【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その10・一端の終幕後編ー】
とてつもなく長い間が終了した後に、グロリオーサが真っ赤になって、アングレカムは狼狽えて、ロックは苦手意識を持っていた人に同情が出来るようになっていた。
―――そして、執事があれ程気にした、主の傷ついた指先の事も一時的に忘却出来るほどの、力をその発言は持っていた。
『賢者殿、どこをどう繋げたら話がそこまで飛ばせるんですか!?』
アングレカムが余りに急で、露骨で赤裸々過ぎる話に、恋に関しては互いに"朴念仁"であると、自負している赤面してしまっていたグロリオーサを庇うようにして前に出た。
『それに私は整理をつけて下さいとは言いましたが、整理が着くどころではないではないですか――――』
今度はピーン・ビネガーを除いた、3人の気持ちを代表するようにアングレカムは発言をしていた。
一方の賢者は発言する美丈夫の方を見ておらず、主のいきなりの発言に絶句する執事も見越して、今は不意打ちのため赤面している豊かな黒髪と、同じ色をした精悍な瞳を持った青年を見据える。
『いいや、平定を終えた後に続けるべき整理の準備をしているつもりだがな。
アングレカム、私の活動は4年間が期限だと、宣言したはずだ。
それには、皮算用でもなく、平定後の事も含んでいるつもりだ』
言葉はアングレカムに向けられているが、賢者の視線はただまっすぐグロリオーサをまだ見据える。
『せっかく平定しても、その後を継ぐものが居なければ、また争いが起きる。
人の愚かしさを侮らない方がいい』
執事は希に拝むように目撃する、ピーンという人が、大切にも枷にもする"情"というものを操り繰る、賢者となっている所に出会しているのだと理解した。
『そして、グロリオーサ』
つと、賢者が今度は"男"の顔になって、グロリオーサを見つめた。
『トレニア・ブバルディアが、他の男に抱かれるのを、お前は許せるのか?』
『―――――』
ピーン・ビネガーという人にしてはとてつもなく乱暴な言葉を使っているのが、彼の執事にも、賢者という人を限りなく信頼する美丈夫にも判った。
その言葉が鬼神と例えられる男を怒らせるのに、十分な乱暴さをもっていたのを伝わってくる。
『トレニアが選んだのなら、俺は―――』
『トレニアの気持ちじゃない、グロリオーサ・サンフラワー"殿下"、貴殿の気持ちを訊いている』
ピーンが苛烈にも感じられる物言いをしながら、スッと手を戸惑っている自分の執事に翳した。
それを見た瞬間に、ロックは様々な驚きや感情の揺れがありながらも、いつもの"ロブロウ領主邸の執事"に戻る。
顔から一切の表情を消して、影のように自分の出す音を控え、頭を下げながら主の後方へと下がった。
(自分でも驚くくらい、気持ちが落ち着いてくるのがわかる)
執事は背の高い主人の背と白髪の頭を見ながら、それはピーンとグロリオーサが、今は"親しい"という状態からはほど遠い状態になっているためだとロックには分かった。
"一触即発"とも言っても過言でもない、緊張した空気が客室の中を今度は満たしている。
それはただ潤いや暖かみの感じられない"殺伐"といった緊張感というよりは、逆にありとあらゆる感情が混濁している為に、何が"起爆"に繋がるかが判らないそんな状態だった。
その中には、アングレカム・パドリックという人物の困惑と怒りも含まれてもいる。
今、彼は秀麗な顔の左の目元に痣を持ったまま、眉間に縦シワを刻み、グロリオーサとピーンの間に立ち、アングレカムが賢者による言葉から親友を庇うように立っている。
そしてアングレカム自身、自分がこの2人の間に立つ事は物凄く"場違い"な事になりかねないとも勘づいてもいたが、言葉を挟まずにはいられなかった。
『賢者殿、グロリオーサが身内に、友だと思う者に情に厚く優しい男がだというのは、もう察していらっしゃるでしょう。
例えグロリオーサがそれ以上の感情を持っているとしても、トレニアに対して独占欲があったとしても、それが彼女を苦しめる事に繋がるのなら、彼はその気持ちを表に出すことはありませ』
賢者がスッと手を伸ばして、アングレカムの言葉が中途で止められた。
昨日出来たらしい目元のアザに傷跡の残る指先で触れながら、隈があることで凄みの増した視線を、賢者はグロリオーサからアングレカムに一時的そらす。
『―――その顔の傷は、"それ"を確認して出来たというわけだ。
恋に鈍い男に、人の気持ちが聞こえてしまう女。
そのどちらにも黙っておいてくれと頼まれた気持ちを聞かされて、それを巧く利用としているようで、利用できていない、アングレカム・パドリック。
それでは"悪魔"からは、程遠い』
アングレカムの前に佇む男は、口の端を上げ、目は弧を描いて細められているだけなのに、凶悪な面構えにしか見えない。
これまで戦いで血に塗れても、
本気のグロリオーサを目の前にしても、
後悔をしているジュリアンを見ても、
泣いているトレニアを見ても、
悩む神父を見ても、
この嗤う賢者を見詰められる程、心が萎縮されるような気持ちになったことは、アングレカムにはなかった。
(私程度の"知識"では、この人が抱えている"叡知"にはとても及ばない)
″ 邪 魔 だ ″
先程のグロリオーサと同じように賢者は唇だけを動かして、意思を伝え、そしてアングレカムはそれを理解する。
ピーンは引き続き黙ったまま、言葉を出さずに指先を目元の痣の上からツッと下げて、アングレカムの胸元を"退く"のを促す為に推した。
客人の胸元を推した賢者の指先に、小さな痛みが僅かに走ったが、表情には出すほどでもない。
だが、推されたアングレカムは退かず、ピーンは笑顔にも見えていた弧の形を平らにした。
耳元では、アングレカムヲイジメナイデ!と、精霊達が小さく賢者の耳元で囁く。
先ほど推した客人の胸元には、グロリオーサの姪が作ったという"ビーズの指輪"が、収まっていた。
その″恋する気持ちと魔力に溢れた指輪″の助けもあって、形を得ることが早まった風の精霊が、指輪の作り手が心から"恋している"相手を―――アングレカムを傷つけようとする賢者に怒りの気持ちを向けていた。
『アングレカムは、トレニアの気持ちを聞いて、それで優先しただけだ。
俺ならそれを望むと知っているから、そうしただけのこと』
今までアングレカムに庇われるように後ろにいたグロリオーサが、スッと親友の前に出た。
顔はまだ赤いが、気持ちは随分と落ち着いているのが、雰囲気で周りにいるものに伝わってくる。
『そ、その、トレニアが自分の子どもを持ちたいって事は友人として、応援してやりたい夢だとは俺だって思う。
で、でもきっと、ここまでやって来たことを無駄にしたら、それは他の仲間にも迷惑をかけるし、今、多分トレニアが子どもを持つってことは、そういう事に繋がりかねないんだろう?。
なのに今、トレニアに子どもを産ませてやるだなんて』
『―――では、言い方を変えよう。
グロリオーサは、トレニア以外の女性を愛せるのか?』
言葉に詰まりながらも、何とか言葉を返したが、また違った形でピーンの言葉はグロリオーサを攻める。
『幼なじみで、お前より強くて、一番辛かった時には寄り添ってくれて、お前の胃袋まで掴むような、何よりかけ換えのない、親友で仲間である"女"を蔑ろにして、他の女を愛せるのか?』
戦う事は"得手"でも、そういった事には本当に不得手とする男は、また押し黙ってしまった。
(自分の娘達の口の回り具合や、嫌味に辟易していたが……、こうなると彼女らの口の悪さの根元は、やはり私になるのかなぁ)
真っ直ぐと細めていた目の形を、また笑顔の形にして、今は参入したレジスタンスの筆頭にもなる人に、距離をつめて、不遜に賢者は語り寄る。
『もっと率直に言おうか。平定が終わった後に、トレニア・ブバルディア以外の女を抱き、子どもを作り、その子を跡継ぎにして、新生のセリサンセウム王国の治世を続ける気はあるのか?と尋ねている』
武器と力を使う戦いなら命懸けとなるが、口先の戦いとなったら、グロリオーサが相手になるのなら、魔力が底をついているような状態でも勝てる自身が、賢者にはあった。
(まあ、それだけグロリオーサが優しくて、私が根性悪いってことの証明みたいにも感じるんだが。
アングレカムも、どうやら"ピーン・ビネガー"を加える事で、ただ国の平定までの時間の短縮させる事になるだけと、考えていたらしい。
その後に時間がとれたなら、トレニアとグロリオーサが、互いに意識をするぐらいのお膳立てをするつもりだったんだろうなぁ)
今はグロリオーサの後ろに控える形となった参謀は、ピーンの発言が予想外でしかなかったらしい。
眉間をにシワを刻んだまま、リーダーとなる親友の後ろ頭と、助勢を頼んだ賢者の顔を見比べていた。
賢者が、いつもの調子で影のように控える自分の執事にテレパシーを送ったのなら、執事からは至極冷静な返事が帰ってきた。
(旦那様の"お言葉"と、お子様方のお言葉は違いますよ。
こうすることが、"賢者ピーン・ビネガー"が決起軍に参入の意味となるのなら、どうぞ遂行なさってください。
賢者が、仲間に加わるという事の意味。
どうぞまず、代表となる御二方に教えて差し上げてください。
私は何処までも付き添い、従います)
当初、グロリオーサに仲間に求婚をしろ、子どもを作れという言葉に、執事も驚きもしたが、手を翳された辺りから主の言葉を言った意味を理解する。
(旦那様、グロリオーサ様に今から国の基盤を作っている事を、周りに認めさせるおつもりですね)
グロリオーサが上手く返答出来ない間、執事は主の"暇潰し"になるようにテレパシーを返す。
(やらせようとしている事は、人という集団が纏める長となる人物に求めてきた、ありきたりな事だ。
昔からやってきた事と、大して代わり映えも工夫も特にない。
しかし、結局このセリサンセウムという国では、民の気持ちを掌握するには一番手っ取り早い方法でもある)
ロックはピーンが、グロリオーサに安寧の世の意味で、国の王として振る舞う事を進めているのだと理解する。
(土地の大小関わらず、このロブロウも保守的なやり方でもあるが……。
結婚をし身持ちを固めるのは、間違いなく国民の支持は得られるんだが、グロリオーサにこの部分は言わない方がいいだろうな。
"家庭"というものに、大きな憧れをいだいてる。
どちらにしても、国を決起軍が落ち着かせた暁に、民はすぐにでも"安寧"の続きを求めるだろう)
――――今まで、不安で仕方なかった日常を払拭してくれた人が王として据えたのなら、その続きを当たり前のように、その人物の血の繋がりがある人に求める。
(別に平和な国でも、その当主となる者の跡継ぎには血の繋がりがあった方が、民も安心できるからな。
さて、返事がこないのなら、グロリオーサには申し訳ないが、"追撃"をさせて貰おうかな)
トレニア以外の女性を愛せるのかという言葉に、グロリオーサは引き下がるわけではないが、未だに答えることが出来ずにいた。
(前に答えは聞いたみたいなものなんだが―――)
前に聞いた言葉と共に、ゆっくりと言葉を選びながら、賢者は口を開く。
"好きか嫌いかで言うなら、はっきり言って好きだけどさ。
……これは"恋"っていうものにしても良い気持ちなのか?。
ただ、守りたいから、笑っていて欲しいから、それでどんな事があっても、大切にしたいって気持ちは"恋"としてもいいのか?"
