【訝しげな報告書】
国王陛下も目を通したという、「報告書」そこには、俄かに信じがたい内容が記されていました。
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│ †報告書† │
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│ 先日、連絡を頂いた人攫 │
│ いに関する件。 │
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│ 本領地におきましては、 │
│ 人攫いに関与した貴族、 │
│ 4名を処断の上、処刑を │
│ 行った事を報告致します。│
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│ ロブロウ領主 │
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│ アプリコット・ビネガー│
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アルセンは執務室で国王の閲覧済みのサインが入った、軍に所属する幹部な回覧の義務のある報告書を、形の良い眉を顰めながら眺めていた。
「処刑とはまた。穏やかじゃないですねぇ」
そう言いながら、執務室の壁に貼ってあるこの国―――セリサンセウム王国の地図の方へ、美しいと形容される緑色の瞳を向ける。
(ロブロウは確か西方の果ての領地の地名)
そう考えながら「ロブロウ」を目で捜していると、執務室のドアがノックされた。
「パドリック中将、ピジョン曹長です」
「どうぞ、入ってください」
そう答えると同時に、地図上でのロブロウをアルセンは発見する。
「失礼します。来年度の兵士志願者募集の、ポスターの確認をしていただきたいのですが」
軍人としては線の細い、のっぽの穏やかそうな人物がアルセンの執務室に入って来た。
「おや、そう言えばそんな時期になるんでしたね。この前送り出したと思ったら、もう次」
「それでも教育隊としては、半月ぐらいゆっくりさせて頂きました。
皆さん体が鈍るのがお嫌いのようで、早速訓練やカリキュラムの見直しをしています」
のんびりと笑いながら、アルセンに丸めてある大きなポスターを差し出すと、アルセンはいつものように白い手袋を嵌めた手でポスターを受け取り、バッと広げた。
「―――何というか、毎度の事ですがさっぱりとした仕上がりですね」
ポスターには、若い男女の兵士が真新しい軍服姿で笑顔で立っている姿が描かれていた。
『この国を護るのを仕事にしませんか?』
と大文字でこざっぱりと書かれ、次に申し込み先が小さな字で記されている。
「このポスターの兵士達は―――軍人ではありませんよね?」
なかなか見た目の良い男女だが、"どこか別の場所"で見た覚えがアルセンにはあった。
しかし、はっきりとは思い出せないので、アルセンは広報担当も兼任したりもするピジョン曹長に尋ねた。
「今国の劇場で公演しているの、劇団の役者さん達です」
のっぽのピジョン曹長が、淀みなく上司に答える。
「ああ、なる程。朝見たんですね」
毎朝、出勤の際に通る道の途中にある芸術館という国経営の文化会館の掲示板で、ポスターに画かれている男女だった。
「しかし、ピジョン曹長。確かにポスターの役者さんも素敵だと思いますが、軍の中にもそれなりに見栄えのある人達がいると思うのですが」
ロマサ・ピジョンは苦笑いしながらアルセンに尋ねた。
「では、パドリック中将はモデルになっていただけますか?」
「すみませんが、私は若い頃に人生において2度とモデルはしないと、大地の女神に誓っておりますので。なる程、そういう事ですか」
アルセンは本日二度目の「なる程」を口ずさみ、ピジョン曹長に釣られて、綺麗な顔を苦笑させた。
「最初にめぼしい方に声をかけて断られました。
次にアンケートを取ってみても、推薦されるのは声をかけた方だったり、高官過ぎてこちらから声をかけられなかったりで…」
「で、無難な役者さんに落ち着いたわけですか」
(リコさんやライさんがモデルなのを、少し見てみたかったですね)
最近縁が出来た、可愛らしい軍属の御婦人達を思い出しながらアルセンは、ポスターを再びクルクルと丁寧に丸めた。
