【ルイの冒険】
いつも寝坊助なのに、旅行先や翌日楽しそうな事があると、早起きになるのはどうしてでしょうか?。
アトが食堂でマーサにライスボールを握って貰っている時。
不思議と旅行先では一番に目が覚める少年ルイは、備え付けの洗面所で速やかに洗顔し、簡単に身支度を済ませた。
皆が使いやすいようにと、部屋の中央にテーブルに置かれている通信機を手にとり、洗面所に戻りこっそりと小さな声で呼びかける。
「―――おい、リリィ起きたか?」
深い緑色の石が印象的な通信機から、ルイの声はリリィの部屋へと伝わった。
『残念ながら、起きてないね~』
「あれ?ウサギの旦那は起きてんの?!」
ルイが心底不思議そうな声をだした。
『ん~?ワシが起きてちゃ不思議?』
「前にオッサンが、『旅行先で一番に目が覚めるのは子どもだ』って言われたから」
ルイは"グランドールからの教えは間違いない"と思っていたので、自分より年下であるリリィが起きているとばかり考えていた。
少年は声を潜め続けながら話を続ける。
「あれ~、じゃあリリィはまだ寝てるんすか?」
『うん、まだ寝てるね~。昨日体調不良を起こしたばかりだしね、体力落ちているのかもね』
「そっか~、リリィが起きていたら一緒に冒険しようかなって考えてたんだけど、まだ寝ているなら、もうダメだな~」
ルイは身支度の時に身に付けた、腰の小さなカバンを眺めた。
『冒険なんかして、グランドールに叱られないかい?』
「泊まった先の方から、『外出はお控えください』って前もって言われない限りは、大丈夫だよ」
いつもは大人相手でも、生意気な口をばかりのルイだが、尊敬するグランドールの"友人"のウサギの賢者には、安心・信用しているのか、口調が少しではるが年相応の子どもらしい。
「それに失礼な事は絶対しないっす。動き回るのは屋外で、あくまでも散歩と散策レベルだよ。まあ出て行くのは窓からだけど」
『窓からってのが、いいねえ~。ところで、今はどこにいるんだい?』
「洗面所っす。オッサンやアルスさんを起こすのも悪いし、丁度良い感じの窓もあるし」
通信機に向かって喋りながら、洗面所の小窓にルイは手をかけた。
窓は上下に押し上げ、押し下げして開くタイプで、ルイは音を出さないようにつまみに手をかけて窓を押し上げて開いた。
この窓を開いた時、あまりにスルリと音もたてずにスムーズに開いたのでルイは驚いた。
(あの執事さん、細かいところまでちゃんと指導してんだなぁ)
探検、散策はしてもあの執事には迷惑はかけまいとルイは誓って通信機を胸元に身に付けた。
「んじゃ、出発しますね!」
少しだけ声を大きくし、通信機に呼びかけ、ルイは予め用意していた鞣革の手袋を嵌め、先ずは上半身を窓から出して高さを確認する。
(ん~、2階半ってぐらいの高さかな…。おっ、ラッキー♪)
窓から少し離れているが、雨樋がある。
一旦上半身を引っ込めて、今度は両脚を揃えて爪先から窓の外に出す。
「よっ」
そのまま一気に全身を外に出して、握力だけで洗面所の小窓の縁にルイはぶら下がった。
『大丈夫かい~?』
ウサギの賢者が全く心配してなさそうな声で、一応尋ねてくる。
「オッサンから『登れない山からは降りるな』って、言われてる、から!」
と変なグランドールからの薫陶を言って、ルイは窓の縁から雨樋に飛び移る。
少し飛距離が足りなかった様子だが、ズズっと壁を滑りながらもルイは雨樋に掴まる事が出来た。
「目測を誤ったかなあ。帰る時は、少し上から飛び降りなきゃ届かないかも」
そう言ってルイは雨樋をスルスルと伝い降りて、無事、地に足をつける事が出来た。すぐに壁に体をつけて、辺りの様子を窺う。
『大丈夫だよ、まだこの屋敷で起きているのはワシとルイ君。
後は―――起きていても皆、厨房にいるみたいだね』
「じゃあ大丈夫っすね。まだ日が出る前だから、暗い内に色々散策しとこっと。
賢者の旦那、オススメの場所とかあります?」
