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【支度 その参・前】

無垢な少年に"天使"と呼ばれるのに、頭を悩ますアルセンは結局軍服を身につけて、朝食にまで時間があるそうなので、アトと散歩に出る事にしました。




そして、アトから



"アルスのせんせー、赤ちゃんの犬さん見にいきましょう"



と、引っ張られるように連れていかれました。


無垢な少年に"天使"と呼ばれるのに、頭を悩ますアルセンは結局軍服を身につけて、朝食にまで時間があるそうなので、アトと散歩に出る事にしました。

そして、アトから

『アルスのせんせー、赤ちゃんの犬さん見にいきましょう』

と、引っ張られるように連れていかれました。


「そうだな、アルセンの朝食は、身体に吸収しやすい粥の方がいいかもしれん」

「では、マーサさんにそのように頼んできます」

グランドールが体調を崩したらしいアルセンの為、朝食の変更を頼むとシュトは丁寧に頭を下げて請け負った。

当のアルセンは、その会話を軽く肩に軍服を羽織る姿で隣の寝室で聞き、小さな吐息を吐き出していた。


「アルスのせんせー、どうかしました?」

「いいえ、何でもありませんよ、アトさん。"天使"よりは"せんせ―"の方が幾分かマシですかね」

アルセンが穏やかに微笑み、年齢はルイよりも上なのに、王都の図書館に遊びにきている、幼い子ども達のように無邪気なアトの頭を優しく撫でた。


(普通の食事で、私は構わないのですがね。

どうして"同じ英雄"の筈なのに、2歳年下というだけで"守らなければならない弟"みたいな役割を、私にグランドールとネェツアークはさせるんでしょうか)

睡眠を取った事と、何よりグランドールから就寝中に密かに魔力を分けられていた事で、アルセンの体調は幾分か良くなっていた。


そして王都からマーガレットから貰ったチョコレートの菓子を、寝室に用意されていた精霊の保冷庫の中にあった冷たい紅茶で流し込むと、万全とはいかないが、体力はそれなりに戻ってきている。

客室の扉の開閉する音が聴こえ、グランドールが寝室に戻ってきた。


「何だか機嫌が悪そうじゃのう、アルセン」

寝室に入るなりに、グランドールの視界に入ってきたのは、傍目から見たならば大層美しい微笑みを浮かべた貴族が、肩にオリーブ色の軍服を羽織り、寝台に腰かけている姿だった。


しかしそれは"上っ面"で内心かなりご立腹しているのが、親友であるグランドールには判る。


「ええ、どうやら私は"仲間外れ"にされそうですからね」

極上の笑顔を浮かべて、見つめられてグランドールは思わず目を逸らしてしまいそうになる。


「そんな小さい子どもみたいな事を言うな」

そう言ってアルセンとアトが腰かける寝台までやってきて、逞しい腕を組んで苦笑いを浮かべる。


「"なかまはずれ"、いけません。とてもかなしくて、なみだがでます!」

「ええそうですね、アトさん。あの日焼けしすぎのオッサンに"仲間外れはいけません"と言ってあげてください」

アトの頭を再び撫でながら、アルセンがふざけてけしかけるように言うと、珍しくグランドールが親友に対して眉間に深いシワを刻んだ。


「こら、調子に乗るな!」

大男の少しだけ怒気を含んだ声に、アルセンは澄ましたものだが、アトが怯えてしまう。

アルセンの左腕にぎゅっと抱きついていた。


「―――でも、仲間外れは、本当にいけません。

"1人だけ独りぼっち"、本当に悲しいです、寂しいです、ひっ、とり、ダメです。

ひぃいいい」

突如震えるような声に、なったかと思ったら、アトが急に泣き出した。


グランドールもアルセンも互いに顔を見合せて、慌てる事はないが、オリーブ色の軍服を掴む少年の顔は本当に悲しそうで、声は怯えている。


「アトさんは"独りぼっち"にトラウマでもあるんでしょうか?。

"拘り"が強い性分なのでしょうに、大丈夫ですか?。

アトさんは、今は独りぼっちではないですよ。

"アルスのせんせー"に、"グランさま"もいますから、泣かないでください」

"独りぼっち"という言葉をアルセンが言うと、またアトはぎゅっと左腕にしがみつく。


「アルスのせんせー、お母さんが、1人だけ意地悪しています。1人だけ、お乳をあげません」

「お、お乳!?ですか?」

涙を流しながらのアトの至極真面目な様子で訴える言葉に、アルセンが白い顔を赤面させる。


まさか"独りぼっち"という言葉を使う中で"お乳"がでてくるのは、アルセンには予想外だった。

一方のよく日に焼けた農家の方は"お乳"という言葉で、アトが何を言わんとしているか大体把握出来たらしい。


「成る程。育児放棄した家畜の赤ん坊を、アトは見たのかもしれないな。

ロブロウは畜産もやっているから、何かで見たかもしれん。

アトは生き物の"数え方"が全て人になるから、アルセンみたいに勘違いをして驚くのも無理ないな」

笑って、少し髭が延びた顎に金色の腕輪が手首にある左手をあてて、グランドールが笑う。


「動物の話でしたか」

アルセンは本当の意味で苦笑いを浮かべて、自分にしがみつく少年の頭をまた撫でてやる。


「アトさん、何の動物なんですか?。独りぼっちにされているのは?」

アルセンが尋ねると、アトは漸く左腕を抱きつく力を弱め、顔をあげた。


「犬の赤ちゃんです。白い小さい可愛い犬の赤ちゃんだけ、お母さんの犬から仲間外れされてます。

赤ちゃんの犬、お母さんに何も意地悪してないのに、仲間外れ、いけません」

「そうですね、いけませんね」

少しだけ涙の名残を感じさせる声でアトがいうと、アルセンは切なそうな顔で同じ言葉を繰り返してやる事で、安心を与えてやる。

グランドールは何とも言えない具合で、ただ見守るように2人の前に立っていた。


それから暫くして泣きべそをかく状態は治まって、アルセンは気持ちが落ち着くまで頭を撫でてやる。

母親から蔑ろにされる、赤ちゃんの子犬の為に、心を痛めるアトの為に、慈悲深く撫で続けた。

アトはハッとした表情を浮かべ、またグイグイとアルセンの左腕を掴み引っ張り始める。


「アルスのせんせー、赤ちゃんの犬を見にいきましょう」

「今からですか?。少し待ってください、それなら支度しますから」

アルセンが緑色の瞳の中に、涙がまだ残るがアトの笑顔が映りこむ。

その笑顔をみると、折角アトに気持ちが持ち直しそうなのを萎ますのも悪いと、アルセンは立ち上がる。が、


(―――いけない!)

頭の中が圧されるような感覚と揺れるような感覚が、一度にアルセンを襲ってくる。


(身体が支えられない!)

肩に軽く羽織っていた、オリーブ色の軍服の上着が、パサリと音をたてて、貴賓室の寝室の床に落ちる。

落ちた軍服の上で、アルセンはガシリと手首に金の腕輪が光る手に、右腕を掴まれて支えられていた。


「アト、"天使さま"はまだ調子が悪いみたいだぞ。どうする?」

「グランドール、天使さまは、止めていただけますか?」

腕を掴まれ支えされて、助けて貰いながらも、"天使"発言には思わずアルセンは言い返してしまっていた。


「だがなぁ、この"アルセン"の格好だと」

軍服の上着が落ち、上は白いシャツのだけになった、アルセンを見てグランドールは苦笑を浮かべる。

そして苦笑のままのベッドに座っているアトを見ると、両手を上げ、万歳の様子で更に笑顔になっている。


「"アルスのせんせー"、"天使さま"になりました!」

そして嬉しそうに寝台から立ち上がり、ジャンプまで始めてしまっていた。


 「天使さま、赤ちゃんの子犬助けます!。独りぼっちじゃなくなります」

アトの再びの天使発言に、アルセンはガックリと肩を落とした。

しかし、グランドールに支えれられているので、頭を軽く下げ、長めになっていた前髪がおりた程度だった。


「まあ、軍服を着ていれば"天使"さまは止まるから、良いじゃないかっ、と!」

アルセンの正面に立ち両腕を掴み、グランドールはけっして軽くはない親友を持ちあげて、先程まで腰かけていた寝台に座らせる。

それから床に落ちていた軍服の上着を拾って、アルセンの肩にかけてやった。


「天使さま、アルスのせんせーになりました。アルスのせんせー、赤ちゃんの子犬を助けに行きましょう」

幾分不満そうな表情にはなるが、子犬を助けにいこうとアトはアルセンの右手に手を伸ばす。


だが、アルセンの手に触れる前にグランドールがアトの手を掴でいた。

不思議そうにアトがグランドールを見上げて、首を傾ける。

アトが自分の事にちゃんと"注目"しているのを確認してから、グランドールはゆっくりと少年にも分かるように口を開いた。


「アト、"アルスのせんせー"、は身体の調子がよくない。"おやすみ"させろ」

アトの顔が見る間に歪んで、瞳には涙がまた溜まっていっていた。

そのアトの様子を見るアルセンの額には、シワが刻まれ、褐色の親友を見上げ、睨む。


「グランドール!勝手に決めないで下さい!」

先程から過保護にも感じられるグランドールの発言や行動に、正直、アルセンは苛立ちを抱えてもいた。


「立ち上がっただけで立ち眩みを起こした奴が、何を言っておるんだ!」

無茶を諌めるのが当たり前。

そんな様子でグランドールにしては、アルセンにキツイ言葉で返した。


「あれは偶然です!。大体寝ている間に魔力を勝手に分けたり、グランドールにしてもネェツアークにしても、立場は同じはずなのに、どうして私には甘いんですか?!」

いつもなら心から感謝する事なのに、アルセンはグランドールに応酬する。


「甘いか辛いとか知らんが、現にアルセンは体調が万全じゃないから、ワシは大事をとって休ませようとしているだけだ!。

それにアトに身体の調子が悪い人にも、無理を言えば通ると考えさせてはいかんだろう!」


「私は、そもそも散歩ぐらいはできるから、無理ではありません。

それにアトさんにとっては"拘り"を先に解消させて上げた方が、今後の行動がスムーズに出来ます!。

ロッツとの臨床データで、メイプルやサザンカ様の研究で確りと立証されてもいることです!」

グランドールとアルセンの口による"攻防"は、ノックの音によって止められた。


「グランドール様、粥の支度は幾らか時間がいるそうです。

それと、領主様、アプリコット様が、少しご協力を願いたい事があるそうです。

なので朝食後に、領主の部屋にいらして欲しいそうなんですが―――」

シュトが敢えて空気を読まず、ドアを許可なく開き、発言をする。

その報告を聞いて、互いに私情だらけの議論をグランドールとアルセンは止めた。


「そうか判った。領主殿にはすぐ行くと伝えてくれシュト。

食事も隣の部屋に置いておいてくれ、勝手に食べておくから、後で片付けを頼む」

「承りました」


(やれやれ。来てみたら、いきなり喧嘩しているから驚きだよなぁ)

シュトにしては、珍しく巧く内心で考えている事を表情に出さずに、品の良い微笑みを浮かべながら、グランドールとアルセンの喧嘩に驚いていた。


そして、シュトはこの2人の"喧嘩"に、デジャヴを感じていた。

勿論、グランドールとアルセンが、感情のままに口論するのを見たのが2回目というわけではない。


"仲睦まじい2人が、口論をしている"のを、随分と昔に見た記憶がある。


(誰と、誰だったけ)

相変わらず巧い具合に、顔をに微笑みを浮かべたままシュトは自分の記憶をまさぐる。

グランドールは口論にケリをつけるように、溜め息を吐くが、それはアルセンの心に再び怒りを着火させていた。


「アルセン、そこまで言うならお前の好きなように行動するがいい。ただ、ワシはしっかりと一度忠告はしたからな」

「グランドールは、そうやって、いつも自分が正しいみたいな言い方をしますよね」


(あっ?!)

