしてなった"というのが、グロリオーサ様が考えた"思いつき"で、旦那様も望んだシナリオでしたよね』
執事の言葉に、主は闇の中で頷いた。
『後、"思いつきの場合"の利点は、バルサム御嬢さんを巻き込まない確率もあがる。
もしも、私達が接触していた痕跡が先生の"記憶"にあった場合に、最後の仕上げが失敗させる気はないが、失敗した場合。
敵さんも、流石に内通者はチューベローズ先生だと判るだろうからな。
先生も命懸けで行うから、失敗はまずないと思いたい。
させないつもりだが、失敗した場合はバルサム御嬢さんと、無関係を装い、庇うのは当たり前だろう。
何より、誰にも言われた訳ではなく、自分の意志でレジスタンス側に助勢したという事を全面だすか―――』
――最悪、全ての責任を被って自ずから"口を塞ぐ"気骨がチューベローズにあるのが、今日、接触してみてピーンには分かった。
そしてアングレカムが、バルサムとの手紙でチューベローズが、彼女に惚れている事を見抜いていてそれを"利用"しようとしている事も。
(いや、そこは恋のライバルの"勘"と言った方がいいのかな?)
ピーンは自分でも人が悪いと思いながらも、冷静な男が手紙を読んでヤキモキしている姿を考えて楽しみ、急にククッ、と小さく笑いを漏らす、背の高い主をロックは不思議そうに横目で見上げた。
執事に見られている事に気が付いた主は、空咳をして誤魔化して話を続ける。
『戦う力が特化してなくても、"自分の国を良くしたい"という、あの決起軍の代表の4人と同じ気持ちをチューベローズ先生はしっかりと、携えていた。
私達と接触した"記憶"があるかないかで、失敗した際の状態が変わってくる。
唆した記憶があったのなら、せっかくの彼の"国を良くしようという"命がけの覚悟に、泥をかけることになっていたかもしれないからな。
この手の"決意"は、他所から余計な影響を与えずに、純粋に越した事はない』
(純粋すぎて、端からみたら"危険"にも見えるぐらい"箔"がついて、平定後に"逸話"となって世間に情報が広がり安くなる)
チューベローズ自身が望んでいるわけではないだろうが、内通者という危険な役割をこなしてくれる人物に、新しい国の中で権力を持つ為政者になるのに相応しいとピーンは考えている。
("4人"で平定をする事は出来ても、そこから国を造り直す事は、また別ものだからな)
参謀となるアングレカムからは、"平定もなし終えてないのに、気が早いかもしれませんが"と内政に関する相談を受けたりもしていた。
"少しは休んだらどうだ?"
"―――平定とはいっても、"乱れている状態が普通"になっている国の"普通"を奪っているんです。
平定の後に、国民になってくれるだろう人々に納得して貰える"普通"を私達は用意しておかねばなりませんから"
固い決意を宿した、美しい緑色の瞳の青年に請われて賢者が知っている限りの政治にかんする知識を与えてやった。
終わってもいないけれど、終わった後の事も考えなければならない、しなければならい事の多さと目まぐるしさに、彼等が"参る"事ないのを少しだけ願った。
『気持ちを押し付け、無理矢理引き込もうとするのもいけないのは分かります。
それなら、そんな気持ちになるように仕向けて誘い込むような事をして、結果的にさせてしまうのも、しない方が良いんでしょうか?』
丘で待つ仲間の事を思い出していると、暗闇の中で執事から、自分で考えたけれども、答えの出せない質問をされる。
『さあ、それはどうなんだろうな。
誘われないと、動き難い立場の人もいる事も確かだからなあ。
まあ、何にしても難しい事や、やり甲斐をあることをこなそうとしたならば、辛さがもれなく付いてくるのが、常だ。
辛い事はない方がいいのか、それとも乗り越えられそうなら、多少辛くとも乗り越えられるなら、それを乗り越えていった方が良いのか』
