【子供から大人に】
心構えなんて関係なく、体はどうしても成長します。
「さて、体の微調整をしながら話を伺っても構わないかな?」
ウサギの賢者は書斎に入ると、そう告げ、すぐに愛用の自分の椅子にピョンと腰かける。
「う~ん、やっぱりいつもと違うと疲労感が多く感じるなぁ」
ウサギの賢者はそんな事を言いながら、フワフワの手首をグルグルと回したり、自分の足先を摘んで引っ張ったりしていた。
「――――」
リコは部屋に入ったのはいいが、口を開かない―――"話の切り出し方"を迷っていた。
「ん~?そんなに、デリケートな事かな?」
ウサギの賢者は調整をしながらも、リコの顔を見つめたなら、綺麗な女性騎士は小さく息をついて青いフレームの眼鏡を外した。
外したリコの顔はかけている時より、優しさが増したようにウサギの賢者には見えます。
「話さなきゃいけないんですけど、殿方にはやっぱり話づらいものですね」
そう言って、リコは眼鏡をかけ直し、何時もの怜悧なイメージに戻り、覚悟を決めたようにウサギの賢者を見た。
「最初に尋ねますが、賢者殿はリリィちゃんのお母様をご存知なんですよね?」
賢者の長い耳が激しく2、3回ピピッと動いた。
「悪いけれど、彼女については何もワシは語らないよ」
圧のある声で牽制し、断言したならリコは軽く息を呑んで、ウサギの賢者の杞憂を拭うべく、説明を続ける。
「ご安心ください。リリィちゃんのお母様について尋ねたワケはあくまで今回の調査で、彼女の体調を気にかけての事です」
「リリィの体調?」
珍しく困惑した声を賢者は女性の騎士に返した。
「―――率直に言わせて貰います。リリィちゃんの"初潮"の心配を私はしています」
ウサギの賢者は丸い瞳を更に丸くしたのを確認して、リコは小さく咳を1つし、話を続ける。
「女の子は母親と成育過程が似る事が多いですから。ウサギの賢者殿が知っている範囲で構わないので、教えていただけませんか。もし、時期が近づいているのなら、あとの事は私が責任を持って教えます。
11才は早いかもしれませんが、始まる子は始まりますから」
「アッハッハッハッハッ!」
リコの優しくも真摯な言葉に、ウサギの賢者は、自分が随分見当違いな心配をしていた事に思わず笑い出してしまっていた。
「ああ、なるほど。そういった事を心配してくれていたのかい。すまないね。ただ、本当にリリィの事を心配してくれて、ありがとう」
余程気が抜けたのか、ウサギの長い耳を、へにゃりと曲げてしまう。
「そうか、リリィもそんな時期になったんだねぇ。うん、そういったことならこちらからも協力をお願いしたい。やはり、これは男性より女性から話を聞いた方がいいだろう」
ウサギの賢者が納得してくれた事には、リコは正直胸を撫で下ろしていた。
「賢者殿がそういった方面に寛容で助かりました。お年を召した方だと、稀に『破廉恥な!』と話も聞いて貰えないケースもあるらと話に聞きましたので」
これにはウサギの賢者が苦笑していた。
「酷いなぁ。ワシ、こう見えてもアルセンより2つ年上ってぐらいなんだよ」
「一人称がワシでそんな格好をなさっているから、実年齢も落ち着いていると感じられてしまいます」
アルセンより2つ上と言うのにはリコは驚いたが、年寄りと言うことを気にしているウサギの賢者が何だか微笑ましくて、優しく笑っていた。
「じゃあ、ちょっと待っていてね。母親―――彼女の生育手帳が確か机の奥にしまった記憶が…。あ、そうだ。先にリリィの生育手帳を見ておくといい」
ウサギの賢者は机の引き出しから、すぐにリリィの生育手帳となる、桃色で花柄背表紙の小さな手帳を取り出し、リコに手渡す。
「あら、随分かわいいですね。では拝見させて頂きます」
リコは手帳を開き、パラパラと捲っていく。
そして大切そうな事は、リコの手帳を取り出し、それに移し書いてていく。
「今までの発育で問題はないようですね。一応血液の型などは控えさせて頂きます」
「おお、あったあった」
机の奥の方にウサギの短い腕を突っ込んで、漸く古い手帳を引っ張り出した。
「いやはや、あの娘は元気者のじゃじゃ馬だったから、あんまり生育手帳をつける事もなかったが…」
古い手帳の中身を改めながら、チラリとリコをウサギの賢者は見た。
「ご心配なく、どうぞリリィちゃんに関する事だけ教えて下さい」
リコはソツなく返事をした。
