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【支度  その肆】

リコ、ルイ、グランドール。



"浚渫(しゅんせつ)の儀式"の為、3人の衣装あわせが新領主邸で行われていました。


「いたたたた!。帯を締めすぎだって、腹に食い込んで痛いって、アプリコット様!」

仮面をつけたアプリコットから、白い異国の着物を着付けられているルイが悲鳴を上げる。


「スマン、ゴメン、悪かった!。はい、謝ったから、引き続きいくわよ~。

ちゃんと締めとかない、すぐ脱げやすいからね―――ほらっ、背筋をのばすっ!」

「ギャッ?!」

再び帯をアプリコットにより締めあげられたルイが、潰されるカエルのような鳴き声を上げて、仮の着付けが終了した。

アプリコットが少しばかり離れて、全体的に姿を確認する。


「うーん、股下は長いからサイズを大きくして、上半身のサイズは一回り小さい方が合うかしら。

今時の子どもというか、スタイルも顔も悪くないから、ルイ君、実はモテんじゃないの?」

「んなこといわれても、わかんないっすよ、ってか、帯を緩めて欲しいっす」

仮面の領主のからかいの言葉にも乗らず、ルイは少しばかり青い顔で、きつめに締められた帯を撫でていた。


「ルイは朝飯を食い過ぎて、胃が出ておるんじゃろ」

グランドールは苦笑しながら、慣れた手つきで自身で儀式で使う異国の着物―――袴の帯を締め、サイズを確かめていた。

そして腕を伸ばすと、日に焼けた肘までが出ている。


「アプリコット殿、スマンがどうやらワシは上着の方がサイズが合わないらしい」

「はいはい、少々服を脱いでお待ちください~。

あ~、早くシュトこないかしら。私じゃ片付け無理だわこりゃ」

アプリコットは畳紙たとうがみから、新たに着物を広げて、ゴソゴソとする。


一応、"儀式"使う衣装や小物が簡単には纏めたり、畳んで置かれてはいるが基本的にゴチャリとしていた。


「アルセンの調子が良くなったら、片付けを手伝ってやるようにワシからも言っといてやろう」

アプリコットなりの"片付け"の様が、軍隊時代、同じ居室で過ごした鳶色の親友が"整頓した"と言い張る様子と余りに類似していたので、グランドールが思わず口にそんな言葉を出していた。


「心の底から、お願いするわ」

コンコン、と側に立てている衝立からノックの音がして、農家の師弟と仮面の領主がそちらを向いた。


「こっちは大体準備が出来たにゃ~。リコにゃんマジに天使だにゃ~」

「ラ、ライちゃん!ただ、水の大天使様の衣装を見につけただけだからっ!」

今、アプリコット、グランドール、ルイ、ライ、リコの5人がいる大部屋を区切る、とても大きな衝立の向こうから、リコの"衣装合わせ"を手伝うライの声が聞こえた。

そして、それにリコの照れる声が重なる。


―――新領主邸の隅にある建物。

そこには、初代の領主の時代から集められいる古今東西の魔術、秘術、呪術―――"術"の文字がつくもの研究がなされた物が集め、納められている大きな倉庫みたいなものだった。


アプリコットが言うには、東の国あるという"蔵"とよばれる建物を、初代領主が気に入り、此方の国の気候に合うようにアレンジして、造ったらしい。

管理をしていたのは、執事のロックだったが不在の為に、スペアの錠前の鍵を持つ前領主バンから許可を得て、開放した。


昼前から行われる"儀式"の為に協力及び参加をしてくれる面々が、そこに集まり先ずは衣装を合わせの状態となっている。


「しかし、話に聞いていた、あの貴族かぶれの農家の代表のオッサン、ここまでついてくるかなと思ったのに、ついて来なかったにゃ~。

自分の縁戚の奴とか、準備に押し付けて、グランドールのオッチャンの機嫌取りしそうだったのににゃ~。

意外だったにゃ~」

衝立の向こうから聴こえるライの声に、アプリコットがニヤリとして、ルイは何とも言えない顔をして―――グランドールは苦笑しながらも、ホッとしていた。



着付けの準備に取り掛かる前。

明朝にかけて、色んな事がありすぎて、"欠食児"状態になっていたルイ・クローバー。

腹が余りにも空きすぎで、記憶も、紅黒いコートを纏った鳶目兎耳を名乗る男に"報復"を受けた辺りから疎ら。

気がついたら、領主の部屋で、アプリコットの部屋でムシャムシャと郷土料理で、鶏肉の出汁が染み込んだライスボールを少年は、飲み込んでいる所だった。


そして無意識に"おかわりっ!"と側に立っている、多分ロブロウで一番偉いアプリコットに、空になった皿を差し出していた。


『代理領主、この少年は?』

『ん?オッサン誰?』

顔は如何にも農家な顔をしているが、無理に着飾っているようにしか見えない中年の男性にルイは漸く気がついた。

アプリコットは、中年の男性と飯にしか眼中にない少年を見比べ、仮面のから唯一見える口の端をニコリ上げる。


『こちらは、グランドール・マクガフィン殿の御養子になられます、ルイ・クローバー君です』

アプリコットの言葉に中年の男性は、わざわざ運んで座っている領主の椅子から腰を浮かすほど驚いて、朝食を貪る少年を見つめる。


『だっ、代理、それは本当か!?この、こちらの少年がマクガフィン殿の後継ぎに?!』

一方の"後継ぎ"と呼ばれた癖っ毛の少年は、無反応で食事を続ける。

ただ内心は、只の"生意気な子供"であるだけの自分を見つめ、アプリコットを軽んじる中年の男の態度が、何だか気にくわない。


腹に食べ物が入って気持ちが落ち着いて見てみれば、仮か代理かは知らないが、"領主"であるアプリコットが食卓についているその前でも、中年の男が帯剣したままである事にルイは驚く。


グランドールに"行儀が悪い!"と叱られる、匙をくわえたままの有体で、ルイは中年の男の無駄に豪華な帯剣を見つめていると、慌てて外した。

よくよく見てみれば、腰のベルトを剣を納める鞘を繋げる金具の部分は壊れているらしく、そこは器用に紐で結わえていた。


(そこまでして、アプリコット様の前で帯剣しねえといけねえのかな)

そして外した剣を当たり前のように、アプリコットに差し出した時には、流石にやんちゃ坊主も目を丸くした。

だがアプリ コットはルイが無意識でお代わりを要求した空の皿と、中年の剣を手に取ると立ち上る。


『ええ。代表、マクガフィン殿は、いずれ正式の手続きをなさるつもりみたいですよ。

それでは、"ご子息"がお代わりをご所望みたいですので、私は厨房に行ってきますね。

代表、ご子息のお相手を宜しくお願いします』

アプリコットがわざとらしく"ルイはグランドールの息子になる少年"をアピールをしてから、自室を―――領主の部屋を空の皿と代表と呼んだ男から預けれた剣を手にして、出ていった。


ルイは無意識ながらアプリコットに自分がお代わりを頼んでおきながらも、この中年の男と2人で残さないで欲しいと考える。


(まあ、飯を食ってりゃいいか)

少年はそう考えて、塩味のライスボールと漬け物で食事を続けた。


『ルイ殿』

如何にも"子ども"に向けた―――どこかで"どうせ子どもだろう"と馬鹿にしているのを感じさせる作り笑顔で、代表の男がルイに話かける。

そういったものを感じつつ、食事の時、親しい人以外とは口を聞きたくない少年は、少々鋭い目付きで、代表の顔を見た。


『―――何すか?』

腹の栄養が頭にも回り始めたルイは、尊敬し憧れるグランドールが、少し前に調子を崩したという話を思い出していた。


そして好漢な大男の調子を崩した原因は、怪我や病気とかではなく、"人の念"によるもの。

グランドールの親友であるアルセンが言っていた言葉で、勉強が苦手と自負する少年でも、察しがついていた。


(もしかして、こいつか?オレのオッサンの具合を悪くした原因って)

ただし、ルイには"面倒臭いし、煩そうな中年のオヤジ"位の印象しか受けず、グランドールが体調を崩す原因が本当にこの人物によるものかが、わからないでいた。

もしこの場に、魔術に長けたアルセンかネェツアークでもいたならば、代表の男の体から、無意識で出している自己顕示欲、優越感、欲に凝り固まった思惑 。


所謂、"負"の念がへばりつく泥とおりのように溢れているのが見える事だろう。

ただ、今はルイにへばりつこうとするが、少年の内面かあ溢れる"火"の気質は、泥と澱のような念を片っ端から乾燥させて土にしてしまっている。

そして、へばりつく前に、床に落ち、砕けているのを見て笑う事だろう。

乾燥して落ちた"負の念"は、水分が全くない故に、床に着いた瞬間に"粉砕"させている様も、見ていたならば拍手すら、送るかもしれない。


『ルイ殿とマクガフィン殿はご親戚ですか?』

この煩い中年男性から、"殿"付けを止めさせるにはどうしたもんかと考えながら、ルイは口を開く。


『違うっすよ。グランドールのオッサンが、災害孤児のオレを拾ってくれたんすよ』

"表向き"にいつも言うグランドールとの出会いの経緯を短く言って、"殿"付けを止めないかなぁと思いながら、ルイは食事を続ける。

一方の"煩い"中年男性は、縁も所縁もないと聞いて、大袈裟に見える程また驚く。


『それだけ何ですか?それだけで、ルイ殿を養子に?。本当に、何も関係がおありにならない!?』

『そうっすけど』

ルイの中で、ロブロウの農家を代表する男が"煩くては面倒くさくて、関わりたくない"と順調にランクアップしていく。

"負の念"でルイがグランドールのように参る事はなかったが、見えはしない"粉"となった"負"の念は辺りを舞っていて、気分的にも"砂ぼこり"の中で食事を取らされているような気分になっている。


『実は、ルイ殿が何処かの貴族の落としだねとか』

『落とし胤?オレが貴族のガキっ?!』

ルイからすれば、気持ち悪くしか感じられない笑顔を浮かべ、"大当たりだろう?"みたいな"念"を押し付けられて―――少年は鼻で嘲笑った。


『そりゃねーよ、まずない。オッサン、貴族の事は本当なら捻り潰したいぐらい"大嫌いだし"、ついでにあんたみたいな気取ったのも嫌いだから』

ルイは黙らせるつもりではないが、鬱陶しさの余りに、本音と事実を歯に衣着せずに言ってのけた。


『なっ!嫌いだと!?』

ひきつる中年を尻目に、ルイは口に残っている数少ない食事を黙々と食べながらも、"貴族が大嫌い、気取ったのは嫌い"を肯定する為に頷いていた。


『しかし、"グランドール"殿、御自身も貴族でいらしゃるでは』

この中年が親しさのアピールのつもりなのか、馴れ馴れしく急にグランドールの名前を呼ぶのに、ルイは視線を鋭くする。

しかし、こういった事には鈍いのか先ほど"気取ったのは嫌い"という言葉も忘れている様子で、ルイに説明しろと言わんばかりの態度なので、少年は呆れながらも口を開く。


『そりゃ国王様の命令だもん、仕方ねーじゃん。

爵位を断ったら王都にある、昔から使ってて愛着の下宿を没収する!って国王様から言われ、脅されて、仕方なく爵位を持ってるって、たまにぼやいてるし。

住む屋敷も、何とか固辞して王都の外に建てたぐらいだから』


グランドールは"大戦での功績""大規模な自然災害での活躍"で、国から多くの土地や名誉を屋敷やら下賜されるが、"土地や名誉で腹は膨れない"と、土地はあっさり開墾してしまっていた。

