第三話 はじめまして、単純で残酷な世界
「へっ、え…………なっ――!?」
驚きすぎて、声がでない。なんだ、これ。なんだこれ! なんだこれ!?
さっきまで本当に住宅街にいたはずなのに。僕が住んでいた近所にこんな平原はないし、そもそも、だ。
「グルルル……!」
――後ろで唸っている生物は、何だ!?
バッと振り返りながら後ずさると、今までに一度も見たことのない生物がいた。いや、似たようなものならみたことがある。
犬。頭の中でこの単語がよぎる。でも、一瞬でその単語はどこかに吹き飛んだ。
問題――足は八本、顔は一個、おめめがみっつの生物はなんでしょう?
答え――未知。
「あ……――」
足が竦む。なんで! どういうことなんだ! 夢? 夢なのか? 夢なら覚めてくれよ!!
頬を引っ張って離す。少し痛い。今度は思いっきり叩いてみた。……めっちゃ痛い。
――――夢じゃない。じゃあ、なんだ。現実?
必死に考えを巡らせているうちにも、この化け物はどんどん近づいてきて距離を殺してくる。じわり、じわりと、楽しんでいるかのように。
「あ……ぅ! ど、どうすれば……!」
辺りを見渡しても武器になりそうなものはない。走って逃げるという選択肢も、ない。それこそ、どこに? 全くわからない状態で?
「グルァアアアアアアア!」
「うわっ!」
動かない足を蹴りだして横に転がる。その時に、みた。見てしまった。
こいつの口、四つに割れる。
グロい! なんなんだここは! こんなの、こんな化け物――
「どっか言ってくれよ!!」
「グルァッ!?」
ドォン! という衝撃音。それと同時に、化け物が吹っ飛んだ。
確かに、僕の命を断とうとして倒れている僕にかかってきたはず。なのに、弾き飛ばされるかのように吹き飛んで、地面に寝っ転がっている。
あまりにも長い間呆然としすぎて、その化け物がまた立ち上がるまでずっと見守ってしまった。
「グルァアアアアアア!!」
く、来るっ!
衝撃に備えてその場で身構えた、けど。その化け物は一目散に逃げ出した。
「よ、よかった……」
へなへなと崩れるように倒れこむ。よくわからないけど、助かった。
「……いや、助かってない」
急いで立ち上がってもう一度辺りを見渡す。さっきの化け物が逃げていく方向を見ると、鬱蒼と生い茂る森と、そこから流れ出る川。そこから続くように今の僕がいる平原がある。
少し遠くをみると、中世のお城を復元したような立派な建物が建っていた。
確実に、日本じゃない。それに、あんな化け物がいるということは、地球じゃない?
それにさっきのは誰かが守ってくれたと思ったのに、誰もいないし……これは、確実にやばい方向に進んでいる気がする。
嫌な汗が頬を伝う。一つの考えが僕の頭を反復横跳びするかのように何度も浮上するけど、それを必死に抑えて、歩いてきたと思われる方向をみてみた。
………………ちっちゃいのが、三人いた。
ボロボロの絹を大雑把に着た、棍棒を持っている醜悪な顔をした、なにか。さっきの化け物、とりあえずコロちゃんと命名。コロちゃんみたいな動物系ではない。けど、さ。肌色が緑色な時点でもう、あれだ。人間じゃない。目もでかい。
でも、なんとか平然としていられるのは、やっぱり人間フォルムだからだと思う。
「え、ええっと……」
「…………キヒッ」
キヒッ? え?
い、いや。聞き間違えかもしれない。キヒッって言ったんじゃなくて……他の何かを言ったのかもしれない。
「な、ナイスチューミートゥー?」
「……オトコ、カ?」
お、話が通じたぞ。これなら、
「そ、そうだ。俺は男だ」
よかった。肌色が違うとか醜悪な顔をしているとか思ってごめん。話が通じるんだったら、きっと友達になれ――
「ユウショク」
「ユウショクダ」
「ユウショクハ、コイツダ」
「………………えっ、はっ?」
ユウショク、夕食? な、なに言ってるんだ?