美しくて―――そして優しい人のこの言い種が一気に、シュトの記憶のタグを見つける。



『貴方は、そうやって』

(まった、懐かしい人の記憶を引き摺りだしてくれたなぁ。この農家さんと貴族さんは)


シュトがデジャヴの正体を掴んで、思わず感情を―――苦笑いという形で出しそうになった時。

グランドールは、"好漢"という仮面をかなぐり捨てた。

 

「いい加減にしろ、アルセン!!」

グランドールの腹から出た一喝が、貴賓室に轟いた。

"銃の兄弟"は首を竦めたが、アルセンはグランドールから一喝で動じる事はない。


しかし自分の発言が幾らなんでも、大人気ないのがわかっている様子でもあった。

アルセンは今度は確りと立ち上がり、唇を噛み、白い顔を赤くして、オリーブ色の軍服の上着に袖を通す。


「散歩に行ってきます。シュトさん。お粥は、帰ってから、頂きますから、部屋に置いておいてください」

「はい、わかりました」

アルセンから言われて、竦めていた姿勢を正し、シュトは返事をした。


「お散歩?アルスのせんせー、お散歩?」

グランドールの一喝の後に、アトが恐る恐るながら、それこそ彼が子犬のように見える仕草で尋ねた。


「ええ、アトさんは"アルスのせんせー"、とお散歩に行きましょう。グランドール、前、失礼しますよ」

ツカツカとアルセンは冷たい顔をして、親友の前を通り過ぎて行く。


かつて、軍学校で互いに無駄に変な意地を張り合い、グランドールがアルセンを無視をした時と同じ様な痛みが、互いの胸を走った。

ある意味互いに思いっやっての事だから、現在の方が余計にたちの悪いものかもしれない。


アルセンの後ろにグランドールの事を少しだけ気にしながら、アトがついて行き、暫くして扉の閉まる音がする。

2人が完全に部屋から出ていったと解ると、グランドールは再び大きくため息をついた。

その様子は、互いに思いやる事が上手く出来なかった悲しみを堪えているようにもシュトには見えた。


(グランドール様は、怒るのと同時にそれを悲しむ人なんだな)

金色の腕輪が光る左手で、額を押さえながら、グランドールは口を開く。


「シュト、済まなかったな。大人2人、意地の張り合いのようないさかいを見せてしまった」


「いいえ、ワタシには大変"懐かしいもの"を見せて貰った気分です」

シュトのこの答えに、額に当てていた手を外し振り返える。


見習いの執事を見つめるほど、"懐かしい"というシュトの言葉にグランドールは驚いていた。

言った当人は苦笑いの顔になっている。


「懐かしいもの?いったい、どういう意味だ?」

本当に理解が出来ないといった感じで、シュトに尋ねる。

気まずそうに、視線を逸らしたが直ぐに戻して、小さく息を吐いて腹を据えたようにグランドールを見た。


「あの、丁寧な言葉じゃ、例えづらいんで口調、いつものにしても良いですか?」

確りと話したいから、平時の口調に戻したいとシュトが許可を求めると、グランドールはゆっくり頷いた。


「それでは、失礼して。その、俺の両親の"夫婦喧嘩"にそっくりだったんですよ。グランドール様とアルセン様の喧嘩が」

シュトは堪えきれなくなって、また苦笑いを浮かべる。

グランドールは瞬きをしてから、大きな褐色の手で髭の生えた口元を押さえた。


「えっ、ああ、そのなんだ。何がどうなったら、ワシとアルセンの口論が夫婦喧嘩になるんだ?」


"たっぷり"と動揺して、グランドールがまた尋ねる。


シュトも、宿場街から今日まで、何かと助けくれている恩人が、これ以上動揺するのも悪いと考えて、例える言葉を変える事にした。


「"夫婦"っていうよりは、お互いに思いやり過ぎての喧嘩ですよね。

ちなみにダブったように見えたといえば、グランドール様が父親で、アルセン様は母親です」

「そっ、そうか」

グランドールは何ともいえない顔をして、俯いてしまった。

シュトは数回、親の夫婦喧嘩を目撃したが理由は大抵似たようなものだった。

あの時、今みたいに成長していて、自分がもっと語彙があって、遠慮なく喋れていたなら、伝えたかった言葉をシュトはグランドールに言ってしまう。


「互いに、互いを心配し過ぎてしまうんですよね。でも、心配の形が違うんです。

父は、本当に、母を愛していたんだと思います。

俺とアトの事も愛してくれているんすけど、何をおいても母が一番だった。

母は、父は勿論大好きだけど、皆が幸せなのが一番の人でした」

ここまで話を聞いて、"何をおいても、グランドールはアルセンが一番である"と言われているみたいで、大男は赤面する。

そんな男にかつての父を少しだけ重ねて、シュトは話を続ける。


「ある時村の祭りで、家族で行こうとしたんです。

けど、季節の変わり目もあって母が軽く風をひいた時があって。

父は俺を説得して、人混みは疲れるから出かけるのを止めようって。

母は、折角楽しみにしていたんだから、行かせてやろうって」 

その思い出が、先程のグランドールとアルセンの喧嘩に状況に似通っている。


グランドール個人としては、まず大切な人が幸せであって、周りが幸せになるのは全く構わない。

ただ、大切な人が自分を犠牲にするような事をして、周りを幸せにする事はして欲しくなかった。

例えそれが自分の"妹"が子どものように可愛がっている少年だとしても、その気持ちは変わらない。


「それと、決定的に両親を思い出すきっかけになったのが、アルセン様の台詞。

"いつも自分が正しいみたいな言い方をしますよね"

って奴が、本当に母の言い方にニュアンスがそっくりだったから、思い出したんですよ」

シュトの母親という言葉に、グランドールは俯いていた顔をあげ、珍しく弱々しい笑顔を見せた。


「どちらといえば、アルセンの方がこの話を聞いて、"母親"みたいと言われて複雑かもしれんのぅ」

シュトはそれを認めるように、黙って頷いた。


「はい。だからもしアルセン様がいらしゃいましたら、この話をするつもりはありませんでした。

アトには、俺が、ワタシが言って聴かせておきますから、今回はご容赦ください」

深く、グランドールに向かって頭を下げる。


「容赦も何も、あの頑固者がアトを連れていってしまったからのぅ。シュト、お前が謝る事じゃないわい」

もう何時もの"好漢"の仮面をつけたグランドールがそこにはいた。


「アトは、母が死んだ時も死んだのが理解できないくらい、心がまだ育っていなかった。

アルセン様がいたら絶対に言えませんが、母親と散歩するという気持ちを体験させてやりたくて、先程は止めませんでした。

グランドール様の親友を勝手に利用させて貰いました。スミマセン!」


また深く頭を下げるシュトよりも、

"男のアルセンを母親代わりにする"

という、見習い執事の考えにグランドールは思わず、ポカンと大きく口を開いて、笑いだしてしまっていた。


「ハッハッハッハ、アルセンが母親代わり!。

シュト、それは絶対に言うなよ?ゾッとするほど綺麗な笑顔で、細剣で貫かれるぞ」

そう言ってもグランドールはまだ愉快そうに笑い、左手に光る金の腕輪を見た。


「今回は、ワシが折れよう。確かにこれから、"仲間外れ"な状態になる。

まあ、"お母さん"にはいつも元気でいて欲しいもんだが。シュト、朝食を頼む」

「畏まりました」

見習い執事は、笑顔で頭を下げた。




 


「―――シュン、あの頑固者が何か言ってますかね」

白い手袋を嵌めた左手で、くしゃみを隠しつつ、アルセンは呟く。

今はアトから案内され、新領主邸から出て、右手を引かれながら、"独りぼっちの子犬"がいるという場所に2人で向かっていた。

くしゃみをした事で、アトがソワソワとし始める。


「アルスのせんせー、風邪ですか?。グランさまが言う通りに、おやすみが良かったですか?」

心配そうにアトがアルセンを見上げていた。


(自分の中で、抑えづらい"拘り"もあるでしょうに)

自分ではコントロールが出来ない、感情の発達が産まれながら偏りがあるにも関わらず、心配してくれる少年の頭をアルセンは優しく撫でる。


「いいえ。アルスのせんせー、は大丈夫ですから。行きましょう、アトさん。私も子犬は好きだから、見せてくださいね」

「はい、白い子犬も喜びます!。独りぼっちじゃなくなります!。

アルスのセンセーと、アトで3人、寂しくありません」

アトが顔を笑顔で満たすのを眺めて、グランドールと喧嘩で乱れたアルセンも気持ちも僅かだが和む。

立ち眩みはやはり偶然だったのか、アルセンは歩く分には体調は悪くない。


(こうして散歩していれば、気持ちも落ち着きますかね)

風が強い曇天の空の下、長くなった金色の前髪を白い手袋を嵌めた左手で掻き上げる。

急いで出てきた為、香油で整えられなかった髪は、すぐにサラサラと降りてきて、アルセンは溜め息をついた。

髪を上げた際に薬指に嵌まっている金の指輪の感触が、アルセンの額に触れる。


(グランドールとする、こんな喧嘩は何回目でしたっけ。

考えてみたらここ最近、こんな激しい喧嘩は久しいですね)

好漢と名高い親友とアルセンは、喧嘩をした事ないわけではない。

どちらかと言えば、回数は多くて、大体喧嘩の仕様も決まっている。

殴り合いみたいな喧嘩は決してしないが、周りが驚く程、激しい口論をする。

そのまま大体、アルセンが"話になりません"と言って、口論をしているグランドールの側を離れる。

そしてグランドールの怒りと悲しみがこもった溜め息が、後ろから聞こえて。

アルセンの胸は締め付けられるような痛みを感じながら、喧嘩をした場所から、離れる。


(離れるんじゃありませんね、私が耐えれなくて"逃げ出す"んですよね)

敬愛する父アングレカムとの誓いがなかったのなら、きっとグランドールと口論でも喧嘩をしている内に、涙を流しているに違いないと、アルセンは今でも思う。


(こういった時は、ネェツアークが羨ましくなります。

叶うなら、出来れば"手合わせ"をお願いしたい。

こんな気持ちを抱えるくらいなら、まだ拳を交えた方が私は気持ちが楽になれるのに)