とても優しい、グロリオーサが語った言葉を、現実という物に擦り合わせて、賢者が生々しい言葉で突き付ける。
『嫌なんだろう?。
出来れば、いつまでも、平定が終っても仲間で、幼馴染みで親友のトレニア・ブバルディアのままで、自分という人の傍らに置いておきたいのだろう?。
そして彼女が赤ん坊を抱いて微笑む姿は愛しい。
けれど、その赤ん坊が、もしもトレニアと他の男の血が交わっていそうなら、本当の鬼になってしまいそうになるんだろう?』
『違う!俺はただ、普通に』
『賢者殿!言葉が過ぎます!』
グロリオーサとアングレカムの言葉が揃って、賢者に向けられた。
同時に出てきた言葉ではあったが、賢者には2人が言った言葉が十分に聞き分け、理解が出来ている。
『グロリオーサ、どう違うか教えてもらおうか?。
で、アングレカムは言葉が過ぎているということは、過ぎていなければ、"グロリオーサがトレニアに抱いている想い"に関する私の発言は図星と考えても良いのかな?』
(揚げ足とりも甚だしいなぁ)
(イタズラをなさる旦那様の調子と然程変わりませんよ)
賢者のテレパシーに、執事は慣れた様子で言葉を返していた。
このピーンの発言は、グロリオーサとアングレカムを互いに見合わせる事になる。
そして互いに再び深いシワを眉間に刻み、緑の瞳と漆黒の瞳は睨み会う形になった。
『―――どうする?先にグロリオーサとアングレカムが話をつけるか?。
それとも、私に自分の意見を述べながら、親友同士でトレニア・ブバルディアに対する気持ちの捉え方の違いを見極めていくか?。
私は、どちらでも構わんよ』
その様子を眺めて、賢者は腕を組み、右手で顎を撫でながら不貞不貞しく笑った。
自分が放った言葉で、グロリオーサの怒りにも、アングレカムの不満にも見事に"燃料"を注げたことに、イタズラ好きな領主はご満悦である。
(どうやら、昨日の内に喧嘩はしていはいるが、"決着はついていない"とう案配みたいだな)
上機嫌に後ろを振り返らずに執事にテレパシーを飛ばしたのなら、またすぐに返事はかえって来た。
(―――恐らくは、"先ずは決起軍に戻ってから"と話を先送りにしたのではないのでしょうか?。
決起軍の目下の目標は"国を平定すること"。
それに恋に関しては、アングレカム様、グロリオーサ様、お二方とも苦手ですから、誰か"介添人"がいないと、進まない話でもあったのではないかと)
執事の言葉はまだ続く。
(旦那様、アングレカム様にしてもグロリオーサ様にしても、昨夜は互いに手を出してしまうぐらい、もう散々意見は交わされたのでしょう。
そして、交わされてけれど互いに言いたいことは言ったけれど、旦那様が仰有る通り"決着はつけなかった"。
それを再び再燃させてしまった責任を取られてはいかがですか、介添人として)"介添人"という言葉が出てきて、賢者は少しばかり眉をあげた。
幸い(?)にも、互いに睨みあう形になっているグロリオーサとアングレカムには、その表情には気がつかれなかった。
(―――私だって、"恋の話"は苦手だって知っているだろう?)
("恋の話"は苦手かも知れませんが、"子どもをもうけて、自分のお子さまを産んでくださった女性への気配りは、とてもお上手"だと、カリン奥さまに伺っておりますので。
それに旦那様が"賢者"としてグロリオーサ様に提案なさっているのは、"そういった"事でございますよね)執事からサラリと言葉を返されて、今度は隈のある目元で激しく瞬きを繰り返したなら―――褐色の美丈夫が、親友とにらみ会うのを止め、口許が小さく開いた。
賢者と執事は瞬時にその動きを見て、同時に瞳を客人の方へと動かす。
『それでは、"自分の意見を述べながら、親友同士でトレニア・ブバルディアに対する気持ちの捉え方の違いを見極めていく"。
この方向で話を進めていただきましょう。
それで構いませんね、グロリオーサ』
そう言うアングレカムの顔は"決起軍の参謀"と言った印象を感じさせるもので、先程まで浮かべていた迷いの類いはどうやら、彼は整頓をつけてしまってたようだった。
『―――戻ってから、追々話していくんじゃなかったのか?』
グロリオーサは、拳にしてしまっている手をグッと更に力を入れて握りながら、アングレカムにそう言葉を向けた。
アングレカムは澄まし顔で、チラリと親友を見て少し考えている様子が伺えた。
(―――確か、グロリオーサ様はトレニア様から頂いたという、特別な髪を結う紐を握っていらっしゃるのですよね)
自分の主と親しくない分には、グロリオーサに優しい気持ちすら持てる自分にロックは驚く。
だが驚きながらも、彼が本当にトレニアという女性を想っているのが、執事には物凄く共感出来るような気がした。
ただ大切に思う気持ちはわからないでもないのだが、どうして、こうもその気持ちを表に出せないのがロックには気になった。
(グロリオーサ様は、トレニア様を好きという事を表にだす事を、躊躇っているんだろう)
"好き"という気持ちは成人した人が、婚姻の式でも行わない限り、表に大っぴらに出すものではないロックは思う。
そしてロブロウという領地は、特にそういった慣習が強い。
その上で、グロリオーサという人物はこの土地の領民に受け入れられていた。
グロリオーサというは何やかんやでこの土地の領民と感覚があうのだと―――保守的で"現状"が穏やかならそれで良い、3週間付き合って、それがロックにはわかった。
(でも、いくら保守的といっても、もう状況を"進ませて"も、何ら構わないと思うのだけれども)
それなりに仲間として親友として付き合い、互いに想いが通じて大切に思える気持ちがあるのなら、子どもの事は差し置いても、告白でもして恋人同士になっても良いものだと思う。
(旦那様が仰有るには、決起軍として、10年は行動を共にされているらしいのに)
執事は領主邸にある"恋愛の本"で学んだものでは、グロリオーサとトレニアの関係は、青春における恋愛の物語にも十分に当てはまる、と思えた。
そういった系統の本では、7割が"ハッピーエンド"という物語の終幕だったので、この客人の場合も当てはまってもおかしくはない。
(恋敵とはいってもアングレカム様は、グロリオーサ様の姪っ子様に義理立てしている。
後一人は、神父様ということですし……。
――いったい、本当に何がグロリオーサをためらわせているんだろう)
そのグロリオーサを見つめれば、彼にしては本当に珍しく気弱な様子で、厳つい眉を"ハ"の形にさせて、提案をしたアングレカムを渋い顔で見ていた。
だがその褐色の美丈夫の提案より良い言葉を、グロリオーサが出せる様子もない。
『ではアングレカムの提案を受け入れるとして……、2人の間でどのくらい話は進んでいるんだ。
グロリオーサは、トレニアがどう思って考えているという風に、アングレカムから話を聞いた?。
話しづらいというのなら、アングレカムから、全部話してもらう形でも構わないが』
賢者が確かめるようにアングレカムを見たなら、快諾するといった様子で頷いた。
それでもまだグロリオーサの表情は、優れない。
流石にピーンの"からかう"といった様子は潜めたが、トレニアに関しての話題を止める様子は、賢者にはなかった。
『グロリオーサは、アングレカムが話すことで齟齬に感じるところに、遠慮なく口を挟め。
とりあえず、話を進めよう』
今はある意味優しくグロリオーサに、自分の主が語りかけているわけなのだが、ロックの中には嫉妬という感情が全く湧いてはこない。
だが、その理由をロックは自分の胸の中でそれとなく察していた。
(グロリオーサ様は、本当にこの話をすることが"嫌で仕方ない"んだ。
そんな話を持ちかけてくるのが、つい最近友人になった旦那様でも、昔からの親友でもあるアングレカム様でも嫌なんだ)
グロリオーサと、ピーンの"縁"が遠くなる分には、本当に穏やかで冷静に落ち着いて考えられる自分の事が、ロックは嫌になった。
(グロリオーサという人は、本当に悪い人でもないのに。
保守的な領民や、旦那様からも、あんなに慕われるような、カリスマに溢れる人。