「実を言えば、リリィの母親となった娘も災害孤児でね。色んな縁があってワシが引き取った。
引き取った時に年齢はわからないが、今のリリィよりちょっと上ぐらいだったよ」
10数年近く、仕舞い込んでいた手帳を見返しながら、ウサギの賢者はリコの心配に応えるべく答えを探す。
「―――初めて出逢った時はもう始まっていたみたいだ」
手帳を見て、険しい声をウサギの賢者は答えを出した。
「それは困りましたね」
"それ"を自分の手帳に記した後に、リコはペンを握った手を口許にあてて、本当に困った声を出す。
「どういうわけだけだが、体の準備が整っていて、旅行等で生活が変わると始まる事が初潮には多いんです。今回の事は、条件が合い過ぎています」
ウサギの賢者はそんなリコの声を聞きながら、書斎にある一本の柱を見つめていた。
「リコさん、すまないがそこにある柱を見てもらえるかね?」
ウサギの賢者に突如そんな事を言われて、瞬きをした後に、手早く自分の手帳をしまい込んで柱に近づいた。
「あら、キズがありますね」
柱には横に線を引いたような傷が数本ついていた。
(ああ、これは背を測ってつけたキズだわ)
無言で柱のキズを撫で、そしてリコは、ふと気がついた。
(このキズはどれも今のリリィちゃんより、背が高い)
「それはリリィの『母親』のものなんだよ」
ウサギの賢者がポツリと言った柱のキズで一番高いのは、リコの目の高さで止まっている。
「賢者殿とリリィちゃんのお母様、仲がよろしかったんですね」
リコは愛おしむように柱のキズを撫でて、椅子に座るウサギの賢者を見た。
「ワシにとっちゃ、年の離れた、じゃじゃ馬の跳ねっ返りの妹みたいなもんだったよ」
それから照れ隠しのように、ウサギの賢者はわざとらしい咳をした。
「で、リコさんに一番下のキズを確かめて欲しいんだが」
言われて、リコは柱にあるキズの中で一番低い位置にあるものを見つけた。
「―――やはり今のリリィちゃんと同じくらいですね」
一番低いキズをなぞりながら、リコは諦めのついた声を出した。
「やはり今回の監査『旅行』の前に一度、ゆっくりリリィちゃんと話していた方が良いでしょうね」
「アルス君にも話した方がいいかなぁ」
ウサギの賢者の言葉に、リコは
「彼は孤児院育ちですし、一応基礎教練のマナーの座学に含まれているから、一言いうぐらいで大丈夫と思いますよ」
と、サラリと流した。
「やれやれ、この監査はいろんな事がてんこ盛りになりそうだね」
多少気が重そうなウサギの賢者とは対照的に、リコは自分の手帳を再び取り出し、書き込みながら優しく微笑んでいる。
「いいじゃないですか。賢者になって10数年、本来『賢者』なら護衛部隊の1つを引き連れて、最低でも年に一度は演習調査をする筈なのにしてこなかったんですから」
手帳に書き終えたリコは、少しだけ澄ましてそう言うと、腰に手をあて、幼い子どもに言い聞かせるようにウサギの賢者にそう語った。
「ワシは演習に参加出来ない分、ちゃんと論文や魔法の応用をレポートにして免除してもらっているんだよ。後、チョコチョコとね」
小さな鼻をヒクヒクさせて、少しだけ意味ありげにウサギの賢者が言葉を付け足した。
「例え免除にあたる事をこなしても、不満に感じる方は不満に感じますからね。
賢者殿も、その理屈がわからなくはないでしょうに」
ウサギの賢者は椅子を降りて、自分もキズのある柱に触れた。
「リコさんや、あんた本当に先生に向いているよ」
「それはどうも。でも、転職する気はサラサラありませんので」
ニッコリと笑って、部屋をグルリと見回した。
「では、そろそろお暇させていだだきますね。
後、私とライちゃんで、今回の旅でリリィちゃんに必要なもの仕度しておいても構わないですか?」
「あ~、そっちの方は本当にお願いするよ。何かワシ、女の子の喜ぶセンスが全くわかっていないらしいから」
ウサギの賢者が再び鼻にシワを寄せながら、渋い顔をして顎を掻く。これにリコは思わず吹き出した。
「あら、そうなんですか?。賢者殿なら、そちらの方面もスマートにこなしていると思いましたけれど」
ウサギの賢者は、短い指から爪をニュッと出しチッチッチと舌をならす。
「『女性』と『女の子』は、別物と見做しましょう、と親友からアドバイス貰っております」
そんなことを言いながら、書斎の扉を開いたなら、心地良い風が入り込み1人と1匹を包み込んだのだった。