『尋ねた疑問に、疑問の言葉で言葉を返さない下さい』
『スマン。だがな、そればっかりは人として、生きているうちは永遠の命題みたいなものだ。
時間、境遇、場所、そしてそこにいる人。
今現在、存在してる"人"は、大方先ほど言った3つを全て持っているが、誰1人として同じものを持っている人はない。
それでもその3つ持っているだけで十分に、仲間意識を持てる共通点となる。
だが希に、存在はしているけれども居場所がない人はいる。
そうしてる人以外の存在でも、同じようなことがある。
姿形はあるのに、いても良い場所がない。
似ていることはあっても、同じということは絶対にない。
だが人は、似ているものにどうしても惹かれる』
『旦那様、難しい事を言って、最終的に話を誤魔化そうとなさっていませんか?』
闇夜の中、ロックがランタンをひょいと持ち上げると、そこには舌を出す賢者の顔が灯りによって照らし出された。
『旦那様!奥様に、真面目な話のときは、真面目にと―――』
『あ〜、作戦変更した事は、早めにグロリオーサ達に報告しないといけないな。
うん、そうだ、走ろう。
よし、待ち合わせの丘まで競争だ、ヨーイ、ドンと言ったら、スタートだ。
はい、よーい、どん!』
返事と提案の了承も訊かずに、賢者は勝手に言って、勝手に始めて、両手の掌をパンと打ち鳴らして、勝手に闇夜の中を紅黒いコートを翻して走り始めた。
『あ、旦那様!ずるいですよ』
執事も、主の後を追うように走り出して―――主を執事が追いかける形で、闇夜の中で2人は笑っていた。
走りながら賢者はデジャヴ(既視感)を感じる。
(笑いながら走るなんて…何時のことだったか、ああそうだ、挙式の後か)
20年近く前、まだ"少女"と呼ばれてもおかしくない程若かった、妻となるカリン娶る挙式の際。
見知らぬ土地に嫁ぎガチガチになっている花嫁の緊張を解そうと、ピーンは式服の中にふざけてある"魔法"をしかけていた。
"魔法"は見事に成功して花嫁の緊張は解れたが、魔法に驚いた花嫁は白いウェディングドレスのまま尻餅をついてしまい、折角のドレスが少しばかり汚れてしまう。
"ふざけ過ぎです旦那様!、花嫁さんのドレスになんてことをっ!!"
その当時、どう見ても見た目も中身もまだ少年でしかないが、確り者のロックが、成人したばかりのピーンを叱る為に追いかけまわすの見て、妻となったカリンは、最初は目を丸くしたが、直ぐに笑いだしていた。
"領主様もロックも、本当の仲のよろしい兄弟みたいですね"
怒っていた執事も、花嫁が笑いだした事でつられるように笑いだして、ロックが笑った事で花婿であるピーンも笑いだした。
本当に楽しい時期で、直ぐに仲の良い夫婦に子どもを次々に授かり、執事は主人の仕事を助けていた。
しかし、時勢は反比例するように、国は少しずつ不穏な空気が漂い始める。
それに伴うように、自分達"人"が住まう"大地"や、世界を彩るようにいる精霊達も落ち着かなくなってきてもいた。
"夫婦仲を良く、子沢山で、領地を守る"だけでは、もうだめな事態になっていると、賢者は気がついた。
そんな時にグロリオーサに出逢い、参加することを決意する。
"国のために領主様、頑張ってください。
私は私なりに出きる事をして、ここで領主様のお帰りを待っていますから"
(カリン、もうすぐ終わって、ロックと一緒に帰るから待っていてくれ)
ロックが懸命に大切にして欲しいと口に出す"妻"から、執事が手紙を届けて、チューベローズが教会にいる間に手紙が届いていた。
平定の為に、領地を離れて。
ピーンが領地を離れている間に年頃を迎えた長女以外の娘たちを、不満がないようにそこそこの家に順に嫁がせた。
しかし、嫁いだ先からわざわざ戻ってきては、口喧しくなり、跡継ぎであるバンが行う領地の細々とした仕事を、非難して困っていると手紙には記されていた。
