【幕間ーお留守番ー】
ウサギの賢者の屋敷では留守中はアルセンが鍵を預かり、ライとリコが3日に一度は家の換気をする事を決めたりしていました。
「―――さてと。そろそろ屋敷からは引き上げましょうか」
アルセンは2人の女性騎士がウサギの賢者の屋敷の中庭で紅茶を飲み終え、歓談が一段落ついたところで提案する。
ライは話足りない様子で、リコは懐から銀の懐中時計を取り出し、時間を確かめた。
「あら本当。もう引き上げた方がいいみたいよ、ライちゃん」
リコの穏やかながらも、はっきりとした切り上げ宣言に、ライは不満に頬を膨らませる。
「にゃー。どうせ王都の王宮に帰っても法務審議室の前で、また立って警備するだけにゃー」
ライがそう言うのをリコは苦笑しながら聞き流し、紅茶を片付け始めていた。
「ライさんはジッとしてるのは、性に合わないんですか?」
アルセンが紅茶を飲み終えたカップとソーサーを「ありがとう」と言って渡した後に、ライに尋ねる。
「にゃー。ジッとしていると、どうしてもワチシは眠たくなっちゃうから、ジッとする事は苦手にゃ」
ライはそれなりに困っている様子で話すので、アルセンが疑問の視線をリコに送ると、丁寧に答えてくれる。
「ライちゃんの体の性質上の事で、どうしてもジッと動かないでいると強烈な眠気に襲われるみたいで。
護衛対象の方もパートナーである私も、そこは了解して仕事にあたっています。
王族の方は基本的には外交に忙しくて、護衛する私達もあまりジッとする事もないんですが」
アルセンは説明に軽く頷き納得し、それからライを同情するように言葉をかける。
「今は殆どの議員さんが、王宮に瓶詰め状態ですものね」
「にゃー、つまんないにゃ。ユンフォ様もつまらなくて、きっと爆発寸前だにゃ」
ライが再びプウッと頬を膨らませるのを、リコが形の良い白い指でつついて潰す。
「ライちゃん、警護する方のお名前をみだりに口にださないの」
「にゃ~、アルセン様だからいいにゃ~。ユンフォ様は、アルセン様気に入ってるにゃ~」
ライが猫のように口の両端を上げて、美人の軍人を上目使いで見る。
「おや、ライさんがユンフォ様の護衛でしたか。
でも確かに、ユンフォ様ならライさんみたいな『娘』なら、護衛されて楽しいでしょう。"娘あしらい"はお得意ですし」
アルセンは少しだけ人の悪い笑みを浮かべて頷く。
そして話題は自然に、ユンフォ・クロッカスについてとなる。
アルセンが知っている限り、かなり縁遠くはなるが王族の一員で、軍を退役してから貴族議員となるユンフォ・クロッカスは、庶民派で名前が通っている
そして、理由あって早くに父を失っていた未成年時代のアルセンの後見人でもあり、軍学校の責任者だった事もある恩人。
軍を退役してからは、益々庶民派となり国の季節祭の時などは、平民に酒を振る舞ったりなかなか懐が広い、老いても壮年な人物でも名を馳せている。
ただ好人物だけに、それに伴って嫌な噂を流されている事もあった。
好色だの、屋敷に女を連れ込んでいるだの、尾鰭や背鰭が付き過ぎな話で、日頃そう言った話に関わろうとはしないアルセンには、いい加減わからなくなる。
だからある日いつもは極力相手にしない夜会の知らせの中に、ユンフォが参加するという情報が耳に入り、アルセンにしては珍しく、自分でサインをして参加する事にした。
成人してからは付き合いも薄くなってしまい、恩人でもあるユンフォに会いたいという気持ちもあった。
その夜会でアルセンは、恩人の新たな一面を見ることとなる。
夜会の場所は、アルセンに何かとライバル意識を燃やしている同僚のロドリー・マインドの屋敷であった。
会食をしながら話を聞いて驚いたのは、ユンフォはマインド家からの夜会の誘いには可能な限り参加していると言う話。
(マインド家に何かありますかね?)