貴族の中にはそれを"国王に対する不敬だっ!"という声も多少でたらしいが、国王ダガー自身が


『"マクガフィン公爵"に下賜した土地をどう使おうと、彼の勝手だろう』

と笑いながら言ってしまったので、開墾に関してはそれまでとなってしまった。


『―――まあ、国王が"貴族への報奨"で用意している土地を、開墾せよとは言えないからのう』

グランドールがそんな風に語るのを聞いて、ルイにも国王が農地を広げさせる為に、わざと農家出身の英雄に広大な土地を下賜したのが分かった。


そして住居にするようにと賜った、だだっ広い屋敷は、外観と主の部屋と客室だけを立派に残して、中身は悉くグランドールは改装してしまっている。

 その改装してしまった屋敷には広大なセリサンセウムという国の田舎から出てきた者や、災害で身寄りがなくなった者を主に住まわせている。


ただし無料という訳ではなく、住み込みで農業の手伝いをさせ、ついでに学ばせたりもしていた。

あくまでも、身持ちが安定するまでの場所として、改装して"寮"として住まわせているのが現状である。

ただ、住めるのは独身で年は孤児院を出される15才から30才迄と決めており、寮に入るにしてもグランドール直々に面接が行われて、誰でも彼でもというわけではなかった。


農場主自ら面接をしていて希に"農業よりは兵士向き"という人材に出会う時もある。

そんな時は、その旨を当人に伝えて、当人が兵士という職業に興味が湧いたなら、軍人であるアルセンに渡りをつけて、軍に入隊させてしまう事もあった。


実はこの話は"王都"においては結構有名な話で、就職に悩む若人がまずは、

"マクガフィン農場で、グランドールに面接をして貰ってから就職先を決めよう"

みたいな事が一時期頻発していて、大農家自身は、苦笑いを浮かべている事もあった。


ルイが軽くその事について話すと、中年の男はまるで初めて聞くような反応をしていた。

いずれ国を代表する大農家の息子となる少年は、この男が、グランドール・マクガフィンという人間に全く信用されていないのを確信する。



『えっと、あんた代表さんだっけか?。オッサンとどんな話をしたんだよ』

男はどうやら、マクガフィン農場の跡取りが、自分に興味をもったと前向きな誤解をした。


独壇場の如く朗々と"ロブロウ"における男女のあり方や、今の領主は自分がいるから持っているようなものだと、語ってくれた。

そしてルイは話を聞きながら思う。


(マーガレットさんの生チョコのお菓子が食いたいな)


ルイの中にある"火"の気質を越える勢いで、中年の男はグランドールを参らせた"負"の念がたっぷりとこもった自分の功績や理念を語り続けていた。


『で、ルイ殿は如何思われますかな』

ルイの"火"の気質が危うく根負けしそうになった時、漸く中年の男の言葉が止まって、大農家の跡取りとなる少年に感想を求めた。


『あー、グランドールのオッサンは間違いなく、あんたと考えが合わないというのだけは分かる。で、多分嫌いなのもわかる』

(暴れないだけマシだろ)

そう思いながら、ルイは口を開いた。


又しても容赦ない言葉に、中年の男は顔を真っ赤にした。

凄い形相で、食事の方しか見ず、自分を見ない、興味を持とうとしない癖っ毛の生意気な八重歯の坊主を睨んだ。

しかし、生意気な坊主の"立場"を思い出し、なんとか顔の筋肉をひきつらせ、笑顔らしきものを浮かべる。


そしてルイ――というよりは、完璧にグランドールの"養子"に自分と同じ価値観を持つように仕向けようと、話しかける。


『すんません。オレ、朝に運動しすぎて疲れてるし、腹が空きすぎて機嫌が悪いんです』

"出来ればあんたとも喋りたくない"

その言葉は辛うじて喉元に押さえ、断りをいれると、中年の男は何だかまた余裕を取り戻したような顔になってしまっていた。


どうやら先程のルイの暴言、

"あんたと考えが合わないというのだけは分かる。で、多分嫌いなのもわかる"

空腹ゆえの、"暴言"だと捉えた。

ルイはそれを中年男の表情を見ることによって察し、心の中で嘆息する。


(何て言うか、どうしてこんな無駄に自分に対して"自信"があるんだろうな)

半ばその前向きさに感心しながらも、もういっその事この中年を一発殴るなり、顔面に靴底をめり込ませたなら、黙ってくれるのかという考えをやんちゃ坊主はもってしまう。


勿論考えるだけで、それはグランドールに迷惑を絶対にかけてしまうと分かるというのも、解っている。


『グランドールは、『好きな人』から頼られるのは大好きな変わり者です。

だから、ルイ君はグランドールが弟子として甘えてもいいんです。

けれど、今回みたいな『度』が過ぎる事は控えなさい。

何がどう繋がって、結果的に大切なものを傷つけてしまうか分からない、そんな世界です』


(昨日言われたばかりだもんな)

アルセンから言われた言葉を思い出して、とりあえずルイは食事を続ける。


肉や主食は平らげてしまって、あとは根菜、蓮根や牛蒡を薄くスライスして、甘辛く炒めたものばかりが残っていた。

いつもなら野菜の名前がつくものは、グランドールに小突かれてからか、リリィに見られているかでもしないと絶対に口にいれない。

しかし今日は、ルイは自分から口にする。


 (このオッサンと口を利くよりはマシだ)

その一心で、取り皿にトングで根菜を移し、ルイは先ずは少な目に口の中に入れて食べ始める。


(あれ?)

歯で咬み、舌で味わいながら、もう一口、今度は多めに含んだ。


(思っていたよりも旨いな。ライスボール、いや、普通のライスのおかずにしたら、結構いけるかも)

一応マクガフィン農場で働いている少年は、好んで食べはしないが、野菜がどうやったら美味く食べれるか考えていたりはするのである。

竈番のマーサの味付はルイと相性が良かったのか、蓮根や牛蒡の歯応えがあって、野菜嫌いの少年は思っていた以上に食が進んだ。


歯応えがある小気味良い根菜を、咀嚼する際にバリバリという音がするので、"食べているアピール"も成立している。

中年の男も、ルイが感慨深く美味しそうに食べる姿にに、話しかけづらい状態になっていた。


野菜の"恩恵"で気持ちよく食事が進むので、少しだけ笑って食べる。


(オレ、この野菜なら好きになるかもな)

味もあるが"きっかけ"で野菜が―――苦手なものが好きになる経験をルイは産まれて初めてする。


『貴族が嫌いと言えば、それでは、グランドール様はパドリック様とご一緒の部屋になって、大層気詰まりな思いをされているのではないのですか。

代理の領主はやはり気が利かないな!私が一言言っておきましょう!』

そして、"ほとほと呆れる"という体験も産まれて初めてしていた。


気持ちよく食べる食事を、またしても横にいる中年の男によって邪魔されて、ルイは思わず―――盛大に舌打ちをした。

この舌打ちは、グランドールの"大嫌いな貴族"と接触した時に鳴らすものと瓜二つで、十分に代表の男を威嚇して怯ませる事に成功する。


『一応言っとくけれどもさ、グランドールのオッサンとアルセン様、親友っすよ。それこそ、2年前に拾ったらクソガキより、オッサンは何かあったらアルセン様を選ぶっすよ』

そう語りながら、ルイは楽しそうに話している、グランドールとアルセンが容易に想像出来る。


『しかし、先程グランドール殿は、貴族が嫌いだと、ルイ殿が』

グランドール直伝の舌打ちに怯えつつも、中年の男が言うとルイは癖っ毛の頭をボリボリと掻いた。

テーブルに並べられていた朝食は、全てなくなっている。


"食事をしているから"というスルーを使う事も、もう出来ない。


(このオレに、理詰めの説明をさせるつもりかよ、この馬鹿オヤジは)

少年は自分ほど"理屈"を語るのが似合わない奴はいないと、思っている。


人に染み入る言葉を語り、説得させるのは"大人"の役割と、子どもなりに分を弁え控えているつもりだった。


(オッサン、生意気してゴメン!)

ルイはワシャワシャと両手で、自分の癖っ毛の髪を掻いてから、思いっきり立ち上がって八重歯が特徴の口を大きく開いた。


『あんたさぁ!。少しは自分で考えて、話の内容とか、周りの人の事とか見ろよ!。

そんな様子だと苦笑い浮かべているオッサン、グランドール・マクガフィンが仕方なくあんたの言葉に付き合ってるのも、まーったく気がついてないだろっ?!』

突然の大農家の"息子"になるであろうと言われる少年からの鋭い舌鋒ぜっぽうに、思わず代表の男は椅子から仰け反り落ちそうになった。


しかし、先程執事見習い、シュトから、受けたと表現するのがあっているか解らないが、激しく打ち付けた後頭部の事もあって、ずり落ちるのは何とか堪える。


『何を、いきなり言い出すんだ?!』

代表の男は、"ただのガキ"なら、罵詈雑言で言葉を返してもいただろうが、目の前にいるのは"英雄グランドール・マクガフィンの息子"となるかもしれない子ども。

乱暴な言葉が吐けない、と下手で余計な知恵を働かせて、それがまたルイを苛つかせた。


『いきなりじゃねえだろ!。こうやって今のオレみたいに、はっきり言わなくても、グランドールのオッサンなら、同じ農家として何かやんわり言っていたはずだ!。

でも、あんたは多分都合よく曲解して、聴いちゃいないだろう!』


こういった大人を、ルイは数回見た覚えがる。

そしてその度に尊敬するグランドールが、苦笑を浮かべながらやんわりと窘めるのを見て、苛立ちも覚えてもいた。

こんな"大人"は、自分やプライドが第一で、周りの戒めなど耳を貸さない。


いざ失敗や不都合な事があったら、見下している相手や、自分より立場の弱い押し付ける。

周囲に迷惑ばかりかけている癖に、自分が一番苦労をしている様に言いのさばる。


(こんな奴、オッサンが一喝すれば済むことなのに)

問題の元凶に丁寧過ぎるのを、少しだけグランドールに改めて欲しい、そう思ってルイは一度言った事があった。


その時に、グランドールはやはり苦笑いをしながら大きな口を開いて、"ルイ"を説得した。


『ワシが一喝して、確かにその場は治まるし、日頃不満を抱いているいる者は溜飲が下がるかもしれない。

だけれども、それじゃ根本は解決はしないだろう。

身近の周りが、

"自分達の言葉は聞いて貰えない。

英雄グランドール・マクガフィンの言葉なら耳を持ってだろうからお願いします"

で、ワシがノコノコと毎度出ていって一喝する。

しかし、実際話は聴いちゃいないんだ。

ワシが"英雄で大農家"である強そうな大男だから、取り敢えず萎縮して、暫くは大人しくなる、それの繰り返しにしかならない。

だったらワシが、本当にするべき事は、身近にいる人たちの話が聞けるように促し、気付かせること。

そして自分のいる環境の"有り難み"を話を聴かない奴等に解らせる事だ』


でもさあ、オッサン。

オッサンを呼ぶ奴等もさ、オッサンに使ってただ溜飲下げたいだけかもしれないじゃねえか。

別にそこまできっと期待してないんじゃないか?。だからさ、手短にデッケエ声で。


『じゃあ、ルイ。"大農家グランドール・マクガフィン"とは何だ?』


え、 だから国を代表する農家で、皆から尊敬されてて 、好漢で、面倒臭い奴すら黙らせる事が出来る―――


そこでルイは口を紡ぐ。

"これじゃ、グランドール・マクガフィンは都合の良い"道具"みたいな"物"みたいな扱いじゃないか"


気が付いた少年にも、グランドールは遠慮なく言葉を投げ掛け続ける。


『じゃあ、ワシの意思や気持ちは何処にある?。ワシは、求められればそのようにだけ振る舞えばいいのか?』


だから、その―――、ゴメン、オッサン


『ははっ、スマン。少し、大人気なかったかもしれんな』


闊達に笑うグランドールに、少しだけ怖い気持ちでルイは尋ねた。


オッサンは"好漢"であることは嫌なのかよ?


