【let's study!】
何やかんやで、当初の予定通りグランドールとアルスは農業研修ミーティング。リリィとルイは、エリファスが教師となり勉強する事になりました。
「何それ、すっごく楽しそうじゃない!。私も見たかった~」
リリィが思いの他元気も良いし、いつもとそんなに変わらないし、朝の魔法鏡の話をしたら反応が良いのでルイは喜ぶ。
子供達は執事のロックが案内してくれた、ビネガー家の図書室で教師の代わりとなるエリファスを待っていた。
勿論、ぬいぐるみに扮しているウサギの賢者も一緒である。
「でも"ちっぱい"とか意味が分からない言葉もライさん言ってたんだよなぁ~」
「私も知らない。賢者さま、わかります?」
リリィが隣の椅子に座らせている、ウサギの賢者に尋ねると同時に入口の扉をノックする音する。
子供達は、ウサギの賢者に質問に答えて貰うのを、とりあえず諦めた。
ウサギの賢者は、心の底からホッとした。
「入るわね」
と、断りを言いながら、エリファスが色んな荷物を抱えて入って来た。
リリィとルイの向かい側に席を取り、荷物を"ドン"と置いて、大きな胸をドンとゆらし、にっこりと笑う。
「リリィちゃんにルイ君、これからマクガフィン殿とトラッド殿が研修中は私が2人のお相手をさせていただきます。それでは、よろしくね」
「マクガフィンなんて堅苦しい言い方しないで、名前で呼べばいいのに」
グランドールからエリファスとの関係のあらましを聞いていたルイが、羽ペンの指先だけで器用にクルクルと回しながら言う。
リリィはキョトンとした顔をしながらも、音がしないようにが鋭くルイの脛に蹴りを入れていた。
「ぐっ?!」
「あら、ルイ。どうしたの?」
リリィの鮮やかに鋭い蹴りを入れられた瞬間に、ルイは羽ペンを落とし、少女は心配するふりをしながら声をかけながらも、
(余計な事いわないの!)
と、ルイの耳元に小声で諫めていた。
エリファスはルイの遠慮ない物言いは想定内だったらしく、笑顔のままである。
「はい、それでは改めて自己紹介しましょうか。
私はエリファス・ザヘト。現在ロブロウの領主様と友人と言うことで、居候しながら仕事のお手伝いもしているという状態です。
年齢は―――マクガフィン様、じゃなくて、グランドールでもう良いわね。
グランドールよりは、年下。はい、じゃあ次はどういう訳か脛が痛そうなルイ君!」
エリファスは自己紹介をザッと述べて、次に脛を撫でているルイを指名した。
「いてて、えっと孤児で浮浪児やってる時にグランドールのオッサンに世話になったルイ・クローバーです。一応14歳らしいです!。嫌いなものは勉強です!」
ルイがリリィに蹴られた脛を擦りながら、滑らかに自己紹介をした。
「何で"14歳らしい"なの?」
リリィに尋ねられると、ルイはいつも首に巻いているスカーフを外して見せる。
「オッサン曰わく、どっかの民族は自分の生年月日を首に入れ墨するらしくて、それを見るには14歳で名前は"ルイ・クローバー"なんだってよ」
少年の項には随分と薄くなっていたが、刺青が残っている。
リリィは不思議そうにルイの項を見た後、感想を述べた。
「まるで、グランドール様に会うまで名前がなかったみたいな言い方ね」
「うん、オッサンが名前教えてくれるっつーか、つけてくれるまで名前なかったよ」
ルイが事も無げにそう言うので、リリィは目を丸くする。
エリファスはチラリとルイの項を見るだけにして、
「勉強が嫌いでも、義務で仕事なので頑張ってくださいね。はい、じゃあリリィちゃん」
と、ルイの身の上話から区切りをつけた。
「リリィ・トラッドです。兄のアルスと2人して自然災害の時に孤児になったそうです、11才です。好きな勉強は―――料理です」
リリィが淀みなく答えるとエリファスが頷いた。
「はい、わかりました。じゃあ料理は私よりマーサさんの方が良いから、ヒマな時にお願いしようかしら。それでは、2人から私に質問あるかしら」
エリファスの言葉を聞いて、
(ちょうど良い!)