そうすると下から、先程の報告書が目に入る。
「私は、このポスターで承認します。ところで話は変わるんですが、ピジョン曹長は、ロブロウという領地をご存知ですか?」
アルセンがポスター承認のサインを書類に記しながら、尋ねてみる。
「ロブロウ?確か西方の領地ですよね。何か有名な地元料理があったと記憶していますが」
ポスターと承認の書類を受け取りながら、答えた。
「下世話な話なんですが、風評とか聞いた事ありますか?」
このアルセンの質問に、ピジョンは首を捻った。
「自分は東方の出身ですから、申し訳ないですが、そちらの方は詳しくありません。ただ、どこにいっても地方独特な事は、あると思いますよ」
ピジョ ンの答えは、アルセンにとって納得出来るもので、黙って頷いた。
それからピジョン曹長は、まだまだ"承認のサインの行脚"があるらしく、それでは、と短く礼をしてアルセンの執務室を出て行った。
扉の閉まる音を聞いてから、アルセンは再び報告書に目を向ける。
「貴族の処刑、ですか」
アルセン自身も貴族であるが、ここ10数年、自国を含めて"表面上"では治安は落ち着いたもので、処刑などという物騒な話は聞かない。
もちろん罪人を裁き、償わせる施設も王都から離れた場所にしっかり建設されてあるが、貴族の収監の話はまだ耳にしていない。
(いや、私が知らないだけかもしれませんね)
「百聞は一見に如かず、といいますが、先ずは私なりに調べてみますかね」
そう呟き、机の上を手早く片付け、報告書を畳み自分の軍服の懐にしまい、執務室の安置場所にある愛用の細剣を帯剣して、扉も鍵をかけて部屋を出る。
執務室を出ると、入り口にかかってある「在室」の札を引っくり返して「不在」にしてかけ直す。
扉の横にかけられた『行き先表示板』という、行き先を表す役目を果たす板に『資料室』と明記して、歩き出した。
アルセンが"勤める"軍隊は、王宮を護るように両サイドに軍事施設が建てられている。
今向かう資料室は、国の図書館の中に併設される形で建設されおり、図書館は軍学校がある側の王宮との境目に造られていた。
またこの図書館は、国民なら申請カードを作れば誰でも入館出来るので、自然と国中の老若男女問わず色んな階級や職種の人々が集まる。
図書館の入り口には強面の護衛兵士が立っているが、入り口近くにある絵本コーナーでは幼い子ども達が静かに楽しく絵本を読んでいる"ちぐはぐ"具合が何だか微笑ましい。
「お疲れ様です」
護衛兵士が静かに挨拶するが、場所が場所なのでよく声が通る。
その声に子ども達は一斉に反応し、顔を上げて図書館に来たのが"アルセン"だと分かると駆け寄って来た。
「アルセンさまがきた~!」
「アルセンさま、絵本よんでぇ!」
「バカ、アルセンさまは「ぐんぷく」着てるから「しごとちゅう」なんだぞ!
じゃましちゃだめなんだぞ!」
「バカっていう方がバカなんだぞぉ~!」
見つけた順に"優しいアルセンさま"に声をかけてきて、絵本コーナーで小さな喧騒が起きてしまっていた。
ここは優しい笑顔を浮かべながらも、屈み子供達に視線を合わせ、確りと注意する。
「図書館は静かにしましょうね。それに今日は私は仕事で来てるから、また今度にしましょう。それかお昼の休憩時間にあったら、絵本を一緒 に、ね?」
アルセンがそう言い含めると、子ども達は素直に「はーい」と声を揃えたなら、良い子ですね、と丁寧に一人一人の頭を撫でて漸く"解放"された。
「騒がしくしてすみません。今日は資料室を使いたいんですが」
受付のカウンターにいる軍人の女性と、この国の司書の制服を来た男性にアルセンは謝りながら、資料室の閲覧を申請する記入用紙を頼んだ。
「こどもたちに相変わらず人気ですね。どうぞ、資料室の申請用紙です」
この場面に馴れている司書の男性も微笑みながら、記入用紙とペンをアルセンに渡す。
「今日は資料室の申請が多いですね」
軍人の女性が司書に語りかけると、その言葉にアルセンが顔をあげ見詰めてくるので、俄に赤面する。
「今日は資料室の使用者が多いんですか?」
この質問に、軍人の女性は顔を赤くしたまま、頷いた。
「―――いつも資料室には1人ぐしいしかいらっしゃらないんですが、今日は開館から今までの時間で3人もいらっしゃっています」
男性司書が気を利かせて、資料室使用の申請用紙の略歴を読み上げてくれた。
「大農家のグランドール・マクガフィン様、弟子のルイ・クローバー君に、見習いパン職人のダン・リオンさんですね」