困惑したままこの緑達に目を向けると、ニタァ、と嬉しそうに口端を歪めた。
「オンナ、ドウグ。コドモ、ツクル。オトコ、イラナイ。オトコ、タベル」
――ああ、そうか。その言葉で、理解した。スッと頭が冷える。冷静に、どんどん頭が冷えていく。
女は道具。コイツがそういったとき、弥生が頭の中に浮かんできた。こいつらに連れられていく姿を。
そこまで想像が働いた時、身体が操られているかのように(・・・・・・・・・・・・・・)、手が目の前に掲げられた。
「『死ね』」
…………これは、僕の声じゃない。でも、僕の声帯から発せられた。じゃあ、誰が? ……いや、そんなのはどうでもいい。
あくまで冷静にこいつらを見る。
――やり方はさっきと一緒だ。
どこからか聞こえる声。ああ、でもわかる。ただ思えばいい。
「死ね」
今度は自分の言葉で発した。瞬間。
三人の緑のうち、一人が腹に綺麗な風穴を空けた。すっぽりと、綺麗に。
「ギッ、ガッ――?」
遅れること数秒。一斉に血が吹き出すと、重力によって内蔵が漏れ出て、血の池ができ始めている地面へぽとぽとと、柔らかい音と水音をたてながら落ちる。
そしてそのままその緑はバチャンと血の海に沈み込むように倒れて、絶命した。
「ギッ――! オマエッ!!」
――まだ、あと二匹いるぞ。
わかってるさ。
今度は心のなかで反響した声に、至極当然と返事をして、憤怒する緑達のもう片方に手を向けると、もう一度『死ね』と願った。
「――ッ! ――ッ!」
今度は、顔を半分ふっとばす。脳みそと脳汁が飛び出て、最後の一人にかかる。そしてそのまま自分の脳みそを食べるように前のめりに倒れこんだ。
そういえば、こいつらの血は赤いな。純粋な赤というわけでもないけど。
「ヒッ……!」
最後の一匹に目を向けると、酷く怯えられた。でも、だ。
「お前らがやったことと、僕がやろうとしていること、同じだよな?」
僕がお前らを狩ることは、緑が僕らを食べていたことと同じ。なんらかわりはない。
「大丈夫だよ」
最後に、優しい笑みを浮かべると、心なしか緑が嬉しそうな顔をした、気がする。
「――“跡形もなく消えろ”よ」
「ギッ?」
ジュッ、と音をたてた数瞬後。そこに立っていたのは僕だけだった。
◆
最後の一匹が消えると同時に、さっきまで感じなかった自分の体温がいっきに戻されると同時に、緑を殺したという嫌悪感がこみ上げてきた。
「うぷ……」
そのまま決壊。その場で、朝食べたものを全部吐き出す。それが、あまりにも情けなくて、惨めで。ポロポロと涙が溢れてきた。
なんなんだ、ここは。それに、さっきの声は何なんだよ!
「ああ、もう!」
頭をガシガシと掻く。今はもう、さっきの冷酷な声は聞こえない。ただ、僕はあの声で豹変した。だから、あの声はもう二度と聞きたくないのに、対策ができない。
それに、さっきコロちゃんや緑から感じたあの視線。あれは、殺気だった。殺気を受けたのは初めてだったけど、あんな身が竦んだんだ。怖くて、ねっとりしていて、命の危機に晒される……。
「…………川の、近くに行こう」
気持ち悪くなっている口をすすぎたい。ゆっくりと川に向かう。あたりを見渡しても、もう化け物はいなかった。
緩やかな小川にまで近づくと、手で掬ってみる。冷たい。この川、浅いけど、底まで透き通っていて、かなり綺麗。その水を口に含んで、草原の方に吐く。それを何回かやって口の中を綺麗にした。
水分補給をしたいけど、この水はこのまま飲むことはできない。川の水は上流のものなら飲めるけど、ここにある水は絶対下流、良くて中流域。火を通さないと飲めなかったはず。
「ふぅ……」
周りを警戒するも、少しずつ落ち着いてきた。と、同時に弥生が頭をよぎる。
「弥生……」
僕は確かにどこかに行きたいとは思っていた。VRMMOのような別の場所に。でも、それは命の危険を最大限回避できる街に行きたいというわけであって、いきなり殺されるような場所に出たいとかじゃない。
「…………というか」
ふと、空を見上げる。空には綺麗な青空と雲。でも、カラスや鳩の代わりに、一メートルほどのでかい化け物がいた。空も平原も、この調子だと森も危なそうだ。
そのまま大の字に仰向けに転がる。もう、さっきから心のなかで認めたくなかったことを認めるしかない。
でも、それを認めるには嬉しいという心と。それに弥生との小さな約束が守れなくなった罪悪感に、一筋の涙は禁じ得なくて。
「――きちゃったなぁ、異世界」
それにこの世界は、僕がいた世界より単純で、それでいて残酷だった。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:改めましてはじめまして、残酷な異世界。