カリンなりに注意をすると、また贔屓だと娘達からバンが責められる原因となってしまう。
長男は"平気ですから"と、長女の姉と共に仕事に励んでいるが、カリンにはそこが不憫に見えて仕方ないらしい。
そんな内容の手紙で、賢者はであり父親でもある男は、妻の側にいることの出来ない事に心から申し訳なく思った。
(グロリオーサなら、きっと国を良い形に、平定する事が出きる。
国が荒む事で、民や子供達の心が荒む事はきっと無くなるはずだから。
この国を平定したのなら、きっと直ぐに帰ってまた3人で笑おう)
そんな事をか考えながら、走っている内に4人の仲間が待つ丘が近づいてきていた。
"〜♪"サアアアアアアアっと、風が吹く音と共に優しい歌声が、走る二人の耳に入ってくる。
『―――あ。トレニア様の声ですね。
それに、確かこれは、子守唄ですよね、旦那様』
自分の後ろから、ホッとするようなロックの声が聴こえる。
『ああ、そうだ。―――異国の、母が子どもの幸せを願う歌だ』
魔女と呼ばれる血族に産まれて、感情を拾ってしまう瞳を持ち、それなら"まだ言葉を喋る事が不自由な赤ん坊の助けになりたい"と乳母の仕事に憧れていたトレニアの優しい歌声が、風の乗って響く。
ロックが足を止めて、ピーンも足も止めた。
『ダガーを寝かせているのかな』
丘を見上げて、ピーンがゆっくりと足音を忍ばすように歩き出し、ロックもそれに続いた。
『―――内通する方が決まったなら、もう"最後"まで、またバルサム御嬢様のお母様が、ダン君、ダガー君を預かってくださるですよね』
『本当は預けたくなんか、ないだろうけれどな…』
トレニアがグロリオーサとの子供であるダガーを出産の際、それに立ち会い取り上げたのは、一応自分の子供の6度の出産に関わり、知識と経験があり、治癒術も使える賢者であるピーンであった。
賢者から赤ん坊を手渡された時、中々の難産で随分と時間がもかかり体力も気力も消耗していたが、大きな産声を上げたダガーの誕生をトレニアは心から喜んでいた。
『私の所に産まれてきてくれて、ありがとう《ダガー》』
赤ん坊が生まれてくる前、グロリオーサと2人で決めていた名前を早速呼び掛ける。
ピーンの助手をしていた、ロックが難産ではあったが母子共に健康であると、分娩に使われた医療班の野営テントから出て伝える為に外にいくと、大きな歓声が直ぐに上がって、聞こえてくる。
その歓声を聞きながら、まだ泣いている赤子に、母親は語りかける。
『大丈夫、この世界に何も怖い事何かないからね。
ダガーのお父さんや、大人の人達や、あなたよりお兄さんやお姉さんな人達がきっとダガーを守ってくる。
だからダガーも、そう言った《人》になってね。
もしかしたら貴方のお父さんは、国王なんかになるかもしれないけれど、その前に、あなたは1人の人間よ』
母となった女性の紫の瞳から、歓喜の涙を流し、優しく産まれたばかりのダガーを見つめて額にキスをしている姿に、賢者も微笑む。
優しい言葉と、赤ん坊に向ける慈愛に満ちたトレニアの面差しを見たとき、賢者はこの女性の夫となる若者に、心から、傾くこの国を均して欲しいと思った。
『休むといい。赤ちゃんは産湯につけようか―――トレニアちゃん?』
子宮の収縮を自然に促すために、準備していた氷を皮袋にいれて母体の腹部に置いていると、トレニアが繁々と赤ん坊の顔を見つめている。
(何か心配や気になることでもあるのか?。
出産に時間はかかったが、赤ん坊は健康だし)
少し真剣な顔で賢者が、ジッと赤ん坊を見るトレニアを見詰めると、彼女はゆっくりと口を開いた。
『生まれたての赤ん坊ながら、こうも眉毛がグロリオーサそっくりなのは驚いてしまうわ』
『―――あっはっはっはっはっ!』
トレニアのそんな冷静な一言に、産後の処置をしていた賢者は思わず爆笑してしまった。