その3名の名前を聞いて、アルセンのペンを握った右手は止まった。
男性司書はその事に気がつかず、申請用紙を見て言葉を続ける。
「御三方ともまだ資料室にいらっしゃいますね」
「―――ありがとうございます」
申請用紙を書き上げ、司書に渡してアルセンは資料室に向かった。
資料室のスライド式の入り口を開く前に、直ぐに地声の大きな親友のグランドールの声が耳に入る。
「ロブロウは鳥料理が旨いんだが、鳥ばっかりで少しだけだが飽きるのぅ」
「なあ、オッサン。この生地汁ってどんな何だ?」
(この少し幼い声でグランドールを「オッサン」と呼ぶのが、グランドールの弟子という"ルイ・クローバー君"ですね)
音も出さずに扉を開き、声達の方にアルセンが向かうと、最後に聴こえる声はやはり知り合いで「親戚」の声だった。
「ルイ、生地汁ってのはな、パンの生地みたいな柔らかい白いのが、一口大のやつが汁物の中に入ってるやつなんだ。俺は10何年前に食べたことがあるが、はっきり言って、旨いぞ」
食べ物の話で盛り上がりそうな所に、アルセンはとりあえず、「コホン」と咳をしてみた。
そうすると"先客"達はご当地グルメの話をピタリと止める。
「ロブロウは控えめな人柄が多くて、いい領地なんだが如何せん、少し閉鎖的なところがあるという情報があってだなあ」
グランドールの急に真面目になった声に、アルセンは思わず吹き出してしまった。
「ん?その澄ました声は―――アルセンか」
そう言ったのは"ダン・リオン"という見習いパン職人となっている人。
「む、本当じゃこの匂いはアルセンだのう。なら変に気取って損したのぅ」
グランドールは資料室の奥から、笑顔を浮かべながら姿を現したなら、アルセンも微笑みを親友を見上げる。
「相変わらずグランドールは、大きいですね」
アルセンは自身は成人男性の平均的な身長だが、グランドールはその頭1つ位背が高い。
「もう背は伸びとらんはずだがのぅ。で、資料室に来たという事はアルセンも調べもんか?」
グランドールが空けてくれたスペースに行き、アルセンは小さく頷いて、少しだけ肩を竦める。
「はい。ロブロウに関してです」
見知った「見習いパン職人」と、初めて見るグランドールの弟子という少年が、やって来た自分に注目しているのが判ったので、挨拶をする。
「お久しぶりと、初めまして」
丁寧に挨拶をしたならば、少年の方は直ぐに頭を下げてくれた。
「あっ、初めまして。オレはルイっていいます」
頭を下げるグランドールの弟子という少年は、なかなか愛嬌のある顔立ちをした癖っ毛の少年で、印象的な八重歯を出してニカッと笑う。
「初めまして、ルイ君。で、『パン職人見習いのダン』さんでいいわけですね?」
"見習いパン職人"となっている『国王陛下』にアルセンは確認をする。
「ああ、俺は見習いパン職人のダン・リオンだ」
グランドールと同じくらい高い背で、"パン職人"を名乗るには逞しすぎる体躯に、左目には細工の入った眼帯をした『ダン・リオン』はそう答える。
その手にロブロウの地図と「観光案内」の冊子があるのを見て、アルセンは黙って自分の懐から報告書を取り出した。
「『国王陛下』のサインも入ってる報告書なんですが、見ていただけますか」
取り出した報告書をルイは興味深げに、ダンは苦笑しながら、グランドールはそんなダンを観察するようにして見る。
「へぇ~、貴族でも処刑されるんすね」
ルイ少年が意外そうな声をあげたので、成人男性3人組は揃って苦笑してしまった。
「なんじゃ、ルイは貴族は処刑されないとでも思っていたのか?」
グランドールの少し呆れた言葉に、ルイは素直に大きく頷いた。
「オッサンがオレを弟子にしてくれるまで、結構色んな場所やら店やら、領地を盥回しされたからな。 大体貴族は贔屓されてたぜ」
ルイは当たり前のように言ってのけると、これには、ダンは顎髭をさすりながら、少年に「釈明」する。
「まあ贔屓されてない、といったらはっきり言って嘘だが。一応人攫いは『大罪』と平定後に、当時の宰相が定めている。貴族でも"死罪"になるという法律は作られているよ」
ルイはダンの言葉と、アルセンから見せて貰った報告書で納得は出来た様子だった。アルセンは綺麗な緑の瞳で、グランドールに目配せをする。
(ルイ君ににダンの―――陛下の正体は知らせていないのですか?)