『そうだのう、嫌と言うわけではないが、たまにな。上手い例えが解らないが。

サイズはあっているかもしれないが、たまに身に付ける場所が少しだけズレてしまって、そのズレがとても気になってしまうような感じかのう。

周りからみたら、大した事がないだろうってな事なんだが、身につけているこっちは本当に気になって仕方ないんだわい』

大きな手が、ルイの癖っ毛の頭を撫でた。


『だから、ワシは誰もが必要以上に"好漢"や"良い人"の仮面をつけなくても大丈夫な世間になるように、努める。

別に"大農家グランドール・マクガフィン"なんか要らない国になればいいとな。

何かよほど恐怖を与える存在がなくても、

"互いに言葉を交わしあえば"揉め事も争い事もない世界になれば、

"英雄も要らない世界になって"、親友たちと何の遠慮なく馬鹿をしあえる世間になればな』

そこまで言って、グランドールは大きな口を閉じていた。


『今ままで言った言葉は、ワシの理想論で大農家の跡を継いでくれそうな"ルイ・クローバー"だから語った言葉だ。

間違っても、他言は無用だ。

特にワシの"親友"という男には、語らんでやってくれ』


心配するから?


『そこまで解ってくれているなら、やはり大農家を継がせるのはルイに決まりだのぅ』

逞しい白い歯を見せて、グランドールは未来の"息子"に向かって笑って見せた。


―――だから、こんな大人に"人"に腹が立つ。


"どうして言葉を受け入れない?!"

"どうして聴こえる耳があるのに、使わない?!"

"どうして、争うべきではない事で意見を尊重しあうだけの事を、譲り合う事を敗けだと考えている?!"



『グランドール・マクガフィンに近付きたきゃなあっ、自分に与えられた褒賞でもなんでもに執着しないで、分け与えてやれ。

死んだら金も名誉も誇りも、何だってもってはいけないんだ!。

だったらあんたが世界から消えた時、残った世界で関わった、世話になった人達が苦労なんかしなくて済むようにやってやれ!。

そしたら幾らでも"生きていた世界"であんたは偉大な存在だったと残った人達が、あんたを崇めてくれるだろうよ!』

余りに激しいルイの剣幕に、ずり落ちまいと努力した豪華な椅子からも代表の男は、遂に落ちてしまっていた。


(あ~やっちまった)

そうは思いながらも、後悔はしていない。

これで恩人となる人が、大切な友と気楽に暮らせるなら、自分はどんな風に―――"クソガキ"と思われたって構わない。


例えその大口が"グランドール・マクガフィン"という後ろ楯があるから言えることだろうと、思われようと。

これが自分の"役目"だと勝手に思っている事にルイは気が付いた。


――――コンコンっ


『おかわり、お待たせいたしました~。

おや、ルイ君は立ち上がり、代表は床に座り込まれて何かありました?』

わざとらしい台詞をはいて見計らったに違いないタイミングで、仮面をつけた女領主は戻ってきていた。


『ルイ君、お肉たんまりマーサが作ってくれたよ。それと、"お義父さん"もご一緒よ』

『アプリコット殿。せっかく"息子"が頑張った場面で、ふざけるのは止めたら如何なもんかの』

アプリコットの後ろに、帯剣をしたグランドールが湯気が昇る皿を抱えて立っていた。

ルイの気のせいでなければ、"オッサン"は少しばかり疲れているようにも見える。


『まあ、確かに誰が言うよりも、ルイ―――"ワシの息子"が言うのが、代表殿の耳にも心にも一番届いた様子だな』

アプリコット、グランドールがそれぞれ皿を抱えて、ルイて床に座り込む代表の男の前までやってきた。


『―――大農家殿、この少年、ルイ殿は』

床から何とか立ち上がり、代表の男は必死に"考えて"言葉を探す。


"失礼にならない程度でいて、でもロブロウの農家の代表のである自分に対して余りに不敬な態度を、謝らせたい"

"しかし、国を代表するグランドールに、自分の印象を悪くはしたくはない、そんな気持ちにまみれている"


『代表殿、ワシも"息子"と同じような事を、研修の世間話の間に、語ったつもりだ』

グランドールが苦笑しながら言う言葉に、代表の男は口を開けて固まった。


『ええっ?!私と同じ考えでは、笑って頷いて、いらっしゃったでは』

そこでルイの言葉が頭をよぎる。


"そんな様子だと、苦笑い浮かべているオッサン、グランドール・マクガフィンが仕方なくあんたの言葉に付き合ってるのも、まーったく気がついてないだろっ?!"


今度は苦笑いをせずに、大農家は溜め息をついていた。


『どうやら、ワシの言葉は少しも理解して、受け入れて貰えてはいなかったみたいですのぅ』

グランドールが、代表の男から視線を外して、ルイの前に肉が盛られた皿を置いた。


『私の言葉、アプリコット・ビネガーの言葉は、"出来損ないの女で更に御面相はバケモノ"だから、尚の事話を聞けない。

でも、魔術に関しての"技術"は初代譲りのそれなりに出来る"奴"、利用価値があるから、領主に据えてやる。

いや、"代理領主にしてやった"のかしらね、代表殿』

ロブロウの郷土料理の出汁が効いたライスボールが載った皿を卓の上に置いて、農家の代表の前で、アプリコットは初めて仮面を取った。


そこにはロブロウでは表だっては言われないが、領民の殆どが知っている、有名なケロイドにまみれた女性の顔がある。

でもこのケロイドのおかげで、領主として受け入れられ、上手に"利用"されている面も、先程アプリコットが言っていたようにあった。


『そのような顔なら、色恋で迷うことも――男から、相手にされる事もないでしょう。

魔術や魔法に優れているなら、何かの時に、領民を守るために戦えるし、災害の時は初代が研究した、術も扱える。

"代理"にしておくのに丁度良い。

いずれ、兄上達も戻られた時の、それまでの領主です。

領主に何かあった時は、私が責任を持ちましょう。

周りを説得させる為に、失礼な事を申しますが、お許しください』


アプリコットを領主にする為と代表の男はそう言ったが、ケロイドの自分の顔を蔑んでいるのが、"禁術"で心を鈍くさせられていても感じる事が出来た。


『―――責任を取るつもりなど、微塵もないのに、度量の広い"男"をみせる為に、周りから敬意を集める為に、そうのたまった。

でも、お陰さまでお祖父様が望んだ直系の"血"が代理でも、跡目をとりあえず継げたのだけれど』

アプリコットが微笑んで、口元以外のケロイドにまみれた顔を、近づけると座り直そうとした椅子からまた中年の男はまた椅子からズリ落ちる。


『前領主バン・ビネガーの言葉は、幼い頃から叔母達に言われていた

"バンは、優柔不断だから"という言葉真に受けて、その話も聞こうとしない。

けどね、貴方の思惑で据えたと思っている傀儡かいらいの領主アプリコットの"座"は、バン・ビネガーが裏でしっかり糸を繰っているの』

バン・ビネガーが影でこの代表に"忠実な従者"と思わせている男に唆せ、言いつけたのをアプリコットは知っていた。


ロブロウの"領主の座"をいつも贔屓されている、たった1人の男兄弟から奪おうと結託した叔母達は、まずアプリコットの2人の兄に遊学を進め、連絡を取りにくい遠方へとロブロウから追い出した。

兄2人も、いい加減に叔母達から諍いをかけられる領地にいる事に嫌気を感じ、半ば進んで出て行った。

叔母達はアプリコットの事も、ロブロウから出そうとしたがら、それだけはシネラリアが頑として譲らない。

流石の叔母達も、シネラリアの少しだけ狂気すら匂わせる険相に、アプリコットをロブロウから出す事はできなかった。


そして兄達を出して半年も経たぬ内に、領主となって数年しか経たないバンに領主交代を叔母たちは迫った。

バンは昔から身体が弱かっただの、落ち着かないなどと、最早形のない理由と"偉大な前領主の娘"という立場と姉妹の数で押しきろうとする。

寡黙な領主バン・ビネガーは、父から引き継いだ旧領主邸の書斎で"戦駒"の本を読みながら"独り"で駒を指しながら、娘に告げる。


『農家の代表を、"アプリコット・ビネガーを代理領主"を推薦する責任者になるようにしました。

とりあえず、落ち着くまで貴女がお人形さんになっていなさい。

私が領主としての"勤め"をする事も、叔母さん達は気に入らないらしい』

そして、如何にも代表の男のお陰でアプリコットは代理の領主の座を得たといった形で、領主になってから数年しか経たぬ父から、座を引き継ぐ。


それが気に食わない叔母達は、代理領主に無実の罪を着せようとするが"返り討ち"にあって、4名は処断された。

しかし4人を処断した結果、自分の傀儡であるアプリコットが更なる権力をつけたと、代表の男を増長させる事にもなっていた。

益々、誰の話も聴きはしない。


『初代のピーン・ビネガー の著書すら、老いぼれの戯れ言だと、見向きもしない』

そう言ってから、アプリコットは銀色の仮面をまた身に付けた。


『なら、代表。貴方はいったい誰の言葉をなら聞いてくれるだろう?。

私なりに考えて、グランドール・マクガフィン、大農家殿の、跡継ぎの少年の力をお借りしたの。

いつも貴方は、相手が"○○だから"と形を決めつけてからしか、話をしない。

だから、まだ定まらないけれど、あなたにとって有利で利益を産みそうな存在、けれどもまだ"おべっか"を使うべきか否か。

常に、"考えながら"話さなければいけない。

貴方に利益不利益を計算させるんではなくて、"考える"という行動をさせる為に、ルイ君を利用させて貰った。

私としては、気儘の少年が実は結構理論派で、ルイ君の"父親"への尊敬の念を見れて楽しかったけれどね』


『いや、あの、オレはオッサンが継いで欲しいなら、継ぐけどさ。

もっと、相応しい人がいるならそれで従うし。

オレは、オッサンが大切な人と暮らせればそれでいいんすよ』

アプリコットが自分を利用したという事よりも、グランドールと"親子"と言われる事に、ルイは照れている状態だった。


『それにさ、オッサン何か疲れてるだろ!?。

顔に出てるぜ!!だから、オッサンも一緒に肉を食おうぜ、肉!』

グランドールが本当に幾分か疲れているように見えるのと、照れ隠しも兼ねてルイはまずは自分から椅子に座って、肉に食らいついた。

もう自分の事など全く意に介してない、ルイの様子に、代表は"考えて"気がついて、床に座り込んだままとなる。

本当の自分は、"オレみたいなクソガキ"と自負している子どもからも認められていない、それを目の当たりにさせられた。

ロブロウの農家の代表を"誇り"にして、アプリコットも自分を認めて言いなりになっているとばかり信じていた男は、深く項垂れてしまう。


そして、優柔不断で昼行灯ひるあんどんとばかり思っていた人こそは、その実、自分を良いように使いあしらっていた事を初めて知って、ショックも受けていた。

ふと考えて気がつけば、気がつくほど、自分という人がやって来た振る舞いが、情けなくて、堪らなくなる。

王都からわざわざ来た、農家出身の英雄と心を交わしてばかりと思っていたのに、その実は呆れられて、溜め息まで吐かれた。


―――考え、気がついた今は、同士と勝手に思っていてしまった過去の自分を殺してしまいたい。


『代表。いや、ムスカリ殿』

アプリコットが座り込む男、周りに無理強いにするように"代表"と呼ばせていた、男の名前を領主の座についてから初めて呼んだ。

しかし、ムスカリは"代理"領主に呼び掛けられても何も言わずに、まだ項垂れている。

アプリコットは済まなそうに、グランドールを見上げた。


(多分ムスカリ殿の"これから"のアドバイスを、グランドール殿なら、出来ますよね?)