と言った感じでリリィとルイは顔を見合わせるので、教師役の女性がキョトンとする。
だが、顔を見合わせる"教え子"達の様子で早速何か「知りたい事」があると察したらしい。
「どうぞ、遠慮なく質問して」
「じゃあ、"ちっぱい"の意味を教えて下さい!」
リリィが元気良く尋ねるのと同時に、横に座るウサギのぬいぐるみが若干不自然な形で、うつ伏せに倒れた。
椅子の座面が広いので、ウサギのぬいぐるみは落ちないが小刻みに震えている。
リリィは倒れてしまったウサギのぬいぐるみを起こそうと、急いで椅子から立ち上がると、後ろからルイの驚いた声がする。
「あれ、エリファスさんどうして固まってるの?。もしかしたら知らないっすか?"ちっぱい?"」
”ちっぱい”という言葉を連呼されて、エリファスは急速に頭の中で、
(ええっと、多分スラング(俗語・隠語)の類で、ちっぱいは多分"胸"のことよね?。
で小さいプラス胸の意味で―――って、こんな事はリリィちゃんやルイ君に教えられないわっ!。あら、でもルイ君て意外と幼いのね、思春期だからこういった事に興味あるかと思ってた。じゃなくて、どうやって伝えればいいのかしら!)
と言った事を1.5秒程の時間をかけて考えていた。
リリィはリリィで、ぬいぐるみに扮するウサギの賢者が俯せで震えているので、
(もしかしたら、俯せのままが良いかもしれない?)
と察して、さっと椅子に座りなおし、俯せのままのウサギのぬいぐるみの不自然さを誤魔化そうと
「ちっ、ちっぱいの意味はエリファスさんでもわかりませんか?!。ちっぱいって、何だろうね?ルイ!」
無知上の連続"ちっぱい"発言を繰り返していた。
「うーん、オッサンやアルセン様はちっぱいを聞いて苦笑いしてたから、女の人が使う言葉だと思うんだけどなぁ。
アルスさんや、アルセン様の部下の人はちっぱいを聞いて真っ赤になっていたし」
そしてやはり無知上のルイによる、ちっぱい発言がエリファスに向かって、銃の使い手に援護射撃される。
"ドン"と音がして、リリィもルイもびっくりとするとエリファスが机に突っ伏していた。
それから"降伏"するようにエリファスが両手を上げると、
「ストップ、リリィちゃんもルイ君もストップ。とりあえず説明するから、お願い"ちっぱい"を何度も言うのは止めて」
と、無垢な未成年による言葉責めを止めさせた。
そして辿々しい口調ながら、エリファスよる『ちっぱい』解釈を聞いて
少女は耳まで真っ赤になり、少年は
「じゃあ、エリファスさんは大きいから、おっ…ってそんままか」
と言いかけて、リリィから鋭い右ストレートをくらった。
因みに、ウサギのぬいぐるみはエリファスが机に突っ伏している内に自力で起き上がって座り直していた。
始まりこそグダグダだったが、堅苦しい雰囲気は払拭出来て、エリファスによる授業は、まず90分程行われた。
「―――では、いったん休憩にしましょうか。
30分ぐらいとるから、ゆっくりしたらいいわ。お茶を用意して貰うから、リクエストある?」
エリファスは立ち上がり、扉にの側にある屋敷内の伝達器具に手をかける。
「オレは―――何か甘いのください」
農家をする上で、必要な面積計算・座標計算・穀物収穫にかかる人件費やら、ルイには絶対必要な事ばかりの勉強に、逃げ出す事も出来ずに渋々ながらもやっていた。
「私は、お手洗いに行ってきます」
リリィはパッと立ち上がる。
「場所は大丈夫?」
エリファスが優しく尋ねると、リリィは小さく頷いた。
「マーサさんが、『お節介だろうけれど、知っておきな!』って屋敷内のお手洗いの場所教えてくれました。じゃあ、行ってきます」
リリィが小さな足音を立てて、図書室を出て行った。
「大変だな」
リリィの姿が完璧に消えてから、ルイが独り言を呟いた。
「ルイ君は月経を知っているの?」
エリファスが通信器具を扱いながら、何気なく尋ねた。