そんな事を考えながらふと気がついたのは、マインド家の夜会には子連れが多い事で普通の夜会では屋敷で子守に任せて、親だけが出てくる事が常という事になります。
何かと会話や繋がりを持とうとする淑女達を笑顔でかわして、沢山の子ども達が集まる部屋の方へとアルセンは向かう。
(こちらですね)
扉は開放されており、部屋からは夜会の曲とは違い、子ども達が好む明るい楽曲が奏でられていた。
その部屋の中心で1人の黒髪の女性が楽曲にそって、歌を唄っていて、子ども達は笑顔でその女性を見つめている。
(あの歌っている方は異国の方ですね)
アルセンは彼女の歌を楽しみながら、邪魔しないように静かに部屋に入った。
女性はアルセンの姿を見つける笑顔で目礼しながら、歌を続ける。
(良い声です)
この部屋の『主賓』達である子どもの邪魔をするまいと、部屋の隅に向かうと、そこににユンフォがいたのでアルセンは驚いた。
彼は部屋の隅で来賓用の椅子に腰掛け、女性の歌を聴き惚れていた。
そしてアルセンの存在に気がつくと、照れ隠しのように微笑みユンフォは再び女性の歌に耳を傾ける。
アルセンもユンフォの側にある来賓用の椅子に腰掛けて、女性の歌に身を委ねた。
(異国の、母が子どもの幸せを願う歌)
聞きかじった事がある異国の単語を、簡単に訳しながらアルセンは女性の歌に耳を傾けています。
彼女の歌声自体が自然と胸打つものなので、子ども達は歌詞の意味は解らずともうっとりとしながら聴いていた。
そして「夜会」なので数名の子ど達は歌に聴き惚れながらも、うつらうつらと眠り始める。
(この歌は『子守唄』なんですね)
女性が唄を歌いながらも、眠った子ども達に注ぐ、愛おしい眼差しにアルセンは気がついた。
数名が完全に寝入った形で、彼女の歌は終わり、それから唇に人差し指をあてて、「静かに」というマークを「主賓達」に示す。
すると子ども達は慣れたように部屋の端に備えられてある毛布を運んで来て、眠ってしまった子ども達に優しくかけていった。
『皆さん、ありがとうございます』
異国の女性は滑らかなこの国の言葉で、子ども達に礼を述べた。
『シズクさん、いつもながら良い歌だった』
ユンフォは立ち上がり、女性に「シズク」と呼びかけながら、彼女の唄を賞賛した。
本当なら、激しく拍手したいくらいなのかもしれない。
『ありがとうございます、クロッカス様』
女性は礼儀正しくドレスの裾をつまみ、ユンフォに礼をした後に、アルセンの存在に気がつく。
『お人違いだったら申し訳ありません。アルセン・パドリック様であらせられますか?』
初対面と思っていた女性にフルネームで名前を言い当てられて、アルセンはキョトンとする。
『はい、私は確かにアルセン・パドリックですけれど』
そう応えると女性が顔を綻ばせて、恭しく自己紹介を始めた。
『ロドリー坊ちゃまの"親友"でいらっしゃるアルセン様ですね。常々、一度御挨拶をと願っておりました。
初めまして、マインド家で乳母を務めさせていただいております、『シズク』と申します』
「すと――っぷ、にゃ!」
説明をライが一度止め、その止めた事情がわかるのアルセンは苦笑し、解らないリコは首を傾けた。
「どうして、あの陰険粘着蛇野郎がアルセン様の『親友』なってるにゃ!?。
蛇野郎が勝手に吹聴でもしているにゃ?!」
フーッと猫の様に威嚇するの息を吐きながらライが憤慨する。
「ライさんはこの前の事で、ロドリー殿にあまり良い印象はお持ちではないでしょうが、マインド家は格式ある名家でもあるんです。パドリック家とも深くも浅くもありませんが、それなりの交流もあります」
アルセンの説明を聞いても、ライにとっては納得がいかない様子である。
もしかするとライが護衛対象であるユンフォが、いけ好かないマインド家に行っている事実にも腹を立てているのかもしれない。
「ライちゃん、マインド家の方々全員がロドリー殿みたいな気質とは限らないんだから。それに『シズクさん』と仰る乳母さんは、家の内向きの仕事が主だろうから、詳しい事情とか知らないだろうし」
憤慨するライに苦笑するアルセンに、リコが紅茶のセットを片付けながら助け船を出してくれる。
「そうかにゃ~」
ライはチロッとアルセンを横目で睨む。
「いや正にリコさんの仰る通りで」
アルセンはしっかりと、リコの助け船に乗船しライに「釈明」を開始する。