現在、ネェツアークと記憶を共有する状態にあるアプリコットがそう言った視線を向ける。

鳶色の男の中で、若い日に褐色の男と、緑色の瞳をした綺麗な少年が、互いにわだかまりを乗り越えて"親友"となった記憶がある。


それは鳶色の男の中で、大層大切そうに記憶の中に仕舞われていて、かけがえのないものに見えた。

アプリコットに助力を求められたグランドールは、項垂れている男に少しだけ、昔の自分を重ねる。


誰が何をなんとも言おうと、曲げたくない信念を持っていた。


それを続ける事で強くなった自分がいたから、中々"全ての貴族を憎む"事を止める事が出来なかった。

 ムスカリも"代表"を名乗る事で、ロブロウの農家を引っ張ってきたのだろう。

自慢話や価値観はとことん合わなかったが、ロブロウの農家の先頭に立って引っぱる―――牽引の力をムスカリにはあった事は、グランドールも認めている部分があった。


『急には無理かもしれないが……まずは、そこから、"聞く事"から改めたらどうかな。ムスカリ殿』

グランドールに名前を呼ばれて、ムスカリは漸く項垂れていた頭を上げた。


『長年、染み込ませてしまった習慣や思い込みを、自分の中から払拭するのが難しい』

昔の自分を思い出しながら、グランドールは口を開く。


何も悪くない、自分を慕う後輩をただ"貴族だから"と傷つけてしまった過去。

出来る事なら消してしまえるなら、消したい出来事を考えるグランドールの浮かべる表情は、ムスカリの琴線に触れるものがある。

力のない顔ながらも、日に焼けた顔を見上げる事が出来ていた。


ムスカリが、今はしっかりと自分の話を聞く覚悟が出来ているのを確信して、グランドールは言葉を続ける。


『長年続けて、自分の"芯"でもある事を取っ払っていくのが難しい事を、ワシは身を持って経験してい るから、分かるつもりだ。

だがな、決して出来ない事でもないということも知っている』


『マクガフィン殿が?難しい事などあったのですか?』

ムスカリが驚いて、誰からも慕われていると名高い、日に焼けた男を見上げた。


『ああ、さっきルイが―――息子が言っていたじゃろ?。

ワシは、貴族が大嫌いだが、今、一番の親友は貴族、アルセン・パドリックだと』

『んん!?』

グランドールの言葉に、ルイが照れ誤魔化しの為にもりもりと食べていた、鶏肉を揚げていたものを喉に詰まらせた。


真面目に話していた雰囲気を壊されながらも、やれやれと、息子の背中をバンっと笑いながら大きな掌で叩く。

肉の塊を何とか呑み込んでルイは、グランドールを見上げ、へへっと笑いながら頭を掻いて、それから照れながら尋ねる。


『オッサン達、オレがそんな事を言っていた頃からいたのかよ』

『まあな。そして耳が痛かった』

『ん。どうしてだよ』

そこで"しまった"という様子で、グランドールは大きな手で自分の口元を覆う。


『ああ、つい先程大農家殿と綺麗な貴族様は、喧嘩をしなさったわけなのよ。

それで、疲れて見えるのは"何であんなに意地を張ってしまったんだ、ワシの阿呆"という自責の念による心労からね。

本当は喧嘩なんてしたくなかったのに、喧嘩をしてしまってるから余計疲れて見えるかも。

パドリック殿と仲直りするまで、こんな疲れている顔は続ける模様』

厨房からこちらに来るまでに、シュトと擦れ違い、執事見習いがあまりに穏やかな顔をしていたので、その経緯を"報告"をさせる。


そして貴賓室で行われたという"夫婦喧嘩"の話を、ロブロウ"代理"領主の解釈を加えて説明をした。


『アプリコット殿』

サバサバとした言い草ながらも、全て自分の気持ちを言い当てているので、グランドールは本当に困ったという顔をする。


『いいじゃない。そんな"顔"が出来る相手と、親友と出会えるなんて多分人生じゃ、本当に好運な出来事だと私は思うもの。

本当に、羨ましいんだけれどね』

アプリコットの言葉に、グランドールは更に困った様子になった。

そして、2人のやり取りは、今まで虚飾の"農家の代表"という名前にへばりついていた、ムスカリの心から、何か大きな"棘"のようなものを抜く。


棘が抜け、嫌な"膿"が抜け出ているように、妙にさっぱりとした面持ちで、日に焼けた男をムスカリは見つめ上げている。


『互いに互いを大事に想いすぎて、喧嘩になったんでしょう?。

喧嘩が出来る程の仲良しなんでしょう?。私には、本当に羨ましくて仕方がないけれど』

アプリコットが再び羨ましいという言葉を繰り出した時、今度はルイが口を開いた。


『互いに互いを思いやっての喧嘩ってなんだ?。

つか、本当にアルセン様とグランドールのオッサンが、喧嘩なんてするのかよ』

ルイはからかうつもりなどなく、心の底から驚いている。

驚いていながらも、しっかりと肉を食べているので、グランドールから行儀が悪いと小突かれる。


ただルイが"食べる"という行動を続けるのは、グランドールとアルセンが喧嘩しているという"ショック"を誤魔化す為にやっている事に、アプリコットだけは気がついていた。


(ルイ君の前じゃ、完璧な大人でありたいわけだ。リリィちゃんの前の、ネェツアーク殿みたいなもんね)

人間観察が趣味となっている女領主は、いずれ師弟から、父子になるグランドールと少年を見比べる。


『アプリコット殿の言う喧嘩は、もうワシがアルセンに謝ることを決めている。

だから何も心配はないし、発展もなにもない。それだけで終いだ』

自分が見比べられているのが判りながら、話を打ち切るようにグランドール言うと、アプリコットが腕がおもむろに腕を組む。


(奴が増殖したみたいだな)

"本当にそれでいいのか?"

女性領主は言葉でなく体現で、グランドールに尋ねるが、心の中に響くその声はよく見知った男の声だった。

姿は貴族専用のオリーブ色をした軍服を身に付けたアプリコットの筈なのに、もう一人の親友、愛用の緑色のコートを着て、不貞不貞しく笑うネェツアークを彷彿とさせる。


『いつもオッサンから謝るのか?。それってさ、アルセン様がきつくならないかな?』

小突かれた頭を擦りながらも、肉に手を伸ばすのは止めずに、少年はそんな事を言う。

ルイからの言葉が意外すぎて、グランドールは暫く瞬きを繰り返す。


『どうしてだ?。仲直り、というか、無闇な諍いを続けるよりは良いだろう?』

『だってさあ、"好きな人"から、謝れるわけだろ?』


"好きな人"という少年の言葉に、褐色の大男がみるみる赤くなって、口を開こうとする。

しかし、アプリコットがバッと手を出して"待って"と仮面越しにグランドールを制した。

その仕種もネェツアークがその場にいたならば、恐らくしただろうと20年来の親友は感じ入って、思わず従い動きを止めた。


(変な意味で邪推は誰もしないから。そこにいるムスカリ殿だって、今ならは"クソガキ"の言葉すらしっかりと聞けるはず)

アプリコットはアプリコットで"ウサギの賢者"と共有状態である"視界"で、ムスカリからあれほど溢れでていた"泥"や"澱"が全く出てこなくなっていた。


それが確認出来ていたので、ルイにそのまま"アルセン側"の心情をグランドールに知らせてやりたかった。


『オレからすればさ、リリィが悪くないのに、リリィに謝られているわけじゃん。好きな人にそんな事をさせる、自分が嫌になっちまうよ』

その言葉で、いつも謝っていた時に親友の少しだけ寂しそうな顔をしていたのをグランドールは思い出す。


『じゃあ、どちらも悪くないならどうすればいい?』

グランドールが尋ねると、ルイは普通に答えた。


『そりゃ、2人で決めれば良いことんじゃねえの?。オレとリリィなら~。うん、ケンカするの、オレが面倒くさくなっちまうかな。怒った顔も可愛いけど、笑ってる顔の方がいいし。

んで、仲直りのきっかけは、どっちも悪くないなら、謝るんじゃなくてまた普通に話かける』

今度はルイがアプリコットのように腕を組んで、うんうんと頷いた。

それから思い出したように、頭を上げた。


『つか、さ。何かリリィは、ケンカ事態が大嫌いみたいだからなあ。

ケンカになりそうになったから、リリィが我慢してしまうかもしれないもんなぁ。

リリィに我慢させないようにしないといけねーな。うん、上手にケンカしたい!』

そう言い切って、尋ねたグランドールを見上げた。


余りにも明快な答え方に、苦笑する。

そして、そう言った考え方が出来る少年はいずれ自分より"大物"になるような気がして、とても頼もしくて嬉しかった。


"ルイ・クローバー"なら、"グランドール・マクガフィン"みたいな間違いで大切な人を傷つける事はない。


(ネェツアーク、案外本当にリリィ姫には、ルイが合っとるかもしれないぞ。

少なくとも、ルイならリリィに卑怯な傷はつけない。

過去に言い訳をして、問題から向き合うのを逃げるような、ワシのような事はしない)


『"上手にケンカ"、か。何だか良い言葉ね。

でも、―――もう"ケンカ"で治める事が出来ない事起きてしまっているの』

不意のアプリコットの言葉に、今までの雰囲気が一気に変わった。

腕を組む女領主は、口元に笑みを刻んで立っている。


『だから、あなた達にある秘密を特別に教えるから。いきなりで悪いんだけど、少しばかり御手伝いを願えるかしら』

アプリコットはそう言ってから、再び、今度はゆっくりと仮面を外す。


"一体何の秘密なのだ?"と、グランドール、ルイ、そしてムスカリすら顔を見合わせて仮面を外すアプリコットに注目した。


『取り敢えず、この秘密はこの後の浚渫に参加する人員には知らせておこうと、"打合せ"で決めた』

そして銀色の仮面が外れたアプリコットの顔面にケロイドはなく、滑らかな肌が出てきた。


ただ額には、薄く線のような傷跡がある。

息を呑む、そんな風に表現をするのがぴったりな雰囲気が、領主の部屋を占めた。


『代理、いいや、アプリコット様、その顔は"エリファス"殿?!』

ムスカリは数度だけ見かけた、半年前にアプリコットが招いたという"20年前からの親友"の顔に、少しは覚えがあった。


ただ顔は確かに似てはいるが、体格や髪型はハッキリと違うので、直ぐに別人であると、初見の時のシュトと同じように、ムスカリにも分かった。


『―――いや、本当によく似てはいるが、違うのか?』

ムスカリが代表するように、アプリコットの素顔を見つめて喋る。

ルイは再び食べようとしていた肉を噛もうとする口を開けたまま固まり、グランドールは額に険しく皺をを刻む。


『どういう事だ!』

グランドールが怒声をあげる。

嫌な、悲しい予感が逞しい胸を占め始めて、止まらない。


『どうもこうも―――"こういう事"でしかないわ』

グランドールにとっては、妹と同じように思う、"エリファス"にそっくりな女性が仮面を手にして、笑いながらそう言った。


『これがケロイドの取れた私のアプリコット・ビネガーの素顔という事。

ただ言えるのは、私の顔がエリファスに似たんじゃない。逆もまた然り』

アプリコットよりも、妹の"エリファス"の存在に赴きを置く男に、事実を告げる。

『"エリファスの顔"も"アプリコットの顔"もどちらも似た訳じゃない。

"元"が一緒だっただけの事。そうとだけ言わせて貰います』

そう言うとアプリコットは再び仮面を着けた。

そうされる事で、グランドールはアプリコットに大層気を使わせてしまっている事に気がつく。


アプリコットはグランドールの気持ちの為に、顔の居場所を今は"エリファス"に譲った。


『元が一緒と仰有られても。それなら、エリファス殿はバン、御館様とシネラリア様との子ども?。

しかし、シネラリア様はアプリコット様を含めて3人のお子様だけを』

ムスカリはそう言いかけて、"バンは優柔不断だと"自分に吹き込んだアプリコットの叔母達の笑い声を思い出した。


"本当に、畑が残念だったんでしょうね"

"畑がしっかりとしていないから"


芽生えて日の目を見る事が出来なかった"種"の責任を、畑―――シネラリアに押し付けていた。


『まさか、そんな確か、ただ"残念な事"になられたと』

散々に畑を踏み荒らしていた、女の幼なじみ達。

用もないのに嫁ぎ先から帰ってきては、唯一の男兄弟の"家庭"を踏み荒らしていっていた。

そして、戯れに兄弟である男の妻とその娘の仲が、いびつになるようになったかを、自慢気に語っていた。

そんな女の幼馴染みを思い出して、ムスカリは今更ながら、恐ろしくなっていた。


そして―――そんな話を笑いながら聞いていた自分の姿も、思い出す。

一気に"罪悪感"という重みが、ムスカリに伸し掛かった。


"何も自分は関係しなかった"