アルセンに直々に体術を手解きしたのは、色んな事に器用すぎる"ウサギの賢者"事、ネェツアーク・サクスフォーンだった。


今でも"手合わせ"をしても、ネェツアークに完勝は厳しいが、何とか引き分けに持っていけるぐらいのモノになっているとアルセンは思っている。

ネェツアークの笑いながら組手を仕掛けてくるのは、正直頭にくる時もある。

ただ、容赦なく拳や蹴りを振る舞われると、グランドールより自分の事を対等に扱って貰えている気がする。


(グランドールも、ネェツアークみたいに、私を"雑"に扱ってくれたらいいのに)

まるでアルセンを傷つける事を、グランドールは"大罪"の様に考えている節すら感じられた。

そして、その考えは間違っていないらしい。


その事実を知ったきっかけは、国王のダガーからの情報からだった。

大きな術を使う感覚を忘れない様に、訓練所を"アルセンの為"に自分の農場の余った格納庫に作ったと、国王であるダガーに密かに教えられた時には、形の良い眉を上げ、緑色の瞳をを丸くしたものだった。

軍にもそれなりに整った施設はあるが、魔力が強すぎる所のあるアルセンには万全ではない。

ただそれは、アルセン1人が気を付ければ良いことでもあったので、大きな術の鍛練に少しだけ不便を強いられる形になるが、それで特に不満などなかった。


『冬や梅雨の時期は、農場の皆も体力をもて余すからな。

訓練場みたいなのを、使わない格納庫に造ったんだ』


アルセンにはそういって、その場所でだけ、グランドールはアルセンと剣を交えてくれる。

気兼ねせずに存分に魔術を使えて、本当に有難いことではあったのだけれど。

グランドールに大事にされすぎて、それがアルセンの中で反って不安になった時。

鳶色の髪と瞳のネェツアークにこっそりと教えられる。


『最初、何も知らない罪のないアルセンのことを、貴族ってだけで、傷つけ過ぎたから、もう、絶対に傷つけたくはないんだって。

涙を流せないアルセンに、本当に酷い事ばかりをしてしまったと、グランドールは考えているから』


ネェツアークは酒場で酔っぱらったグランドールが、"アルセンには秘密だぞ"という事で話した内容を躊躇いなく、グランドールの親友になったばかりのアルセンに話してくれた。


『ワシは鈍いからな。あの優しいパドリック―――アルセンが傷ついてるなんて考えもしなかった。

アイツが涙を流さん、いや、流せんにしても、どうしようもない程、悲しい顔をしてワシを見ていたのに。

涙を流さないから大丈夫"と勝手に免罪符を作って、どれだけアルセンの事を傷つけたか、本当に解らない。

表面上の事ばかりに気を取られて、ワシの人生の中で会える親友の1人を危うく、傷つけて自分から遠ざけて、手放してしまっていたかもしれん。

だから、言葉で行き違いの喧嘩はあっても、喧嘩でアルセンの身体を傷つける事だけは、絶対にしない』


ネェツアークから、グランドールの長い後悔の独白を聞いて、

『何て"馬鹿"みたいな事を』

思わず笑い出してしまい、ネェツアークもつられて腹のそこから笑い、アルセンは楽しくて、"嬉しくて"―――涙が溢れた。


『ありがとう、グランドール』


馬鹿らしいという気持ちを上回る勢いで、"家族を貴族に殺された"という過去を乗り越えて、貴族である自分を、そこまで大事に思ってくれて、"ありがとう"と心からの感謝が止まらなくて、涙が溢れていた。


グランドールとアルセンの喧嘩には、悲しみや怒りは流れるけれど、決して"血"が流れる事はない。

そして、"仲直り"をするのいつもグランドールから手紙からだった。


軍で支給された伝達の為の紙飛行機―――どこぞのウサギの賢者が作った、この世界では一番早く情報を伝える為の道具で、いつもふわりと風に乗って、アルセンの元に届く。

手紙には馴染みの店と待ち合わせの時間。

酒場に呼び出されて、いって見れば、互いに一杯酒を無言で呑んでから、グランドールからいつも頭を下げられてしまう。


"今回はワシが悪かった。すまなかった!"


(いつも"今回"はとつけて、喧嘩では私にはいつも謝らせてくれませんものね)

湿った強い風が、アルセンの金色の髪を更に乱す。


("今回は"、王都に帰るまでこんな喧嘩したままなんでしょうか)

アルセンもグランドールも、子ども達―――アルスやルイやリリィがいたなら間違いなく、"普通"に振る舞える自信がある。


自分は"教え子には甘い腹黒い貴族で軍人"に。

グランドールは"お人好しの日に焼けた農家のオッサン"に。


それが大事な子ども達が―――周りにいる人達が、一番安心してくれる、自分達の姿だから。

そしてその姿を演じてさえすれば、周りの人の"普通の日常"を崩さないですむから。

普通にすぐ側にいたはずの父を、失った時の悲しみとどしようにも出来ないやるせなさを、アルセンは間違っても子ども達に与えたくなかった。


(グランドールは私が居なくなったなら)

一瞬だけそこまで考えて、激しく頭を強く振る。


(こんな考えをするのは、グランドール侮辱するのと同じですね)

本当に大切に思われているのを知っていながら、自分の命を落とした時の相手の反応を想像するのは、相手を蔑ろにしているのと同じだと、アルセンは思い直した。

怒りながらも、それと同じくらい悲しんでいる、親友の姿を思い出す。


(ごめんなさい、グランドール)

いつも使わせて貰えない言葉が、心の中で沸き上がった。


「"今回は"私から、謝らせてもらいますよ、グランドール」

白い手袋に浮かぶ、金の指輪の輪郭を見つめながら、アルセンは決意する。

自然に無意識に、優しく口元をあげて微笑んだ。

アトがそれを見つけ、自分も嬉しそうに笑い、繋いでいるアルセンの右手を強く引く。


「アルスのせんせー、子犬さん、あそこにいます!。

もうすぐです!。アルスのせんせー、とっても優しくてきれいだから、きっとよい"お母さん"になれます!」

「ちょっと、待ってください!、私がお母さんなんですか?!」

「はい、エリファスせんせーも、ロックさんも、みーんな言ってます。お母さんは、優しくてとても綺麗な人だって!」

「―――エリファス」

アトが最初から、アルセンを"子犬の母親"にするつもりがどうかは知らない。


しかし、"優しくて綺麗"という、母親の定義をアトに教えたエリファスと、まだ会った事がない執事だという、ロックという老人を少しだけ恨んだ。

犬がいるという場所は、厩の直ぐ側にある納屋だった。

納屋に近づくと、子犬特有の可愛いらしい鳴き声が、2人の耳に入ってくる。


「アルスのせんせー、赤ちゃんの犬は、ご飯の食べる前にトイレをします。お母さん犬が子犬のトイレのお世話してあげます。

でも、白い赤ちゃん犬は、アトがしてあげます」

子犬は食事を与える前に排便と排尿をさせる、そういった正しい知識をアトが確りと言えるのに、アルセンは驚き、感心した。


「おや、アトさん子犬のお世話に詳しいみたいですね。

それでは、私はお手並みを拝見をさせて頂きましょうか」

誉めてにっこり笑うと、アトが嬉しそうに自分の胸を右の拳で叩いて、アルセンと繋いでいた左手を離して、納屋の方へ走っていってしまった。

それを見て、犬という事で思い出す人物がいる。


(確かシュガーさんが、動物に関してはプロ並みに知識を持っていらっしゃいましたね)

母バルサムの専属メイドで、元、国を代表する程の魔導師でもあった"シュガー"。


どういう理由で魔導師の免許まで国に返納し、アルセンの母親の世話を甲斐甲斐しくやくメイドになったか、経緯は不明である。

冷静さが佇まいから溢れる、メイド服を纏いつつも、エキゾチックな雰囲気が印象的な美女であるのも彼女の特徴。

魔導師故なのかどうか解らないが、使い魔の基礎となる知識―――動物の世話に関する知識は、オールマイティーに所持している。

よく見かけるのがバルサムの友人であるという、国の重職につく高官の、孫や子ども達が、魔法鏡を使ってワザワザ飼育方法を尋ねる事。

夏の時期になると、虫の越冬や繁殖に関しての質問が2日に1度はきている。

ただシュガー自身は、犬が好きらしく、現在も常に側に侍らしている使い魔も、可愛らしい中型犬の姿をしていた。

中々愛くるしい犬の姿なのだが、使い魔は主に忠実なので実は触れてはみたいが、触れることが出来ずにいるアルセンである。


経済的にアルセンはペットを飼える余裕もあるし、飼える環境にもあったが今一、"生き物を飼う"事に踏み切れない。

理由は自分でも分かっている。

きっとペットを飼ったなら、情が沸いてその動物を可愛がるだろう。

だがペットというのは、人より寿命が短い。

その時の"別れ"がアルセンには単純に"怖い"のだ。

 

「アルスのせんせー、子犬の赤ちゃん見てください!」

少しばかり考え込んでしまっていたらしい。

アトの声でアルセンは、どうにもまとまらない前髪がかかる顔を上げた。


「犬の赤ちゃんお腹、ポンポン丸々です。でも触ったらお腹壊すから、あんまり触ってはいけません!」

アトの腕の中に、眼が潤んだ白い子犬が大人しく抱っこされている。


「おや、実は結構大型犬の子犬ですか?」

アトが抱えているのは、子犬ではあるのだが随分と大きく見えた。

もし、成犬となったのなら結構な大型な犬に育ちそうそうなのが、動物を飼ったことがないアルセンにも見てとれる。


「はい、お母さんの犬大きいです。赤ちゃんの犬はこの子と、あと2人です」

大型の犬の子犬が3匹だけと聞いて、アルセンは腕を組んだ。


「それは、大型にしては数が少ないですね?」

以前、アルセンの家に例のごとく、シュガーに動物に関する相談の連絡があった。

その際にされたのが犬のお産についての相談だったので、アルセンはシュガーに軽く犬のお産についてレクチャーして貰った時の話を思い出す。


『犬は体の大きさによってお産の具合が変わります。

一般的に、小型犬程お産が重くて、産まれる数も大体3頭ぐらいと少なめ。

大型犬はお産が軽い代わりに、それはもう沢山産んでくれます。

だから、出産は軽くて安心なんですが、家で面倒を見きれない場合の、新しい御主人様探しの方が大変という話もたまにあります。

中型犬はそれこそ、本当に"中"。

お産に関しても産まれる子犬の数に関しても、小型犬と大型犬の間くらいです、アルセン様』

アルセンとしてはお産よりも、"大型犬の主人を探す方が大変"というシュガーの言葉に興味をもつ。


『どれくらい沢山子犬が産まれるのですか?』

そう尋ねてみると、にこやかに微笑んでメイドが人差し指をクルリと回す。


『そうですね、ざっと10匹ぐらいでしょうか?』

"ボワン"と、白い煙と共に、エキゾチックなメイドと秀麗な貴族の周りに、様々な種類の成犬の大型犬の使い魔が現れた。

結構な広さがあるパドリック邸の廊下が、大型犬に埋めつくされる光景は、アルセンも大層驚いたものだった。



「お母さんの犬、りょーしゅ様が助けた時、怪我をしていたそうです。赤ちゃんの犬、何人かバイバイしたそうです」

アトがそう言った時、腕の中で子犬が小さな声で鳴いた。

 

「"バイバイ"ですか」

子犬の鳴き声の後、アルセンは何とか言葉を繋げた。


(どうやら、保護した時には数匹の子犬は間に合わない状態だったみたいですね)

アトは無邪気に、白い子犬に彼独特のコミュニケーションを取っているのを、アルセンは悲しそうに見つめる。


(人程感情は複雑でないでしょうが、母犬はやはり悲しい気持ちになっているんでしょね。

だからといって、この白い子犬の育児放棄を認めるという事には、なりませんけれど)


こちらにくる前に、ネェツアークから報告をされていた、このロブロウの現領主の生い立ちを、白い子犬と少しだけ重ねてみていた。

他の2匹は愛され1匹、1人だけ、別の扱いをされる。


(その孤独とはどんなものなんでしょうか?)