そんな人が困っているのに、どうして"僕"は……)
主とのテレパシーの意識を繋げたまま、ピーンに心の声を聞かれても構わない調子で、執事は唇を噛んでそんな気持ちを思い浮かべる。
前にグロリオーサ、後ろにロック。
前後に真剣に悩んでいる人に俄に挟まれた状況に、賢者は苦笑いを浮かべる。
組んでいた腕をほどいて、ガリガリと白髪の後頭部を掻いたのなら、賢者は小さく息を吐いた。
勿論、突如として行われたそんな行動には、注目が集まる。
(平定の為にグロリオーサとトレニアの事もあるが、ロックの為――――いや、ロックと私の為の旅であるということも、覚えて、忘れないでおいてくれ)
そうテレパシーで執事に先ずは伝える。
きっと自分を見ているであろう忠実過ぎる執事に見せるつもりで、口の端をピーンはニッと上にあげた。
"平定の為"、それを行った後の国の安寧の為―――という"一番大きな目的"にばかりに気が向いていた、ロックは、"領主と執事の為"と伝えてきたピーンの言葉に驚愕する。
そして、口の端をあげる主が続ける言葉を待った。
『ここにいる四人、年齢といった部分では全員成人はしている。
私など、あと数年もしない内に"2度目"の成人を迎える年齢となる』
アングレカムが話を始めるばかりと思っていたが、ピーンが突如として頭を掻いたり、口を開いた事にグロリオーサの顔から"優れない"部分はとりあえず抜け落ちる。
正面いる客人の顔から不安そうな部分が払拭されたのを見て、口の端をあげていた賢者は目だけを動かして、今度は自分の執事を見て口を開いた。
『だが、あと数年で2回目の成人を迎えようとしているのに、正直いって"気持ち"……というか考えかたは、変わっていないように思うんだ。
そうだな、ちょうど、この後ろに控える執事のロックを拾った時ぐらいからかな。
それまでは、旅をして世間をみたり、色んな書物を読んだりして影響は受けていたんだろうが、今思い返しても考えても、あの頃には"自分の考え"っていうのは定まっていたと思う』
(……旦那さ……ま)
いつまでも"依存"という病なのか性質かわからない物に縛れて、自分だけが変われていないのだと思っていた。
振り返って浮かべるピーンの表情は、初めて共に焚き火で食事をした時と同じ笑顔のように感じる事が出来る。
ただ年齢と、あの頃からこれまでもたゆまずに続けてきた、努力がピーンを更に魅力的な人として色が加わっただけ。
(そうだ、変わったんじゃなくて、旦那様にただ"加わったんだ")
髪の色や、目尻口許に後から足されたような白やシワが抜けたのなら、ロックには直ぐに自分を救い拾ってくれた"賢者さま"が思い浮かべる事ができる。
領主と執事はいつのまにか互いにテレパシーを常時出来るようにしていて、ロックの言葉が聞こえたピーンは隈のある目元を柔らかくした。
(まあ、老化は人として仕方がないとして。
そうだな、ピーン・ビネガーも変わってはないのさ、ロックが言うみたいに、ただ"加わった"だけのこと)
このテレパシーは、ロックにだけではなく、アングレカムにもと飛どけられているようだった。
美丈夫も緑色の目で賢者を親友の肩越しに見つめた後に、どうやらこのロブロウ領主とその執事のやりとりの言葉には納得が出来るものがあるようで、目を伏せて小さく頷いて見せてくれた。
(どうそ、続けてください賢者殿。
正直、昨日散々グロリオーサとは会話をしたので、私からよりも賢者殿からの方が彼も受け入れ安いでしょう)
そんな言葉を届けられて、ピーンは客人にあたる、成人を迎えて数年が過ぎたであろう青年達を見据えて話を続ける。
『ロックをつれてこの領地に戻って1回目の成人を迎える年になった。
ロブロウに戻って領主になると同時に、妻となる花嫁のカリンをを迎えた時も、領主となる覚悟も領地の治安を守る決心もしていた。
けれども、気持ちはずっとロックを拾った時とぐらい―――私の中の基礎は人生の中で、一番大切な出会いがあった時期と全く変わったという気がしないんだ。
それは決起軍の、グロリオーサもアングレカムも同じだと思うんだが』
それからグロリオーサの方見て、ニッと笑った。
『ついでに言わせて貰うのなら、申し訳ないことかどうかも判らないが、私の血を半分は引いている子どもを6人もカリンに産んでもらっても、変わらない。
物事を決める基準も考え方も、別段変わったつもりがない。
ただ、考える時に"自分は結婚をした""ロブロウの領主となった""6人の子どもの父親になった"が付け加わえるようになった。
ああ、"賢者なった"って事も付け加えたかな、あっはっはっはっはっは』
(―――私的には、"世界中"から認められた存在である賢者であることを、一番最初に付け加えるものだと思いますけれどね)
最後の方には明るく笑うような賢者のいい様に、アングレカムが思わずといった感じで、テレパシーで伝えてきた。
言葉に出さないのは、今きっと真剣に考える事が苦手な親友が懸命に考えて、言葉を出そうとしているのがわかっているから。
『変わらない……のか』
漸くグロリオーサから出た一言にピーンはまずは頷いて見せる。
『ああ、気持ちは変わってない。
まあ、中身は変わらないが、さっきいった通り外面は髭も生やしたし、頭はこんなに白髪だらけだ。
けれど、最初に持った"根っこ"はそのままだ。
根本は変わらない、ただ物事の答えの出し方に、選択肢や制限が出来た。
個人的には、自分の研究以外の事だったら"何でも自由に自分で決めてくださーい"って奴よりは、ある程度、選択肢を絞って貰えて、決められている方が楽だと、私は考えている。
"で"、だ』
執事に言われた通りの"介添人"の気持ちになりながら、賢者は自分が国の為に選んだ"王"を見つめ、進言をする。
『私は今から、"現状の決起軍"にピーン・ビネガーという賢者と、執事のロックという魔術の使い手が加わる。
その上で、リーダーとなるグロリオーサが選ぶ事出来るようになった、選択肢を提供しようと思う。
まあ、内容的には、先程も言ったもののままだ』
そう言って、賢者は口元を引き締める。
"さっきも言った内容"を思い出して、グロリオーサの顔は俄に赤くなるが、賢者の口元が引き締めまり―――顔は冷静なもので、冷たささえ醸し出していた。
その冷たさにグロリオーサは感化され、暑かった顔から熱と赤みは引いていき、改めて、そこには戸惑いが残る。
そして、戸惑いながら、また懸命に考え始める。
(ピーンが言いたいのは、きっと"年齢に関係なく、根本は変わらない"という事。
ただ、根本は変わってはいないけど、自分が選ぶ際に制限や、
考えてから行動しなければならない状況が加わって、その上で、選択肢を選ばなければいけない事になっているという事)
難しいことが苦手なようでいて、一番伝わって欲しい事はしっかりと見つけられる。
そんな才能も持っているグロリオーサは、賢者に言われた言葉を思い出しながら、それを自分に重ねていく。
そのグロリオーサの後ろを、賢者の後ろにいる執事と同じように、アングレカムが見守り控えていた。
(ここで、どうぞ思いきり考えてください、限られた中で、選びたい選択をして下さい、グロリオーサ)
鬼神のような強さを持ちあわせ、戦いを望まれた相手になら、容赦ない強さを示す。
ただ、"守ってほしい"と言われたのなら、きっと断れない。
これまで、トレニアが心を読み漁り見抜き、アングレカムが選別し、無用な"助け"を断ち切らなければ、きっとこのグロリオーサという人は、有象無象の「助けて」という言葉に、必要な助けかどうかか考える前に、"助け"る事を続けて、倒れてしまった事だろう。
その友を倒れないよう、懸命に守ってきた″臣下″として、安心して迷ってもいい場所で、迷った上で、限られた――――選ぶしかない、たった1つの決断して欲しい。
そんな気持ちで、アングレカムは"親友トレニア・ブバルディア"と共に守ってきた、グロリオーサの背を見つめた。