余裕があるとわかったルイは壁から体を離して、軽く屈伸や手首を回して準備運動をしながらウサギの賢者に尋ねる。
『ルイ君、関所で見た立体地図は覚えているかい?』
精巧な細工で造られていた、ロブロウの立体地図がルイの頭の中で思い出される。
「覚えてるっすよ」
準備運動の仕上げに首を回しながら、ルイはそのついでにまだ暗い空を眺めた。
まだ夜が明けぬ暗い空に、方角を確認する為に必要な星を探す。
(確か今の領主の館の北側に――……)
『じゃあ、旧領主の館に行ってみようか』
どうやらルイとウサギの賢者の考えている事は、同じだったらしい。
闇夜にも馴れてきた眼で、一応足音が響かない場所を選びながら、ルイは道が整備されている場所まで出た。
道に出てから、旧領主邸があるはずの北に進む道を選んでサクサクと歩く。
「アルスさんの夢の話をオレは詳しく聞いてないんすけど、旧領主邸が夢に出てきたのとそっくりなんすよね?」
『本人曰わく「同じだ」って思わず呟いちゃうほどそっくりみたいだね~』
「同じっすか―――あ、見えてきた。結構距離があるのかな?」
先程、雨樋で目測を誤ったので距離を測る事にルイは慎重になっていた。
闇夜の中もあるだろうが、旧領主邸は丘の上に小さく見える。
『立体地図で見た時は、そんなに離れている雰囲気ではなかったけれどね』
"賢い"とルイには想われるウサギの賢者がそう言うので、それを信じて少年は旧領主邸へと進み始めた。
「あれ?」
暫くして、歩き出したルイが違和感の声を上げる。
『どうしたの?』
「いや、なんか平坦な道かなって思っていたんですけれど、結構な坂道になってって。あれ~?」
ルイの視界に入る道はまっ平らなのだが、いざ歩いてみると脚の筋肉の感覚は坂道を歩くものである。
「何か、気持ち悪いな」
旧領主邸に向かいながら、ルイにしては珍しく弱音らしいものを吐き出した。
『旧領主邸は随分と昔に建てられたんだろうね。
最後の砦の役割もあっただろうから、色々仕掛けがあってもおかしくない』
通信機から朗々とウサギの賢者が語る。
それを聞いて、学問が苦手な事を自負しているルイではあるが、この"平坦に見えるのに実は坂道"が仕掛けであると気がついた。
「じゃあ、戦の時はこの坂道で甲冑きて、あの旧領主邸まで攻めに行くんですよね?。うへえ~」
坂を登りながらも、ルイはその状況を想像するのも辟易していた。
『ルイ君がそんな声を上げるって事は、坂はキツくて長いみたいだね』
「いやあ、何も知らないで平坦な道と思って走ろうもんなら、オレでも確実に数時間後には筋肉痛もんすよ。
オッサンと剣の鍛錬はしたりするけれど、坂道を走る部分の筋肉なんて日常的につかわねーもん」
数時間後に筋肉痛というルイの言葉は、最近、運動の2日後に筋肉痛が来たりするウサギの賢者には、年代の差を感じさせて貰える発言だった。
「リリィは連れて来なくて正解だったかも。体調が悪くなっているのに、この坂道はキツいっすよ」
ウサギの賢者が、年代の差を感じているのを全く知らないルイは、少年ながらも紳士的な心配事を口に出していた。
『一応、今日はグランドールとアルス君は1日ミーティング。
ルイ君とリリィは午前中、ロブロウ側が用意してくれた家庭教師と勉強して午後は自由―――』
「はあ?!、オレ勉強なんて聞いてないっーの!、じゃなくて聞いてないっすよ!」
『ルイ君、声が大きいどうどう』
まるで暴れ馬を馴らす調教師のように、ウサギの賢者が落ち着いた声を出す。
『聞いてないのも当たり前、だってグランドールが言ってないんだもん』
だもん、という少々ふざけたウサギの賢者の言葉で、グランドールによる差し金だとルイは漸く気がついた。
『今回はアルス君が、グランドールの補佐みたいな形だから。
調査とはいえ、本当は補佐の仕事はルイ君の場所なんだろうけれど、ごめんね』
ルイにしてみれば、予想外のウサギの賢者の気遣いだった。
「へ?いや、別にいいっすよ。あ、もし気にしているなら、オレの勉強を免除してください」