アトの後ろにある納屋から、複数の子犬の鳴き声と成犬らしい犬の声が聞こえてくる。


(親から愛されない気持ち。それは私には、絶対に理解出来ない気持ちですね)

傲慢に思われたとしても、寧ろ、自分だけは"愛されてない気持ち"理解してはならないのだともアルセンは思っている。

そうでないと、命に代えてまで子どもを助けた父や、いつまでも若い淑女のように素直な愛情をぶつけてくる母に申し訳がたたない。


「クゥン」

また子犬が、アトの腕の中で鳴き声をあげた。


「アルスのせんせー、子犬の赤ちゃん、おトイレの世話が終わったから、ご飯あげないといけません。

アトはマーサさんにごはんを貰ってきます。

アルスのせんせー、子犬の赤ちゃんを抱っこしていてください。

子犬の赤ちゃんの、優しくて綺麗な"お母さん"をやってください」

少年の明るい声が、アルセンにかけられて風が2人の間に吹き、"優しく美しい貴族"はアトの前に立つ。

少しだけ感傷的になっている自分に気がついて、アルセンは苦笑いを浮かべてから口を開く。


「アルスのせんせーは、子犬は喜んで抱っこしますが、"お母さん"にはなりませんよ。アトさん?」

今度は極上の笑顔を浮かべながら、中々"空気を読むことが困難である"というような障りのあるアトでさえ、ビクリとするぐらいの"圧"を醸し出して、アルセンは子犬受けとる為に、手を差し出した。


「アルスのせんせー、"お母さん"なりませんか?」

流石のアトもビクリとなるが、それでも果敢にも見える態度でもう一度アルセンに尋ねていた。

 

「"お母さん"にはなりません、というか、"お母さんになれなません"」

しかし、ここだけは譲れないと極上の笑顔を継続し、アルセンも手を差し出したまま答える。


「抱っこしておきますから、アトさん。マーサさんから、子犬のご飯を貰って来てください。お腹を空いてるみたいですよ」

さっき聞いたばかりのロブロウの竈番の名前を出して、アトを説得する。


「お腹が空いている、いけません。アルスのせんせー、子犬の赤ちゃんお願いします」

渋々という態度をちっとも隠さないで、アトは白い子犬をアルセンに漸く、丁寧にゆっくりと渡した。

白い子犬は全く嫌がる様子もなく、アルセンの腕に移る。


「おや、私の腕の中は気にいって貰えたようですね」

まるでマーキングをするように、白い子犬はアルセンの軍服に身を刷り寄せ始めていた。


「子犬の赤ちゃん、おかあ」

「アルスのせんせーが抱っこしておきますから。

アトさんは、早くご飯を貰いに行ってきてください」

隙あらば、自分の事をお母さん言おうとするアトを、ピシャッと押さえ、アルセンはまた圧を醸し出していた。


「うう、アルスのせんせー行ってきます」

アトがやっと来た道を戻り始めたのを見て、それこそ子どもを見守る母親のようなため息を吐く。


「やはり、赤ちゃんというものは可愛いものですね」

赤ちゃん、"赤ん坊"でアルセンが思い出すのは、どうしても10年位前の出来事。

アルセンが見たのは人でいることを逃げて、"ウサギになった男"が、人の姿に戻ってまで、自分には再従妹はとことなる、"赤ん坊の女の子"の世話をする姿だった。


ちょうどアルセンが訪れた時、その男はアルセンの再従兄妹はとこにあたる、女の子の赤ん坊がを"とても喜ぶから"と、もの凄くダイナミックな"高い高い(最早垂直真上に放り投げて)"をしていたところだった。


当時"赤ん坊の再従兄妹"に会うということで、彼は父親アングレカムが所蔵していた市販の育児書数冊完読していた。

本には様々な育児が載っており、ある本には良くても、次に読んだ本ではダメだと書いてあり、どれを信用すれば良いのか全く分からなかった。

ただ、全ての本に記されている"赤ん坊を強く揺さぶってはいけない"という文書を思い出し、英雄の中で一番と言われる俊足で、駆ける。

大喜びする赤ん坊のリリィと、喜ぶのを見て更に喜ぶネェツアークを止めたのだった。

 

その後ネェツアークには、赤ん坊のリリィを抱っこさせたまま正座をさせて、優しくゆっくりと"高い高い"をするのは構わないと、説教をする。

ネェツアークは赤子にダイナミックな"高い高い"は、悪影響があると聴いたら、珍しく真面目に頷いていたので、それがひどく印象的で記憶に残っている。

そしてもう一度、先程謝ろうと決めたばかりの相手と、喧嘩になった事を思い出す。


(思えば、あの後、その事をグランドールに話して、喧嘩になったんでしたよね理由は確か)


『何だか、アルセンが"お母さん"みたいだのぅ』

グランドールから全く悪気がない顔で笑いながら言われた言葉に、アルセンが一気に機嫌を損ねた。


当時、何かと綺麗すぎる顔でからかわれる事も多く、変なお誘いもあったりと、"女性"を含む言葉で、自分の事を見られるのが、アルセンは本当に嫌だった。

ただ不思議な事に、三十路を過ぎるとそういった話は、アルセンの周りではピタリと止まった。


(さて、どうやら、私には"お母さん"という言葉は鬼門の様ですね)

苦笑いを浮かべた時に、また子犬がアルセンに身を刷り寄せる。

小さな鼻をスンスンと動かして、懸命に"何か"を探している様子にも見えて、それが何だか切ない。


「大丈夫ですよ」

そう語りかけて、優しく子犬の額を指先で撫でてやった。


「あ、本当にアルセンさまだ!。アルセンさま、おはようございます!」


再従妹はとこ―――リリィの声に振り返ると、その後ろにアト。

そして一番最後に、随分と懐かしい紅黒いコートと勲章を身に付けたネェツアークがいた。


「さて、いよいよ"戦力外"通告されますかね」

仲間の役に立つ事は諦めてはいるが、やはり少しだけ気持ちは寂しいものがある。

リリィがアルセンに向かって駆け寄ってくるが、多分一番の目的は、抱えている子犬だとわかっているので、少女が子犬に触れやすいようにしゃがんで待つ。


「わああああっ、かわいいい!」

リリィが強気と見られがちな瞳をトロンとさせ、興奮で顔を赤くし、アルセンが見やすいようにしてやった、白い子犬にすっかり心を奪われてしまっている。


「私には、そう言ってるリリィさんの方が可愛いですけどね」

アルセンが子犬をあやしつつ、サラッと微笑みながら言うと、リリィは今度はポッと照れで顔を赤くして俯いてしまった。

 

「お嬢さん、それがパドリック様が"プレイボーイ"と呼ばれる理由ですよ」

リリィの後ろから、ネェツアークが声も顔も、にこやかにして口を開いていた。

ただし鳶色の瞳だけは全く笑っていないのが、アルセンには解る。


(やれやれ、ネェツアークはこういった所が希にありますね)

小さく息を吐いて、グランドールから聴いている"彼"の立場を考えて言葉を吐く。


「私は数えで34歳になりますので、"ボーイ"という年でもありません。

それにしても、こちらはそちらの事が初見だと思うのですが、随分な言われようですね。

その"制服"と勲章で役職は分かりますが、名前は存じ上げませんので。

宜しかったら名前を。

私は、軍の教育部隊に所属するアルセン・パドリック中将です」

初見の長い口上を、いつも優しさばかりを浮かべている緑の瞳に冷たさを孕ませ、アルセンは鳶色の男に向かって述べた。


"手合わせ"は出来ないが言葉の応酬はまだまだ出来きる。

ネェツアークからなかば強引に売られて来た因縁を、高く買い取って手直しして、逆にまた買い戻させてやろうぐらいの気持ちで、アルセンは子犬を抱えて微笑んだ。

アルセンが綺麗に微笑むのを見ると、ネェツアークは腕を組んで、こちらはお馴染みの不貞不貞しい笑顔を浮かべる。


そんな中で、リリィが少しだけ慌て、鳶色と金色の髪をを持つ大人を見比べて―――そっと金色の髪のアルセンの耳元に、小さな手を添えて囁き始めた。

この少女の行動には、耳が弱いアルセンは思わず顔を赤くして、ネェツアークが鳶色の眼をを見開いてショックを受ける。

だが、囁かれた内容は、可愛らしい思いやりに溢れたものだった。


「アルセンさま、あの後ろにいる方はネェツアーク・サクスフォーンさまという国王陛下の部下で、アプリコットさまの友だちで、イタズラ好きそうですけど、優しい人ですから、安心してください。

あと、賢者さまが居ないし、辞書がないから調べられないから、"プレイボーイ"の意味を教えてください。

"プレイボーイに注意しましょう"って、ネェツアークさまに言われたんですけれど、どういう意味か、私、分からなくて」

リリィの照れくさそうな言葉を聞いて、アルセンは子犬を抱えたまま俯いて、笑い出してしまっていた。

 

「そこの、リリィさんから名前を伺いました、ネェツアークと仰有るお方。

リリィさんを淑女として扱うのは大いに結構な事だと、私も思いますし、紳士として尊敬に値します。

しかし、こちらのお嬢さんに"プレイボーイ"の心配をするにしては、時期が早すぎる模様です。

注意なさらないと、少女が耳年増になってしまわれますよ」

アルセンがリリィを見て、それこそ優しい慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。


「あ、アルセンさま、どうして笑うんですか?。それに、内緒に、言わないで欲しかったのに!」

少しばかり拗ねて、怒った様子で言うリリィが両手を拳にして怒り、そして、それにスミマセンと謝るアルセンは、本当に年の離れた再従兄妹のじゃれあいと表現するのに、ピッタリだった。