「シズクさんが仰るには、ロドリー殿が自分のお屋敷でよく私の名前を出すので、親友と思われているようで」
アルセンがコミカルに肩をすくめるのも、ライはまだ涼しい目で眺めている。
「アルセン様の名前が、どんな出され方をされているか、知りたい所だにゃ」
ライの言葉を聞いてリコは片付けの為のトレイを片手で支え、空いた方の人差し指を口に当てながら、軽く思案する。
「ロドリー殿がアルセン様をライバル視しているのは、軍の中ではそれなりに有名な話ですからね」
リコのその言葉に、アルセンは渋い顔になる。
「そうなんですか?。軽く目の敵にされている節があるのは自覚していますが、そんなに有名になっているとは考え及ばなかったです」
「にゃー。定期的にある、体力テストや技能検定のアルセン様の記録とか勝手に比べていそうだにゃ~。
それを家では乳母やさんの前で、自分が勝ったのだけ言ってたりしてそうにゃ~」
渋い顔となったアルセンに、ライが面白がってニヤリとし、好き勝手な事を言ってみている。
だがその"好き勝手"はどうやら1部は当たっていたらしい。
シズクは極めて上品且つ慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、アルセンにこう言ったという。
『よく、ロドリー坊ちゃまからお話を伺っております。
何でもロドリー坊ちゃまと競い合う相手となるのは、嘗ての大戦の『英雄』の勲章まで賜ったアルセン様しかいないそうで。
坊ちゃまが、僅差の勝負を出来る相手がアルセン様で嬉しいと仰っていました。
アルセン様。これからも、坊ちゃまの事を宜しくお願いいたします』
そんなアルセンからのシズクという人物の説明を聞き終えたライは、ウーンと唸る。
「物凄い、ポジティブシィンキング―――優しい人って事にしておくにゃ」
ライがそう言ったのをリコは聞き終えてから、クスリと嫌みのない笑みを浮かべ、トレイに紅茶の一式を乗せ、ウサギの賢者の屋敷の中へと片付けをするために姿を一度消した。
リコの耳に声が届かないということを確認してから、アルセンはライに自分の意見を述べる。
「私は正直、リコさんの雰囲気に似た物を、シズクさんに感じました」
その言葉にライの瞳が、猫のように鋭く光る。
「それはシズクさんが 、天然の超癒し系婦人と思っていいわけだにゃ?」
"天然"という言葉に少し困りながらも、アルセンは頷いた。
「天然かどうかはわかりませんが、癒し系という言葉はとてもぴったりだと思います」
「ふむう、にゃ!」
ライが思いついたように懐から、黒猫のデザインがされている手帳を取り出す。
それから、手帳に付属でついている細いペンで慣れた手付きで何かを描いた。
「アルセン様、シズクさんってこんな感じかにゃ?」
開かれたライの手帳のページには、少し少女の劇画風な雰囲気もありながらも、アルセンが記憶する『シズク』の特徴をよく掴んでいた。
「ええ、そうです。ライさん人の特徴を捉えて描くのお上手ですね」
至極感心した様子でアルセンはライのシズクの似顔絵を賞賛した。
ところが、ライから出た言葉は意外なものだった。
「実はワチシはシズクさんに、会った事も見かけた事もないんだにゃ」
口角をニュッと上げて、ライは意味ありげに笑い、アルセンは絵は「シズク」を描いたとばっかり思っているので当惑する。
「では、一体誰をライさんは描いたのですか?」
「―――ユンフォ様が幼い頃に亡くなった母上様にゃ」
ライはそう言って、描いた手帳のページをビリッと破いてアルセンに渡した。
「―――ああ、そう言えばそんな話を聞いた記憶がありますね」
アルセンはユンフォのご母堂が異国の女性という話は、とある社交界の講義中に、掻い摘んだ内容ながらも、聞いた事があった。
しかし、ユンフォの外見は限りなくこの国の人種に近いもので、一目みたら異国の血が入っているなど分からないぐらい。
「クロッカス家先代様が遠征に行った際に、ご母堂様と恋におちてユンフォ様が産まれたらしいにゃ~。
ワチシはその話をユンフォ様から伺っていたにゃ。
それと形見になるご母堂様の肖像画を見せていただいたのと、アルセン様が言う『異国の子守歌』でピーンときたにゃ」
「それでは、ユンフォ様が"ロドリー家の乳母様に恋をしている"というわけでは、ないのですね」
リコが帰り支度をすっかり整えた様子で、姿を表した。
「にゃああ?!」