ウサギの賢者は賢者で、自分で考えているより、ルイはグランドールの補佐、"側近"のテリトリーに固執していない事に驚いていた。
『おや、そうかい。でもは勉強免除は無理~。リリィも一緒だから、我慢して頑張って』
「―――今回は諦めるか。あっ、もう直ぐ着きますよ」
ザッと足音が響いて、その音は通信機を通して伝わり、"道"が変わった事を示していた。
「玉砂利が引かれてるっす。用心して歩いた方がいいっすかね?」
ルイは明けぬ闇夜の中、目を凝らして立体地図だけで見た、少し離れた場所にある旧領主邸を見上げる。
全体的に白を基調している建物だが、如何せん建設されてから50年以上経っているせいか、闇夜でも白い色がくすんでいるのがルイにはわかった。
(基礎はしっかりしてそうだから、外壁とか洗うだけでも綺麗になりそうなんだけどな)
ルイは道が変わってから一歩も動かずに、静かに旧領主邸を見つめて、今回はウサギの賢者の指示を待つ事にした。
『―――まだ誰もそちらには行かないみたいだから、音は気にしないで行ってみようか。ちょっとどんな回廊があるか、興味があるんだよ』
「回廊…っすか?」
ルイがいる場所からは、回廊らしいものは見えない。
玉砂利を僅かに鳴らしながらも、ルイは歩みを進み始めた。
「確か回廊で小さな女の子が、泣いてたんすよね?」
『うん。それで女の子の顔まではわからないらしいってのは聞いたかな』
ルイが話を聞いたのは、昨晩の晩餐会が終わった後。
晩餐会で満腹にロウブロウの郷土料理を食べた後、ルイは部屋に戻り窮屈な貴族の礼服を脱いで、アルスから話を聞いた。
聞いたのは聞いたのだが、強烈な眠気に襲われており正直話半分なっていた。
強烈な眠気に襲われている弟子を見抜いていたグランドールは、何とか話を聞き終えたルイの耳を引っ張り上げて、強制的に歯を磨かせてからベッドに送り込んでいた。
結果的に言えば、誰よりも早く眠りについたわけで、ある意味ルイが早起きなのは当然なのであった。
寝ぼけながらアルスの話を聞いていた事を、正直に通信機を通してルイが告げるとウサギの賢者が呆れたのと感心したのが合わさった様な声で返事をする。
『ルイ君は見かけは悪ガキだけれど、中身は結構健全だよね』
「あ~、オッサンにも世話になり始めの頃言われたっすよ。
やっぱ、オッサンと旦那、タイプ似てるっすね。あ、回廊がありました」
四方山話をしながら、玉砂利と坂道が合わさった道を登り終えて、領主邸の正面から側面にルイが行くと中庭と外庭の線引きになるように回廊が確かにあった。
「確かに結構長いっすね。ウサギの旦那、領主邸って、近付いても大丈夫なもんすかね?。
見回りの兵士もいなけりゃ、灯りになる精霊も仕掛けてないみたいだし。
誰も住んでいないのかな?」
一応まだ旧領主邸とは距離を取ったまま、ルイが観察しながらウサギの賢者に尋ねる。
『どうやら人はいらっしゃるみたいだ。この感じは―――お年を召した方かな、2人いる』
通信機を通してのウサギの賢者の声は、精神を集中させているらしく、トーンダウンしていて重い。
「年寄り2人って事は、夫婦かな?。さすがに屋敷の中には入らないけど、外と繋がっている回廊ぐらいは覗こうかなって考えてたんすけど、止めといた方がいいっすかね?」
『いや、回廊の中ぐらいまでは行ってみようか』
ウサギの賢者の大胆な勧めに、ルイが目を丸くする。
「大丈夫っすか?」
ウサギの賢者にそう言いながらも、ルイは早速歩みを進める。
『うん、精霊による部外者の関知機能はないけれど』
「けれど?」
その時、完全に油断しきったルイの足元で"ビンっ"という、弦が弾けるような耳には小気味良い音がする。
そしてルイの後方から"シュッ"と何かが発射される音が続く。
『イノシシやらの山の動物に対する人工的なトラップがあるから、気をつけてね♪』
最終的には、上記のウサギの賢者のセリフと共にジャンプをしたルイの足元に、恐らくボウガンにより発射された矢が刺さっていた。