その笑い声に、"出産の邪魔だから!!"とトレニアに医療班の野営テントから外に追い出されていた、後に英雄となる3人の男達を、度肝を抜いたというおまけ話もあったりもした。
(ああいうのを、"いい思い出"というのだろうな)
ピーンは闇夜の中で、また笑顔を浮かべていた。
『―――賢者殿、ロック君。戻られたのですか』
子守唄が止まり、丘の上からトレニアから声をかけられて、ロックが答えた。
『はい、トレニア様、ただいま戻りました。
その、ダガー君のおやすみの邪魔に、なりませんでしたか』
2人で丘に登ると、赤ん坊のダガーを抱えるトレニアが立っている。
『それは大丈夫。実は、ダガーはとっくの昔に寝ているの』
夜風にあたって、赤ん坊の体が冷えないようにと、大きなショールで母親の身体ごと包み込まれていた。
『単純に私がこの子と別れ難くて、こうやって寝かし付けるふりをしてるだけ』
そう言って、母親は赤ん坊の額に口づけた。
(―――もう少し遅く帰って来ればよかったのでしょうか?)
(どっちにしろ戻って来なければならなかったんだ、気にするな。
後、トレニアちゃんにはテレパシーは意味ないぞ?)
『紫の瞳は、気持ちを拾ろうから、テレパシーは筒抜けだ』
一応執事から送られてきたテレパシーには、テレパシーで返事することに加えて、口にもだして返事を主はする。
『賢者殿、"ちゃん"付けは止めてください。
それと、ロック君、気を遣ってくれてありがとう。
良かったら、ダガーの寝顔を見てやってください。
首も座って、最近寝返りがとても上手だそうです』
トレニアに礼を言われ、呼び掛けられて、ロックは少しだけ赤面しながらがランタンを持ち上げると、母親の腕の中で、黒い髪が漸く生えてきた赤ん坊はすやすやと眠っていた。
『しかし見るたびに思うが、ダガーの外見は本当にグロリオーサそっくりに育っていくな。
このままそっくりに育てば、鬼神が二人で、あっという間に平定完了だな』
ピーンが少しばかりふざけて言うと、トレニアは至極真面目な顔して頭を左右に振った。
『それはいけません。
何が何でも、あの娘の―――バルサムの成人の前に間に合わなければ。
ただでさえ、私の出産のためにアングレカムも、幽閉に近いバルサムも時間を割いてくださったのに』
申し訳なくて仕方がないといた面持ちで、トレニアは眠るダガーを見つめる。
『だがその為にトレニアが無理をしても、あの2人は喜ばない。
それにバルサムは、従弟の誕生を誰よりも喜んでいた内の一人だ』
賢者の言葉に、尚もトレニアは頭を左右に振った。
そして、バルサムと従弟なる息子を見つめながら、決心をもう固く決めているといった様子で、また口を開いた。
『喜んでくれたからこそ、バルサムには本当に好きな人と、結ばれて欲しいのです。
私とグロリオーサは、愛し合っている―――というよりは、どうしても友情の延長のような付き合いです。
勿論、愛しているか、いないかで言えば"愛している"といえますけれど』
眠る"夫"にそっくりな息子を見つめながら、トレニアはまた優しく微笑み、言葉を続ける。
『ただ、愛と言うよりは、"情"の方が私とグロリオーサの方は強いですね。
そんな付き合いでも、このダガー授かった事は、グロリオーサには心から本当に感謝しています。
こういった形でもなれば、私は一生子供を授かるなんてなかったでしょうから』
物心がついて、女性として生きるとわかっていながらも、"伴侶を得て一生を添い遂げる"という事に、親と上手く関係を築くことが出来なかった少女は、憧れを抱く事は出来なかった。
ただ、"子どもは、いつか授かりたい"という気持ちを、子どもが――特に赤ん坊が大好きなトレニアは持っていた。
だからある意味、型に囚われない奔放なグロリオーサという"夫"が有り難かった。
ダガーを授かってからは夫婦と役割に拘らず、折りをみては
"何か俺にさせて貰えることはないか!?"