「プレイボーイの意味は、簡単にはいうなれば、軟派な、女性なら、誰でもかれでも声をかけて、お付き合いをしませんか?と声をかける男の人の事ですよ」

喋ってしまったのを詫びるように、アルセンが"プレイボーイ"の意味を優しく婉曲にしてリリィに説明する。


リリィはその説明で、ネェツアークがアルセンの事を"プレイボーイ"と"誤解"していると考えたらしい。

まだ、小さい声で内緒話をするようにアルセンにリリィは話かけた。


「じゃあ、アルセンさまプレイボーイと違いますね。

アルセンさまは、とても優しくて、綺麗だから、そんな話がネェツアークさまの"情報"として入ったんですよね」

あまりにネェツアークに対して、優しく好意的な解釈に、また優しく微笑んでリリィの言葉をアルセンは受け入れる。


「そうですね、"初めて逢う人"なら、私は勘違いされても仕方ないかもしれません、ね」

そう言っていると、平気な振りをして突っ立っているネェツアークに、アルセンは少しだけイタズラ心を起こして―――"勝利"の笑みを浮かべた。


《物心のついたリリィさんとの"人"としての付き合いは、私の方が長いですからね。

"相談を真っ先にしてもらえる大人の立場"、早く逆転出来ると良いですね》

アルセンからそういったテレパシーを飛ばされて、今度はネェツアークが拗ねたような顔になる。


けれども、アルセンは自分に向けられているリリィからの信用は、きっと直ぐに"ネェツアーク"という人には抜かれてしまうことは弁えている。

 物心がつく前のリリィの世話を懸命に、心から喜んでするネェツアークの姿を、一度でも垣間見たアルセンには、自分が、あの2人の縁を見守るぐらいが、本当に分相応だと判っている。


色々な思惑に利用され、一度その"縁"を失いかけたが、紆余曲折しながら、ネェツアークがリリィとの繋がりを取り戻した時、本当に良かったとアルセンは心から祝福した。


《実は"ネェツアークさん"にも直ぐに解る"面白そうな事"があるのですけれど、教えませんね。

初見で"プレイボーイ"と呼ばれたので、そのお返しです》

思いきり思わせ振りの様子で、それだけを好奇心の塊でもあるネェツアークにテレパシーで伝え、アルセンはまた子犬をあやしながらリリィと談笑を始めていた。


《何が直ぐに解るか、知らないけれど。

リリィにとって"ネェツアーク"は旅先で出逢った人の1人に過ぎないから、勝ったも負けたもないさ》

ネェツアークの"強がる時のクセ"、視線を少しだけ左に逸らして眉を上げるのを、確認し、生来的に優しい人に"悪かったかな"という気持ちが擡げる。


《それよりも早く、子犬にご飯をあげたら"お母さん"?》

10年以上昔に、アルセンに偉くヘソを曲げられたが、理由が解らなくて困っていたグランドールに、


"アルセンが怒ったのは、"お母さん"みたいだと言ったから"

と助言した事を、ネェツアークは確りと覚えている。


それこそ鳶目兎耳で仕入れていたアルセンの情報で、多少鈍い所があると自覚している、グランドールの為に喧嘩になっていると聴いて、直ぐに教えてやった。

不貞不貞しく笑いながら、アルセンが腹を少しでもたてるように。

けれども、それを助言した時、アルセンが胸元に子犬を抱えるように、自分も幼いリリィを慈しみ、これ以上ない幸せ抱えている事をを思い出してしまっていた。



アルセンが腹をたてるように、伝えたテレパシーのニュアンスは、大層優しいものになってしまう。

それを感じ取れた優しい親友は、もう"お母さん"と言われても、怒りの感情は微塵も沸いてこない。


《ええ、もう"お母さん"でも、"天使さま"でもドンとこいですよ。それに本当に、子犬にご飯をあげないといけませんね》


「アトさん、ネェツアークさんからご飯を貰ってきて下さい」

そう呼び掛けると、アトは頷いてネェツアークの元に駆け寄った。

アトがネェツアークから、子犬用の粥が入った鍋を受け取り、戻ってきた。


「それでは、リリィさんとアトさん。この白い子犬のお父さんをアトさん。お母さんをリリィさんで行って上げてください」

少しだけ軍隊チックにアルセンがニッコリと笑って言って、子犬をリリィに渡した。


「はい!、わかりました、アルスのせんせー。

白い子犬のお父さん、アト。リリがお母さんをして、ご飯をあげてきます」

「私、こんな風におままごとするの始めです!。あ、でもちゃんと子犬のお世話もします!」

アトとリリィは元気よく嬉しそうに、アルセンの"指令"に応えた。


そんな2人を見て、アルセンはまたニッコリと笑い、子犬と餌が入った鍋をもって、アトとリリィが納屋の方に行くのを見送った。

そして姿が見えなくなってから、立ち上がり、美しいが腹黒い貴族は微笑みを引っ込めて首を捻り。


「う~ん、思っていった反応をリリィさんはしませんでしたねえ。

てっきりリリィさんは、アトさんに仄かな想いを、抱いているものと考えていましたが。

"私がアトさんのお嫁さんさんですか?!"ぐらいの事をいって、可愛らしく恥じ入る姿を拝見出来るとばかりに考えていたのに、残念です」

足音がして、ネェツアークの方からアルセンの前にやって来る。


「だから、私は"パドリック様はプレイボーイ"だから、お嬢さんに気をつけなさいと言うのですよ」

目の前に、紅黒いコートを纏ったネェツアークが腕を組んで佇んでいた。


「貴方は10年前から相変わらず、リリィさんには過保護まっしぐらですね。

それよりも、私に言うことがありますよね?」

ネェツアークに自分から話かけているのに、己の胸の鼓動が聞こえる程になり、心身共に緊張しているのが、アルセンには分かる。


「―――ああ。アルセンには今回は"不手際を詫びる為に、わざわざ王都からきた貴族"を貫いてもらう。

そして体力、魔力の減少が著しいと判断した為、回復を第一の任務とする。

従って、戦線離脱になり、作戦の一端も教えるわけにはいかない。

これは王都から、ロブロウの件をダガー陛下から一任された私の采配となるが、従ってもらう。

いや、"従っていただけますか?パドリック様"」

覚悟はしていたが、戦力外と聞かされると"ズン"と錘になって、アルセンの胸にやってきた。

それでも平静を装って、アルセンは素直に頷いた。


「ええ。今の私は、10数年前の英雄になる前の鳶目兎耳のネェツアークや、一騎当千のグランドールにすら及ばず、お役に立てそうにありませんから」

ネェツアークは無言で、下がってもいない丸眼鏡の位置を右の中指で直す。


(昔のネェツアークなら、もっと苛烈な言葉を、戦力にならない"人材"にかけているでしょうに)

人は変わらないようでいて、変わるものだと実感しながら、アルセンは言葉を続ける。


「本当なら、貴方に言われるまでもなく、黙って自分から申し出るべきなんでしょうけれど、すみません、変な意地がでました。

鳶目兎耳のネェツアーク殿」

顔に微笑みを保ち、今回の戦いから身を引く宣言を、アルセンはネェツアークにする。


「パドリック殿が、アルセンがどれだけ努力して"英雄"になったかは、それなりに傍で見てきたよ。

それを務めようとするのを、馬鹿にしたりはしないよ」


「―――ありがとうございます」アルセンは、ネェツアークやグランドールのように、才覚を見いだされ"英雄"に、育て上げられたのではなかった。

尊敬する親友達と共に戦いたくて、側にいたくて自ら"英雄"となる為にそれこそ、血の滲むような努力してその座を掴んだ。



アルセンが英雄を目指すきっかけとなったのは、敬愛する父アングレカム・パドリックの死。


『私は、母上の悲しみの涙を止められるような、父上のような英雄になりたいです』

父のような、国に、人に、そして母に認められる英雄になりたい。


幼いアルセンはそう、自分の後見人となる人物に告げた。

後見人となる人物は、アングレカムが亡くなった後、人材に育成の任を、国王グロリオーサから任されたばかりの、穏やかで貴族ではあるが庶民派で名高いユンフォ・クロッカス。


『アルセン。君の父上が国を再建を為し得た"平定の4英雄の1人"で、母上は国を代表する魔導師と謳われとしても、アルセンがなれるわけではないんだよ』

ユンフォが、パドリック邸を訪れ、少年の願いを初めて聞いた時、そう答えた。


彼はは父アングレカムの副官を務めていた事もあり、アルセンの事をそれこそ、彼が母の胎内にいた頃から知っている。

アングレカムが急逝した時、泣き崩れるバルサムを、国王とその側室のスミレに任せ、葬儀の一切合切を彼が手配をしていた。

 

ユンフォがいたから、アングレカムを愛した人々は彼を心から悼み、別れを告げて見送る事が出来ていた。

だから、アルセンの成人するまでの後見を彼が名乗り出た時も、誰も反対はしない。

母であるバルサムは、深く愛しすぎていた夫を喪ってから、塞ぎこむようになってしまい、アルセンが心の内の決意を話せる大人は、後見人となったユンフォしかいなかった。

母親に似た白い肌と金髪、それと父親の瞳の中にあった意志の強さを見詰めながら、ユンフォは英雄になりたいというアルセンに優しく語りかける。


『アルセンは色んな意味で、この国の英雄に成れるかもしれない"才能"は持っているだろう。

けれども、今までこの世界で国から英雄と認められた方達の殆どは、何も後ろ楯のなどない、全て自身の力で昇り積めた方達が殆どだ。

何故なら英雄というのは、国や民が決めるものだから、どうしても"自分の力だけで築き上げた実績"がいるんだよ』


アルセンは既にあり溢れる後ろ楯―――王の姪である母、国を平定に導いた英雄の父、貴族という地位、それらを持ちすぎていると、ユンフォは暗に少年に伝えていた。

そして賢い少年は、幼いながらも、ユンフォが言っている事を理解し、まだ可愛らしく見える唇を歯で噛んでいた。


『君の父上、アングレカム様も最初はこの国の端にある小さな村の、賢い強い日に焼けた少年に過ぎなかった。

そこから、始まって国の英雄、宰相、そしてやっと40を過ぎる年になってやっとアルセン、君の父親になった』

ユンフォはアルセンが英雄になる事はなくても、国を立派に支える人材の1人になり得ると、それは確信していた。


何も、自ら一番厳しい道程みちのりを、この優しく賢い人になるだろう、少年に進ませる必要はないと思えた。

だから、敢えて小さいながらも圧力をかけた言葉をユンフォはアルセンに語りかける。


『アルセンのいる場所から、英雄になるためには、本当に途方もない、先が見えない努力が必要となるよ。しかも、報われないかもしれない。

そんな努力をする覚悟も必要だ。

何より努力が昇華されなかった時の、"虚ろ"を受け入れ、また努力を続ける根性が今度はいる。アルセン、それが君には出来るか?』

 