グランドールは、それに厳ついウインクで
(まあな)
と答えるのを見ると、小さく口の端を上げた。
「―――しかし、国王陛下が認めたとはいえ、4人もの貴族を1度に処刑というのは穏やかな話では、ありません」
国王陛下の事情を踏まえつつ、アルセンは報告書について意見する。
「俺がパンの配達ついでに、官僚の話を立ち聞きした所によると、陛下も事後報告だったから、サインするしかなかったそうだ。
でも『人攫い』に関して言えば確かに法律にそっていけば重罪で、その領地を納める領主が確固たる証拠を揃えた上で『処刑』という事があっても、おかしくはないんだ。しかしながら、"平民の俺"からみてもきついなぁ」
ダンがそう言ってのけるのを、アルセンは白々しいといった感じで見つめたが「きつい」という感想には賛成だった。
グランドールは資料室の本棚を眺めながら、アルセンに先に調べた結果を告げる。
「ロブロウっていう領地を調べにきてみたが、不思議と観光案内やら、当たり障りのない、そんなのばっかりでのぅ。風土的に法に関して厳しい因習があった、という事もしるされておらん」
「一番肝心の、そこを納める領主である貴族は、どんな人物なのか情報はないのですか?」
"アプリコット・ビネガー公爵"。
名前から考えると、領主にしては珍しく女性ということらしいですね」
一番最初に気がつきそうな事なのに、何故2人が"その事"について触れないかがアルセンには気になった。
「―――実はビネガー家に関してはなぁ」
ダンが刹那にルイを見てから口を濁した。
グランドールも逞しい腕を組んで、難しい顔をしている。
(ルイ君が居ては話しづらい事なんですかね?)
親友の見慣れた左手首にある金の腕輪を僅かに見詰めた後―――そんな空気を察したのか、ルイの方が、大人達に文句を言った。
「オッサン達、気を使うなよ?。結構生臭い話でも、オレ平気だぜ?」
ダンが諦めたようにウーンと唸ってから、ルイとアルセンに向かって口を開く。
「ビネガー家が治める西の最果てにあるロブロウは、先代の国王陛下からの付き合いがあるんだ。とはいっても、血縁関係は全くない。
この数十年、『国を支える領地と領主』という立場を貫いている」
話を聞いたアルセンが考え込むように目を閉じ、顎に手を当てている。
ルイは拍子抜けといった感じで、瞳をパチクリとした。
「別に生臭くも何ともないじゃないか」
「厳重に密封され"蓋がされていた"なら、生臭さも何も漏れないでしょう。
その密閉されていた空間が、どんな悪臭で満ちていたか、想像するのもおぞましいでしがね」
貴族の"裏側"をそれなりに学んでいるアルセンは、少し皮肉ってルイに向かって説明する。
ダンも苦笑しながらそこには頷いた。
「『噂話』によれば、先代の国王陛下は崩御の間際にも遺言の1つにも、『ロブロウに関しては相談されるまで、何も口出しをしてはならない』って言われていたらしいからなぁ。だから言い付け通りにしてたら、『これ』だ」
ダンはアルセンから、遠慮なく自分が承認した報告書をパッと奪い取って眺める。
先代の国王の息子が、"噂"と言うのだから多分、"事実"で良いのだろうとアルセンとグランドールは受け止める。
ただ現在の『国王陛下』としては言いつけを守ったはいいが、従った末に貴族階級の人々が何やかんやと、王族の痛くもない腹を探られている事態となってしまって、面白くはない。
「貴族ってさ、貴族だから優遇されたり、特別扱いされるのが普通と考えるのがおかしいって気がつかないのかなぁ?」
少年のこの素朴な質問には、アルセンが仕事―――軍学校の先生のように答える。
「産まれた時からそういった環境が当たり前とされてきたなら、案外気がつかないものです」
「そうかなぁ。何か『貴族』を甘やかしてない?」