と、やってきては出来る事を、寝かしつけたり、オムツを代えたりやっていた。
奔放なりに、"父親"らしくしようと努力している姿は、幼馴染みからしたら可笑しくて仕方ないもので、互いに"真っ当な親子関係"を知らない者同士で、荒んだ世相で決起軍という普通の状況ではあり得ない状況でも、上手くやれているのだと、トレニアは思えていた。
なら、想いやっている者同士なら、尚更良い家族が作れるだろう。
そんな"家族"が1つでも増えたのなら、荒むこの国も民も幸せになれると、トレニアは信じている。
『バルサムとアングレカムように、見ているこちらが切なくなる程、想いやる2人を出来る事なら、添い遂げさせてあげたいと思っています。
そうした方が、ダガーが大きくなった時にも自慢できますからね』
自分を心配する、賢者の忠実な執事に微笑んでみせた。
『―――トレニア様』
トレニアの強い意志を感じて、ロックは尊敬の気持ちを抱きながらも、可愛い盛りであろう我が子と離れる決意をしている彼女を、不憫に思う気持ちを抑える事が出来なかった。
『ロック君、そんな悲しそうな顔をしないで。
平定さえ成し得れば、それから暫くは落ち着かないでしょうけれど、ダガーを今以上に手元に置いて、世話をやいてあげる事が出来ます。
平定を全て終えるまで、ダガーと離れる事が、寂しくないと言ったら嘘になるけども私は、大丈夫だから。
それに貴方も、バルサムに会って、彼女にアングレカムと幸せになって欲しいと思ったのでしょう?』
『それは、思いました。初めてあった私から見ても、バルサムお嬢様はアングレカム様が、好きなんだって凄くよくわかりました』
賢者の執事に、どことなく"優しい弟"というイメージをもっている彼女は、それこそ弟に語りかけるように続けた。
『一応私も決起軍の中では、結構な戦力になるみたいだから、その力を使って国を平定をさせたいと思ってる。
何より早く平定をしないと、バルサムは好きでもない殿方に嫁ぐ事になってしまう。
それだけは、何が何でも避けなければなりません』
"感情"を拾ってしまう優しい魔女は、ロックの優しい気持ちを否定せずに、何よりも平定をを最優先する事が、一番なのだと説得していた。
赤ん坊を抱える優しい紫の瞳に見つめられ、ロックは静かに頷いた。
『それでは、その平定の為の内通者についての話をリーダーのグロリオーサにしたいと思う。
グロリオーサが何処にいるか、教えて貰えるかな?トレニア』
自分の執事が納得したように見えたので、賢者は話を進めるべく、一応全体の責任者のとなるグロリオーサの所在を尋ねた。
『―――何だか、アングレカムに負けたくないことがあるからって、ダガーの寝顔をみたら、すぐに円匙を持って、"穴堀"の練習に丘の人気がないほうに行ってしまったわ。
いつもの負けっぱなしでもあんまり気にしないくせに、ある賭け事には勝ちたいですって』
少し呆れた声ながらも、その中には夫を応援する気持ちが入っているのが賢者と執事にはわかった。
『ある賭け事?、いったいなんだそりゃ?。
まあいいや、私はグロリオーサを探して話してくるから、ロックはトレニアちゃんとダガーの護衛をしておいてくれ』
『畏まりました、旦那様。
トレニア様とダガー君の事は、お任せください。
ロックが命に代えましても御守りします』
『ロック君、ありがとう。
それと賢者殿。大方グロリオーサの事だから、また考え及ばない変な場所で穴掘りをやっているはずよ。
それと、子どもを産んだことですし"ちゃん"付けは止めてくださいな』
ロックの恭しい返事と、トレニアのやはり少しばかり呆れたような声に見送おられて、ピーンは広い丘を更に登る。
