第二話 この道はどこに進んでいるのか
ピピピピピピピピピ。
けたたましい目覚し時計によってぱちりと目が覚める。精神疲労もあっただろうけど、いつもは体内時計で起きられるのに。
その時計の長針は七を指していた。
ゆっくりと身体を起こして横をみると、すでに弥生はいなかった。まあ、弥生はいつも僕よりも早いからな。たしか、六時起きだったっけ。
とりあえず、着替えよう。……なにに? 今日は別に何もないじゃないか。面接も無いし、大学ももう行かなくても良い。ニート。そういやニートだった。
「バイトの応募ぐらい、やってるだろ……」
あとで駅行ってタウンワークもらってこよう。それで、コンビニに電話かけて、面接だ。今日はそうしよう。なるべく、家族に知られないように……。
適当な地味目の服に着替えると、スマホをポケットに入れる。それから歯を磨いて食卓に向かうと、すでに家族全員が揃っていた。
「おはよ」
「おはよう、おにいちゃん」
真っ先に返してくれたのは弥生。
「おはよ、雪晴」
「……おはよう」
それに続いて母さんに義理の義父さん。別に二人のことが嫌いなわけじゃないし、嫌われているわけじゃない。きっと、二人共昨日の雨で疲れてしまったんだ。今日は嘘のように太陽が覗かせてるけど。
弥生の向かい席に座ると、そっと差し出されたコーヒーに口をつける。やっぱりあったんじゃん、砂糖。ジト目を送ると、昨日と同じように舌をだして「テヘッ」とわざとらしく言葉にだしていた。
「お兄ちゃん、騙されやすい」
「僕は一回も騙されてないけどな」
ため息を吐いて母さんから食パンを受け取ると、そのままかじりつく。
「雪春、昨日言ってた――」
「母さんって昨日何時に返ってきたの!?」
「えっ?」
母さんの言葉を遮るように問いかけると、きょとんとした表情をした。いや、母さんだけじゃなくて父さんも、弥生も。
さすがに今のは不自然すぎたか……?
「そうね、たしか一時ぐらいだったと思うわ」
母さんは少し逡巡した素振りを見せたけど、普通に答えてくれた。よかった……。
それにしても、
「一時、か。雨も酷かったでしょ?」
「そうよ。ゲリラ豪雨なんじゃないかって思うほどだったのよ。ねえ、あなた」
「……ああ。せっかくの一張羅をゴミにするところだった」
「靴はもう?」
「天日干しだ」
そう言って指で指した父さんの先には、吸収するかのように干してある革靴が置いてあった。
「あと予備が二足あったのが幸いだったな」
「お父さん、新聞、中に詰めた?」
「うん? なんでだ?」
「新聞詰めておくと、中の水が新聞に吸収されるの」
「そうだったのか。弥生は博識だな。そんな弥生も俺は好きだぞ」
「えへへ……。私、お父さん、好きじゃない」
「「「えっ!?」」」
「…………なんていうのは嘘。ライクより下の、好き?」
なんで実の父親に向かってそう言えるんだ。ほら、父さん目に見えるほど落ち込んじゃったじゃん。
母さんが再婚したのはもう結構前のこと。たしか僕が十二歳。弥生が六歳の時だ。母さんも義父さんも、お互いに連れ子。母さんは僕を、義父さんは弥生を。義父さんはかなり幻覚そうだったけど、実はそうじゃないことを、とっくの昔に知っている。いまもそうしているように、とっても厳格で、不器用だけど、優しい。
弥生は、少し言葉足らずであまり感情が表情に浮かびにくいけど、ちょっとした仕草とかでうれしい時や哀しい時がわかったりできるから、義父さんとさすが親子だな。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「ん? いや、なんでもないよ」
コーヒーを啜ってパンをささっと食べ終えると、歯を磨いてもう一度自分の部屋に戻る。最終的には言わなきゃいけないけど、今は、言いたくない。
履歴書を書くと、写真を張る。この証明写真も六枚分で五百円。決して安くない。僕も、就職活動を始めてからバイトをやめてるから、手持ちももうそう多くない。