生意気にしか聞こえない、少年のその発言に、師匠のグランドールがルイの頭を小突く。
「ルイ、アルセンは一応『貴族』じゃぞ?。それで、アルセンが甘えてるように見えるか?」
ルイは「いてぇ」と言いながら、グランドールに小突かれた頭をさする。しかしながら、自分の発言が、目の前にいる貴族に対して本当に失礼な発言をしたのだと理解して、気まずそうにしながら、口を開いた。
「痛ぇなぁ。そりゃ、こうやって貴族でも、軍で働いているアルセン様は別だとオレだって思ってるよ。俺が言っているのは、一般的に、仕事してないで貴族とかやってる奴で、オホホホってしてる奴だよ」
グランドールとルイのやりとりを、アルセンとダンは苦笑いして眺めていた。
仕切り直すように今度はダンがルイに語りかける。
「でもなぁ、ルイ。社交界での一回の食事の失敗を、陰険にクスクスと笑い続けられるような貴族社会は羨ましいか?」
これにはルイも口を噤んだ。
明け透けで快活なルイにとっては、想像するだけでも、そんな「世界」は嫌だった。
ダンは大人しくなった少年を励ますように、癖っ毛の頭をやや乱暴に撫でる。
「向き不向きがあるだろうが、向くように育てられないと、物凄く生き辛い場所ってのはある。
その場所にいる人達は、そこの場所にいる為の努力を、それなりにしているんだ。
まあ、貴族に関わらずどんな職業だって、何らかの努力は必要なんだけれどな」
そしてダンは照れ隠しのようにルイの頭を、更にグシャグシャにした。
「さて、ルイ君の貴族への『苦言』を薫陶として、ロブロウの話題に戻りましょうか」
アルセンは、"国王陛下"が持っている報告書の方に目を向ける。
ダンの方は頭をクシャクシャにされるのを、グランドールの背中の後ろに隠れる事で逃れたルイを見て満足して笑った。
それから手にしている報告書をチラリと見て、アルセンとグランドール――自分の"配下の英雄"に達に"宣告"する。
「ああ、そうだな。ついでにとってお きの情報だ。国王陛下はロブロウに、秘密裏に監査委員を送る事を決意したみたいだ」
アルセンはこの言葉に目を大きく見開いたが、直ぐに注意を呼びかける意味で言葉を返した。
「ただの"見習いパン職人"がよくそこまでご存じですね」
「皆、人の良いパン屋さんには気持ちを許してくれるらしくてな、結構本当らしいぞ」
アルセンの注意に、かなり強引な言い訳をした。
しかし、監査委員をロブロウに送るつもりというのは本当に本気のようである。
何ていったって"国王陛下自身"が自分で言っているのだから。
「で、グランドールを連れて図書館の資料室でロブロウの下調べというわけですか。
我が国を代表する大農家の主を、農作物の研究といった名目で送り込むつもりと?」
アルセンのこの言葉には視線を逸らして、ダンはロブロウの観光案内の冊子に目を向けた。
「さあ、俺は国王陛下本人じゃないからなぁ」
(否定をしないという事は、ほぼ本決まりですね)
アルセンは小さくため息をついて、ダンから報告書をパッと取り返した。
「ところで、国王陛下は処刑された4名の貴族の詳細はご存じなんでしょうか?」
回りくどいが、ルイが居る手前アルセンは遠回しに尋ねた。
これにはアルセンには意外な事にグランドールが答えてくれる。
「処刑されたのは、領主の血縁であるのは間違いないらしい。後付けの書類に詳細があったが、それこそ生臭くさかったようだわい」
親友がそういうと、ダンを警戒しながらルイがヒョッコリと、グランドールの背中の後ろから顔を出してついでのように言葉を続ける。
「処刑は貴族様らしく『毒の杯』で、ちっとも苦しくなかったみたいだけどな。
生臭かったのは、血縁を始末した理由の方みたいだぜ―――です」
「そうなんですね、ありがとう、ルイ君」