(根っこか。"種"とか、ピーンの例えは成長する植物みたいだな)だから、グロリオーサの頭の中で最初に"決起軍を起こそう"という気持ちを芽吹かせた時に浮かんだ時、周りはどんな景色だったか思い出した。
そうすると一番に浮かぶのは、自分の親にあたる人物が出した"おふれ"で、救えたはずの大切な命を助けられなかった事に、悔し涙を流すトレニアだった。
(思えば、あの時、初めて泣いたのを見たんだった)
喧嘩は負け知らずのセロリ嫌いの偏食児の偏食を治し、更には倒した、快活な紫の瞳をした少女が泣いた顔を見て、それまで固めていた決意が、更に強固に明確になったのを思い出す。
(…最初はトレニアには、故郷の田舎で待っていて欲しかったけれど、無理矢理ついてきたんだよな……)
―――違う、やろうと思えば、リーダーの立場の自分がトレニアに"負けた"としても、断ろうと思えば断れた。
自分の親らしい人―――暗愚の政策の為に、助けられなかった子ども達の事があって、彼女に強く言えなかった事もあっただろうけれども、それは"トレニアを連れていく為のいい理由"にもなっていた。
国を良くしたいという気持ちも本当だけど、初めて自分を負かす事が出来た、強い少女が自分の側にいて欲しいというのも"真実"で。
色んな条件や、加わった状況があったとしても、どれだけ"気持ちの芽"を伸ばさせても、グロリオーサは"自分の側にトレニアの為の場所を作る"という選択をしていた。
そして無意識に"トレニア"の場所を誇示しすぎていることに、ロブロウに来て、マーサの話と、アングレカムの話と、今、賢者に選択を提示されて気がついた。
昨夜はそれで、"友だち"と思っていた人を傷つけているとアングレカムに言われて、喧嘩になった。
"貴方は、貴方に恋している人に気付いてもやれないくせに――"
そこまで言われた時、思わず手が出ていた。
(グロリオーサは何とか気がついたか、では)
グロリオーサの瞳から戸惑いの色が抜けたなら、賢者は引続き引き締めた口元で話を続けた。
『グロリオーサ・サンフラワーには、
"現国王の庶子"
"悪政を行う王を打ち砕かんとするレジスタンスのリーダー"
"鬼神のグロリオーサ"
この3つが、今は物事を考える時に対外的に必然的にくっついてくる』
そこまで言いい、グロリオーサの肩越しにアングレカムを見たならば、今度は小さく、はい、という声を出して答えてくれた。
アングレカムが頷いたのを確認した後に、ピーンは今は真っ直ぐに自分を見る事の出来るグロリオーサに率直な言葉で語る。
『私は、これに更に"グロリオーサ・サンフラワーに子どもがいる"と付け足したいと目論んでいる。
更に加えるのなら"同じ決起軍にいる仲間で親友である女性から産まれた"という外堀も埋めたい。
少し話が飛ぶが、個人的には性別は本当にどちらでも構わないんだ。
だが、この国の"しきたり"を考えたのなら男児のほうが、産まれてきた子供の為にも望ましい。
まあ、鬼神を往なす魔女に向かって
"跡継ぎになる男児を産まないとは"
なんて命知らずの発言をする愚か者はいないか。
その前に"赤ちゃんは男女なんて関係なく、可愛いものなのっ!"って、トレニアちゃんにシバかれるかな?』
会った事もない女性だが、グロリオーサやアングレカムの話を聞いた上で彼女の言動を賢者は微笑みながら想像して、真似してみた。
『ああ、それは』
『容易に想像できますねぇ』
グロリオーサが振り返り苦笑いを浮かべたなら、アングレカムも同じ様に困った笑みを浮かべていた。
『トレニアにしたら、神様よりも赤ちゃんだからな』
グロリオーサが本当に嬉しそうに語り、賢者に向かって笑っていた。
その笑顔を執事が、主の肩越しに―――穏やかな気持ちで見て、思わず主にテレパシーで語りかけた。
(……グロリオーサ様は、本当にトレニア様が好きなんですね、旦那様……)
(ああ、そうだな)
主の優しい返事に、またロックの心は落ち着いた。
実を言えばグロリオーサが、ピーンへ"覚悟を決めて"話を始めた辺りから、ロックの中で、沸々と嫉妬が沸き上がり始めていた。
しかし、彼がトレニアの事を語り始めたのなら、その嫉妬は静かに引いてくれる。
"グロリオーサは、トレニアを本当に大切に想っている"
それを感じる事が出来たなら、"嫉妬をする必要がない"と自然にロックは思えた。
そんな落ち着いた執事の心に、賢者は語りかける。
(……私は、ロックを共に決起軍につれて行く事で学んで欲しい事の1つに、グロリオーサとの"苦手だと思う事"への関わり方がある。
まあ、本当は"苦手"とはニュアンスが違うものなのかもしれないが、受け入れないものとの関わり方だな)
(関わり方……ですか?)
主の肩越しに、最初、見つけた時から"気にくわない"と思えた客人を執事は見つめた。
(今は、グロリオーサの事をそこまで何とも思わないのだろう?)
前まではロックに嫉妬の感情が芽生えたなら、闇の精霊が直ぐにでも取り込もうとしていた。
しかし、今は"従属"させた事で抑えている事もあるが、何よりグロリオーサを前にしても、精霊達はとても大人しい。
(はい、それは)
トレニアの事を語り笑うグロリオーサの事なら、ごくごく普通の"客人"として、ロックは受け入れられる。
ただ、もし彼の気持ちが自分の主であるピーンに向いたとなると、今、考えただけでも嫉妬の気持ちが脹らみ始める。
(ロックも依存のが"根っこ"にあるならあるで、私はちっとも構わない。
嫉妬も裏返せば、こんないい加減な片付けができない大人でも、それだけ大切に思われているということだ)
グロリオーサとアングレカムが少し″トレニア″に関して意見を交わしている間に、ピーンはロックに面と伝えるには
(ただ、"成人した事"、"ロブロウ領主邸の執事"や、″お前の事を思う主″を含めて、自分の感情をコントロール出来るようにしてくれ。
もし、利用価値があるならいくらでも、"ピーン・ビネガー"の存在を使うといい。
今までもこれからも、きっと私はロックに助けてもらうことになるだろうから。
それを、この旅の中で身に付けて欲しい。
そして、いつか……まあ、随分先だろうし、多分世に憚る私だから、老衰で死ぬことだろうとは思うが、その時にお前に立派な執事として、"見送って"欲しいんだよ。
私の"最期"まで、付き合ってくれ)
(……旦那様!?)
不意に、ピーン側からテレパシーの回線を切られたが、ロックは微動だにしない。
拒絶というわけではなく、ただ本当に"一旦切られた"のが分かり、主が口を開こうとしているのがわかったので、"影"に戻る。
――――ただ、様々な思いで"私の最期まで、付き合ってくれ"という言葉を反芻していた。
『さて、和んだところで話を戻そうか。
今からでもグロリオーサに跡継ぎの子供がいたのなら、平定を終えた後に、"殿下"のしてきてしまったような、女性が人知れず涙を流すようなことは……確実に少なくはなる』
わざと賢者が自分の事を"殿下"と呼んだのが分かってもいたが、"女性が涙を流す"という言葉にグロリオーサの顔にまたほんの少しだけ赤みがさした。
恋愛に関して朴念仁である事は自認をしてはいるグロリオーサだが、正直、後ろにいる整いすぎた顔立ちの親友のように、自分が女性から想われる事があるなんて、考えた事もない。
そんなグロリオーサの様子を見て、賢者はほんの少しだけ申し訳ない思いを抱く。
(まあ、実際には"グロリオーサを好きだった記憶"は無くなっているから、"泣いたご婦人方"はゼロだろうがなあ……)
その考えをテレパシーに乗せてアングレカムに飛ばした。
すると美丈夫は親友が自分の顔を見えてないとわかった上で、賢者と同じように申し訳なさそうな顔をして頷いてみせてくれた。
(はい、いらっしゃいません。
いい加減、こちらが動かなければと言う前に、賢者殿が、先程指摘してくれたとおり。
今預けている絵本が、グロリオーサに想いを寄せるお嬢さんや、ご婦人方の記憶を吸いとってくれていました。
それと同時に、他の方々の記憶や魔力も吸いとっていたので、私は気がつけませんでしたが。
その絵本はやはり"自分の意思"といったものを持っているのでしょうか……?)