時間をみると、八時。そろそろ弥生も出る頃――
「お兄ちゃん」
「あれ? 今日学校は? 受験勉強するんだろ?」
「自主的な、休み」
「そうか。じゃあ、学校行こうか」
自分の鞄をひったくると、休むと行ってるのに制服に着替えていた弥生の手をとる。
「あん。変態おにいちゃん」
「棒読みでなに言ってるんだよ」
全然色っぽくない。外まで連れ出して振り向くと、ぶすっとした顔をしていた。手を離して、頬を膨らましてきたから、僕も膨らませてみた。
「……今日はお兄ちゃんといたかったのに」
「お兄ちゃんは暇じゃありません」
「……むー」
一気に不機嫌になった。でもな、弥生。頬をふくらませても可愛さしか無いから全然怖くないぞ。
「ほら、弥生が家に帰ってきたら遊んであげるから」
「……んっ」
ほんの少し、ほんの少しだけ頬が緩んだ。かなりの時間を一緒に過ごしたからわかる。あまり表情が変わらないけど、色んな感情がほんの少し、頬の筋肉がほんの少し動くだけでわかる。
「あ、お兄ちゃん。これ……」
ポケットから取り出して渡してきたのは、小さめの、僕?
人形のカタチはしていて、デフォルメまでしてある。
「これ、お兄ちゃん」
「うん、それはわかるけど……」
でも、なんで?
疑問をぶつけるように弥生を見つめ返すと、少し頬を赤くしながら、よいしょと僕の首にぶら下げた。
「これ、首から下げれるようにって、お守り」
「……ありがとう」
微笑んで、優しく頭を撫でる。いつもなら目を細めて嬉しそうにするのに、今回ばかりは表情を帰ることがなかった。
「…………おにいちゃんは、どこにもいかないよね?」
「それは、もちろん」
弥生が引き止めるなら。弥生のためなら。
僕はいつでも弥生のそばにいる。見限られない限り………………。
ネガティブな思考に落ちかけた時、そっと空いている手のひらが温かいぬくもりに包まれる。
「おにいちゃん…………」
「大丈夫だよ。約束もあるしな」
「……んっ」
そこでやっと安心したのか、少しだけ微笑んでくれた。
「これは大切にするよ。それこそ、ボロボロになっても何回も修繕して」
「もしなったら、私が直す」
握りこぶしを作って可愛らしくファイティングポーズを取る弥生。
可愛い。
思わず抱きしめると、弥生もギュッと抱きついてきた。我が妹ながら、本当に可愛い。
スリスリとしてくる弥生の腰まで手を下ろすと、よりギュウッて抱きしめる。
そのまま数秒。ゆっくりと離れた。
弥生がなんだか不満そうだったけど。それは、きっと、それほど僕のことを兄だと思ってくれているから。
だから、僕は兄である威厳を保ち続けなくてはいけない。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「んっ。いってきます」
パタパタと駆けていく弥生の後ろ姿を見送る。変な男に引っかからないか心配だな。弥生って結構大人ってイメージが周りにあるけど、結構子供っぽいところもあって――――
「雪くん……」
「ッ! 唯那……」
バッと身体を反転させると、唯那が壁に寄りかかっていた。その雰囲気は暗くて、まるでその場だけ曇天空のようだ。
一歩だけ、その場から後退すると、声が上擦りながらもどうにか声をだした。
「ど、どうした……?」
これだと少しぎこちないか? でも……昨日、少し酷いこと言ってしまったから……その穴を埋めるのには数日はかかる。
唯那の反応を窺う。そっちから声をかけてきたのに、それっきりだんまりで僕を悲しそうに見つめるだけだ。
それから数分。誰かに見られたら絶対奇異な目を向けられる時間が過ぎる。幸い誰も通らなかったけど。
「…………これ」
そっと唯那の小さな手が開いたのをみて、初めて唯那がなにか持っていたことに気付いた。
ゆっくりとそれに視線を落とす。