考えてみれば、アルセンはグランドールがルイをどういう経緯で弟子にしたのか、詳しい理由をまだ知らない。
この前、3ヶ月ぶりに2人きりで呑んだ時は、少し前に送り出した新人兵士の話をすると、グランドールは笑いながらアルセンの話を聞いてくれるばかりで、後は簡単な近状報告で終わってしまっていた。
会えなくても、やっていた書簡のやりとりも、新人兵士の教育期間中から滞っているのに、アルセンは今更ながら気がついた。
(グランドールに尋ねたいなら、こちらが連絡の努力を惜しんだらいけませんね)
アルセンが小さく溜め息をついたのなら、ルイが不思議そうに見ている事に気がついた。
「アルセン様、オレまた変な事喋ってた?」
存外に素直なルイの人の反応を気にする言葉に、アルセンは優しく微笑む。
「いえいえ、ちょっと自分の失敗を思い出して苦笑していただけです。
ルイ君の事をどうこうじゃないですよ」
「―――ルイにしては珍しいのう。
他人の反応を気にするなんて」
グランドールのこの言葉に2人の貴族(王族含)は
「ほう」
と思わず声を揃えて、ルイを見つめた。
流石のルイも照れ臭そうに、顔を赤くして再びグランドールの大きな背中に隠れる。
「世話になってるオッサンの『友だち』に、ただの生意気なガキなんて思われたくないんだよ!」
グランドールの背中に隠れながらも、一応ルイはそう応えてくれた。
「何だ、お前、意外に可愛ところがあるなぁ!」
ダンがルイを首根っこを捕まえて、再びじゃれ始めた。
ルイは目を白黒させながらも、スルリとダンから抜け出し2人でグランドールの周りをグルグルと"おいかけっこ"を始める。
「一応図書館なんですから。ふざけるのは、止めてください」
流石に呆れたアルセンが2人に声をかけた。
グランドールは身動きが取れず、苦笑していたが、ふと真面目な顔をして親友に尋ねる。
「しかし、監査にワシだけというのはどうかと思ってのう。
このルイもつれては行くが正直、どこまで"真相"について触れられるか」
「―――相手方もどんな真相にしても、勘ぐられるのはいやでしょうからね」
グランドールが言わんとすることは、アルセンにも何となく解る。
この親友を分かり易くいうならば、陰日向のない好漢である。
一方監査する対象は、長い時間周りの介入を受けなかったという、閉鎖的な領地。
その閉鎖的な領地で、陰日向のないグランドールは受け入れられる事は容易いだろうと、アルセンにも判る。
ただし、その土地の暗い因習や『闇』までを、覗き探ると言えばそれはきっと難しい。
「ロブロウも、後ろ暗い事を悟られない手筈はしてから、『グランドール・マクガフィン』を"農業交流"として受け入れるじゃろうしのう。
正直、ワシは裏側まで調べぬく事は苦手だ」
グランドールが珍しく気弱な面をおおっぴらに見せるのは、アルセンを信用した上の事。
ルイはそんな様子を興味深そうに見ていた。
そして尊敬する「オッサン」を手伝いたくて、"子ども"はつい口を出す。
「ならさ、オッサンはそういうの向かないから、もっと適任な奴いかせたら?。
生臭くさそうな、墓荒しすら平気そうな、人でなしな奴!」
ルイがふざけたようにもきこえる言葉に、アルセンが固まった。
そして次の瞬間、とても美しい笑顔を浮かべる。
「ルイ君、それはとっても良い素晴らしい名案です」
言葉が文法的に怪しい程、アルセンは気持ちが昂っている様子が伺える。
「アルセン、その、大丈夫かのぅ?」
流石にグランドールが心配を始める。
「なんだ、アルセン。面白い事でも思いついたか?」
ダンはニヤニヤしているが、彼が何を思いついたか察した様子である。
「ええ、生臭くて面倒くさいものには、喰えなくて厄介なモノを会わせてみようと思いつきまして。ダン、ご協力願いますよ」
アルセンが報告書を見つめ唇にあてながら、綺麗に微笑んだ。