「人間のは、リリィが初めてかな。興味っていうか、関わりがなかったし。畜産の方はそれなりに。『仕事』だから」
勉強で頭を使いすぎたせいか、ルイの答えは淡々としている。
「リリィちゃんが、好きなのね」
「ん~、なんつーか、うん、好きだな、リリィ」
ルイは衒うように言ってのけた。
伝達器具に連絡が終わったエリファスは、ルイのこの『告白』に眩しそうな顔した。
「グランドールと正反対なのに、上手くやっていけるのはその裏表がないところなのかしら」
「ああ、オッサンは結構顔の使い分けが多いもんな」
ルイがそう言って、エリファスに向かってニッとトレードマークの八重歯を見せて笑う。
ただルイが見たエリファスの表情は、何だか気弱な顔になっている。
「ルイ君は独占欲ってあんまりない方なのかしら?」
「独占欲って何?」
「独り占めにしたいって事」
ルイは少しだけ考えて、
「オッサンは一応"英雄"だからさ、その時は絶対"1人だけのもの"にはなれないじゃん。
オレは拾って貰った時から、周りそう言われてきたから、オッサンに対しては独占欲はないよ」
キッパリと言った。ルイの言葉にエリファスは腕を組んだ。
自然と自身の豊かな胸を腕で抱えているように端からは見えた。
「そっか、ルイ君は最初から納得出来ているんだ」
「エリファスさんは、オッサンを独り占めしたいのか?」
結構深刻な話をしているはずなのだが、ルイはまるで昼食の内容を尋ねるような口振りだった。
「したかったけれど、"しちゃいけない"ってわかっていたから出来なかった。で、"逃げ出したの"」
「あっ、確かに言ってたな。"逃げられた"って」
これにはエリファスが吹き出した。
「私も"英雄の妻"になる覚悟や余裕がなかったから。でも、決して"嫌い"だからだったわけじゃないのよ」
「―――じゃあ、どうして」
コンコン
ノックの音とルイの声が重なった。
ただその"どうして"と言うルイの言葉には、
「グランドールには大切な人達がいたし。それに"私"は―――どうしてもやりたい事があったから」
と、はっきりした声で答えて、エリファスは図書室の扉を開いた。
扉を開くと、執事のロックと見習いのアトが深々と頭を下げている。
「ロックさん、ありがとう。アト、お仕事楽しい?」
エリファスが声をかけると、アトが頭をあげて
「はい、楽しいです」
とニコニコと笑って答えた。
「先ほどまでマーサの豆の皮むきを手伝ってくれていました」
ロックがそう言いながら、お茶と菓子が乗った台車を押して図書室に入る。
図書室に入ってからアトがキョロキョロとして、何かを探している。
「エリファスせんせー、リリいないよ」
「アトさん、リリィはトイレだよ」
一応年上なので、ルイはアトにさん付けをして説明する。
「アトは、リリィお嬢様が大層お好きなようです。お茶の支度の際にリリィお嬢様の名前を出したら、えらくご機嫌になりました。
アト、皆さんにお菓子を配ってください」
ロックはアトに小皿を渡す。
アトは丁寧に菓子の乗った小皿を、それぞれの席にゆっくりと配った。
「ただいまもどりました。あっ、良い香り」
そこにリリィが戻ってきて、アトが走って向かう。
「リリ、おやつもって来ました。食べて下さい」
「あっ、はい、いただきます」
アトに唐突に言われたので、リリィは目を白黒とする。
「リリィちゃん、大丈夫だった?」
エリファスが一応と言った感じで尋ねると、
「はい、大丈夫です」
とリリィは笑って、アトと手を繋いで自分の席に戻った。
ロックもリリィの事情は知っているが、口を出すべきではないと分かっているので黙ってお茶の支度をする。
そして茶を差し出しながら、アトには注意をする。
「アト、リリィお嬢様は"お客様"ですから、名前の呼び捨てはいけませんよ」
「あの、私は別にいいですよ」
リリィがとりなすが、ロックはここは頑なである。
「リリィお嬢様、お屋敷で働く者として言葉使いは大変大事なものです。