決起軍による一般的に"革命"と認識されている活動の成功は、堅牢とされているセリサンセウム王国の忠誠に内通者を作り王都に攻め入り、暗愚と呼ばれる現国王を"引きずり下ろす"。
―――――と、そこまでこなして初めて"成功"だと認めて貰えると賢者は考えている。
それ故に、あらゆる意味で、内通者が決定する事とは"平定"の為の決起軍としては、最終的な段階に入ろうとしていた。
("決起軍"といいながら、大人数で編成する事となく、ほぼ4人の活躍でここまできたのは本当に"凄い"の一言につきる)
後に"平定の英雄"と国民に親しまれる4人は、その殆んどの活躍は4人でこなし、徒党を組むという事をほぼしていないに等しかった。
理由の1つとして、多くの人数で動けば動くほど、その同行は敵である、国軍に見つかりやすくなる事がある。
影ながら助勢してくれる組織も多くあったが、決起軍自体は殆ど主力となる4人だけで動いていた。
ジワリと立場が徐々に推され気味になると、国軍も"4人組"と言うことで、厳しく目をつけられる状況もあった。
何よりグロリオーサの"カリスマ"が悪い意味で発揮されて、国内で事件を起きて活躍でもしようものなら、正体がばれる事が頻発していた時期もあったほどだったという。
その悪目立ちしてしまう現象は、賢者ピーン・ビネガーと、優秀な魔導師でもある執事という2人の助勢者の参入において、幾らか軽減されていた。
やがて4人(最終的には6人)という機動性に優れた決起軍は、身軽に国中を駆け回った。
主だった圧政に苦しむ領地や街を制圧して、確実に決起軍側の味方として、取り入れる。
若しくは、表立っては国を裏切るということは出来ないが、決起軍側に就かせるという密約を交わしている場合もあった。
そうした秘密裏の活動を徹底していたのは、単に、最後に仲間となった神父バロータの妹が、犠牲になるという悲劇が発生したからである。
その悲劇が起きるまでは、小規模ながらも小さな徒党を組み、活動していたと賢者は聞いている。
"決起軍"として目覚ましい活動していたが、目立ちすぎたのか、はたまた裏切り者でたのか―――あるいはその両方か。
恐らくはその辺りの理由で情報が漏れ、バロータの妹が巫女として教会に仕え、かつての仲間であるという男が療養していた村に、国軍が押し寄せた。
数人の村人が犠牲になった事は、巫女は命をかけて贖う事で、"絵本"を使った禁術が発動して、村を救った事になっている。
その一部始終を、怪我の回復した仲間から報告されてすぐ決起"軍"という結構な人数も集まりかけた軍を、グロリオーサは解散させてしまった。
抜けた仲間の代わりに妹の命を奪われたバロータが本格的に参入し、主力となる4人の内の一人となった。
その数年後、相も変わらず奔放すぎるリーダーであるグロリオーサが、セリサンセウムという国の西の地域で突然行方不明―――"迷子"となって賢者の前に姿を現した。
ある時期、領地に来た賊を討伐したばかりのロブロウ領主は、領地自慢の紅葉の渓谷の風景をデッサンをして、久し振りに一人きりで休暇をとっていた。
そのピーンがガリガリとデッサンしている渓谷に何かが加わった。
派手に人らしき"物"がロブロウの渓谷を駆け降りる、それがグロリオーサだった。
そこから色々とあって、少し変わった形で"保護"するという奇妙な縁で、グロリオーサとピーンは親友となった。
(しかし、この楽しい縁も平定を終えたのなら―――)
そんなことを考えている内に、国軍からのカモフラージュを為に、丘全体に使われている魔術が途切れそうな所まで賢者はやって来てしまっていた。