「―――了解っす」
軽快に着地しながらルイが答えた。
(アルセン様がウサギの旦那が、性格悪いって言っていた意味はこれかな)
ルイはほんの少しだけ呆れて、他に仕掛けが施されてないかを見回す。
すばしっこさと、敏捷に自信のあるルイにとっては造作ない事だか、こういった事が苦手な人にはたまらないだろう。
過酷な幼少時代を過ごしたルイだから、ボウガンで脚を射抜かれそうになった事を、"それぐらいの事"とあっさり流し受け入れてくれたが、実際ならウサギの賢者がしている事は、非難囂々(ごうごう)でもおかしくない。
『罠とかは破壊しないように、あくまでも野生動物が侵入してきた感じでやり過ごして貰えるかな?』
「注文増えた~」
少しふざけて応えた時、ルイは足元にある罠を1つ見つけて、今度はそれを跨いで発動はさせなかった。
「回廊長いなぁ。あっ!賢者殿、獣用の罠があった理由わかったっす。
畑があるから、獣向けの罠が備えられてたみたいっす」
ルイは最初は回廊にばかり眼が行っていたが、中庭は芝生の庭園ばかりではなく、隅の方ではあるが畑があるのを見つけた。
中庭には、小さいながらも噴水も設置されており、そこから水を引いている様だった。
一応『大農家』の弟子であるルイは、野菜畑に興味を惹かれて、数ある罠を丁寧に交わしながら畑に近づいた。
「え~と、ジャガイモにトマト、玉ねぎ、春キャベツはもう出来ているか…。
比較的に簡単に出来るし、日常的に使い勝手が良い野菜ばかりだな。堆肥は鶏糞かな」
野菜畑の方ばかりに目を取られていたルイだが、もう1つ畑を見つけた。
だがこちらは時期が違う為か畑周りの整備はされているが、枯れているのを放置されたままで、野菜の畑でもなかった。
罠も特に設置されておらず、ルイは簡単に側に寄ることが出来る。
「賢者殿、もう一つ畑がありました。"花"とか詳しいっすか?」
枯れた植物の葉の形を見てなんとか、それは何かの花が枯れたものだとルイは気がついたが名前までは思い出せない。
『う~ん、一通りの知識はあるつもりだけれども、形状や実物を見ないとね。
植物は多様に富んでいるから』
「んじゃ、葉っぱを少しだけ失敬して―――」
枯れた植物の葉を1枚だけ失敬して、ルイはそれをグランドールにガミガミ言われながら、何とか忘れないように持っているハンカチに挟んで、腰のカバンにしまった。
「何かロウブロウの領主様って、貴族っていうよりは、地方の豪農ってイメージが強くなってきたなぁ。だけど何か建物のセンスに統一性がないっていうか…」
ルイは中庭をぐるりと見回して、改めてその考えを強めたようである。
『確かに畑は貴族の庭にそぐわないかもしれないが、噴水とか回廊とかお洒落な感じな建造物はあるんだよね。
まあ旧領主邸は、戦の仕様も少し入っているから、確かにごった返しな感じがあるかめしれないけれど』
「それもあるんだと思うんすけど―――。あっ、あれだ、思い出した!。
オレらの部屋とリリィの部屋みたいな感じなんだ」
ルイの端的な発言でも、人の考えを汲み取る事がまあまあ上手いウサギの賢者は、彼が何を言いたいか察する事が出来たらしい。
『まるで建物の構造を考えた人が2人いて、無理やりくっつけたみたい?』
ルイの気持ちを的得たウサギの賢者の言葉に、ルイは思わず胸元にある通信機を握りしめながら頷いた。
「それっす!。リリィの女の客室は無駄に豪華だったけど、男の客室は品が良くても質素な感じで。
この中庭も、畑とかは元からあった感じがするんすけれど、噴水は後付けじゃないかなって。もしかしたら、元は井戸とかじゃないんすかね?」
『ふうむ、井戸と噴水に関しては賛成だが、それでは少しだけ変な具合になるねぇ』
ルイが自信満々に語るのに対して、ウサギの賢者は今度は申し訳なさそうな声を出した。
「え、話あってないっすか?」
ルイは相変わらず自分の考えが否定されても、特に怒る事もせず、再び考えを直し始めた。