アングレカムは気がつけなかった悔しさと、疑問を綯い交ぜた返事を聞きながら、ピーンは自分が動ける程度の魔力を共有してくれる絵本を、愛用のコートの生地越しに撫でた。
自分の紅黒いコートに入っている"絵本"の詳細な情報の記憶は無いが、絵本が果たしていた機能の記憶はある。
【悲恋ではないからさ】
恐らくはこの絵本の詳細な記憶を持っていた数時間前、コートにおさまる絵本が自分に語った言葉を賢者は覚えていた。
("悲恋ではない"って明言しているのはある意味、この"不思議な絵本"も《グロリオーサとトレニア》のカップルを認めているって事になる)
賢者もこれまでの経緯を聞いて、今から行おうと目論んでいる事にあたり、"グロリオーサの子どもを産む"――――平定(まだしてはいないが、確実に成せるとピーンは判断)した国の跡継ぎにするとしたら、"平民"の出であるトレニアが一番"適任"だと考えていた。
これまでピーンがロブロウの領主―――貴族として知っている限り、王家と姻戚をの血縁関係を結んでいるのは、貴族しかいない。
国の乱れは、貴族の豪遊や贅沢が原因といったわけでは無いが、平民を管理及び纏める役目となる彼らの"才能の無さ"が一因とはなっていた。
その最もたる例えが、ピーン・ビネガーも含まれる"貴族"として納める事を国から命じられた領地や、または工業や商業の管理となる。
領主や責任者として管理することが、命じられた貴族の仕事。
当時、国の政策を指揮する"クロッサンドラ・サンフラワー"が打ち出す政策は、悉く"管理者"の無能さを露呈するものだった。
"今までは"という理由ではないのだが、国が色んな意味で傾いているという状況を世相が理解するまでは、管理を任された貴族がいなくても、全く問題がなかった。
あまりしっかりしていなくても、その下で働く平民が黙ってに稼働してくれて、"持ちつ持たれつ"で巧くやってこれていた。
管理の初歩や基礎すら知らなくても、"管理されている平民"が上にたつ貴族を支えてくれる。
その代わり、管理者となる貴族は、外交として分野の違う工業や商業を納める"同業"と渡りをつける役目を担ってくれていた。
渡りをつける役目―――パイプとなっている貴族同士、自分が何を管理しているのすら把握していない貴族もいないという話を、親である先代領主に聞いた少年時代のピーン・ビネガーは思わず激しく瞬きを繰り返したのもよく覚えている。
そんな意味では、緩やかな管理で許されている安寧な世相のでもあった。
その中で、ピーンがまだ幼い少年の時代の頃に、国王に即位したクロッサンドラという、若き王が出した政策は"正論"、
《国からある場所やもの作り一任され、納めて管理する物を把握すらしていないのは、おかしいのではないか》
これを通した上で、国に住む"民"に交付した内容を元に、取り締まりを始める。
今まで緩やかで、言葉を悪くすれば"なあなあ"で管理をしていなかった貴族が、初めて仕事に関わり参加することになるようなものだった。
勿論、これまでろくに参加しなかったものが出きるものではない。
今まで通りに、お飾りのように振る舞い、仕事を平民に任せたいのだが、どういうわけだが国から厳しい監査の兵が派遣されて、しかも融通が効かない。
平民の方も、仕事はする分には基本的に自由にさせてくれていた管理する貴族が、急に口をだされるのは、はっきりと言って面白くはない。
広義にいう、"正しい事"をクロッサンドラという国王はしているのに、それはゆっくりと貴族と平民の関係を"ギクシャク"させていった。
しかし、クロッサンドラは王として"間違った"事はしてはいないので、臣下は強くは言えない。
希に、"注進"する臣下もいるが、それを穏やかに聞き入れた上で
"……それでは、私は、間違った事をいっているのか?。
本来、あるべき姿に戻そうという考えは、民を苦しめてしまっているのか?。
では、このまま自分の責務も知らずに管理する貴族は、やっていけという事なのか?。
それでは、不平等ではないのか?。
だが、そうやって今まで楽する者は楽をして、働くものだけが働いてきたのだな"
一般的に"正しい"といわれる言葉ばかりを、優しく並べられたのなら、それ以上は進言した臣下もどうしようもない。
だが国王は進言した臣下を咎める事もなく、"進言を感謝する"と、誉め、褒賞すら与えた。
そして後に、注進して来た臣下の周辺に探りをいれて、―――臣下に婉曲に国王に対する自分に進言するように頼み込んだ管理者―――貴族を焙り出していた。
焙り出した貴族には温情を与えて、その代わりクロッサンドラが政策として交付した内容を、広めていく。
賢者が"クロッサンドラ"という国王が目敏いと感じてしまうのは、そうやって貴族との縁を強固にしつつも、誰も"悪者"を作る事なく、悪循環を見事に作っていった事である。
王からの取り成しで、注進を頼んだ事がばれたとしても、罰せられなかった貴族は極力王の意思に添うようになる。
そしてそれを"パイプ役"である同業―――貴族に伝え、感化させていく。
―――今一度、根本を見直してはどうだろう?。
そんな感化が広がる中で、王都で開かれた夜会で、ある一人の貴族がそう言った。
その貴族は、側近でも国王クロッサンドラから最も信を置かれ、"親友"だと王自身が言ってもいる人物だった。
―――貴族の根元は、″騎士″であり、もう数百年以上の昔にあった戦争で、″セリサンセウム″という国が建国された時からの主従関係の延長で今の国となっている。
―――長い安寧の"サンフラワー"という王族による治世は、穏やかに四季の時間を繰り返し過ぎていくだけで、忠義の心を忘れがちになっていないか。
―――貴族として、国を守る騎士として"誇り"を忘れてはいないか?。
静かに確実に、貴族の心のなかに"小さな誇り"を燻らせて、それにあわせて"無駄なプライド"も発芽させてさせていた。
そして無駄なプライドは、知識も経験もないくせに平民の仕事に口に出すことに繋がり、"なあなあ"だったからこそ効率も品質も落とさずにやってきたたものも、"貴族と平民の信頼関係"をまず駄目にした。
王都から離れている領地では、領主である貴族が無用なプライドを持ち合わせる事はなかった。
しかし、それでも国からの監査と、不馴れな自分の指揮でこれまでやっていたような収穫が出来ずに、平民は、領主の手際の悪さに不満を募らせていく。
領主に余計なプライドはないが、自分の不手際の為に領民に迷惑をかけているので、ただ管理者としての責務を果たそうと努力しようとするが、巧く出来ない。
助言を今まで指揮を取っていた平民から貰おうとするも、それは監査にきている国軍の兵士に阻まれる。
"自分が巧く出来ないから"
無駄なプライドを持たない懸命な領主は、決して自分の配下に当たる平民に高圧的になることはなかったが、それは皮肉な事に、不満を募らせた平民から"舐められる"という事に繋がって行く。
それがやがて最近国の領主たちを震え上がらせていった、国の政策はに反乱を起こした平民共々、断ぜられた領主の話しとなっていった。
勿論全ての管理者や領主がそうだったという訳ではない。
ロブロウのようにはいかないが、苦しいが何とかやっている、納め方をする領主貴族もいる。
そしてそれがまた、不安と不信と不満を、"平等且つ公平"にセリサンセウムという国に住む人達の間に広げていく事になっていた。
"同じ貴族のはずなのに"
"同じ平民のはずなのに"
"同じ国にすむ民なのに"
――どうして、こうも境遇が違ってしまうの?。
数百年に渡り出来ていた、安寧の信頼をクロッサンドラという国王は10数年という時間で見事に皹いれ、人と人の繋がりに見事な轍を作りあげようとしていた。
(まあ、この手のやり口にはどこかで一枚"賢者"が噛んではいるんだろうが)
誰にも聞こえない様にした上で、ピーンは自分と"同類"の匂いと気配をこれまでの経緯に感じ取ってから、再びグロリオーサに向かって口を開いた。
『平民であるトレニア・ブバルディアと王の末子であるグロリオーサ・サンフラワー。
この2人が婚姻して子どもを産むことが、この国の民の安心を与え、貴族と平民の間にできてしまった溝が、少なからず埋まる材料ともなる』
まるで便利な道具のように、自分とその親友で惚れている女性の事をピーンが口に出していたが、グロリオーサの表情はどことなく落ち着いている。
先程まで、"惚れられていた"という事実を知った時とには赤くもなってもいたが、今は落ち着いて、ピーンが言っていた事を加味し、考えているようだった。
(すでに、アングレカムから"やんわり"と、そのあたりの事はグロリオーサは言われてはいるのかもしれないな)
グロリオーサの落ち着いた顔の肩越しに、褐色の美丈夫を眺めたのなら何処と無く冷たさを感じさせる面差しで、彼は固く口を閉じていた。
(確か、この青年たちがレジスタンスを起こしたのは、16、17歳のころか。
一番、青春とか俗にいう青くさかったり、甘酸っぱいもんを楽しめる時期でもあったんだよなぁ)
でも、それを楽しむ為には、自分達が住む国が不安定に揺らいでいた。
例えそんな気持ちを抱いていたとしても、とても"恋"にだけ気持ちを向けるなんて事なんてできやしなかった。
(グロリオーサにしてみたら、その一番の元凶が自分の親で、その為に、多分初恋のトレニアを傷つけてしまったぐらいは考えているんだろうな)
―――本当は、何よりも大事にしたかった"トレニアへの恋"。
田舎の村にやって来た王子様が、気は強いけれどとても優しい、料理が上手な女の子に恋をした。
それこそ、女の子という存在が一度は本で読んで夢見るような恋物語を、グロリオーサとトレニアは、"何もなかった"のなら、互いに凄く照れあいながらも、そんな恋愛を、していたかもしれない。
(出来れば、そんな関係から2人が夫婦とにでもなればよかったのだが……)
『共に今のこの国の現状に胸を痛めた"王子様"と、子どもの事を想って健気な娘が、協力しあってレジスタンスに入っているという事。
まるでお伽噺の恋物語みたいで、それこそ老若男女に受け入れられるだろう。
グロリオーサの父親にあたる王が、大きく広げてしまった貴族と平民という、本来はただの役割の分担に使われていた言葉が、その"意味"を持ち直す』
あくまでも利用価値があるといったところを全面に押し出して、ピーンはグロリオーサに語りかけていた。
語り方は飄々としたもので、言葉巧みに誑かしているようにも聞こえるが、執事には主が"気にしている"のがわかる。
"影"として口を挟むべきではないとは弁えてはいるのだが、イタズラ好きではあるけれど、何も攻められる謂れのない人が、傷つくのが大嫌いな主だという事は、誰よりも知っている。
今は"グロリオーサ達が望む国のあり方の為"に唆してはいるが、彼の"大切にしている気持ち"をこういう風に使ってしまっている事に、主が気持ちを痛めている事はわかっていたから、テレパシーを飛ばしてしまっていた。
(こうやってはっきり仰ることがなかったのなら、もしかしたらグロリオーサ様は、トレニア様に想いを告げる機会は、この先ないかもしれません。
あの方を苦手と言っている私だから、苦手なりに観察させてもらった上で言わせて貰えるなら、あの方は大切な人を自分が何かすることで、失うとなったなら、黙ってしまう方です。
そして、大切な人に迷惑がかかるとわかったなら、自分の気持ちは躊躇いなく圧し殺す人です)
だから苦手だとも思った。
自分みたいに、大切な人に置いていかないで欲しいと泣いたりしない強さを感じ取れていたから、苦手でもあった。
―――そんな意味でも、グロリオーサは戦ってはいけない相手なのだと、執事はわかった。
(……旦那様、どうか御客様の背を押してあげてください。
きっと、こんな強い方の背中を押して、意見が出来るのは旦那様しかいらっしゃいませんから)
そして形も価値もないかもしれないけれど、大切にしている気持ちを利用している"罪悪感"が、責任感の強いこの人から少しでも軽くなるように。
執事は差し出がましいとも思いながらも、自分の主の背を押した。
『……グロリオーサ・サンフラワー、トレニア・ブバルディアに貴方の子どもを産ませて、時代を繋ぐ意志をこの国の民に掲示する、という選択肢を賢者として、貴方に勧める』
賢者として、ピーンがそう言い切った時、グロリオーサも意を決したように顔を上げた。
『確かに、俺が好きなのはトレニアだ。
物みたいにいうのも嫌だけれど、トレニアが誰にも取られたくはないと思っている』
こうやって、はっきり言われるまで、グロリオーサはトレニアと自分、2人の関係について考えることはしてこなかった。
彼女が心を拾い読んでしまう事に関係なく、男女として好きという気持ちを、押し隠したたつもりも、一度もない。
ただ、一緒に旅を始めるきっかけは、荒れ始めた国を平定するレジスタンスという事だったが、思い返して見たなら、彼女と共に旅できた事は"嬉しかった"。
平定の為の旅の途中で、辛いこと哀しい事もあったけれど、"トレニアがいる"というだけで下ばかり向いてしまいそうな、視線を前に向けてこれた。
手に握りしめていた、彼女から貰った、手作りの髪結いの紐を、逞しい掌を開いて見つめ、ギュッと握ると同時に、グロリオーサも厳つい眉の下にある漆黒の目を閉じた。
―――大事だから、大切にしたい。
複雑な感情を表現する言葉は、使い方すらわからない。
好きとか、愛してるが一番には来ないけれど、"トレニアが幸せであって欲しい"気持ちはいつもグロリオーサは持っている。
正直に言って、グロリオーサは賢者に言われるまで、トレニアが自分の子どもを抱くこと―――それが、他の男性と一緒に家庭を作るだなんて、一度も考えたことはなかった。
《まずは、平定して、赤ちゃんや小さな子ども達が安心して育てられる環境よね》
彼女は、自身が落ち込みそうな時には、そうやって自分を励ましていた。
そうして、このロブロウにくるきっかけになった彼女との会話をグロリオーサは思い出す。
"トレニアはさ、平定が終わったら子どもを産んだりするんだろ?"