(ここまでも何も、グロリオーサの気配も何も見つからないとなるとあの術を使っているな)
カリスマ性という、存在感がありすぎるグロリオーサの"神秘性"を霞ませる為の魔術を、賢者は教えていた。
ただグロリオーサが使うには魔術が複雑過ぎるのと、術の相性として彼には扱えないので主にバロータが使って、彼のカリスマを誤魔化す手伝いをしている事になる。
(バロータが術を使うと、見つける糸口を探すのも大変だからなぁ)
丁寧で精巧すぎる術の使い手であるバロータが、術を使った片鱗を見つけ出すのは一介の術者には大変に困難である。
例えるならば、白い布地を御針子職人によって、精密に同系色の糸で縫われてた場所を探すのと同じくらい難しい。
賢者という名前を背負うピーンも、それなりに術を使える自負はあるし、大雑把な性格ではあるが――丁寧に出来ない事はなかった。
ただ、偉く集中力と魔力を消耗するので滅多にしない。
(ロックがいたら任せたいけれど、闇の術を使った後だと心に"隙間"が出来て悪いものが入ってもいけないからな)
瞼を強く瞑り、ピーンは丹田(たんでん・へその下のあたり)に力を入れて、長い指を弾いた。
指を弾いた音が空気をなぞるように進むと、ブンっと響き渡り、途中何かとぶつかる感触が反射して賢者の耳に返ってくるのしっかりと感じ取ってから開眼する。
そして反ってくる感触に"土の精霊"特有の、どっしりとした印象ともうその中にある存在を感じとる。
("土の精霊の助力"を得ているという事は、やはりバロータと一緒だな)
音がぶつかり反ってきた方へと足を向けて、今1度、賢者は指をパチリと弾くと、更に具体的に感じ取れる。
―――ザ、ザ、ザ、ザ、ザ、ザっ
今度は明らかに土を掘る音が耳に入り、掘る振動は大地を伝って賢者は足を止める。
(―――穴を掘る音と場所は、こちらからするが)
今度は足元にも意識を集中すると、丘の土を抉り土を掘る震動が踵の方から伝わって来ていた。
『やれやれ、わざわざ穴堀練習に空間を別にしているな。
切り取ってるとなると。
あの子達を呼び出さないといけないな』
紅黒いコートの右の袖をブルッと振ると、上腕部に仕込んであった短剣がスルリと降りてきてチャキリと音をたてて、ピーンはシンプルな短剣の柄を握る。
『土の精霊の壁をこじ開けるのに、異国の風の恩恵と畏怖を教えてくれる精霊を呼ばないといけないとはな。
まあ、平定してからじっくりと研究したかったテーマでもあるから、いいか』
"気配"感じた方向を確認しながら闇夜の空に、口の中で文言を口ずさみ短剣の鋒で五芒星を画く。
鋒が引いたその跡が、白い線となって浮かび上がる。
『おいで、"鎌鼬"』
短剣を手にしてない方の手で指をパチリと弾くと、夜空に浮かび上がった白い五芒星の前に激しいつむじ風が起きた。
そしてつむじ風の中から1匹だけの鎌を背に背負った鎌鼬、東の国を代表する風の精霊が飛び出るようにして、出てきた。
風の精霊である鎌鼬は、飛び出てきたと同時に、召喚者であるピーンの紅黒いコートの肩に飛び降りる。
見事に着地した瞬間から、まるで何かを探すようにグルグルと賢者のがっしりとした肩の上を、走り回り始める。
そして鎌鼬の"兄と弟"が見当たらないと判ると、切なそうな鳴き声をあげた。
その悲しそうな声に、賢者は短剣を持っていない方の手で、頭をボリボリと掻く。
『すまない。お前の兄弟を召喚するには、魔力がちょいと乏しいんでな。
空間を切り裂く力がある、お前しか召喚してないんだよ』
賢者が鎌鼬に申し訳無さそうにそうつげると、ピーンの後頭部にまわって、ベシベシと白髪の頭を叩き始めた。
『ああ、悪かったって!。