こればかりは」
ここで横槍をいれたのは、アトに出されたお菓子を早速平らげてご機嫌になったルイだった。
「いーじゃん。アトさんは言葉は丁寧じゃないかもしんないけどさ、態度はロックさんと同じくらい誠実だし。
オレはアトさんより、言葉はいいかもしれないけど、何考えてんのか分からんリリィに失礼なメイドの方をどうにかして欲しい。あ、"お代わり"あります?」
菓子の粉がついた指をペロリと舐めるルイに、行儀が悪いとリリィが叱っている。
「ルイ君はリリィちゃん、第一なのねぇ。ロックさん、それについては私が説明不足でした。多分、アトにはそこを治すのは難しいかも知れません」
それからエリファスは思いついたように、お菓子を待ち伏せでいるルイに質問した。
「ルイ君、前に得た原理・知識・経験を他のことにあてはめて用いることを何ていうでしょう?。ちなみにアトは具体的な場面に対してはこの能力はありますが、漠然とした場面ではこの能力が著しく低いです」
"い゛っ"、と声にならない声を出しつつも、ルイは腕を組んで考え始める。
が、なかなか当てはまる慣用句が浮かばないらしい。
一方のロックは既に気がついたらしく、
「それでは最初が肝心となりますねぇ」
と紅茶のポットを高くもちあげ、小さな琥珀色の滝をカップに注いだ。
見事な手際で注がれた紅茶に、3人の子ども達は思わず
「おおっ」
「わあ」
「ロックさん、上手です!」
と感嘆の声を出して、誰ともなく拍手を始めていた。
「―――恐れ入ります」
恭しく頭を下げてから、ロックは紅茶をエリファスに差し出した。
「ありがとうございます、ロックさん。で、ルイ君は答えはわかったかしら?」
「降参で―す」
ルイは両手をあげて、あっさりと全面降伏した。
「もう少し粘ったり、ここは図書室なんだら調べたりしましょうね。
ちなみに答えは”応用力”ね」
それから有り難そうにロックが淹れてくれた紅茶を口にする。
「応用力、ねえ――」
ルイはカップの把手を使わず、熱くない縁を上から摘みながら紅茶を飲むという独特なやり方をアトは不思議そうに見ている。
「ルイ君、それグランドールの真似かしら」
エリファスにはその独特な飲み方は、嘗ての恋人の癖だと直ぐにわかったらしい。
「変な飲み方です。―――ダメです!」
「え゛?ちょっと!」
アトがルイのカップの持ち方をなおそうと、手を出す。
ルイが慌てて、熱湯に近い紅茶の入ったカップを持ったままアトから逃げるように離れるが、"ダメです"とついてくる。
「アト、ストップ!」
エリファスの制止の声にわずかにアトの動きが止まったが、まだ視線はルイの持つカップに注がれている。
「ルイ君、カップをちゃんと取っ手に指を通して持って!」
エリファスの鋭い声の指示がルイに飛ばされる。
ルイは言われた通りにサッと普通にお茶を飲む時のように、カップの取っ手の輪の中に指を通して持つ形に切り替えた。
「ルイ君、カップ、ちゃんと持ってます。オッケーです」
アトは何事もなかったように、ルイの側から離れた。
「―――これが応用が効かないって事っすか」
半ば呆けるようにルイが、口を開くとエリファスが目を閉じて、ゆっくりと頷く。
「そう、最初に"セット"されたやり方と違う事になると、アトは酷く混乱してしまうの。
明らかな理解出来る説明があれば、受け入れる事はあるみたいなんだけどね」
「説明ってどんなかんじですか?」
リリィは興味を持ったらしく、尋ねる。
エリファスはカップとソーサーを持ったまま、少し考えてから口を開く。
「正直に言えば、私もアトの判断基準がどこまでが大丈夫なのかやった事がないからわからないの。
でも、部屋に入る前に"この部屋ではカップを正しく持たなくてもオッケーです"と言っても、アトは理解し辛いとは思うわ」
「ん?どうしてだ?」
ルイが空になったカップをソーサーに戻しながら尋ねた。