赤ちゃんが大好きなトレニアだから、グロリオーサは当たり前の事を言っただけのつもり。
彼女は紫の瞳を丸くし、苦笑いを浮かべて、いつも明快な事ばかり言う口を閉じてしまう。
―――そして言ったグロリオーサ自身の心にも小さな痛みが、走ったのを思い出した。
(……トレニアが、他の男の子どもってだけで、俺は嫌だったんだな)
大切な人が幸せならそれで良いと想っていながらも、具体的に他の相手を想像していなくても、心は勝手に傷ついていた。
仲間には自分の夢を潰してまで、決起軍にいて欲しくはない。
けれど、小さな犠牲はあっても仕方はないと、思っていた。
ゆっくりと目を開くと、目の前に全てを見透かした賢者がいる。
トレニアが持っている夢、彼女が子どもを授かって育てたいという夢を諦める事は、決して小さい犠牲じゃないと、考えていながらも――――
『赤ん坊の事はよくはわからない。
けど、多分、ピーンが言う通りだとも思う。
トレニアと……その他の奴との子どもだったなら、俺は……鬼かどうかはわからないけれど、"やきもち"は絶対にやくんだと、自分でも思える。
だからと言うわけではないけれど、トレニアが良かったら、俺の子どもを産んで欲しいと頼んでみる。
まあ、断られたら……鬼にならないように、また"迷子"になって、トレニアを自由にするよ』
大切なトレニアを、勝手に束縛しかけていた事に、漸く気がつく。
そしてトレニアが"束縛"を―――グロリオーサからの束縛なら望んでいた事を知っていた、2人の親友が今度は口を開いた。
それを知っていながら、彼女に"望まない自由"を与えようとしていた事に、今でもアングレカムは"謝罪"の気持ちを抱いている。
『……トレニアの気持ちなら、昨夜、私が貴方にに伝えましたよね、グロリオーサ。
彼女はグロリオーサの夢が叶うまでは、自分の夢はもう語らないし、固執もしないと。
この国の、多く人の幸せの為になら、自分の夢を諦める覚悟はしている。
貴方から「決して仲間の幸せ夢を犠牲にしても、良いだなんて思ってなんかいない」という言葉を聞いたならそれで、我慢ができるからと。
強くて優しい王様になれるグロリオーサを、親友として支えたいとも彼女は言ってました』
背後からの親友の言葉に、グロリオーサは振り返らない。
『私が彼女に頼んで、彼女の夢をグロリオーサに語ることを止めて欲しいと頼んでいました。
もう一度貴方に話してしまった事を、トレニアに謝られたと伝えたなら、貴方は本気で怒って殴りかかってきましたよね?。
普通の貴方なら、怒りはするかもしれませんが、拳まで振るわないはずです。
それで貴方も分かっているはずです、私が――――』
″平定の為に、グロリオーサとトレニアの仲を邪魔をしている″
とアングレカムが言葉を続けようとした時に、ピーンがスッと"絵本"を取り出して、緑の瞳の前で止まっていた。
当然その前にいるグロリオーサの目も動いて、絵本を見ている。
『……参入したばかりの、賢者の進言を聞き入れた事を感謝します。
グロリオーサ・サンフラワー殿下』
丁度絵本は、グロリオーサとアングレカムの間を隔てるように入っている。
古い立派な絵本から先に視線を外したのは、アングレカムだった。
グロリオーサも視線を賢者の方へ、向けていた。
"多分これ以上話したとしても、この幼馴染みで親友同士の2人は互いに思いやる事ばかりを口に出す。
そしてそれでまたケンカになる、"
と、ピーンは賢者としてというよりは、年上として判断する。
(余計な言葉は口に出すだけ野暮なだけです、殿下、ってな)
『っ痛て』
テレパシーが苦手だというグロリオーサにも構わず、ピーンは言葉を飛ばして、その間に不思議な絵本をを引っ込めて自分の肩にトントンと当て、客人2人と視線を交わした。
アングレカムは多少ばつが悪そうに、形の良い眉を動かして額に縦シワを刻んでいた。
グロリオーサは、どうやらまだテレパシーの痛みが抜けないらしく、こちらは厳つい眉毛を使って、見るものがみたら、肝を冷やしてしまいそうな怒っているようにも見える表情で顔をしかめていた。
それから小さく鼻から息を吐き出して、態度を軟化させて絵本を見つめながら苦笑いを浮かべながら口を開く。
『グロリオーサ、決起軍に帰ってから、万が一に告白に失敗して"トレニアちゃんにフラれた"なら、私のところにくるといい。
老獪の賢者さんが、数時間前に使い方を覚えたこの"不思議な絵本"で失恋した記憶を吸いとってあげるから、どんと当たって砕けてこい』
絵本を持っていない方の手で、グロリオーサの逞しい肩をパンっと叩いてみると、グロリオーサはしっかりと頷いてみせる。
『ああ、わかった。とは言っても……』
頷いて見せてから、こちらも逞しい首をグロリオーサは首を捻った。
『俺はこういった時は何ていうべきなんだろうな……そのこれは所謂、プロなんとかになるんだよな』
プロポーズという言葉が思い出せない客人にスッと"影"をやめた執事が口を開いた。
『プロポーズでございますね、グロリオーサ様。
ただ、お言葉を挟むようで申し訳ないのですが、それはどうなんでしょうか。
旦那様が仰っていたのは、この平定で乱れた貴族と平民の橋渡しの役目をグロリオーサ様とトレニア様にしてもらおうという事で。
それで、プロポーズとはまた別物なのでは?。
そうですよね旦那様?』
『ああ、まあ、そうだな』
執事からの言葉に、ピーンは苦笑いを浮かべる。
(ロックには気がつかれてないようだな)
魔力を吸い、蓄える持っている絵本を持っている事で、
"自力で立つのもしんどい状態なほど魔力を吸われている"
のにはどうやら気がつかれてはいない様子だった。
それを隠すために苦笑いをしたが、ロックは不信感を持ってない。
『―――?。どういう事だ』
一方のグロリオーサはロックの言った意味を理解できていない様子で、先程とは逆方向に逞しい首を傾ける。
『ああ、確かにその方向も"無きにしもあらず"ですね……』
アングレカムが綺麗にニッコリと笑顔ををつくって、賢者の忠実な年若い執事を見つめると、執事も密かにメイドの間で人気の微笑みを浮かべた。
互いに持つ"腹黒さ"を認めて、参謀と執事は微笑みあう。
そして刹那ともとれる短い瞬間に、緑色の瞳でアングレカムはピーンを睨んだで、すぐにまた微笑みの形を作った。
『……賢者殿の目論み通りにいったとしても、もしかしたらトレニアは"子どもは受け入れるけれど、グロリオーサは……"となるんですかね。
確かにグロリオーサは人的には大変大きな魅力は持っている事は、親友として保証しますが、気持ちがあったとしても恋人、父親としては……』
意図的に語尾を濁しながら、アングレカムが"憐れ"っぽさを演出しながらグロリオーサを見つめたなら、頭は悪いと自負している彼でも親友が言わんとしている事がわかったらしく、情けないほど狼狽えていた。
『……確かにトレニアは"支え合わない家族"には、厳しいってか、要らないとまで言ってたしなぁ。
俺は、子どもと遊ぶのは好きだけど、赤ちゃんは小さすぎて怖いんだよな』
トレニアから貰った紐を握った掌も広げた、両手を見ながら親友に弱音を吐く。
『……まあ、そこに6人赤ん坊を育てる手伝いをした父親先輩と、手伝いをしたベビーシッターがいるので、助言を仰ぎなさい、グロリオーサ。
話が性急過ぎるかかもしれませんが、予定としてはあることですから、よろしくお願いしますよ、御2人とも』
新しく参入する、ロブロウのからの仲間2人を見つめながらアングレカムはまた微笑んで、主となる方の男にテレパシーを飛ばす。
(御無理はなさいませんように。
"ロック君に泣かれる"のは、個人的にバルサムに泣かれている感覚になってしまいますので、大変心苦しいのです)
どうやら、絵本に魔力を吸いとられているのは、アングレカムには看破されていたらしい。
(もしかしたら、アングレカムには昨夜の事も、気がついていたのかもしれない)
悪魔の噂が広がっている男は、その実誰よりも優しいので気がついたとしても、黙っていてくれのは十分考えられる事だった。
(まあ、この絵本と魔力を共有する感覚は独特だから、体験をしているものなら存外すぐにでも見破れるものなのかも知れない)
『とりあえず、グロリオーサにはトレニアからフラれず、砕けない努力をする方向でお願いして欲しいですね。
ああ、ただ砕けても戦力が落ちなければ私的には全く構わないので、絵本に吸わせるか吸わせないかは、グロリオーサの判断に任せますよ』
彼女が親友からのプロポーズを受け入れるかどうかはわからないけれども、親友の子どもを胎内に宿す事は喜んで受け入れる事だけは、アングレカムにはわかっていた。
《自分の家族に、グロリオーサみたいな人が1人でもいたなら、きっと私もここまで捻くれないで、家を飛び出したりなんかしなかっただろうな》