「あっ、そうか。辻褄が合わなくなるっすね」
頭の中で、ロウブロウの建物に関する知識を箇条書きにすると、ルイは話の筋道が合わなくなる事に気がついた。
※1 旧領主邸の中では質素で、噴水は後付け
→元は「品良く質素」を基調としていたが、後から「豪華」を推す考えが入って来た。
※2 新しくなった領主邸では女性側だけ豪華になっており、男性側は品良くではあるが質素
→女性側をあれだけ豪華にしておいて、どうして男側は造りを質素に済まさせているのか?。
(都会に憧れる田舎貴族、我が儘な2代目の姉妹達だったらどうする?。
嫁いだ後でも好き勝手に『家族』が建てる家だからと、自分の趣味を押し付けた内装を無理強いするかもしれない。
もしくは、里帰りに自分達の為の部屋だから、と住んでる家人に断りなく無駄に贅沢な仕様にするかも)
『ルイ君もワシと考えが似ているのかな、同じ疑問が浮かび上がったようだねぇ』
「考えた人が2人いたんじゃなくて、『豪華』を前領主さんの姉妹にごり押しされたんすよね、多分。
最初は新しい領主邸、今の領主邸もきっと質素で建造されるハズだったんだ」
足掻きと言うべきかどうかわからないが、男性側は当初の予定通りだったのだろう。
それに屋敷の中や通路を見たが、品が良いのは分かるが『豪華』といった印象からは程遠かった。
女性側の客室は、無理やり豪華にさせられたとしかルイには感じられなかった。
『でもどうだろう、それ程豪華なのを推してくる人間が、数十年ぶりの来賓がいる晩餐会に顔を出さないってのも不思議じゃないかい?。
ワシの偏見かもしれないが、豪華なのが好きな人物は目立ちたがりやとも思うんだよ』
「目立ちたがりやが、出てこないってのは確かに変だな。
領主様が、目立ちたがりのご親戚に晩餐会には出てこないように言ったとか?」
ウサギの賢者と話す内に、豪奢なハズなのだが、何だか歪に見えてきた噴水を眺めてルイは言う。
『さて、エリファス女史からは今の仮面の貴族様と叔母様達の仲とかまでは、話を聞けなかったからねぇ。
まだ仮定の話だけれど、強引に部屋の造りを変えさせるような叔母様方なら、姪っ子にあたる領主様の言うことを聞くという確率は低いと思うけれど』
「寧ろ仮面の貴族様は、叔母様達に舐められている気がするっすね、オレは」
『でも、舐めている叔母様達は出て来なかった』
「見下している姪っ子相手に、どうしてしゃしゃり出てこなかったんだろう」
『いや出たくても、出れなかった』
キャッチボールでもするようにポンポンと互いにウサギの賢者とルイは意見を交わしあう内に、苟且の農業研修の本来の目的がチラチラと1匹と1人の前に見え始めた。
――貴族4人の処刑に関する調査――
「え~と、確か前領主様が6人兄弟で、あの乳姉さんの話じゃ、まともそうなのは長女さんと前領主さんぐらいなもんで、残りは――4人っすね」
ルイは一部物凄く不適切な言葉でエリファス(乳姉さん)の事を表現しながらも、
『処刑された4人の貴族=前領主の4人の姉妹』
という考えには、ウサギの賢者も熟考の価値があると思った。
―――コッコッコッコッ
ウサギの賢者の長い耳に、廊下を鳴らす靴音が入る。
(そろそろ潮時かな)
『ルイ君、こちら側でも使用人さん達がもう仕事を始めたらしい。
そろそろ引き上げの支度をした方が、無難かもしれない』
ウサギの賢者が通信機を通してそう告げている時、ルイは旧領主邸の中に灯りが点るのに気がついて壁中庭の側面に体を張り付けていた。
「こちらも、旧領主邸に住んでる人が起きたみたいっす。帰る用意始めるっす」
そしてルイは、明かりのついた部屋の中を偶然にも見る事となった。
(宙に人が浮いてる?!)
と、最初こそ"やんちゃ坊主"も度肝を抜いた正体は、貴族の屋敷にはよく見かけられる肖像画。
それが丁度等身大で、壁にかけられているものだから、明かりが灯された途端にぬっと浮かび上がり、空中に佇む人の様に見えたのだった。
(あ~、驚いた!)