"ただ話を耳にして、合わせて笑ってしまっただけだった"


だが"罪"に気がついてしまうと、とても大きな罪悪感が"罰"と形を変えてロブロウの農業を代表している男を、襲う。

そしてそれを見透かしたように、アプリコットがムスカリの前に佇む。

言い訳をする心の声を聞き取ったかたのように、銀色の仮面の下にある唇を動かした。


『―――本当に、貴方は何もしなかった?本当に?』

まるで仮面をつけた自分自身の罪悪感が形を成したように、真正面から問いかけられる。


英雄グランドール・マクガフィンすら悩ませた負の念の"泥"と"澱"を持っていた。

だがそれが抜け落ちてしまった"ロブロウの農家代表"は、仮面の領主の前で今は怯えていた。

無駄に自信を与えていた"泥"や"澱"が抜けてしまったのなら、ムスカリという人間は本当に普通の良識をもった人だった。


そして、その良識に仮面をつけた領主が付け込む。


『―――代表、いえ、ムスカリ殿』

中年の男が怯えの為に小さく震えたのを確認してから、アプリコットは更に囁く。


『もしも、アプリコットの妹という、小さな罪無き命の芽を摘み取る事に、加担をしてしまったと思うなら』

罪に気がつき、罪の重さに耐えられない、出来る事なら逃れたい。

罪悪感から、解放されたくて贖罪する方法を捜す、男にだけ見える様に、アプリコットは銀色の仮面を外して、素顔を見せる。


『もう1つの、この顔をとそっくりな顔を持って産まれて来るはずだった、命に贖罪をしたいと考えたなのなら、手伝いをなさい』

『て、手伝う?』

やっとの思いで出したムスカリの声に、アプリコットが頷く。

そしてルイに舌鋒されてから、床にばかり触れていたムスカリの手を取り、アプリコットは滑らかになった自分の顔に当てる。

ムスカリに語る領主の声色は優しい。


『この同じ顔を持つ存在の"弔い"と。

ロブロウという"領地を護るための儀式"に、貴方が培ってきた"農家代表"の権限を最大限に使いなさい。

そして、"理由は聞かず"私と国王陛下から名を預かった、男の支援をしなさい』

声色は優しいままで、黒い瞳に僅かにある深い緑色を冷たく輝かせながら、更にムスカリに語る。


『そうしたならば―――炎に燃える猪を以て領主、アプリコット・ビネガーの命すら狙っていた事。それすら不問に致しましょう』

その言葉で、ムスカリの顔から血の気が一瞬にして抜けた。


自分の滑らかになった顔に当てた男の手をグッと力を入れて、掴んだ。

ムスカリは必死になって、当てられた手を引こうとする。

しかし、自分の手を掴む先程まで"傀儡"とばかり思っていた女の力は、予想以上に強かった。

アプリコットは慣れた様子で利き手から祖父からもらった、短剣を取りだし自分の顔に手を当 てる男の手首に当てた。


『き、気がついて』

命を狙われた領主は質問には答えず要求だけを口にする。


『アプリコット・ビネガーは"代理"ロブロウ領主として最後の仕事を始めます。ムスカリ、貴方が修めた農学の知恵を以て、最大限の出来る限りの助勢をなさい』




「あの"脅し"っぷりというか、人の心の隙間をついて、揺さぶりをかけて、懐柔して、最後に断れないように止めを刺すやり方は、本当に鳶目兎耳のネェツアークそのものだったのぅ」

グランドールが半ば呆れながら新たに用意された、儀式の衣装に袖を通しサイズを確認する。

そうしながら、先程領主の部屋で行われた"あらまし"を、衝立の向こうにいるリコとライにしてやっていた。


「にゃ~、領主さん。実はどっかの貴族以上に腹が真っ黒かにゃ~」

ライの言葉に、仮面を外したアプリコットが、ルイの癖っ毛の髪に櫛を通しながら笑う。


「うーん、パドリック殿みたいに顔が綺麗だったら、腹が黒くても世間は許してくれるんだろうけれど」

「アイタタタタタっ!!アプリコット様、もうちょっと優しく!!」

櫛に癖っ毛が引っ掛かるルイが、文句の声をあげる。


「はいはい、すまん、ごめん、悪かった」

アプリコットが決まりきった様に、謝罪の言葉を口にしてルイの髪に櫛でまた梳いていく。


「それ言えば、ロブロウでは謝罪が成立するのか?」

グランドールが皮肉る訳ではないだろうが、苦笑いをして、確かに癖っ毛の酷いルイの髪に櫛で纏めるのに苦戦するアプリコットに尋ねた。

そして、先程領主部屋で聞いた話と妹みたいな存在、"エリファス"を気にかける。

グランドールがエリファスの存在を気にかけているのはわかっていたが、今はアプリコットはただ坦々とルイの髪を儀式様に、結い上げていた。


ある程度櫛を通して、何とか髪が落ち着くと、口に櫛を(くわ)え、両手を器用に動かし、白く細い紐でルイの髪を纏める。


「とりあえず、今はここまでいいかしら。"本番"前の髪に癖づけするだけだし」

「なっ、これで終わりじゃないのかよ?!アプリコット様?!」


"儀式にグランドールと共に付き合え"と言われて、朝食後に異国の立派な衣装を着せられ、髪も痛い思いをして纏められたルイが振り返って、アプリコットの素顔を見る。

ルイにしてみれば、勉強を教えてくれていたエリファスとアプリコットは顔が似ていようが"別個もん"でしかない。


エリファスが"優しいお姉さん"なら、アプリコットは"いたずら好きな姉貴"で"似ている"と感じる事がやんちゃな少年には出来なかった。


(あと、あのデッカイ胸がなぁ。サイズが)

ザクッっ!!!


「いってえええ!!」

ルイの頭をアプリコットが握った櫛で"刺激"していた。


「あらっ、ごめんなさい、オッホホホホホ」

明らかに先程とは違う謝罪だが、グランドールは敢えて突っ込まないし、ルイの顔を見て何を考えていたかを、容易に想像も出来る。


(まあ、今のはルイが顔に気持ちが出過ぎだな)

仮面を外した女領主と、自分の弟子の間にどういった"目には見えない"やり取りがあったか、大体察する事は出来たが、素知らぬ顔を通す事にした。


「にゃ~、ワチシ達は"エリファスさん"は資料でしか知らないにゃ。そんなに顔が"アっちゃん"に似ているのかにゃ~?」

前に領主の部屋で、アプリコットの素顔を見ているライがそんな疑問を口にする。


「「アッちゃん!?」」

衝立の向こうからする、ライの"アッちゃん" 発言には、名前を呼ばれ当人とやんちゃ坊主以外が驚いて声を出してしまっていた。


「ライちゃん、初代国王様からの土地を預かる、領主様お名前を」

衝立の向こうから、リコが慌ててライを窘める声をかけているのが聞こえる。


「にゃ~、"アッちゃん"どうせ領主辞めるつもりだにゃ~。だったら今から、仮面外した時はお友だちモードにゃ~。

アッちゃん、良いにゃ~?」


ライが喉をゴロゴロと鳴らす猫のような、愛嬌たっぷりな声で、"アッちゃん"と呼ぶ許可を求める。

ルイは振り返り、グランドールは動きが止まった女領主を見つめる。


「そうね。アプリコットより、"アッちゃん"という名前で素顔の時は、私には良いかもしれない。

領主と同じ顔より、偶然ロブロウにいた、ただの"アッちゃん"と傭兵のエリファス・ザヘトが同じ顔でいましたみたいな、ね」


「にゃ~♪。なら仮面を外した時は、"アッちゃん"で呼ぶにゃ~。よろしくにゃ~、ワチシはライでオッケーだにゃ!」

ライの言葉に、アプリコットは本当に嬉そうな笑顔を浮かべているのを見て、グランドールはアプリコットにテレパシーを送る。


《済まなかった》

《何がですか?》

アプリコットはテレパシーで話ながら、ルイを立ち上がらせ今一度、"儀式の衣装"の全体の仮の仕 上がりを確かめている。


「まあこんなもんかな。後はネェツアーク殿が来て、"打ち合わせ"をして実際に動かしてみてから、微調整を行うにして。

あら、いけない。足袋たびを履かせるのを忘れていたわ」

アプリコットはそう言いながら本格的にゴチャゴチャとし始めた、儀式の道具の中から、器用に足袋だけを二足取り出した。


「マクガフィン殿も、サイズみてくださいな。まあ、それがサイズマックスなんですけれど」

テレパシーの様子など微塵も出さずに、真っ白な足袋を褐色の男に差し出す。


《アプリコット殿はアプリコット殿で生きてきた時間があるのに、まるでエリファスの存在を奪う略奪者みたいな気持ちを、先程から持っていた》

大きな日に焼けた手で、グランドールは足袋を受け取った。


「アプリコット様、何なんだよこのピッタリし過ぎな靴下は!?」

「足袋はそんなもんなの。ほら、指先からこうやって」

ニッとした笑顔を浮かべて、足袋を履くのに手間取るルイを姉貴のように手伝いながら、アプリコットはグランドールに返事を返す。


《人間、共に過ごした時間の長い、気の合う人を優先するのが、当たり前じゃないですか。

数日前に出会った仮面をつけたへんちくりんな領主より、10年以上前に出会った妹みたいな巨乳の女性。

私でも仮面と巨乳なら、巨乳をとりますよ》

少しばかりふざけた返事を返して、アプリコットはルイに足袋を履かせ終えた。


「ルイ君はこれで良しとして。マクガフィン殿、足袋は如何でした?」

笑顔で、アプリコットの中では"幼友達エリファス"の"兄"でしかない人に尋ねる。


《謝るなら、儀式のお手伝いをよしくお願いします。私では、この儀式のやり方が不可能なんで助かりますから》

言葉をかけた後、テレパシーを続けて送られ、グランドールは足袋を履く為に身を大きな体を屈めた。


向き直ったアプリコットにグランドールが丁度、屈める形となる。

ルイは儀式の衣装の締め付けの苦しさにうんざりして、藺草いぐさで編まれたいう床の上に座り込みながらも、その様子眺めていた。


(何だか、オッサンが忠誠を誓う異国の兵士みたいだな)