ライが目を丸くして見事にビクン!と驚き、リコはそんな相棒にお構いなしに更に考え込みながら、自分の考えを述べる。
「記憶にない、母への憧憬と言った感じなのでしょうか。
さて、ライちゃん。本業に戻りましょうか。そのユンフォ様も待っていますよ」
「にゃ~、せっかく恋の話に持っていこうと思っていたのににゃ~」
ライはまたプウッと頬を膨らませた。
「じゃあ、ユンフォ様を待っている間にその話をしましょう。はいはい、帰りますよ~」
そう言ってちょんちょんと膨れたライの頬を、リコは優しくまたつつく。
「にゃあ、ワチシは『恋愛に鈍い』のアルセン様とリコにゃんに、恋に気がついて欲しいんだにゃ~」
ライが最後の抵抗を試みたが、
「恋は自分で気がつかないと、楽しくないとよく耳にしますので自分で努力しますね。さて、私も書類整理がそれなりに残っていましたから名残惜しいですが、執務室に戻ります」
アルセンもあっさり腰をあげたので、ライの抵抗は儚く終わりを告げた。
「にゃ~、つまんないにゃあ!」
ライはまだウサギの屋敷に居座ろうと最後の抵抗を試み、リコは困ったように形の整った眉を八の字にして、ライを宥める。
「ユンフォ様の意外な一面が知ることが出来て良かったでしょう?。どうしたのかしら、ライちゃんがここまでゴネるのは珍しい」
リコが本当に困ったという風に、相棒を見つめていると―――
「ああ、もしかしたら」
不意にアルセンは何かを察した様子で、白い手袋を嵌めた両手を"パンっ"と打ち鳴らし、音の波を広げた。
「にゃあ?!」
ライは音の波が届いた瞬間に、素早く瞬きを繰り返したと思ったら、頭をプルプルと激しく左右に振った。
「あら、いつの間に」
少し驚いた声を出したのはリコで、ライの体から緑色の精霊の細かい粒子がフワリと浮き上がる。
アルセンは次に指揮するように手袋を嵌めた指を軽やか動かすと、粒子はそれに従って散らばり空に紛れて消えた。
「魔術の才能に長けた方で鎮守の森の魔法屋敷にいたなら、よくある事です。
ライさんには恋人もいらっしゃるらしいですし、そう言った話もお好きな様子でしたから、精霊達が集まってきたんでしょう。
想像以上に波長がライさんとシンクロしたので、精霊達は調子に乗ってイタズラをしたのでしょうね」
アルセンはそう言いながら、目を細めて―――"視界"を変えて、ライにまだ精霊が残っていないか確認する。
「にゃあ、もう大丈夫だにゃあ~。そんなに見つめないでにゃ」
リコはライが素直に照れているのが可愛く思えて、微笑む。
「そうなると、『鎮守の森』は、ある意味気が抜けない場所なのかもしれませんね。気を許し過ぎたら、気がつかない内に自重ない行動をさせられているかもしれない」
リコは微笑むのを止めてから、拡散した精霊が"視界"を変えても確認出来なくなるほど、細かくなった後でも、用心深そうに周囲を見回していた。
「そんなに堅くなる事もありません」
慎重なリコに、アルセンは立ち上がり、強張った彼女の両肩をポンポンと後ろから軽く叩いた。
ちょっと驚いたリコが赤くなったのをライは見逃さなかったし、風の精霊の粒子がちょろっと姿を現して消えた。
だがアルセンはリコが赤くなったことなど、全く気がついていないまま、
「精霊も話が通じそうな『人』だとどうしても、甘えてきます。普通の人間関係とも、大差はないですよ」
と優しく語って、リコの両肩から手をあっさりと離してしまった。
リコは小さく安堵の息を吐いて、何とか顔が赤くなろうとするのを抑え、ライはつまらなそうな顔をする。
その間にアルセンは椅子にかけていた軍の外套をバッと、音をたてて見事に羽織った。
「――――こりゃ、リコにゃんよりこっちの「お兄さん」の方が強敵だにゃ」
つまらなそうな顔をひっこめて、ライは「ふむう」と声を出しながら立ち上がり、顎に右手を当てて考えこみながら、左手で椅子をしまった。
「お兄さん?。ライさん、私はもう30半ですよ。世間に言わせれば、"オッサン"です」
ライの発言を耳にして、外套の襟を正ながらアルセンはにこやかに笑いながら、自分の年齢と一般的な基準を語る。
リコはライのツッコミが思ったよりなかったおかげですっかり持ち直し、ライの王族護衛騎士専用で証である蝶の刺繍が施された腕章をテキパキと身に着けさせた。
「さっ、今度こそ本当に帰りましょうね」
リコがそう言って、ウサギの賢者の屋敷での「お茶会」は本当にお開きになった。