飾らないし、大事なところでは決して自分を繕わない、真っ直ぐ伸びているグロリオーサにトレニアが惹かれているのは、よく知っていた。
(恋愛事に鋭い人なら、とっくに気がついていることなのかもしれませんね)
そうやって思い出すのは、今は袂を別つ、魔法は使えないが、戦力も頭と気の回りの良さで、よく連携を取っていた気障な親友だった。
"色恋事を侮ってはいけない、アングレカム。
人の歴史の中じゃ、色恋事で国が傾いたり滅亡したりするのは、結構チラホラしているんだぜ"
気障ったらしくそう言っている姿を簡単に想像出来て、彼も元気であったらいいと思えた。
(ジュリアンがいたのなら、案外、グロリオーサとトレニアの事を然り気無くうまくまとめてくれていたのかもしれない)
今は、何処にいるのかも判らない親友の思い出を仕舞い込み、"参謀"として話を進める。
『それに、こちらは賢者殿に指示されたとおり、"戦力的には1人に2年ほど休養を強いる"でもう考えを始めています。
徹頭徹尾6人では考えてはいませんから、安心してトレニアを口説きなさい。
私も、平定の計画案として彼女に賢者殿の"目論み"を説明して、説得をお願いします』
『まあ、大丈夫だとは思うがな』
そうやって笑って、絵本を賢者は指先でクルリと回して不貞不貞しく笑った。
そして、決起軍に賢者ピーン・ビネガーと執事のロックが参入する。
結局、出発に諸事情で一週間ほど時間を取られて、第2段の迎えに神父バロータが旅の武術家としてロブロウにやってきて、戻ってからの参入となった。
6人が合流した後に、結果として賢者の"目論見"は巧く作動するまでに、
グロリオーサはトレニアから平手打ちを食らったり、
賢者ピーンと神父バロータが飲み友達になって、参謀と執事から説教とお小言をいただいたりして、
賢者が決起軍に参入して2年、グロリオーサとトレニアの間に"ダガー"という名前をもった、父親そっくりないかつい眉毛と、母親と同じ紫の瞳を左に携えた男児が誕生した。
赤ん坊の出産を、決起軍の誰もが喜んだが、年の離れた"従弟"の誕生にバルサムという少女も、心からその誕生を喜んでいた。
《トレニア姉様、本当におめでとうございます!》
綺麗な押し花を沢山貼り付けた、バルサムから贈れたお手製のバースデーカードは、側によせたなら不思議と赤ん坊のダガーを泣き止ませる効果があって、トレニアとグロリオーサを大いに助けた。
そして、そのバースデーカードが届いて間もなく。
彼女が、王の孫ということもあって拐われるように、そして幽閉されるように王都の寄宿舎のある魔術の学校に入れられたと情報を賢者は仕入れてきた。
その王都に賢者の権限を使って、ピーンは色々と暗躍し、決起軍の駐屯する場所に戻って、トレニアと赤ん坊のダガーの護衛をロックに任せた。
グロリオーサと神父バロータとも少しばかり話した賢者は、またあることを"目論見"を持って、絵本と共に今度はアングレカムの元を訪れる。
『アングレカム、入るぞ』
『どうぞ、賢者殿』
参謀の彼がいる天幕の入り口を、断りを入れてから絵本を抱えたまま賢者は入る。
入ってすぐ入り口のすぐ側に、土にまみれた円匙が置かれていて、グロリオーサが言っていたとおり、彼は穴を掘っていたのだろう。
その彼は、簡易の机の上に肘をつけて何か手紙を読んでいた。
アングレカムの肘の隣には、翡翠で作られた彼愛用の文鎮が置かれている。
『どこかのマダムから、"アルセン・パドリック"宛にお誘いの手紙か?』
『いいえ、バルサムから、アングレカム・パドリックに"秘密のお願い"ですよ』
それから、肘のすぐ横にあった文鎮を―――子犬の形を模した、翡翠の物を指先で摘まんだ。
キュッと小さく擦れる音がしたのなら、ポンっと軽い音をたてて上と下で2つに別れる。
『へえ、そんな仕組みがあったんだな』
『ええ、私も最初は気がつかなかったのですが、グロリオーサが"イタズラ"したきっかけで、贈り物の文鎮にこういう仕組みがあるのだと判りました。
確かこれが判った経緯は、賢者殿がロック君に何か頼んだ拍子だったと思うのですが、何でしたかね』
賢者の少しばかり驚いた声を聞きながら、アングレカムは文鎮に入っていた手紙を、丁寧に畳みながら答えてくれる。
その手紙を随分と小さく折り畳んだのなら、中に仕舞い込んで、再び蓋をして、見た目は綺麗な子犬の形をした文鎮と戻った。
『凄い細かい細工なんだな、繋ぎ目がパッと見には全くわからない。
少し見せてもらってもいいか?』
『グロリオーサみたいに無意識に破壊しない限り、どうぞご覧になってください。
ああ、そうです、仕組みに気がついたきっかけを思い出しました。
確かトレニアがダガーを懐妊したかどうかの時期で、レジスタンス内でそれなりに色々ゴタゴタした時期でしたね』
アングレカムは困ったような笑顔―――彼の本当の笑顔を浮かべながら、翡翠の文鎮を賢者の絵本を持っていない方の手に渡してくれた。
綺麗な緑色の瞳で賢者が持っている絵本を一瞥したが、彼と神父が暇を見ては研究を行っているのは知っているので、その延長でこちらに用が有って来たのだと、参謀は解釈した。
賢者と他愛ない話をしているようで、異国の文化や、学術や魔術、政治学を話すのはアングレカムにとっては大層な息抜きや"気付き"にも繋がる。
ただ、レジスタンスとしての決起軍の相談もするが、賢者はそこにはあまり口を出したがらなかった。
一度、理由を尋ねたら、白髪の頭をボリボリと掻きながら申し訳なさそうに
―――賢者には世界には関わってもいいけれど、所属している"国"の政に関わったらいけない不文律がある。
と、話してくれた。
思えば故郷の世話になった賢者は、似たような状況になった時にはうまい具合に話をはぐらかされていた事を思い出した。
ただ、ピーンみたいに理由までは教えてくれなかった。
(それなら、賢者殿みたいに……ピーン殿みたいに、不文律があると、故郷の賢者殿も教えてくれたら良かったのに)
世話になった賢者に距離を置かれていた事に、アングレカムは一抹の寂しさを感じてもいたが、そういった所もある意味"名前も教えてくれなかった賢者"らしくもあると、考えなおしていた。
そんな理由で、賢者は意見や相談には答えてはくれるが、決起軍が平定を終えた後に行う政治にはノータッチというスタンスを貫いた関係は、参入後から続いていた。
その代わりというわけなのか、セリサンセウムの政治に関連はしないように、他国の色々な行政のやり方なら、ピーンがアングレカムが興味を示したのなら遠慮なく話してくれた。
他国の一見差別的にみえる法律も、その土地独特の文化がや風土が絡んでいるものがあると、ピーンなりの解釈を加えて語ってくれた。
利にかなっていたり、逆に横暴に感じるものでも、"弱い者を守るため"に繋がっているものがあったり。
見方を変えるだけで、様々な役割を方がこなしているのを、語り聞かせて貰うのは勤勉な美丈夫には楽しい物となっていた。
だが、今日はそのような話をしに来た雰囲気ではないと、アングレカムは察したので賢者が語り出すのを待つ。
『バルサムお嬢さんのお願いか。
まあ、10割りの確率で"アングレカム様、バルサムをお嫁にもらってください"だな、うん』
賢者の大きな手に、子犬を模した翡翠の文鎮は綺麗に収まる。
ニヤリと笑ってみせると、アングレカムは少しばかり目を細めて、小さく首を縦に振った。
『厳密にいったのならお願いではなくて……そう、可愛い呪い事の類いです。
本当は願いが叶ったときに、初めて私が見るべき物だったんでしょうが。
自由人過ぎる叔父さんの為に、ばれてしまいましたね。
でも、どちらにしても叶えてあげることはできません』
そう言って申し訳無さそうな笑みを浮かべた。
『……中身、読んでもかまわないか?』
恋に関しては不得手な賢者の好奇心が、直向きで可愛らしいも情熱的な少女の恋に対して、確実に擡げていく。
『賢者殿なら、どうぞ。
本当なら、彼女の綺麗な気持ちを誰にも見せてはいけないのでしょうが、私には眩しすぎます』
『よし、眩しい気持ちを勝手に覗いてしまった共犯者になってやろう』
『本当に、未来ある美しいお嬢さんの夢に対して、覗き込むなんて破廉恥きわまりないことをしてしまいました。
今度、この罪深さを懺悔したいので、神父と賢者殿の酒盛りに参加させて下さい。
で、酩酊した賢者殿が、自慢しているロック君の膝枕のお世話に、私もなりたいものです』
少しばかりふざけて返事を返すと、アングレカムはその"ふざけ"に珍しく悪のりをして付き合ってくれたついでに、賢者の記憶にはない事まで教えてくれた。
『成る程、ロックが酒盛りの翌日照れているのが多いのは、そんな理由か』