(これでアルセンが諦めてくれたのなら、こんなに言葉を並べないか)

ユンフォは暗に諦めるように進めながらも、アルセンの答えは予想できてもいた。

ここに来る前、王宮での国王での国王との会話をユンフォは振り返る。


『アルセンの外見は母親のバルサム似の大変可愛らしいもんだが、中身は父親似だから、後見人なるにしても覚悟をしておけ、ユンフォ』

玉座に座し、目の前に傅く、国の新しく人材育成者となった男にアドバイスをするように国王グロリオーサは口を開く。

アルセンの後見人なる事の許可を得るために、謁見した途端にそんな事を言われ、驚いた。

グロリオーサはアングレカムとは"臣下"の形は一応とってはいたが、民衆の前でなければ"親友"と変わらない間柄。


だから国王は、まだ急逝した親友を喪った悲しみも癒えていないだろうとばかり思っていたが、いきなり親友の"腹黒"ぶりをつらつらと語り始める。

ユンフォが出した後見人の認諾の書類を内容も確認せずに、グロリオーサは勢い良く国王認証の印を捺しながら更に言う。


『アルセンは天使みたいな顔をしている癖に、きっと父親と同じように頭の中で"おっとろしい思考回路"でとんでもない理屈を、こねくりだすからな。

本当に、"覚悟"しておけよ、ユンフォ』

諄く感じるくらい、"覚悟をしておけ"と言われて、流石にユンフォも思わず印が捺された書類を受け取りながら、苦笑してしまっていた。


まだ決起軍を作ったばかりの頃は、鬼神と呼ばれる強さを誇るグロリオーサを


『貴方は馬鹿みたいに強いから、大丈夫ですよ』

その一言で敵の群れの中に、単身放り込んで置き去りにしたり。


敵が戦場に到着した途端に、戦意を根刮ぎ削ぎ落とすような策を練って実行して、後始末をグロリオーサと現在は法王となったバロータに押し付けたり。

"親友グロリオーサ"としてが知っている限りのアングレカムの"偉業"、をユンフォに伝える。


『この話をアルセンが大人になって、私達のような縁を持った親友が出来たのなら、ユンフォ。

お前から、アルセンに話してやって欲しい』

それまでふざけた様子満載の感じで話していた大きな口元を、引き締め、国王はユンフォを見つめた。


『伝えておきたい話だ。

だが私が伝える為には、時が持たない』

この言葉に、ユンフォは深く頭を垂れる。

 

『一般的に歴史と言う形で書物に記されているのは、如何にも"真実"のように記されいる。

だが、いざ自分の手で調べて見たのなら、都合良く捏造し、ねじ曲げられて伝えられる事が遥かに多いのを、私―――俺は、大人になってから漸く知った。

アングレカムは頭が良いから、決起軍起こした時分、ガキの頃から解っていたらしい』

ユンフォも、それは良く知っている。

彼が副官をしている時には、アングレカムは様々な(つて)を使って、各国の歴史書を仕入れては研究していたのをよく見掛けた。

そして"国と民の為になる政治"、暇さえあれば探究していた。


『アングレカムは、"歴史と事実と真実"が重なるとは限らないとよく口にしていた。

それを知って解っていながらも、後世に自分の名前が、きっと非常に誤解を受けやすい形で残る策や政策でを打ち出していた。

この国を平定した後の、安寧が"長持ち"させる為に駆使しまくった』

グロリオーサは、懐かしそうに話し続ける。


宰相アングレカムの辣腕を代表する話として―――"無血の侵略者アングレカム・パドリック"があった。

ある時、他国から侵略を受けそうなので守って欲しいという、南国の国の王から使者を受けた。


平定したばかりのセリサンセウム王国では、宰相に就任したばかりのアングレカムは、国王になったばかりのグロリオーサに

『とりあえず、四の五の言わないで判を願います』

と理由もなにも話さずに、ある書類に判を捺させた。

そしていきなり"南国をセリサンセウムの植民地にした"という布告を宰相として行った。


国の内政の見直しを、バロータとユンフォに委ね―――押し付けて、必要があれば使い魔を飛ばすようにと、言って、アングレカムは船団を率いて、"植民地"となる南国まで行った。そこで彼直々に、その南国にあった政策をその国の為政者に指南し、国を自力で守る事が出来るまでアングレカムが駐留する。

その間にあった移民は純粋に商いを行う者や、南国が単純に好きという国民ばかりで、セリサンセウムと南国の通貨の割合レートも平等と公平が、アングレカムによって徹底されていた。

そして数年程で、南国の国の政治や軍の基盤が固まったのなら、あっさりとアングレカムはセリサンセウムの王都へと引き上げる。


そして再びグロリオーサに

『判子、お願いします』

と、判を捺させる。


 そして"南国をセリサンセウムの植民地から解放した"と布告をグロリオーサに発表させた。

アングレカムは一滴の血の雫も流させず、南国を"侵略"し、そして解放した。


『それでも、その南国に攻め入ろうとする国があれば、俺を牽制の意味で南国に行かせた。

侵略をしようと目論む噂のある国を、一斉にセリサンセウム国に招いて、会食の席で南国の事を"鬼神が偉く気に入っている"と笑顔で言ってのけた。

まだ元気だった王妃でもあるトレニアには、助勢者である賢者から教わった、極めて攻撃的な剣舞を"もてなし"にして、刃先を客人の鼻先までやらせたりな。

アイツはその間に、新しい王専属の諜報部隊を作って。

俺もそうだが、アイツも自分という人がいくら泥塗れになろうが、やりたい事はやる人間だった。

一応いっとくが、善悪の分別が通用する範囲でだからな?』

グロリオーサとその仲間達の"物語"に、ユンフォはまた笑った。

笑ったの見て、グロリオーサは傍らに置いてある、太刀を見つめ、懐かしそうに、また口を開く。


『不思議な事にな、俺は"平定の英雄"達は、平定を終えるまでは誰1人として、最初は"家族"を持とうなんて考えなかった。

トレニアとは男女を超えて、人として尊敬していて、最後まで友愛以上の気持ちを持てなかったし、彼女もそうだと言っていた。

そしてアングレカムは、その筆頭とも言える感じだったのだがな』


『私は、家族をもつもりはありませんから、非常と言われようが、悪魔と言われようが、全く構いません』

冷たく微笑みながら、アングレカムがそう言うのを副官に成り立てのユンフォも聴いた事があった。


『家族は支えにも成りますが、良い意味で枷にもなりますから。

でも、枷があると、やはり動き難いこともあります。

"スピード戦"が得意とする私が枷をつけたなら、結構簡単にやられてしまう自信があります。

だから、私は"家族"を持ちません。

自分の弱くなった理由を、大切な家族のせいにしたくはありませんから』


その数年後―――そんなアングレカムがグロリオーサの姪にあたる、バルサムを娶る事になった。

ユンフォは英雄アングレカム・パドリックがこれでもかという程、日に焼けた顔赤くするのを、その時、初めて見た。


『ユンフォ、"あんな話"をして貴方にしておきながら』

アングレカムが恥ずかしそうに言うのを、ユンフォは笑顔で首を振る。

 

『いいじゃないですか!。バルサムお嬢様は、ずっと昔からアングレカム様の事、一筋でしたから』

南国に出張中のアングレカムに、週に一度は手紙を出していた少女をユンフォは知っている。


時には高飛車に"アングレカム様のご趣味を私に教えなさい!"とアングレカムが非番の日にやって来て、いきなり言われた事もあった。

ただ、実際にアングレカムがいると、バルサムは紅くなってモジモジてしている時などは、ユンフォからみてもいじらしい。


『私も、赤ん坊の頃から知っている女性を娶る事になろうとは。

誕生日に"金の指輪"を欲しいと言われて、贈ったらまさかそれが求婚プロポーズになるなんて』

国の宰相を務め、悪魔だの非情だの言われ、あらゆる知識をもって国を安寧に導く策を弄する男は


"金色は最愛の意味を表し、その色の指輪を贈ることがプロポーズになる"

という意味を、全く知らなかった。


親友の姪っ子で、自分によくお茶を出してくれるので、バルサムの事は確かに可愛いとは、アングレカムでも思っていた。

だから親友から、バルサムの誕生日が近いから何か祝ってやって欲しいと、グロリオーサに言われた時。

彼女の好みが分からず、手紙を出して何が欲しいと尋ねたら直ぐに、返事がきた。


"アングレカム様が宜しかったら、金色の指輪を私に贈っていただけますか?"


少し、震えるように見えるバルサムの字でそう書かれていた。

宝飾店に行き、女性に金色の指輪を送りたいと言ったとき、店員にやけに微笑まれた理由が後になってから、わかる。

そしてバルサムの成人の誕生日を祝うパーティーで、堂々と渡してしまった為に、あれよあれよとバルサムはアングレカム嫁ぐ事が決まってしまった。

断る事も出来なかったわけじゃなかった。

けれど、"プロポーズ"された事に、緑色の瞳から喜びの涙を流す少女が本当に可愛らしくも思えたから、アングレカムはバルサムを娶る事を決意した。


"嬉しいです、ずっと御一緒させてください。アングレカム様"


こんなに、自分を求めてくれる人は、きっといないから。


『とりあえず、子供が出来たなら"金色の意味"と"指輪"には贈り物をする際には、注意しなさいと真っ先に教えなければなりませんね』

何やかんやでバルサムとの"子ども"の事も考えているアングレカムに、ユンフォは呆れて、それでも励ます意味でこんな事を言ってみていた。

 

『アングレカム様とバルサムお嬢様のお子さんが、"女"のお子さんだったなら、金色の指輪を"贈られる"立場になりますよ』

ユンフォからそう言われて、アングレカムは、今さらその可能性に気がついた様子で、成る程と頷いていた。


『成る程、バルサムに似た女の子なら、その可能性も十二分にありますね。

というか、おしかけてきてもおかしくはないですね。

いや、例え男子が産まれたとしても、バルサムに似た容姿となったのなら』

アングレカムはふざけているのではなく、至極真面目な顔をして、妻となる女性に似た男児を想像して、結果可愛い息子の偶像が浮かぶ。

そして、また心配を積もらせているのを見て、副官は呆気に取られる。


『いっ、いくら何でも、バルサムお嬢様似でも、男の子なら、金の指輪を贈られる事なんてありませんよ、アングレカム様。

それに、金の指輪の意味も知らずに、しかも男に贈る男なんていませんよ』

副官が笑って言うと、アングレカムは額に手を当てながら、自嘲する。


『私は全く意味を知らなくて、プロポーズをしてしまったんですが』

どうやらアングレカムは"金色"の意味を知らずに、成り行きみたいにプロポーズをしてしまった事に、気持ちにしこりが残っている。


『アングレカム様は、確り責任とっているじゃないですか。

何も知らなかったにしても、作ってしまった縁にちゃんとケジメをつけて―――バルサムお嬢様を、幸せにして差し上げれば、それでいいんですよ。

それに、バルサム様の事は嫌いじゃないんですよね?』

額から手を外し、困ったような笑顔―――アングレカムの本当の笑顔を浮かべる。


『それは好きだとはっきり言えますね。

いつも凛としているのに、私の前でだけ、どういうわけだかいつも緊張していて。

それでも、私が紅茶が好きだと知ったら自分の試験がある前日でも、紅茶を入れる練習をして。

だから、そんな"女の子"にはもっと良い縁があると考えていましたし、"用意"も国王と話してはいたんです。

私はそちらの方が、彼女の幸せに繋がると考えていましたから』

それから困ったような笑みから、寂しそうな笑みになっていた。


『つまるところ。私は可愛らしい彼女を、バルサムを"英雄"の妻にする事が、幸せ過ぎて怖いんですよ。

"英雄"なんて、綺麗な言葉で誤魔化したとしても、戦で人を(あや)めただけなんです』

少しだけ空気が重くなりそうになった時、窓際で、小さくカタンと何か音がしたと思ってユンフォは一応"護衛"の役目もあるので、窓を開ける。

すると、思った以上に心地好い風が"花婿"の待合室を、満たしたなら、花嫁の世話役のトレニアが、呼びに来て、話はそこまでとなった。


("英雄"は人殺しか)

あの時は忘れていたが、アングレカムの言葉がユンフォの心を占めた。


『アングレカムの息子、アルセンが"英雄になりたいと"と言い出したのなら、ユンフォ、お前はどうする?』

グロリオーサの声でユンフォは顔を上げる。


(陛下は、ずっと待っていてくださっていた?)