「あくまでも私の考え方なんだけれど、アトは"この部屋ではカップを正しく持たなくてもオッケーです"という言葉だけで自分の中の常識を抑制、抑制は気持ちを抑えるって意味ね、それが難しいの」
「難しい―――ですか?」
リリィにはまだピンとこないらしい。
しかしエリファスには想定の範囲内らしく、新たな例えを出した。
「じゃあ"この部屋ではカップを正しく持たなくてもオッケーです"ではなくて、
"この部屋では利き手を使わずに過ごしてください"って言われたらどうかしら。
しかも、利き手が必要な状況が迫られていたら?。そうね、ボールをいきなり投げられたり」
「うーん、俺なら何とか反対側の手で取るかも」
ルイがそう答えると、エリファスが愉快そうに笑った。
「ルイ君なら確かに出来そうね。
でも大概の人は、言われた事を忘れて咄嗟の事で、利き手を使ってしまうと思う」
「そうですよね」
リリィはそこには納得出来るようだ。
「で、少しごちゃごちゃした例え話になるけれど、アトにとっては"咄嗟に利き手を出す"のは"ルイ君に取っ手を正しく握らせる"ような事だったんじゃないかしら」
「咄嗟の事で、当たり前という事ですね」
ロックがフムフムと頷く。
「ええ?えええ?!」
とリリィにはやはりまだ理解し辛いらしい。ルイは何となく理解出来ているのか、何も言わない。
「リリィちゃん、あくまでも例えの話ね。"アトの感覚"を"一般的な感覚"に置き換えたならって事。ん~、私も説明が難しくなってきたかも」
エリファスは紅茶を飲み終えて、カップとソーサーをアトに渡した。
「んじゃあさ」
と不意にルイが立ち上がり、自分も飲み干したカップとソーサーをロックに渡した。
「おかわりはどういたしますか?」
ロックが厳かに尋ねる。
「いいや、それよりロックさんの手を借りていいかな?」
「後でお返しくださいね」
と、真面目な執事が冗談を口にしたのに、リリィが思わず笑ってから、場が多少和む。
それからルイはカバンからハンカチを取り出して、ロックの右手を拳にして貰って包み込んだ。
「もしも"利き手を使ってはいけない部屋"で、部屋に入る前にこうやって利き手をハンカチに包んだり、何らかの方法で"判りやすく"使えないようにする。
それなら咄嗟の時でも"利き手を使ってはいけない部屋"の約束は守れるってのはリリィはわかるか?」
「うん、それは分かる」
ロックのハンカチに包まれた右手を眺めながら、リリィは素直に頷いた。
「で、アトさんにとってはこの"利き手を包み込むハンカチ"みたいなぐらいに
"わかりやすくて、はっきりしていないと"オレが"カップを正しく持たなくてもオッケーです"って理由がアトさんにはわからないんだよ」
「ああ、そういう事なのね」
リリィにも、はっきりと理解出来たらしく、明るい表情を浮かべた。
しかし、直ぐにまた細い首を横に傾ける。
「じゃあ、アトさんが"カップを正しく持たなくてもオッケーです"を理解するには部屋をどうすればいいのかしら?」
「そこはアトさん次第だろうなぁ。でも"分かり易い"に越した事はないんだろうけれど。エリファスさん、そこらへんはどうなんすか?」
ルイも考えてはみたが、上手い考えが浮かばなかったらしく、エリファスに尋ねた。エリファスはアトを見ながら、
「ルイ君の言う通り、分かり易いに限るわね。
素っ頓狂な例えだけれど、それこそ"部屋の中が全体が真っ赤"で"この《赤い》部屋はカップを正しく持たなくてもオッケーです"といったら、アトも納得しやすいかもしれないわ。
常に視界には《赤》が入っているし"カップを正しく持たなくてもオッケーです"という約束がちゃんと心に残りやすい」
と答えた。
エリファスの答えを聞いて一同が成る程と言った感じになったところで、ロックがハンカチに包まれた利き手を解放した。
「さて一段落ついたところで、手は返していただきましょう。