『まあ、大抵奥方殿とごっちゃにして勘違いして、甘えているらしいですが。
奥様と勘違いしているから、どうやって止めればいいのか判らないとも仰っていましたよ』
そんな"執事の苦労話"を聞きながら、ピーンは器用に片手で翡翠の文鎮を蓋をまたポンっと開けた。
『アングレカム、済まないが絵本を持っておいてくれないか。
さっきグロリオーサに会ってきたから、魔力を吸う力は弱くはなっているから、そんなに吸い取ることもないとは思うんだが』
そう言って抱えている絵本をピーンが差し出すと、アングレカムはわざわざ立ち上がって受け取ってくれた。
『判りました、承ります。
思えば、何やかんやで賢者殿が参入してから、私は久しぶりにこの絵本に触れますね』
『はは、すまんな私も何やかんやで、研究対象には独占欲が強くなってしまうから、独り占めしてしまう』
少しだけ懐かしそうにもアングレカムが古い絵本の表紙を撫でながら言った時、ピーンは文鎮の中に仕込まれていた"バルサムのお呪い"の紙を取り出した。
丁寧に折り畳まれてしまわれているが、紙の端を見たなら小さく切り目が入っていたり、軽く捲れていたりもする。
小さなカサカサとした音と共に、少女の"お呪い"が書かれた手紙を賢者はゆっくりと開いた。
(きっと、アングレカムはこの手紙に気がついた時から、何かある度に眺めていたんだろうな)
そしてそれは、きっと今みたいに"迷ったり"、自分に自信がなくなった時。
自分の中で埋もりそうな雑念や、夢を叶える為に泥にまみれる心を、実際に穴を掘ることで掘り出して、その空いた空洞の闇の中に、眩しいくらい輝いている少女の気持ちを胸の中で満たす。
【アングレカム様が、バルサムが成人した時に、金色の指輪を持って迎えにきてくれますように】
とても丁寧な筆跡で書かれているが、そこに幼さと直向きな想いが滲み出ていた。
手紙に込められてた、大好きな人に対する慕情が、どんな読み手にも伝わる力をその手紙は持っていた。
そして、どんなに泣いてる赤ん坊でも泣き止ませるような、従弟に贈られたバースデイカードと同じように、暗く塞ぎ込みそうな気持ちを優しく灌いでくれるような力も、感じさせてくれる。
手紙の入っていた―――潜ませていた、子犬の形をした翡翠の石自体にも"お守り"として高い効果があるほか、祈願成就、徳を高めたい時に持っていると良いと言われている。
事故や、災いから身を守る石としても有名である。
そんな記憶を頭から引っ張り出しても、手紙が伝えてくるのは、バルサムのアングレカム対する様々な想いだった。
(この翡翠の石が持つ力も相俟ってはいるんだろが、やはり元となるバルサムお嬢さんの魔力が凄まじいのだろうな)
文鎮が贈られたのは多分、ピーンとロックが決起軍に参入する前。
それだけ前になろうというのに、手紙に込められた想いは薄れた様子など微塵も感じさせない。
『"金の色は最愛の色、銀は色は家族の色"だったかな』
少女の呪い―――願い事を書かれた紙を眺めながらの賢者の言葉に、アングレカムはゆっくりと頷いた。
この世界では昔から言われ続けている、起源もはっきりとはしないお伽噺のような話だけれども、何故だか忠実に守り続けられている"約束"の色の決まり事。
『……私に、アングレカム・パドリックがバルサムに対して求婚して欲しいという事なんでしょうね』
『まあ、話を聞く限りでは、バルサムお嬢さんからのアングレカム・パドリックへの求婚は物心がついた時期から始まっているというからな。
これはもう、あとはアングレカムさえその気になったのなら、ずずっと進めても良い話だとは思うが』
『……平定を終えた後。
彼女が、彼女と相応しい相手と幸せな結婚をする時にでも、アングレカムは素敵な淑女に指輪を贈らなかった馬鹿だな、と笑ってくださったならありがたいです』
『随分と自虐的だな』
片手で器用にピーンは誕生日に送られたという、仕掛けのある翡翠の文鎮を、2つに分けた状態で弄びながら、アングレカムに冷たくそう言葉をかけた。
無条件に"賢者"という存在を尊敬してしまう思考が根付いてしまっている美丈夫は、些か悲しそうな表情を浮かべつつも、申し開くように形の良い薄い唇を開いた。
『……グロリオーサは、彼は顔すら覚えていないと言ってはいますが、間違いなく今の王の血を引く"御方"です。
バルサムは、出会ったことすらないそうですが、その王の孫娘。
事情は詳しくしりませんが、2人とも王都から離れて暮らしてはいらっしゃいますが、紛れもない王族で、"貴族"。
農家が出自の私からすれば、顔すら合わす事はなかったはずの人達です』
2つに別れた翡翠の文鎮を、未だに大きな手の中で弄びながらも、バルサムからの手紙は丁寧に指に挟んでくれている賢者に、アングレカムは絵本に緩やかに魔力を吸われながら更に続ける。
『……私にとっては有り難い事に、妾腹の農家の次男と王族や賢者と、普通にならありえない方々とのご縁がありました。
時代としては国は傾き、はっきり言って良くない。
その上で不謹慎な発言は承知で言わせて貰えるなら、私という人は、その中で充実した時間を過ごさせて貰っています。
不幸が跋扈しているような世相で、本来なら一生を小作農で終わろるはずだった、アングレカム・パドリックからしたら"幸運"過ぎて怖いんです』
賢者はこの時ばかりは、自分の考えが"アングレカムは幸せ過ぎるのが怖い"という考えを持っている事が、的中していてもつまらなかった。
『平和な時代なら、安寧のセリサンセウムの世相に合わせた生き方を、私はしていたでしょう。
でも、平和な時代をどこかで"退屈"と考える不届き者だった自信もあるんです』
いつもなら、目論見が当たっていたのなら不貞不貞しく笑うのだが 、今回ばかりは笑えない。
このアングレカムの天幕にくる前に、今までの関わった人達が、平定を前にして各々(おのおの)成長していると賢者は考えていたが、どうやら賢者の思わしくない方に成長しているようにも感じられた。
(謙虚も度を越すと、"卑屈"になるってやつか……)
目の前にいる若者が、言っている事が自分にも当てはまりそうで、それが"怖かった"。
決起軍のレジスタンスの若者達に出会わなければ、自分の領地で理屈ばかりならべて、そこそこの趣味の絵を描いて腐っていたに過ぎない、ロブロウ領主ピーン・ビネガーが容易に想像できた。
(やってみるかな)
アングレカムに、僅でもバルサムに対して執着があったら取り止めの"イタズラ"をする事を決意した。
文鎮を元の形通りに戻しながら、アングレカムが触れている絵本に賢者は"目配せをする"と、賢者にだけ分かるように仄かに反応する。
("お前"も、これには乗り気みたいだな)
決起軍に参入してから、暇を見ては神父と話し合い絵本の話を聞いて、判明した事がある。
どうやら表には中々出さないが、絵本は確かに"意志"を持っていて、そして、今はピーンの考えているイタズラに乗ってくれそうという事。
《バルサムとアングレカムように、見ているこちらが切なくなる程、想いやる2人を出来る事なら、添い遂げさせてあげたいと思っています》
ここにくる前に、赤ん坊を抱えたトレニアが切実に、親友と、夫なった人の姪との幸せを願っていた。
(未来の"王妃"様も望んでいることだ、賢者として未来の国王夫妻に恙無く政を行って貰う為にね)
《そうした方が、ダガーが大きくなった時にも自慢できますからね》
(それは、私にとっても同じ考えですよ、"王妃様")
どうして平和や安寧を望むのかと言われたのなら、今のところ、賢者も"未来の子供達の為に"ぐらいしか良い理由が思い付けない。
政治がどうだこうだ小難しい事は考えるのには性に合わないが、根本にあるとしたらこの国で暮らす家族という集団の、子供達が"普通"に、穏やかな世で生きていて欲しい。
それを作るのが、大人となった人の役目。
人はどうしようもなく愚かで、火種を見つけては諍いを起こす。
それがあったとしても、話し合いや議論や"考える事"できるのなら、解決していく。
その中で子供は成長し、出会いがあってまた新しい家族が、穏やかな、話し合えば解決できる程度の問題を抱えて生きていく。
『……難しい問題や、剣を交えなければ解決できなそうな問題は、アングレカムやチューベローズみたいな本当に優しい人が、心を痛めながらも取り組めばいい』
『賢者殿?……え?』
"辻褄を合わせる為"に、翡翠の文鎮を紅黒いコートのポケットに落とし、指を構える。
『小細工の料金に、この文鎮をは頂きますよ、"バルサムお嬢さん"』
(アングレカムに"騙し討ち"出来るかは、貴女の努力次第だ)
パチンと指を弾いた瞬間、絵本がアングレカムの"金色の指輪"に纏わる記憶をすべて吸い込んだ。