ルイは自分も異国の衣装を身に付けながらも、何だか違う国に紛れ込んだような錯覚に少しだけ陥る。


「にゃ~、"アッちゃん"。グランのおっちゃんとルイ坊の着替え済んだかにゃ~?」

早速ライがアプリコットを"アッちゃん"と呼んで尋ねてきた。

アプリコットがグランドールを見ると足袋に皺を作る事なく、履き終えていた。

サイズは何とか合っているらししく、屈んだままでアプリコットを見上げ頷く。

それを確認にして、衝立の向こうにいるリコとライに声をかけた。


「うん、ライさん。衝立を避けてもいいよ」

「そりでは、"御対面"にゃ~♪」

ライが衝立をヒョイと抱えて移動させた。

部屋の境目がなくなり、それぞれ儀式の衣装を身に付けたグランドール、ルイ、リコが対面する。

互いに、いつもの姿に違う事に多少驚いて、見つめあう時間が出来た。

最初に動いたのはグランドールで、身体には触れないように細心の注意を払いながら、リコが身に付けている衣装の細部を少しだけ直す。


「ふむ、やはりリコリス嬢にアルセンの衣装だと、サイズが大きかったかの」

水の大精霊で天使―――ガブリエルを降臨させる為の儀式の衣装を身に付けたリコを見て、グランドールが髭の生えた顎に手をあてながら、感想を述べた。

似合わないと言われたわけではないのだが、リコの"大親友"であるライが衝立を片付けてから、グランドールに異議を申し立てた。


「にゃ~、デザイン自体は中性的だからリコにゃんだって、十分可愛くて、マジ天使だにゃ~。

多少のサイズの違いは、オッチャン流に"可愛いのう"と言って目を瞑るんだにゃ~」

「ライちゃん!グランドール様は、サイズが会わないことを心配してくださっているだけだからっ!」

リコが赤くなって、慌てた為に、少し下がってしまった青銀フレームの眼鏡をあげながら、グランドールに軽い拳を振り上げるライを急いで止めた。

グランドールは異議に全く怒る様子はなく、寧ろ笑ってからもう一度リコに尋ねた。


「じゃが、実際どうだ?。動きづらい事はないか?。まあ、その"衣"を纏って一番大切なのは、着心地なんだがのう」

グランドールの着心地という言葉に、リコはしっかりと頷いた。


「着心地は大丈夫です。ただ、やっぱり少し大きいです」

そう言ってリコが腕を伸ばすと、余裕で手の甲まで"衣"の袖が来てしまっていた。

グランドールが再び注意を払いながら、リコが身につける"衣"に触れて、袖の部分を手首が出るまで捲る。


「やはり少しだけでも、縫い上げをしておいた方が安全かもしれないな」

大きな身体の割りに、グランドールは細々と器用に縫い上げが必要な部分をチェックしていく。


「うん、まあこんなもんか。アプリコット殿、済まないがアルセンに連絡はつくか?」

「こちらも、ネェツアーク殿と連絡を最終の打ち合わせをしたかったから」

胸元にしまっていた銀色の仮面を取り出して、アプリコットがグランドールの問いに答える。


「その口振りだと、ネェツアークとアルセンは一緒にいると言うことか?」

「そういう事」

アプリコットが指を弾いてから、銀色の仮面を身に付ける。

そして魔力を込めた声で、呼び掛けるように口を開いた。


『鳶目兎耳のネェツアーク殿、打ち合わせ最終段階をお願いします。

それと、パドリック殿にマーサお手製の美味しいお粥が出来たのと――。

農家のオッサンが、親友が中々戻らないから、ド田舎のロブロウで倒れてないかって、気にしているとお伝え願えるかしら』


「アプリコット殿?!」

その言葉に、白い儀式の衣装を纏っているグランドールが、日に焼けた肌でも分かる程、顔を赤くしていた。


「いいにゃ~。腹黒貴族もこっちに呼んで、仲直りしちまえにゃ~。ついでに、リコにゃんの"マジ天使"姿を誉めていくがいいにゃ~」

ライは"ニュッ"と猫のように口角を上げ、ふざけているような言葉を口にする。

しかし、"仲直りしてしまえ"は本心で、親友のリコにギュウっと後ろから抱きつき"仲良しはいいにゃ"と、グランドールに向かって訴えている。


「ライちゃん、グランドール様にあんまり馴れ馴れしくしたら、失礼だから」

リコが自分に抱きつく、無邪気すぎる妹のような"友達"を諌める。


「―――いや、ライの言う事も尤もだな」

無邪気な彼女が伝えたい事は、グランドールにも解ったので、やれやれとまだ少しだけ顔を赤くしたまま、頭を掻いて"友達思い"の女性騎士達を見て苦笑した。


「じゃあ、アプリコット殿。心配ついでに、アルセンに部屋においてある"塗香ずこう"を持って来てくれる様に頼んでくれるか?」

まだ仮面を身に付けたままの、アプリコットにグランドールが言葉をかける。

アプリコットが無言で頷いて、仮面に触れながら口を動かしていた。

どうやら本来、言葉の"音"は向こう側にだけ伝わるらしいが、先程は"イタズラ好きの領主"によってわざと言葉が出されたらしい。


(やれやれ、賢者にしても、領主にしても、騎士にしても、イタズラ好きの多い事だ)

「うん、マクガフィン殿。オッケーだって。

他にネェツアーク殿や、パドリック殿、それとリリィちゃんがいるみたいだけど、伝言はないかしら?」

アプリコットが"リリィ"と名前を出した途端、ルイが元気良く手を上げた。


「あ、質問!リリィはこれますか!?」

アプリコットの気のせいかルイの尻の方に、ブンブンと御主人様を待ち構える飼い犬の尻尾が見えたような気がする。


「はいはい、ちょっと待っていてね~。

『ネェツアーク殿、リリィちゃんは、こちらにくるのかしら?』」

ルイにも確りと伝えている事が分かるように、わざわざ声に出して、向こう側にアプリコットは尋ねている。

暫くして、アプリコットが、仮面をつけた状態の口元だけでも十分伝わる"気の毒"を表現し、頭を横に振り、ルイはガクリと頭を垂れた。


「何だよ~、リリィに格好いい姿を見せられると思ったのに」

ルイが儀式の為に纏わされた東の国の装束を袖をつまみながら、落ち込んだ声を出す。


「何だ。ルイはこういう服装が好きなのか?。貴族の礼装は苦手そうだったのに」

同じような装束姿のグランドールが、腕を組み、意外そうに弟子に尋ねた。

弟子は師匠の言葉をあっさりと肯定する為に、今は白い紐で結わえられている癖っ毛の頭を縦に振った。


「うん、こういうのは何か好きだな。何か身体が、良い感じに引き締まる感じがしてさ。

自然に背筋が伸びるような感覚つーのかな?」


「"Apparel makes the man."

衣服が人を作るって異国の諺があるけれど、確かに立派に見えるわね。

でもさルイ君。君は素材はは良いんだから、もっと衣服を気にしたらいいのに。

モテるようになるわよ?」

ネェツアークとの連絡が終わって、先程ルイの着付けをしたアプリコットが、仮面を外しながら言う。

だがこの言葉は、ルイにはあまり嬉しいものではなかった。

今は結わえられて、ガリガリと掻けない頭を指でポリポリとしながら珍しく消極的に口を開く。


「別に"好きでもない奴"に、モテても嬉しくないっすよ」

それだけ言って、気まずそうにし、ルイは下を向いてしまった。


《成る程、実際はもう結構"モテて"はいるわけね》

アプリコットがルイの"師匠"にテレパシーを送ると、苦笑いを浮かべてグランドールか小さく頷いた。


《あの頃の娘には、少し悪く見える位が格好良く見えるらしいな。ワシには隠すが、手紙とかも農場では沢山貰っているらしい。

必死に隠しているが、寮の寝台の下はそう言った手紙が、箱に溢れる程あったと、家政婦さんが言っていたのう》

グランドールのこの返事に、アプリコットは盛大にニヤニヤしながら、ルイを見つめる。


「なっ、なんなんすか?!」

「べっつにぃ~♪」

(アプリコット殿に教えたのは、ネェツアークにルイの弱点を教えてしまったようなもんか。ルイ、すまん)

師匠は弟子の弱点らしき物を、あまりよろしくない人物に教えてしまった事を、弟子に心の中で詫びた。


「にゃ~、ワチシ達にしたら、グランドールのおっちゃんもルイ坊は、普段が肌を出しすぎだにゃ~。

素肌に軽く羽織ってるなんて、最近じゃ傭兵でもしてないにゃ~」

ライの言葉に、それには同感という様子でリコが苦笑を浮かべ、グランドールは話題が切り替わった事に感謝する。

そしてついでに、その話題に乗る事にした。


「そうか?。女性が不快になっているなら、やめるか、ルイ?」

「でも、夏期の暑い時期の収穫時期のなんてさ。

農場の兄さん達が上着だけ服脱いでるのを、わざわざ馬車に乗って望遠鏡で見に来ている、貴婦人とか淑女とかいるけど。あれは、なんなんだ?」

少年の純粋な疑問に、女性陣は何とも言えない顔になり、グランドールは渋い顔になっていた。


「一応、注意をしておくかの」

グランドールが、まだ儀式用に結い上げていない髪を大きな手でボリボリとしながら、溜め息をついた。


「にゃ~、オッチャン。どっちに注意するにゃ~」

「両方だな。うちの若い衆には、少なくとも子どもの前では軽く何か羽織らせる。貴婦人の方は貴族議員の誰かに、それとなく言っておこう」

ライの質問に、険しい顔をして、グランドールがキッパリと応えた。


「帰ったら、私たちもユンフォ様に申し上げておきます。本当に、せめて子どもの前では控えて頂かないと」

リコが自分達の護衛している貴族議員の名前をだして、溜め息をついた。


「あはははっ、まあ、モラルはもってないより、もっている方がいいから」

話が物凄い方向に向きそうになったのをアプリコットが乾いた笑い出した後に、柏手のように、手をパンと打ち鳴らした。


「それについては、とっても白熱しそうな論争もできそうなんだけど。

とりあえず、折角衣装も身につけていただいたので、儀式の話を先にさせて貰うわね」

アプリコットがそう宣言すると、一同は"尤もだ"と言う感じに互いに顔を見合わせてロブロウ領主に注目した。

注目が集まったのを確認してから、ゆっくりと頷いてから先ずアプリコットは礼を述べる。


「今回の浚渫の儀式への協力、本当にありがとうございます。

じゃあ、ネェツアーク殿が来てから詳しく説明はするんだけど。

とりあえず、今は大まかな段取りと流れを話させて頂きます」

そう言うと、アプリコットは貴族用のオリーブ色の軍服の胸元から、折り畳まれた大判のロブロウの地図を取り出して、広げてみせた。


一斉に一同で覗き込む。

アプリコットが地図の向きと方角を合わせて、まずは指で現在の位置、新領主邸を指し示した。


「今は、私たちはここにいます。本当は、説明するには立体地図がいいんですけれど、あれは関所で代表――ムスカリ殿が、儀式の"舞台"設置の説明の為に使っているから、二次元の説明で勘弁してください」

「アッちゃん、気にすることないにゃ。ワチシはこれでも十分分かるにゃ~。

それなら、これが旧領主邸だにゃ~」

ライが理解しているのを伝える為に、地図上にある旧領主邸を指差して応えた。


「これが領主邸なら、関所は向こう側―――東側なんだな」

一番年齢の低いルイも判っているらしく、儀式の為につけた白い手甲(てっこう)のついた指先で、最初に訪れた関所を指差して見せる。

ライとルイが顔を合わせて、"イェーイ"と手を合わせて、"パンっ"と音を鳴らした。

それを見て、アプリコットは本当に嬉しそうに笑う。


「ありがとう、ライさんにルイ君」

アプリコットは説明を続ける為に、今度は腰の鞄からシールや羅針盤を取り出して、新領主邸――現在位置を貼り付けた。


「にゃあ、地図がないならともかく、地図があるなら十分に事欠く事はないにゃ~。

それにアッちゃんは、ワチシ達に説明が分かりやすいように、構想も実践もしてくれているにゃ~」

ライがチャーミングな瞳をクルリとさせて、シールや羅針盤を用意しているアプリコットを誉めた。


19歳という若さで、ライは人を励まし、努力の後を見つけてくれる"優しさ"をもっている事にアプリコットは少 しばかり、感動していた。


(ライさんが愛した"おばあちゃん"の教えなんだろうな)

ネェツアークと共有する記憶に、厳格そうだが"黒い一匹の子猫"の前では、本当に優しそうな笑顔浮かべる少しだけリコに似た銀髪の老婦人がアプリコットには見えた。


「いつも万全過ぎる程準備が出来ていないと、挙げ足ばかりとられていたから、そんな風に言って貰えるのは、本当に嬉しい。ありがとう、ライさん」

仮面をつけて領主をしていても、努力をして仕事をこなしても認められ、感謝された事などアプリコットにはなかった。

"努力"を認めてもらえる有り難みを感じながら、チャーミングな黒髪の女性騎士に心から礼を述べた。


「にゃ~、友だちってそんなもんにゃ~。ちゃんと努力してるなら、ワチシはそれでオッケーにゃ~」

「そこは、シトロン殿からの言葉かの?」

どうやら、銀髪の老婦人―――シトロンとグランドールは多少は面識があったらしい。


ライは"おばあちゃん"の名前が出てきた事に、大層嬉しそうに頷いた。


「"友だち"の名前にかこつけて、仕事や嫌な事押し付けて来るやつもいるにゃ~。

おばあちゃん、そんな友だちこっちから願い下げだって言っていたにゃ~」

そのひとことはどうやら、ネェツアークにも言っていたらしい。

アプリコットも恐れ入るような冷たい視線で、シトロンが語っている姿が、ネェツアークの記憶の中で瑞々しく見ることが出来た。

シトロンというライを育てた"稀代の女魔術師"が、あの鳶色の賢者にも大きな影響を与えていたのが、よく分かった。


(先人があってこそ、今の自分がある感謝を忘れないようにしないとね、お祖父様)