しかしそう言った話を聞くと、アトにリリィお嬢様を呼び直させるのは、大変な努力が必要になりそうです」
「ロックさん、元々私が無理を言ってシュトとアトに執事見習いをお願いしたんです。アトの方は無理そうでしたら、どうぞ仰ってくださいね」
エリファスが申し訳なさそうに言うと、老執事は困ったように微笑んだ。
「エリファス様、正直に言わせて貰えれば、出会って2日目ですが私はアトが不思議と気に入ってしまったのです」
この答えに、エリファスは大層驚いた様子で激しくまばたきをしている。
「何故かわかりませんが、こうアトと時間を共にすると安らぐんですよ」
気恥ずかしそうに、両手を揉みながらロックは語り始めた。
「孤児だった私はを旦那様――"ピーン・ビネガー様"に拾って貰い、ビネガー家の執事として充実した人生を頂いております。
平定の際も旦那様の世話を任せて頂いたりと、家族を持つ機会も勧められましたが、執事の仕事に誇りを持ち、独りを通しました。
家族がいなくても、寂しいと思う時間もないほど色んな事がありました。
それなのに昨日出会ったアトに、とても親近感がわくのです」
「へぇ。それならロックさんにも、アトさんにも良かったじゃん!」
ルイが明るい声を出すと、ロックが周囲には想像以上の安堵の表情を浮かべた。
「変では、ありませんかね?。その、血の繋がりもなく、家族でもないのに、アトにそれだけ肩入れをするというのは」
肯定的な言葉を出した為か、ロックは殆どルイに語りかけている。
「オレもグランドールのオッサンに"拾われた"口だからさ。血の繋がりの大切さとかが、逆にピンと来ないんすよ」
ルイが癖っ毛の髪をボリボリと掻いて、今度はロックが驚いていた。
「いやはや」
と一言言って口を閉じてしまった。
「そんなに驚くって事は、ロックさんはルイとグランドールが親戚か何かと思っていたのかしら?」
エリファスが尋ねると、ロックは首を縦に振った。
「昨日、ルイ様の正装を拝見させて頂いた時に、普段はやんちゃな格好をされている、マクガフィン公爵様の血縁の貴族の御子息かと」
「いやいやいや!、貴族のボンボンどもはこんな喋り方しないっすよ!」
貴族の子息と言われて、今度はルイが驚き慌てている。
「でも良かったじゃない。尊敬するグランドール様と親戚に見られたら、ルイも嬉しいんじゃない?」
「うれしいんじゃない?」
リリィが言った後にアトも言葉尻だけを何とか真似して、ルイに言う。
確かにルイは満更でもないように、顔を赤くしていた。それからリリィも明るい声でロックを援護するつもりで喋る。
「ルイとグランドール様がそうなんだから、ロックさんがアトさんを大事に思ってもちっとも変じゃないと私は思います。
私も孤児だけど、お世話になっている賢者さまと血ではないけれど、何かで繋がってるって周りから見られたら、嬉しいですもん、ってあれ?」
途中から自分の気持ちが綯い交ぜになって、リリィは自分の口を抑えた。
「ロックさん、その気持ちはとても有り難いです。けれど、アトには臨機応変を要する接客はやはり難しいと思います」
エリファスは言いにくそうではあるが、ハッキリとロックに意見を述べた。
「―――エリファスさん」
リリィが悲しそうな顔をして、ルイは悲しそうな顔をしたリリィを見て、そんな表情をさせたエリファスに鋭い視線を向ける。
しかし、エリファスは悲しい目にも鋭い視線にも、苦笑いといった所作で"余裕"で受け止めていた。
「リリィちゃんもルイ君も、少し落ち着いて。私はアトが執事に向いていないと言ったのであって、何も"ロックさんから引き離す"とは言ってないでしょう?」
「あ、そっか」
「そか」
リリィが思わず声を出して、アトがそれをまた真似をした。
ルイも目を丸くしてから、エリファスに少し罰が悪くなって視線を逸らした。
「ついでにこれも勉強に含めましょうか。勘違いだとしても、相手に対して失礼な事をしたと感じたなら、一言いっておきましょう」