次の召喚者からは必ず、3兄弟で召喚するようにするように盟約しておくから!』
ピーンがそう言って懐から、質の良い水晶の結晶を鎌鼬を宥める為に与えた。
鎌鼬は小さな鼻をフンフンと動かしながら、"仕方無い"といった感じで水晶をくわえた。
口にくわえて"取り込んだ"瞬間に、ブワッと身体を一際白く輝かせ、背中に背負っていた鎌をを引き抜いて、小さな口にくわえた。
『その高まった力で、あそこを切り取ってくれ――』
ピーンが視線で"気配"を感じた場所を示し、長い腕をそちらの方へと伸ばすと、その腕を伝ってタタッと走り、賢者の手の甲をトンと蹴って鎌鼬は空間を切り取った。
チュンと、小さく金属と金属が重なる音が聞こえたと思ったら、空間が丸く切り取られた。
ズズッと音をたてて、まるで窓枠に嵌めてあった透明な硝子が外れるように、空間の壁が丸く切り取られ、斜めにずれて大地に落ちる。
切り取られた空間の向こうに、円匙で懸命に穴を掘るグロリオーサと、付き合うように側に立つバロータが佇んでいた。
鎌鼬によって損なわれた空間は、本当に窓枠から外れた窓硝子のように、大地に落ちて"弾ける"。
初めに大地に着いた箇所から、霧のように切り取られた硝子ようなの空間は、音もなく霧散した。
次に切り取った箇所を始まりとするように、丸く切り取った空間の縁を起点にしてヒビが入りひろがる。
広がるヒビは全体的に細かく辺り一体に広がっていき、一瞬新たに白い壁が出来たようにもみえた。
そして起点となった箇所から、先程消えた"切り取った空間"と同じように霧散するように白い霧をな靄をだして、風の前の煙のように流されていき、最終的に溶け込むようにして結界はなくなった。
賢者、神父、そしてレジスタンスのリーダーとなる男は、あたかも最初から3人でそこにいたかのようにその場所にあった。
『やれやれ。やけに強引に結界を破ったものだな』
神父が愛用している武器にもなる、長い杖でトンっとを大地を突きながら、同じ年齢の賢者の方に向き直った。
『こちらからすれば、何で神父はわざわざこんな頑丈な結界を張って、リーダーは負けてばっかりの、穴堀の練習なんかしてるかってことだな』
賢者はそう返事をした時、鎌鼬は鎌を背中に戻してから、賢者の身体を器用に上った。
肩まで上ると、問答をしている自分の召喚者と、神父と穴を掘る青年の3人を見比べるて小さな鼻をヒクヒクさせている。
穴を掘る手を休めずに、レジスタンスのリーダーであるグロリオーサは、かつて細くはあるが鉄の鎖も噛みきったという、頑丈な歯を見せながら口を開く。
『俺が頼んだんだ。単純に穴堀の練習をするの姿をアングレカムに見られたくないのが1つ。
それと神父に相談事があったからだな』
ザックザックと土を掘る音をBGMにして力強くそう言うと、グロリオーサは円匙を厚い靴底の蹴って踵で、ザクリと大地を穿ち、そこで手を止めた。
『リーダー自ら相談事があったのなら、結界をはって内緒にするのも仕方ないか。
それにしても、そんなにアングレカムに穴堀で勝てないのか?』
"決起軍は4人で活動している"、そんな流言を真しやかに広めた、張本人である賢者がそう尋ねる。
実際には賢者とその執事は決起軍に参入して、助勢をしているのは確かなのだが、一応"国の領地の領主"が加担しているのがバレないようにするのにも、注意を払っていた。
なので、別行動とる事が殆どで、こうやって"プライベート"のような時間をお目にかかるのは数えるほどしかなかった。
一緒に行動する事が多くなったのは、トレニアが妊娠・出産して一時的に"戦う"事から遠退いた為で、本当につい最近の事だった。