祖父ピーン・ビネガーも自分と執事のロックにだけ見せていた、イタズラ好きな笑顔を思い出して―――再び、この土地を護る為の決意を固くする。


「じゃあ、私は友達に対してそうならないように、注意しなきゃね。

では、まず最初に場所なんだけれども」

そして赤いシールを、一枚関所の入り口に貼り付けた。


「浚渫の儀式は関所の門を出た所、今、赤いシールを貼った所で行います」

「あの"ようこそ、ロブロウへ"って、岩壁に彫ってあった場所っすよね?」

ルイが尋ねるとアプリコットが頷く。

一番最初に、エリファスを見かけた場所という事も思い出していた。

そしてよく似た顔の女性が、今はこの土地を"護る"為に地図を広げ、説明を続けている。


(オレにアプリコット様とエリファスさんの事情はよくわかんないけど。

オッサンが決めた方についていくだけだな)

真面目な顔をして地図を見つめる、グランドールの横顔を見上げた。


「―――?ルイ、どうかしたかのう?」

「なんでもね。アプリコット様、儀式の順番ってどんなんすか?。

オレとオッサンが先なの?。それとも、リコさんが先なの?」

グランドールを見つめていたのを誤魔化すように、ルイは儀式の手伝いを積極的なフリをする。


「先に、リコさんに活躍していただく事になるわ。

その後に、マクガフィン殿とルイ君でちょっと"踊って"頂きます」

「踊る?!」


"踊る"という言葉に、ルイが驚いた顔をして、その顔を満足そうに見た後に、アプリコットは、次に青いシールを地図に貼り付けた。


「最初に、リコさんに水の精霊の纏め役の、"ガブリエル"の降臨を行って頂いて氾濫寸前の水の力を宥め、浄めて戴きます」

そう言ってから、アプリコットが頭をリコに下げた。

 

「リコさんは、"降臨"自体が初めてだと、"ウサギの賢者殿"から連絡を頂いています」

リコが形の綺麗な唇を小さく噛んで頷いた。

それを見てアプリコットが、更に申し訳なさそうに頭を下げる。


「我が領地の為に、いきなり高等な精霊術を頼んでしまってごめんなさいね」

ルイがいる手前、魔術に関する事で、ネェツアークの名前は出さない。


"鳶目兎耳のネェツアーク"は"諜報活動のエキスパート"としての扱い。

高等な魔術に関する事はあくまでも"ウサギの賢者"が関係しているように、大人達は振る舞っている。


「―――セリサンセウムの国軍に、志願して所属している身の上です。

国の民を守れる為の術を、英雄でもない私がに担わせて頂く事を、有り難く思います。

ただ、私にこなせるかそれだけが、どうか。

すみません、大事な任務を与えられているのに」

リコが不安な胸の内を吐露し、俯いた。


「本来ならアルセンがするべきなのだろうが、済まんな、リコリス。アルセンは」

グランドールが親友で英雄仲間に代わって頭を下げた。

その親友の衣装を纏ったリコが頭を振って、謝罪を遮る。


「アルセン様は私たちの代わりに、危険な仕事をなさ ってくれていたんです。

もし並みより優れた程度の魔力しか持たない私や、ライちゃん、ディンファレ様があの絵本を持ってロブロウまで来ていたら、気がついた頃には、手遅れな状態だったかもしれません」

リコの言葉を聞いて、ルイが目を丸くする。


「リコさんやライさん、そんなに物騒な物を運んできていたの?」

ライが両手を腰に手をあてて、比較的平らな胸を張ってルイを少しばかり脅す。


「フっフっフっフっフっ!。1つの領地の運命を揺るがすものを、あの腹黒貴族は、真っ黒なお腹にしまいこんで、普通に振る舞っていたんだにゃ~。

ルイ坊、あの腹黒貴族の親友の息子になるなら、覚悟するがいいにゃ~」

この脅しに、ルイは少しばかり身を引く。


確かにアルセンには、素早さ自慢の少年を上回る瞬速で、腕を捕まれたり、ベッドに抑え込んだり、採血させられたり、耳を剃刀で削るという疑似体験の話をきかせられたり―――。

(思えば、オレ、アルセン様から"ろく"な目に会ってないような)


不思議とルイの頭の中で

『気のせいですよ、フフフフっ』

と、アルセンが綺麗な微笑みを浮かべて消えた。


 

「やれやれ、ライはどうもアルセンにライバル意識を持っとるようじゃのう。いや、ライバル意識は御母堂の方に持っとるのかな?」

グランドールが髭が伸びた顎を、ボリボリと掻き、苦笑いをしながらライを宥めるように言う。

そしてグランドールが言ったことは、大体当たっていたらしい。


「にゃ~。王都でもそうだけど、こっちでもあの腹黒貴族のママさんが"代の魔術師はバルサム・パドリック"みたいに言われて、ワチシは本当に大いに不満にゃ~。

セリサンセウム、"稀代の魔術師はシトロン・ラベル"にゃ~」


ライが猫が怒った時と同じように、フーッと息を出してから、気持ちを落ち着かせる。

そして本当に落ち着いたらしく、そこからは肩を竦めてアルセンに対して感謝の言葉を口にする。


「だけど今回ばかりは、アルセン様には感謝にゃ~。

あんな物騒な物を"1人"で保って、平気なフリをしているなんて綺麗なをしててもやっぱり"英雄"なんだにゃ~」

「本人に言ってやってくれ、きっと喜ぶ。あいつは、それこそ本当に血の滲むような"努力"をこなして、英雄になった奴だから」


そう言ってから、"降臨"という高等魔術を行う事に不安な顔 をしていたリコを、グランドールは見詰めた。

リコの顔に相変わらずに不安はあったが、"アルセンの努力"―――英雄も努力をして物事を成し得ている事に気がついた様子で、自分を奮い立たせる事が出来た様子だった。


グランドールに向かってリコは小さく頷いて見せ、大男は、また優しく頷いて見せた。

親友のリコを、グランドールが励ましている事に気がついたライは、少しだけ"ライバル心"を出して、自分も励ましの言葉をかける。


「"ヒトデナシ"の賢者がオッケー出したんだから、リコにゃんなら、絶対に等魔術も大丈夫んにゃ~」

「ライちゃん。ありがとう。

そうね、ちゃんと"御墨付き"を貰ったんだから自信を持って、役目を果さないといけないわね」


"恋に一番近いようで、一番遠い心"

"恋の様に強く心を震わせながらも、気持ちは慈しみでしかない"

"その優しく気高い心は、恋の為ではなく、慈しむ愛の為に"


あれは全て、慈しみの精霊をリコの心に呼び入れ起こす為の、ウサギの賢者、ネェツアークからの布石だったと今ならリコにはわかる。

 リコが自信を持って微笑むと、ライが嬉しそうに両手をグーにして上げる。


「ワチシもマーガレットちゃんのチョコをたらふく食べて、魔力満タンでリコにゃんをサポートするにゃ!。

だからリコにゃんは、英雄でなくても降臨に成功した初の女性騎士になるにゃ~」

「ええ、頑張ります。よろしくね、ライちゃん」

リコが自信をもった事に、一同は喜んでいた。


「ただにゃ~。あのウサギの賢者殿、回りくどい方法で、何度も調整や確認しやがってたにゃ~。その度に、リコにゃんやワチシの不安を煽りやがったにゃ~。

それに、可愛いリリィちゃんに何回も泣きべそかかせやがったにゃ~。

戻ってを現したなら、あのフワフワな毛皮を皮ひんむいて、塩水の中にぶちこんでやるにゃ~」

ライがそこまで言うと、ギイイッと蔵の扉の開く音がした。

扉が開くのを察知した途端,アプリコットは即座に銀色の仮面を身に付ける。


「それなら私は、練り唐辛子でも用意いしましょうか?。

皮をひんむいた素肌には、とても良い刺激になるでしょうから。

あのお茶目と言い張る、不貞不貞しい性格も、ピシャリとするかもしれませんからねぇ」

蔵の入り口から、オリーブ色の軍服を着た、黒い布袋を抱えた美人な男と、紅黒いコートを纏った、丸眼鏡をかけた髪も瞳も鳶色の男が姿を現した。


そして紅黒いコートを纏った男の方は、綺麗に微笑む男の発言を聞いた途端に、顔に微笑みを浮かべながらも、半歩程距離を開く。


「おや、鳶目兎耳殿、どうされたんですか?距離など開けられて?」

「―――これからは大切な人に出来る限り、連絡をこまめにする事を誓います」

鳶目兎耳の言葉に、ルイ以外の全員が、苦笑を溢していた。


「アルセン、早かったな。後、荷物をありがとう」

グランドールが驚きながらも、地図から顔を上げて、アルセンが抱えている物を見詰めて礼を述べる。

(あっ、あれは確か?)


『―――これはグランドールの側に置いてあげた方が、良いでしょう』

先日、グランドールが部屋を移動する事になった時、周りに何も言わさずにアルセンが持って行ってしまった袋。


黒塗りの皮袋に数珠ように色々な形をした石を飾りにしたような紐で、袋の口を堅く絞められている物を抱えていた。


『この袋いつも持って歩くけれど、使っている所はみた事ないんすよね』

ルイは自分で言っていた言葉を思い出す。


(さっきオッサンが頼んでいた、確か"塗香ずこう"とか言っていたよな)

グランドールはなんやかんやで、大事な事は必ずアルセンに頼んでいる事をルイは確信する。

拾って貰って2年。


大体2週に1度の頻度でグランドールは、

『今日は夜呑みに行くから、早めに仕事を早く終わらせる』

そう言って、大体その日は上機嫌で過ごして仕事もいつも早いが、尚早い。


(そんなに楽しみにしているのは、女かな?)