音には出さず、ルイは大きなため息をつくと、持ち前の好奇心を発揮して気がつかれないように再び屋敷の中を覗いた。
屋敷の中は暗く、今の所2つの灯りしか存在していない。
中からは、暗い場所にいるルイの姿は恐らく見えないのでやや大胆に覗く。
(肖像画は―――夫婦かな?)
ルイは肖像画を照らす為に点けられた灯りの1つを頼りに、マジマジと闇に浮かび上がる肖像画を見た。
モチーフはやはり夫婦であるが、肖像画自体は随分古そうで、甲冑を纏い兜を抱える白髪の紳士と、その婦人見える。
肖像画の下には題名が刻まれたプレートがありそうなのだが、その前には『2つの灯り』のうちのもう一つの灯りの燭台を持った人物が佇んでいて、題名を見ることが出来ない。
(―――やけにジッとしているな)
灯りを持つ人物は肖像画を見上げていて、微動だにしない。
ルイからは燭台から照らされた後ろ姿しか見えないが、"女性"だとわかる。
(結構な時間過ぎたよなぁ――ん?)
燭台を持つ女性は相変わらず体は動かない。
だが微かに燭台の灯りが揺らぐのに、ルイは気がついた。
(肖像画に向かって、何かを喋っている?)
ルイには読唇術などは出来ないが、薄明かりの中、眼を凝らして口の動きを観察する。
(―――お―――ご?)
感覚のみで唇の言葉を読み取ろうするが、断片らしきものしか分からない。
不意に燭台を持った女性が動き出して、ルイは覗いていた窓から慌てて頭を引っ込めた。
ルイは頭を下げつつも壁に身を寄せて、燭台を持った女性が肖像画から遠ざかるのを待つ。
壁から女性の廊下を歩く振動が全く伝わらなくなった時、再びルイは頭を上げて窓を覗く。
今度ははっきりと肖像画のプレートに刻まれた題目を読み取る事が出来た。
【ロブロウ領主・ピーン・ビネガー。領主夫人カリン・ビネガー】
肖像画に描かれていた人物の名前は、ルイの予想が当たっていた。
(今の領主様と似てるか似てないかとか、仮面してる分からねえや―――でも)
ルイには肖像画の中で甲冑を纏う老騎士より、その隣に佇む貴婦人の高圧的な瞳が気になっていた。
絵描きが優秀だったのか、モデルの夫人がそれ程眼力が強かったのかルイには分からないが、肖像画の夫人の瞳はある種の"威嚇"を鑑賞者に見事に与えていた。
"呪縛"という珍しく難しい言葉も浮かぶ程、肖像画の夫人からの視線にルイは暫し固まる。
そしてその固まりから解き放ったのは、通信機から聞こえる何気ない普通の語り口の、ウサギの賢者の声だった。
『執事さんとアト君がそちらに向かったから、そろそろ引き上げようか?』
「―――了解!」
極力何気ないようにルイは返事をする事が出来たが、肖像画の視線からとき離れた時の安堵感は大きい。
『あ~、でもすれ違う恐れがあるから、執事さんとアト君がそちらに到着してから帰ってこようか』
「そう、っすね」
何とかウサギの賢者に返事を返しながら、壁を背をズズッと音をたてルイはへたり込んで座った。
(何なんだ、あの絵)
大きく息を吐いて、漸く気持ちが落ち着いたルイは空が白み始めた事に気がついた。
そしてあの絵の威嚇から"自分の意志"で、視線を逸らす事が出来た女性に少しだけ畏敬の念をルイは抱く。
(オッサンやウサギの旦那とかなら、平気なのかな?)