エリファスがニッと鋭く笑った。今までの優しく柔和の笑みとは、違う。
傭兵"銃の兄弟・エリファス・ザヘト"を彷彿とさせる威嚇の笑み。
「ダガー陛下の平和な御代に、無駄に火種を起こすような行動は慎みなさい。
例え小さな些細な会話でも、相手につけいられる口実を与えないように。
例え失敗や隙を作ってしまったとしても、それを直ぐにフォローしなさい。自分と大切な人を護りたいなら、尚更ね」
エリファスが言った後、冷ややかな間があり、
「"非礼、お詫びします"」
と、ルイはエリファスの威嚇を見据えて、感情が籠もっていない声ながらも"謝罪"した。
「エリファスさん、私も失礼な言い方してごめんなさい」
「ごめんなさい」
ルイに続いて、リリィは素直に謝罪すると、やはりアトもそれをオウム返しする。
「はい、よくできました。それと私が持ちかけた話から、こういった形になってすみません」
と、労りと、こちらも謝罪の声を出したのはロックだった。
「エリファス様はこれから社交の場に出ることが増えるだろう、ルイ様とリリィお嬢様を思ってお話をなさった事を察していただけると、幸いです」
「こちらも、いきなり悪かったわね」
ロックの言葉に次いで、エリファスが生徒達に謝罪した。
「でも、面倒臭いと感じるだろうでしょうけれど、これは事実。
グランドール・マクガフィンという人物の配下にいるということは例え失敗をしていなくても、妙な話をふっかけられて文句をつけられて、何かと利用する材料にされがちだから」
淡々と話すエリファスにリリィが恐る恐る声をかける。
「エリファスさんも、昔、グランドール様と仲良しだった頃、そんな事があったんですか?」
リリィの"仲良し"という表現にエリファスは思わず噴き出してしまったが、辺りを占めていた冷たい雰囲気は払拭された。
「ええ、ある程度は」
苦笑しながらエリファスが答えると、リリィはその当時の彼女を心配するようにまた口を開く。
「それが辛かったから、グランドール様から離れてしまったんですか?。理由を話して、グランドール様に助けて貰わなかったんですか?」
エリファスは何だかひどく安心した顔で、机越しに手を伸ばし、リリィの頭を優しく撫でた。
「リリィちゃんは、本当に優しいのね。でも、私がグランドールから離れたのはそう言ったのが一番の理由ではないの」
先程エリファス本人が"どうしても、やりたい事があったから"と言っていたのがルイの頭を掠める。
「一番の理由じゃないにしてもさ、オッサンから離れていく理由の一部にはなったんだろ?」
「それはグランドールが悪いわけじゃないわ。私が強がりを言ったから―――」
ルイにも言われ、エリファスは自然に答えて話していたが、ふとある事に気がつく。
(あれ?もしかして、私、自分の恋愛話している?)
不意に口を噤んだ形で、エリファスが喋るのを止めてしまったので、図書室にいるアト以外の視線が全て彼女に集まった。
「エリファスさん?」
リリィはごく自然に、エリファスの話の続きを待っている。
(ここで話さないと、リリィちゃんは消化不良の様な気持ちになるでしょうね)
軽いため息をついて、エリファスは障りない程度に話す覚悟を決めた。
それからルイを見ると、イタズラっぽくに口角を上げて笑っている。
(早速こちらの隙をついてきたわね)
先程エリファスが注意した『例え小さな些細な会話でも、相手につけいられる口実』をルイは早速エリファスに実践していた。
(やんちゃだけれども、決して蛮勇な少年ではない)
リリィが納得するだろうという感じで、エリファスはグランドールとの恋愛の経緯を話ながら、嘗ての"恋人"が後継者に定めているだろう少年を観察してい
た。
(ルイ君みたいな跡継ぎをみつけたなら、もう『エリファス・ザヘト』は消えても大丈夫だよね、グランドール)
そんな気持ちを抱えながら。