そう思っていたが、農場の兄さん達に聞いたら相手は"友人"らしい。


『グランドールの大将はこの農場を作った時から、かならず2週に1度、少なくとも間が空いても、3ヶ月に1度は友人って人と必ず呑みに行ってるらしいぞ』

『かれこれ15年位やっている習慣らしいからなぁ』

自分が産まれる前からの"縁"にルイは、入り込む気はないし、数週間前に図書館の資料室で初めて見たアルセンと、グランドールを見て即座に分かる。


"それにはっきり言って、ワシは裏側まで調べぬく事は苦手だ"


グランドールが気弱な面を躊躇いなく、アルセンにだけ向けて現していた。

その後、ルイはグランドールが困っていると感じて口を出してしまったが、後で思い 出したら随分と恥ずかしい気持ちになる。


グランドールが相談して話したかったのは"昔からの親友"に対してなのに、拾って貰って2年やそこらのガキが、口を出してしまっていた。

それでもアルセンは、綺麗で優しい笑顔を浮かべ、ルイが口にした言葉から、今回の"農業研修"画策してくれた。


(オレが尊敬出来る"オッサン"は、多分アルセン様とかの友達がいたからだろうな)


「―――先程は、私の体調を心配してくださったのに、すみませんでした」

塗香を渡す前に、アルセンが異国の装束姿の親友に頭を綺麗に下げる。

それに頭を下げられたグランドールは、驚いた顔をしたが、直ぐに首を横に振るう。


「いや、ワシもアルセンの優しさを無下にしてしまうような言い方をしていた。ワシの方こそ、すまなかった」


(いいなぁ。オレもこんな友だちが出来たらいいなぁ)

ルイの横にスッと紅黒い色が視界に入る。


「パドリック様が、グランドール様と軍学校で初めて出逢ったのが、14歳か15歳の頃。

クローバー君も、あんな2人のような関係になる人に、これから余裕で出会えるのではないのですか?」

 鳶目兎耳のネェツアークが、口の端だけをあげた笑顔で気配も感じさせず、白い儀式の装束を纏ったルイの横に佇んでいた。


そして、まるでルイの心を読んだか如く、言葉をかける。

先程、悪人顔と言った事に関して、ネェツアークからかなりの報復を受けた少年は身構えた。

しかし、紅黒いコートの人物は、穏やかな雰囲気で、会話をしている師匠とその友人を眺めているものだったので、警戒をゆっくりと解いて尋ねる。


「出逢えるっすかねぇ」

「ええ。ルイ君みたいな、ちゃんと考えて動ける子どもなら、大丈夫でしょう」

ネェツアークはリリィが同じ様な事で悩んでいるのを思い出して、珍しく優しく微笑みながらきっぱりと言い切ってやった。


(リリィの"友だち"としてなら、ルイ君は保護者からみても十分安心できるよ)

"ウサギの賢者"の姿をしていたなら、そうも言ってやるぐらい、生意気だが裏表のない少年をネェツアークは気に入っている。

ルイがネェツアークの言葉に不思議そうな顔をした後に、少年は赤くなる。


「オレ、考えるのは苦手っすよ」

そんな照れをするルイの一方で、アルセンがグランドールに塗香をしっかりと手渡していた。


そして本来なら、自分が成さねばならない"役目"の支度をリコがしているのを見つけ、アルセンは心の底から申し訳なさそうな顔をする。

カッカッと軍靴を鳴らしてリコの前まで進んで行き、アルセンは水の精霊の長を降臨させる為の衣装を纏った女性騎士に向かって、深く頭を下げた。


「―――本来なら、私の役目なのに。申し訳ありません」

今度はリコが顔を赤くして、慌てふためく。


「いえ、そんな。それにアルセン様は、本当に大変なお役目をなさっていたわけですから!、その、頭を上げて下さい!」

アルセンに頭を下げられて、真っ赤になるリコをライが"ニヤニヤ"というより"ニコニコ"と微笑ましい気持ちもあるのだが、本当は、からかいたい気持ちもあるが、ここは我慢し、金髪と銀髪の2人の美人を眺めていた。


「それなら、謝罪を述べるべきは私です。パドリック殿」

仮面をつけたアプリコットが広げていた地図をグランドールに渡して、アルセンとリコの前に立った。


「本来なら、私1人で行わなければならない浚渫の儀式。

それを急な天候の崩れとはいえ、王都からの使者の方々に助勢を頂いて、本当に、感謝をしてもしきれません」 

仮面をつけたアプリコットが深々と、アルセンとリコに向かって頭を下げた。


「少しお待ちください。領主殿一人で、あの河川の大規模な氾濫を押さえる為の儀式を、なさるおつもりだったんですか?」

アルセンが眉間にシワを寄せ、難色の表情で頭を下げたままの領主に尋ねた。

下げていた頭を上げて、口角も上げ、仮面から見える目元は微笑んでいるように見えるようにして、客人に領主は口を開く。


「―――そうですね。先代も多少力を貸してくださるとは思いますが。

私が主力となって、やるつもりでいました」

アプリコットが極力平坦な声で答えて、仮面の下の見えない所で困った表情を浮かべる。


《ネェツアーク殿、アルセン様って"優しい"人?》

本当に困った声でアプリコットは"契約中"の相手――にネェツアークに尋ねる。


《うん、私や意地が悪い人以外には優しい人。

あっでも、そこにいる日に焼けた大男のオッサンに関しては別格扱いね》

ネェツアークの答えを聞いて、記憶で見える部分でアルセンとグランドールを見た。


少年のアルセンが、憧れと尊敬の眼差しを、戦場で活躍するグランドールに向けているのを、若いネェツアークが笑いながら見ている。

そして"ある事件"で、ネェツアークもグランドールも心の均整を取れなくなった時。

独りで堪え"普通"であり、英雄であり続けた、優しく強い人物だったのも分かった。


《それは、よくわかった。さて、どう誤魔化しましょうかね》

アプリコットは自分の"生い立ち"や"代理領主として受けてきた仕打ち"を話したなら、哀れみを受ける部類のものだと自分でも思うし、解る。


過去を変えられるわけではないのだけれど、いつか、ストレス解消に、自分の過去を話して、誰かの胸をかりて咽び泣いて、スッキリしたいという気持ちは持ってもいる。


「領主殿、これまでもこのような時、"独り"でやってこられたのですか?。

ロブロウにくる道すがら、地質や河川を見ましたが、何かと自然災害に会いやすい感じを得ましたが?」

心から心配し、労られる声がアプリコットの心に響く。


(流石、癒しの"天使"を1人で降臨させる英雄様だわ)

心の中でわざと"毒づいて"、優しさに参らないよう堪える。


「―――国王陛下から賜った大事な領地ですから。私は領主として護るだけです、パドリック殿」

  

「―――しかし」

「幸か不幸か私は、国にとって優秀な人材である祖父ピーン・ビネガーの血が強かったようですから。

適材適所、私の出来る役目をこなしているだけの事ですよ」


"優しい労りの言葉"を振り切った。

そして今から自分がしようとしている事を――儀式の後で起こるであろう、戦いの事を懸命に考える。


《ネェツアーク殿、パドリック殿は、今回お作戦は存じ上げないのよね?》

済まないと思いながらも、アプリコットはネェツアークを捲き込んで、気持ちを鼓舞しようとする。

不貞不貞しい契約相手は、飄々とした声で付き合ってくれた。


《全く知らせてはいないけれど、大事な事になっているのはわかっているみたいだね。

だから、アルセンはこの儀式の済んだ後―――親友のエリファスと永遠に会えなくなることも、知らないままだね》

《―――そう》

私は、この優しい強い人物の"親友"の居場所を奪うのだから。


癒されようなんて、都合が良すぎる考えを、持とうとするだけでも、きっと赦される事ではないから。


「領主殿?」

黙ったままになるアプリコットの心に、これまでの領主として過ごしてきた、孤独の日々を労るアルセンの声がまた響いた。


そして ネェツアークの記憶の断片に、アルセンとエリファスが楽しそうに話している姿を見つけた。

アルセンは何時もの品の良い笑顔ではなく、眉を"ハ"の字にして、困っているようにも見える笑顔を浮かべて、エリファスは大笑いしている。


(この人が本当の笑顔を見せれる相手を、私は今から"奪う"んだ)


「大変でも、領主の仕事ですから。

例え非人情と思われても、役目をこなさなければなりませんから。

私はそれくらいの覚悟を持って、領主をやっています。

でも、お優しい言葉をありがとうございました。パドリック殿」

銀色の仮面の下で懸命に、涙が溢れそうなのを堪える。


理由はわからないが、アプリコットの声に隠った複雑な感情をアルセンは汲み取って、それ以上は何も言わなくなった。

それから改めて領主に頭を下げ、アルセンはリコの方を向いて"降臨"についてアドバイスを始めていた。

仮面の領主が心の中でため息をつくと、飄々とした声がまた頭を掠める。


《私もエリファスに関しては多分"同罪"だから、1人で罪を背負った気持ちにならないようにね》

 どうやら、ネェツアークなりに契約中の相手を励ましてはいるらしい。


《まあ、私はエリファスの事をあまり知らないから、アプリコット殿が背負う呵責とは、比べ物にならないだろうけれど》

アプリコットには、まるでルイぐらいの年頃の男の子が口に出すような、不器用にも感じる励まし方だった。


(励ましや癒しは、ネェツアーク・サクスフォーンもアルセン・パドリックにはかなわないみたいね)

そう心の内で考えてから、アプリコットはネェツアークに返事を返す。


《この話は止めましょう。このまま話を続けても"不幸自慢"にしかならないから。それに、ネェツアーク殿。

貴方は助言は上手だけれど、励ますのは下手くそだわ》

アプリコットが遠慮なく事実を伝えてやると、ルイの横に立つ賢者は眼鏡の奥で目を丸くしていた。


《あんまりだなぁ。まあ非生産的な話よりは、"これから"の事を考えるのが話をする事に私も賛成だ》

蔵の中で、鳶色の瞳と深緑過ぎて黒にしか見えない瞳が、僅かに交錯して、また外れた。

完全にテレパシーを遮断した後に、ネェツアークの記憶の中でもっとも凄惨な物をアプリコットは、そっと見つめる。



真っ白な花畑の中、4人の人物がいる。


ネェツアークが、胸に自分の小刀が貫くように刺さった、紅色の強気な瞳と髪が美しいを女性を震える身体で抱き抱えている。


震える身体と声で、数日前に"伴侶"となったばかりの恋人の名前をネェツアークは呼び掛けている。

ネェツアークの"記憶"しか見ることしか出来ないので、誰がネェツアークの伴侶となる女性の胸を貫いたのかは判らない。

だが、女性の胸を貫いている"物"は確かにネ親友の小刀だった。

2人の仲間が支え合いながら、ネェツアークの元にやってくる。



1人はまだ年若い―――少年と言っていい姿の、緋色の衣を纏った傷だらけのアルセン。


そして、そのアルセンを支えるように抱える、日に焼けた肌を持つ逞しい身体の男―――グランドール。

鳶色の青年は、ネェツアークは仲間が来た途端、堪えきれずに泣き叫び始めた。


泣き叫びながらも、妻となった紅色の女性が最後の力を振り絞り、夫になったばかりの青年に"願う"。


"ネェツアーク、私の、最後のお願い、聞いてくれる?"

 "アナタは、私だけの"英雄"でいて"


そう言って、強気に、悔しそうに微笑んで、ネェツアークの腕の中で妻となったばかりの女性は逝ってしまった。



(ここからは、記憶が途切れてしまっているわね)

いくら共有する記憶を探っても、それからの記憶はない。


次のに見ることが出来るネェツアークの記憶は、この国の宗教画が描かれた天蓋付きのベッドの天井で、次の瞬間に喪った妻を思いだし、泣き叫ぶ姿だった。


それを自身も満身創痍であるアルセンが懸命に宥めるのを確認し、アプリコットはこれ以上、この事に関して、ネェツアークの記憶を覗くのは止めた。


記憶が途切れてしまっているのは、ネェツアーク殿の心が"妻"を喪った事に耐えられなかった為。


血の契約は"境遇"が似た者同士でないと結べない。

そしてネェツアーク自身が言っていたこと。


"私と貴女、まるで名前が2つ並んだように同じ様な縁が出来ている"

"ウサギの賢者と仮面の貴族"

"ネェツアーク・サクスフォーンとアプリコット・ビネガー"


恐らくは"2つの命"を奪ってしまった"業"を背負っている認識が、非常に難しいと言われる"血の契約"を結べたポイントとなっているのだろう。


アプリコットは母親の胎内の中で、意識も意思もなく育つ事が出来なかった双子の伴侶の力を取り込んでしまっていた。


そして、2つ目の命は"妹なんいらない"そんな言葉で母親の中にいたはずの命、今は"エリファス"として姿を表してしまっている存在の命も奪ってしまった事。


優しい治癒術師の女性と、励ますのが下手くそな賢者は"流産"と言ってくれてはいたが、アプリコットの中では、その責任の一端は自分の言葉の中にあると考えている。


そしてネェツアークが、奪ってしまった2つ目の命。

それに関しては、血の契約を交わしたアプリコットでも、見ることが出来なかった。


(自分で自分に"禁術"をかけてしまう事が出来るのは、伊達じゃないってことかしらね。

それとも、"絶対に表に出してはいけない秘密"をまだ抱え込んでいらしゃるってことなのかしら)

考えてもキリがない。


「アプリコット殿、ネェツアークが来たことだ。詳細な打ち合わせをしよう」

地図を預けていたグランドール呼び掛けられて、アプリコットは本格的に始まる儀式の方に意識を向けた。







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