「なっ…………!! こ、これって…………」
「……ごめんね。昨日、たまたま拾ったの」
唯那握っているもの。くしゃくしゃになっている紙は少し高価そうで。それで、ペラペラで。もうみたくもないもので。
「そ――で…………!」
声にならない。肺にある酸素が吐き出されるだけ。
「……ごめんね」
そっと唯那が僕にその紙を手に握らせる。その間もされるがままで。ぎこちなく手を動かしてその紙に目を通す。
「あっ――ぅ……!」
――不採用通知。
昨日僕が無くしたもの。唯那が持っているということは、あの時、唯那と会った時にはすでになくて。落としていて。それがどうしようもなく不甲斐なく感じて。
「――弥生ちゃんや、両親には伝えたの?」
酷く同情されると同時に、唯那から家族へと知れ渡る可能性が高くなった。
「――ぁ……ま、だだ……」
「…………言わないの?」
その言葉が、まるで私が言ってあげようかと言っているようで、まるで悪いことをしている気分になる。
成功者と堕落者。僕と唯那の違いはこれだけなのに、これほど絶望を感じなく手はいけないのか。
兄としての威厳も。家族からの信頼も。唯那からの哀れみと同情も。そして――――弥生の失望したと言われる想像をすると。
「っぁ……あああああああああああああああああああああああ!!」
「雪くッ――!」
唯那の声が耳に届くよりも早く、僕は転げるように走りだした。
◆
烏がカーッと鳴いたこときに、フッと我に返った。
辺りを見渡すと、遊具もない小さな公園で、小さなベンチに座っていることに気づく。
時計を見ると、そろそろ昼の時間帯。これからは転落人生しかない僕の人生をお伴するぞと言わんばかりに、ぐぅっとおなかが鳴った。
「……コンビニに、行こう」
ポケットに入れていた財布を取り出して開くと、千円が二枚と小銭が少し。
ゆっくりと重い腰を起こすと、そういえばと、くしゃりと丸めた紙をポケットにぐしゃりと入れた。
「近いうちに唯那からみんなにバラされる……その前に言い訳を考えておかないと…………」
フラリ、フラリ、と力なく歩を進める。と、そのときふと、キラキラした何かが目に入った。
そっと上を見上げると、腫れているのに鼻に水がかかる。お天気雨? 僕の気持ちを代弁しているみたいだ。
空は晴れ晴れとしているけど、きっとうっすらと雲がかかっている。じゃないとお天気雨は起こらないから。
眩しい。
光が眩しいからまた視線を落とす。すると……
「虹だ……」
普通の住宅が立ち並んでいる街道。そこにトンネルのようにかかる虹は、とても綺麗だった。
繊細で、美しくて、儚い。光の反射で映しだされるその虹は、僕にとって世界を表しているみたいだ。
……なんて。そんな大層なことを思っても、何も現実は変わらない。
グゥ、ってなるおなかも、ポケットに丸まっている不採用通知も、何も変わらない。
いつの間にか止めていた歩みを、俯いて、再び進み始める。
頭の中は追うグチャグチャだ。昼を食べたら何をすればいい? 誰かに手を差し伸べてもらうために頭を下げに行けばいいのか? それとも弥生に見下されながらアルバイトをすればいいのか? ――――そんなの、耐えられない。耐えられるわけがない。
ひたむきな人間が最後に報われる? そんなの、嘘じゃないか。僕がひたむきに頑張ったからって、なにも良いことはなかった。僕だって人間ができているわけじゃないから、じゃないから――
「もう、逃げたい――!」
ダンッ! と思いっきり足を踏み降ろす。それと同時に土埃とともに雑草が空を舞った。
――――――土?
ハッと我に返って前を見る。
僕がさっきまでいたのは、きちんとコンクリートで整備された住宅街のはず。なのに、今は。
――――どこまでも続く平原しかなかった。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:虹をくぐり抜けたら……