玉座にいる人は、静かに傅く自分を見つめていた事に、気がついた。


(陛下から、アングレカム様の懐かしい話を聞かせてもらって、それで私は―――)

いつの間にかアングレカムと過ごした、懐かしい充実した日々を、思い出し耽っていた。

国王が、ユンフォが思い出に浸るために、黙した事にも気がつけなかった。


かしずく男は、一時完璧に尊敬出来る上司と気さくな部下として流れた、穏やかで楽しい記憶に囚われていた。

記憶の戒めから抜け出した時、ユンフォは思わず、口許を手で覆う。

心臓が激しく高鳴り、感情が込み上げ、溢れて来ていた。


(アングレカム様!)

急激に、大きな喪失感がユンフォの心を占める。

グロリオーサはそんな親友の元副官を見つめて、国王としてユンフォにおおらかに言葉をかける。


『私が話したのと同じように、"ユンフォとアングレカム"しか知らない話を、後見人としてアルセンにしてやってくれ。

きっと大好きな父親と同じ英雄になりたいと考える、アルセンの為になる』

ユンフォはもう言葉を続けられない。

ただグロリオーサの意に従うのを示す為に、激しく頭を縦に振る。


『アングレカムの弔いの支度の時は、本当に助かった。

お前という副官がいたお陰で、家族も友である俺も、心置きなくそれぞれの形で、アングレカム・パドリックに別れを告げられた。

だから、ユンフォ。

お前は今、ここで"泣いて"いくが良い』


『―――あ"い"っ』


洟が詰まる声で返事をし、ユンフォの穏やかな印象ばかりを与える瞳は、この時は悲しみだけを湛えて、ボロボロと泣いた。

自分も"アングレカムを喪った事を悲しんで良いのだ"とも、気がついた。


『君が、ユンフォ・クロッカスですか。私はアングレカム・パドリック。

雑用を任せる事が多くなるでしょうが、宜しく頼みますね』


よく日に焼けた、怜悧な印象が強い雰囲気で、非情・悪魔と呼ばれた人。

しかし、いざ家族をもったのなら、誰よりも慈悲深い考えを表に出すようになった人。


(アングレカム様)

もう一度、名を心の中で、上司の名前を呼んだ時。

いつも、仕事帰りに執務室を出る仕草、少しだけ副官である自分に振り返り、左手を上げる仕草が浮かんで。


『じゃあ、ユンフォ。"お疲れさまでした"』


ユンフォは、その人の死を漸く悼み、別れを実感する事が出来た。


国王の前で散々涙を流したのち、まるで涙の跡など感じさせない顔で、彼の仕事を引き継ぎ、ユンフォはパドリック邸に赴いた。


必ずされると思っていた宣言を、アルセンからされた。

ユンフォなりに、少年の覚悟を試す言葉を口にしても、やはり引かなかった。


『アルセン、ではこうしよう。私は君を英雄にしてやる事は出来ない。

だけど国が英雄に育てようとしている人を、2人、間近に見せてやる事は、私の力で出来る。

だから、その2人を見て、アルセンは英雄になりたいかどうか決めればいい』

後見人の言葉に、幼いアルセンは驚いた。


『ユンフォ様、それではまるでもう"英雄"になる方が決まっているように聞こえます』

ユンフォはここで、英雄を目指している少年に申し訳なさそうに頷いた。


『そうだよ、アルセン。君の"父上"が、安寧の世が続くように作った、"仕組システム"だ。

1国につき、英雄は"4人まで"しかおけない仕組みを作り上げた。そして、各国に協定まで結ばせた』

『父上はどうして、そんな事をなさったのですか』

このアルセンの言葉を聴いて、アングレカムはやはり最愛の家族の前では、慈愛に満ちた人だったのだと、感じた。


(決して、非情でも悪魔でもない)

でも、彼の息子が"英雄"を目指すのなら、父が作った情を省いたシステムをユンフォは、躊躇う事なく伝える。


『力関係をハッキリさせるため。

人が人を疑うのは、まず"わからない"という気持ちを抱えてしまうから。

そしてもしも、隠れて過分な力―――英雄と呼べるような人材を、"つくろう"としたならば。

アングレカム様がお作りになった、国王直轄の諜報部隊がすぐに動くようにしてある』

直轄部隊の動く意味は、幼いアルセンにはまだ難しいかと思われたが、不安そうな表情から、何かを察しているのは分かった。


『そしてね、アルセン。もうこの国では、次に英雄にしようと考えている人が、3人まで決まっているんだよ』

『3人もですか?』

自分の父親が作った"仕組み"で1国に4人しか英雄が置けないというのなら、あと1人の枠しか空いていない。

幼いながらに焦る顔をするアルセンに、ユンフォは落ち着いた顔だが、それでも先程言った事を踏襲して語る。


『3人とも、先程言った通り。

何も後ろ楯のない、アルセンよりは年上だけれども、まだ子どもと思えるそんな人だ。

私はその子達を"英雄"に育てるよう、いや、仕立てあげる任務に先程就いた。

本来なら君の、アルセンの父上が進める仕事のはずだった』


『中々、曲者揃いですが、私達の世代とはまた違った面白い"英雄"になりそうです。ユンフォ』


ユンフォは楽しそうに語る上司に資料を整理を頼まれながら、英雄候補達の肖像画を垣間見た。

アングレカム並みに褐色の肌をした、如何にも武骨そうな身体の大きな少年、グランドール・マクガフィン。

髪も瞳も紅色の気の強そうだが、優しさが肖像画からでも感じられる少女、メイプル・イベリス。


そして―――にこやかと言うよりは、不貞不貞しく笑っている髪も瞳も鳶色の眼鏡をかけた少年、ネェツアーク・サクスフォーン。

その少年や少女達が、やってきた"偉業"も資料に記されていた。

農民を苦しめていた、貴族が用意していた護衛部隊の半分以上を斬り捨て、貴族を半死半生の状態にしたグランドール。


孤児を集めて、慈善活動をしていると見せかけ、実際は子ども達に過酷な労働を強いていた、自称"慈善者"の実態を調べ上げ、そして荊の鞭で縛り上げて、軍に蹴り出したメイプル。

主だった活動はしなかったように見せているが、グランドールにしても、メイプルにした事にしても、理屈や証拠を持ち出して、彼と彼女の罪状の一切を"不問"してしまったネェツアーク。


そんな彼等の生い立ちも簡単には記載されていて、グランドールが貴族を憎む理由も、メイプルが子どもに対して本当に慈しみを持っているわけも分かった。

ネェツアークという少年の虚ろにまみれた過去も、ほんの少しだけ記されていた。

そして、3人とも必ず人の命に手をかけており、悔やみながらも、前を見据えて生きていた。


 

『英雄を育てるのが、父上がするはずだった"仕事"なのですか?』

『そうだ。君の父上は、アングレカム様は、アルセンを多分、英雄にはしたくはないと、考えていたと、私は思うんだよ』

ユンフォからそう言われると、少年はまだ可愛らしくにしか見えない顔を、悲しそうに歪めた。

だが、アングレカムの悲痛と自嘲を含む言葉を聞いていたユンフォとしては、アルセンに"英雄"を目指そうとする事を進める事は出来ない。


"英雄なんて、綺麗な言葉で誤魔化したとしても、戰で人を殺めただけなんです"


圧倒的に強い、鬼神と呼ばれる友人を単身で敵陣に放り込んだのは、少しでも友人が心置きなく、敵だけを斬り伏せて、仲間の巻き添えを作らないため。

敵の戦意を徹底的に削ぎ落としたのは、どちらの血も流させないため。


非常や悪魔の名前がこんなにも各国に広がっているのは、アングレカムとの"戦"で生存者が多かったから。

自分の"悪辣さな話"に生きて"およがせ"存分に尾びれや背を纏わせて、如何にもアングレカム・パドリックが非情である事をしたように触れ回らせた。


"家族を作るつもりのなかったひと"だったから。

自分のが担う事になった"英雄"と言う欲しくもない称号を、過酷なものに仕上げる。

まさか家族をもつ事を予想しなかったから、そして最愛の我が子が"英雄"を目指すとは考えもしなったから。 


親友のグロリオーサが目をつけたメイプル。

グロリオーサとトレニアの間に産まれた、息子ダガーが目をつけたグランドールとネェツアーク。

ユンフォから見ても、その3人は"強かった"。


(だけれども、この子はどうだろう?)