肖像画に怯えた事に、軽く少年は凹む。
座ったままの姿勢から、なし崩しの様にペタリと倒れて耳を大地に直につけて、ウサギの賢者からの指示通り、執事のロックとアトが到着するのを待った。
暫くすると旧領主邸の中からとは、別の方向から二組の足音がルイの耳に入ってくる。
そこからは素早く起き上がり、中庭と回廊をぬけ、旧領主邸の壁を背面にして入り口を見守る。
玉砂利を踏む音と、ランプの灯りで執事のロックとアトが到着したのを確認した。
「―――ちらに、先代の領主さまであられる御館様夫婦が、住まわれております」
「オヤカタさま、すんでます」
ロックとアトは屋敷の入り口で立ち止まり、呼び鈴を鳴らす。
暫くして、扉が少しだけギィっと音を響かせて開き、ロックとアトの姿は屋敷の中へと消えた。
「んじゃ、戻りますね」
誰ともすれ違う心配がなくなり、ルイは旧領主邸を離れ始める。
『気をつけて戻っておいで~』
「はいはい~」
そんな軽快な会話をしながら、坂道を下り降りる。
空は日が本格的に登り始めて、大分白んでいた。
道を下りながら、やはり旧領主邸は高い場所にあったのだとやや明るくなった風景を眺めながら、ルイは実感する。
早朝に活動するのも農家には良くある事で、遠くにポツポツと馬車が領地の道を通っているのが見えた。
一応の用心して反射するものは身につけていないが、ルイは出来るだけ朝日を浴びずに、影になる場所を選びながら現在の領主邸にたどり着いた。
「ウサギの旦那、無事に領主邸につきました。そんじゃ、雨樋使って登って、男部屋に戻りまーす」
『帰りつくまでが、冒険だから気を抜かないようにね』
「どこの諺すか、それ」
そこからは例えは悪いが、木を登る猿と壁を這う守宮を足したような見事な動きで、ルイはスルスルと雨樋と壁を使って登った。
「もう直ぐ到着っす~」
そう言っている内に、最初に抜け出す為に使った洗面所の窓の上の場所にたどり着いた。
(ここからがちょっと難しい)
最初、抜け出す時に窓と雨樋の距離の目測を誤って危うく落下しかけた事をルイは思い出していた。
(油断していたつもりもなかったんだけど、今度は慎重に)
『慎重になるのは悪いことじゃないけど、いつものバネがある動きも忘れないでね~』
ルイの心を見透かすようなウサギの賢者の言葉に、ルイは雨樋にぶら下がりながら苦笑いした。
ルイが思わず吹き出しながら登る為に、雨樋に手を壁に足をかけた。
「んじゃっ、行くっすよ!」
雨樋と壁を同時に蹴って、洗面所の窓にの縁に足をかけるつもりで跳ぶ。
(よっしゃ、今度はイケる!)
『キャア!』
突如、リリィの劈くような悲鳴が通信機から聴こえてルイは空中で目一杯動揺した。
「リリィ?!っつう」
ガッ、と音をたてて窓の縁にかける筈だった靴底が外れる、少年の身体も揺れる。
引っかけ時だけ一瞬空中で動きが止まり、ルイの体は再び落下を始める。
(―――縁に掴まれば!)
そう考え、少年は必死に腕を伸ばした。
―――バシイっ!
縁を掴むにしては、少し奇妙な音がする。
「ひっくりしたあ!」
口に歯ブラシをくわえたままのアルスが恐らく「ビックリしたあ!」と言いながら、洗面所の窓から上半身を乗りだし、ルイの腕をしっかりと掴んでいた。
「アッ、アルスさん、おはよう」
アルスの掴んでくれた腕を掴み返し、ルイは空いていた方の手も添える。
次にルイは壁に足をかけて、アルスと互いにタイミングを「せーのっ」と小さな声を出して揃えて、一気に洗面所の窓口からはアルスの上半身とルイの全身は消えた。
"ドタドタドタっ"とかなり大きな音がしたが、清掃の行き届いている洗面所に埃が舞う事はなかった。
「驚いたよ、いきなりルイ君が窓から落ちていくのが見えるんだもの」
尻餅をついた格好のアルスが、口から歯ブラシを外しながら言う。
「あははは、滅多に見れないっしょ?。落下する人間なんて」
引っ張り込まれた時の俯せのまま、顔だけ上げてルイは彼のトレードマークの八重歯を見せて笑った。
そこで身支度を整えたグランドール洗面所に入ってきて、ポカリと弟子の癖っ毛の頭を小突く。
「冒険するにしても、周りに迷惑かけないようにと言っておいただろうが!」
『いや、グランドール。ルイ君をちょっと驚かせてしまったのは、こちらでね。
通信機から聞こえるウサギの賢者の声に、アルスとグランドールの視線がルイの胸元に集まる。
『で、急にで悪いんだがグランドールはエリファスさんにリリィの部屋に行って貰ってくれ。アルス君はアルセンを通じて、リコさんに連絡をつけてくれ』