ユンフォは母親に似た容姿のアルセンを見て、まず心配になる。

必ず軍の学校に入ったならば、この愛らしい容姿は男の癖にとからかわれる事だろう。


(いや、心配するのはそんな事じゃないか)

グロリオーサが諄いほど言っていた事。


『アルセンは、外見を母親のバルサム似の可愛らしいもんだが、中身は父親似だから、後見人なるにしても覚悟をしておけ、ユンフォ』

もし中身がアングレカムにそっくりならば、周りに何と思われようが"自分の犠牲は全くいとわない"その心胆も多分同じなのだろう。

そして"英雄"は3人、もう殆どきまっている状態。


(今は、こう言うより、仕方ないか)


『先程も言ったけれど、今度の春から私の手元、軍の学校で英雄候補の2人を訓練生として、預かる事になった』

アルセンはこっくりと頷いて、話の続きを待つ。


『この2人ともに、既に優秀な人材と周りも認めている。

だから、本来なら4年はかかる教官の立場―――まあ、軋轢が出ないように補佐官留める予定だけれども、半分の2年という時間でさせるつもりだ』


『2年、ですか?』

丁度、アルセンが国が政策で定めた"一般"の訓練生が軍隊に入れる年齢になるのに後2年。

まるでアルセンが入隊するのと、2人の英雄候補の彼等と出逢うのを示し合わせるように、ユンフォは既に動いていた。


『何も後ろ楯のない彼等を、英雄と世間で認めさせる為の下準備も1つされてある。

ここ数年、国境で規模を少しずつでは確実に広げ始めている夜盗団というよりは、もう賊の集団と言ったほうがいいかな。

50人ばかりの集団を、その2人で壊滅してきて貰おうと考えている』


『英雄の候補、2人だけでですか?』

アルセンは緑色の瞳を丸くして驚くが、ユンフォは当たり前のように頷いた。


『そうだ、アルセン。君は魔術は得意だろうが、そういう賊と戦うなら、腕っぷしも必要となる。

そして、今でさえ君と英雄候補となる少年少女達と、力の差がそれだけついている』

悔しさからか、アルセンはまた唇を咬んでいた。

それでも、瞳には全く諦めの色はない。


『君が英雄になりたいのなら、そんな活躍をする2人に追い付き―――追い越すぐらいの活躍がなければならない。

先に2年というハンディキャップがある上で、目指すことになるけれども、それでもいいんだね?』

少しばかり厳しい雰囲気で言って、アルセンはそれを怯まずに受け止める。


『はい、ユンフォ様。私は軍の学校に入ったなら、その方達に追い付いて見せます。

国や人に認められるかどうかは、私の努力ではわかりません。

けれども、身体を鍛える事や勉学を、少しでも今の自分に出来る事を、懸命にしておきます!』

そういう風に答えるアルセンを見ると、ユンフォは彼の母が少女だった頃を思い出す。


『アングレカム様が、少しでもリラックス出来るお茶を!』

そんな事を今のアルセンと同じ年のバルサムは言いながら、茶葉の研究をしていて、ユンフォはアングレカムが不在時によく協力させられた。

 

(この子の父や母を手伝ってやったんだ、息子の手伝いもしてやろう)

ユンフォは自分に与えられた権限を、アルセンが英雄になる為の努力を惜しまないなら、協力する事を心に決める。

ただその方法を、アルセンが受け止められるかどうか、試す為の言葉を出してみた。


『アルセンが努力を惜しまないなら、私は軍の学校における自分の力を最大限に使ってアルセンが、英雄になれるように、助力しよう。

そして完全に、アルセンの為の贔屓の行為、簡単に言えば"ズル"ともなるが、それを受けれるかな?』


『ズル、ですか?』

贔屓、"ズル"と聞いて少年は瞬きをする。

穏やかで誠実そうな人柄のユンフォから、そう言った言葉が出たことがアルセンには信じられない様子だった。


『本来は、入隊するにあたっては、内定が3ヶ月も前から決まっているものなんだ。

その訓練生がするまでの3ヶ月の間に、教官達は訓練生の履歴書を見て、訓練生同士の相性、得手不得手を見て、班を決める。

そしてその時の私の仕事は、決定の判を捺す事ぐらいしかない。

だけれども、"途中入隊"ならば、その入隊した訓練生を私の采配で、好きな班にいれる事ができる』

『私に、2年後の入隊の時は、途中入隊しろと言うことなんでしょうか?』

ユンフォはゆっくり頷いた。


『そうすれば、私はアルセンを英雄候補の2人が世話をする班に入れる事が、簡単には出来る』

『英雄候補の方を間近に見る』

『ああ、それはきっとアルセンの為になる。

2人の日頃の取り組み方、行動、普通と同じようでいて少し違う。それを観察するためのズルを、アルセンは出来るかい?』


『普通に入隊したなら、出来ないのですか?』

『出来ない事はないけれど、"確実"を望むなら途中入隊だね』

アルセンは少しだけ目を瞑り考えて、直ぐに答える。


『では、途中入隊にしてください。私は少しでも早く、確実に英雄に近づきたいです』


(目的の為なら、"泥"を被る決意は出来ているか)

アルセンの揺るぎない瞳をみて、ユンフォは頷いた。


『では、そのようにしよう。そして本当に"英雄"になりたいかどうか、2年後、彼等を見て改めて考えるといい』

何度目かのユンフォによる、英雄を諦めるように言う言い方に、アルセンもムッとした様子で口を開く。


『ユンフォ様、私は』

『"英雄"なんて、綺麗な言葉で誤魔化したとしても、戦で人を(あや)めただけなんです"』

ユンフォの言葉で、アルセンは開きかけた口が、丸く固まった。

彼が言った言葉は、父が言ったのだろうと、直ぐに息子には分かったから。


『アルセン、君のお父さんはアングレカム様は、君に人を殺めて欲しくはないと私は、思う』

泥に塗れるのは構わない、まだ汚れを灌ぎ落とし、容易に拭い去ることが出来るから。

けれども血に濡れ、穢れてしまったのなら。

穢れは必ず染みになり、落とす事は殆ど叶わない。

もし血の穢れに耐える事が出来ないのなら、英雄になどならない方がいい。


『でも、父上はなさってこられたんですよね?。

人を殺めて、それでも、国を平定させて、多くの人の生活を護る事に繋げたんですよね?』

父が穢れる事で、救われた命や気持ちがあったと息子は頑なに信じている。


『そうだね、結果的には多くの人の生活を護った。護れた事を、この国の国民は皆、喜んでもいた』

喜んでいたという肯定的な言葉に、パッとアルセンの顔が明るくなる。


『―――なら』

だが、アルセンが言葉を続ける前にユンフォは首を横に振って、"なら"の後に繋がるだろう明るい言葉を最初はなから否定をする。


『けれども、アングレカム様自身は、人を殺めてしまった事を悲しんでいた。

周りの人が、いくら助かりましたと言ったとしても、後悔をし、悲しんでいたに違いないんだ。

そうでなければ、"幸せ過ぎて怖い"などと言う事はなかっただろうから』

父の部下であった、これからは後見人となる人の言葉にアルセンは、唇をまた噛んでいた。

そして、自分以上に父の心情を理解しているこの人に、嫉妬もしている。


『アルセン、英雄だけが君の父上のような人になる方法ではないと、私は思う。

そして、母上、"バルサムお嬢様"の涙を止める方法でもないと、私は思う。

だって、バルサムお嬢様が心から欲しているのは、アングレカム様だけだから』

アルセンに会う前に、礼儀としてユンフォが挨拶に行った先にいたバルサムは、まだ泣いていた。

アングレカムが家族で過ごすのを好んだ客間で、姿勢良く、アングレカム椅子の横の椅子に座り、外を眺めながら静かに涙を流していた。


そして、涙を流す女性ひとが愛した人は、英雄という人。

少しでも同じものに近づいて、母に自分の中にある―――アルセンの中にある父アングレカムの部分を感じて貰って、心を癒してあげたかった。

英雄となって、母の涙を、止めてあげたかった。

だけれども、憧れていた父は、本当は戦う事を悲しんでいたともいう。


『じゃあ、どうすれば平定は、悪政に虐げられていた人々の日常が守れたというんですか?』

『アングレカム様も、きっとアルセンと同じ様な気持ちを抱えながら、それでも戦っていただろうと思います』

例え国を平定するためにという、大義名分があったとしても。


手を下した相手が、自分以上に権力をもって多くの人の命を奪っていたとしても。

命を奪ったのなら、人殺しなのだから。

そして、命を奪った相手にも、愛していた人や家族がいただろうから。

自分がしてきた罪がどれ程の物か解っているから、少しでもこれ以上人の命を奪わなくても済む方法があるならば、と。


『だから、アングレカム様は平定を終えた後には、各国の政治を学び"戦争が起きない、起きにくい世界"を目指していた。

例え争いが起こったとしても、血を極力流さずに済む方法を平定後は研究し、捜し続けておられた。

そしてこの世界で、我が国がもっとも軍力がある内に、英雄の仕組みを作り上げ、広げようと努めておられました』

ユンフォの口調は、いつの間にか、かつて軍略を練る時のアングレカムに付き合うものとなっていた。


アルセンも、いつもの思いやりのあるユンフォの口調から、宰相で英雄でもあったアングレカム・パドリックを支えた、軍人ユンフォ・クロッカス少将になっているのに気がつく。

英雄の話が"策謀"が関わる話になっていくのを、子どもながらに気づいていながらも、言葉を止められなくなっていた。


『でも、ならどうして、最も血を流すだろう英雄候補が3人も、この国には育てられようとしているのですか?!。

矛盾しています!英雄がいるから、戦争が、争いが起きないのではないのですか?!』

賢いアングレカムの子どもだから、色々な矛盾や、"長すぎる策"に気がつけないでも、おかしくはないとユンフォにもわかっていた。


 

(アングレカム様、幼いアルセンには、貴方が練り上げた、途方にも無謀にも見えるかもしれない。

けれど"人間"が安寧の大切さに気がつき、続ける為の"策"を話すのをお許しください)


『―――それはまだ、英雄の仕組みが、"2回目"の仕組みを動きだしたばかりの、"中途"だからです。

まだ、策は1度目の地均しをすまし、やっと2度目が施行を始めたばかりですから』

『2度目の、中途、って、え?施行、?』

アルセンの緑色の瞳が、少しだけ不安の色を孕ませて"父"が考えた策を語るユンフォを見上げる。


『アングレカム様が、練り上げられたのは、悲しくも愛しい"人間"の性を知った上の策です。

人は―――"安寧に飽きる"という、恐ろしい生き物だと、アングレカムは気付いていらっしゃった』

既に動いてはいたが、書面に認めていなかった大まかな"英雄の仕組み"を書き上げた後、アングレカムは小さく嘆息していた。


『ユンフォ。自分が神にでもなったつもりで、策を練っているわけではないのですが、どうも、人というモノが、悲しくて堪らなくなりました。

そして、多分私の他の先人も気がついていたとは思うのですが、皆さん、策は練っても頓挫したか、"遺志"を続けて貰えなかったか。

それとも、私みたいに非情なやり方はやはり駄目なんですかね』

アングレカムはそう言って急逝する前に、施行中である"英雄の仕組み"の文章を書き上げた物をユンフォは預け、清書を頼んでいた。


『―――アルセン、英雄はある種の"見せしめ"なんです』

『"見せしめ"って。そんな、人を物みたいな言い方を―――』

父親が哀しんでいたように、息子も人を人として扱わない言葉に哀しみを感じていた。


アルセンが哀しんでいるのをわかっていながらも、ユンフォは彼の父が練った"仕組み"に乗っ取って言葉を続ける。

―――もしも、これでアルセンが英雄を目指すのを諦めてくれたなのなら、と希望を抱きながら。


『見せしめが、あまり良くない言葉と言うのは周知の事ですが、それがこれから英雄になるだろう彼ら彼女―――。

そしてアルセンの父上自身を含んだ、"平定の4英雄"を表現するのに丁度良い言葉だと、アングレカム様は、仰っておられた』



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